成熟社会における公共投資(インフラ整備)の考え方

日本大学名誉教授 佐久田昌昭

1.公共投資のについての考え方
(1)長期的な時間軸
 昨年の政権交代で誕生した鳩山政権は,そのキャッチフレーズの一つに「コンクリートから人へ」を掲げた。公共投資=「コンクリート」(橋梁,道路,ダムなどの建設)と単純にイメージしながら,さらにいまではそのような整備の段階がほぼ終わったとの認識が,その背景にある。それよりも子ども手当のように直接お金を一部国民にばらまいて,主として若年層の歓心を買うような安易な施策に走っているように感じる。このような単純な思考が果たして正しく,現実にマッチした政策かと問いたい。
 「公共投資は一般国民への利益還元が薄い」という考え方がある。この考え方は,公共事業がその発案から利益の還元までかなりの時間性を要することを無視した議論である。しかもその投資は,ある程度まとまった大きな金額を投入しないと効果が適切に発生しないという公共投資の特徴があるにもかかわらず,単年度的な効果にばかり目が行ってしまってその本質的な部分を見落としている。
 とはいっても,公共施設やインフラ整備といった公共投資は,国民の税金を使って行う以上,ある程度国民にひとしく利益が還元するよう考慮する必要がある。
 ここで重要なポイントは,時間軸を正しく立てて議論しなければならないという点である。それはある程度長期にわたる投資の場合,その事業が完結した時に効果が現れるという特徴があるからである。こうした課題をうまく解決するためには,「リバーシブル・エンジニアリング(可逆性工学,reversible engineering)という考えをもってこなければならない。「いつでも元に戻ることができる」という考え方は,欧米では一部分野ではあるが,伝統的に行なってきたが,日本では未成熟であまり応用されてこなかった。

(2)可逆性工学の応用
 元来メカニカル・エンジニアリング(機械工学)の考え方には,組み立てる(assemble)という時系列(正の)ベクトルとともに,ばらす・分解して(disassemble)元のパーツに戻すという(逆の)ベクトルがある。譬えてみれば,これは「ネジ」の考え方である。ネジにはオネジ(雄)とメネジ(雌)があるが,それらをはめる場合と,緩めてはずす場合とがある。後者の場合は,逆方向に回してネジをはずすわけだ。これがリバーシブル・エンジニアリングである。
 日本ではこのようなリバーシブル・エンジニアリングの考え方が未成熟のために,役所も現場もこのような発想を持って事業に当たることがなかった。簡単にいえば,公共施設やインフラの整備を進めるに際して,それらを作ること(前向きのベクトル)しか考えなかったのである。
 工法には,必ず「組み立て」と同時に,「ばらし・分解」が伴う。さらにときには部分を交換して再び組み立て直すこともある。ところが公共事業については,このような考え方が非常に薄かったというのがこれまでの問題点であった。
 具体的事例で考えてみよう。
 道路を造る場合に,まず土地の買収が行われる。しかしそれはわが国の特殊事情もあって簡単に進まず,普通10年,20年とかかることもある。道路建設計画の全体が10年を要する場合に,通常その途中で周囲の環境条件がどう変わるか予想つかないことが多い。極端な場合は,計画中止ということもありうるわけだ。その場合にはすでに買収した土地をどう活用すべきかも考えておく。そう考えると,最初の設計段階から取り組みが違ってくるはずだ。すなわち,転用できるような道路買収計画を立てることになる。自由民主主義の社会,とくに今日のように変化の激しい時代においては,そのようなことはないということの方がおかしいだろう。
 そこで「リバーシブル・エンジニアリング」の考え方からすると,途中で計画中止もありうることまでも想定しながら,一つ一つの計画を進めて行く。別の言葉でいえば,「撤退学」(新造語)ということになる。
 可逆プロセス(reversible process)とは,一つの進行形が左から右に動いているとき,ある時点でストップさせ,今度は右から左へ向けて(逆方向)に動かして元に戻すプロセスである。進展のプロセスにあるときには,常に自分の努力度(集中力と持続力)が成果とどんな関係をもっているのかをチェックして,目標に近づくためにどのように将来努力度を上げていくかと考える。しかし努力度を上げることがどうにも不可能な場合には,このプロジェクトは中止してしまわなければならない。この判断が最も重要だ。
 せっかく今まで努力,努力で成果を少しずつ積み上げてきたのに中止にするとは,非常に残念である。しかし努力度の向上を計ったのにその成果が出てこないのは,単に努力度ではカバーできない欠陥があったからに違いない。こうなった場合には,断固このプロジェクトからの撤退を考えなければならない。できもしない努力をしても結果が出てこないのであるからやむを得ない。
 そうなると「今度はどう退くか」である。昔から,失敗したらその失敗の痛手から回復するのにそれまでの倍の時間がかかるとか,修復には2倍〜3倍の努力が必要とか言われてきた。今まで左から右に向かっていたベクトルを逆方向に向けるのであるから,確かに相当な努力と力を要する。しかし一旦撤退を決めたら,直ちに実行あるのみだ。
 本来ならば,最初の出発のときから,そうしたことまでも予測できる範囲で想定しながら計画を立てて実行していくのが賢い方法である。この工夫を凝らす作業を可逆性工学と呼ぶのである。

(3)撤退工学の応用
 最近の象徴的な失敗例として,八ッ場ダム建設中止問題がある(注:1952年建設計画発表,67年着工,2015年竣工予定)。計画の途中において環境や状況の変化があることは当然予想しなければならず,そのときの変化に応じた対応策を立てながら,最悪の場合「撤退」をも想定して推進計画を進めてくるべきであった。そこを怠り最初の計画をあくまでもやり通すという考え方だけで進めてきたように思う。ところが民主党政権になり建設中止を声高に主張し通したために,大変な混乱をきたしているのである。いまや変更できないところまで来てしまい後戻りもできず,どうすることもできずに右往左往しているわけだ。
 図を見ながら撤退のタイミングについて説明してみよう。
 チェックポイントT(T/4:完成期日の四分の一の時点)で予定成果曲線Sに達していない場合は,S’直線(チェックポイントTの実績値とチェックポイントUの予定成果値を結ぶ直線),新しい予定成果線に従って,チェックポイントUに移るまでに当初の予定成果曲線Sになるべく早く達するよう,そのギャップを埋めなければならない。
 更にチェックポイントU(完成期日の八分の三の時点)で予定成果曲線Sに達しない場合は,S”線に従ってそのギャップを埋めなければならない。そのための1日当たりの作業量の増加が必要で,これらの遅れの原因が,全体投入作業量の増加で解消できるか。あるいはS曲線の完成期日延期のJS曲線にせざるを得ないか。投入作業量の増加が完成期日延長なのか,いずれにするか決断が求められる点がチェックポイントVであることを示す。
 問題は,チェックポイントVで50%を成就しなかった場合である。通常は,完成期日の延期を試みるのだが,もし完成期日の延期が不可能と判断された場合は,このプロジェクトは早速撤退(中止)しなければならない。そのまま判断を徹底せずにずるずる進めていくと,成長曲線Sと修正曲線JSの乖離はますます大きくなり,損害・損失を大きくするばかりである。
 つまりチェックポイントVを過ぎても,人件費を増大させ,なんとかS曲線に戻したいと無理な努力を重ねると,その結果は,物心両面の思いがけない大きな損失を,施主・施工者双方に生じさせることになる。八ッ場ダム建設問題はまさにこの判断の誤りであったと思う。

(4)成長曲線・減衰曲線に基づく事業計画
 もう一つは,成長曲線および減衰曲線という考え方の応用である。もともと人間や生物の成長について説明する理論であるが,これは社会事象についても応用できる。すなわち,ものごとも成長曲線に従って成長し,成長の極に達した後は減衰曲線に従って衰退していく。
 例えば,学習過程を考えても,ある勉強をスタートさせたときにすぐに順調に理解が伸びて行くわけではない。最初はやはり緩慢な伸びを示す。しかし,ある段階を過ぎると,理解が急激な伸びを示すようになる。
このようなS字曲線は,あらゆる成長の過程に適用できるものであり自然の理である。そうした宇宙の原理を無視して事業を進めると無理がでてくることになる。「コンクリート」(公共事業など)に関しても,この考え方でしっかりやれば,先の「コンクリートから人へ」と単純思考するような愚は犯さないに違いない。
 また減衰曲線の場合は,放物線のようにストンと落ちる一点があるわけだが,その前の適切な時を選んで再投資をすれば減衰曲線の急激な降下をとどめ引き延ばすことが可能になる。つまり稼働期間を少しでも長くすることができるわけだ。公共施設やインフラも経年変化していくので,施設が老朽化する前に再投資して稼働期間を長くし,より効果的に投資費用の回収を図っていくのである。また数年前から減少局面に入った日本の総人口も,減衰曲線に従って推移するわけだが,それが急激に落ちないようにする再投資施策がすなわち少子化対策ということになる。
 ものごとには必ず稼働期間(operation period)というものがあるが,その期間内に投資額が回収されるようであればいいわけだ。稼働期間についての見解は人によってまちまちだが,その終わりの時期に再投資してうまく対策を講じればそのものが生き返ることができるので,少ない費用で稼働期間を延ばすことが可能になる。このようなシミュレーションを初期段階から頭において事業を進めることが賢明なやり方である。

(5)冷静な判断に基づく議論を
 政治政策に限らず何事においても,これら二つの考え方を組み合わせて,数理的な判断をもって行ってほしいと思う。途中の環境変化には,社会の変化ばかりではなく,自然災害や天災地変による変化もありうる。例えば,大地震が発生して数十年は手がつけられない場合もありうるわけだ。計画途中での環境変化に対応できる用意をしっかりもって事業推進を進めて行くことが大切である。これは政治家のみならず,一般国民もそうした見識をもつことが必要だ。
 かつての東海道新幹線の建設は,日本の高度経済成長期に当たっていたために,途中での環境与件の変化が少なく順調に事業を推進することができた。しかし,今日のような成熟社会になるとそういうわけにはいかない。大きな変化が常に予想される。
 昨年話題になった「マンガの殿堂」(国立メディア芸術総合センター)建設計画にしても,120億円程の投資をするならそれをどのくらいの期間をかけて回収しようとしているのか,どのような目論見を持っているのか,といった視点を質してみる。その結果,120億円の投資は見合わないとなれば,計画を中止するという結論になる。ところが,現実の政治の議論を聞いていると,「マンガの殿堂はけしからん」と言うように感情論的な議論をしている。これではだめだ。もっと数理的な根拠に基づく議論をしていくべきだろう。
   日韓トンネル計画などビッグ・プロジェクトについても同様である。トンネルのさまざまな効果について述べることは大いに結構であるが,それだけでは片手落ちだ。もっと数理的な議論を並行させていき,その結果からもやろうとなれば,本格的投資が始まる。それと同時に,単年度的な計画だけではなく,可逆的思考を加味して,10年,20年といった長期的な計画も立てて進めなければならない。事業を進めていく過程においては,自然災害や地球環境の激変など人間の手に負えない変化も起こりうるわけで,そのときどう対処するのかも予測していく。もしそのような環境変化によってときにはルートや施工方法の変更も視野に入れた議論が必要になるかもしれない。このような慎重な方法で取り組むことができれば,計画実現は成功に導かれるだろう。ただ「冒険」的にがむしゃらに進めるのは,問題があると思う。

2.海の時代
 四面を海に囲まれた日本は,海を最大限に活かしていかなければならないのに,これまであまり積極的関心を持ってこなかった。そこで2007年に海洋基本法が制定されるとともに,それに基づき翌年「海洋基本計画」(5年計画)が立てられた。時遅しとはいえ,海洋について包括的に述べた法律を持っている国はない。この5年,10年,15年計画に成長曲線と可逆プロセスの思考を適用しなければならないことは当然で,別の機会に詳細を論じたい。
 海の将来性は無限だ。日本ほど恵まれた国はない。海洋活用の未来は非常に明るい。その一つが,浮揚型原発である。数カ月前に,ロシアのバルチック造船所で世界初の「海上浮揚型原発」が完成,進水したとの報道があった(「原子力産業新聞」2010年7月8日付)。半世紀ほど前に米国でも同様の計画があったが実現に至らなかった。海洋立国を明治以来看板に掲げてきたわが国で,海洋原発がなぜ活発に議論されないのか。とくにわが国周辺の海洋まで視野に入れた新しい地球規模の海洋新世紀には,是非とも海洋原発の再評価を加えたいものである。
 総合的な技術評価が求められる時代には,個々の専門分野を超越(アウフヘーベン)した基準が必要である。国際商戦という言葉がいたるところで目に付く新しい時代を迎えた。個人も,組織,企業も大事だが,それにも増して国家単位の国際商戦時代の国益も大事である。むしろ国益第一主義に企業のトップは頭を切り替えるべきだろう。そうでなければ企業の利益も,組織の維持・拡大も,更にはスタッフ自身の利益,個人の収入も満足に確保できない時代が到来しつつある。われわれは心してグローバル時代のR&Dのトップランナーの能力向上に努めるべきである。
 ユートピア「国連万能時代」は遥か将来の夢で,現代は“国家資本主義”の時代で,国力を挙げての闘争時代」であることを再認識すべきでもある。

(2010年7月28日)