急速に高齢化するアジアとアジア型福祉モデルの構想

東京福祉大学教授 尹 文九

<梗概>

 21世紀はアジアの時代ともいわれるように,アジア諸国は経済発展が目覚しく世界経済の牽引役を果たしている。「若いアジア」と言われるが,少子高齢化の波が近づいていることも事実である。しかも欧州の少子高齢化のプロセスと違って,アジアは短期間に高齢化が進むためにさまざまなひずみや問題が「圧縮」して現れると予測される。そこでヨーロッパ型の福祉社会の構築にのみ固執せずに,アジアの伝統を現代に生かした「アジア型福祉モデル」を構築して,乗り越えていくことが願われている。

はじめに

 21世紀はアジア諸国も急速に少子高齢化が進行すると予測される中,福祉政策を含む社会保障体制の整備に向けては,各国がうまく連携し合って協力していくことが要請されている。
 福祉先進国である欧州の研究者の間でも,アジアの福祉モデルについてはあまり研究がなされていない。アジア諸国でもそれなりに福祉の取り組みはやってきたのに,なぜアジア型福祉モデルに関心がいかなかったのか。ヨーロッパの福祉の基準から見れば,アジアの福祉制度は福祉国家的な制度の枠組みから外れるために研究対象にならなかったのだろう。福祉モデルは,地域文化と密着して出てくるものであり,アジアはアジアなりの文化に基づく福祉サービスを提供してきたことは事実だと思う。その辺について学問的に検証してみようと考えて現在取り組んでいる。
 福祉の歴史的発展段階を見ると,最初は慈善事業であり,次に公的扶助が現れて社会保障制度へと発展し,最終的に社会福祉制度として定着する。とくに社会保障制度は経済発展と密接に関連しながら発展していくために,またアジア諸国は近代化がヨーロッパと比べ遅れたために(ヨーロッパ型の)社会保障制度・社会福祉制度の進展も遅れることになった。しかし,それ以前の段階の慈善事業や相互扶助のしくみは,アジア諸国にも現実に存在し機能してきた。それはヨーロッパ型の枠組みから外れるけれども,考えてみればそれも社会福祉の一つの方法といえる。
 近年日本を先頭にして韓国や中国,アセアンなどアジア諸国も,経済発展とともに社会保障制度の整備が進められつつあるが,制度的福祉という観点から見ればまだ十分ではないのが現状である。アジアは近代化が遅れた分,社会福祉(社会保障)制度の発達も遅れ,前近代的な家族や地域(コミュニティー)などが福祉的役割を代置してきたように思う。今大きな経済発展を遂げつつあるアジア諸国は,今後ヨーロッパ型の福祉社会を参考にしながらもアジアの伝統的特性を活かした社会保障制度を整備していく段階に入りつつあると言える。

1.アジアの「圧縮少子高齢化」

 これからのアジアの社会保障並びに社会福祉制度を考えたときに,もっとも大きな問題は少子・高齢化である。個々人や家庭が生涯にわたって自立して生きていけるのであれば,何も政府や自治体が支援をする必要はない。しかし個々人,家族,地域の自立が難しい場合は,近代国家成立後は,彼らの人権問題(憲法の保障する生存権「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」)とも直結するために,政策としてサポートすることになる。
 一般に,出生率が低下し高齢者の割合の増加に伴う人口学的社会的現象を「少子高齢化」というわけだが,これは先進諸国においてはどこでも見られる現象だ。ただし,日本をはじめとするアジア諸国の場合は,欧州の少子高齢化のプロセスやその特徴とは違った特徴を有する。
 その一つが,高齢化のスピードがヨーロッパに比べて非常に速いということである。
 高齢化率が7%を超える「高齢化社会」から14%を超える「高齢社会」に至るまでの期間(倍加年数)についてみると,フランスが115年,スウェーデンが85年,英国が47年,ドイツが40年であった。一方,日本は24年であった。ところが,アジアの場合はそれが更に短いのである。日本は24年だが,(国連の推計値で)韓国は17年,ベトナムや中国なども同様に20年未満と予測されている。アジアの少子・高齢化は,「世界に類を見ないスピードだ」といわれた日本以上の速い速度で進行しているのである。
 もう一つは,ヨーロッパ型の社会福祉制度が整備されないままに急速に高齢化が進むために,さまざまな問題が「圧縮」して現れるということである。
 高齢化率は,65歳以上の年齢層の割合を指すが,この時期は社会の第一線から退いて年金をもらって生活する人生の時期である。そして年を取るにしたがって肉体の衰えや疾病の発病によって医療費もかかる。この二つが重要な社会的な要因となるが,これがゆっくりと漸増するのではなく,急激に増えていくためにいろいろな意味で問題になる。まずは社会保障の給付額の増加という経済的意味がある。
 かつては「親は子どもが扶養すべきだ」という観念があったが,それが次第に薄まり今ではそのような考え方はほとんど見られなくなってしまった。また,昔は第一次産業(農業・漁業)中心の社会であったから,ある意味で体が動く限りは生涯現役で働くことが出来た。体が弱って寝たきりになると,そのまま死亡につながることも多く,介護問題は大きな社会問題まではならなかった。
 しかし,現代社会は第二次・第三次産業中心で定年制を設けているために,退職後死ぬまでに20年以上の時間が与えられている。その長い時間を人間らしく生活できるか,それが大きな問題となる。しかし昔のようなわけにはいかないから,年金・医療・介護の分野で国家による最低限度の生活保障をし,その不足の部分は,自助,あるいは家族や民間のサポートなどで補う。これが現代における社会保障の基本的な考え方になっている。
 そこで国家がそうした社会保障を実施するためには何よりも財政問題が大きな課題になる。ヨーロッパの場合は,少子・高齢化がゆっくり進行したので,国の対応も時間を掛けて取り組むことが可能だった。ところがアジアの場合は,短期間に少子高齢化が進行するために,国の対応も非常に困難を抱えることになる。
 こうしたアジアの少子高齢化の特徴をはっきり表すために,私は「圧縮少子高齢化」と呼んでいる。「圧縮」という言葉には,少子高齢化に要する時間的な短さだけではなく,もっと深い意味を込めている。気体を圧縮するとき,例えば,2倍に圧縮して爆発するとその威力は2倍ではなく,もっと大きな威力となって現れる。それを少子高齢化に適用すれば,ヨーロッパの3倍の速度で進んだ場合に,3倍の社会的影響が生じるのではなく,それよりはるかに大きな影響力が及ぶということなのである。
 最近は国際関係や安全保障の分野で意味している安全保障とは違う新しい言葉として「人間の安全保障」という概念が使われているが,アジア地域では「人間の安全保障」の観点から「圧縮少子高齢化社会」にアプローチする必要が出てきた。アジア開発銀行のデータによると,2020年にはアジアの高齢者(65歳以上)が4億人を超えるという。また2010年にアジアの高齢者に対する社会保障費は27兆ドルだったが,2050年には150兆ドル必要になるという。
 このように2050年までのアジアの少子・高齢化は,「圧縮」された現象として広範囲に現れるために,ヨーロッパの比ではない大きな社会的影響が現れるのである。しかもグローバル時代は,その影響が一国内にとどまらず,周辺国から世界へと波及していく。そのために,少子高齢化問題は,一国の国内問題というレベルを超えて,国同士の協力がどうしても必要になってくる。

2.少子高齢化社会に向けた対応

(1)定年制の解消
 すでに述べたとおり,今後膨大な社会保障給付費がかかることが予想される中で,その資金はどこから調達するのか。各国が経済発展によって富を生み出せればいいわけだが,現実にはその高齢化の進行スピードに経済発展が追いつかないと予測される。それではどうすべきか。
 少子化問題の一つは,「生産年齢人口」(15~64歳)の減少に伴う経済活動へのマイナスの影響である。一般に定年とされる歳といっても,65歳以上の前期高齢者の場合はまだ元気で働ける人が少なくないし,また高齢者自身も働く意欲もあるから,そのような人々が働ける場を社会が提供することが必要だろう。すなわち,定年制の解消である。
 人口減少社会の中で,生産年齢人口の減少と高齢者の増加という現実を考えて,労働生産人口をうまく有効に使うためには,既存の定年退職制度を見直しして対応していけば,ある程度の労働力不足を補うことができると思う。 
 老化に関する社会学的知見には,これまで主として高齢者の社会への参加や適応の在り方や生活と人生への満足感,幸福感との関連をめぐって「活動理論」というものがある。この理論によれば,高齢期における高齢者の活動の縮小は,高齢者自身の意図に反した社会からの一方的な要請の結果であり,高齢者自身は活動を望んでいるとしている。こうした考え方から制度的に定年制や退職制度が生まれた。すなわち,高齢者本人はもっと働く意志と体力があるのに,会社の都合で定年を区切って辞めさせるという仕組みだ。もちろん生産年齢人口が充分に対応できる時代にはこの制度もそれなりにメリットがあった。しかし,今のような少子高齢化の社会になるとそれが却って「足かせ」になってくる。そこで年齢で一律に区切るのではなく,(給与の仕組みの改善も同時に進めながら)個人の能力と意思によって自由に働くことのできる制度に改めていけば,少子化による生産年齢人口減少に対する一つの対策となる。

(2)アジア各国の連携
 今後アジア諸国の少子高齢化が急速に進むといっても,それが各国において同時に進行していくわけではない。各国の人口構成と社会事情によってずれが生じる。たとえば,アジアでは日本が最初に少子高齢社会に入ったわけだが,そのほかの国々は少しずつタイムラグをもちつつ少子高齢化が進行している。
 現在「人口ボーナス」(注)の時期にある東南アジアの国々はまだ若い年齢層の人が多くいる反面,仕事は少ない。一方,日本のように老齢化したような国の場合は労働力の不足が生じている。こうしたアジア諸国の現状を考慮し,各国が連携・協力しながら,労働力の移動を円滑に進めて互いに不足部分を補完し合うのがよい。
欧州は,どう対応したのか。アジアの諸国と違ってゆっくり時間をかけて少子高齢化が進行した側面もあるが,労働力不足への対応の柱は(北アフリカ,中東,トルコなどからの)移民政策だった。 
 日本や韓国は昔から単一民族という観念があって移民については(感情的に)なじまないところがあるが,グローバルの流れの中で最近はだいぶ様相が変わってきた。したがって,今後は,不足する労働力問題を解決する一つの選択肢として積極的な移民政策の導入も必要になるのではないかと思う。すでに日本政府はインドネシアやフィリピンからの看護師や介護福祉士の導入などを推進し,施行している。しかし,その制度は様々な問題点も多いが,制度を改善し,拡大する必要がある。こうした制度の導入によって,不足する労働力を補うことができると思う。

3.アジア型福祉モデル

(1)「生産的福祉」論の考え方
 アジア型福祉モデルの一例として,韓国の金大中大統領がかつて提案し導入した「生産的福祉」,DJウェルフェアリズムというものがある。ここで今後の東アジアの福祉モデルの選択肢の一つとしてその理論の内容を概括的に取り上げてみたい。
 一般に福祉には生産的要素が含まれてないと言われる。すなわち福祉では,寝たきり高齢者など社会的弱者に対して措置を施し社会復帰ができたとしても,生産の現場に戻ることはないし,そのような想定すらもしていない。ただ消費の対象者としてみて,資本の投入のみでそこからの生産(アウトプット)はないと考える。これがこれまでの福祉に対する基本的な考え方だった。
 しかし,「生産的福祉」はこうした既存の福祉の意味とは異なり,サービスを投入したあと回復して社会復帰できれば,それが生産につながると考えることから生産的福祉といわれている。例えば,現代社会はITの時代だからコンピュータの操作が出来ないと多くの場合仕事ができない状況になっている。そこでそうした技術を持っていない人に対して,失業手当を与えて生活保障するだけというやり方を改め,積極的な職業訓練(再教育)を行い,社会復帰を促すのである。こうした政策を進めることによって,社会の人的循環を促進させることができる。
 一方,韓国は金大中政権の時,日本の生活保護法のような法律として,1999年に「国民基礎生活保障法」が制定された。日本の生活保護法とは違って,権利としての福祉(障害や労働能力の有無,年齢・性別などの制限規定の撤廃)を基礎に据え,ミニマム(「最低生計費」)は国が補償するが,その後の社会復帰(再就労)を国も制度として協力しながら積極的に進めるというものだ。 
 この考え方の基本は,憲法が保障する生存権を法律制度として整えて保障しながら,それ以上のことには単に福祉給付として与えるのではなく,職業訓練などを実施しその人が自立して社会生活ができるようにしていくのである。

(2)アジア型福祉モデル
 これまで「福祉」といえば,ヨーロッパの福祉概念や基準をモデルにして考えてきたのでその枠組みからアジアの「福祉」を見ると機能的な側面から非常に遅れたものとしてとらえられる。しかし,アジアの多くの国は,現在人口ボーナス時期を迎えて生産年齢人口の割合が高く,経済発展を後押ししている。韓国・シンガポール・台湾などの国は一人当たり平均国民所得が2万ドル程度まで経済が成長したが,中国・タイ・ベトナムなどはまた1万ドルに達していない。欧州の先進国はある程度の経済成長の後,少子高齢化が進んだ結果,ヨーロッパのモデルを基準にした社会保障は大きな財政負担を前提にする制度である。しかし,いま経済発展過程にあるアジアの国々は成熟社会になる以前に高齢化が進んでいることを考慮すると,これらの国で欧州の福祉国家のレベルの社会保障制度を実施することは難しい。そこで前近代的と思われるかもしれないが,家族の絆を大切にする視点や地域共同体的な文化,まさにこれが東洋的な文化なのだが,こうした観点を見直すことも新しいアジア型福祉モデルを定立していくためには大切なポイントだと思う。
 単線的な歴史発展の考え方に立つと現代が最も発達した幸せな社会でなければならないが,実際の人々の幸福感を見てみると,必ずしもそうとは言えない。むしろ過去の社会の方が幸せな社会だったと回顧する人も少なくない。もちろん物質的な面では現代が最も豊かかもしれないが,精神的な側面を考慮すると現代が一番幸せとはいいきれないのである。
 そこでアジア,東洋の文化がもつ伝統的な機能(のよい面)を現代に再生していくことができればと思う。現代の資本主義においでは様々な価値の中でカネがすべてという風潮が一般化しているが,それを超える価値を再発見していく必要がある。衣食住の物質的なものは生きていく上で,最低限必要ではあるが,ある程度満たされればそれ以上必要とはいえない。真に幸せな社会を築くためには,物質的側面に精神的な面を合わせた観点が重要だ。物質的な豊かさには限界があるし,ヨーロッパ型モデルのようにはアジアの経済発展は行かないとなれば,精神的側面を充実することに力点を入れることがカギになると思う。
 個人中心の社会を考えるのではなく,家族,あるいはコミュニティーまで範囲を拡大してその間で協力し合う関係を基礎とする社会を考えるのである。国がある程度発展すれば,それに伴って社会制度も成熟していくから,ミニマムは国が社会保障という形で支えるが(公助),それ以外の部分についてはアジアの文化をうまく活かして,助け合う社会を作っていく(共助)。
 数年前にジャカルタに行ったときに,市内に自動車が道に溢れているのを見て驚いた。現地の国会議員である友人にインドネシアの現状について聞いて驚いた。当時,公務員の平均給与(月給)は2万円程度であるが,その給与で車1台を買うことや子どもを大学に入れることは(経済的に)容易ではない。そこでどのようにして車を買うのか聞いてみたところ,「何とかなる」という返事だった。しかし不思議だった。
 例えば,子どもが大学に入る場合,親が経済的に難しくても,親戚の中で余裕のある人が援助してくれるという伝統的な習慣があるという。困ったときには血縁組織やコミュニティーの中での相互扶助が機能して「何とかなる」というのだ。
 日本や韓国でも昔は家族を大切にし,親戚がまとまり,地域が協力し合う関係があった。インドネシアは後発国とはいえ経済発展を遂げる中で,そのような伝統的な人的ネットワークが今でも生きており,それが人々の生活を潤すのにうまく活かされているのである。
 それを聞いて,経済発展は人間の物質的な豊かさをもたらしてはくれたが,人間の精神面で失われたものも多かったと実感した。現代人は,自分のことしか考えない社会に生きている。それが資本主義,個人主義社会の特徴となっている。一旦近代物質文明を達成した場合に,それを昔に後戻りすることはできない。そこで精神的なサポートを加えることで不足な部分を補っていく。
 それを具体化していくために,教育の中で教えることも重要な方案である。私の子どもの例を挙げてみる。長男が小学校低学年のころ,次男の分のお菓子を隠しておいたところ,長男がそれを見つけて食べてしまったことがあった。それを見つけて叱ったら,「自分(の体)が一番大切だから,そのために食べたいものを食べた」と答えた。よく聞いてみると,子どもが通う小学校の先生がそう教えていたからだという。
 これをみても教育の力の大きさを実感する。教育の中で,自分を大切にすることは言うまでもないが,お互いに周囲の人も大切だということを教えながら,協力し合うことの価値を教えていくことで,人々の心の持ち方が変わり,社会も変化していくと思う。今後孤立する高齢者が増えていく趨勢の中で,彼らをサポートしていくためには,人々の意識を変えていくことが,ある意味では近道かもしれない。こうした取り組みは,お金がかかるものではないから,財政負担を心配する必要もない。
 韓国もそうだが,今後は経済的な世界一を目指すのではなく,お互いに助け合う精神的に豊かな社会を作ることが国家の目標とすべきだろう。welfareからwell-being(生活の質)に価値をおいた社会へと転換していく。
 ところで,日本も2050年ごろになると,少子高齢化の現象が一巡して平均的な人口構成になっていくと予測されている。少子高齢化の問題をマクロ的に見ると次のようなプロセスをたどる。近代化が始まった段階は,「多産多死社会」だが,その後,経済発展に伴い医療の発達,栄養改善,公衆衛生の改善によって,「多産少死社会」となる。その結果,長く生きる人が増えて医療と年金が社会問題化し始める。そして人口転換の新たな局面である「少産少死社会」となり,元の状態(人口数が安定的に推移)に回帰していく。日本がそうなるのが2050年ごろと言われる。そのころになると高齢者が減って人口構成が平均的なものに変わっていく。それまでに「圧縮少子高齢化」の影響によって国が破綻しないように今から何らかの対策を講じて置くことが重要なのである。
(2014年2月26日)
注:人口ボーナス
人口ボーナスという言葉は,1997年にA.メイソンが「人口とアジア経済の奇跡」という論文で用いたのが最初である。この論文は,人口政策と経済発展に関するプロジェクトの成果を示したものである。メイソンは,所得を生み出す人口の割合の上昇が一人当たりの所得を増加させる事実に着目し,出生率の低下が生産年齢人口の急速な増加を通して「人口ボーナス」(demographic bonus)をもたらすとした。(中略)この人口ボーナスの考え方は,後にD.E.ブルームやJ.G.ウィリアムソンによってさらに理論化された。とくに1998年に発表された論文「新興アジアにおける人口転換と経済的奇跡」では,1960~90年のアジア経済を対象に,人口変数を用いた計量分析を行い,その成長の三分の一が人口ボーナスによるものであるとした。また,人口ボーナスの効果は必然的にもたらされるものではなく,むしろ東アジア諸国が,人口転換が生み出す潜在力を顕在化させるような社会・経済・政治制度を構築し,また諸政策が人口構成の変化に適していた結果であったと注意を促している。つまり,人口構成の変化に適した政策を実施した国のみに,経済発展が「ボーナス」としてもたらされたのである。
(大泉啓一郎『老いてゆくアジア』中公新書,2007年より)

■プロフィール  ユン・ムング
1962年韓国生まれ。韓国・明知大学行政学科卒,同大学院行政学研究科修了(行学学修士)。91年に日本留学。筑波大学大学院社会科学研究科博士前期課程(法学修士)・博士後期課程修了(法学博士)。その後,明知大学大学院・国民大学大学院非常勤講師,明知大学リサーチアカデミー責任研究員,東京福祉大学助教授を経て,2000年同大学・大学院教授。専攻は高齢者福祉政策,福祉行財政論,高齢者福祉論。主な著書・共著に『日本の介護保険制度を解部する』『人口減少時代の社会福祉学』『東アジア共同体を設計する』『学びを追究する高齢者福祉』『人間の安全保障の諸政策』『高齢者への支援と介護保険制度』他

参考文献
1)尹文九「アジア型福祉政策とワークフェア」進藤榮一・平川均編『東アジア共同体を設計する』日本経済評論社,2006
2)同「東アジア福祉モデル問題に関する研究」『韓国アジア学会誌』Vol.11,No2 2008 
3)同「日本における外国人ケアワーカー受け入れ問題に関する研究」『国際アジア共同体学会誌』創刊号,2008
4)同「ワークフェアとして生産的福祉の再照明」『日米高齢者保健福祉学会誌』Vol.22,2007
5)同「アジア型福祉モデルとDJウェルフェア論の考察」『国際アジア共同体学会誌』第2号,2010
6)同「アジアの人口変動と東アジア福祉モデル構築に関する研究」『東京福祉大学大学院紀要』,2011
7)同「高齢者の安全保障」岩浅昌幸・柳平彬編『人間の安全保障の諸政策』法律文化社,2012
8)大泉啓一郎『老いてゆくアジア』中公新書,2007  
9)小峰隆夫編『超長期予測 老いるアジア』日本経済新聞出版社,2007
10)店田廣文編『アジアの少子高齢化と社会・経済発展』早稲田大学出版部,2005  
11)小川全夫編『老いる東アジアへの取り組み』九州大学出版会,2010