北東アジア及び日本の人権問題の概観

(財)世界人権問題研究センター所長・京都大学名誉教授 安藤仁介


北東アジア及び日本の人権状況について,各国の状況を概括的に述べたい。

1.北朝鮮
 北朝鮮は言うまでもなく金正日総書記が率いる独裁国家で,政治をはじめとする権力や富は,金総書記と彼の周りにいる少数の人びとが独占している。政治的には単一政党しか存在しない。経済的には金正日総書記の側近と家族のみが豊かな生活をしていると思われ,国民の大半は生命の危険にさらされている。重要な点は,それが圧倒的大多数の国民の犠牲の上に成り立っているということだ。それゆえ祖国から逃れようとする人びとが後を絶たない。まったくのところ,恥ずべき状況と言うほかない。
 北朝鮮は,どういうわけか「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(以下,自由権規約)の締約国である。恐らく,かつてソ連ができるだけ多くの社会主義国を自由権規約に加入させる戦略を取っていたことが理由だろう。彼らは社会主義国が締約国間で絶対的少数となることを避けたかったのである。
 北朝鮮の定期報告を審査する人権委員会(以下,委員会)に出席していたとき,「北朝鮮は他の締約国とは異なる扱いをすべきだ」とある委員が主張したが,私は反対した。北朝鮮に何らかの問題があれば,他国と同様に審査することで直ちにそれが表面化すると考えたからである。実際に,後にその通りになった。
 日本人その他の拉致問題には言及するまでもないので,ここでは割愛する。

2.中国
 中国も単一政党が支配する国家であり,共産党が政治権力を独占している。以前,中国のある外務省職員と話をしたとき,彼は「確かにわれわれは自由権規約に加入していないが,一党支配の国家が締約国になるのは困難である」と説明した。
 ちなみに,米国は自由権規約の締約国だが,もう一方の「経済的,社会的及び文化的権利に関する国際規約」(以下,社会権規約)は批准していない。社会権規約は司法判断に適せず,規約違反があったか否かを裁判で争うことができない。米国にとってそれが何らかの意味をもつものと思われるが,いずれにせよ締約国となることを避けている。
 前述の中国外務省職員は,「われわれが自由権規約を批准しないことに多くの批判があるのは承知している。しかし社会権規約はすでに批准しており,それは4000年にわたる王朝支配の時代と異なり,現在の共産党政権の下で,国民の大半が物質的に満たされた生活をしていることを意味する。そして時が来れば,われわれも自由権規約の締約国になるかもしれない」と述べた。中国には食べ物が十分にあれば行いが良くなるという意味の諺(「衣食足りて礼節を知る」)がある。私も中国が早く自由権規約に加入することを願っている。
 実際のところ,単一の政権が13億人もの国民を統治するのは非常に難しい。私は北京大学で教授を務める友人に,「中国は米国やスイスのように連邦制にして各地域が競争できるようにすれば,持っている可能性を最大限に発揮できるのではないか?」と尋ねてみた。すると彼は,「いや,中国の政治哲学にそのような考え方はない。中国人は,強力で中央集権的な政府があるときにこそ偉大な国家が形成されると考えている」と答えた。王朝は常に力によって交替したが,強い王朝が存在した時代が中国にとっての良き時代なのだ。王朝が200年,300年とたって腐敗し,各地で中央政府に対する反乱が起きるような時代は,中国の「低迷期」だと彼らは考える。
 どのような政治制度が望ましいかは中国人自身が決めることだが,このように理解すると,今は「共産党王朝時代」を築こうとしているととらえることができるかもしれない。政治に対する考え方は秦などの王朝時代から大きく変わっていないようである。
 上記の北京大学の友人は中国農民の人権擁護に熱心な人物なのだが,中国の農村と都市部には明らかな格差(不平等)が存在する。現在,全国人民代表大会に1人の代表を送るのに必要な人口の比率は農村と都市部で4対1である。中国政府もこの問題を認識しており,内陸部の経済成長を促進するとともに,居住に関する制限も緩和しようとしている。農民は農村の戸籍に登録することが義務付けられていて,投票権もそこにある。近年,多くの農民が仕事を求めて都市部で生活するようになったが,都市の戸籍を取得することができないため投票権がない。このため,事実上の不平等がさらに拡大している。
 中国は自由権規約の締約国ではないが,英国政府の多大な努力によって,香港については主権返還後も引き続き自由権規約を適用することに合意した。私は2度にわたって香港から提出された報告書を審査する委員会の委員を務めた。そのとき,委員会に出席した中国大使が「中国政府の国際社会へのコミットメントの表れとして,香港特別行政区の代表が自由権規約に関する報告を行う」と述べていた。マカオについても,ポルトガルの代表が熱心に働きかけた結果,香港と同様に自由権規約の適用が継続された。
 私は台湾に多くの友人がいるが,あるとき一人の友人に「なぜ台湾は国際人権規約に加入できないのか?」と質問された。残念ながら,締約国となるには一定の要件を満たさなければならず,それには独立国家であること,国連専門機関のひとつに加盟していること,国際司法裁判所の当事国であることなどが含まれる。それを満たしていない場合は国連総会による招請が必要となる。
 台湾が国際人権規約への加入を求めても他の国々は躊躇するだろうし,何より中国がそれを認めないだろう。そこで台湾政府は独自に国際人権規約と同等の国内法を施行することを目指しており,私もそれを応援している。というのも,台湾でそれが成功すれば,中国本土においても国際人権規約が十分に機能する可能性を示すことになるからである。

3.韓国
 韓国は,自由権規約及び第1選択議定書の双方の締約国となっている数少ないアジア国家のひとつである。両方の文書の締約国になると,管轄下の国民が個人の立場で委員会に権利侵害に関する通報をすることが可能となる。委員会は通報を受理すると,その締約国で実際に権利の侵害があったかどうかを検討する。
 韓国からはこれまでに10件程度の通報があり,委員会はそのほとんどの事例で権利の侵害があったと結論付けた。多くは国家保安法に関するものだが,これは韓国の近代史における悲劇的な体験と関連している。韓国では朝鮮戦争の影響もあって共産主義が認められず,例えば北朝鮮の体制に賛同的な小説を書けば国家保安法違反で逮捕されるといった事例がある。
 韓国の場合に問題となったのは,同国の最高裁判所が規約の「自力執行的性格」を認めないとの判断を下したことである。その結果,委員会が権利の侵害を認定しても国内で救済措置を執行させる手立てが限られているので,この点については改善が望まれる。

4.日本
 日本は自由権規約の締約国だが,第1選択議定書は批准していない。これまで5回にわたって委員会に定期報告を提出している。締約国になると,規約が規定する諸人権の国内における履行状況について,1年以内に最初の報告を提出することになっている。日本は1979年に締約国となり,1980年に最初の報告書を提出した。委員会は翌81年にその報告書の審査を行った。2回目の審査は1988年,3回目は1992年,4回目は1998年に行われた。通常は5年ごとだが,さまざまな理由から日本の報告の5回目の審査が行われたのは2008年である。
 ところで,ヨーロッパでも日本の首相が1年ごとに変わっていることは知られているだろう。日本では長年,保守的な自民党が政権を担ってきた。その結果,政界,官界,財界の三者による受益システムが出来上がった。特に,本来すべての国民に奉仕すべき官僚が問題だった。
 以前,わが国の官僚は55歳を過ぎると退職しなければならなかった。平均寿命が70歳代後半であることを考えれば,かなり早期の退職である。そこで彼らは在職中に利益を見返りにして財界との関係を築き,退職するとそこに高給で再就職するという流れを作った。もちろん,景気が悪化すると財界もこうしたやり方をいつまでも続けていられない。すると官僚たちは独自に各省庁の外郭団体を設立し始めた。退職後はそこの役員に就任する。また外郭団体を数年おきに渡り歩くことで,莫大な退職金を受け取った。
 そのことが現在は与党となった民主党に攻撃され,国民も一つの政党が長期にわたって政権を握ると腐敗が蔓延することを悟るようになった。そして昨年の政権交代へとつながった。ただし,民主党の問題点は官僚の使い方を知らないことだ。民主党の政治家は官僚と意見が対立すると,「われわれは国民に選ばれた代表であり,われわれの意見を聞くべきだ」と主張し,官僚との軋轢が生じている。
 外交面では,沖縄の米軍基地の問題がある。沖縄が中国本土に近いことが沖縄に米軍基地が存在する最大の理由であり,自民党はこれまで県民の説得に粘り強く取り組んできた。ところが鳩山前首相が基地の国外・県外への移設に軽率に言及してしまったことで,県民感情は一変した。これは民主党政権の不安定さを象徴する出来事のひとつであった。それを引き継いだ菅首相も多くの困難に直面するであろう。しかし民主党は野党・自民党を説得して協力を引き出すという努力もしなければならない。なぜなら,結局のところ政党は国民全体のために存在するものだからである。
 以上が現在の日本の政治状況である。言い換えれば,日本において民主主義は機能しているが,いまは政治的に難しい局面を迎えている。うまく二大政党制に移行できればよいが,前途は定かでない。
 社会的に見れば,日本が抱える最大の問題は高齢化である。もちろん長寿に越したことはないが,年老いた人々が尊厳を持って生きられるようにしなければならない。そして若者には未来への夢がなければならない。残念ながら,われわれはその両方を失いつつあると言わざるを得ない。夢を持っている若者もいないわけではないが,一般的に言って自分の将来に希望が持てなくなっている。高齢者も自分の息子・娘に老後の生活を依存しており,社会保障の面では課題が多い。
 一方,高齢化の進行と同時に若者の人口が減少している。日本人女性の出生率は1.3程度で人口は減少傾向にある。その結果,高齢者を支えるために若い世代の税負担が増加することになる。年金問題を見ても,私の世代は給与の一部から支払った保険料に対して受給額の倍率が高く,恵まれている。しかし若い世代になると倍率が下がり,支払った金額も返ってこないのではないかと思えるほどだ。そのような状況で,どうして若者が年金に加入するだろうか。
 この問題の解決方法の一つは消費税率の引き上げである。現在の5%という割合は他国と比べて非常に低い。北欧諸国では25%に達している国も多く,負担は大きいがそれだけ福祉も充実している。ヨーロッパの他の国々でも15%以上という国が少なくない。日本の各政党も年金や医療制度を維持していくために国民を説得しなければならない。国民は愚かではない。選挙が近くなれば耳障りなことは言いたくないだろうが,責任ある政党として言うべきことは言わなければならない。
 また市場で自由競争が激しくなると,勝者と敗者に分かれるのが常である。日本では所得格差が徐々に拡大しつつある。この点でも人権問題に関する懸念が生じている。
 女性の権利については,日本の報告が初めて委員会で検討されたとき,ある委員が日本の当時の国籍法が国際人権規約の男女平等に関する規定に違反していると指摘した。かつてわが国の国籍法は父系優先血統主義であり,父親が日本国籍なら子供はそれを相続することができるが,母親が日本国籍でも父親が外国籍なら父親の国の国籍法によって子供が無国籍となる場合があった。その場合にのみ,子供は母親の日本国籍を受け継ぐことができた。つまり子供への国籍の継承能力において,男女間に不平等があったのである。 日本政府はそのような指摘を真摯に受け止め,また「女子差別撤廃条約」(「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」)の締結に際して女性団体が声を上げたこともあり,国籍法は1984年に改正された。それ以降,出生時に父母のいずれかが日本国民であれば,子供は日本国籍を取得できるようになった。
 夫は外で生活費を稼ぎ,妻は子供の世話と家事をするという夫婦の役割分担は,わが国で長い間実践されてきた考え方である。しかし最近は結婚をしたくない,あるいは結婚してもたくさんの子供を儲けたくないという若い女性も多くなった。子供の教育費は高いし,もっと自分のために時間を使いたい,と彼女たちは考えている。
 家庭生活における男女の役割のみならず,社会生活においても男女の不平等は存在する。例えば,大学の女性教員の数はいまでも非常に少ない。恥ずかしながら,私が所属していた法学部にはほとんど女性の教授がいなかった。工学部も同様であった。日本政府は指導的地位に女性が占める割合が,少なくとも30%程度になることを目指しているが,それを企業などに強制することはできない。徐々に増えてはいるが,時間がかかるだろう。
日本のGDPは米国に次いで世界第2位で,国連予算も5分の1近くを負担してきた。第二次世界大戦の敗戦から急速に回復し,経済成長を遂げた。日本は技術力が高く,品質の高い製品を作ることができる。しかし製品を作るのに必要なエネルギー,すなわち石油,石炭,天然ガス,さらに原子力発電に必要なウランに至るまで,そのほとんどを外国からの輸入に頼っている。一方,消費大国となった中国はエネルギー資源の獲得に努めており,日本にとっては脅威となりつつある。
 また少子化の影響によって,老人の介護分野などで外国人労働者の需要が高まっている。東南アジアなどから若い労働者を受け入れることも重要だが,言語の問題が壁となっている。例えば看護師の国家試験は難易度が高く,受け入れ条件の緩和も必要ではないか。
 結論として,上述のように高齢者が尊厳を持ち,若者が夢を持てる社会の実現こそ,日本が目指すべき方向だと考える。

(2010年8月1日〜5日,千葉県浦安で開催された「ヨーロッパ指導者会議」における発題内容を整理して掲載)

<参考>
国際人権規約
社会権規約(別名A規約,正式名称は「経済的,社会的及び文化的権利に関する国際規約」)と自由権規約(別名B規約,正式名称は「市民的及び政治的権利に関する国際規約」)の二つの人権条約の総称。両者とも,1966年12月16日国連総会で採択。前者は76年1月3日,後者は76年3月23日発効。日本については両者とも79年9月21日発効。前者は前文および全31条で個人の経済的・社会的・文化的諸権利を,後者は前文および全53条で個人の市民的・政治的諸権利を国際的に保障する。自由権規約については,履行措置として人権侵害を受けた被害者個人からの申立てを制度化した選択議定書が同時に採択されている点に特徴がある。先行する世界人権宣言とともに,国際人権章典といわれる(『現代政治学小辞典』有斐閣より)。
自由権
国家や教会のような既存の組織や他人の権力行使から,個人の自由を守るための権利一般のこと。生命・身体・私的所有の保障,内面の自由,言論・出版・表現の自由,経済活動の自由などを主な内容とする。人間が生まれながらにもつ不可侵の権利(自然権)として,17〜8世紀のヨーロッパで確立した。人権思想の根幹をなす。私的所有や経済活動の自由に関しては,公共の福祉のための一定程度の制限を認める立場もある(『現代政治学小辞典』有斐閣より)。
社会権
貧困や差別,低賃金や失業,劣悪な生活環境といった社会問題の解決のために,国家のより積極的な介入や,個人の経済的自由のある程度の制限を求める権利一般のこと。労働条件の改善を求める権利,教育を受ける権利,生存権などから成る。20世紀になって,社会主義・社会民主主義の影響を受け,組合活動の自由の保障や各種の福祉政策の必要が認識されたとき,従来の自由権の不足を補う新しい権利として確立した(『現代政治学小辞典』有斐閣より)。