量の生産より質の生産へ,集中化より分散化へ(U)
―脳の情報処理よりみた次期社会の総合システム―

長崎大学元教授 川口勝之


はじめに
 「量の生産より質の生産へ,集中化より分散化へ」(そのT)においては,エネルギーおよび食糧生産を,太陽光と植物の葉緑素の生産機能,“環境の基礎生産力”および“太陽光の炭酸同化合成作用”の利用系として捉え,技術的,経済的見地から論じてきた。太陽光と植物さえあれば,地球の全人口が適当な数であるとき,地球村は未来永劫に食糧とエネルギーを生産し,全生命を育んでくれるからである(技術のサポートの仕方によって,その数は決まる)。何度も言うが,人類の年間におけるエネルギー消費量は,熱量換算すると植物が毎年生産するバイオマス量の十分の一に過ぎない。また,地球全体のバイオマスを熱量として計算すると,化石燃料資源の究極埋蔵量2兆バーレルの2倍以上のエネルギーを蓄積しているといわれる。
 国際社会が,日本に期待しているのは,「常に平和と文化を求める国の威信」であり,そのための技術力,経済力の切磋琢磨である。安定的で,尊敬し合える「対等な関係」の基盤をなすものは,「食糧とエネルギー」を他国に頼ることなく,自前で生産する国を創ることである。今ひとつは,精神的,感性的な面で,実験心理学に基づく科学の幸福感の追求と普及である。つまり「カネ」ではなく「人のつながり」こそが「幸福感」を高めることを示し,「量より質」の生産および生存を考えることである。
 20世紀の情報通信(IT)技術は,いわば「複製の技術」であり,グローバル化を促進し,金融資本システムを肥大化させてしまった。IT技術が,社会を平準化するものとして作用し,社会を高度化することがなかったのは,「複製の技術」を市場化に委ねたからである。では,どうしたらよいのか。
 自らの情動感覚で,まず「感じ」てその価値を認め他者と共感し,論理知能系を働かし想像を広げて思考を深める。そして最終的に再び情動系の再評価を経て,左脳および前頭葉により,すべての入力情報を筋の通ったひとつの「物語」にまとめ上げるのである。
 いま,地球上では,出生率と死亡率の劇的変化が生じており,「人口転換」の「世」となった。目下,世界人口は68億人であるが,今世紀末には98億人に達し,100億人には達しないだろうと予測されている。
 日本では,「少子高齢化」や「経済の縮小」にみられるような「安楽的な衰退」に向かう傾向が見られる「秋」に当たり,意志や目的をもった「全体論的デザイン」の視点から具体的な「優雅な衰退からの脱却,生産と輸出,内需から見た日本再生論」を考えることにする。


1.「モノの豊かさと象徴的貧困と生活の豊かさ」を結びつける知恵
 グローバル化や情報化社会が進展するにつれて拡大する「象徴的貧困」*は,とくに精神的無防備な子どもたちや若者に現れ,自然的な共生観念のない人工的なイメージの中で自我を失い,予想もつかなぬ事件や社会問題を引き起こすことになる。人間は,自己が作り出した世界を一体どこまで理解しているのか。人はやはり本能として,何か「原始的なもの」を求めているのではないか。感性的な言い方をすれば,外部情報と感情を統合する大脳辺縁系,および前頭葉の反応能力が非常に弱くなっているようにみえる。全世界を覆う何らかの閉塞感。財政再建や年金改革等を実施するならば,現在の負担が急増すると主張し,できもしない経済成長目標を掲げて「小さな政府」と外需依存になだれ込み,結果として累積債務を膨らませた日本。だが,一人当たりGDPが1万ドルを超えると,経済成長と国民の実感する幸福度の間には相関が薄れるという事実がある。米国は,その牧歌的な農業国を強大な金融国家に変換する道を選択し,一世紀をかけてマネー・ゲームを弄ぶ国となった。すなわち,「モノを作らない経済の限界」,それが今回の経済大変動の全体像である。
 経済発展は,物質的豊かさだけでなく,自然環境,生きる時間,生活空間を含めた社会・経済・環境等の質的充実が中心となるべきである。

*フランスのベルナール・スティグレールの言葉。過剰な情報やイメージを消化しきれない人々が,平坦化した想像力や、貧しい判断力しかできないようになる現象。文献6)参照。

1.1 “優雅な衰退”か?“質の成長”の世界か?
 人口減少と高齢化に伴う経済の縮小が避けられない中で,所得再配分により格差低減を図る福祉型社会,カネで測られる国民総生産(GDP)の成長を計りつつ「安楽な全体系の社会」,いずれを優先するかであるが,これらの構図は,まず除いた方がよい。
 地球上には,高度成長しつつ「持続する福祉社会」を実現している,北欧型の社会経済システムの国がある(ロベール・ボワイエ著,井上泰夫訳『ニューエコノミーの研究』参照)。
 例えば,デンマークは環境先進国である。貧困率(平均所得の二分の一以下の所得者の全体に対する割合)は世界最小,経済成長率も高い。@風力機械やバイオマスなどによる小規模発電所を全土に配置した分散形の低エネルギー社会,A車道と歩道との間に自転車道路を作り,「自転車専用道路」をもつ国である。コペンハーゲン環境担当者によれば,学生の三分の一は自転車通学という。真冬でも自転車通勤が目立つ。日本など比べものにならない環境重視国である。バスの椅子に座っていた乗客全員が「バネ」のように立ち上がって,乗って来た雪まみれの自転車を押した人に場所を譲る。
 デンマークは,80年比で70%増の経済成長を遂げる一方,エネルギー消費量は「横ばい」を維持する。教育の公的支出(6.6%GDP比)で最高水準である。「継続は力なのだ。やればできるよ」と日本の調査団に言っているそうだ。
 日本では,議論の対象にもなっていないが,経済成長ゼロの下でも「維持する福祉社会」は可能である。大量生産から「質の生産」への社会システムの遷移である。いずれ,人知の範囲内でも,各分野の社会的効率化が進展し,その最適組み合わせが追求された暁には,現象の移り変わりは飽和に近くなり,成長は停止することになる。否,それより以前に,環境の諸問題やエネルギーの枯渇,および水資源の減少ために,地球上の人類は闘争の絶え間ない発生と,気候変動あるいは食糧を求めて生きるための「ノマド,定住しない移動民族」が発生するかもしれない。先進国は経済が成熟して成長が鈍化し,工場や生産設備などの実物に投資しても大きなリターンは期待できない。それで実体のない投資に走り,ゼロ金利がそれを加速しバブルを生み,不良債権を生むことになる。これが現代のバブル崩壊が続いている主要因であり,全世界に「閉塞感」をもたらす。何かが「足りない」のである。これは,たぶんに体験的学習からくる「精神的なもの」の欠乏に違いないが,検討してみる必要がある。

(1)貧困率・経済格差,「信頼感」と「健康」
 広井良典によれば,個人,コミュニティおよび自然環境の相互関係によって,一人当たりのGDPがあるレベルを超えると,生活感と経済成長との結びつきが急速に薄れていくことを指摘している。経済成長が進んでもこの三者が調和していないと「生活満足度」が損なわれてしまうというのである。人間は,汚染された環境の下で手厚い福祉を享受するのも,清らかな環境の下で貧困な福祉を余儀なくされることも望みはしない。人はやはり,本能として何か原始的なものを(例えば,そのような音楽)を求めているようである。このような「モノの豊かさ」と「生活の豊かさ」の相関を裏づけるデータを示そう。
 貧困や経済格差で「不信感」や「不健康感」が増加するという興味ある試験結果がある。図1.1がそれである。
 日本福祉大学,三菱UFJリサーチ&コンサルティングらが,愛知県知多半島の高齢者を対象にした17,000人の価値ある調査データである。1950年当時,自治体で分けた計25地区ごとに所得格差を示す「ジニ係数」と,地域の絆を示す「他人への信頼感」の程度や,自己の健康状態(主観的健康感)などの相関関係を分析した。
 「ジニ係数」というのは,所得を中心に不平等率がどれだけあるかを計算で出す。前に述べた「貧困率」と併用して評価される。0から1までで評価し,0は平等で格差がないこと,1はただ1人に所得が集中していることを意味する。
 図1.1によると,ジニ指数が大きくなり,格差が大きくなると,「人は信用できる」とする他人への信頼感を肯定的に示す回答は低下する。格差の開きは,ジニ係数で0.26から0.41となっている。他人への信頼感を示す度合いが,1%上昇すれば,自分の健康状態を悪いとする回答は平均で0.9%下がる結果もわかっている。ジニ係数が0.01増えて格差が大きくなるごとに,「人は信用できる」とする他人への信頼感を肯定的に示す回答は,平均1.4%ずつ低下し,自分の健康状態を「悪い」とする回答が,平均0.6%ずつ増える結果となっている。
 所得格差が増大すれば,住民の「他人への信頼性」および健康に悪い影響を与える可能性が示されている。つまり,社会生活における人間の信頼感や格差の少ないことが,ひとりひとりの生活や健康にとって重要な基盤となることを物語っている。注目すべきは,貧困者に限定して現金を給付している国(米国,英国,日本)では,格差が大きく,かえって貧困が拡がっている。貧困者向けの生活保護給付の少ないスウェーデンやデンマークなどスカンジナビア諸国は,格差と貧困ははるかに少ない。日本の貧困率は,80年代の7.3%に対して,15.4%に急増し,先進国中貧困率最大の米国に追従しており,デンマークは世界最小4.3%である。社会サービス,つまり医療,教育,育児や養老など生活重視形サービスを提供することが,結果的に格差や貧困を解決するのである。逆に,このような社会サービスが少ないと,貧困者向けの生活保護給付が膨らむ。総合力として日本のピークは,80年代であり,いま,国際競争力も27位に低落している。

(2)格差と地域の絆とIT技術―恨みを残さぬ勝ち方―
 典型的な情報通信技術(IT技術)は,「複製の技術」である。電信,電話,ファックスもメールも,インターネットも,映像も,時間と空間に対して言語やイメージを複製し,発送し続けている。情報の伝播のみならず,「モノ」の生産においても,コスト低減のため複製を複製し続けている。自動車,家電,航空機の生産などは,その典型的な例である。このIT技術が社会を平坦化するものとして作用し,高度化することがなかったのは,「複製の技術」を市場に委ねたからである。
 情動的な知能(感性)が放つ,適正な方向性のある働きは,自然的な要因(市場)以上のものをなすことができる。この対応策は,政治の領域に「目に見えない抽象的な市場(しじょう)」ではなく,「市場(いちば)」および「IT利用の分散形共生技術」(文献1,6参照)を取り込むことである。
 資源の臨界,環境の臨界を克服するためには,「消費化」と同時に進行しつつある「情報化」の徹底によって,理論的に乗り越えることが可能である。つまり,ジニ係数解析にも示されるような「他人への信頼感や幸福感」の如き「情報価値」を自覚して感受し,それが行動を支配するようになれば,物質的な「モノ」を消費しないで満足が得られるわけだから,資源の限界も環境の限界も超えることができる。そして世界は少しずつその「適正な方向」に向かっているようにも見える。
 例を挙げると,ミレニアム世代の若者たちは,「これからの世代は,前の世代より暮らし向きが良くなることはない」と推測しているようである。将来への期待値は低くなっている。私たちはこれまでの世代よりも,ぜいたくなことを少し抑えた暮らしに慣れるべきであろう。また,地域奉仕活動は彼らにとってごく当たり前のようになっているのは,その一つの証左のように思える。
 それは心理面での大きな転換である。時間はかかるだろうが,多くの人が質素なライフスタイルが実は生活を豊かなものにすると,必ず気づくことになるだろう。機械開発設計の鉄則は,Simple is bestでもある。それが故障も少ないし,美しいのである。
 それから「有限性の壁を乗り越えられる」今一つの根拠は,情報の魅力性ともいわれる「社会の魅力性」である。中東戦争のような恨みの連鎖に陥っている昨今,軍事力で決着をつけることは,ベトナム戦争でもわかるように解決には至らない。第三次世界戦争ともいわれる東西両陣営(米ソ)冷戦の終末のあり様は,実に興味ある物語でもある。これは米国の軍事力で勝ったのではない。東ドイツの民衆が「ベルリンの壁」を破り,東欧で連鎖的な反応が生じて,東側政権が次々に倒れ,遂にソビエト連邦自身も民衆が,古い共産党支配を打ち破ったのである。西側が勝利した理由は,情報の質と量と消費水準の高さにある。ベルリンの壁を打ち破った東ドイツの人々は,遂に西ドイツと合併し,あこがれの豊かなショーウィンドーのあるところへ行ってみた。しかし,それは全部ショーウィンドーの向こうにあるだけで金がないと買えない。それでも前よりはずっと魅力があったのである。それは,本質的に西側は軍事力で勝ったわけではなく,情報の質と量および消費の水準,つまり自由な社会という魅力で勝ったのである。この社会魅力性が決した冷戦の勝敗は,恨みを残さぬ勝ち方であり,現在の第四次戦争の終わらせ方にも参考になるであろう。アラブ諸国とイスラエルの対立も今は貧しい人たちが,自らテロリストなんてならないと思うようになれば,恨みを残すことなく戦争を終わらせることができることになる。
 この「有限性の壁を乗り越える情報的価値」は,次のように定義することができる。
 情報というのは,生きているシステムにとって,意思決定の知らせであり,意味や価値をもっている選択因子のことである。この外的信号に対して「価値」「意味」を見てとる能力は,「脳」の自己組織能力であり,早く「餌」を見つけるというような,生物の生存のために必須の条件となる。このような能力が「感性」である。「感性的技術・デザイン」は,科学技術の指導原理を飲み込み,それを表現,現実化するための方法や道具であり,「物にする」という意味からいえば,すべての関連部門を包含して,新しい「価値」のあるものを実現するものである。したがって,そこには「最適化」「調和」「生きるものとの共生」という思想や精神性が導入されて,文化的にも高められる可能性を有しているのである。
 このように「情報」という概念が導入されてはじめて科学技術に「精神性」を包含し,定量的にも表現することができるようになったことは,注目に値する(文献6参照)。

(3)日本的「感性」や「身体知」を取り戻そう
 21世紀の最大の問題は,間違いなく環境問題である。これについて,いまだ課題解決の明確な見通しはない。しかし,たとえ明日はわが身が「ガン」で死滅するとわかっていても,今日,一本の木を植えるという精神は,人間の尊厳と生き方と覚悟でもある。
 それは体験的学習によって培われるものである。例えて言うと,人間は自分ではどうすることもできない,しかし暖かいもの,母の愛や故郷の山や川,これは自分よりはるかに大きく,頼もしい父親の背中の思い出のようなものである。人間はそのような心情的なものを,論理と一緒に脳の情報処理系として記憶している。それらが自覚なしに何かのきっかけで「ひらめき」として,又は「アイディア」と共に出てくるのである。
 だから体験的学習は頭で考えることではない,「感じる」ことである。自然との交感,心情の交感といってもいいだろう。私はそれを「身体知」と呼んでいる。マジックのようなピアノの上の指の動きもそうである。つまり「体」で覚えるということだ。感性にはそういう面がある。その上に初めて人格が形成されるのである。
 かつて米・ケネディ政権が「神童」を集めて政策決定集団を作ったが,ベトナム戦争の泥沼化を見抜くことはできなかった。現場の自発的な潮流に逆行したからである。現在のイラク戦争も同様である。「これは危ないな」という感性を欠いた論理偏重主義の失敗例は,歴史を見ても少なくはない。失敗例のほとんどは,「過度の恐怖」と指導者のミス判断によるものである。
 環境問題も同様で,単なる倫理・道徳観ではなく,「気づき」とか「目覚め」につながる体験・身体感・体得が必要なのだ。そしてその知ることや発見は,自分とその存在世界の見直しと肯定に結びつき,尊厳と倫理意識を醸成させ,生き方を変える力となる。
 日本人は昔から大自然に畏敬の念を持ち,もののあわれ,いさぎよさという生死観を持って,自他を超えて志に準ずるという伝統的な生きざま,感性を古来から伝承して来た。そこに込められた感性や身体知を取り戻す必要があるのではないか。

(4)身体知とミラーニューロン
 脳科学的な表現をすれば,この「身体知」は,熊谷晋一郎によれば「身体内外協応構造」と呼ばれている。体の中のたくさんの筋肉構成の筋原線維は,ひとつひとつ脳に指図されて動くわけではない。自律分散制御的に自前で適当に動くようになっている(参考文献6参照)一種のリズム発生機みたいなものだ。
  それが場合によっては,緊張して「こわばり」を生じることがある。この「身体内協応運動」を助けてくれるのが,「身体外協応運動」であり,ミラーニューロンがその主役となる。つまり,人間は他人のしぐさを目にすると,脳内で自分もそのしぐさをするのに必要なしくみが働いて,他人の「運動事象」の意味が解読でき,予見し真似するようになる。鏡のように作用するミラーニューロンの働きそのものである。あらかじめ逐次的なプログラムが組まれているのではなく,自分の動きと他人の動きと上手に「気が合ったかけ合い動作」が完了する。武道や柔道の立会いは,もともと命をかけて動きのやり取りをする。そこには身体内外の協応構造がまさに「体現」されるのである。


2.「ルールのない市場」
 そもそも社会システムであれ,競技であれ,何であれ,ルールを持ち合わせてない体制は,法律のない国家みたいなもので崩壊する運命にある。2008年の米国発の全世界の経済大変動は,その典型的な例である。それはまた,「生産」と結びつかない「モノを作らない経済」の限界といってもよい。本質的に「信頼性」「確実性」のない市場経済となるからである。ルールがないまま市場を拡大することは,神が指摘されているように「バベルの塔」と同じ宿命をたどる。それを自覚していて,「金儲け」に走るというのならば,まさに「サタン」の行為である。
 経済的豊かさの源泉は,自然資源を十分に保有しているか否かでもなく,人的な資源を育て上げ,いかなる制度設計を整えたかによる。自然資源の乏しいスイスやルクセンブルグの経済的豊かさや,面積の狭い香港と広大な資源の豊富なロシアを対比してみるがよい。
 日本のように経済先進国でも,市民の文化や国民の教育内容が劣化していけば,経済の挙動,パフォーマンス自体も,またたく間に貧弱化する危険性を有している。猪木武徳は,「戦後世界経済史」でこれを警告している。
 国内総生産(GDP)に占める「教育」支出の割合(07年)は,OECD平均が4.8%,日本は3.3%で比較可能な28カ国中最下位。05年が最下位,06年がワースト2位である。一体この国の政治家・官僚共同体は,この国をどんな国にしようとしてるのか?これに対して,やはり北欧諸国は“知的な国”の印象通り上位を占めている。
前記の金融危機の“主役”たちを教育した,世界で著名な「ハーバード・ビジネス・スクール」(H.B.S.)を見てみるがよい。ここには,フィリップ・D.ブロートンによれば,「不幸な人間の製造工場」という副題がつけられている。

2.1 「日本はどこへ行こうとしているのか」
 遅かれ早かれ,われわれは資源や環境の制約によって,行為や生活のやり方を大きく変えねばならないであろう。終戦後のあの国体の大変動を経験した人々にとっては超えられない試練ではない。世界のモデルになるような「豊かな低エネルギー社会」。国家と市民の間にコミュニティ社会を再構築して,つまり地方が消費と無縁な分散形共生技術を競い合う,分散形社会に日本は進化していくだろう。つまり,需要と供給がバランスした「生命システム」社会への変遷である。低エネルギー社会は,当然のことながら,食糧のみならず,エネルギーも「地産地消」でなければ成立しない。

(1)内需の分散形基本産業の確立
 日本はこれまで「食糧」と「エネルギー」は,外から買えばよいという国を選択してきた。50年代,60年代の80%の食料自給率は,その後ひたすら低下し,98年にはその二分の一以下となった。人口1億2700万の日本の穀物生産量は,1000万トン程度である。人口6000万人の英国は,日本の三分の二の国土で3000万トンの穀物を生産している。工業国のイメージのあるドイツは,8200万人の人口で5000万トンを生産し,日本の10倍以上の人口をもつ中国は,日本の50倍の5億トン強といわれる。ここで注目すべきは,これらの国々の国内総生産は,世界上位に入る経済大国である。欧州には「農業をおろそかにする国は滅びる」という考え方が定着しており,とくにフランスなどは,農業を犠牲にしてまで経済大国になろうとはしなかったのである。これらの事実が示すことは,日本の政治・官僚共同体の日本再建理念とその立案能力の低下とみなしてよい。究極のところ,日本国民の目的と手段の区別がつかない“思い上がりと依存体質”を反省すべきであろう。
 これからの日本は,生体システムに順ずるプロセスによる方法論を適用し,生物生産主導形産業を内需形産業の基本に据えて,「需要と供給」のバランスのとれた「エネルギーと食糧」の生産をゆっくりと末長く,続けていく国になるべきである。これが結局,平和と環境問題の解決につながる「しなやかな方法」である。この「方法論」の詳細は,拙著『地球環境システム設計論』および『人間の内面的な感性の表現の研究』に示されている。
 「エネルギー生産」については,「量の生産より質の生産へ,集中化より分散化へ」(T)に説明されているが,「環境」「食糧とエネルギー」「都市形態論」を含め,これらをすべて「情報通信技術」により最適調整する「全体系」が望ましい。
 例えば,高圧発電網をなくするスマートグリッド(賢い送電網)と,端末としての太陽光発電,風力発電およびリチウム・イオン電池の最適エネルギーシステムを考えよう。移動というサービスを提供するネットワーク端末が,「電気自動車」である。電気自動車は,1回の充電で100キロメートルは走れる。空になった電池は,そこに充電設備があったにしろ,数十分の充電期間が要る。電池のレンタル・サービスなどいろいろ考えられるが,望ましくは社会全体のインフラ整備を伴う「交通システム」として,電気自動車全体をレンタルにした方がよい。
 パリで人気の貸電気自動車「ウェリブ」は,もうすでに実用化されている。停車場ではいつも充電設備につながれ,残り電力は常にネットワーク上で監視され,スマートグリッドの中で送電損失をなくすための分散形電力バンクとして機能する。いわゆる電気自動車は,単体の移動機械としてではなく,新時代の社会システムにふさわしい「移動・物流」というサービスを提供する端末としての電気自動車となる。自動車を単体で所有するなんて,ちまちました時代は移りつつある。稼働率が小さい風力・太陽光発電は,リチウム・イオン電池のIT技術制御により,出力平準化できることはいうまでもない。

(2)世界の国々との関係性の成立
 国家の品格と発展を支えるのは,世界史の先端を行く価値観と文化,教育力と政治システム,および技術力と経済力である。日本はいま,議院内閣制の限界に直面しているように見える。統治システムが,地球世界史の発展に追いついていけない状況にある。
 第二次世界大戦後の日本は,アジアでは最も早く民主主義と日本的至上主義を実現し,平和,人権尊重の政策をとり,経済成長を果たした。日米同盟の成果として,世界史上の最先端を行く価値観と政治システムを導入してきた。
 フランスのジャック・アタリが言うように,「日本は世界の覇権とか,リーダーを競う姿勢はない。アイディアを外国に求め,日本流に作り変える」国である。これは極めて頭のよいやり方だ。日本は,米国・中国のように覇権を競う核大国ではないから,「日米中の正三角関係」には成り得ないが,89年の東西冷戦の終結以来,目標を見失い技術力競争,経済力は言うに及ばず,日米同盟も漂流・低迷しているように見える。
 資本主義と戦争については,次章で述べるが,戦争とか紛争はなぜ起きるのだろうか。古代のギリシアの歴史家も最近の研究家も述べているように,「過度の恐怖に加え,指導者の判断の誤り」が原因であると明らかにしている。現代から過去に遡ると,ブッシュ前大統領のイラク戦争から,湾岸戦争,ベトナム戦争,朝鮮戦争さらに太平洋戦争も,いずれも過度の恐怖と指導者の判断ミスが原因であると言ってよい。国家の運命を誤らない外交力が肝要である。幼稚な外交摩擦は,この「国の尊厳」を不安定にし不信を招く。「対等」とは,お互いに尊敬し合える関係を構築することである。「対等な関係」の基礎となるものは,「食糧やエネルギー」を他国に頼ることなく,自前で生産できる国を創ることである。
 世界の総人口の2割にも満たない先進国が,残りの8割を占める開発途上国から資源を安く買い,高い製品を売る。これがこれまで社会を支えた資本主義システムの原理である。これがうまく機能し,先進国は,1980年代まで生活を享受した。ところが,成長の鈍化に伴う主要企業の利潤低下,燃料・原料・粗鋼生産の停滞により,70年後半をピークに停滞期に入った。実物投資で利益が上がらなくなれば,市場投資に金が回るようになる。近代化競争の先頭を走っていた日本と米国は,80年代後期に土地バブル,ついで米国も90年代後半,金融の領域でバブルに走り,崩壊したのである。

(3)「失業率」と「自殺率」の改善のために
 日本人の団体尊重は恥の文化と表裏一体だと言われる。感性的な表現をすれば,冷たい社会だと思われている米国は,本当は「日本よりずっと温かい」とハーバード大学のM.E.アベは言う。米国には個人を人格として尊重する社会的素地があり,個人よりも家族,学校,会社という団体を重んじる日本(いわゆる恥の文化)とは,大いに異なっている。  ヨーロッパ諸国,とくに北欧,デンマークのような国では,自由主義的な市場と大きな福祉国家の機能が共存している。国家の福祉機能が小さい米国では,北欧で国家が果たしている社会維持機能を,大きな非営利部門のような団体が担っている。例えば,フォーチュン上位500社の寄付行為のみで,日本の科学技術研究費とほぼ対比できるというのだから驚きである。米国社会では,市場・事業で失敗した人でも排除しない仕組みが残されているという。福祉社会では,宗教的な慈善団体のみばかりではなく,宗教と関係なく活動している団体も多いと聞く。
 欧米のような社会的な素地のない日本において,グローバル市場化と国家の福祉機能の削減を同時に進めることは,自殺行為を促進させるに等しく,国民の不安を煽るだけである。
 凄まじい勢いで“鬱化”しているといわれる日本社会では,自殺者が年間3万人以上にも及ぶ。国際的に見て驚くほど高い自殺率(交通事故による死亡より一桁高い)が,続いているというのは個人を大切にしない社会の裏返しではないのか。かつては,“日本人の団体尊重”性をうまく利用した政治主導形の高度成長の安定した時代があった。このように国力というのは,一部の富裕層で決まるのではなく,大多数の中流平均層で決まるのである。いま55〜80年代当時の「一億総中流化」の社会構成が崩壊し,そのような「自己評価」を与えてくれない“感懐”の国になった。
「少子高齢化」も決して「これ」と無縁ではない。再成長局面になっても,製造業の多くは,既存の正規雇用者の残業増と,海外での生産力の拡大で対応している。失業率も改善され,企業の生産性も上昇するのに,なぜ企業は残業代を大幅に上げても国内の正規雇用を増やそうとしないのか。「雇用なき景気回復」は,中長期的には企業の衰退につながる。もともと日本の技術者や労働者には,ある程度の「気概」や「美的満足感」にこだわるところがあり,完全主義の情熱をもって,新しい「モノ」を作り出し,生産することに誇りをもっていた。これが「モノ作り大国」に発展した要因である。不況なときにも,この「失業率5.1%」を維持しているというのは,「強い国」を意味する。
スペインの失業率は,2009年9月に19.3%に達し,フランス10%,米国9.6%と欧米はとても厳しい。ところが,EUが行なった最近の世論調査によると,失業者の56%が「くらしに満足している」と答えている。パリのルーブル美術館では,窓口で「失業者無料」を見つけることができるし,イギリスの大英博物館など主な国立の美術館,博物館は誰でもタダである。芸術や歴史に触れる権利まで,不況が奪ってはいけないというように,共生のやさしい心遣いが社会のあちこちに生きているのである。
これは新鮮な「驚き」である。ファッション,アニメ,日本食,茶道,華道,武道,観光など,日本の文化価値を背景とする産業群の育成,つまり「質の成長」が今後の目標に成り得る。

2.2 資本主義経済の遷移
 何につけ,過去の歴史,事例を調査してそれを検討・評価し,将来の構想につないでいくというのが,合理的アプローチの常道である。
 「平和」ということを中核に据えた社会学者・見田宗介(東京大学名誉教授)や,対日政策形成にも影響を与えるといわれるダニエル・オキモト(スタンフォード大学名誉教授)の見解は,感性的洞察力において優れている。金融危機に至っても,現象の構造解明なしに予測がなされても無意味で空しい。

(1)戦争と資本主義
 60年代頃から資本主義の構造が変わってきたが,20世紀全半くらいまでは資本主義はおよそ10年ごとに恐慌が起きて,それを避けようとして戦争が起きている。最初の恐慌が1907年頃に生じ,その7年後に第一次世界大戦が始まり,講和条約が結ばれたのが,1919年である。それからちょうど10年目,1929年に「世界大恐慌」が起きている。さらにその10年後の1939年には,今度は第二次世界大戦が生じている。
 要するに,10年毎に大戦争がありその後の「経済大危機」が避けられていた時代があり,それが20世紀の中ごろまで続いた。
 技術革新などで生産性が高まれば,需要の増加には時間差が大きく,また社会構造にもかかわってくるので,必然的に生産過剰に陥ってしまう。あらゆるものを破壊する戦争は,巨大な需要を創生するから,それを解消することができる。つまり20世紀前半くらいまでは資本主義は経済恐慌を避けるために戦争を招き寄せたのである。

(2)需要と供給
 しかし,1960年代頃からその様相が変わってきた。資本主義は戦争に代わるうまい仕組みを開発した。ケインズによる大規模公共投資ともう一つは“消費化”である。つまり“需要と供給”の拡大構造である。
 需要の有限性を打ち破る無限空間は,定期的に生産デザインのモデルを変え,流行によって買い替え需要を創出することで乗り越える戦略である。20世紀後半において,一応この二つの方法で資本主義は成功したかに見えた。
 ところが,この“大量消費化”によって需要を拡大し続けることにより,大量資源採取,大量生産,大量消費,および大量廃棄のサイクルが生まれ,必然的に資源の限界,環境の臨界,自然天候の変動という現代の現実の大問題に直面することになる。地球は経済学が暗黙的に認めているようにな“無限大”ではないのである。

(3)危機を平和と共存で乗り越えた国
 60年代の10年間に,米国,日本,EEC,英国の四大資本主義国が,世界貿易に占めた分け前をどれだけ増減させたかを見ると,面白い結果が出る。日本の伸びが一番大きく,次いでEEC,それから英国となっている。最も凋落が大きいのは米国である。これを国民総生産(GDP)に対する軍事費の割合の相関から見ると,見事に逆の相関が見られる。すなわち一番軍事費支出の割合が大きい米国が最も落ち込み,最も少ない日本が最も伸びている。EECが次いで,米国の次に軍事費比率が大きい英国が二番目にシェアを落としている。60年代では軍事費の少ない資本主義の国ほど栄えるという逆転が生じている。北朝鮮などの実情をみるとき,いまもこの傾向は大きな失政がない限り,変わらないだろう。つまり,日本の経済は,憲法9条のおかげで繁栄したのである。
 世界は1982年から2008年までの四半世紀にわたり,ダイナミックな成長を享受した「黄金時代」だったと言える。2008年のリーマン破綻をきっかけに「黄金時代」は内部から崩壊した。世界経済は,1929年の大恐慌以来のパニックとなり,世界経済が崩壊の瀬戸際で揺れる「世界大変動」と「バブル崩壊の連鎖」の時代を迎えた。


3.危機の中で未来を考える
3.1 「モノ」を作らない経済の限界
 この経済大不況が起きた背景には,まず膨大なまでに持続不可能な資本の不均衡が生じたことがある。米国の支出が制御不可能となる一方で,世界の消費は不十分なまま推移した。更に米国債の売買を通じて膨大な資本が日本や中国から米国に流れ込んだ。
 米国流の「利益を求めて利用できるものは何でも利用する」とする怪しげな「金融工学」の申し子,金融商品も引き金となった。本来,デリバティブ(一連の金融派生商品)は,リスクの軽減を狙ってリターンを最大化するものであったが,実際はリスクを拡大し続け,グローバルな債務を危険なレベルまで引き上げる結果となった。
 このうち最も毒性の強いのが債務担保証券(CDO)やクレジット・デフォルト・スワップ(CDS,債務不履行)などで,「金融の大量破壊兵器」と呼ばれた。米国の金融当局(FRB)は,こうした商品の急速な拡販に伴って生じる制度的なリスクを十分に監視,規制することができなかった。日中は,米国債購入をやめられないし,保有ドルの処分もできない。地球規模の資本の不均衡は,当面是正される見込みはない。
 著者の見解では,この「大恐慌」は,「モノを作らない経済の限界と倫理と価値の危機」と考える。金融は経済を支えるべきものであり,金融商品がサービスや経済を回すより,「モノづくり」とリンクして社会のしくみや金融商品化やサービス向上をさせることが,全体の社会ポテンシャル(全体系のパイ)を引き上げるからである。米国は安定の維持を望むなら,享受してきた「金融面での世界支配」から脱し,新たな市場を提供する新興国家とどのような関係を構築できるかにかかわっている。同じ疑問は日本にも,欧州にも問われるものである。
 21世紀もすでに10年代に入った。経済への国家介入を最小限にしようとする新自由主義(ネオリベラリズム)は,異論を許さぬ金持ちに好都合な新しい「神教」と言われている。グローバル時代の新しい生き方を身につけるには,10年という歳月は余りにも短か過ぎたのかもしれない。
浜矩子(同志社大学教授)によると,中央銀行の総元締めであるBIS(国際決済銀行)が警告を発し、世界の大手金融機関が再び利益を求めて,過度のハイリスク志向を強め,世界は早くも再びリーマン破綻前夜に戻りつつあるというのである。「損したらどういう手段でも取り戻す」という思いがそうさせるのであろうが,これはとりもなおさず,「金融システム」のみを肥大化させてしまった,市場化されたIT技術の利用系なのである。一瞬のうちに金融・資本がどこにも送れる,顔のない金融システムを利用して,ゲームの如くあるいは例題を解く如く,それを弄ぶ「業」である。つまり現実社会と仮想社会を絶え間なく行き来して,結局は泡と消えてしまう運命にある。それは,人間はグローバル時代というものとの付き合い方,処世術をまだ見につけていないからであろう。
 「不幸な人間の製造工場」と呼ばれている米国式経営学から脱却し,集中化から分散化へ,量の生産から質の生産への遷移が肝要である。
 さて,次の10年はどうなるのか。グローバル版“失われた20年”となるのか。

3.2 財政再建と経済成長
 注目すべきは,米国,日本,中国間の共生関係の流動化だ。米国での消費の減少は,経常収支の赤字を減らし,中国と日本に対する米国債購入の圧力を少し弱める。これから成長しつつあるアジア各国の市場が,日本の輸出先となる。そしてインドやブラジルなどの環太平洋圏の新興国家が全体として世界の経済成長の大きなロコモティブとしての役割を果たすことになる。
 財政再建を行なうためには,まず景気をよくすべしと言われる。問題は,公的債務(国債)の国内総生産(GDP)に対する割合である。これをある水準以下に封じ込めれば,財政は破綻しない。つまり金利より高い成長率を達成すればよい。日本の場合,公的債務のGDP比は,IMF(国債通貨基金)によれば,2009年は210%だそうである。公的債務から政府資産を差し引いた純債務残高でも105%となる。
 ところが,ハーバード大学の財政学の権威ケネス・ロゴフ教授らの最近の研究によれば,公的債務のGDP比が90%を超すと,その国の成長率は平均して約4%低下すると報告されている。これは44カ国の財政史を200年にわたって精査した結果といわれる。
 これはまさに重大な提言である。冷静になって考えてみると,借財というものは危機(負の精算)に対応するものであって,これが累積すると事業の拡大などありようがなく,まず債務を返還してから成長に向くことは,常識で分かる“体験的学習”である。平均4%も成長率が押し下げられるとしたら,日本はプラス成長ができなくなる。国債を発行すればそれだけ低成長国家となり,ここ1,2年もその影響が出ているのかもしれない。国債を増発して成長を目指す時代は終わった。

3.3 人口減少と高齢化に伴う経済の縮小は避けられないか
 少子化には,雇用の不安定化,晩婚化,未婚化,育児サービスの未整備,婚外子に対する社会的差別などがあり,いわゆる生活基盤,社会構造の有機的,かつ情動的な向上をひとつ,ひとつ改善する以外にない。しかし,日本の少子化対策では,これらのみでは不十分である。日本的家族関係(甘えの構造)などによって,子どもが自立できず,結婚できない若者が増加している。欧米では,同棲による婚外出産が非常に増え,結婚の要因はあまり論じられていないが,日本の場合は出産はおしなべて結婚による。格差社会となり非正規労働者が増え,結婚に踏み切れない側面もあるが,たとえ経済が回復しても,おそらく結婚する可能性は低いのではないか。
 出生率の上昇については,フランスが成功している(1994年以降規則的に上昇し,2005年1.94,2006年2.0)ので,徹底して真似することである。「箱物」や「平物」(道路や空港)に対して,ソフトな面を多分に含むから格段に割安で人間性にあふれている。育児や介護サービス,社会人教育の充実により,女性と高齢者の就業率向上を通じて労働力減少を補完する。社会はもっと高齢者の分別と知恵と「技術」を,さらに女性の男性にない「感性的な能力」を利用すべきである。
 著者ら(企業OB)は,長崎の地で「高齢者支援研究会」を長崎大学と共同で組織して,具体的に「身体障害者用の食事支援ロボット」の開発や,「階段,坂の街・長崎」の「高齢者用移動装置」の設計・開発・製作などを進めている。昨年は,日本機械学会の依頼により,「小・中学生の模型飛行機製作・競技大会」を九州各地で開催し,親子ともども楽しくかつ緊張した日々を体験した。
 我慢ならぬことは,少子高齢化で「出生率」の増加を呼びながら,非正規社員労働者(労働者全体の三分の一以上といわれる)制度を成立させた矛盾である。人口が少なくなるときにこそ,人材資源を育て上げ活用せねばならぬのに,これでは「人材不足」に陥り,労働の熟練度も上がらない。このような労働条件では,誰が子どもを生み育てようとするだろうか。この両者の相乗効果は,日本を三・四流の国にするだろう。いま世界では,開発途上地域を含め,世界各地で出生率が予想を超えて低下し始め,2045年頃には,人口増加率が0.3%まで低下するとみられている。
戦後日本は,「破壊から創造」への典型的なモデルとして,国民全体で「日本形成長モデル」を構築し,世界のお手本となった。時は変化し「人口転換」の時代となった。日本は「少子高齢化日本モデル」を再構築すべきか否かの選択を迫られている。図1.2に示したように,「戦後の再生」を見れば,いずれの再生モデルでも「やればできる」はずである。
 例えば,保育所整備の費用対効果は,子ども手当て給付よりはるかに優れていることが,東大公共政策大学院が適確な時期に成果を示している。この結果は,経済学の数値シミュレーションがよく現実離れした「前提」の下に「使いもの」にならない結果(まず検証がない)を出しているのに対して,適応妥当な「仮定」から求められており,信頼がおけるようである。子ども手当ての満額支給をやめて,保育所整備に回す政府の新方針はすぐ実行に移すべきである。このような数値的結果は,必ず現実の成り行きと比較して検証すべきであり,それが科学技術の進める基本方針となる。


4.環境対応形製造業と内需形産業,および輸出形製造業の遷移
 経済成長実現のためもう一つの大きな要素が,環境適応形テクノロジーである。再生可能エネルギーや代替エネルギー,高度なエネルギー効率の原動機,先進エネルギー・インフラ,風力発電,太陽光利用による都市エネルギー・システム,廃棄物利用・処理,バイオマス利用の食糧およびエネルギー生産システム,効率的な物流・輸送手段など,まだ幾多の候補システムが挙げられる。
 地球温暖化の封じ込めに弾みをつけるためにも,米国は日本の全面的な支援と積極的な協力が必要だ。日本の国益は,米国の力の低下のぺースをできるだけ遅くさせることにあり,そのためには医療制度改革や環境対応形テクノロジーの促進に協力して当たることが理にかなっている。
 今回の「世界大変動」は,世界的に決定的な転換点になりうる。米国がこれまで長い間享受してきた金融面での世界支配を失うこともあり得ることである。日米は協力して,できれば欧州の参加を加えて,世界全体の脱石油社会体制,およびガンの克服などの最先端の研究開発の共同プロジェクトを推進すべきである。

環境適応形技術および輸出形技術の展望
 これまで日本は,世界より原料を安く輸入し,高付加価値製品を作り拡販するという輸出依存型の経済成長に頼ってきた。このような国家間の貿易というのは,比較優位に基づいている。工業化の段階に開きのある国同士の間では,貿易はうまみがあり相互に利益をもたらす。日本と米国では同程度の発達段階に達しているので,両国間の貿易は以前ほどの利益を生まなくなっている。日本はすでに対中国輸出が対米輸出を上回っている。日本はいまや米国よりもアジア各国の成長市場から大きな利益を得る立場になっている。
 フランスのジャック・アタリが言うように,中国には,これまで国を超えた普遍性がなかった。インドは民主主義は育ったが,いまだ市場が育った状態ではない。日本は世界のリーダーになる姿勢は見られない。アイディアを外国の求め日本流に作り変える。米国の世紀の到来かと思われたが,“金融に対する世界支配”の夢は崩れ,これも予想されたことだが,米国を代表するグローバル企業や各種製造業は自らの範囲を縮小し崩壊した。
 日本にとって見れば,この歴史的な変動の影響は比較的軽く,自らの活動を広げるチャンスでもある。米国との関係は時として閉塞感を伴うが,その関係からある程度距離を置くことができる。アジア全体との経済的,技術的なネットワークを多様化し,オーストラリア,インド,インドネシア,ベトナム,ブラジルなどとの関係を強化することもできる。
 エネルギー消費の最も少ない文化的・外交的存在感のあるフランス,自然体で東西統一をなした(朝鮮半島の現実を見よ)偉大な技術の国ドイツ,経済成長と高福祉社会を実現した,格差のない環境立国スカンジナビア諸国,絶対に戦争しない国スイス。日本の政治家・官僚共同体が手本にすべきは,ヨーロッパであって,力でしか解決できない米国ではない。なぜなら,ヨーロッパは二度の世界大戦における壊滅的な悲劇から,ミメティズム(他国もやっている主義)では,何も解決しないという,“悩む力”を保持しているからである。

□日本企業の課題
 日本企業は,環境適応形技術および輸出形製造技術において,外貨を稼げる産業群の開発に専心しなければならない。日本企業のグローバル展開における課題は,世界市場を視野に事業を運営・展開できる人材層の薄さがある。政治家以上に,「技術力」のみならず「志」が肝要なのである。そして国内で培った強みを日本人が海外に移植するという「日本発のグローバル化」を推進する。
 このためには,技術的には複数分野のネットワーク化された最適構成技術の「デザイン」が重要である。日本はコンポーネント(単体製造技術)の設計・製作,例えば,風車,太陽光発電,各種の海水淡水化技術,波動ポンプ,水処理技術など製造単体の製造技術は得意だが,これを総合化した戦略的な最適技術の構築はいまだ未熟である。例えば,既存の発電プラントと代替エネルギーや再生エネルギーと組み合わせたコミュニティ形の配電事業といった分散形エネルギー・システム全体を提供する。電気自動車と資源循環形エコ・シティの開発,新・新幹線を中心にとらえた安全運転,物流,運行事業,および水処理技術,海水淡水化技術と水道・水浄化製造の分散化システムなど,同種のさまざまな発想とその実用化展開があり得る。
 海水淡水化技術など,浸透圧による膜法や蒸留法などコンポーネント技術は,世界最先端を維持しているが,低開発国向けの広域水道・水浄化システムとしては,フランスにそのシェアの大半を握られている。最もフランスは,ナポレオンの時代から世界に冠たる地下水道都市形設備を生活と密着して実現していた国であり,その伝統があるが・・・。

□企業の海外進出,インターナショナル化
 世界に向けたグローバル展開については,日本の企業が世界からの人材を有効活用する組織に進化することである。そうすれば,前に述べた課題を解放し,世界市場での競争力を高めることが可能だ。同時に,少子高齢化の対策に寄与し,知的レベルにおいても混合による刺激が得られる。本格的な「人材開国」を進め,各種プロフェッショナル,技術者,研究職など高度な技能をもつ人材の登用である。介護や農業のこれからの展開を支える人材も海外から積極的に受け入れる。アレクサンダー大王が採ったような,優秀な人材との同化政策も政治的に考慮してもよいのではないか。それが本質的に世界平和対策につながるからである。
 また企業を退職した各種技術を体得した「技術者」,および家計での消費決定権をもつ「女性」が社会に貢献できるしくみ(例えば,海外指導,農業など)をつくること。金融危機の後,女性の労働人口の増加は予想以上である。主要経済分野の消費において,影響力が大きいのは「女性」であり,その総所得もこの5年間で500兆円以上と見込まれている。しかし,世界中の「女性は忙しい」ので,「時間節約とその解消」がカギとなる。
 企業の経営責任者に占める女性の割合は,スウェーデン44%,英国12.2%,米国15.2%,日本1.4%で,日本の低さである。これが意味するものは,女性の男性にない類稀な才能を利用できないということになる。

4.2 “癒しの技術”としての日本文化の輸出・交流
 茶道,能,可舞抜,いけ花,武術などの日本の伝統文化をはじめとして,デザイン,ファッション,アニメ,動画などのコンテンツ,日本食,観光,日本的エコ・ツーリズムなど,日本の文化価値を背景とする産業群の育成と展開が望まれる。世界の人々の「心」を捉えるには,この種の「情動的知能・感性」が最も共感が得られる。このような「精神」や「生きるためのもの」も最終的には「かたち」に表現する「技術」だからである。つまり,鋳型のような「型」に「ち」すなわち,「血」「知」を吹き込んで,「デザイン」として 表現することでなければならない。
 フランスの少女が,日本の「マンガ」や「アニメ」の源流を求めて家出し,イタリアで保護されたことという記事を新聞で見たことがある。少年,少女に及ぼす影響が,極めて大きいのである。例えば,「ガールズ・ファッション」の領域の情報発信の源流となり,村上隆のいう「カワイイ」が世界のファッション流行語となった。中国でも,海外女性ファッション誌の販売ランキングで「Ray」「ViVi」などの日本誌がトップ5を独占しているといわれる。しかし,日系アパレル企業の中国での売上高は大手でも数十億円に過ぎず,強いソフトパワーを収益に転換できていない。いまだ感性知を働かせ発展させていく余地はいくらでもあるのである。日本文化が作り上げてきた豊かさとは,米欧流の大規模で頑丈で贅沢なものではなく,ささやかで鋭敏でやわらかいものの中にある。
 ソフト・コンテンツや日本食にも同様の構図がある。フランスのように,文化の力で外貨を稼ぐように企画された「日本文化産業戦略」が強く要請される所以である。

4.3 輸出主導形産業からの遷移
(1)金融市場と金融関連産業の強化
 これは国内外産業に対する金融と法務・会計などのプロフェッショナル・サービスの充実と,域内の経済発展に金融面から支援するということになるが,東京市場の「国際金融センター」化がまず肝要だ。国内の現預金,国債に偏在する金融資産を世界に分散投資し,利子所得収支の収益の拡大を図る。同時に国内産業への投資機会に対する世界の注目度を高め,日本経済の活性化に外国資本を活用するしくみの構築である。
 アジアの新興国は,製造業などの産業活動では欧米に追いつきつつある。しかし,金融市場,とくに国債や通貨の市場は発展していない。だから欧米の金融資産に投資せざるを得なかった。今回の一連の危機は,欧米に偏った世界の金融構造の危険性を端的に示している。
 とくにこれからの布石として,アジアの貯蓄をアジアの産業の投資につなげていく「核」として東京市場を進化させ,アジア,環太平洋地域の経済発展に金融面から貢献する。しかし,ルールのない市場は,法律のない国家みたいなもので,いずれ破綻する宿命にある。金融は経済を支援するものであることを忘れてはならない。

(2)輸出依存形の経済成長からの脱却 
 前にも述べたように,日本は輸出主導形の産業により経済成長を図る単一経済モデルから脱出し,多様かモデルへと転換する時期にきているのではないか。スタンフォード大学のオキモト名誉教授も,「こうした輸出市場の変換を超えて,日本は攻撃的な輸出主導の成長戦略から軌道修正した方が,自らに利があると気づくだろう」と述べている。遅かれ早かれ,日本は旧来の製造業では競争力を失う。経済成長のための輸出依存体質から脱却する時がきたようだ。
 誤解しないように言っておくが,これは決して「モノづくり」から金融工学のような「ソフト技術」へと言っているのではない。「創造を取り入れた新しいモノ」の開発が肝要だと言っているのである。少子高齢化により,成長なき「優雅な衰退」のイメージが浮かぶが,労働人口の確保には,前に述べたように,ベテラン高齢者や女性の適用,さらに外国人技術者の雇用のしくみの改善がある。攻撃的な輸出主導ではなく,現地開拓的な輸出基地として,例えば,インドに企業は進出すべきである。中国はまもなく高齢化社会に入ることになるが,インドは25歳以下が総人口の過半数を占める。インドは「世界の最後の消費市場」である。ここで生産した製品を,西方,アフリカ,中東,欧州に輸出する。スズキ自動車は開拓精神をもって果敢に進出し,金融危機でも成功している。
 過去の歴史を振り返れば,制度変革の時代は世の中が不安定かつ予測不可能となり,紛争も多発することが常である。安定を維持できるかどうかは,新たな市場を提供するアジア環太平洋地域の新興国と,どのような関係を構築できるかにかかっている。したがって,むしろ企業は,海外に居を移して生産することは,自然の理である。それが地球の底辺層の底上げにつながるからである。政治や経済団体は,グローバル化時代の世界との交流のあり方をいまだ理解していないように見える。もしそれが嫌であるなら,新しいものを生み出しうる創造的企業に自己を高度化することである。“恨みを残さない勝ち方”でも述べたように,日本には“負けない勝ち方”がある。韓国のアブダビにおける原発の受注にしても,2割は日本に発注しているといわれる。技術立国日本では,競争相手との連携を常に模索し,すべての案件で常に収益が得られるように自らの技術力を高める。こうした国際的なビジネスモデルが今後の日本の成長戦略となる。

4.4 内需形産業への発展
 世界規模の生産過剰で生まれたデフレの勢いを,インフレ圧力の急上昇ですぐに解決できるかどうかという極めて困難な問題がまず存在する。しかし,「世界大変動」の時代においては,世界にとって決定的な転換点になり得る。実際にそうなるかどうかは,ここ2〜3年に何かが起こるかにかかわっている。たぶんにその動機付け,方向性を与えるのは,「政治」ではないかと思っている。ある目的と意志を持った政治が,そのキーワードとなる。
 例えば,日本の内需形産業への転換に関しては,進む高齢化と貯蓄率の低下(32.9%から9.9%へ)で国内需要は拡大する可能性がある。高齢者の増加は,終焉の生活を楽しむと言う気持ちで消費が増加し,若い労働者の生産性のピーク46歳までには,いまだ平均年齢に15歳くらいの余裕があるといわれているから,理論的には所得は横ばいか,伸びているのではないか。それが消費や購買に回るかどうかは,やはり政治によるところが大きいだろう。

(1)内需形知能産業の経済成長の期待はどうか
 内需産業の核として,世界最高レベルの病院,高齢者用の滞在形介護施設,製薬会社や脳神経医学と工学が結合した医学工学機器,計測制御機器,人工支援ロボット、有機材料と生命との機能結合を達成する生体システムなど枚挙にいとまがない。何よりも,高齢者用の医療・健康管理関連部門は,日本の経済成長の有力な駆動力となろう。もう箱物や平物の時代ではないのである。
 サービス業の実質労働生産性は,1991〜2007年でわずか0.3%/年の改善に過ぎないといわれている。日本では客へのおもてなし,サービス精神には定評があり,改善の余地がないほどになっているのであろうが,この閉塞状態を打ち破るには,規制緩和によって生産性向上が必須である。市場原理中心に世論の逆風の中で,政治がどう踏み込めるかにかかっている。
 人口減少と高齢化の中で,国内需要の縮小と製造業の海外移転が続く。内需形サービス業は,雇用の受け皿になるほど十分な成長が見られず,個人消費の低迷が常態化している。このようなマイナス形に押し下げている要因の一つは,公的資金で構造不況業種が延命され,法人税収の低迷と非効率的な再配分が助長されているからである。大量処理によるサービス・システムは,どうしても負のサービスになる性質があるから,「質」のサービスへの遷移が肝要である。
 非正規社員法を廃止すれば,企業が海外に出て行くとの説があるが,恐れる必要はない。真の一流企業(例えば,カシオ,キャノンなど)は,海外からまた戻ってきているし,引き上げなくても世界の貧困地への雇用,生活向上に貢献しているととらえるべきである。つまり地球世界に貢献することが肝要なのである。

(2)日本の内需形産業(水利用の水素製造および食糧生産*)
 国家として取り組むべき日本の内需形産業の典型は,「環境の基礎生産力」を工学技術により高度化した「生物育成産業」である。日本はこれにより「食糧とエネルギー」を,有機的,システム的に同時に生産する。つまり,日本で最も遅れた産業,農業,水産業,林業を自前の技術「分散形共生技術システム」を利用して高度化する。バイオマスと食糧利用後の残滓を燃料製造に当てるわけである。ここで要求されるバイオマス原料は,農業,水産業,林業とそのサービス業から発生する残滓である。地球上のすべてのエネルギー源は,太陽とこのバイオマスから生じていることを忘れてはならない。
 本節については,その(T)で詳細に述べられているから,ここでは触れない。


5.大量生産から多種多様の「モノづくり」へ−中小企業論―
 「欧米と異なり,日本経済の本当の強さは,中小企業にある」と丹羽宇一郎も言っている。大企業は大型化,大量生産化とそのシステム化が特徴であろうが,中小企業はその対極となる分散化,多様化がその特徴である。

5.1 大企業と中小企業の比較
 かつては大企業/中小企業二重構造論があって,大企業の下請けが中小企業であり,中小企業は低い労働生産性と低賃金の問題を抱えており,これを改善するのが課題であるとされていた。
 大企業側としても,この厳しい不況の中で頼られても困るのであり,広く他社に向けての生産を認めて,自立して欲しいのが本音である。少機種大量生産形の大企業とは異なり,中小企業はそれぞれに“違う”ものを作っている。それに,小さいから“決断”が早くかつ“小回り”がきく。これからは分散形の中小企業にふさわしい時代となるだろう。 大企業では,先端技術である液晶やプラズマ大画面の薄型TVを作っても,どこの国のメーカーも同じものを作っており,市場で苦戦し赤字を続けている。船舶の大型化や大量生産が得意な韓国や台湾との価格競争が極めて厳しいからだ。
これに対し中小企業では,例えば,工作機械を例に挙げると,多種多様であり非常に多くの企業があって,それぞれ得意な製品を製作している。したがって,日本は断然強く,25年間も世界市場のトップのシェアを誇っていたが,中国にトップを奪われている。
 21世紀に技術は,「いのちのための技術」の創造である。つまり,医療器械への取り組みが企業の信頼度を高めるような社会を作りたい。さらに言えば,医療機器産業を中小企業が活躍できる次世代産業にすることである。

(1)地域分散形企業―中小企業
 太陽光と葉緑素を利用する“地球の基礎生産力”向上による生物系産業の立役者は,『地球環境システム設計論』に述べられているように,世界初の“波動ポンプ”および“空気微粒化式ジェット・ポンプ”を開発である。図1.7にもみられるように,多種多様な水環境利用に適応した鉄製,プラスチック系の材料のものである。製作はすべて長崎の中小企業の皆さんに委託し,共同で新機種の開発を進めた。その「体験的学習」によると,日本の中小企業が市場性が高いのは,“それぞれに違う部品”を作るのが得意であり,その組み合わせ,デザイン的構成が,世界初のもの,特許製品(図1.7および1.8)を生み出すからである。
 “浮体式波動ポンプ”の例で説明すると,製品は各機能部の構成要素に分割される。浮体構造,ピストン・シリンダ系,その摺動部の摩擦・摺動材の設計,それらを水流で連結する水管・升類などによって構成されている。これらをさらに細分化していくと,結局,既存のものと同種の部品で成り立っていることがわかる。つまり発明的アイディアが要求される要素部分も,つまるところ,既存部分と同種で用途の異なった部品か,あるいはその構成パーツの精度に還元される。“それぞれに違う部品”を上手に作れる中小企業の役割が,いかに大きいかお分かりだろう。
 日本の製造業は,さまざまな分野で大きく変わろうとしている。攻撃的な輸出主導の成長戦略から,内需主導形の輸出戦略へ軌道修正した方が賢明である。その一つが,機械,機器の部品,それを製作するための精密金型で勝負していくことだ。携帯電話機の製造がその典型であるように,いまは部品にこそ高度な技術が必要になっている。その部品の大半は中小企業が担っている。
 構成部品を変えることによって,例えば「車」に変化を与えることができる。しかし,所詮,車は車である。車の部品を使って飛行機を作り上げるためには,飛行機の「イメージ」が新たに設計され「創造」されなければならない。日本の中小企業は,このような「自己開発」の道を歩み始めている。
 もはや中小企業は,“下請け”ではなく,大企業と対等の関係に近づき,“協力メーカー”となっている。それぞれに“異なるもの”を作っているので,TVなど大企業のように過当競争に陥ることがないのである。

5.2 中小企業の給与,営業利益,課題
 中小企業の課題は,「人材の確保」である。大企業が新卒の求人の大部分をかっさらい,中小企業は伝統的な名人芸の伝承のイメージもあって,なかなか現代の社会情勢の中では困難なようである。いまでは資金調達,税金などで,中小企業は有利になっている点もあるが,単に「失業率」の上昇として捉えるのではなく,“技術立国日本の立役者の育成”の視点から見直す必要があろう。少子高齢化対策,非正規社員に関する悪法とリンクして,政治が解決すべきである。
 中小企業の給与は,確かに大企業の6〜7割と少ないが,労働の諸条件を勘案すると,2割程度の差だといわれる。
 営業利益についてみると,100%を超える高い利益を上げている企業の比率は,大企業の場合8.8%であるのに対して,中小企業では13.4%である。つまり,しっかりと稼いでいる企業は,中小企業が多いのである。それは“違うもの”を作っているので,大企業のように過当競争がないからである。

5.3 岩波新書に表れた“凄い中小企業”
 中小企業の“匠の技”は,一品製品でも大企業が取り扱わないもの,要するに“ゼニにならないもの”でも,その形容詞通り“黙々と”モノを作っている。NHKの報道番組「プロフェッショナル」をみてみるがいい。「そうしないと食べてはいけないからです」と当事者は言う。著者ら(長崎の企業OB)は,長崎大学と共同で「身体障害者用支援ロボット」などを開発している。その精神は,「100円ショップで売っているような素材,部品で付加価値の高い製品を創り出すこと」である。
 巨大化,大量生産化の大企業のやり方は,頭のよい方法論ではない。何でもそうであるが,事象や「モノ」が肥大化してくると,その「構築体」自体が非効率および「不安定性」の原因となる。「バベルの塔」の神のデザインを思い出してみるがよい。最近は世界中の人々が「目的と手段」を取り違えているように見える。千万台の自動車を作って世界中に販売する。部品を共通化してコストを引き下げているから,不可抗力,例えば“摩耗”“キズ”などがあれば,全世界のすべての製品の「信頼性」はゼロになる。「技術は生命,すなわち,全宇宙に奉仕する」ことであり,金儲けが目的ではないのである。

(1)長野県駒ケ根市の塚田理研工業は,“プラスチックのメッキ”法を開発し,ボタンをはじめ,自動車,カメラ,ケイタイ,パソコンなどいろいろな部品を施工している。排水処理とリサイクルにも力を注いで非常に高度なシステムを開発している。これはこれから世界ビジネスへと進展していくだろう。“プラスチックのメッキ”と水処理技術がどのように結びつくのか知らぬが,何という“感性力,動機づけ”であろう。
 この水技術と日本的技術について少し触れておこう。
 この水ビジネスで,日本とフランスは対照的である。日本は海水淡水化や水浄化のための浸透圧を利用した高分子分離膜では世界一であり,蒸発法による技術もあり,世界中に製品を販売している。フランスは上水道,下水道の管理,運営のビジネスを世界中に展開している。水ビジネスの世界市場をみると,2025年には100兆円と予測されているが,分離膜技術などは,わずか1兆円といわれている。水ビジネスにおいては,日本は単体技術は進んでいるが,全体システム,管理,運営の市場では全く遅れている。これに対してフランスは,設備完成後も,経営管理まで責任を持つ,相手をひきつける「実務移植形」を提供し,開発途上国を引きつけている。

(2)福井市にある秀峰は,局面に印刷可能な機械を開発して,世界中から携帯電話材の表面印刷を受注し,ハイテク機器,キャッシュカードなどにも利用されている。
 鯖江市の西村金属は,加工が難しいチタンで精密・微細加工の技術を開発し,メガネ・フレーム,およびその微小ネジ部品からはじめて,いまでは,半導体から航空機用精密部品の加工まで手掛けている。前に述べた,「小型波動ポンプ」を製作した長崎の旭工業は,大企業の依頼で宇宙用に1ミリメートル厚さのチタン合金の径1メートルの球体を作ったことがあると言っていた。

(3)このような中小企業は,「どんな機械でも手掛け,一品一様の専用機をつくる」ことが「強み」だ。天竜精機は,自動車,電機,半導体などの加工組立機械を開発,これを生産する企業であるが,どんな自動機械でも手掛けるという。大企業は,身障者用の支援機械などのような「一品物」には興味を示さないが,これらを試作し「モノ」にしてくれるのは,大抵,中小企業の人たちである。日本の多くの中小企業が,そのような方向に進み始めている。


6.結語
 結論は,“集中化から分散化へ,量の生産から質の生産へ(T)”で述べたとおりである。一言でいえば,神(人間を超えた)の立場に立って「デザイン」されなければならない。全体を視るということは神の視点である。
 アマガエルは絶対迷わずに田んぼに戻るという。田植えをしていない田で,カエルは雨と水を待っているのである。カエルの寿命は3年であることから,3年間は待っている。“田植えをする”のを死ぬまで待っているのである。このような気遣いなどを伴う共感まで高めることが情動的知能・感性である。
 また,情動は連帯にもつながる。ミラーニューロンの作用により,自分の動きと他人の動きとが「気が合った動作」のかけ合いが可能である。車の割り込みに立腹する人でも,自分の子を乗せて救急外来に急ぐ時,自分がどんな運転だったかを思い出せば,怒りも和らぐだろう。最近の「緩和ケアー」の療法とはこういうことである。情動的知能で再評価するのである。人生とは,「意識のある合理的な心と,脳の無意識の情動情報処理系との葛藤」であるとみることもできる。
 本シリーズで述べてきた金融資本主義の世界的な普及が,深刻な環境破壊や格差拡大を引き起こす前に,市民生活と共存できるシステムにどうすれば改造できるか。この解決策は,政治の領域に市場を再び含有させ,分散形共生技術を確実にすることである。つまり,株主と消費者のあくなき利益への欲望を,株主と社会の公正をしっかり見据えた社会の発展と整合させることである。そしてケインズが言っているように,不確定性と経済の関係を重視することである。経済は内省と「価値」を取り扱う。さらにもう一つは,経済は「善き生活」のための手段に過ぎぬことを肝に銘じておくことである。「目的と手段」を取り違えてはならない。
 指や脚などの義肢装具を設計製造する中村ブレイス,精密機器を製造する樹研工業,およびチョークを製造する日本理化学工業,日本にまだこういう企業があることが涙が出るほど嬉しかった。「人の役に立つ」という経営や,働くことの本来の精神を揺り動かしてくれるからである(参考文献17)。
 国家と個人の間に地域という中間集団を再構築し,市民の活動の集積である市場に経験,技能,組織能力や制度的な記憶を取り入れる。その源流を,「豊かな人間関係,連帯,共生,信頼」を示す社会関係資本(social capital)に求める潮流が台頭している。このような新しい地域分散形の文化的・生産的・多様性デザイン,これが地球上の生物すべてに「やさしい,しなやかな技術」であろう。

(2010年5月10日)

引用文献および参考文献
1)川口勝之,「集中から分散化へ,量の生産から質の生産へ(T)―脳の情報処理よりみた次期社会の総合システム−」,『世界平和研究』2009年春季号No.181,世界平和教授アカデミー
2)広井良典,『グローバル定常型社会―地球社会の理論のために―』,岩波書店,2009
3)ロベール・ボワイエ,井上泰夫訳,『ニューエコノミーの研究』,藤原書店,2007
4)猪木武徳,『戦後世界経済史』,中公新書,2009
5)フィリップ・D.ブロートン,岩瀬大輔監訳,『ハーバードビジネススクール』,日経BP社,2009
6)川口勝之,『人間の内面的な感性の表現の研究―脳の情報処理よりみた次期社会の総合システム―』(改訂増補版),創造デザイン学会,2009
7)マルコ・イアコポーニ,塩原通緒訳,『ミラーニューロンの発見』,ハヤカワ新書,2009
8)熊谷晋一郎,『リハビリの夜』,医学書院,2010
9)リーアン・アイスラー,中小路佳代子訳,『ゼロから考える経済学』,英治出版,2009
10)ロバート・スキデルスキー,山岡洋一訳,『なにがケインズを復活させたか』,日経新聞社,2010
11)河野稠果,「少子化,高齢化,人口減少のトリレンマ」,『世界平和研究』2010年春季号No.185,世界平和教授アカデミー
12)エマニエル・トッド,富山太佳夫評,『世界の多様性―家族構造と近代性』,藤原書店,2009
13)J.E.スティッグリッツ,楡井浩一他訳,『フリーフォル(急落下)』,徳間書店,2010
14)マイケル・S.ガザニガ,柴田裕之訳,『人間らしさとは何か』,インターシフト,2010
15)村上隆,『芸術企業論』,幻冬社,2006
16)中沢孝夫,『中小企業は進化する』,岩波書店,2009
17)坂本光司,『日本でいちばん大切にしたい会社2』,あさ出版,2010