韓国現代史と朴正煕政権の現代的意義

洪熒 (「統一日報」論説主幹)

<梗概>

 韓国の戦後史70年余りの中で,18年間の執政期間に「漢江の奇跡」を起こして最貧国から先進国の隊列に向かう基礎を定めたのは,第5代大統領朴正煕であった。歴代大統領の中でも朴大統領ほど毀誉褒貶の激しい人物は少ない。朴正煕死後の今日に至る40年間,韓国のほとんどの政治は朴正煕清算に明け暮れてきたと左承喜氏は述べた。最近エコノミストとしての立場から同氏は,朴正煕政権の業績を評価し,書籍にも著して話題になっている。朴正煕死後40周年の今年,その治世と業績の再評価を試みながら,現代韓国政治を見る視点を提供したい。

 今年2019年は,朴正煕大統領死後40周年を迎える記念すべき年であるが,そのこともあって昨年来,関係する何人かの重要な人物に会って話を聞く機会があった。その一人が,朴正煕大統領記念財団の左承喜理事長である。同理事長は米UCLAの経済博士号を持ち,米国連邦準備制度理事会ミネアポリスのエコノミストを経て,その後ソウル大学経済学部兼任教授,KDI国際政策大学院招聘教授などを務めた優れたエコノミストである。左理事長の見解には刮目すべき点が多い。
 その核心部分は何かといえば,現在の多くの識者は朴正煕時代の問題点を指摘し(積弊清算)それを乗り越えようとしてきたのが戦後韓国の政治史だと主張するが,朴正煕時代に達成された経済成長が今はなぜ実現できないのかという素朴な疑問に対して明快な説明ができないことについて,根本的に説明している点にある。すなわち,左理事長は,『朴正煕,そして人々』の前書きで,次のように述べている。
 「朴正煕死後の40年間,韓国は朴正煕と逆にいけば幸せな先進国になると,朴正煕の否定に没頭してきた。朴正煕時代を継いだ第五共和国の国政運営基調が『正義社会の具現』だったことを覚えている人々は多くないかもしれない」。
 そこでここでは,左承喜理事長の説を元に戦後韓国の政治史を振り返りながら,朴正煕政権について検証してみたい。

1.朴正煕政権をどう評価するか

(1)朴正煕政権の経済政策
 現在の日本のアベノミクスにしても,韓国の経済政策にしてもうまくいかないし,そもそも欧米の多くの先進諸国は全般的に経済がうまく回っていない。その根本原因は,一体どこにあるのだろうか。
 日本に始まり,韓国,中国と続いた戦後の東アジア諸国の高度経済成長は,産業革命以降の欧米資本主義の歩みを圧縮して実現したものであった。ところが当時,東アジア諸国の高度経済成長の原因について多くの識者は,欧米の資本主義経済の発展原理からはうまく説明できないので,東アジアに特有の儒教文化に起因するととらえた。
 これまで朴正煕政権についての内外の評価は,<朴正煕=独裁者>という図式でとらえ,朴政権時代の政策すべてを間違いだとして否定してきた。とくに朴政権は,大企業(財閥)との癒着(政経癒着)によって金持ち優遇の政策を行い,庶民を犠牲にしてきたととらえた。これはまさに社会主義的発想そのものであった。しかし朴正煕死後の40年間の経済政策・運営が朴正煕路線の否定であったことを振り返れば,彼らの主張が何の現実的根拠もなかったことが証明されたと思う。まずその点を反省しなければならない。
 一般的に,朴正煕政権は「開発独裁」ととらえられることが多いが,実はそうではなく朴正煕大統領は自由市場経済のメカニズムをうまく利用して経済を発展させたのである。その発展の核心は,日韓中の経済発展に共通する内容で,ただ欧米先進諸国の自由市場経済に基づく政策を圧縮して行ったことにあった。

(2)自由市場経済による発展
 日本は明治維新以来,欧米から多くのノウハウを取り入れたが,その中の重要な一つが,英国から取り入れた会社設立と運営のノウハウであった。農業社会から産業革命を経て工業社会へと転換するに際して,企業(会社)が重要な役割を果たした。
 一般に経済発展のメカニズムは,企業が生み出したアイディアに対して資本家が投資することによって始まる。かつてコロンブスが(西廻り航海という)アイディアをスペイン王室に示すとそこにイサベル1世が興味を示し,最終的に援助することによって,新大陸到達とその開発による経済的成功を生み出したのは,その先例といえよう。
 自由市場経済の視点から言えば,個々の人が努力して金を稼ぎ,可処分所得を貯蓄に回して銀行に預けると,銀行はそれらを資金としてプールし企業に貸し出しし,企業はそれをもとに投資することによって,経済が発展し循環していく。ところが,昨今の大企業は資金を内部留保としてためておくばかりで投資が進まない反面,個人は経済事情が苦しいから借金が増えていく。内部留保を溜め込んだ企業は,その投資先として海外を狙って出ていく。本来経済の善循環を促すのが政治の役割であるはずなのに,現在の情況は経済循環が停止してしまっている状態である。このような状態を招いたのは,企業それ自体の責任もあるだろうが,政治の責任がもっと大きいといえる。
 もちろん先進諸国や次に続いた中進国の発展によって,アジアやアフリカの貧しい国々が豊かになっていったことは確かだが,しかし現在のような路線を保つ限り,先進諸国は今後の経済発展の展望が見えてこない。こうした原因の分析がいまだ十分にできていないことが,最大の問題なのである。

(3)東アジア諸国の高度経済成長の理由
 前述の観点から見るときに,朴正煕大統領による経済発展・成功の背景には,資本主義・自由市場経済の原理に基づいて政策を行ったことがあったと考えられるが,その点を指摘する人はほとんどいない。この問題を左理事長は鋭く分析した。
 (社会主義や共産主義的思考をもつ人々は)朴正煕を誹謗・中傷する目的で朴正煕政権否定のプロパガンダを展開する。その最たるものが,文在寅政権である。
 ところがアフリカなど発展途上国は,韓国の朴正煕政権時代の経済発展に学びたいとして熱いまなざしを向けている。とくに「セマウル運動」について関心を寄せて,現在でも韓国政府にそのための訓練や指導を要請している。文在寅政権は,「セマウル運動」関連予算をカットするつもりでいたのに,海外からの要請が多いためにやむを得ず予算を増やさざるを得なかった。
 自由市場経済の基本は,個人(組織)の自由な競争にあるので,その結果としての優劣を(ある程度)認めながら運営していくことになる。ところがリベラリズムの台頭によって,優劣・格差すべてを「差別」ととらえそれを「悪」だと考えて,自由市場経済の発展の源を否定してしまった。その結果,経済発展がそがれてしまった。例えば,韓国でよく言われる「経済民主化」とは,まさにその政策であり,それを強調すれば,当然企業の競争力は失われていかざるを得ない。
 実は日本や韓国では,自分たちの高度経済成長の発展の秘密についてそうした正しい理解をしないままに,逆に社会民主主義的な視点に立った政策に転換したときから,経済のダイナミズムを失ったのである。日本が高度成長を終えて低成長時代に入る転換点が,田中角栄が日本列島改造論を打ち出したときであった。
また近年,借金漬けになった庶民に対しては,福祉の名目で各種手当てを増やす政策を進めている。その結果,福祉・ばらまき行政を訴える政治家に群がる人々が増えてしまった。こうした流れに対して異議を唱えたのが,米国ではトランプ大統領である。
 今から何十年前の人々は,将来の子孫のために今をがんばってお金を稼いだが,現在は今の福祉のために借金(国債など)を増やして未来世代の分まで(前借して)使おうとしているといえよう。
 セマウル運動の場合もそうで,朴正煕大統領は,当時モノも予算も不十分だったという事情もあっただろうが,意欲を持って一生懸命やるところ(村など)にだけ支援したのだった。全国に向けて地域振興を進めようとしたが,朴政権は全国一律に支援したのではなく,本気でやる気のある地域を選んで資源を分配し支援したのである。最初多くの農村は,冷ややかに横目に見るような傍観者的態度であったが,近隣の町村ががんばって発展する姿を見るとそれに刺激されて後から必死にがんばり始めた。朴政権は,セマウル運動だけではなく,あらゆる方面に対してこのようなやり方で政策を進めた。
 限られた資源の中で,農業社会から工業社会に転換していくためには,企業活動の活性化が必要であるが,企業にどうインセンティブを与えて育成し発展させるか考えた。その中から育っていったのが,サムスンや現代などの財閥企業であった。
 ところが内外の社会主義者たちは,リベラル派をも巻き込んで,「朴正煕大統領は軍事独裁政権だ」と罵倒し攻撃した。その動きを,(日米など)西側諸国のメディアが増幅し報道したのだった。
 左理事長の知見に寄れば,日本の明治維新以降の経済発展は日本独特のやり方というよりは,(欧米諸国が長い期間をかけてやってきた)自由市場経済のやり方を短期間に適応したのであり,韓国はそれをさらに圧縮して実現したのである。もちろんそれぞれの国の環境与件には(経済発展の担い手など)違いはあったが,基本的には自由市場経済の共通的・普遍的原則を応用したに過ぎなかった。
 もちろん対共産主義(社会主義)の側面から,資本主義陣営も福祉面の措置を講じることにも意味があったが,平等主義が行き過ぎて個人のやる気を失わせるような方向に行ったことが大きな誤りであった。自由市場経済の原則の中から,本当の意味のダイナミズムを引き出し,それを経済発展につなげられるかという問題である。

2.戦後韓国政治の課題

(1)李承晩・朴正煕・全斗煥時代
 日本の支配から解放された韓国において初代大統領となった李承晩(在任1948-60年)は,農業社会であった朝鮮王朝体制から自由民主主義と産業社会の近代国民国家体制(共和制)に変えた。彼は12年間執政したが,経済沈滞と副大統領選挙の不正などによって4.19革命により倒されてしまった。その後の張勉政権の混乱期をおさえた朴正煕は,(1961年5月16日軍事クーデタで国家再建最高会議議長となり,63年第5代大統領に就任して)18年間国政を司り,国民がちゃんと食べられるような国にするために命を賭けて取り組んだ。
 全斗煥大統領(在位1980-88年)は,朴正煕大統領が暗殺されたとき(1979年10月26日),当時金泳三や金大中などいわゆる「文民政治家」たちが近代化路線を否定し反動へ走る動きを憂慮して,国の将来を考えて無秩序と混乱を収拾したのだった。
そのころ金泳三は「民主化とは自分が大統領になることだ」と言い放った。金泳三や金大中などに代表される「文民政治家」は,朝鮮王朝の両班に相当する。朝鮮王朝時代の両班たちは,口ではもっともらしいことを主張するが,本心では国や国民のことは頭になく,王と自分たちが権力をいかに維持していくかにしか関心はなかった。ところが,日本も含めて欧米のメディアは,彼らを「民主化勢力」だと持ち上げて報道した。
 もし朴正煕政権後に,金泳三や金大中が政権を握っていたら,1988年のソウル・オリンピックは実現していなかったに違いない。全斗煥は軍人愛国者として,(朴正煕暗殺後の混乱という権力の空白期に対する北朝鮮の危機を憂え)文民政治家に任せては大変だと考えて,倒れた船長(朴正煕)に代わり経験のある自分(全斗煥)が必死になって国の運営を行おうとしたのであった。これが第五共和国であった。
 そもそも全斗煥は,朴政権時代に自分が大統領になるなどとは考えてもいなかったし,彼の頭の中には農業社会から工業社会に転換するというような壮大なビジョンは何もなかった。全斗煥は,国家の重大危機を乗り越えることにおいて,必死になって過渡期を管理していったのである。

(2)第六共和国時代(1987年以降)
 準備されないまま大統領になった全斗煥は,しっかりした国家ビジョンがなかったので,ポピュリズムと妥協し始めた。ただ当時の時代状況は,冷戦期最後の東西対立の激しい時代であったから,ポピュリズムに妥協しようにも共産主義との戦いという,目の前の東西冷戦構図から完全に離脱することはできなかった。
 ところが全斗煥を引き継いだ盧泰愚大統領(在位1988-93年)は,1987年に6.29民主化宣言を行い,同年10月の憲法改正において「経済民主化」という文言を入れた。「経済民主化」とは,別の言葉で表現すれば,「社会民主主義」である。しかし自由市場経済を中心とする大きな船「大韓民国号」が,李承晩から朴正煕までの約30年間,その路線で進んでいたので,その後の全斗煥や盧泰愚の時代まではその慣性で進んだ時代であった。
 盧泰愚は,陸軍士官学校同期生(第11期)から大統領職を引き継いだわけだが,(主体思想派グループのシナリオによって)1987年に改憲した結果,大統領の権限が制限されるとともに,司法・立法(国会)・行政(大統領)の三部制が憲法裁判所を新設して事実上四部制に変わった。しかも憲法裁判所は,憲法解釈のほか大統領の弾劾,政党の解散,機関争訟などを所管して司法府の大法院(最高裁判所)を混乱させる存在となった。そして(社会主義的色彩の濃い)「経済民主化」条項も加えられた。三権分立は三権が互いに牽制しあうことによって,権力の乱用を防ぐしくみであるが,この憲法によって国会に対する牽制手段がなくなり「国会独裁制」が確立した。その後,今日に至る過程で,韓国は社会民主主義の段階を超えて,社会主義・類似全体主義体制になってしまった。「民主化勢力」が,民主主義制度を宿主として韓国社会を左傾化させ破滅に導いた。「民主化」とはプロパガンダ用語であって,正しく言えば「左傾化」だ。
 全斗煥は,嵐の中で急に船長を代行して港までたどり着いた。問題はソウル・オリンピック後であった。現在に至る(盧泰愚大統領以降の)第六共和国は,5年の任期を定めた大統領制の下,その任期を全うするだけの大統領の時代であった。盧泰愚の後の金泳三,金大中,盧武鉉,李明博,朴槿恵,文在寅の各大統領時代であるが,一般に「保守」といわれている李明博・朴槿恵も,正確に言えば「中道左派連立政権」であった。
 一般の人は,左派でなければ「右派」と考えるかもしれないが,正確に言えば,左と右の間には中道左派,中道,中道右派などがあるはずだ。ところがマスコミは,それを左でなければ右(保守)と表現して報道する。それは一種の「世論操作」だ。極言すれば,「戦争勢力」か「平和勢力」かといった二分法の発想である。
 例えば,盧泰愚は最初金大中と手を組もうとしたが,うまくいかず金泳三と手を組んだ。その意味で盧泰愚政権は,中道左派といわざるを得ない。そして盧泰愚は主体思想派に妥協して憲法改正で彼らの主張を取り入れた。
 金泳三は,自分の政治基盤が弱いために,「政治に新しい血を輸血する」と宣言して,「新しい血」すなわち「386世代」の若者を政治に取り込んでいった。その流れの中で,最終的には彼らにのっとられて,現在の文在寅政権になるのである。
 最近の例を挙げると,共に民主党の孫恵園議員の父親の独立有功者叙勲特別待遇疑惑(過去6回申請するもすべて審査で落選したが,今回叙勲された)に見られるように,国家報勲処は独立有功者に,韓国の建国に反対した共産主義者も堂々と認定しているのである。

(3)文在寅政権の本質
 現在の文在寅政権をめぐる韓半島情勢は,自由民主主義勢力が,文在寅政権・金正恩政権・習近平政権という全体主義勢力といかに戦うかという構図にある。日本のマスコミ報道では,韓国は<反日国家・親中国家>という認識一色である。しかし文在寅政権と韓国民とは同じではないのに,文政権と韓国を同じものとしてとらえて,「経済制裁を行え」「入国を制限しろ」などと強硬な意見が出ている。
 韓国の中には文在寅を與敵罪(死刑だけを刑罰とする)で告発するほど,右派勢力も多く,その割合が増えて拮抗しているのに,いまだに日本の報道では<韓国=反日国家>というステレオタイプの認識のままだ。そこには二分法的発想の罠がある。
例えば,徴用工問題についても,民主労総が支援金を集めるが,当事者のために立ち上がって応援して集まる人々はせいぜい40~50人程度に過ぎない。その一方で,(保守系の反文在寅政権を訴える)太極旗集会には4~5万人が集まっているのに,徴用工のことばかりを報道する。こうした報道の偏向姿勢こそ問題ではないか。
 文在寅大統領は,戦後の歴代大統領の中で,金大中,盧武鉉と自分だけがまともな大統領でそれ以外は「積弊」であるとし,とくに李承晩,朴正煕,全斗煥時代の遺産を消すことに執拗に取り組んでいる。

3.大局的視野に立ったビジョンの必要性

 1972年に歴史的な米・中の和解というできごとがあったが,これが(ねじれを生み)日韓が<反共同盟>として連携する道を阻害する遠因となった。しかしこの点を理解している人はほとんどいない。
 現在の米中対立の本質は何かというと,韓半島を米国がとるか,中国がとるかの戦いであるといえる。中国は金正恩や文在寅を取り込んで韓半島全体を押さえる戦略に出た。もしそうなった場合,米国は玄界灘から台湾海峡で(全体主義勢力と)対峙しないといけなくなる。しかしそれは不可能だ。日本はこうした大局的な視点を見落としその意味を分からずに,(反韓・嫌韓感情の高まりによって)韓半島を中国に追いやっているようにさえ見える。
 米中対立のような大国間の「戦争」は,20世紀の歴史が示しているように,負けた側の解体につながる。米中戦争も同様で,おそらく中国共産党の解体に繋がると思う。これによってアジアの地図の色が変わるだろう。東トルキスタン,チベット,内モンゴルが独立国家になるだろうし,もしかすると満洲もそうなるかもしれない。
 現在,日本はインド・太平洋地域との連携を強化した安全保障戦略を展開しているが,反韓・嫌韓感情に振り回され,中国の将来を見通した大戦略に欠けているように見える。政府ができないのであれば,鋭い感性を持った民間団体が未来に備えてビジョンや戦略を練っておくことが必要であろう。
(2019年2月8日)
プロフィール ホン・ヒョン
韓国陸軍士官学校卒。歩兵将校として野戦部隊の小隊長などを経て,国防部に勤務。その後,外務部(外務省)に転じて,駐日韓国大使館参事官・公使を務めた。退官後,早稲田大学客員研究員,桜美林大学客員教授を経て,現在,「統一日報」論説主幹。