リスク危機管理の面から見た福島原発事故の課題と教訓

千葉科学大学教授・副学長,工学博士 宮林正恭


<梗概>

 3月11日に起きた東日本大震災は,過去最大規模の地震と津波による甚大な被害をもたらしたが,中でも震災に伴う福島原発事故は,これまでにない被害と影響を広範囲に及ぼしつつある。この問題は現在も進行中のできごとではあるが,何が根本的な問題であったのか,リスク危機管理の立場から考えてみたい。事故発生以来,連鎖的に次々と問題が発生しその対応に追われた感があるが,そうなった背景には,全体を総括する司令塔が機能しなかったこと,それによって本来は初期段階から非常事態として総力戦で臨むべきでありながら,そうできなかったことが大きい。福島原発事故は世界が注目しているところでもあり,英知を集めてしっかりと対応し危機と問題を解決してくれることを切望するものである。

1.はじめに
 福島第一原子力発電所の事故は,未だ解決の兆候は見えず,国民生活に引き続き大きな影響を与えている。このような段階で表題のテーマで何か述べることは時期尚早とも言えるが,現在知りうる範囲での情報をもとに,リスク危機管理論の見地から基本的問題を考えてみたい。

2.事故の概要
 2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震とそれに続く津波によって,冷却水循環ポンプを駆動する電源が失われ,福島第一原子力発電所(以下,福島第一原発という)の1号炉から4号炉までが冷却不能となった。そのため,原子炉および使用済み核燃料プールが過熱し,正常なコントロールができなくなり,水素爆発,原子炉や燃料の損傷などが生じた。その結果,20km圏の住民は避難するよう,また,20km〜30km圏の住民は家屋内退避または域外避難をするよう求められる状況となっている。また,これらの原発から放出された放射性物質(主としてヨウ素131)による野菜類および水道水の汚染,高レベルの放射性汚染水の海への流出などが起こり,風評被害も相まって国民の不安が大きく高まっている。
 この原稿を書いている現在(4月4日)の状況は,毎日の大量補給注水により原子炉および使用済み燃料は冷却され,小康状態にある。原発が安定した状態に戻るには,冷却水循環ポンプによる定常的な冷却が可能となる必要があり,そのため,外部から電源が引かれ,本来の冷却系を動かす努力が重ねられている。しかし,補給注水の結果あふれてくる高放射性物質を含む汚染水の存在,高い放射線領域での作業の必要性などの困難な条件があり,難渋している。

3.リスク危機管理論の見地から見た課題と教訓
 事故が一段落した段階で,総合的に検討すれば数多くの課題や教訓がでてくるに違いない。今回の事故による危機は今なお進行中であるので,ここでは,今後の進行の状況如何によらない根源的な問題を考えてみたい。

1)再現実験の行なえない科学的知識を技術にそのまま適用することの問題
 福島第一原発は,津波の最大高さ5.7mを前提として設計され,諸施設は7mの高さのところにあった。しかしながら,今回の津波は,14mの高さに達したと考えられている。その津波によって,非常電源設備が損傷し,その電気によって動いていた冷却ポンプが停止したため,今回の事故は起こった。設計時に決定された地盤の高さ7mは,当時の科学的知見に基づき妥当なものと考えられていた。その後,貞観地震(869年,三陸沖震源)の研究成果から7mでは危険との指摘があったが,それは軽視された。
再現実験等によって十分に検証が行われていない科学的知識は,いわば仮説というべきものである。地震学は再現実験ができないので仮説の積み重ねという面がある。すなわち,仮説に基づき想定津波高さ5.7mが決められ,これを基にして7mの高さの地盤に施設は作られた。したがって,発電所を設計した技術者にとっては今回の津波による事故は「想定外」であったといえる。しかし,5.7mという津波高さの想定は仮説的知識に基づき設定されたものであり,そのリスクは検証実験等に基づく場合に比べかなり大きいと考えるべきである。しかしながら,貞観地震に対する態度などから判断すると,そのリスクの差は東京電力をはじめ多くの関係者から軽視されてきたように見える。
リスク危機管理の見地から言うと,仮説的知識を前提条件としている場合には,@仮説的知識を基にしていることを踏まえたリスクの分析,Aその結果としての余裕のあるリスクマージンの設定や補償的措置,Bリスクの常時監視,CPDCAサイクルの考え方の準用によるリスク内容の見直し,D見直しの結果としての追加的対策等によるリスクの削減,Eリスクが発現(危機)した際の被害拡大防止のための危機管理などを総合的に組み合わせて,常にリスクをコントロールし,致命的危機とならないようにするべきである。

2)司令塔機能の欠如または弱体など,危機管理システムの不全
今度の事故の緊急対応に関しては,司令塔(ヘッドクォーター:HQ)機能がどうなっていたのかがよくわからない。福島第一原発の安全確保および事故対応は東京電力の責任であり,それを安全規制の観点から規制し,指導監督するのが経済産業省原子力安全・保安院である。原子炉施設の水素爆発が起こって,誰にでも深刻さがわかるようになってはじめて,自衛隊や消防庁の英雄的行動による海水の放水冷却が行われ,最悪の状態から脱した。今回の事故対策の鍵である外部電源供給の話が出たのは水素爆発などの後であり,電源喪失直後に電源車の空輸など電源供給の緊急措置が行われたとの話も聞かない。危機管理の初動に失敗し,その後も対策が後手に回っていたとの印象がある。その主要な原因は,HQが無かったか,機能しなかったことによるところが大きいと思われる。
危機においては,その最前線の現場にいる人間は,危機への直接的対応に忙殺され,その視野は狭くなり短期的になる。その欠点をカバーし,全体として整合性の取れた危機対応となるよう,現場への支援,次の対応策の準備,危機管理のやり易い環境への整備,士気の鼓舞,クライシス・コミュニケーション(危機時における情報伝達)等を行うのがHQの役割である。
危機時においては,会議をしている時間的余裕がないことが多いから,HQのトップはすべてにおいて責任を取りうる者,すなわち組織の長が務めるのが普通である。すなわち,東京電力にあっては社長であり,原子力安全・保安院においては院長である。トップはそのスタッフを駆使しつつ必要なタイミングで最善と思われる判断を下していく。誤った判断を行ったと認識したら直ちに朝令暮改を厭わず前の判断を撤回し,別の指示行う。時間との競争であるから,無駄となることも覚悟して,過剰と思われるくらいの対応を考え,その準備を並行的に行う。対応策は,100%完成したものでなくても,タイミングを優先して,時には無理は承知の上で必要な措置を取る。対応策の実行は,必要があれば並行的あるいは組み合わせて行う。ただし,実行に伴うリスクは十分解析して,必要があれば別の追加的手段によってリスクの緩和策あるいはバックアップ策をとる。HQではこのための決断を短い時間にすることが求められる。
菅直人総理が東京電力本社に乗り込んで指示をしたとか,総理の指示により,嫌がる東京電力を抑え込んで海水注入が行われたなどが報じられている。総理が指示をしなければ,そのような決断のできない危機管理であれば,国,事業者を含め,原子力事業の危機管理システムは不全であったと言わざるを得ない。その原因が,制度的な問題であるのか,それらの責任者の人事が適切ではなかったのかはわからない。しかし,制度上問題があったとしても,責任者は,この緊急事態にあっては,その問題を乗り越えて必要な措置を指示しなければならない。その意味で,原子力の安全確保及びその事故の危機管理にふさわしい人材配置がなされていたかどうかが非常に気になる。

3)原子力施設のリスク危機管理に対する基本的考え方の欠陥
 原子炉の事故時の安全は,@炉内の核反応が止まっている,A炉の冷却が続いている,B放射性物質が閉じ込められている,の三つの要素が満たされてはじめて担保される。今回の原子力施設における電源喪失,そして,その結果としての冷却能力喪失は,この一つが欠けたものであり,深刻な危機であると認識されなければならない。電源の喪失などによって,原子炉の状況を把握する計測データ取得に困難があり,判断に困った可能性は想像できる。しかし,4基の原子炉が同時に津波にあい電源供給が止まったのだから,全体的な異常事態を予想しなくてはならない。特に,原子力施設は,高いリスクを高度な技術よってコントロールしてリスクを低め,実用に供している。したがって,その安全担保の手段の重要な一つを失ったと認識したら,最悪事態を想像して一斉に対応措置やそのための準備がとられる必要がある。そして,対応措置は過剰なくらい用意すべきであり,福島第一原発内はもちろん,東電全社内,関係会社,関連官公庁あげて対応するべき事象である。必要なら,設備の生産者,大学人等の有識者,関係のOB社員,海外の関係機関などの支援も得るなど,早い段階から総力戦で臨むべきである。
しかし,今回の事故の場合,HQが機能しなかったからかもしれないが,そのような総力戦体制は,事故発生後十日以上経ってからであったといえる。それまでは戦力の逐次投入であったと言えよう。そこには,津波の破壊力に対する認識および原子力施設の冷却能力喪失の重大性への認識の不足,並びに,この危機に対する想像力および勘が欠けていたように思える。そして,リスク危機管理的思考や知識が欠如していたように見えると言うと言いすぎであろうか。

4.終わりに
 現在,福島第一原子力発電所は,施設への水の注入によって何とか小康状態にある。世界各国からの支援もあり,ようやく関係者の体制も整ってきたようであるから,今後,順調に終息に向かうことを期待したい。しかし,放射能に汚染された地域や海域の始末が終わり,原子炉が冷態停止となって放射能の流出もなくなるにはかなりの時間が必要であると考えられる。
 したがって,リスク危機管理論における「危機との共存」,すなわち,「危機の状況は続くが通常の生活を行っていく状態」に入らざるを得ないと考えられる。そのためには,危機との共存のための枠組みの設定,対応システムの構築,体制の整備などが必要であろう。この認識に立った政策的アプローチが行われているように見えないことに筆者は強い問題意識を感じている。
 東日本大震災の被災者であり,また,福島第一原発の事故による避難者となられている皆さんに,心よりお見舞いを申しあげると共に,本事故の悪影響が少しでも早く解消することを祈念してこの筆をおく。

(2011年4月4日)

<参考文献>
宮林正恭『リスク危機管理論―その体系的マネジメントの考え方』丸善,2008年
「朝日新聞」および「日本経済新聞」2011年3月12日〜4月4日の各版