日本の伝統と21世紀をどう生きるか

裏千家前家元 千 玄室

 未曾有の被害が生じた東日本大震災と,それに伴う福島の原子力発電所の事故から,まもなく一年が経とうとしている。地震直後のことを思い出すと,今でも胸が締め付けられるような悲しみを感じる。壊滅的な被害を蒙った所も,次第に復興され,生活環境も少しずつ戻ってきているようにみえるが,多くの方々が,未だ不自由な生活を強いられ,大きな悲しみを心に抱きながら暮らしておられる。

日本人の素晴らしさを見せてくれた大震災

 震災直後から多くの支援の手が差し伸べられ,今後も国を挙げての長期的な支援が継続することと思うが,そういった支援を支えるのは何も大きな組織だけではない。旅行中に震災にあい,言葉もわからず非常に困った状況に立たされた外国人に対し,見ず知らずの日本人が何人も温かな手を差し伸べたことや,礼儀正しく救助されたことへの感謝を述べる姿には,海外から数多くの賞賛の声が伝えられ,改めて日本人の素晴らしさを世界に知らしめることとなった。緊急時の極限状態であるにもかかわらず,そのような態度をとることができたのは,日本社会の特質であり,日本人に受け継がれてきた伝統的な精神の表れである。
 日本人には昔から相手を思いやる精神文化がある。われわれ茶の湯の世界でも,礼に始まり礼に終わるところは,他と変わるところはない。お茶を一服差し上げるときには,相手のことを第一に考え,その方をいかにおもてなしするかというところを深く考える。「自分が点てたこのお茶を,お客様が美味しく召し上がっていただけますように」と常に念じながらお茶を点てる。お茶を頂くときには同席の他の客に対し,「お先に」,「お相伴いたします」,「ご一緒に」といった挨拶をする。しかしこれは,茶道でのみ行われていることではない。日本ではそういった気持ちを大切に伝えてきたからこそ,大参事の際にも,身知らずの人に手を差し伸べることが,自然に出来るのである。自分も大変ならば,よくわからない場所におかれた人達はもっと大変ではないか。そういった,思いやる気持ちで、自分の身を顧みず,より困っている人を助けることがあちこちで自然に行われたのだろう。
 重大な被害にあわれた方々は,暫くは何も手がつかなかったと伺っているが,そういった中から自分たちのふるさとを取り戻そうとする活動がうまれてきている。その原動力となったのは,見る影もなくなるほどに激変したふるさとへの強い思いであり,避難生活を強いられ,ばらばらになってしまった人々との絆への危機感であった。

人びとの共通の思い出である伝統行事の価値

楽しかったふるさとを思い出すときに,色々な思い出がある中で,皆に共通の思い出は地域で一体となって行ってきた伝統的な行事ではないだろうか。先輩から後輩へ,年配者から若者へと,細かな儀式・作法とともに,日本人の心を伝え,地域をまとめる大きな核となっていたはずだ。
 ある地域では,津波によってお祭りに必要な由緒ある品々を流されたために,自分たちのふるさとの象徴である地域のお祭りが,その伝承が,途絶えるかもしれないという大きな危機に陥った。父母が,祖父母が,地域の人々が先祖代々伝えてきた地元に残る伝統文化が,このままでは途絶えてしまうかもしれない。そうなっては,津波で破壊された町並みだけではなく,精神的なものまで失ってしまうことになるだろう。このままでは,たとえ町並みは復興できても,ふるさとの伝統は失われてしまう,そうさせてはならないといった強い思いだった。その熱い思いが,全国に伝わり,使用されていた品々と同じようなものが寄せられて,伝統行事の再開復興が可能となったのだ。
 ある若者は,父や祖父や先祖が伝えて来た行事を自分たちが伝えていくことができる喜びを心からかみしめ,その重大さを理解し,心を引き締めたそうである。当たり前の生活の中に,当たり前のようにあったものの大切さを知り,それができることの幸せを感じたのだ。日本中の心ある方たちも,そのような心の拠り所を失うことの大きさを危惧し,一日も早い復興のために協力されたのだろう。
 人が人らしく生きていくためには,衣食住が満ち足りているだけでは十分ではない。戦後の混乱と復興の中から,私はお茶をもって世界の平和を祈念すべく世界中を行脚してきた。人びとの心が平安であることが,最も大切なことだと考え,今でもお茶を通じて世界中の人との繋がりを大切にしている。
 日本には,集団生活を上手に営むための様々な社会道徳がある。それは,日本人の精神文化によって培われてきたものである。近年,個人主義が盛んに唱えられていたが,震災を機に再び人と人との絆の大切さに目を向けられるようになった。自分のことと同じように相手のことを考え思いやることは,日本人があの災害時に自然に示した,世界中に通じる誇るべき精神ではないだろうか。そして,我々は,それをこれからも大切に守り,伝えていく義務があると思うのである。

(2011年12月31日)