アジアへの視点

元駐ベトナム・駐フィリピン大使 湯下博之


<梗概>

 ここ十数年の間の東アジア諸国の発展は目を見張るものがあるが,そのような情勢変化に伴いアジアにおける日本の位置は以前とはだいぶ変わりつつある。しかしそのことを自覚できずに旧来の思考に留まっている人も少なくない。これからは「アジアの日本」という位置づけ,つまり共生共栄というウィン・ウィンの関係を維持できるようなパートナーの関係としていくことが重要である。

1.アジアとの関係の見直し

 日本とアジアの関係についてみてみると,とくに近年のアジア情勢の大きな変化に伴い,日本のアジアへの見方・取り組み方が従来のままでいいのか,さらに一歩進めて,関係の見直しが必要ではないかと,思うようになってきた。
情勢変化の要因としては,次のようなものがある。
 第一に言えることは,アジアが日本の独壇場ではなくなったという点である。戦後からごく最近までアジア地域の中で日本は突出した経済大国,先進国という,格別の位置を保ってきた。日本のアジア地域への経済援助が,中国も含めて,大きな影響力を与えてきたことは事実である。ところが,昨年,永年保持してきた世界第二位の経済大国の地位を中国に譲り渡したことに象徴されるように,日本一国がアジアにおいて突出した存在であるという状況ではなくなった。
 かつて1977年夏に,当時の福田赳夫首相が東南アジア歴訪の際に,フィリピン・マニラにおいて,「福田ドクトリン」という東南アジアへの外交政策の三つの指針を発表した。これはその後も,日本の東南アジア外交の基本政策として長く維持された。その核心は,日本はアセアンを支援・援助するが,それは単なる経済援助に留まることなく,「心と心の触れあう信頼関係の構築」の重要性に言及した点である。当時は,日本=援助国,アセアン=被援助国という一般的図式があったが,最近ではその図式が単純に当てはまらないほど,アセアン地域が大きく発展し,縦の関係から経済協力のパートナー関係へと変化したのである。
 第二は,中国の台頭である。21世紀に入って中国の経済発展は目覚しいものがあり,米国とならぶ世界の大国と見なされるようになり,グローバルな国際政治の場においてその動向が注目を集めている。
 なかにはそのような中国の動きに対して「中国脅威論」を唱える人もいる。その一方で,中国を「責任ある大国」(responsible stakeholder)として国際社会で振舞うように仕向けていこうという考えもある。中国とて自分一国の考えだけで振舞えるわけではなく,国際社会に対して応分の役割を果たすことは,中国のメリットになるわけであるから,そう仕向けることは重要である。しかし,日本の対中関係は,中国の出方に対してどうしよう,こうしようという受身的な対応が多く,中国を変えていこうというような主体的な態度に欠けているように思われる。ただ,日本一国でそうすることは難しいので,米国やアセアンなど諸外国と協調しながら,対中外交を展開するという発想が必要だろう。
 そもそも中国と日本の長い歴史を振り返ってみると,日中両国がともに強い時代はほとんどなかった,したがって中国が支配的になるか,日本が支配的になるかのどちらかだという説がある。しかし,私はこれからもそうだとは限らないと思う。例えば,近代史におけるドイツとフランスの関係は,戦争の連続であった。しかし第二次世界大戦後になると,独仏国境地帯の石炭と鉄鋼をめぐる争いを回避するために「欧州石炭鉄鋼共同体」をスタートさせ(1951年),それが今日のEUにつながった。日中関係も,こうした歴史に学ぶ必要がある。日中両国が争っていては,当事者のみならずアジアの他の諸国にも迷惑を掛けることになるので,日中関係をよりよいものに発展させることは重要な課題と言える。
 第三に,東アジア共同体構想がある。最近では鳩山前首相の提唱で話題になったが,東アジア共同体構想は,それ以前からあったものだ。アジア地域における共同体構想は,ヨーロッパのようにはいかないであろう。経済面に限れば,共同体に近い実体があることは事実であるから,それをもとにして発展させていくことも一つであろう。しかし,米国抜きだと安全保障面からすると,問題が大きいので注意する必要がある。
 戦後の日本のアジア外交をみると,二国間関係が基本であった。それが共同体構想の出現とともに,二国間関係だけではなく地域との関係が重要になってきた。
 さらに,日本における少子高齢化問題もある。考えてみれば,戦後日本は一時期,人口過剰を憂うる時代もあったが,今は人口減社会の到来をどう受け止めるかということである。人口減社会を憂える人たちは,GDPの減少,マーケットの縮小などを心配する。しかし限られた地球上に永遠に人口が増え続けることはできないことを考えれば,総体としての拡大だけを指向するのは問題ではないか。
 例えば,GDPについていえば,GDPの総額ではなく一人当たりの値を問題にすべきだろう。適正規模の経済の中で,質の向上を図る。人口減に対して単に人口増加政策を考えるのではなく,安心して子どもを産めるような環境を整えることなど,質的側面の充実にもっと目を向けるべきだろう。またマーケットの縮小に対しては,アジアという地域全体との関係の中で考える。
 いずれにしてもこれからは,一国単位でものごとを考えるのではなく,地域(アジア)との関係で持続的繁栄を考えることが大切だ。アジア地域との一体化である。そのためには,これまでの発想を転換する必要がある。

2.アジアへの視点の歴史的変遷

 近代の日本の歴史を見ると,明治維新を経て日本は富国強兵・文明開化などの政策の下,欧米の文物・制度を取入れ欧米化を図った。その一つの政策が「脱亜入欧」であった。その結果,植民地主義をも真似て大陸に進出し,道を誤ることになった。一方,欧米との関係では,欧米の帝国主義に対抗して日本をアジアの代表と位置づけ,「大東亜共栄圏」を唱えた。しかし,日本の敗戦で区切りをつけることになった。
 戦後1957年になって初めて外務省から『外交青書』が出されたが,その中に日本外交の三本柱が明示された。それは,@国連中心主義,A西側陣営の一員,Bアジアの一員としての日本,以上の三つであった。このとき日本は自国をアジアの一員として位置づけ,アジア諸国を援助する先進国の立場にあることをはっきりさせた。
 その後,既に述べたように,中国や韓国,アセアン諸国などが経済発展してきて,「21世紀はアジア太平洋の時代」などと言われるほどに,アジアは世界経済をリードする地域となった。
その結果,日本において「米国かアジアか」と選択を迫ったり,中には「脱欧入亜」という意見も出てきた。しかし,私は,「米国かアジアか」ではなく,「米国もアジアも」とすべきであり,そうでなければ日本は生きていけないと思う。ただ,これまでの日本外交には,アジアの位置づけが,対米関係の重視と比べてあいまいであったので,それをきちっと位置づけなおす必要がある。それゆえ,日本は,「アジアと日本」ではなく,「アジアの日本」として考え,行動しなければならないのである。

3.「アジアと日本」から「アジアの日本」へ

(1)日本にとってのアジアの重要性
 経済面から見てみよう。日本の貿易相手国の割合をみると,アジアの重要性がはっきり見えてくる。アセアン,中国,韓国,台湾,香港などアジア諸国が5割を超えている。かつては米国が最大の貿易パートナーであったが,近年は中国がその位置を占め(輸出18.9%,輸入22.2%,2009年統計),米国は二位になった(輸出16.1%,輸入10.7%,同)。もちろん現在でも米国の占める比率は小さくなく,EUをも含めれば相当の割合になるが,アジアの比率が非常に大きくなったことは顕著な事実である。
 ところで,北米にはNAFTA,欧州にはEUがあるが,アジア地域にはそのような経済共同体はない。しかし,東アジアの域内貿易の比率はかなり高く,実体として経済共同体に近いものになっている。
 投資面でも同様の傾向が見られる。資源については,例えば,天然ガスはアジアが半分以上を占めるほか,その他の資源についてもアジアの比率は高い。
 安全保障については,朝鮮半島,アセアンでひとたび有事があれば,日本にも相当の影響が及ぶ。また日本は石油の大半を中東地域に依存しており,そのシーレーンが東南アジア地域を経由しているので,この地域に何かが起これば石油ルートが断たれることにもなりかねず,そうなれば日本経済は大打撃を蒙ることになる。このようにアジア地域の平和と安定は,日本の生存に直結した問題となっている。
 国際政治における日本の発言権,発言力の基盤には,世界の経済大国としての影響力があることは事実だが,経済力だけではときには嫌がられる要素にもなりうる。経済以上に,海外から評価される分野に国際貢献がある。これは日本が国際社会の平和や繁栄にどれだけ貢献したかという指標である。アジア地域の発展に対して,大きな影響力を示したのが日本のODAであった。例えば,東南アジア諸国の発展に日本の援助は有効であったし,このことは欧米諸国も高く評価している。
 東南アジア諸国にとって中国の援助はありがたいが,一方で恐さも感じている。しかし日本の援助であれば安心してお願いできるという面がある。
 また,国連のさまざまな委員会のメンバーになるためには,まず地域の候補国になる必要があり,日本はまずアジアの候補国にならなければならない。それではアジアのどこの国が日本を支持してくれるのか。この点では東南アジア諸国が非常に重要だ。
 このようにいろいろな面で重要なアジア諸国であるが,日本はそれらの国々とどう向き合っているのか。残念ながら,日本がアジア諸国とまともに向き合っているとは言い難い。日本はアジアを見ているようで,実は欧米を見ている。これは以前の話ではなく,今でもその傾向が見られる。

(2)日本に対する期待
 もちろんODAをはじめとする経済援助の期待もあるが,それ以外もある。
 かつてフィリピンに駐在していたころの話である。あるフィリピンの有力者は「(われわれが)米国と交渉してもなかなか対等に話をしてくれない。しかし,その場に日本が一緒にいてくれれば,そのようなことはないし,非常にありがたい」と言っていた。ただし,日本に対しては,あくまでも「兄貴分」としての役割を期待しているのであって,「親分」になることは期待してはいないということも付け加えた。ここに微妙なニュアンスが現れているが,一定の期待をかけていることは事実である。ところが日本はどうかというと,そうした部分にほとんど目(心)を向けていないのだ。
 とくにバブル経済崩壊後の日本は,どこかにうまい儲け口はないかという視点でしか,アジア諸国を見ていないようだ。東南アジアの期待に応える必要があるが,かつてのように上下関係で東南アジア諸国の要望を聞いてあげるという関係ではなく,東南アジアとの関係を密にすることによって日本も繁栄することができるというパートナーの関係で対応することが大切であろう。

(3)共生の関係
 東南アジア諸国といっしょにやっていくことは,日本にとっても大きなメリットがあることを指摘したい。
 ベトナム戦争終了後,78年にベトナムはカンボジア侵攻を行ない,国際社会から非難を浴び,制裁を受けることになった。その後,中国の改革開放政策に倣ったドイモイ政策を進めたが,依然として国際社会の目は冷たかった。そして91年秋にパリでカンボジア和平合意が成立することによって,対外関係が好転するようになり,日本からも開発援助や投資活動が活発化するようになった。
 私はまさにそのころに,外交官として同国に駐在した。当時,私は次のことを指摘した。すなわち,ベトナムに行って投資などをしてもすぐ儲かるわけではない。しかしベトナムの潜在力は非常に豊かであるから,それを伸ばして実を結ばせることができれば,ベトナムのみならず働きかけた国も発展することにつながる。ベトナムとの関係は,ゼロ・サム・ゲームではなく,双方にメリットがあるウィン・ウィンの関係になる。
 ベトナムは,共産党が支配する一党独裁の国であることをもって,思想面からそれを批判する人もいる。ベトナム共産党は,改革開放政策を進めており,現在はアセアンの一員となった。いわゆる共産主義の中央計画経済を進めているわけではない。共産党が指導する社会主義社会の建設を謳っているが,その中味は共産主義の目指すものとは全く違っている。当時7000万のベトナム国民が第一に望んだことは,複数政党制の民主主義国家ではなく,暮らしがよくなることであった。共産党が国民を弾圧するなら問題であるが,国民の暮らしがよくなっていくのならば,共産党政権も一つの選択肢だということである。改革開放政策を進めれば,外国から多くの情報が入ってくるので,価値観,考え方が多様化していく。そうなれば,いずれ複数政党制に移行していくことだろう。経済の発展とともにアセアンの他の国々と協調していくことによって,いずれ一党独裁から軟着陸していくに違いない。
 1990年代当時のドー・ムオイ書記長(任1991-97年)は私に,「ベトナムは永年戦乱に明け暮れてきたために,国造りや経済建設をやることができなかった。それを今やろうとしているのだが,そのノウハウも資金もない。その意味で日本の協力は不可欠だ」と語ったことがあった。ここで日本が,押し付けではなく,本当に親身になって教えてあげながら援助していけば,全体のパイが大きくなり,ウィン・ウィン関係を発展させることが可能である。
 これまでの日本は,相手の言い分に合わせて何かを受身的に対応することが多かった。しかしこれからは,互に共生する関係として進めていくことが大事である。

(4)対米関係
 米国との関係はどこの国にとっても重要であり,とくに安全保障面では,米国抜きでは考えられない。しかし米国一辺倒でいいかというとそういうわけでもない。アジアとの関係も重要であるから,日米同盟関係を機軸としつつアジア重視の政策を展開するのが賢明であると思う。

(2011年3月24日)