脚光を浴びている親日国ミャンマー

元駐ミャンマー大使 山口洋一


<梗概>

 ミャンマーの現代政治では91年にノーベル平和賞を受賞したアウン・サン・スー・チー女史が有名だが,彼女を反政府平和運動の象徴として世界のマスメディアが取り上げてきたことで,ミャンマーの真の姿がゆがんで認識されてきた。最近ミャンマー政府の対中姿勢に変化が現れたことから,ミャンマーを見る世界の目が変わってきた。とくに米国クリントン国務長官のミャンマー訪問は大きな契機となった。しかし,この国の歴史をみれば,欧米メディアが作り上げたステレオタイプの見方が真実から遠いことがわかる。伝統的に親日国であるミャンマーが好ましい方向へ発展できるよう援助していくことは,日本にとってグローバル戦略の観点からも重要である。

欧米のステレオタイプなミャンマー観

 1988年以来続いてきたミャンマーの軍事政権は,長年の懸案であった民政移管をこの程ようやく実現し,今やこの国は世界の注目の的となっている。
 長年来,欧米諸国は「軍人が政権の座に居座って国民を虐げている」として,ミャンマー政府を非難し,この国に種々の制裁を科す一方,反政府勢力の表看板であるアウン・サン・スー・チー女史を「けなげに民主化運動を推進するヒロイン」として支援してきた。国際マスメディアはこの風潮を助長し,軍事政権=悪玉,反政府勢力=善玉と決め付けて,ステレオタイプの報道を続けてきた。
 こうした中,ミャンマー政府は2003年8月に「民主化を目指した7段階のロードマップ」を発表し,これに従って,民政移管に向けてのプロセスに入る方針を明らかにした。その後,このロードマップに即して憲法制定の作業が進められ,でき上がった憲法草案は,2008年5月に国民投票にかけられ,圧倒的多数の賛成により採択された。
 政府はこの憲法に基づいて2010年11月7日に総選挙を実施し,その結果は「国民代表院」,「民族代表院」の両院ともに,政府寄りの候補者の圧勝となった。
 この選挙結果に基づく国会は2011年1月31日に召集され,2月4日にテイン・セイン首相(当時)を国家元首である大統領に選出した。3月30日,テイン・セイン大統領は新閣僚と共に国会で就任宣誓を行い,4月1日,新政府が正式に発足した。ここに軍事政権は新政府に政権を移譲し,それまでの国家平和発展評議会(SPDC)は3月末に廃止された。
 欧米諸国はこの民政移管の取り組みについても,「軍人が権力を手放さないことを狙ったまやかしのプロセスだ」と非難してきた。
 民主主義を機能させるには,いくつかの前提条件が満たされていなければならないことは自明の理である。国の統一が確保され,安全が保障されていることは,なによりの大前提であり,その上で国民が最低限餓死しない程度の経済の営みが行なわれる必要がある。その上で,国民の教育水準がある程度のレベルに達し,健全な政治意識が持たれるようになっていなければならない。十分な前提条件が整わないまま,ただ闇雲に形だけの民主制度を実施したところで,うまく機能しないばかりか,かえって混乱を招くことは,この国の心ある識者なら,誰しも過去の経験から熟知している。
 そこで,軍事政権は,完全な民主制度に至る前に,先ず中間段階の制度を採用して民政移管し,それに馴染んだ後に最終的な民主体制に到達するという構想を打ち出したのである。この中間段階の制度では,軍が引き続きある程度の政治的関与をして制度の円滑な運用を期していく。彼らはこの中間段階を「規律ある民主主義」と呼んでいるが,謂わば「踊り場の民主主義」と言える。そして今回なしとげた民政移管は,まさにこの「踊り場」に当たる中間段階の体制なのである。これを実施した上で,やがて機が熟せば憲法を改正して,最終的な民主体制に移行し,軍は政治からいっさい身を引いて,安んじて兵舎に戻ることになる。軍事政権の当局者も,これを将来この国が辿るべき道筋だと公言してきた。
 このような発想は十分理解できるところであり,国際社会はもっとこの筋書きに理解を示さねばならない。欧米諸国が続けてきたミャンマー・バッシングは,現地の事情を無視し,事の本質を弁えない欧米の独善としか言いようがない。

ミャンマーの変化は本物

 現に実際の状況を見ると,この国は新政府発足後,大きく変わってきている。表現の自由に対する制約や労働組合の結成禁止など,これまで行なってきた種々の規制が緩和・撤廃され,政治犯の釈放を含む服役中の受刑者に対する恩赦も大々的に実施された。
 こうした変化を受けて,これまで締め付け一本槍できた欧米諸国も,ようやく誤りに気付き,その政策を見直す動きを見せ始めている。2011年11月末にはヒラリー・クリントン国務長官がこの国を訪れてテイン・セイン大統領と会談し,席上大統領が「民主化を後戻りさせない」ことを確約したのに対して,国務長官は「米国としてはミャンマーの民主化への努力を歓迎し,これを後押しする」と言明した。ヨーロッパ諸国も対ミャンマー政策の軌道修正を模索している。
 とりわけ日本は,この国が伝統的な親日国であることも考慮し,ミャンマー政策を大きく転換し,積極的な政策を打ち出している。政府は2011年10月21日,ワナ・マウン・ルウィン外相を日本に招き,玄葉外務大臣から,民主化を支援するとして政府開発援助(ODA)の再開など協力強化を表明し,欧米に先駆けてミャンマー支援を闡明した。更に玄葉外務大臣及び枝野経済産業大臣のミャンマー訪問も年末から年始にかけて相次いで行なわれることになっている。
 経済面でも大きな変化が見られる。これまでの欧米諸国による締め付けの結果,この国は「背に腹はかえられず」に中国との結びつきを強くせざるを得なかった。しかし,最近の状況変化に呼応して,欧米・日本の経済界も貿易,投資,技術移転,観光などの分野で,新たな対象国としてこの国に照準を合わせ,一斉に動き始めている。日本からは経団連,経済同友会,日本商工会議所の使節団が相次いで派遣され,個別企業も動きを活発化させている。
 経済進出,特に外国投資で一番鍵になるのは対象国の政治的安定性であるが,テイン・セイン大統領が「民主化を後戻りさせない」と不退転の決意を述べていることからもミャンマーの変化は本物とみられ,これはかけがえのない安心材料となっている。

独立自尊の民族の歴史

 こうした好ましい進展を誰よりも喜んでいるのは,他ならぬミャンマーの人たちである。26年にわたるネ・ウィン将軍の独裁体制に続いて,22年に及んだ軍事政権の下で,いろいろな制約に苦しんできたこの国の人たちは,やっと自分たちの本来あるべき姿に立ち戻ることができたのである。
 この国の歴史を顧みると,彼らの国民性はその歴史が生み出し,醸成してきたものであるのは明白であり,この国の真の姿,その本質を誤りなく把握するには,歴史に立ち返ってこの国を見直すことが不可欠である。
 こうした本質を見極めて,この国を端的に表現するならば,ミャンマーはなんと11〜14世紀のパガン王国の時代から,世界でも稀な「独立自尊の意気盛んな自由で平等の国」なのである。これはマスメディアが伝えるミャンマーのイメージと随分かけ離れていると感じる人が多いに違いない。しかし間違っているのはマスコミ報道の方であり,古来,脈々と受け継がれてきた国家と社会の特質,人々の心の真髄は,近年におけるイギリスによる植民地支配や独立後の国造りの困難な過程で,種々の辛酸を嘗めさせられ,多くの制約を受けてきたものの,今日なおその本質において全く変わっていない。ミャンマーは依然として基本的には「自由で平等の国」であり,人々の「独立自尊」の気概は一向に衰えていないのである。
 自由や平等という観念が,あたかもフランス革命に端を発してヨーロッパに広まった理念を,遅れていたアジアの国々が有り難く受け継いだものであるかの如く思い込んでいる人もいるが,これはとんでもない間違いであって,アジアでは夙(つと)にパガン王国において,個人主義に根ざした自由で平等な社会が実現されていたのである。
 「独立自尊」についても,この国を今にも中国に呑みこまれてしまいそうだとする報道は見当違いであり,強い自立心をもつミャンマー人は,決してそうならないように警戒を怠っていない。

ミャンマー史を通して真実を認識せよ

 この国について一般に持たれているイメージと実際の状況がこのように大きく乖離している以上,二千年余りにわたるミャンマーの歴史を紐解き,つぶさにその流れを辿ることは,この国を正しく理解するための鍵になる。
ところがこの国の歴史をとりあげた著作はあまり存在せず,せいぜいその歴史の一時期を断片的に紹介する程度の文献が散見されるにとどまっていた。チベット高原の南斜面一帯に源流を発するビルマ族が南に移動してきて,現在のミャンマーの地に住み始めた西暦紀元前の時代から,二千有余年の歴史を体系的に紹介した著作はついぞ見当たらなかった。この程ようやくその通史が出版された(注)ので,これを紐解いてみれば,古来ミャンマーが如何に自由と平等を旨とする国柄であったかを理解することができる。
欧米諸国や国際マスメディアは,歴史に遡るミャンマーの本質への無理解故に,この国の実情について歪められた認識をもち,それに基づいて軍政バッシングを続けてきた。ここにきて,ようやく軍政が民政移管を果たし,ミャンマーは新体制のもとに好ましい方向への国造りを目指して歩み始めている。欧米諸国もこのような進展を率直に受け止め,彼らの独善的な<思いこみ>によるバッシングを終息させ,この国についての正しい認識が全世界にあまねく広まることを願わずにはいられない。
(注)山口洋一『歴史物語ミャンマー・独立自尊の意気盛んな自由で平等の国』上下2巻,カナリア書房,2011年

(2011年12月12日)