戦勝70周年に見るプーチン体制の異質性

拓殖大学海外事情研究所教授 名越 健郎

<梗概>

 欧米の経済制裁や原油価格の下落に伴う経済的な苦境,ウクライナ問題など厳しい対外条件下にあるロシアのプーチン大統領だが,国内的には高い支持率を保っており,最大2024年までの長期政権も視野に収めている。とくに2012年に大統領に返り咲いたプーチン大統領は,今年の対独戦勝記念式典に見られるように,5年毎の同行事を国民糾合のための「国家的神話」に位置づけ,国内的にはロシア正教会と接近し,保守的かつ愛国的な政策を強めている。また外交面ではアジア重視にシフトしているが,思うようには進んでいない。

 ロシアのプーチン大統領は2012年に大統領に復帰したが,3期目は1,2期目に比べ,内外政策で保守強硬路線が鮮明になった。ウクライナへの軍事干渉や対米対決姿勢,反政府勢力への弾圧強化などにそれがみられる。経済的には石油価格下落で苦境にあり,国民生活はむしろ悪化している。それでも支持率は80%台と高水準で安定している。それは,民族愛国主義を扇動し,ロシアが西側に包囲されているとの危機意識を高め,意図的に大統領の下に結集させる政治工作が効果を挙げているためだ。それを象徴したのが,今年5月9日の対独戦勝70周年式典だった。今年は過去最大規模の式典となり,全土の130カ所で軍事パレード行われたが,西側指導者はモスクワの式典をボイコットし,「片肺式典」となった。ウクライナ危機に伴う「新冷戦」を象徴した形だったが,現在のロシアとプーチン大統領を知るには,70周年式典の意味を探ることが不可欠だ。

1.対独戦勝70周年式典の意味

(1)新型兵器が続々登場
 プーチン大統領は民族愛国主義を高めるため,5年ごとの節目の年に戦勝式典を盛大に祝うことを決めており,対独戦勝を新たな「国家的神話」に位置づけている。それは,社会主義という国家イデオロギーを失ったロシアに新しい国家的精神基盤を植え付けるものだ。
 旧ソ連で二千七百万人の犠牲者を出してドイツを降伏に追い込んだ独ソ戦の勝利は,ソ連継承国であるロシアにとって特別な意味を持つ。しかし,ソ連時代の最大の式典は11月7日の革命記念日で,戦勝記念日は比較的地味で,市民は慰霊碑に献花するなど,静かに祝っていた。
 プーチン大統領は,ソ連崩壊後アイデンティティー・クライシス(自己喪失)に陥ったロシアで,大戦の勝利を新たな伝説とし,国民統合に利用する思惑があった。原油価格高騰で経済が高成長を続け,政治的・社会的安定を達成した自信も背景にあった。とりわけ,今年の戦勝70周年式典は過去最大規模の式典となった。
 14年からボルゴグラード,サンクトペテルブルク,クルスク,ボロネジなど旧激戦地で戦闘勝利七十周年式典が盛大に行われ,モスクワでの式典がクライマックスと位置付けられた。式典組織委員長を務めたセルゲイ・イワノフ大統領府長官によれば,式典準備の総経費は285億ルーブル(約600億円)で過去最大。登場した兵器で最も注目を集めたのは,近く量産が始まる新型主力戦車「アルマタ」で,遠隔操作で動く無人の砲塔が特徴だ。米国のミサイル防衛(MD)を突破する能力があるとされる複数弾頭装着の新型大陸間弾道ミサイル(ICBM)「ヤルス」や,クリミアへの配備も噂される戦術核が搭載可能な短距離弾道ミサイル「イスカンデル」も登場した。赤の広場上空では,米軍戦略爆撃機B1に対抗するツポレフ160などの戦略爆撃機,中距離爆撃機のツポレフ22M3といった核搭載可能な航空機が示威飛行し,核戦力をちらつかせた。中国,インドなど各国部隊約千人も行進したが,中国三軍から選抜された儀仗兵の行進がひときわ注目された。
 ロシア当局が軍事パレードにこめたメッセージは,①通常戦力の弱体化を補うため,兵器の更新と近代化を進めている②引き続きロシアは米国と対等の核戦力を保持する③中国と緊密な軍事協力関係にある-にあったといえよう。

(2)戦勝記念の「国家的宗教」化
 ただし,10年前の戦勝60周年の式典と比べると,ロシアの国際的孤立が鮮明になった。私は2005年の戦勝60周年式典を時事通信のモスクワ特派員としてカバーしたが,60周年式典は60カ国近い首脳が顔を揃え,派手でなごやかなイベントとなった。プーチン大統領の両脇にはブッシュ大統領とシラク仏大統領が並び,胡錦涛国家主席は比較的地味な扱いだった。小泉首相,シュレーダー独首相,ベルルスコーニ伊首相の敗戦国三首脳は照れくさそうだったが,ロシア側は式典に臨んだ三首脳に気配りしていた。
 プーチン大統領は演説で,「ファシズムに対する勝利を自分たちだけの勝利とは思わない。米英仏など連合国の支援を忘れない」と連合国の連携を強調,「独露の歴史的和解は戦後欧州の価値ある成果であり,国際社会の見本だ」とドイツを持ち上げていた。「すべての国が独自の発展の道を選ぶ権利を持つ」と暗に戦後の東欧支配を反省し,アジアの戦争に触れることもなかった。終了後,クレムリン大宮殿で,首脳を集めたパーティーが行われ,各国首脳は二国間会談など,首脳外交を展開した。
 だが,今年の70周年式典はウクライナ危機に伴う欧米諸国の制裁で,西側首脳は参加をボイコットし,20カ国にとどまった。貴賓席のプーチン大統領の両隣には,習近平国家主席とナザルバエフ・カザフスタン大統領が座り,十年前の米仏首脳から一変した。ロシアのテレビは,プーチン,習両首脳が何度も親しげに笑顔で言葉を交わすシーンを放映し,蜜月ぶりを強調していた。ウクライナ危機に伴う欧米とロシアの亀裂,ロシアの中国一辺倒外交を印象づけた。
 プーチン大統領の演説も10年前から豹変した。「ソ連は敵の攻撃の矢面に立ち,ナチの精鋭部隊とぶつかった。軍事力のすべてがドイツ軍に向かい,大戦の決定的な戦闘はすべて独ソ間で展開された」と述べ,「ベルリンを総攻撃して制圧し,ヒトラーのドイツに最後の打撃を加え,戦争を終結させたのは赤軍だ」と勝利を事実上独り占めした。十年前の演説では,「自分たちだけの勝利とは思わない。連合国の支援を忘れない」と謙虚だったが,今回は「われわれは勝利に貢献した英仏米の人々にも感謝する」と述べた程度だった。戦後のドイツとの歴史的和解にも言及しなかった。さらに,「エルベ川での歴史的握手,信頼と団結が,戦後国際秩序の基礎となり,国連が誕生し,国際法システムが生まれた」とヤルタ体制の意義を強調しながら,「過去数十年,国際協力の基本原則は大幅に無視され,一極世界を作ろうとする試みや軍事ブロック思想が現れた」とし,米国を暗に批判した。「赤軍は東欧をナチスから解放した」と述べたが,その後の東欧支配には触れなかった。さらに,習主席を意識してか,「日本軍国主義」にも言及した。
 ドイツ軍掃討でソ連軍が中心的役割を果たしたという歴史認識は,プーチン時代特有のものだ。欧米との協調外交を進めたゴルバチョフ時代やエリツィン時代初期は,連合国軍が協力して独軍を打ち破ったという歴史認識が支配的だった。しかし,プーチン政権下では,政権に近いメディアが,ソ連軍の英雄的戦いが独軍を打倒したという論調を展開した。これが世論にも浸透し,世論調査では,「ソ連が連合国の支援を受けずに勝利を達成した」との意見が69%を占め,5年前から12ポイント上昇した。
 ロシアのシンクタンク,政治技術センターのアレクセイ・マカルキン副所長は「現政権の解釈は,ソ連が戦争の主要な勝者であり,他の連合国は二次的な役割しか果たさなかったということだ。従って,全世界はナチスから世界を救ったロシアに借りがあるという発想になる。ある意味で恩知らずの解釈だ」と分析した。 ウクライナ危機後の国際的孤立や経済難に伴う焦りが,民族愛国主義に逃避し,一面的な歴史観を醸成しているとみられる。米紙「ニューヨーク・タイムズ」は,「プーチン氏は戦勝記念日を通じて,ロシアが超大国の座を失っても引き続き並外れたライバルであり,広大な国家が敵に包囲された要塞であるかのようなイメージを宣伝した」と指摘した。
 また,国立サンクトペテルブルク大学のイワン・ツベルコフ准教授は,「戦勝の記憶は毎年遠ざかるのに,戦勝への狂信的な信奉がロシアではますます強まっている。それはまさに,教義や儀式,聖地,最高司祭を持つ非宗教的な宗教となった。米国も宗教のように民主主義を信奉するところがあるが,ロシアの戦勝美化は古臭くて不適切だ。しかし,現在のロシアの内外政策を理解するには,この狂信的な戦勝信奉を考慮に入れることが必要になる」と指摘した。次第に大戦の戦勝が国家的宗教になりつつあるようだ。

2.3期目プーチン政権の特徴

(1)強硬路線への転換
 プーチン大統領がこれほど戦勝記念日を重視するのは,一つには,自らの家族の経験からきている。大統領は今年初め,『ルースキー・ピオネール(ロシアの先駆者)』誌5月号に自らの家族について寄稿し,父のウラジーミルは大戦中,破壊工作部隊の一員として活動した後,レニングラード(サンクトペテルブルク)の包囲戦で重傷を負い,砲弾の金属片が生涯足に残ったと書いた。大統領の二人の兄も大戦中に死亡し,母も重傷に遭い,死体置き場に置かれたこともあるという。プーチン大統領が1952年に誕生したことは「奇跡だった」としている。
 プーチン大統領に特有の愛国心や耐久心,勝利への執念も,ドイツとの死闘に耐えた家族の物語に由来しているかにみえる。家族の苦闘を公表することで,国民との連帯感を誇示し,愛国心を盛り上げる狙いだ。
 だが,なりふり構わぬ戦勝祝賀は,それだけ政権の余裕のなさと焦りを示しているように思える。
 ロシア経済は昨年秋以降の原油価格低迷で通貨ルーブルが下落。輸入品価格が高騰するなど,インフレが進行している。欧米の経済制裁の煽りで,薬品が不足するようになり,庶民の苦境が高まっているようだ。今年の国内総生産(GDP)は前年比で3%のマイナス成長と予想される。原油価格は春以降1バレル=60ドル前後に回復したが,かつての100ドル台への復帰は当分なさそうだ。ロシア経済は資源依存体質がプーチン時代に一段と強まっており,製造業の不振が致命的だ。
 歳入減を受けて,今年のロシアの予算は一律10%マイナスとなった。とりわけ社会保障費がマイナスとなるのはプーチン時代では初めてで,給与や年金を増加させるバラマキ政策が限界に達してきた。にもかかわらず,国防予算は聖域であり,今年は前年比で30%増額された。国防予算はこの4~5年,年率20%増を維持してきたが,今年は経済苦境下での軍事費突出となった。それも,欧米との新冷戦で北大西洋条約機構(NATO)に対抗する狙いだ。
 こうした欧米への対抗姿勢や国内引き締めは,プーチン政権三期目に特徴的である。その誘因となったのはおそらく,2011年末に起きた大規模な反プーチン運動だろう。12月の下院選で大規模な不正があったとして反政府デモが発生。モスクワでは10万人規模の反プーチンデモが続発した。首相だったプーチンが大統領選出馬を表明した後で,長期政権への飽きや閉塞感がデモを大規模化させた。1期目,2期目は石油価格高騰で高成長を遂げたが,09年のリーマンショック後,ロシア経済は失速し,政権幹部が利権を牛耳る経済システムへの不満もあったようだ。
 12年3月の大統領選でプーチンは苦戦するとの見方もあったが,62%の得票で当選した。しかし,そこでも選挙不正があったとされ,候補者を絞るなど,政権側はなりふり構わぬ措置を取った。勝利式典でプーチンは涙を流して話題になったが,反プーチン運動の高揚で相当危機感があったと思われる。
 現在のロシアは,プーチン大統領が一代で作った体制であり,プーチン大統領はある意味で自ら起業し,社長を務めるオーナー型経営者に近い。政権には,サンクトペテルブルク時代の仲間や旧ソ連国家保安委員会(KGB)時代の同僚を配し,鉄壁の支配を築いてきた。しかし,ワンマン支配という奇怪な政治体制であり,プーチン大統領が倒れたら,現在の政治システムも瓦解するだろう。
 それだけに,プーチン大統領や側近らは政権延命を最重視し,いかに長期政権を築くかに最大限の配慮を払った。それが12年以降の三期目に特徴的な政策となった。国内的にはロシア正教会と接近し,保守的かつ愛国主義的な政策を強めた。反政府勢力を弾圧し,反政府デモを規制する強硬措置で臨んだ。同性愛者の宣伝活動を禁止し,欧米から支援を受ける非政府機関(NGO)の活動を規制した。ロシア正教会を冒瀆した女性ボーカルグループを逮捕し,投獄した。こうした強硬姿勢は欧米諸国の反発を浴び,14年2月のソチ五輪で,西側首脳は開会式参列をボイコットした。

(2)アジア重視外交の変質
 外交政策でも,反米主義と膨張主義が強まった。プーチン大統領は米国をナチス呼ばわりし,「第四帝国」と称したこともある。オバマ大統領が進める核軍縮には乗らず,米露対話も後退した。米国の対露政策はほとんど変わっておらず,ロシアはあえて,敵を作ることで国内を引き締めようとしたかにみえる。
 14年2月のウクライナ干渉は,そうした反米主義や旧ソ連圏への膨張姿勢を浮き彫りにした。プーチン大統領はウクライナを「家族の一員であり同胞国家」とみなしていたが,ウクライナの政変で親露派のヤヌコビッチ大統領が反政府デモ隊によって倒されたことで,ウクライナがNATOに取り込まれるとの危機感を抱いたようだ。そのため,ロシア固有の領土とみなしていたクリミアを強制併合したほか,ロシア系住民の多い東部で親露派をたきつけて内戦に追い込んだ。
 ウクライナ介入は,2008年のジョージア(グルジア)戦争が伏線となっている。ジョージアの親米派サーカシビリ大統領が,分離独立を進めるジョージア領南オセチア自治州に軍を侵攻させたことから始まったジョージア(グルジア)戦争は,ロシア軍の圧勝となり,ロシアは南オセチアとアブハジア自治共和国の独立を承認。旧ソ連圏におけるロシアの「特権的利益」を擁護する外交を展開した。NATO加盟を目指したサーカシビリ政権への敵対意識も背景にあった。ウクライナ介入も,ロシアが旧ソ連圏で「特権的利益」を追求したといえよう。また14年2月のソチ五輪で,ロシア選手団が最大の金メダルを獲得し,愛国主義が盛り上がったことも,ウクライナ干渉を後押ししたとみられる。
 クリミア併合は欧米にとっては,「欧州では戦後初の非合法な領土強制併合」(英紙「フィナンシャルタイムズ」)だが,ロシアでは国民の喝さいを浴び,それまで60%以下だったプーチン支持率は一気に85%に上昇した。敵を作り,民族愛国主義を高揚させて,国民を政権の下に結集させるというプーチン大統領の目論みが成功したかにみえる。
 プーチン三期目の外交は,アジア重視に特徴があり,アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会合をウラジオストクで主催するなど,各国と広範に関係を築き,特に安倍晋三首相との個人的親交に基づく日露関係改善は世界的に注目を集めた。しかし,ウクライナ危機後,日本政府がG7と同調したことで,日露関係は再び後退した。その結果,ロシアは「中国一辺倒外交」と呼ばれるほど中国に接近し,5月の戦勝式典でも,習近平国家主席が主賓扱いとなり,プーチン大統領は演説で「日本軍国主義」を批判するなど,中国を厚遇する姿勢が顕著だった。
 しかし,中国はロシアを弟分として無視する傾向がある。中国外交にとって,最も重要なのは米国,次に欧州連合(EU)と日本であり,ロシアは経済的には資源供給源といった価値しかない。日本や欧米の対中投資は圧倒的であり,中国の経済成長に貢献しているが,ロシアの対中投資は事実上ゼロだ。中国はウクライナ問題でロシアの立場に理解を示しながら,クリミア併合を承認していない。承認するなら,台湾や新疆ウイグル自治区,チベット問題に飛び火するとの警戒感があるほか,欧米との関係を悪化させるとの配慮があるようだ。
 中国の国防力近代化は,過疎が進むロシア極東にとって脅威となる。プーチン政権もこうした中国の経済的,軍事的膨張を警戒し,日本やインド,ベトナムと関係を強化することで中国をけん制してきた。だが,ウクライナ危機以後のロシアの対中一辺倒外交は,本来のプーチン路線からも裏目に出たといえよう。
 プーチン大統領は2018年の次回大統領選にも出馬を示唆しており,四選を狙う構えで,2024年までの長期政権を視野に収めている。その場合,20世紀以降のロシア政治ではスターリン時代に続く長期政権となる。後継者も見当たらず,現状では18年の大統領選での当選が有力だ。だが,常に国民に緊張を強制し,引き締めを強め,バラマキもできない状況で,24年までの長期延命が可能か疑問も残る。
政権延命のカギは,まず第一に経済状況にかかっているが,ロシア経済が浮上するかどうかは原油価格次第というのもロシアに取っては皮肉だ。ロシアの世代交代や若者の間に広まる閉塞感や現状への不満,貧富の格差への貧困層の反発も,不安定要因となるだろう。欧米,中国との関係も影響するとみられ,資源頼みのロシア経済が欧米の経済制裁に耐え続けられるかも疑問だ。プーチン大統領は米誌『フォーブス』から「世界で最も影響力のある人物」に選定されており,その行方は国際政治に大きな波紋を投じるだろう。
(2015年6月21日)

■プロフィール なごし・けんろう
1953年岡山県生まれ。東京外国語大学ロシア語科卒。時事通信社に入社し,外信部,バンコク支局,モスクワ支局長,ワシントン支局長,外信部長,仙台支社長などを経て,現在,拓殖大学海外事情研究所教授。専門は,ロシア情勢。主な著書に『独裁者プーチン』など。