太平洋島嶼地域をめぐる情勢変化と日本の戦略―第7回太平洋・島サミット 福島開催に寄せて

太平洋学会理事長 中島 洋

<梗概>

 今年2015年5月に第7回太平洋・島サミットが福島県いわき市において開催予定だが,近年太平洋島嶼諸国をめぐって,中国,台湾,韓国,さらにはイスラエルや中東地域,インドなども積極的にかかわる動きが展開している。これまで同地域とは深い関係にあった日本ではあるが,従来の延長線上の支援方法に留まることなく,長期的視野に立った戦略的取り組みが求められている。太平洋島嶼諸国支援に関する日本の課題と今後の方向性について展望する。

1.これまでの経緯

 まずこれまでの「太平洋・島サミット」の経緯を大雑把に振り返ってみたい。
 1996年,日本の資金協力により東京に太平洋フォーラム事務局の「太平洋諸島センター」が開設された。これは日本への輸出を促進し,日本からの観光客誘致促進と投資促進を目的としたものだ。
 翌年4月,橋本龍太郎総理(当時)は訪米後,オーストラリアとニュージーランドを続いて訪問して首脳会談を行った。これまで太平洋諸国と密接な関係のあった3国との交渉を経て日本は「太平洋・島サミット」開催へとつなげたのである。なお,第1回のサミットの正式名称は「日本及び南太平洋フォーラム首脳会議」(Pacific Islands Leaders Meeting,略称=PALM)で,「太平洋・島サミット」の呼称は第2回から用いられた。
 このときはまだサミットの定期開催の合意はなかったが第2回開催時(2000年4月,宮崎)に,島嶼諸国側から「このサミットを定例化したい」との要望が提議され,2~3年内に第3回を行うこととなった。そして2003年5月に,沖縄で第3回が開かれて以降,3年ごとに日本と島嶼国が共同議長となり日本で開催されることとなった。
 2000年代に入ると,中国が太平洋地域をはじめとして世界に進出するようになり,2006年5月の第4回太平洋・島サミット開催の直前,4月5日,中国の温家宝首相(当時)が450人の代表団を率いてフィジーに赴き,中国と外交関係のある太平洋島嶼諸国首脳と経済担当大臣を招待して経済発展会議を開催した。
 この会議で中国は,中国と外交関係のある島嶼諸国に対し,資源開発,農業,漁業,観光業,電気通信,航空,海運の分野で向こう3年間で30億元(当時の日本円換算で約430億円)の援助を約束した。
 また中国は,2005年末に償還期限を迎えた太平洋島嶼諸国の中国に対する債務は,後発開発途上国(LDC)の場合,その債務を免除し,後発開発途上国以外の債務は,償還期間を10年延長するとした。そのほかにもいくつかの支援を表明したほか,さらに太平洋島嶼地域に投資する中国企業に対しては,中国政府が融資することも発表したのであった。
 2006年5月26-27日,沖縄において第4回太平洋・島サミットが開かれたが,「より強く繁栄した太平洋地域のための沖縄パートナーシップ」を採択し,太平洋島嶼諸国の4000人の人材育成,1000人以上の青少年交流及び,太平洋島嶼諸国が2004年に採択した「パシフィック・プラン」実現の協力など,向こう3年間で(中国の支援額を上回る)総額450億円の支援を約束したのである。
 このように「太平洋・島サミット」は,日本と太平洋島嶼諸国との関係を強化し,同地域の発展に共に取り組むため,日本の首相が「太平洋諸島フォーラム(PIF)」加盟の太平洋島嶼諸国の首脳(と太平洋諸島フォーラム事務局長)を招き,その年次の太平洋諸島フォーラム首脳会議議長とともに共同議長となって3年おきに開催する首脳会議である(オーストラリアとニュージーランドは太平洋諸島フォーラムの加盟国であるが,日本での「太平洋・島サミット」には外務大臣クラスが招待されている)。
 3.11東日本大震災の翌年開かれた前回の第6回サミットは,「We Are Islanders:広げよう太平洋のキズナ」というキャッチ・フレーズの下,①自然災害,②環境・気候変動,③持続可能な開発と人間の安全保障,④人的交流,⑤海洋問題の5分野で,日本から3年間で500億円の支援を表明した。さらに小島嶼国の再生可能エネルギー導入を支援するSIDS-DOCK(Small Islands Developing States-Docking)計画への日本からの基金拠出も表明した。

2.変化する情勢と直面する課題

(1)高まる太平洋島嶼地域に対する世界の関心
 1980年代から90年代まで,太平洋島嶼諸国に対する主なドナー国は,オーストラリア・ニュージーランド・米国のほか,日本であった。ところが2000年代に入り,中国,台湾,韓国,さらには中東の国々まで進出して援助するようになった。
 近年の例を挙げれば,2010年1月イスラエル大統領はミクロネシア連邦のE.(マニー)モリ大統領とナウル共和国のM.スティーブン大統領をイスラエルに招待して歓待し資金援助を約束した。すると(イスラエルのそのような動きに対抗するかのように)同年2月,アラブ首長国連邦(UAE)の外相が太平洋島嶼地域を訪問して根回しし,同年6月にはアラブ連盟全加盟国および太平洋島嶼諸国14カ国を招待して中東のアブダビにおいて第1回太平洋島嶼国-アラブ連盟サミット(Pacific-Arab Summit)が開催された。
 またインドも関与を深めつつある。インドは伝統的にフィジーとのかかわりが深く,1987年ごろまではフィジー人口の51%をインド人が占めていた。87年に二度のクーデタが起こり,軍事政権の政策を嫌って,とくに富裕層のインド人が国外に出て行ってしまい,さらに2000年のクーデタのときにも同様にインド人がフィジーを離れ,現在では47%ほどとなった。
 このような歴史的経緯もあり,インドはフィジーに経済援助をしてきたものの小規模だったが,昨年選ばれたN.モディ新インド首相は,太平洋島嶼諸国との友好関係を積極的に築くとの方針を打ち出し乗り出してきた。
 このように2010年のイスラエルの動きをきっかけに,太平洋島嶼諸国に対する世界の関心の高まりと積極的なかかわりの動きが顕著になってきている。
 太平洋島嶼諸国はみな小国なので全体が団結しないと国際舞台で影響力を行使することができない。とくに国連の舞台ではこれらの国々は(国連加盟12カ国)まとまった行動を取る傾向がある。しかも国連での投票行動の際には,カリブ海やインド洋の島嶼諸国と連携してまとまって行動に出ることも多く,そうなると全体で20票前後の影響力を行使できる。このような太平洋島嶼諸国の潜在力を見通して,日本をはじめ各国はこの地域への積極的なかかわりを持とうとしているのである。

(2)地域主義(regionalism)と地域統合の動き
 第二次世界大戦終了後間もない1947年2月,太平洋地域に植民地をもっていた米・英・仏・豪・ニュージーランド・オランダが,国連理念の下で統治を効率的に進める目的で「南太平洋委員会(South Pacific Commission)」(現,「太平洋共同体(Secretariat of the Pacific Community,SPC)」,本部はニューカレドニア)を設立した(なお,オランダは蘭領ニューギニアがインドネシアに併合されたため後に脱落)。南太平洋委員会は,当初から政治問題は討議しないとの方針の下に,経済・社会・教育などの分野に限ってプログラムを進め,その後島嶼国家が独立して加盟国を構成するようになり現在に至っている。
 ちなみに,米国は戦時中にニューカレドニアのヌーメアに米国のペンタゴンに似せて2階建て五角形木造の建物を立てて対日作戦司令部として使ったが,戦後不要となったのでそれを南太平洋委員会の本部として利用した。
 その後1971年には,「南太平洋フォーラム(South Pacific Forum)」(現,太平洋諸島フォーラムPacific Islands Forum,PIF,2000年10月改称)ができた。
 話は前後するが,1965年,フィジーはトンガ及び西サモアとともにニュージーランドへの輸出が不利にならないように,太平洋諸島生産者事務局を設立,さらに1968年,これにクック諸島とニウエを加えて,太平洋諸島生産者連合を結成した。この動きが種となり,オーストラリアも含めた太平洋島嶼諸国も加わって,南太平洋フォーラム結成につながった。そして第1回総会が1971年ニュージーランドで開催され,今年まで毎年開かれている。
 そのような中2006年12月にフィジーでクーデタが起こり,フィジーは太平洋諸島フォーラムから資格停止処分を受けた。ところが,同フォーラムの本部事務局がフィジーの首都スバにあったために奇妙なことになった。そしてこのときオーストラリア・ニュージーランド・EUなどがフィジーへの援助停止や一部の入国禁止措置を取ったためフィジーは孤立することになった。その空白につけ入ってフィジーへの接近を強めたのが中国だった。フィジーは中国をバックにつけて,再び太平洋諸国に対するリーダシップを取り戻そうと考え,「太平洋諸島開発フォーラム(Pacific Islands Development Forum,PIDF)」を立ち上げた(2013年)。「太平洋諸島開発フォーラム」には中国のみならずインドネシアなど域外国が加盟国に含まれていた。
 こうした組織が錯綜する中であるが,2014年「太平洋諸島フォーラム(PIF)」の新事務総長にパプアニューギニア出身のメグ・テイラー女史(Dame Meg Taylor)が選出された。テイラー事務総長は,駐米パプアニューギニア大使や世界銀行傘下の国際金融公社副総裁などを務めた人望ある有能な人物で,今後これらの諸問題の調整に力を発揮してくれるだろうと期待されている。

(3)太平洋諸国統合に向けた文化芸術活動
 この地域の文化的な統合的取り組みとしては,太平洋共同体の事業の一環として「太平洋芸術祭(Festival of Pacific Arts)」が1972年から4年ごとに開催されている。また太平洋共同体の事業として,近代スポーツの祭典(The Pacific Games)も行っているほか,ミクロネシア,メラネシア,ポリネシアの各地域ごとにもスポーツ大会が行われている。
 さらに,これまでカヌーやスピアフィッシングなど種目別の競技大会を各地で別個に行ってきた土台の上,海洋島嶼国家の共同体としての特長を活かして,海に関する競技種目をまとめて4年ごとに開催する「海のオリンピック」を開催してはどうかとのアイディアもある。現在,いくつにも分かれて別個に行っているスポーツ競技大会や祭典をどのように調和させるかが課題となろう。
 日本が関与するときの課題としては,日本にはそのようなことに関する基礎的な知識のデータベースがないから,そのような知識を蓄積するしくみを作るところから始める必要があるだろう。

3.日本の援助の課題とアイディア

(1)イベント的な人材育成からより高度なプログラムへ
 これまで日本は太平洋島嶼諸国の人材育成のためにさまざまなプログラムを実施してきたが,その多くは一過性のイベント交流に終わることが多かった。
 ここで英国の例を挙げて参考に供したい。英国は(オーストラリアなどからの推薦もあるだろうが)優秀な若手外交官(40歳前後)を選びODA予算を使って資金面で援助をし,オックスフォード大学に留学させている。大学では学位を取らせて本国に戻している。オックスフォード大学出身というだけで,一つのステータスをもつ。これには外交官個人が英国政府のお世話になったという意味だけではなく,その人の帰国後の影響力が大きい。一方,日本の青年交流は1週間や1カ月という短期間のイベント的交流が多いので,後々にまで及ぶ影響力はほとんどない。

(2)海底光ケーブルの敷設
 これまで何度か提案されながら実現されなかったアイディアの一つに,ミクロネシアやメラネシアに対する日本からの海底光ケーブルの敷設がある。
 ポリネシアは,米資本や国際的コンソーシアムなどの援助によってオーストラリアやニュージーランドから太平洋島嶼諸国を経由しハワイを中継地として米国に繋がる海底光ケーブルの情報通信回線が敷かれている。ところがミクロネシアやメラネシアにはそうしたものがまだないのである。
 もちろん日本からグアム・ハワイを経由して米国へ,あるいは日本から直接オーストラリアへといった海底光ケーブル通信回線は敷設されてあるのだが,パラオ共和国,ミクロネシア連邦,マーシャル諸島共和国などとの間の海底光ケーブルの通信回線はまだ実現されていない。
 この地域では人工衛星との通信で済まさざるを得ない。人工衛星との通信の場合,パラボラアンテナを使用しているが,風速60mを超えるような大型台風が襲来すると,パラボラアンテナをたたんで倉庫にしまうか,垂直に開くなどして対応する。そのため通信が途絶され現地との情報通信ができなくなってしまう。
 離島はともかくも,飛行場があるような島とは,日本と海底光ケーブルで繋がるような通信網の整備をしておくことが重要だと思う。残念ながら日本政府の中に,このようなことの重要性を認識する人が少ないようだ。邦人観光客も多い地域でもあるから,関心を持ってほしいと思う。海底光ケーブルの通信回線を引くことはそれだけに留まらず,そこから派生するさまざまな分野にも技術支援の範囲が広がっていくので,将来的にも有望な産業にもなりうる可能性を秘めている。

(3)領海監視艇の支援
 太平洋地域では密漁船が多いので,領海監視艇などの需要は少なくない。そこで1980年代初めからオーストラリアは,太平洋島嶼諸国に対して順次120トン級の領海監視艇を,合計25隻を供与してきた。最初に供与した領海監視艇は既に30年以上の歳月が経過して老朽化したので,オーストラリアは今年に入ってまず12隻について入札を行い新しいものを供与する予定だ。
 しかし国ごとに見れば,監視艇数が十分とは言えないので,日本としても同様の援助をすることを考えてはどうかと思う。短期的な視野に立った援助ではなく,長い目で見た支援の方法を考える必要がある。
 オーストラリアの知恵深いところは,単に領海監視艇を供与するだけではなく,監視艇を中心にシステムとして運用していることだ。まず船員の教育をオーストラリア・タスマニアにある海軍兵学校で行い,供与する監視艇を操作させながら母国に帰すのだが,そのときオーストラリア海軍士官(中尉クラス)が顧問としてついていく。
 太平洋島嶼国はどこでも船のメンテナンスが悪い。船を供与しただけではすぐにダメになってしまう。そこで海軍の中尉クラスを現地に常駐させてメンテナンスを完全にやらせる。それによって領海監視艇をこれまで30年近く使うことができた。
 供与した25隻は年に一度,いずれかの国を中心に,オーストラリアなどの海軍や米沿岸警備隊の支援も得て,衛星通信で統括した密漁船監視のための共同訓練を行っている。例えば,「Big Eye Project」(Big Eyeには「メバチマグロ」の意味もある)と名づけている。それによって司令部を担当した島国の人は統括の訓練ができる。
 日本が新たな船舶を供与する場合でも,(訓練やメンテナンスはオーストラリア海軍に依頼するなど)オーストラリアのシステムと整合させて運用する配慮が必要だろう。既に日本では,日本財団が12トン級の小型船数隻をミクロネシア連邦,パラオ,マーシャル諸島に供与した。これはオーストラリアの了解を取って進められているようだ。

4.第7回サミットへの期待と今後の展望

 日本と太平洋島嶼諸国との本格的関係が始まるのは次回第8回からではないかと思う。その意味には次の二つがある。
 第一に,いままで2回共同議長を務めたのは小泉首相だけで,今度安倍首相が2回できるかどうかである。もし次回第8回サミットも共同議長を務められれば,太平洋島嶼諸国の首脳と安倍首相との個人的信頼関係もさらに深まるに違いない。そうすると忌憚ない対話ができる。
 小泉首相の場合,太平洋諸国に余り関心がなかったようで,第2回目がとくに成功したとは言えない。安倍内閣は日本の平和外交戦略を地球規模でよく考えて実行している。とくに今年の第189回国会における岸田外相の外交演説で「第7回太平洋・島サミットの開催を通じ,太平洋島嶼諸国との協力関係を一層深化させる」と表明したことは大きい。太平洋島嶼諸国は国会での外交演説に込められたこの外交方針に敏感に反応した。
 もう一つは,ミクロネシア連邦,マーシャル諸島共和国,パラオが米国と結んでいる「自由連合協定(自由連合盟約)」(Compact of Free Association)が2023年に期限を迎えることである(パラオは2045年)。この協定は,米国が相手国に対して①防衛は米国が担う,②防衛に関する外交は米国に任せる,③郵便制度・通貨は米国制度を適用,④経済財政支援などを骨子とするものである。ところが財政難の米国は協定延期の意志が薄弱とも言われ,どう展開するか注視されるところである。
 万が一,これらの国々が独立して外交・防衛などの面で自立すると力の空白が生じないとも限らない。これは非常に重要な問題で,日本の外務省・防衛省も真剣に考えるべき課題だ。今年の第7回サミットには議題に上がらないだろうが,第8回(2018年)には議題に上るだろうから,今から戦略を練っておくべきだろう。
 そのときの一つのアイディアとして,EU諸国がとっているACP諸国(アフリカ・カリブ海・太平洋諸国,これらの地域の頭文字を取ってACP諸国という)への特恵制度がある。
 1975年にトーゴのロメにおいて,EU加盟国15カ国とACP諸国46カ国との間で,ロメ協定が結ばれた。これはACP諸国のEU市場への参入や農産物・鉱業資源の価格安定のための資金供与などの特恵を定めたもの。例えば,砂糖の価格を決めて取引し,その国際価格が暴落しても取り決め価格で取引することでACP諸国にとっては恩恵を受けることになる。この背景には,EUが原材料の安定的な確保や海外市場での特恵的地位を維持したいという思いと共に,植民地支配への責任の意味合いも込められている。
 そこで日本として,かつての国際連盟時代に日本が委任統治していた旧南洋群島委任統治領(現在のミクロネシア連邦,パラオ,マーシャル諸島など)に対してEUのACP諸国への特恵制度のようなしくみを設けて援助するのである。第8回にはそのような戦略をも準備して提議できるような環境にしておくべきだ。長期的な視野に立った戦略を立てるのが苦手な日本であるだけに,ここで本当の世界戦略を立てて外交を展開するきっかけにしてほしいと思う。
 いずれにせよ,太平洋は日本と米国との間,さらに日本とオーストラリアの間に位置する海であり,ここに占める太平洋島嶼諸国の安定と繁栄はわが国の安全にとって極めて重要である。
(2015年3月19日)
(本稿は著者の話をもとに編集部でまとめたもの)

■プロフィール なかじま・ひろし
福岡県生まれ。1953年法政大学経済学部卒。TBSパシフィック・インク常務取締役,社団法人中小企業国際センター常務理事,太平洋学会常務理事/事務局長・専務理事,法政大学講師などを経て,現在,太平洋学会理事長。主な著書に,『大和王朝の水軍』『埋もれた古代史』『サイパン・グアム 光と影の博物誌』,共著に『太平洋諸島百科事典』『太平洋諸島入門』他。

注:フィジー共和国について
 太平洋島嶼諸国の中では,パプアニューギニアに次いで2番目に人口が多い国だ(80万人)。フィジーの港や空港は,南太平洋地域における国際船舶や航空の主要経由地の役割を果たしてきた。そのため「南太平洋の十字路」とも呼ばれた。
 この地域で軍隊を持つ国は,フィジー,パプアニューギニア,トンガの3カ国だけだが,トンガは120人程度で,フィジーとパプアは3,500人規模だ(フィジー陸軍は現役3,500人,予備役約6,000人)。しかし軍隊の歴史となると,フィジーが最も古く,第一次世界大戦時には輜重任務ながら欧州戦線にも出征したほか,太平洋戦争では日本軍とも戦闘した。戦後は,国連平和維持軍に参加して中東地域(シナイ半島,レバノンなど)の平和構築活動などで活躍している。このように太平洋島嶼諸国の中でフィジーは,軍隊が強い国であり,フィジー人は愛国心が強いだけに,人口の半数を占めるインド人に経済を握られていることから,やや心理的な葛藤状態にあった。
 かつて英国統治の時代に英国は,「フィジー人は伝統文化に基づく生活することが大切だ」としてフィジー人は定期的な職業に就くべきではないとする法律を定めた。一方,その空白にインド人は経済・労働分野で多数を占めて活躍するようになった。最近は中国人の労働力が増えている。
 こうした歴史的社会的背景から,「フィジー人のためのフィジーを造ろう」という動きが起きやすく,それが政治的運動と連携してクーデタが起きれば政情不安となる傾向が見られるのである。昨年,民政移管されたとは言っても,インド系住民には少数ながらイスラーム教徒もいて,将来政治情勢が安定化するかどうかの見通しは不明だ。ただし,日本政府はフィジーとの関係で,オーストラリアや米国が関係を断ったときでも援助を止めずにやってきた歴史がある。