文明史的大変動期における宗教の意義
―インド仏教の衰亡を例としつつ

中央大学大学院教授 保坂 俊司

<梗概>

 急激なグローバリゼーションによる新しい世界秩序の形成がますます熱をおびつつある。とくに脱宗教の近代文明の限界が顕在化し,再び宗教が社会の表舞台に出てきた感のある昨今において,われわれはどうこの時代変化に対応すべきか?この難題に答えは出ないか。まずは歴史に学んでみようと考える。とくに普遍宗教である仏教のインドからの消滅は学ぶ価値がある。インドは仏教誕生の地として知られ,アショーカ王やカニシカ王などに代表される仏教国が繁栄した。しかし8世紀から13世紀の間にイスラーム勢力の侵入などをきっかけとして仏教はほとんど姿を消していった。その衰亡原因については諸説あるが,総合的な視点からの解説はこれまで十分なされてこなかった。そこで宗教の社会的な機能面,比較文明論の視点などからインド仏教衰亡の原因について考察する。あわせて現代における宗教とのかかわりから見た普遍主義とナショナリズムの関係,さらには文明史的大変動期の宗教の意義についても考えてみたい。

1.インド仏教はなぜ滅んだか

(1)貧弱なインド仏教衰亡の研究
 「インド仏教はなぜ滅んだのか」を考える前に,仏教という宗教の何(どのような要素)が滅んだのかを明らかにしておく必要がある。一般に宗教を論じるときには,①教理(教義),②教団(信者も含む),③儀礼に,創唱宗教であれば④教祖(信仰対象)を加えた4つの要素が揃ったときに,一つの宗教と認められる。日本の神道のようにその中のいくつかの要素に欠ける宗教もある。インドの宗教であるヒンドゥー教,ジャイナ教と仏教を比べると,教えや儀礼は似ている部分が多く,違いが顕著なのは教団の存在形態である。一般に宗教の信者はそれぞれの教えをよりどころとしてまとまり,他の宗教との違いを明確化して一つの教団を形成するからである。そこでここでは,私はインド仏教の社会的存在としての教団の衰亡に焦点を当てて考えてみたい。
 細かいことを言えば例外的なものが出てくるが,ガンダーラ地方や,お釈迦様がいた中インドやガンジス河一帯を見回すと,(現在,信者によって維持されている)お寺は一つもない。ガンジス川の中流域から下流域には,かつてお寺がたくさんあったが,現在も維持されているお寺はない。あるのは遺跡としてのお寺やヒンドゥー教に他用されたお寺である。かろうじて隠れキリシタンのような隠れ仏教徒も多少はいるものの,見るべきものはない。
 ただ,現在では,インド中部のナーグプルにアンベードカル(インドの政治家・思想家,1891-1956年)が始めた仏教,これは最下層の人々が集団改宗して新しくできた仏教で,今ではインド社会で大きな勢力をなしている。このような新しい仏教の再生運動を除けば,現在のインドには仏教教団はほとんどないと言っていい(19~20世紀初に,ベンガルに仏教復興運動が起きてベンガル仏教会が小規模ながら存在するが)。
 インド仏教が最盛期のころ(紀元前後から3~4世紀ごろ),都市住民の3割程度が仏教徒であったといわれる。とくに北インド,ガンダーラ地方は仏教徒が多く,仏教寺院や巨大な仏像が多くあったが,それを作るのには相当な財力と人力,そして政治力が必要だ。しかしそのように繁栄していた仏教が,8~12世紀を経て衰亡してしまったことは事実である。
 これまでの先行研究をみると,インド仏教が成長し拡大した理由や背景に関する研究はたくさんあるが,衰亡した理由の本格的な研究はほとんどない。インド仏教衰亡の比較文明論的総合研究は,日本語や英語の文献を見る限りこれまでほとんどなかった。最近,フランス語圏やデリー大学でそうした本が出ているが,衰亡の部分は分析が弱い。インドでの研究では衰亡の原因をヒンドゥー教に次第に吸収されてなくなったとの言説が多い。実際ヒンドゥーの神々の中に仏陀もいるとヒンドゥー教は解釈している。これらはみなインド仏教が衰退した後,数百年後の「後付けの解釈」であり,衰亡の過程がどうだったのかという点はほとんど研究されてこなかった。
 その理由の一つに,史料がほとんどないということがある。とくに北インド地方はほとんどがイスラームの勢力下に入ってしまい,ヒンドゥー教や仏教の史料がなくなってしまった。
 そもそもインド人は,歴史を記述して残すことをしない民族だ。インド人の関心事は哲学や思想であって,いつどこで何が起きたかという個別の事象に関しては無頓着なのだ。一方,イスラームやキリスト教は,一回期生の歴史,いつ歴史が始まりどこに向かって行くのか,そして各時代にはどのような空間が展開されたか,そのとき誰が何をしたかなどに関心を持つので,それらについて記述し(歴史を)残してきた。ところがインド人は「現象界の出来事などどうでもいい」と考えて,真理を探究し哲学し哲学書を残してきた。
 こうした背景も手伝って,インド仏教衰亡の比較文明論的研究は,これまであまりなされてこなかったのである。

(2)インド仏教衰亡の原因
 かつて私がインドに留学してシク教の研究をしたとき,指導教授に「イスラームの文献を読まないとダメだ」と言われた。なぜならシク教はヒンドゥー教とイスラームが融合して生まれた宗教で,両方の宗教を研究する必要があるからであった。ヒンドゥー教についてはインド研究を専攻していたのである程度は分かっていたが,イスラームに関する知識は乏しかったから指導教授の言葉に従って研究を始めた。
 インドのイスラーム史の文献を読んでいたら,「仏教徒がイスラームに多数改宗した」という記述を目にして驚いた。イスラーム教徒が仏教を暴力的に滅ぼしたという従来の諸説を漠然と前提に考えていた私には,大きなショックであった。この史料の記述は本当なのか,そうであればその事実をどう考えたらよいのかなどと考えているうちに,イスラーム文献『チャチュ・ナーマ』等に出会った。そしてその二つの言説を念頭に置きながら仏教が衰退していくプロセスが,どうだったのかを探求した。
 先行研究によれば,インド仏教衰亡の主な原因として,イスラーム勢力による破壊,仏教自体の持つ内的要因(教理中に内在する問題),社会的背景などが挙げられているが,ここでは比較文明論の立場から,インドの伝統宗教であるヒンドゥー教と外来の宗教イスラームとのかかわりを中心に衰亡の原因を簡単に述べることにする(なお,詳しくは拙著『インド仏教はなぜ滅んだのか』北樹出版参照)。
 第一には,イスラーム勢力がインドに侵入して仏教徒と戦争したときに,彼らは戦争で負けたヒンドゥー教徒・仏教徒を捕虜にした。そして「もしイスラーム教徒になれば助命してやる」と言ったので,ヒンドゥー教徒・仏教徒の武人階級の中にはイスラームに改宗した人たちがいた。
 第二に,イスラーム勢力に攻められる前,ヒンドゥー教と仏教はライバル関係だった。つまり,インド社会の徹底した差別構造はヒンドゥー教の宗教思想から生じているが,それに対して仏教は輪廻思想を中心に四生平等・カースト否定だから,ヒンドゥー教のカースト制度と衝突する。そうなると保守的ヒンドゥー教と革新的仏教とは相容れない関係があった。
仏教勢力が強いときはヒンドゥー側はおとなしくしていた。ところがシルクロードのルートを通した外国との交易の衰退に伴い都市機能が衰えると,都市型宗教である仏教も衰退し始めた。そうなると保守的傾向の強いヒンドゥー教側はカースト制度を否定する仏教側を攻撃する。しかし仏教徒はやられたときに反抗する手段を持たない(仏教の主な教えが「不殺生」「非暴力」のため)から耐えるしかない。
そこに外来のイスラーム勢力が侵入したとき,仏教勢力は抗ヒンドゥー教として対立してきたためにイスラーム勢力に結果的に協力したことになる。しかし,最初イスラーム側は仏教徒の信仰を認めるのだが,次第に徴税するなど締め付けていく。そこで仏教徒の中には経済的な理由からイスラームに改宗する人が出てきたのである。
 第三に,イスラーム教徒と戦うとなったときに仏教徒は,「われわれは殺すこと,血を流すことが禁じられている。税金を払えば信仰を認めてくれると言うのなら,われわれの信仰を貫くためにイスラームの傘下に入ろう」と考えた。つまり「宗教的死」を得て生きるよりも,生活は苦しくても「宗教的生」の道を選んだのである。しかし,最終的にはイスラーム勢力に弾圧されてしまい,よその地に逃げていくか,イスラームに改宗していった。
 ところで,その他の要因として仏教のもつ超世俗性(世俗生活の軽視),いわゆる「出家制度」は長いスパンで見ると衰退の一因になったかもしれない。出家して仏僧になると(結婚しないから)1代で終わってしまう。この結果,(仏教徒の再生産がないので)仏教徒の人口は減る一方だ。しかも仏教の教えには子供を増やし人口を増やすという発想はなく,自分の救い中心,禁欲(節制)を核にしている。一方,イスラームは一夫多妻のために現地人との婚姻により人口がどんどん増えていくから,100年単位の時間経過を見ると人口比が一変してしまう。イスラーム拡大の要因の一つに,武力によるものと,このような人口の自然増加(「けいぼう閨房の布教」)があったと思う。
 インド仏教衰亡のダイナミズムを簡単にまとめれば次のようになるだろう。
 仏教とヒンドゥー教というインド社会における宗教対立構図の均衡状態が,イスラームという第三勢力の侵入によって崩れ,結果として仏教の果たしていた抗ヒンドゥー教という社会的役割が,イスラームに取って代わられ,インドにおける仏教の政治的役割が消滅したのである。
 もちろん仏教は原則的にヒンドゥー世界との共存関係を基本としており,その意味で地域や民族に限定される文化レベルの領域の多くをヒンドゥー教徒と共有し,それによって多数派のヒンドゥー社会の中で生存が許されてきた。両者が競合する複合文明圏を形成していたインド社会に,文化剥離性のきわめて小さいイスラーム文明が,軍事力や経済力を背景に浸透してきたがゆえに,仏教とヒンドゥー教という同根異樹の宗教による穏やかな対立構造は解消し,インド社会ではより厳しい対立構造である,ヒンドゥー教対イスラームへと移行し,仏教は両者に吸収される形で消滅したと解釈される,というのが私の仮説である。

(3)普遍主義とナショナリズム
 さて,宗教には,普遍主義を標榜するものと民族宗教とがあるが,仏教のような一切空なる,普遍思想を強調しすぎると,心情的に「根無し草」になってしまう危険がある。民族宗教は,土地と人種(民族,信者)が固定化され閉鎖されているので,普遍主義と民族主義の対立が生じたときに,普遍主義の仏教は非常に弱い。
 仏教が伝播した地域を概観してみると,民族宗教が弱いか,あるいは未熟なところでは仏教は強かった(日本,チベット,タイ,スリランカなど)。一方,民族宗教が強い地域では(中国など),仏教の力がそがれている。中国では,普遍主義の大乗仏教は民族宗教が台頭すると,どこに中心があるか不明なのでたちまち衰退してしまう。ただし,中国の固有の信仰を取り入れた仏教の代表が禅仏教(禅宗)だが,生き残っている。
 キリスト教の場合,各地域に広がって行ったときに民族宗教をみな根絶やししてしまった。セム的一神教はそれが受け入れられると,従来の宗教・信仰が根絶されてしまう傾向がある。カトリックは一神教だが,比較的民族宗教的なものを残し包容している。そのため普遍主義の宗教として,すべての信者が(国境を超えて)ローマ教皇庁に向かっている。一方,プロテスタントは排他性が強く民族宗教が根絶やしにされて排除されるので,普遍主義でありながらそれ自身が民族宗教的になってしまう。そして,これがプロテスタントを中心に生まれたキリスト教近代文明の特徴でもあった。
本当は,神の普遍性を主張するキリスト教からナショナリズムが起こるのはおかしい。しかしキリスト教の中のプロテスタント的な発想で,普遍主義よりも神と個の関係が強調され,個の最大公約数が民族なので,民族宗教的文明が生じるのである。そのためプロテスタントからは,民族主義的なキリスト教文化が生まれる傾向が強い。このように同じ普遍主義の宗教であっても仏教とキリスト教では温度差がある。
 根無し草の性質(これを極的にいえば「空」)を持つ仏教は,各地で民族宗教を活かしながらその上に乗って拡大したので,民族宗教が反旗を翻すと簡単にひっくり返ってしまう。インドで民族主義と普遍主義の対立が先鋭化すると,仏教は(外来のイスラーム勢力の侵入とともに)どんどん侵食されてしまった。実は,日本の近代における仏教と神道も同様である。
また,仏教徒にとっては,イスラームは同じ普遍主義の宗教なので,ある面で非常に分かりやすい。一神教の神概念もアッラーをダルマだと思えば直ぐ理解可能になる。もちろん,根本的な構造は異なるが,一般人には大切ではない。
 ところで,イスラームのカーバ神殿の事務官(行政官)は,中央アジアの仏教が非常に盛んだった地域(ボハラ)で仏教からイスラームに改宗した人々が,最初の世代として派遣された。カーバ神殿の管理者はムハンマドの子孫だが,メッカの人々は実務能力に欠けていたとされ,それを補完するために派遣されたのだった。イスラーム教徒は巡礼のためにカーバ神殿のまわりを周回するが,それは仏教徒がストゥーパを周回するのに類似しており,その移植ではないかと指摘されている。そのほかにも仏教から移植されたとされる儀礼が少なくない。これは新しい研究で,イスラーム教徒の学説である。
中国でも仏教が盛んな唐の時代は,外に開かれた普遍主義の強い時代だった。宋のように中華民族主義が強い時代になると,儒教が強くなる。清朝は漢民族ではないので民族宗教でない仏教が好まれた。チベット仏教のみならず,その他の宗教も手厚く保護された。しかし,それも天子たる皇帝の庇護の下,という条件がついている。
日本の場合はどうか。古代において仏教を受け入れることによって文明化した。その(神仏習合の)流れが明治まで続いた。仏教は鎌倉時代に民族宗教化して「宗派仏教」になった。本来はお釈迦様を奉るのに,この時代の宗派仏教は宗祖を拝んでいる。しかし,それよりも民族宗教である神道が台頭し対立状態が生まれると,先述したように立場は逆転して仏教は弾圧され追い出されてしまう。しかしそれでも神道は死の穢れを嫌うので,それを仏教が担当するようになって(棲み分けながら)生き残った。それが今の仏教である。
もっとも神道は閉鎖的な民族宗教で普遍宗教にはなれないから,海外に出て行くことはできない。その失敗例が,第二次世界大戦までの神道の国際化政策である。だから現在のように,仏教を無視して,神道を重視する日本の風潮ではグローバル時代の変化には対応できないと思う。そうなると日本人は,普遍主義である仏教を取るのか,さらにはそれ以外の普遍主義であるキリスト教あるいはイスラームになっていくのか。日本も将来はキリスト教化していくのではないか。
ザビエルが日本にキリスト教を布教してからわずかな期間に30万人のキリスト教徒が増えた。当時の人口が1000万人弱だから(現在と比べても)相当の割合で,もし江戸初期にキリスト教が禁止されていなければもっと増えていたに違いない。
韓国のキリスト教はよい例だ。韓国のキリスト教徒は人口の約3割と言われているが,支配層だけを見れば多くがクリスチャンだ。上昇志向の人はキリスト教を受け入れてクリスチャンになっていく。次の世代は仏教やアニミズムは半減していくだろう。50年前に韓国がこのようなキリスト教の国になるとは誰も予想していなかった。第二次世界大戦後,米国の意向に反して日本社会がキリスト教化しなかった最大の理由に,私は仏教系新宗教の存在があったと思っているが,それもそろそろ力尽きつつあるように思われる。今日の日本は仏教を軽視する,嫌う文化で,私は「嫌仏文化」と呼んでいる。この嫌仏文化では,仏教の普遍性の価値は,評価されていない。悲しくもったいないことである。

2.文明の核となる宗教の力

 われわれ日本人の「宗教」に対するイメージ,いわゆる宗教を蔑視するような感覚でみていると,世界の宗教を巡るダイナミックな動きを理解することはできない。宗教を巡る現象は,理屈だけで割り切ることのできない部分,どろどろした部分がある。現実がまずあって学問が出てくるのであって,その逆ではない。ゆえにとくに社会科学は,現実という底辺まで降りていってそれを直視して分析しなければならない。
 例えば,現代のイスラーム原理主義者による自爆テロをみながら,彼らを「狂人信者」だと言うが,考えてみれば,70年前の日本人も同様だった。特攻隊や人間魚雷がイスラーム教徒の自爆テロのモデルとなったとさえ言われている。そのようなことをすっかり忘れてしまい,それ以上は深く考えない。だからまた同じことが起きないとは言えない。とくに「われわれは狂信的な宗教は信じていないから(イスラーム過激派のようではないから)大丈夫だ・・・」というような安易な認識ではダメだ。歴史を冷静に見て,自分たちの他者認識・自己認識を修正していく営みが必要だ。
 彼らの目線に立って,「彼らはなぜあのような立場に立ってしまったのか」と問うてみる。彼らだって死ぬのはいやなはずだ。70年前の日本人も本心では死ぬのがいやなのに,「靖国でまた会おう」「お国のため」と言いながら死地に進んでいった。両者とも,本人の意思を超えた大きな力の中でそう仕向けられたのだと思う。そのような大きな力がなぜ起きたのか。なぜ防げなかったのか。そのような死に方が防げなかったのか。起こってしまった過去の事実は変えられないが,今後は二度と起こさないようにすることは可能である。できればそのようなことを避けて平穏に交渉していく道を探る。それこそが,犠牲となった先祖への最高の報いではないだろうか。私の先祖にも何人も戦死した軍人がおり,中には不幸な戦後を生きた遺族も少なくない。
 ところで,都合の悪い歴史から学ぶことがより大切だ。仏教徒にとってインドで仏教が滅んだということは非常に都合の悪い研究だからこそ,そこから学ぶ姿勢が求められるのである。宗教の興亡を自己肯定的なスタンスでみるのも不足だが,他宗教の人が仏教を研究すると客観的過ぎて内面に踏み込めず,歴史的事実を羅列するだけになり「冷たい歴史」となってしまう。(宗教に対して)愛情を持ちつつ,なおかつ客観的に研究するのがよい。
 さて,日本に仏教が入ったときに,物部氏と蘇我氏の間で神仏論争があったが,実際はそれほど深刻ではなかったようだ。なぜなら,仏教と神道は(信仰のレベルで)噛み合わないのでぶつかることはないからだ。
 というのも,最初に仏教を取り入れたのは用明天皇(第31代,在位585-587年)だったが,在位期間が僅か2年だったのでそれが政策までは行かなかった。そしてその遺志を継いだのが息子である聖徳太子だった。用明天皇の諡は,「仏法信神道尊(ホトケのミノリをウけカミのミチをトウトブ)」つまり仏法を信じかつ神道も尊ぶ,仏教と神道はぶつかり合わないという意味で,それを宣言したことになる。このように神道の祝主であり現人神でもある天皇が仏教への信仰告白をしたことに大きな意義がある。なぜなら後の天皇や為政者たちはその路線をスムーズに実行することができたからだ。
 それでは,なぜこの時代に仏教を受け入れたのか。聖徳太子の憲法17条第2条は次のように記されている。
二曰,篤敬三寶。々々者佛法僧也。則四生之終歸,萬國之極宗【キワメノムネ】。何世何人,非貴是法。人鮮尤惡。能敎従之。其不歸三寶,何以直枉(二に曰く,篤く三宝を敬へ。三宝とは仏・法・僧なり。則ち四生の終帰,万国の極宗なり。人はなはだ悪しきもの少なし。よく教えうるをもって之れに従う。それ三宝に帰りまつらずば,何をもってか枉【マガ】ものを直さん)。
 つまり,「三宝は生命ある者の最後のよりどころであり,すべての国の究極の規範である。どんな世の中でも,いかなる人でも,この法理を尊ばないことがあろうか」という意味で,現代的に表現すれば,仏教をグローバル・スタンダードとして受け入れる,(信仰のみではなく)文明として受け入れるということである。明治時代に,キリスト教文明を当時のグローバル・スタンダードとして受け入れたのと似ている。世界標準を受け入れて文明国になるために,その装置・システムとして仏教を受け入れたというのである。ただし,明治のときはキリスト教の信仰は受け入れなかったが。
 ところで欧州では,新旧両教徒の激しい争いの末に,信仰は公の場では不問にした。これが現代文明のスタンダードとなる信仰の自由,政教分離の根本だ。しかし本来,信仰(宗教)は,個人の内面から始まって,家庭,社会,国家へと貫く価値体系である。イスラームはそれが最も顕著で,個人の生活から国家のあり方・政策まで一貫している。例えば,インドでは,宗教は単に心の問題だけでなく,人間存在の全て,いいかえれば日常世界の一つの行為全てにわたり強い拘束力を持つ存在である。仏教を信じてその教えである不殺生を貫けば戦争はできないし,死刑も廃止しなければならない。しかし戦争をしなければならない。そのときは(できれば短期間で)謝りながらする。そうやって戒律に反しないように努力する。それくらい宗教の持つ力は潜在,顕在的にはある。私は,現在の日本国憲法9条の非戦の教えは,仏教の教えに通じるものであり,近代以降,忘れられていた仏教の精神文化が,第二次世界大戦の敗戦後,再び日本人の心によみがえったと考えている。もちろん,仏教は非戦を説くが,それは無為を言うのではない。智慧により,戦いを未然に防ぐ努力をせよと教えている。
 このような宗教の持つ社会全般に及ぶ総合的な影響力について,これまで日本の宗教学の宗教理解は不十分だった。

3.宗教時代への回帰

 産業社会が変わり社会が変わる,それにあわせて自己変革をする。大きな変動があるときは,生き方そのものを変えていかなければならないので,宗教が重要な役割を果たす。宗教変動のダイナミズムは,社会変動のダイナミズムであり,文明変動のダイナミズムに連動していく。われわれはそれをどう受け止めるか。このような変化のときには,暴力や殺戮が伴いがちなので,なるべく変化に際しては穏便に移行していくように努力する。
 グローバル化という遠心力に対して向(求)心力が必要だ。そのバランスを取ろうといま苦心している。とくに近代日本で神道が果たしてきた日本文明の維持のための向(求)心力をグローバル時代に,民族宗教の神道だけで荷負えるのか?大いに心許ない。
 日本人が日本の伝統を守りつつも,世界のダイナミズムに適応して自己主張していくためには,明治時代までのような神仏習合の世界が必要だと思う。互いに足りない部分を相補しながら,つまり普遍性と個別性をうまく噛み合わせつつ足りない部分を補い合う。変化を自覚し対応しながら生きていく。
 これからの世界は,個人のレベルは分からないが,ますます宗教の影響力が大きくなると思う。S.ハンチントン博士が主張したように,今後の世界は文明単位のグループが形成されそれらの間で葛藤・衝突が起きるだろう。
 とくにイスラームの拡大が非常に大きな世界的問題だ。イスラーム原理主義をうまくコントロールできるかである。さらにインド(ヒンドゥー教)と中国である。中国の宗教は,仏教・儒教・道教を含めた祖先崇拝の拡大型である「皇帝崇拝」で,これが宗教の形を取るかどうかはわからないが,大きな枠組みになることは間違いない。それらの間で紛争や軋轢が起こる。個々のレベルはともかく,集合体のレベルでは宗教の力がますます大きく強くなる。そうなるとその力は(戦前の日本のように)個人にも還元されてくる。正しく宗教の力を認識しないと大変不幸な歴史を招くことにもなりかねない。
 冷戦時代のような世界を普遍的にまとめ上げる枠組みがなくなってしまった21世紀において,次に頼れる枠組みは宗教しかない。宗教がまとまりの核(アイデンティティ)になる時代になった。近代はそれを否定してきた。共産主義や民族主義で薄めようとしたが失敗した。いまもう一度過去の「宗教の時代」に,しかし全く同じではなく高次元的に回帰していく。例えば,EUは簡単に言えばキリスト教連合だ。数年前のユーロ危機のときにギリシアが離脱するのではないかと憂慮されたがそうならなかった。
 これから宗教への回帰時代がやってくるわけだが,日本はどうするのか。個人的には信仰が薄まったり無関心になることはあるかもしれないが,宗教を中心とする枠組み同士がぶつかりあうような時代がやってくると,自己を守るために宗教に帰っていかざるを得なくなると考えている。そのときに,普遍性に乏しい民族主義的な宗教への回帰は弊害が大きいであろう。とは言え,根無し草でも困る。そこで日本の伝統である神仏習合の宗教形態は再評価に値すると私は思っている。いずれにしても,21世紀は「宗教が世界を動かす世紀」となろう。そのとき,われわれ日本人は何を選択するのか。その決断が,日本の未来を大きく分けることになると思われる。
(2014年6月11日)

■プロフィール  ほさか・しゅんじ
1956年群馬県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科修了。その後,東方学院講師,早稲田大学講師,麗澤大学教授などを経て,現在,中央大学大学院教授。専攻は,比較宗教学,インド思想。主な著書に,『シク教の教えと文化』『イスラームとの対話』『仏教とヨーガ』『インド仏教はなぜ亡んだのか』『国家と宗教』『癒しと鎮めと日本の宗教』他多数。