自然と人間が共生する環太平洋生命文明圏の提唱
―山と森・地球への祈りの心

国際日本文化研究センター名誉教授 安田喜憲

<要旨>

 21世紀は巨大な地球環境の変動が刻一刻と生じ,巨大災害が私たちを襲う時代である。地球上のフロンティアが消滅し,地球が宇宙に浮ぶ一つの島になった現在,拡大のエートスを基調とする超越的秩序の文明は,その役割を終えつつあると思う。太平洋の東西には,人間中心の倫理を重視する文明ではない,「美と慈悲の文明」「自然=人間循環系の文明」が存在していた。その核心は山への信仰である。父権主義と人間中心主義のヨーロッパ文明に代わる,新たな森の文明の時代を構築するための一歩を踏み出すときを迎えた。それが大いなる自然と人間が共存する環太平洋生命文明である。

1.風土と人間

 人の心は生まれ育った風土と密接不可分のかかわりを持つ。山の風土で育った人は山の心を,海の風土で育った人は海の心を,森の風土で育った人は森の心を,砂漠の風土で育った人は砂漠の心を持っている。
 理性万能の近代ヨーロッパ文明は理性を身体よりも高次のものと見てきたが,私は「心自一元論」を提唱している。つまり,心と体が不即不離,一体のものであるように,身体を包み込む自然と人間もまた一体であり,不即不離の関係にあるとみる。それゆえ,心=身体=自然であり,心は身体の五感を通して,その身体が生まれ育った風土的特性と不即不離の関係を持つのである。
 それと同様に風土と宗教も非常に深い関係を持っている。もしイエスが,中東の地域に生まれず,高温多湿の地域に生まれていたとしたら,今のようなキリスト教は発想しなかったはずだ。宗教のバックには,それを育てた風土が必ず関与している。砂漠には砂漠の風土が,森には森の風土がある。釈迦は森の風土の中に生まれたために,あのような仏教思想が出てきたのであり,モーゼやイエスは中東のような風土の中に生まれたために一神教的な宗教を生み出した。その視点をもう一度見直すべきだというが私の主張だ。
 今までの科学は,人間が森・自然をどう利用するかについては一生懸命研究してきたが,自然や風土が人間の心にどのような影響を与えてきたかのメカニズムに関してはほとんど研究してこなかった。これは西洋近代科学の限界でもある。それは西洋近代科学が(基本的に)自然を支配するための科学であったためだ。やっと最近になって,「エピジェネティック変異」(後天的作用による遺伝子発現の多様性を生み出すしくみ)が提起されるようになった。以前は,環境が変われば人間の心も変わるという考え方は,“非科学的”として一蹴された。毎日森の中に住む人間が,森からの影響を受けていないはずがない。木々の梢のすれる音や葉のなびく音などは,人間の心に何らかの影響を与えているはずだ。
 この点を科学的に突破口を開いて究明したのが大橋力氏だった。音環境が人間の心や健康に与える影響の解明である。大橋氏によれば,人間にとってもっとも好ましい音環境とは熱帯雨林である。熱帯雨林は人間の聴覚ではとらえきれない20kHz以から130kHzに及ぶ癒しの音,憩いの音に満ち溢れている。その中で人間が暮らすと,その音環境が脳幹を刺激し,ストレスの解消や免疫力の向上などさまざまな効果が現れることが実験的に確かめられた。
 それに対して砂漠は静寂である。その音環境は20kHz以下の音に限られる。これに近いのが都市の音環境である。その砂漠や都市の音環境は,人間にストレスを加え病気を引き起こす原因ともなっている。
 この快適性に満ちた環境の中で暮らした人間が考え出したのが現世的秩序であり,ストレスに満ちた砂漠の環境の中から人間が命の鼓動を求めて夢想したのが超越的秩序であった。現代の都市文明の拡大は,人間の身体にとっては砂漠的環境の拡大である。このような現代文明を止揚し,地球環境の危機を回避するためには世界を森の環境で埋め尽くし,現世的秩序に立脚した新たな「美と慈悲の文明」「生命文明」を創造するしかない。世界を森で埋め尽くせば人々を取り巻く音環境も変化し,人々の心もおだやかになり,生きとし生けるものの命に畏敬の念を感じるアニミズムの心を取り戻せるだろう。
 例えば,モーゼが神に出会ったシナイ山が,森に覆われ生命の輝きに満ちた山であったか,それとも森のない岩山であったかによって,山で誕生した宗教に大きな性格の違いが生まれた。モーゼの十戒は,その後のユダヤ教やキリスト教の持つ宗教的倫理性の根幹を形成した。十のうち,最初の四つは神と人間との関係についての戒めで,残り六つは人間と人間との関係についての戒めである。しかしそこに一つ欠けたものがあった。即ち,自然と人間の関係についての戒めである。もしモーゼが自然と人間の関係についての戒めを追加しておいてくれたら,人間は今日のような地球環境問題に直面することはなかったであろう。
 だが禿山のシナイ山に立ち,あたりには燃える柴と天に光り輝く星しかない。命あるものは人間しかない。そのような砂漠の風土の中でどうして自然の生命と人間のかかわりを意識できようか。ここにユダヤ教とキリスト教が背負わなければならない風土的限界が存在したのである。
 もしもシナイ山が緑の森に覆われていたら,モーゼの十戒は,自然と人間のあり方を明確に規定し,自然の生物をむやみに殺してはならないという戒めを定めたに違いない。地球環境の危機に直面した現代は,自然と人間の関係についての「新十戒」が必要なのではないだろうか。現代版「モーゼの十戒」を紹介する。
①あなたは自然の中に神を見つけなくてはならない。
②あなたは自分のためにのみ,人格神を刻んだ像を作ってはならない。
③あなたは自然にいつも呼びかけなければならない。
④自らが安息日を取るように,自然にも安息日を与えなければならない。
⑤あなたは父と母を敬うように自然を敬わなければならない。
⑥あなたは自然の生き物をむやみに殺してはならない。
⑦あなたは自然も家族の一員として大切に愛さなければならない。
⑧あなたは自然の豊かさを踏み躙ってはならない。
⑨あなたは自然に対して嘘をついてはならない。
⑩あなたは自然を不必要に貪ってはならない。

2.稲作漁撈民と畑作牧畜民

 風土や自然が人間の考え方や心のあり方,世界観に影響を与えるだけではなく,風土と密接な関係を持つ食べ物の相違も,心のあり方や文化・文明のあり方,さらには自然破壊に大きな影響を及ぼしている。とくに地球資源の枯渇が危惧される中,小さな地球の中で限りある資源を分かち合い額を寄せ合いながら生きなければならない人類は,何をどのように食べれば持続可能なライフスタイルを維持できるのか,真剣に考えなければならない時を迎えた。
 こうした食べ物の相違に着目して東洋と西洋の比較文明論を展開した学者は少なくないが,地球が宇宙に浮ぶ小さな「島」となったいま,ユーラシア大陸だけに限定した比較文明論では,21世紀の人類の未来を論ずることはできない。そこで私は,アメリカ大陸,アフリカ,オセアニアも含めた視点に立って,「環太平洋生命文明圏」を提唱する。この文明圏の共通点として,コメとイモ,それにトウモロコシを主食とし,タンパク質を魚介類に求め,ミルクは飲まずバターやチーズを食べないことが挙げられる。それはミルクの香りのしない植物文明であった。マヤ文明,アンデス文明,そして南太平洋のマオリ人やポリネシア人など南太平洋の島々の文明も,さらに長江文明や縄文文明と同じくミルクの香りのしない文明(milkless civilization)だった。
 彼らは太陽を崇拝し,山,鳥,蛇,柱を崇拝し,玉を最高の宝物とした。玉こそ環太平洋生命文明圏を代表する至宝だった。そこに共通する文明のエートスは,山を信仰する「再生と循環」の世界観に裏打ちされたアニミズムの世界である。そしてそこには女性が活躍する文明が構築された。
 ユーラシア大陸の気候区分に,これまで古代文明とされてきた四大文明を落としてみると興味深い事実が見えてくる。四大文明とされたメソポタミア文明,エジプト文明,インダス文明,黄河文明は,いずれも湿潤気候と乾燥気候の狭間を流れる大河のほとりで誕生した。しかもこれらはいずれも冬作物のムギを主食にした畑作牧畜文明である。ヒツジやヤギなどの家畜を飼い,そのミルクを飲み,バターやチーズを作り,その肉を食べる。われわれが今まで古代文明だと思ってきたものは,ミルクの香りのする畑作牧畜民の文明,つまり「力と闘争の文明,動物文明」だった。そのことは生態系の破壊にもつながった。なぜならタンパク質としてミルクを飲みバターやチーズを作り,肉を食べ,毛皮を利用するために飼育する家畜は,人間が寝ている間でも森の下草を食べ尽くし,森の再生を不可能にするからである。幹の樹皮を食べるだけではない,ヤギは木に登って若芽も食べ尽くす。ついに森そのものが人間と家畜によって食いつぶされるのである。
 一年中雨の多いモンスーン・アジアの大河のほとりや,極東の森の国日本,アメリカ大陸には文明の香りは到底存在せず,古代文明は存在しなかったとみなされてきた。しかし,こうしたモンスーン・アジアの湿潤な森の中やアメリカ大陸にも古代文明が存在した。その代表が長江文明であり,それは稲作漁撈民の文明であった。これらの文明と畑作牧畜民の文明との一番の違いは,ヒツジやヤギなどの家畜を飼わなかった点にある。
 稲作漁撈民が創造した「美と慈悲の文明・植物文明」はミルクを飲まない文明である。しかし人間が生きるためにはタンパク源がいる。稲作漁撈民は魚をタンパク源とし,豆腐や納豆などの植物タンパクを摂取し,お餅などのねばねばしたものを好んで食べた。
 ユーラシア大陸には,上記の二つの文明のほかに,主として年降水量500ミリ以下の乾燥した半砂漠地帯やオアシス地帯に発展した遊牧民の文明,「交流と契約の文明」がある。畑作牧畜民の都市が富と権力,そして消費のセンターであり,稲作漁撈民の都市が「祭祀と生産のセンター」であるのに対して,遊牧民の都市は「結節と交換のセンター」である。畑作遊牧民のエートスは拡大を志向するが,稲作漁撈民の文明は持続を志向する。そして遊牧民の交流と契約の文明によってユーラシア大陸の東西文明は相互に交流することができたのである。

3.森の破壊者―畑作牧畜民の文明

(1)人間中心主義の終焉
 「拡大」こそ畑作牧畜民のエートスであり,発展の原動力であった。家畜をコントロールするためには力が必要だった。畑作牧畜民は力によって,拡大のエートスを持つ文明を推し進めた。それは男中心の「力と闘争の文明」にならざるを得なかった。力の拡大を正当化するためには大義名分が必要だ。超越的秩序の宗教は,こうした拡大のための大義名分として格好のものとなった。
 超越的秩序を形而上学的・倫理学的に構築するには,現世のあるがままの中に美しさを発見するのではなく,それらを人工的に,形而上学的・倫理的に複合させる必要がある。そこには人間中心主義の視点が不可欠である。ユダヤ・キリスト教の超越者も,旧ソ連の共産主義も,人間中心主義が生み出した空想と幻想の産物という側面を否定できない。
 確かに,幻想や空想が新しい時代を創造したことは事実である。しかし同時に,その幻想や空想に振り回されて,人間はいくつもの不幸や悲劇を体験してきた。そして今,そのマイナス面が省みられないまま,より強調されようとしている。
 その一例が,キリスト教という超越的秩序の布教活動だ。アズテク文明やインカ文明を滅ぼしたスペイン人は,キリストの教えを広めるためと称して,虐殺と征服を正当化した。大東亜共栄圏もまた,明治以降,超越的秩序の文明に心酔した一部の日本人が妄想した超越的秩序だった。
 だが,21世紀には,この人間中心主義の論理,超越的秩序を説くことによって人間のみを救済する宗教は,そろそろ役割を終えつつあるのではあるまいか。今日の地球環境問題は,目の前にある現実世界の生命倫理と地球倫理よりも,人間中心主義の倫理を重視することによって引き起こされたからである。市場原理主義という人間中心主義の倫理的幻想によってどれほどかけがえのない地球生命が奪われたことか。
 人間が生物である以上,われわれの命は生きとし生けるものとしてどこかでつながっている。DNAレベルで見れば,人間とチンパンジーの違いはほんの数%に過ぎないと言う。大部分は動物と同じなわけだから,人間が動植物に対してえらそうなことをいう資格はないはずだ。そのようなことが立証されてくると,本当の人間の幸せは「山川草木国土悉皆成仏」ともいわれるように,宇宙,地球の生きとし生けるものとともに暮らすことが最高の幸せだということになる。人間と家畜だけが最後に生き残ったのでは何の幸せでもないということだ。美しい大地,自然に囲まれながら,われわれの命も輝く,生きとし生けるものも一緒に輝く。それこそが本当の人間の理想ではないか。

(2)森を破壊した畑作牧畜民
 肉食の畑作牧畜民は,また森の破壊者でもあった。
 例えば,現在のギリシアに行くと禿山だらけだから,もともとギリシアは禿山の国だと思っていた人が多かった。しかしギリシア文明が繁栄した時代には,深い森があった。私が行ったギリシアやシリアなど地中海沿岸各地の花粉分析の結果からみても,地中海沿岸地域はかつて深い森に覆われていたのである。しかし,その森は文明が繁栄していく中で徹底的に破壊されてしまった。
 畑作牧畜民は森を破壊しようとして生きているのではない。毎日生きるために食べた結果,いつの間にか森を破壊したのであった。彼らはパンを食べミルクを飲み,バターやチーズ,肉を食べた。パンを焼くにはコメを炊く3倍の火力が必要だ。ミルクを飲みバターやチーズ,肉を食べ,毛皮を利用するために家畜を飼う。その家畜が再生しようとする森の若芽を全部食べてしまうために,森は二度と再生されなかった。
 彼らはヨーロッパや地中海の森を破壊しただけでは終わらなかった。17世紀以降,アメリカ大陸に渡ったアングロサクソンの人々は,僅か300年でアメリカの原始林の80%を破壊してしまった。
 またニュージーランドでも同様のことが起きた。2000年前にマオリ人がニュージーランドにやってきたとき,そこは90%が森で覆われていた。マオリ人は山や鳥,そして海の神々を崇拝し,現世的秩序のもとに生きることに最大の価値を置いた。ところが,ヒツジとヤギを連れて,超越的秩序のキリスト教を信仰するヨーロッパの人々が移住すると森は瞬く間に破壊された。1880~1900年のわずか20年の間に,ニュージーランドの40%の森が破壊されたのである。
 森を破壊したのは欧米の人々だけではない。アジアでも同様のことが起こった。漢民族は元来北方から来た畑作牧畜民と深い関係がある。今から約4200年前,気候の寒冷化によって畑作牧畜民が大挙して南下してきた。この漢民族のルーツになる畑作牧畜民がやってくると,激しい森の破壊が引き起こされる。例えば,現在は森のない黄土高原も,かつては深い森があった。また内モンゴルの草原地帯も,明代まではマツとナラの混交林が生育していた。さらに四川省西部のチベット高原も,2000年前までは森があった。これらすべて畑作牧畜民が拡大する中で破壊されたのだった。
 漢民族は畑作牧畜民だから,欧米人と同じ部類の人間と考えて付き合う必要がある。顔だけ見れば同じ東洋人だが,心・精神性は日本人とは全く違う。ちなみに,中国に共産主義が残った背景として,西洋のマルクス主義と黄河文明は同じ畑作牧畜文明として波長が合うからかもしれない。
 しかし長江流域の人々は必ずしもそうではない。例えば,南宋など長江流域に国の中心があったときは,その人々の気質が穏やかで日本人と同じ情感を持つので,日本と最も仲がよかった。蒙古が攻めてきたときも,南宋の人たちは日本を助けてくれた。
 日本人がもし中国人と心を分かち合って話したいと思えば,貴州省や雲南省など少数民族が住むところに行くべきだろう。彼らはわれわれと同じ考えで,同じものを食べている。雲南省に行ったときに,大豆の味噌煮を作ってくれたが,幼い頃母親が作ってくれた味とそっくりだった。日本の基層文化と雲南・貴州省の(少数民族の)基層文化は共通している。太陽崇拝,山岳信仰などの世界観も同じだ。漢民族が4千年前頃に北方からやってきて中国大陸を席巻するようになって,その周辺部に追いやられた少数民族は,われわれと同じ世界観を持ち同じ文明圏に属する仲間たちなのである。
 超越的秩序のもとユートピアを求め続けた人々は,森を破壊し,大地を不毛の砂漠に変えても,また新たな天地に未来のユートピアを求め続ける。だが地球にはもうユートピアを求める人々の欲求を満たすだけの「テラ・インコグニータ」(未開の新天地)はない。もしユートピアを求め続けようとすれば,宇宙に行くしかない。
 しかし,同じホモ・サピエンスでも,移動拡散しながらも,生きとし生けるものの楽園を破壊することに歯止めをかけようとした人々がいる。それが稲作漁撈民だった。彼らはお米や魚を食べる人々で,森を守りながら森を崇拝し信じてきた。彼らが理想としたのは,ユートピアではなく桃源郷だった。ユートピアは人間の勝手な空想と幻想の産物であるが,桃源郷は,この世の生きとし生きるものの命が輝く世界への回帰である。そして自然と人間が共存し,折り合いをつけた平和な過去の楽園(桃源郷)に回帰することを理想とした。
 「桃源郷を求める心には発展性と向上心が欠如している。だから稲作漁撈民はダメだ」というのがこれまでの論理だった。しかし,もうこの地球上にはユートピアを求める新天地はない。限られた地球で間もなく100億の人々が肩を寄せ合って生きるためには,ホモ・サピエンスの欲望のコントロール装置の役割を果たす桃源郷の世界観が必要なのである。

4.環太平洋生命文明圏

(1)山岳信仰
 実は,長江文明の発見を通して稲作漁撈民の文明のエートスが明らかになったのだが,環太平洋地域にはこれとよく似た共通の世界観を持つ人々が暮らしていた。
 そのシンボルが,山を崇拝することだ。なぜ山を崇拝するのか。環太平洋地域は,「環太平洋造山帯」といわれるように地震多発地帯だから,ニュージーランドのトンガリロ山や南米アンデスのワスカラン山,日本の富士山など美しい山が多い。地震が多いので自然の災害も多い。そこに暮らす人々は自然を封じ込めようとするのではなく,自然に畏敬の念を持ちながら折り合いをつける,そのようなライフスタイルを長く保持してきた。
 山はもともと稲作漁撈民が崇拝していた。それは稲作に不可欠な水が山を源とするからだ。稲作漁撈民にとって天と地の交流と結合こそ,豊穣をもたらす最も大切なことであった。高くそびえる山はまさに,「天と地の架け橋」ではないのか。天と地の交流と結合の架け橋としての山は,稲作に必要不可欠な水の源だった。そしてその山を象徴するのが,山の中や清流で採れる美しい玉だった。
 私が以前,長江文明を研究したときに,その文明の人々は,金銀財宝ではなく,玉を崇拝しそれを最高の宝と見なしていた。長江文明の神話である『山海経』を読んでみると,山のことが書かれた記事には必ず玉のことが書かれてあった。そのような既述が226箇所以上もあった。私は「山は玉の産地であるゆえに記載された。山と玉は一体で,玉は山のシンボルだったのではないか」と考えた。長江文明の人々は,山の代わりに玉を作って崇拝したのだ。稲作に必要な水は山を源とし,川を経て海に流れていくので,山崇拝=川崇拝=海崇拝となる。聖なる山を崇拝する思想は,山に森を生やし,森里海の水の循環系を守り,生きとし生けるものの命を守る思想につながっていったのではないか。
 稲作漁撈民は,ヒツジやヤギは飼わないので,タンパク源として魚介類を取る。魚が豊かであるためには,川の水が豊かでなければならず,そのためには山の森が豊かでなければならない。その結果,森,里,海の水の循環系がきちんと守られてきた。この循環系を中心とする考え方は何千年と維持されてきた。それは長江の人々だけではなく,マヤやアンデスの人々もそうだった。
 15世紀以降,北米にはアングロサクソンが,南米にはスペイン人がヒツジやヤギを連れてやってきたために,現在の先住民たちの暮らしも牧畜的生活に変わった。しかし,アンデスやマヤの人々はジャガイモとトウモロコシを主食とし,タンパク源として一番多く摂取したのは魚だった。魚と野生の動物こそがアンデス文明やマヤ文明の中南米の諸文明を発展させた人々に,タンパク質を供給する源だった。アンデスにいるリャマやアルパカは,お祭りのときなどに食べる程度で,普段はめったに肉は食わない。肉はアルマジロや野鳥など,狩猟で得られた野生動物の肉から摂取した。ミルクは飲むことなく,バター・チーズの利用はしなかった。ここが牧畜民との最も大きな違いだ。そして彼らの文化の基層には多神教的な世界観が今でも残っている。スペイン人がきてキリスト教を布教して多くの先住民はカトリック信者になったにもかかわらず,今や再び太陽信仰が復活している。
 例えば,「太陽のピラミッド」と「月のピラミッド」で知られるメキシコ・テオテイワカンに行ったときに,現地の人々は春分と秋分の日に,太陽に向って儀礼をしていた。近年,その儀礼が復活してたくさんの人々が来るようになったという。その近くにポスターが貼ってあったが,そこには「春分の日にお祭りがあるが,あまりたくさんの人が一気に来るとピラミッドが壊れる恐れがありますので,祭り当日にはたくさん来ないでください」と書かれてあった。
 人間には自然に向う本性があると思う。何もしないでいれば人間は多神教に流れていくのではないか。だから毎日のように教会に通わないと,一神教を維持できないのではないか。
 メキシコのテオテイワカンの人々が造った太陽のピラミッドをはじめ,グアテマラのマヤ文明の人々もたくさんのピラミッドを造った。そのピラミッドは墓ではなく,山のシンボルだった。元来彼らは山を崇拝していたが,山を平地に持っていけないので,その代わりのシンボルとしてピラミッドを建てた。そこには山を崇拝するという世界観が共通する。
 なぜマヤの人々はティカル遺跡に巨大なピラミッドをつくったのか。この地域は乾季になると雨が降らないために,乾季の雨水の確保は重要なことだった。ただ大地が石灰岩でできているために雨水はすぐにしみこんでしまう。そこでピラミッドの石の上を厚さ70センチほど漆くいで塗り固めた。ピラミッドに降った雨は漆くいの上を伝わり貯水池にたまるしくみだ。最上には王侯貴族の貯水池があり,次に戦士階級,農民,庶民の貯水池となり,残った水は畑に播く。水の循環を完璧に考えた構造だ。稲作漁撈民の世界では夏雨地帯だからそうする必要がないが,マヤなど乾季・雨季がはっきりした地域では,乾季に降った雨をどう貯蔵して,生き残るかは死活問題だ。
 ただマヤの場合は,逆にそれが文明を崩壊に導く要因にもなった。つまり,漆くいを作るためには,石灰岩を燃やす必要があり,そのために熱帯雨林の森林をみな伐採してしまった。森林がなくなることで,文明崩壊がもたらされた。
 実は,ユダヤ・キリスト教も聖なる山を崇拝することから生まれたのに,なぜユダヤ・キリスト教は山を崇拝する心,山の霊力を見失ってしまったのであろうか。不幸にもイスラエルなどは半乾燥地帯の砂漠の縁辺で山に森が少なかった。ゆえに砂漠の遊牧民にとって,森は体験したことのない異郷であり,恐ろしい魔の森だった。森のない砂漠の想いを受け継いだキリスト教は,ヒツジやヤギを飼う畑作牧畜が主たる生業だった。その結果,地中海の森は徹底的に破壊され,アルプス以北の森も17世紀までに大半が,ヒツジやヤギによって食い尽くされてしまった。山に森があるかないか,これが山とともに暮らす人間の世界観のありように,きわめて大きな影響をもたらしたのである。われわれは今,森のない風土的過去を背負った“文明の原罪”から離脱すべき時なのである。

(2)柱,鳥,玉,太陽への信仰
 環太平洋地域では,山を崇拝し,水を聖なるものとして崇め,命の水の循環系を維持することが,私たちの美しい地球で生きる基本原則である。天地が結合することによって豊穣な雨がもたらされる。だからここでは天地をつなぐ存在が重要になる。その一つが柱だ。ゆえに環太平洋地域には,インディアンのトーテムポールや三内丸山遺跡に見られるように,天地をつなぐ柱がある。
 もう一つが鳥だ。鳥は天と地を往来している。インディアンは鳥の羽帽子をかぶる。マヤのインディアン,アンデスのインディアンも美しいケツアルコアトルの羽をつけた帽子をかぶる。それと同じものを長江の人々もかぶっていた。浙江省反山遺跡(約5千年前の遺跡)で発見された玉琮の側面には鳥の羽根飾りの帽子をかぶった精巧な像(神獣人面文様)が彫られていた。
 山を崇拝する人々は,そのシンボルである玉を崇拝した。前漢時代の馬王堆漢墓(湖南省長沙市)で女性のミイラが発見された。そのミイラは玉の衣で覆われていた。玉は死後も守ってくれると信じられていた。マヤの人々も玉の仮面を崇拝した。しかもともに緑色の玉である。緑色は生命の色になった。環太平洋の変動帯の南米・中米・北米の太平洋岸,そして日本・台湾,ニュージーランドなど太平洋西岸に緑色の玉は採れるのである。マヤやインカの人々も玉,それも緑の玉を大切にした。緑は生命の色だからだ。マオリの人々も緑色の玉で作った笏のようなものを持ち,それが権威のシンボルとなっていた。
 さらに共通するものといえば太陽だ。長江の人々にとって,太陽の昇る東の方向には扶桑の木がある。そこには9羽の鳥(やたがらす)が止まっている。一羽ずつ交替で飛び立って太陽を運び西の空に持っていくと考えた。太陽の黒点はやたがらすだ。
 その世界観は,マヤ文明やアンデス文明も全く同じだ。メキシコ,テオテイワカンの大きな太陽のピラミッドは,太陽崇拝のためにつくられた。太陽はあらゆる命の循環の基本にある。太陽が東の空から昇り西の空に沈むように,永遠の命の再生と循環を繰り返して安寧にいる限り,われわれもこの地球で生き続けることができる。太陽をこう考えることも共通している。
 稲作漁撈民は,蛇を崇拝する。龍は畑作牧畜民の崇拝物だ。黄河文明の人々は,顔はラクダ,角はシカ,体はワニなどというようにいろいろな動物を複合して架空の龍を創造した。環太平洋地域の人々は自然界にないものを発想することはしない。蛇を加工して龍をつくることをしてはいけなかった。蛇のように自然にあるものを崇拝する。しかし今までの文明は,そういう自然にあるものだけを崇拝することは愚かだ,自然界にないものを頭で考えて,妄想して,新しい創造物をつくることが文明のシンボルだと考えた。
 もともと長江流域には龍はなく蛇だった。日本神話のルーツは長江流域の稲作漁撈民にあり,畑作牧畜民の龍は,後から日本にもたらされたものに過ぎない。基本は蛇だ。南米にはアナコンダなど巨大な蛇がいる。このように環太平洋地域には広く蛇信仰が見られる。
 ところが畑作牧畜民の宗教(一神教)は,星空の先に天国があると考える。しかしそれは誰一人としてみたことのない世界だ。日本の仏教は「山川草木国土悉皆成仏」と,この世が仏だと主張する。命ある現実のものが命あるものの中に囲まれてともに生きることが最高の幸せだと言う。
 ところがそのような世界観を持った人々は現在の世界ではマイナーだ。そのマイナーな人々のリーダーが日本だ。それ以外は少数民族になってしまっている。南太平洋の島々の文化を守る,少数民族の人々の文化を守る,彼らの心を理解できるのが日本人だと思う。

(3)女性原理
 既に述べたように,地球が広大な宇宙という海に浮ぶ唯一の生命を宿す小さな「島」に過ぎないことが明らかになったわけだが,島国に暮らす人々は,自分たちの住む世界が有限であることを体験的に知っていた。地球「島」の限りある資源をどう持続的に利用していくか。島国に持続的文明社会を構築することに成功した社会は,女性が大きな力を持つ社会だった。命を生み出す女性は,命の再生と循環の世界観を実感できるからだ。例えば,日本列島に豊かな森が残されたことと,縄文の土偶の大半が女性像であったこととは無縁ではない。
 南太平洋の島々の中でイースター島とタヒチ島の比較研究はわれわれに教訓を与えてくれる(詳細は,『山は市場原理主義と闘っている』ほか参照)。イースター島のモアイ文明は,森を破壊しつくして最後は崩壊した。ポリネシア人がイースター島にやってきたときこの島は森に覆われていた。ところが12世紀頃から,農耕地の大規模な開拓,モアイ像製作や船の建造のための森林伐採などによって森が急速に消滅し,土壌浸食が加速して飢餓に直面し文明が崩壊した。
 一方,タヒチ島は森がよく保存された。タヒチの人々が信仰したのは大地母神で,テイピと呼ばれる高さ2メートルほどの小さなものだった。男中心の部族社会であったイースター島のモアイ像が男性像で年々巨大化していったのとは対照的であった。
 ところで,遊牧民であるモンゴル人の生活を見てみると,意外にも女性が大きな力を持っている。農耕民の社会に比べ遊牧民の社会は,男性の果たすべき役割ははるかに大きいが,そこにおいてさえも女性の存在は大きいのである。
 21世紀の人類は,母なる大地との関係において危機に直面するようになった。自らを誕生させてくれた母なる自然,母なる大地,母なる地球との関係が危機的状況にある今こそ,われわれは普遍の女性原理にもう一度立ち返り,母なる大地との関係性を再考することが求められている。

5.海洋国家としての自覚

 一昨年の東日本大震災を受けて村井・宮城県知事は,将来の津波に備えて厖大な防潮堤の計画を立てすぐさま政府と予算交渉を行なった。今では仙台平野を中心に厖大な防潮堤が築かれつつあり,今後七ヶ浜から松島,気仙沼にかけても(宮城県の海岸線全部を覆うような防潮堤の)準備を進めている。その防潮堤は高さが15メートル,底辺の幅は184メートルにも及ぶものもあり,それは見た目にとんでもないものだ。
 海の波の音を聞いていると人の心が落ち着いてくるのは,森の場合と同様で,波の波動と人間の生命の波動とが一致するからだろう。人間は海と接することによって,命が輝くのではないか。にもかかわらず宮城県の海岸線に厖大な防潮堤を築き,人間と海との間を遮断すれば,人間にとって決していいこととは思えない。たとえ15メートルのものをつくってもそれを越える波が来ない保証もないし,そのような巨大な津波はあと50年は少なくともこの東北地方の海岸には襲来しない。しかし,海岸のコンクリートは50年もたてばボロボロになっている。
 そこで私は防潮堤計画の見直し運動に関与しているが,先日,この件で太田昭宏・国土交通大臣に会いに行き,「あなたは毎日日蓮上人のお題目を唱えている。日蓮上人はどこで題目を最初に唱えたのか,千葉県房総の浜で太平洋に向って朝日に向けて題目を唱えた。それは太平洋の力,太陽の力が日蓮上人をして題目を唱えさせたのではないか。それをコンクリートで遮断してしまっては,人間の命の高揚はない」とお伝えした。
 それに対して太田国交大臣は「防災における森の価値と役割について見直すべきだ。コンクリートの防潮堤だけではだめだ。やはり命の輝く時代を切り開いていかなければいけない」との認識を示され,佐藤事務次官以下にもその趣旨を通達されていたことがわかった。そこで私は,「生命の尊厳を基本に据えた政治をすべきだ。未来の子孫に何を残すべきか。家は高台につくり,仕事場は海岸につくる。むしろ避難路をしっかり整備することの方が重要だ。堤防は低くてもいい,その内側に森を整備すれば,大きな津波が来てもそれが防波堤の役割を果たすはずだ。これが日本人のあるべき姿,知恵だと思う」と付け加えさせていただいた。
 考えてみれば,国土交通省の人たちはよく分かっているはずだ。なぜなら彼らは土木や建築専攻の実務者として河川の現場に行き現実に,生きる自然と触れ合っておられるからだ。だからちょっと語ればすぐ心は通じる。国交省といえばコンクリート至上主義のような役人ばかりと思っていたが,意外にもそうではなかったのには驚いた。太田大臣の思想的背景には,生命の尊厳という法華経の教えがあり,それが人間の生き方の鉄則となっている。ところがこれまでは,そうした哲学を政治に反映することは政教分離原則に外れるのでいけないと考えられてきた。しかし本当に人間(国民)の幸福のためになる政治を実現しようとすれば,宗教的理念を無視してはだめだということが,世界の実情を知れば分かってくるはずだ。
 自然を封じ込めて,1000年の大洪水や津波にも耐えられる堤防を造る。コンクリートで遮断して津波を防ぐという発想は,まさに西洋近代主義的発想だ。自然を支配し,自然の上に人間の王国を築き,地球を人間の国とし,物質エネルギー文明を発展させるという近代西洋文明の哲学の世界観はもはや限界だ。このままやっていたら人類は,破滅しかない。その限界を乗り越えて新しい文明を作らなければならない。それは環太平洋地域に残った自然とともに折り合いをつけながら,生きていく「生命文明の時代」を切り開くしかない。その意味で,仙台平野に巨大な堤防を作ってはいけない。
 高度成長時代には,三面張りのコンクリートの堤防を作り,山の水をできるだけ早く海に流してきた。しかし日本には伝統的に,霞堤,あるいは信玄堤というのがあって,水を逃して水の力を削ぐ考え方がある。そこで川には三面張りのコンクリート堤防を作らず,「親水エリア」を設ける。それと同様に,海岸の場合は,「親海エリア」をつくる。このように日本人が海と共存できるような新しい防潮堤のあり方を考える。そのためには漁村の活性化と沿岸漁業の振興発展に全力を傾けなければならない。
 ブラジル・サンパウロに行ったときに,同市の外港サントス市に行くのに山を一つ越えなければならない。そこに至るハイウェイは片側3車線のものであるが,ご案内いただいた徳力啓三氏によれば,土曜日は両方向とも,海の方向に向う車線として使用し,日曜日の午後は逆にサンパウロに向かう車線として使用するということだった。そのようにしないと大渋滞がおきるほどに多くの人が海に出かけているのである。金持ちも低所得者層も皆海に出かけて,1日を海辺で過ごしてくる。それが最高のレジャーだと言う。それと比較すると,日本人の発想はあまりにもお粗末で,海のすばらしさに全く気付いていないと言わざるを得ない。
 「今度大きな津波が来たら恐ろしいから守ってくれ」という恐怖心だけでものごとを決め,政治家は「国民が嘆願するから大きな防波堤を造るのだ」というポピュリズムに陥り,日本国家の未来に対する責任を回避している。なぜなら国民の意に沿う政治をしなければ自らの身の保障さえなくなる時代だからである。
 しかし,天武天皇が「肉食禁止令」を出された時,おそらく大きな反発があったことであろう。古墳時代の日本人はミルクを飲み,肉を食べ,放牧(畜)さえしていたからである。しかし,未来の日本国民のことを考えたら,漢民族のようにヒツジやヤギを日本列島の野山に放牧することは,山国の日本には適した生業ではなかった。結果として「森の国日本」を造り,1300年後の現在の豊かな自然と日本経済の発展が保証されたのである。
 50年後生きている人のことを考え,未来の子供たちに何を残すのか。そのことをわれわれは今,真剣に考えなければならないのである。
 日本は「海洋国家」と言いながら,現実の海とのかかわりのあり方は全くお粗末だ。そのいい例が北海道の奥尻島であろう。津波に襲われた奥尻島の住民は津波のこない要塞のような島を構築した。高さ11メートルのコンクリートの防潮堤で島を取り囲んだのである。その結果,観光客は激減し,若者は島を離れ,奥尻島の経済はいまや困窮している。
 日本人はこれまで川と森については考えてきたが,海についてはほったらかしのままでよく考えてこなかった。例えば,海岸に堤防を造る前に環境アセスメントを実施しなければならないという法律さえない。それで仙台平野に防潮堤が簡単に作れてしまった。海との共生という意識もほとんどなかった。そこにあるのは,海と隔てるという単純な発想だけだった。海からの災害を恐れるあまり,海と人間を隔離し,海の恵みに気付かなかった。奥尻島のような愚行は二度と繰り返してはならない。
 そして海の生産性をどう維持していくかについても,これまであまり関心が払われてこなかった。地球環境問題の21世紀に,日本が人類の未来に貢献できることの一つは,海の生産性をどう維持するかについてのノウハウを世界に提供することにある。そのノウハウの原点は山岳信仰にあるのである。山岳信仰の心を世界に伝え,森里海の循環系を守る暮らしの重要性を理解してもらう必要がある。山に祈ることは,海を守ることにつながっていたのである。

(2013年4月12日) (「世界平和研究」2013年夏季号より)