マクロプロジェクトによる日本社会の活性化

四日市大学教授 新田義孝


<梗概>

 有限な資源・食糧・エネルギーなどの問題を抱える21世紀の地球は,2030年ごろまでが正念場と思われる。とくに超高齢社会を迎えつつある日本にとって,いまこそマクロプロジェクトを立ち上げて,活力ある成熟社会を構築していく必要がある。マクロエンジニアリングは,人々に大きな夢と希望を与えるとともに,それを実現可能なものにする力を有する。また,そのような発想,考え方を基礎とする高等教育を進めることが要請されている。

1.現代の諸課題
 現在,世界の人口は69億人ほどだが,2050年ごろには90数億人でピークを迎え100億人にはならないと予測されている。現在世界一の人口を誇る中国もその前にピークを過ぎ,その後はインドが世界一の人口大国になるだろう。そのインドも2030年ごろには出生数の(前年比)減少が始まるであろう。
このように21世紀の地球は成熟社会を迎えていくわけだが,有限な資源・食糧・エネルギーなどについていえば,世界が拡大の一途をたどる2030年ごろまでが正念場といえるだろう。既に資源争奪戦など地球全体がそのような様相を見せ始めているように,2030年までをいかに乗り切るかが,今後の人類の行方を決定することになる。それ以降では高齢化により,資源の需要は飽和ないしは減少すると考えられるからだ。そこで21世紀を乗り越える枠組みを考えるために,まず現代社会の抱える大きな課題について見ておきたい。
(1)インターネット
 現代社会は「隠し事」ができない時代である。インターネットなど情報通信技術の発達が,このことを劇的に変化させたといえる。政府が情報を統制して国を治めようとした時代は過ぎ去り,このようなことができない時代となった。
 例えば,少し前に米国の軍事秘密がウェッブ上に漏洩し,中東の戦闘地域で非軍人の戦闘員(傭兵)が軍人より多く戦死しているとの事実が明らかになった。また中国の地方に行くと共産党が住民を弾圧し搾取しているといわれているが,そうした事実が今後,赤裸々に明るみになってくるのではないかと思う。たとえ中国政府が現在のようにネット統制を非常に厳重に行なっているとはいっても,今後人工衛星を経由する情報通信が実現すれば,そのような統制も意味がなくなるのではなかろうか。
このような動きは,民間企業の経営にも影響を及ぼしている。ネット社会の長所は,自分のアイディアを不特定多数に発信すると誰かから反応が返ってきて,その後双方向にやり取りしながら世界中の人とともにアイディアを育てていくことができる点にある。ところが,企業や機関の職員が使っているメールその他の通信情報は全部管理されているために,積極的,創造的な人ほど情報のやり取りが管理されないように自宅でやろうとする。その結果,いい成果物が導き出せれば,会社や機関を辞めてしまう可能性もある。そこで企業として実質的発展を遂げるためには,社員が生んだアイディア(秘密)を保護するツール・しくみを開発していく必要がある。それは企業に対する忠誠心や褒賞かもしれない。

(2)地球温暖化
 地球温暖化問題の発端は,もともとEUが仕掛けたものであった。80年代に欧州で酸性雨が問題化したが,当時欧州では国ごとの二酸化硫黄の排出量とその周辺国への影響について調査しマトリックスを作成した。その結果,この問題の深刻さに気づき,二酸化硫黄の主たる原因である石炭利用を欧州全域で減らすことを考えた。
ただ世の中の流れ・しくみが変化するためには,いくつかの偶然的要素・条件が重ならないと実現しない。北海油田が開発され,石油とともに天然ガスも出てきた。そして90年代初めにソ連が崩壊し,ロシアは豊かな天然ガスを欧州に売り込むことをもくろんだ。その結果,欧州では石炭から天然ガスならびに原子力発電へという流れが生まれた。すなわち,天然ガスのパイプラインと送電線のネットワークが全ヨーロッパに整備されたのである。その結果,二酸化硫黄とともに二酸化炭素の排出も減らすことができた。
そのころ米国では気象学者たちが地球温暖化を警告し始めていた。それに便乗してEUは,自分たちがまず二酸化炭素を減らしたことを口実に,経済発展を享受する米国や日本に向けて非難の矢を向けたのである。これが地球温暖化問題の嚆矢であった。
1990年代に始まった気候変動枠組条約締約国会議(COP)には,私自身初期のころからNGOの一員として何度か参加してきたが,その中で痛感したことは,「これは純粋なサイエンスの問題ではなく外交の問題だ」ということであった。外交官やNGOの参加者の顔ぶれを見ると,日本以外はほぼ毎年同じ人が参加しており,互いに気心の知れたような人間関係を築いていた。会議の表向きの顔と裏で動いている人々の関係とはかなり違った様相を呈していた。そのような中で,次々と顔が変わる日本の外交官が参加して,彼らと交渉しようにも限界が見えている。
そのような中,2009年に「気候ゲート事件(climate gate)」が起きたが,デンマークで開かれたCOP15の会議開催直前に発覚したことからみても,仕掛け人がいることが想像される。この出来事の結果,ICPPの報告書の信憑性に疑問が投げかけられた。そもそも二酸化炭素による地球温暖化を阻止しようなどと本気で考えている人はほとんどいないと思う。カオス理論によっても分かるように,気候現象のような複雑系の問題について予測(シミュレーション)すること自体が無理だということは科学者ならば誰でも知っているのではないか。

(3)膨張する中国
近年,中国がさまざまな分野で世界中に進出し膨張している。しかし視点を変えて考えてみると,かつて16世紀以降,欧州各国は世界各地に進出して植民地化を進めたわけで,その「中国版」と見ることも可能だ。ただ,いま世界中で中国が行なっていることの中には不当・不法なこともあり,それらは是正されるべきものだ。発展の目覚しい中国ではあるが,近い将来,バブル経済の崩壊や苦境が訪れる可能性があり,そのとき中国人が最も困ることは破壊されてしまった自然・環境であろう。国と国の関係ではぎくしゃくして厳しい局面もあるが,困難に直面した農民たちに対しては日本として援助できる部分があるように思う。
かつて経済的繁栄を謳歌していた日米を羨むEUが地球温暖化問題で日米に仕掛けたが,現在はそのターゲットが中国に向いている。しかし中国はなかなかいうことを聞かない。そこで次の一手として登場したのが,ISO(国際標準化機構)が進めるCSR 26000(企業の社会的責任)という取り組みである。中国が国家間の取り決めに応じないならば,直接中国の企業に対してこうしたルールを適用して変化させようと考えたとも解釈できる。つまり,二酸化炭素をたくさん排出しているような企業とは取引しないというルールが広がっていくだろう。
この考え方は,社会は経済の上に立ち,経済は地球の生態系の上に成り立っていることを認識して,企業のパフォーマンスを経済・社会・環境の三つの視点から,すなわちトリプル・ボトムラインから評価していくというものである。
このような新しい兆候はすでに4〜5年前からオーストラリアなどでみられた。例えば,中国に石炭を輸出するオーストラリアの企業に対して,オーストラリアのNGOが「地球温暖化を促進する国に向けて石炭を輸出するな」との訴訟を起こした。それに関与した弁護士に,「日本への輸出に対しても同様の措置を取るのか?」と聞いてみたところ,「日本は問題ない。石炭火力発電で1kWh当たりに発生する二酸化炭素排出量が,中国は日本の約2倍だからだ」という答えであった。結局,このような事案は訴訟に合わないとして裁判所によって却下されてしまったが,このような趨勢がますます強まることは間違いない。
大きな流れとしては,このような企業・団体の社会的貢献・活動が世の中から賞賛され受け入れられていく,つまり「金儲け=いいことをする」という発想に転換しつつあるわけだ。金儲けをして繁栄しているところに対しては,社会的な責任(善,倫理)を追及することによって,それをその団体を評価する価値判断の基準とする。その点数の高いところを優先的に応援していくというしくみである。
ところで,日本は領海を含む排他的経済水域(EEZ)の面積でいうと世界第6位の広さを持つ。この海洋域に鉄をまくと植物プランクトンが増えることは知られているが,それを考えている技術者の多くは二酸化炭素削減しか頭にない。しかし科学的にはっきりしない地球温暖化問題のためにやるよりは,動物タンパク質(魚)を日本の領海内でしっかりと生産することに投資した方が現実的かつ賢明であろう。
その海域で生産された魚に印をつけ,それをもとに領海内における外国の捕獲量について制限を設ける。それを遵守しない場合は実力行使も辞さないとする。このような考えに基づき,環太平洋地域の米国,フィリピン,オーストラリア,ニュージーランドなどと連携して進める。そうすれば中国が太平洋地域に軍事的に進出することをふさぐ手立てともなりうるだろう。

2.マクロプロジェクトを発想する
(1)マクロプロジェクト(巨視的社会改造計画)
 10年後を見通して,政策や事業経営プランを大胆に提示する責任者がめっきり少なくなった。世界的にも,国内的にも,さらには地域的にも問題山積なのに,それらを解決した世界はどうなるかという鳥瞰的な未来像を提示して,それを国民的な夢にしていけば,あとは共有した夢の実現に向かうようになり,それは必ず実現する。まさに,夢は目指したときから目標に変わるのだ。
 その意味で,いまこそマクロプロジェクト(マクロエンジニアリング,注1)が必要だと思う。しかし日本にそれがほとんどない現状である。
 例えば,文部科学省や新エネルギー産業技術総合開発機構などが大規模なプロジェクトを募集するとき,そのほとんどは大学教授,エンジニアなど現場で実験・研究する人が提案することが多い。本当はそれではいけないと思う。本来は,大きなアイディアを出す人とそのために汗を流して実現する人とは,違って当然である。
マクロプロジェクトには,ニーズ,外的要因,きっかけなどの要素とともに,決定的な成功要因としてキーパーソンがある。「大ぼら」を吹く人には細かいところは見えないが,彼は人々に夢を与える。それを具体的に実現しようとするのは,また別の人たちである。両者がうまく連携していけば,素晴らしいマクロプロジェクトが実現していく。
私は20年前に科学技術庁のお役人に,次のような趣旨のことを言ったことがあった。まず大きな構想を募集し,その中からいいものを選んで,それを実現化するためのコンペを行なう。このような二段階方式でやればいいものが出てくると。しかしその意味を理解してもらうことはできなかった。
具体的なことで説明してみよう。
日本は高齢社会となり,高齢者のケアーが大きな課題となっているが,その中で重要なことは人間の尊厳性を守ることである。本人の自尊心を満足させて介護ができるようにするためには,テクノロジーの専門家だけでは限界がある。人が自分の尊厳性を守るためには何が必要で,どのようにやれば孤独から救われるか。人間が介在する部分,機械・技術が介在す部分,情報技術が介在する部分など,それらをトータルとしてどのようなシステムを構築すればいいのかが問われているのだ。つまり基本的なコンセプトをしっかりつくることがまず重要で,その次に専門家が登場して具体化しなければならない。
こうした課題について,エンジニアが作った技術をボトムアップで適応してもダメだ。いろいろな介護ロボットをいくつも提示して,その中から「どれを使いますか?」というように進めているが,それではいけない。まず考えるべきことは,どのようなニーズがあり,どのように高齢者を介護・支援してやれば本人が最も満足する生き方ができるのかを考えて構想することである。もしこのようなしくみをつくることができれば,それを今後高齢化していくアジア諸国に輸出することも可能だ。また海外からこのようなしくみを学ぼうとやってくることにもつながる。日本にはさまざまな個別の技術(種)はあるのだが,大きな構想を立てられる人が決定的に不足している。
 また,金沢大学名誉教授の染井正徳博士(薬学)は,天然に存在するソムレという化合物(根の成長促進剤)を発見した。ソムレの1ppm水溶液に種あるいは苗を30分浸漬して植えると根が数割から2倍(速さ,長さ)伸びる。彼はこの原理を応用すべく中国に行って砂漠の緑化を進めている。砂漠にも雨季が僅かな期間ではあるがある。その僅かな期間に根が30センチ以上伸びれば,植物は地中から上がってくる水蒸気などを吸い上げて成長することが可能だという。実際,実験してみると1000粒中1粒が生き残ったとのデータを得た。2010年の春には,飛行機で種まきをして実験を進めている。砂漠の緑化が可能となれば,大変なことである。
 ただし最も肝心な技術・ノウハウについては決して外国に教えないことが重要だ。すべて教えてしまうことは国益の観点からしても問題がある。知的財産の面で優位に立つ必要があるからだ。善意には愛だけではなく,駆け引きも必要である。

(2)型破りの発想
 私が以前勤めていた(財)電力中央研究所は松永安左衛門翁(注2)が設立したところだが,松永翁はマクロプロジェクト的発想のできる人物であった。太平洋戦争に敗北した日本が戦後復興するのに,松永翁は「産業計画会議」を興してマクロエンジニアリングの課題を提案した。わが国はそれを実行に移して復興を果たした。
同研究所で松永翁の研究所経営を下から支えた人物に梅津照裕氏(当時,企画担当常務理事)がいた。本部企画部でそのような発想をトレーニングするプログラムができ,それに第一期生として私自身も参加したが,それは異分野の人間を集めて一つのシナリオを引き出す手法を学ぶにおいて非常に大きな収穫であった。
 梅津理事は,あるテーマについて調査報告書を作るときに,関係者を呼び集める。まず彼がテーマについて説明し,目次案について関係者から自由に挙げさせ黒板に記す。その後,彼は「第1章○○,キーワード」と言って列記し,「これについてはおまえが一番発言したから,第1章はお前がやれ」と指示する。この会議に参加した関係者はすべての内容について議論に参加しているので,定性的には内容について頭に入っている。そして2日後に各自の執筆原稿を持ち寄って読み合わせをすると,若干の修正でシナリオができるし,そのシナリオは参加者全員の知恵とアイディアの共有成果となる。
 こうしたことはカリスマ性がないとできない。日本の組織ではカリスマ性が育たない。みな下から一緒に上がっていくので,「彼は同期の誰々」と平面的に見てしまう。人が繁栄するのをねたんだり足を引っ張ったりしないで,素直にほめられる社会。そのような気持ちがでてくれば社会も変わってくるだろう。
世界の宗教者を呼び集めた「世界宗教者会議」は日本の仏教界が言い出したものだが,それがビジネスや社会のしくみに結びつくことはなかった。米国でも宗教家が集まって何か運動を起こそうとする。しかしそれがいいことをしようという呼びかけで終わっていることが多い。それを政府,社会,技術者などが受けて,具体化しなければ社会変革にはつながらない。
 大きなコンセプト,大きな事業,これらが人類に持続可能な成長をもたらし,日本を奮い立たせて経済成長につなげる,あるいは日本国民に大きな夢を与える。このことを自分でもできたらなんと素晴らしいことだろう。
 マクロエンジニアリングを実現していくためには,政府だけでも企業だけでもダメである。官民一体となって取り組む必要がある。とりわけ企業はCSRの一環として取り組む時代であり,それを市民社会が支持し,支援する。あるいは,市民活動を企業が支援するというものだ。こうしたしくみを通じて,マクロエンジニアリングが完成すれば,21世紀は必ず乗り切れるだろう。

3.日本の教育の課題
 かつての学力は「知識と計算力」であった。ところがいまは,知識はインターネットで容易に何でも入手可能だし,計算力もその原理さえ理解していればパソコンで十分できる。今人材に求められているのは,対人折衝能力と創造力である。
 この春,フランスとノルウェーから小中高の先生を呼んで,エネルギー教育に関するシンポジウムが東京で開催された。両国とも原子力発電を積極的に進める国なので,私は両国とも教育の中で原発推進を教えているのだろうと考えていた。ところが,そうではなかった。子どもたちが大人になって,原子力を含めて新たなエネルギー源について判断を迫られたときに,きちっとした判断ができるような力を身につけることが彼らの教育の目的であった。現在は原子力が重要だが,将来はどうなるかわからない。それゆえ原子力発電所に子どもを連れて行って,子ども自身にその長短所を調べさせて,発表・討論させる。それに対して先生は答えを導かない。それを知って日本は負けたと思った。
 正しく判断ができる基礎能力を育てることが何より重要だということである。昔は新入社員の教育は企業がしたものだが,いまは就職の面接で「あなたは何ができるか」と学生に聞くほどに,企業に教育の余力がなくなってしまった。現代社会は創造力をもとに提案していく能力が問われている。
 今の大学生を見ていると,とくに男子学生が精神的に弱いことを感じる。私は2年に一度,ゼミ生を外国に連れて行き,現地でホームステイさせ現地の大学の授業その他の活動をしながら2週間余りを過ごす。そうした状態に置かれると人間は,裸同然で自分むき出しとなる。自分をガードするゆとりもなくなり,開き直らざるを得ず,ここで初めて人間力がためされることになる。その経験を経ると,弱々しかった男子学生が大きく変化していく。
 ことに2010年3月に卒業した学生は「ゆとり教育」元年の子どもたちで,愕然とするほどひ弱になったと感じた。さらに学力も低い。おそらく全国どこの大学でも同じ悩みを抱えていると思う。これは教師だけで直すことはできない。体育系には友人と口論できないような弱い人はいないことからもわかるが,同じ世代同士で,ある一定期間どこかに缶詰になって訓練をすれば直っていくだろう。トヨタ自動車など有力企業が共同でつくった全寮制の中高一貫学校は非常に評価できる取り組みだ。このようなしくみをつくっていくことが喫急の課題だと思う。
豊かな社会のしくみづくりがこれからの課題である。心のしくみについては,いくつかモデルが出てきている。それは都会に住んでいるとなかなか見えないが,地方に行くと見えてくる。互にいいことを学びあえるようなしくみをつくることが求められていると思う。

(2010年11月9日)

注1 マクロエンジニアリング
あらゆる点で対立・矛盾を内包している開発と環境の問題をはじめ,技術と人間の共存の問題,エネルギー・資源・食糧・居住の問題などを,諸科学の総合により解決するもので,巨視的創造科学とも訳される。
注2 松永安左衛門(1875-1971年)
戦前から戦後にかけて,電力会社再編に大きな力を発揮し,「電力の鬼」と言われた人。福沢諭吉の門下生で,太平洋戦争の前の時代にいくつもの電力会社や鉄道会社などを創業した実業家。太平洋戦争に勝ち目がないことを説いたが,世の中や政府から聞き入れられないのを機に,戦争中は小田原の山荘にこもって茶三昧。戦後,マッカーサーに談判して,国策会社であった日本発送電(株)を現在の九電力会社(沖縄電力を除く)に分割して民間会社にした。また,民間シンクタンク,電力中央研究所を設立,晩年に2代目理事長に就任。