復権する宗教と国際政治への影響

杏林大学客員教授・前駐バチカン大使 上野景文


<梗概>

 世界の多くの地域で,宗教という要素を軽視しては,その国,国民,文化を語り,国の動向を占うことが出来なくなっている。しかし日本にいると,宗教が国内外の政治や社会に関与し,影響を与えている世界の現実を実感することは難しい。世界の現状は,宗教に関する知見なくしては,適確な分析が出来ないばかりか,待ったなしの世界各国との交渉において,劣勢を強いられることになりかねない。宗教に疎い日本人は,「世界の常識」が見えず,世界の潮流から孤立している。日本人は,文明論をベースに,以上の点についての認識を新たにするべきだ。

信仰をベースにした緊張・紛争が増加

―――海外勤務を終えて帰国され日本を見たときに,世界と比べて大きく違う点はどんなことか?

上野

 駐バチカン大使としての4年の勤務を終えて日本に帰国したときに見出した「違い」を,2点お話ししたい。
 第1点は,日本の(伝統)宗教は寡黙だと言う話。
 私のいたバチカン(カトリック教会)は,国際情勢やグローバルな課題に関するメッセージをたえず出している。数年前に中国がチベット人のデモに対して弾圧をしたことがあったが,これに対してバチカンはコメントを出した。またリーマン・ショックが起きれば,経済のあるべき姿につき見解を出す。そのような見解の集大成として,法王ベネディクト16世は,2009年7月に「社会ドクトリン」(Caritas in Veritate)を発表した。
 ところが,日本に帰って来ると,(伝統)宗教による社会問題に対する発言はとても少なく,物足りない思いを抱いた。日本の宗教界は,社会問題に対してコメントすることは自分達の使命ではないと考えているのかもしれないが,もう少し社会の中に足を突っ込んでも良いのではないか。個々の社会問題について,自分たちの考え方やその基礎となる見解などを表明することは,社会の安寧や平和を祈るのと同じくらい重要な宗教の使命だと思う。
 第2点は,西欧では「新しい信仰」が台頭して来てもめごとを起こしているのだが,日本では関心が払われていないという話。欧州は基本的にキリスト教(一神教)の世界であるが,近年,西欧北部を中心に,世俗化(secularization)が進んでいる。最近は世俗化といわず,露骨に「脱キリスト教化」(de-christianization)と言うことが多くなっている。しかし,脱キリストの連中は,キリスト教の神に代わる別のシンボルを崇めるようになっている。「信仰(faith)」という言葉を,「あるドクトリン(価値)を絶対視(神聖視)すること」と捉えれば,彼らは「信仰」の核に神でない別のシンボルを置くようになったということであり,「神抜きの信仰」を生み出している,と言い得る。かつては,それが社会主義や共産主義であった。今日で言えば,堕胎の権利,同性婚を巡る権利などの新しい人権,極端な表現の自由,個人の自衛権(特に米国:銃保持権)などがある。極端な表現の自由を標榜する人達が,ウィキリークスを支持している。また,米国では,銃乱射事件が起きるたびに銃規制の声が上がるが,最後は,銃保持権を否定すべきではないとの原則論,イデオロギーに戻ってしまう。同様に,米国では中絶を「悪」とみなす人々がいて,堕胎手術をする医師を襲う事例に事欠かない。その医師が「悪」を行なっている以上,その「不正義」をただすために暴力を行使することは正当化される,と考える訳だ。
 目新しいものとしては,動物にも人権に相当する権利を与えようという「動物権」の思想が広がりつつある。これも一種の「信仰」で,動物愛護の域を越えてしまっている。過激派は,薬開発のための実験で動物を犠牲にしている英国の研究会社への襲撃から,反捕鯨運動まで,もめごとを繰り返す。つまり,動物を殺すこと自体が「悪」であることから,「悪(動物を殺す人)」を成敗することは「正義」の行為となるので,暴力行使は正当化される,と言う論理だ。
 ところが,日本人には,彼らがなぜかくもこだわるのか,理解できない。相対主義的発想が支配的なので,「悪」をなす人がいたとしても,せいぜい裁判で裁けばよい,との発想で,殺害するところまでは行かないからだ。「不正義」と言っても,日本には「絶対的正義」,「絶対的悪」という観念がないから,「絶対的否定」の発想はなく,あくまで,「相対的否定」にとどまる。
 上述のような「信仰をベース」にしたいさかい,すなわち,現代版の「宗教戦争」が,世界のあちこちで増えている。だが,これらの現代版「宗教戦争」に対する日本人の感度は歯ぎしりしたくなるほど鈍い。
 最後に,1点付け加える。アイデンティティー・ポリティックスの延長として,ナショナリズムが絡むいさかいが,国際関係を複雑化している。旧ユーゴだけではない。中国,韓国,ロシアでも,「自国」,「自民族」を「神聖視」する傾向を強めており,その部分が侵害されたと感じると,猛烈な反発を見せる。実は,ナショナリズムも「神抜きの信仰」の一つなのだ。アイデンティティー・ポリティックスは,冷戦時代までは抑えられて表面に出て来なかったが,冷戦構造の崩壊でビンの栓が外れたことから,現代はこの問題にも事欠かない。

政治と宗教が密接化する世界の現実

―――国際政治における宗教の影響力は,実際どのようなものか?

上野

 では,2点お話ししよう。
 先ず第1に留意すべきは,宗教が国際政治に直接関与することは稀だということ。他方,宗教は多数の国で内政に影響するようになっており,各国内政を介して間接的に国際社会に影響を与えることはある。このような2ステップの構造を通じて,宗教は無視できない影響を及ぼすわけだ。例えば,ロシアではソ連邦崩壊後宗教の復権現象が起きているが,ロシア正教はロシアのナショナリズムに確固たる基盤を与えて,ナショナリズム強化を助けている。イスラム圏では,この10〜20年に,スカーフをまとう女性が増えつつあることに見られるように,概して「イスラム色」が強まって来ている。ロシアやイスラム圏でのこのような変化は,中長期的にみると国際関係,国際政治に影響を及ぼし得る。
 第2の着眼点は,「政教不分離」。一般論として教科書的に言えば,「近代化」を遂げた社会では,政治は,政教分離の原則の下に,宗教から分離された形で運営されるものと考えられて来た。しかし,現実の世界を見廻してみると,むしろ厳格な政教分離が実施される国は例外的である。もっとはっきり言えば,政治と宗教の関係は「不分離」なのが普通だ。政治と宗教が支え合う構図は,サウジアラビアのように「密着」するところまではゆかないにせよ,実はどこの国でも大なり小なりある。政教分離の概念が文字通り受け入れられている方が例外的で,日本,西欧を中心とする一部先進国に例を見るに過ぎない。
 特にイスラム系の諸国の事例が分かり易い。イスラム系の国では,シャリア法を通じて,宗教が,濃淡はあるが,日常生活から政治に至るまで全ての面を「支配」している。とはいえ,中東では,これまでは,強権政治によってイスラム色を抑えて来た政権が少なくなかった。が,民衆革命により「重石」が取り払われつつある。そうなれば,政治面を含め,イスラム色が復活することは自明であろう。
 米国はどうか。政教分離の建前はあるが,実際には宗教勢力の支持なしには大統領当選は難しいというのが現状だ。中絶の是非,同性愛者の扱いなど,宗教絡みの問題が,政治問題化して,選挙の一大争点となっている。このため,米国は「宗教国家」だとみなす人が少なくない。憲法の建前(政教分離)だけ見ていたのでは,その本質を見誤ることになる。
 ロシア,東欧諸国はどうか。共産主義体制が崩壊した後,ロシア,東欧各国では,それまで抑えられていたナショナリズムが復興したが,その核をロシア正教,ブルガリア正教など国ごとの東方正教が占めるようになった。つまり,国民を統合する上で,政治は宗教を利用せざるを得なかった。もっとも,宗教の方も政治を利用しようとする面があった。このように,ロシア・東欧圏では,政治と宗教がむしろ「つるむ関係」となっている。
 以上のように,中東,米国,東欧はもとより,インド,中南米などでも,程度の差はあれ,宗教と政治は「密接」である。

国際政治の重要なファクターとしての宗教

―――各国の国内事情は分かったが,それらは国際関係に具体的にどのようなインパクトを与えているのか?

上野

 ここ数十年の国際政治を振り返ると,宗教のインパクトの大きさを痛感させる大事件が二つあった。
 先ず第1は,ローマ法王ヨハネ・パウロ2世(1920-2005年)がレーガン米大統領と一緒になって,「鉄のカーテンの崩壊」に寄与したこと。米国は,レーガン大統領以前少なくとも1世紀を超える期間,バチカン(ローマ法王庁)と正式な外交関係を持っていなかった。もっとも,F.ルーズベルト大統領(1882-1945年,在任1933-45年)が,議会承認を必要としない「大統領の個人代表」をバチカンに派遣したという例外はあったが。バチカンはそれを「事実上の大使」として遇した。
 ところがレーガン大統領は,ソ連を中心とする東側陣営に対する戦略において,ポーランド出身のローマ法王ヨハネ・パウロ2世を擁するバチカンと連携して東側を囲い込む戦略を構想し,その一環として,それまでの建前を改め,正式な大使を派遣することにした。 レーガン大統領は,「先ずポーランドで共産党政権を倒せば,欧州全体に波及せしめることができる」と考え,82年にバチカンで行なった首脳会談では,ワレサの「連帯」を支援することなどに合意。レーガン自身,東のブロックと対峙する上で,バチカンは優れて戦略的価値をもつと判断した訳だ。そして,米国のネットワークとカトリック教会のネットワークの連携が,これを支えた。これは,カトリックの教えの実践と言うよりは,国際的ネットワークを有する政治的プレーヤーとして,バチカンが米国と連携したと言うことだ。が,もしイタリア出身の法王であったならば,こうにはならなかったかもしれない。伝統的にバチカン外交は,パッシブであり,アグレッシブではないのだが,ヨハネ・パウロ2世はこの伝統から離れ,活発に活動した。この法王の個性及び特殊なバックグラウンドによるものだったことは明らかだ。蛇足ながら,G.ブッシュ大統領(息子)は親バチカン体質で,在任期間中6回もバチカンを訪問している。
 第2はイラン革命(1979年)。イランの革命勢力の中に急進派がいることは,米国も分かっていたのだが,経済・教育など民生面でしっかり援助すれば国民は急進派に追随しないだろうと楽観視していた。さすがの米国も,革命後の展開は見抜けなかったということだ。つまり,宗教の役割を見くびっていた訳だ。この革命は,単にイランと米国,イランと西欧の関係を一変させただけでなく,広くイスラム圏全般におけるイスラム復権の流れを助長することを通じて,イスラム圏の政治の流れを変え,もって,イスラム圏と西側の関係の基調にも影響を及ぼした。すなわち,イスラム圏では,特に冷戦終結後,イスラムを自国のアイデンティティー強化のベースにする国が,すなわち,イスラム依存を強める国が,増えて来ている。これらの国では,イランの場合のように宗教が政治の上に立つところまでは行かないにせよ,政治が宗教を必要とする度合い,すなわち,内政にしめる宗教のウェイトは,確実に増して来ている。という次第なので,これらの国と西側の関係の基調は,変化しつつあると見る。
 これらの事例から引き出すことのできる教訓は重い。旧来の政治学では,「近代国家では,近代化の進展とともに,世俗化が進み,宗教は周辺化される」と考えられて来た。それ故,各国の外務省や国務省が国際情勢を分析するときに用意する対象国に関しての分析ペーパーでは,宗教事情については,触れないのが普通,触れてもせいぜい「脚注」程度の扱いに過ぎなかったと目される。20世紀迄であればそれでよかったかも知れない。が,ここ数十年の変化はパラダイム転換を迫るものであり,宗教が大なり小なり(国際政治面の)無視できないファクターになって来たとの認識が広がりつつある。
 かくして,近年幾つかの国が,外務省に宗教問題を扱う部署を設けた。先鞭をつけたのはイランで,90年代に外務省に宗教問題課を設置し,以来,世界の宗教事情を体系的に総覧して来ている。次いでドイツ,更には,政教分離原則に厳格なフランスが,外務省に宗教専門ユニットを設置した。加えて,米国では,国務省に宗教自由局が設置され,各国の宗教自由の実情をモニターしている。

統合と分断―――宗教の二面性

―――各国の国内に視点を戻す。各国において,宗教はどのような政治的役割を果たしている,或いは,果たし得るのか?

上野

 宗教には,矛盾する二つのパワーがある。一つは「国民をまとめる力(統合力)」,もう一つは,「国民を分断する力」だ。前者との関連では,(紛争解決後の)心のケアなどの面でも,大きな役割を果たせる場合がある。
先ず「統合力」について。国家運営の要諦はと言えば,国民にアイデンティティーを与えて,このアイデンティティーというシンボルを介して彼らを結集させることが一つ,それから,経済運営をうまくやることがもう一つである。両方うまくゆけば問題ないが,片方だけでもうまくゆけば,「そこそこの線を行っている」と言うことになる。だから,経済運営が好調な国では,第二の点,つまり,アイデンティティーを固める(もって,国民をまとめる)方が仮にうまく行かなくても,国の舵取りは何とかなる。逆に,経済政策がうまく行っていない国―――例えば,アルジェリア,エジプトなどの北アフリカ諸国―――では,国民をまとめる上で,確固としたアイデンティティーを築くことは死活的重要性を帯びる。そのためには,アイデンティティーの核となるものが必要となるのだが,北アフリカ諸国の場合,その核として利用できるものと言えばイスラムをおいて外にはなかった。エジプトのムバラク大統領はイスラムに抑圧的だったと言われているが,実態はと言えば,急進派抑圧に主眼があったに過ぎず,イスラム全体と敵対していた訳ではない。それどころか,イスラム穏健派を取り込むことではじめて長期の統治が可能となった訳だ。エジプトだけでない。中東地域やアフリカには,宗教なしに国を「まとめてゆく」ことはほぼ不可能と言える国が少なくない。重要なことは,これらの国では,国家のアイデンティティーづくりに重要な役割を果たし得るものは,宗教以外見つからないということだ。因みに,そのような国との外交交渉では,宗教の面に注意を払って対応するか否かで,その成否が異なることになる。
 次に,「分断力」について。文化・文明を形成する核である宗教は,「自分と他者との違いは何か」との点を明確にする上で,鍵となるため,人々を「分断する」要素を孕む。同時に,社会・政治に対する宗教のインパクトとして,課題の優先順位を決める上での影響力が挙げられる。特に一神教の場合,「何が正義」で「何が不正義か」を明確にする癖があるので,インパクトは大きい(神道のようにのんびりした宗教は例外的だ)。だから,世界全体を見渡すと,異なる宗教が併存する国では,遠心力,分断力が働くことが多い。この点は,旧ユーゴスラビアの崩壊及びその後の惨状を見れば明らかだろう。チトー大統領(1892-1980年)の強権体制の時代には,宗教やナショナリズムを力ずくで抑えつけていたが,チトーの死後その重石がなくなってから,宗教とナショナリズムが噴出して血なまぐさい紛争となった。宗教の「分断力」が作用した事例だ。

紛争解決と平和構築の実践

―――次に,平和構築に宗教が貢献し得るかにつき伺いたい。そう言った事例があったら紹介してほしい。

上野

 その点に関して,4点お話しする。
 先ず,民主化への貢献。特に冷戦崩壊後,すなわち,1990年以降,世界各地域で民主化が進んだが,そのプロセスで宗教関係者が果たした役割は無視し得ないものであった。米国のあるシンクタンクの研究によれば,過去数十年間に80余りの国で民主化が達成されたそうだが,そのうち少なくとも30カ国で,宗教関係者が民主化実現に一定の役割を果たしたという。そのうち,フィリピン,エルサルバドル,ニカラグアなどでは,カトリック教会が一定の役割を果たした。
 第2に,和平・紛争解決への関与がある。カトリック教会だけでも,幾つもの事例がある。たとえば,1978年アルゼンチンとチリが国境問題をめぐって紛争を起こしたときに,ローマ法王庁が仲介して紛争解決に導いたことは,周知のこと。また,エルサルバドルやニカラグアの内戦においても,カトリック教会がその解決に一定の役割を果たした。更に,フィリピンではマルコス大統領退陣に際し,米国の働きかけと共に,マニラの枢機卿が一定の役割を果たしたことも記憶に新しい。加えて,政治的行動に消極的なバチカンには,「聖エジディオ共同体」(The Community of St.Egidio,1968年設立)という「別働隊」がある。世界80カ国に支部を持つ国際NPOで,アフリカを中心に援助活動を展開しているが,援助だけでなく,ルワンダやモザンビークの紛争に際しては,直接現地入りし両当事者間に割って入り,紛争解決に向け主導的役割を果たした。
 第3に,紛争調停後の平和構築の段階でも,宗教は,「心のケアー」を含め,社会の安定化に大きな役割を果たしている。因みに,アフリカでは,カトリック系の教会・修道会が奥地まで入り込んで支援活動を行っており,それらを総計すると,サハラ以南ではカトリック教会が(北欧やフランスなどを凌ぎ)トップドナーとなっている。特にHIV対策について見ると,「国際カリタス」(Caritas International,本部はバチカン)という国際NPO及びその傘下にある世界各国所在の165余りのカリタス系NPOが,国際社会による支援の2〜3割を手掛けている。カトリック教会の活動に絞って紹介したが,かれらのアフリカでの活動が地域の安定化に寄与している点は,もっと知られて良い。
 第4に,民衆革命後の中東諸国の国造りに果たす宗教の役割について。エジプトを例にとれば,中東専門家の中には,「エジプト人は,イスラム教徒である前に,エジプト人であるので,エジプトなりの国造りのやり方があるはずだ」として,イスラムのファクターを重要視することを避ける人がいるが,果たしてそれで良いのだろうか。同国では,ムスリム同胞団が,政党(自由公正党)を創設し,突出しすぎないように自制しつつも,存在感を高めている。それに,カイロでの民衆革命の様子を眺めると,或る時刻になると広場で一斉にメッカを向いて祈祷を捧げていた。こうした様子を見るにつけ,人々を動かしている根源にはイスラムがあると考えざるを得ない。これらの国で民主制がどの程度根付くかという問題があるが,イスラム抜きの国造りは考え難い。

宗教という視点は世界の常識

―――上野さんは,今年1月の読売新聞で,世界における「宗教の復権」を直視せよと説かれ,本日もその点に言及された。この潮流は,いつ頃から可視的になって来たのか。如何なる出来事があったのか。

上野

 大きく言って,四つの節目があったと言えよう。
まず第1は,1967年の第三次中東戦争でイスラエルに惨敗したナセル・エジプト大統領(1918-70年)が退任に追い込まれたこと。ナセルは社会主義を担いで宗教を徹底的に弾圧した人物だ。チトーやモスクワがやったのと同じことを,中東でやった訳だ。ナセル体制の崩壊は,「国際的な反宗教ネット」の一角が崩れたと言うことであり,その最初の出来事であった。或る意味で,1991年のソ連崩壊の先取りとも言えるものであった。その後の為政者は,急進派こそ抑え込んだが,イスラムに対しより融和的であった。今回のジャスミン革命を経て,今後はイスラムを更に重視せざるを得なくなろう(と私は見ている)。その意味で,67年の時点で,今日の状況は半ば用意された,と見て良いだろう。
 第2は,カーター大統領の登場である。もともと米国の宗教保守勢力は政治的影響力を潜在的には持っていたが,その行使には慎重だった。つまり,かつては政治活動には関心を示さなかったが,カーター大統領の登場の頃を境に,宗教保守勢力が「政治への関与に目覚める」ようになった。その延長線上に,ブッシュ大統領(息子)の登場がある。米国政治は大きく変わったのである。
 第3は,中東と米国が挟み撃ちして,アフガン戦争でソ連軍を追い出したこと。そして,その延長線上の話になるが,モスクワが崩壊したのが,第4の節目。その結果,旧ソ連圏で宗教の復権の動きが顕著になった。
 以上のような4つの節目を経て,世界全体を見渡すと,世俗化の進んだ西欧や日本といった少数派を例外として,宗教の存在感,影響力は高まっている。イスラム圏からアフリカ,南北米大陸,東欧,南アジアに至るまでおしなべて。この結果,世界の多くの地域では,宗教という要素を軽視しては,国家,国民,文化を語り,社会的動向を占うことは出来なくなっている。言うまでもなく,宗教の関与は,人々の心の面だけではなく,学校・福祉などの社会面から,人々を団結させたり,反目させると言った政治面に至るまで,多面的である。残念ながら日本では,こうした「世界の常識」が見えず世界の潮流から孤立している。

多文化主義政策への挑戦

―――最近,欧州は移民問題で揺れているが・・・。

上野

 「移民問題」というと,西欧のジャーナリズムは,イスラムと結びつけて取り上げることが多い。この8月に発生した英国暴動事件は,警察による黒人男性容疑者の射殺が発端であったが,「反イスラム」の空気を強めることとなったようだ。フランスやオランダでは「反移民」勢力が伸びており,様々なもめごとが発生している。が,より衝撃的だったのはノルウェー乱射事件だ(2011年7月)。今度の事件で注目を浴びた同国は,西欧でも特にリベラルと目されている。そのノルウェーですら,「反移民」を主張する政治勢力が伸びていることは,西欧の基調変化を示すものだろう。西欧で反移民・反イスラム色が強まるにつれ,その多文化主義政策が今後も持ちこたえられるか,定かでなくなりつつあり,現在西欧は岐路に立たされている。
 実は,こうした反イスラム,反移民の問題は,雇用問題ともリンクしている。西欧社会には3000万人に迫るイスラム系移民がおり,雇用を脅かしているととる人が多い。
同時に,都市の中にモスクや尖塔が次々と建ってゆく中で,それに対する反発が強まっている。フランスでは,スカーフ規制問題に加え,イスラムの宗教儀式として羊をアパート内で殺した上神に捧げることなどに対して,周囲の住民から反発が出て来ている。
 加えて,イスラム系移民の増加を,テロの脅威の増加と結びつける傾向が強まっている。 ノルウェー乱射事件でも,初めはイスラム系テロリストが首謀者ではとの見方が流布された。結局犯人はキリスト教を信奉していると言うことが判明したが,「キリスト教の教えを実践した」とは誰も解していない。ところが,イスラム過激派によるテロの場合,西欧では,宗教の実践と解し,イスラムは危険だとする人が少なくない。(勿論,イスラム教徒の方は,テロ犯がイスラムの名を語っている場合でも,宗教の実践とは解さないが)。要するに,過激派はイスラムの主流とは関係がない。それに,西欧には3000万人のムスリムがいるのに対し,過激派は数百人程度と言われる。だが,西欧では,圧倒的多数のムスリムと過激派とを区別せずに扱う傾向は,強まる気配だ。
 また,ローマで私が接したイスラムの人達は,概して,「イタリアやフランスに住むイスラムは,今後も子々孫々にわたって欧州に住んでゆく(土着化する)のだから,地域のルールに従ってゆくべきと考えている」としていたが,実のところ,そう考える人は一部インテリに限られる。つまり,かれらは少数派のようだ。移民1世は覚悟して来ているので我慢するが,2世以降は,よりはっきり「同化」を嫌がる場合があるようだ。

ジャスミン革命の行方

―――それでは,欧州から再び中東に視点を移し,中東民衆革命後の展望につき伺いたい。

上野

 その問題は,中東イスラム諸国が西洋的な民主主義体制を取り込んでゆけるのかという問題を核とする。今後の方向としては,3つの型がある。
 第1は,拒絶型だ。この典型はサウジアラビアである。サウジは宗教国家であり,選挙,国会もなく,イスラムの教えだけでやっている。宗教の自由はないし,キリスト教の宣教を認めない。サウジの王室は,「聖地を守る」ことが使命だと考えている。この役割を果たすことが彼らの国家としてのアイデンティティーであることから,それに反することは一切やらない。
 第2は,(対西洋)協調型,すなわち,宗教のありかたを相対化し,多党型民主主義制度を認め,それを導入した国。代表例はインドネシアだ。同国は,国内最大の宗教であるイスラムを「国教」にしておらず,キリスト教徒,仏教徒,ヒンズー教徒も少なくない。そして各宗教の祝祭日がナショナルホリデーになっている。トルコやマレーシアもこのタイプに入る。
 第3は,エジプト,シリアなど,民衆革命が起き目下混乱のさ中にあるアラブ系の国々。かれらが,今後第1型になるか(あり得ないことは自明),第2型になるのかは,将来の中東のありようを左右する要素であり,極めて重要。先に,国民を纏めるための要諦として,経済とアイデンティティーを挙げたが,アラブ諸国は,インドネシアやマレーシアと異なり,経済運営が順調でなかった分だけ余計に,イスラムによりアイデンティティーを補強する必要性が高い。つまり,第2型に比べイスラムへの「依存」度が高いので,イスラムの相対化を通じて民主主義体制移行を進めた第2型とは別の道(すなわち,第3の道)を歩まざるを得まい。内外の観測の中には,今回の一連の民衆革命へのイスラム勢力の関与が少なかったことから,イスラムは民主化の足枷にはならないと見通すものが少なくない。本当だろうか。国を纏めてゆく上でのイスラムの重要性を軽視した議論に思えてならない。国造りの仕事は,(強権体制を)壊すのより遥かに難しい。話は逆で,これらアラブ諸国がこれから直面する命題は,イスラム的要素を強めながら民主化を図ると言うことだ。まさに難事業であり,それ故,それらの国における民主化は(第2型に比し)余程慎重に進めざるを得ない。紆余曲折があるだろう。どれだけ時間がかかるか現時点では読み難い。だから,アラブ諸国の行末について先を読むことは難しい。加えて,この地域には,西洋型民主体制をイスラムと両立する形で導入した先例(成功モデル)がない。トルコの事例が先例になるとの見方(The Economist,8月11日)があるが,トルコ文化はアラブとは異なるので,先例となり得るか疑問だ。アラブ諸国の中から,今日の革命期を乗り越えて民主化成功事例が出るのを待つほかない。そうなれば,他のアラブ諸国に新たな「民主化モデル」を提供してくれよう。

カトリック型文明に学ぶ

―――最後に,文明論に立って,世界平和の実現に向けた提言を頂きたい。

上野

 昨年5月,ローマで行なわれたイタリア外務省主催の「人権,宗教,文化」シンポジウムにパネリストとして参加し,こう発言した。

 日本人は,人権の項目については欧米と同様の思想を持つが,その適用,実践においては,日本では多神教的メンタリティー,相対主義的メンタリティーが強いために,「ソフト・アプローチ(50−50アプローチ)」になる。すなわち「あなたの意見も分からないではないが,私の意見も聞いて欲しい」という姿勢だ。他方,西欧の人達は,一神教的メンタリティー,絶対的価値追求型メンタリティーなので,‘all or nothing’,つまり,「ハード・アプローチ」になりがちだ。だが,誰もが「ハード・アプローチ」を取ると,国際社会はギスギスする。今後,国際社会は,日本の「ソフト・アプローチ(50−50アプローチ)」を学び,実践するべきだ。価値観としての人権を重視することは良いが,その適用は,柔軟にやるべきだ。

 つまり,誰もが自分の価値観を持っている以上,それを突き合わせる際は,「ソフト・アプローチ」でゆくほかない。皆が自分の価値観を絶対視し,それを押し付け合うと,その行き着く先は「争い」だからだ。
 ところが,欧米型の発想の人達には,自分の意見をすべて言い切らないと我慢出来ない人が多い。基本的に「主張する文化」だから(イスラムも含めて)。その際,彼らは「定義」をすることにこだわる。が,一旦「定義」をしてしまうと,逆に「定義」によって自分が縛られてしまう。これに対し,日本人は,「定義」を曖昧にしたままでディスカッションすることがよくある。その典型が神道だ。神道には神学がないことが,それを物語る。
 つまり,世界の文化・文明には,「定義にこだわる文化」と「こだわらない文化」とがある。「定義」を別の言葉で言えばアイデンティティーだ。日本人は西洋的な意味での「明快なアイデンティティー」にこだわることはない。それは,日本の多神教的な風土に由来する。
同様に,西欧の「ハード・アプローチ」は,一神教的な風土を反映したものだ。そうだとすれば,西欧の人達が日本人のような「ソフト・アプローチ」の発想をすることは,実際問題かなり難しいことかもしれない。彼らは,白黒をはっきりさせたがる。中国人や韓国人もその発想に近い。その意味で,日本人は世界の中で少数派と言える。
 にもかかわらず,日本人はもう少し自信を持って,「ソフト・アプローチ」の有用性を世界に向けて発信してゆくべきではないか。一般論として,折衷的イデオロギーは純粋イデオロギーと比べて弱いので,両者が議論すると前者が負ける。他方において,純粋イデオロギーを世の中に押し付けると,「不幸が起きる」場合がある。人類の歴史は,その点を明確に教えてくれる。
 ところで,その点を直接体験を通じてよく体得し,承知しているのが,実はカトリック教会だ。だから,今日のカトリック教会は,イデオロギーの突出,純化思想には殊の外批判的だ。このため,一神教型文明は日本型文明の対極にあるものとされるが,カトリック型文明は,そのような感触を与えない。バチカンにおける私の体験から言うと,かれらはいわゆる一神教型文明とは違う。一神教型文明の代表例は,むしろプロテスタント型文明で,日本型文明とは明確に異なる。これに対し,カトリック型文明は,感触からすると,我々にずっと近い。それは,カトリックが一神教をベースとしつつも,世界各地に網を広げる過程で,世界各地の習俗・習慣を含む文化(ある場合には宗教的要素)を排除せずに取り込み,習合して来たからだ。一神教的純粋性を放棄して来たと言っても良かろう。その意味で,今後日本が一神教型のイデオロギーを相手にするに際し,バチカンを中心とするカトリック型文明と連携することを視野に入れてはどうか。

(2011年8月17日)