優秀な学生に対する特別措置と高等教育の新たな展開

広島大学教授 北垣郁雄


抄録

 大学等で優秀な成績を収めるいわば優等学生は,将来,研究,行政,経営の第一線で活躍するなど,各界のリーダーとなる可能性が高い。リーダーとしての資質の高めその可能性を高めるために,大学では優等学生に特化した養成措置が求められる。優等学生に対する特別措置には,報奨,減免,養成の三つの類型がある。わが国では,これまで前二者に対する関心が持たれ実施されてきた。しかし,養成型に対する関心が低い。そこで,養成型に実施例の多い米国と中国を中心に,文献調査を行った。本稿では,優等学生に対する養成的関心の必要性を述べ,続いて,米国,中国および日本におけるその特別措置を概観する。そして,高等教育の新たな展開として,さしあたりわが国で実施できそうな養成的特別措置の具体例を,ビジョンとしてまとめている。

はじめに
 優秀な学生は,先々,第一線の研究者として国際競争に参加したり,官庁や企業で要職につくことが多い。各専門領域でリーダーとなる可能性が高く,社会的に影響力の高い職業と言える。したがって,優秀な学生をリーダー養成という観点からとらえ,大学の教育制度を整えることは,健全で国際競争力のある国造りを計るのに重要である。
 米国や中国では,優秀な学生に特化した養成措置が広く実施されている。後述のように,両国におけるその意図の全体的傾向は必ずしも同じとは思われないが,国際的研究競争では最優秀の研究者同士の‘背比べ’で勝負が決まるという一つの事例を挙げただけでも,そのような養成措置が国家レベル(少なくとも全学レベル)で求められると考えるのは,自然なことである。しかしながら,わが国では,養成的観点から先の教育改革を図ろうという機運は,ほとんど見られない。そのような研究関心も低く,国際的現実と問題解決意識がかい離していることになる。
 そこで,本稿では,高等教育における上記のかい離に関して,問題の所在を概観する。次に,優秀な学生に対する特別措置の類型を述べ,続いて養成面に着眼した優等教育の現況を,米国と中国に垣間見る。また,わが国における若干の事例を紹介する。そして,高等教育の新たな展開として,養成的特別措置のビジョンをまとめている。

なぜ,「優等教育」なのか?
 ここでいう「優等教育」は,優秀な学生(優等学生)に対する養成的特別措置のことを指している。またこの用語は,Honors education の和訳のつもりである(注1)。優等学生に対する特別措置は3つの類型に分けられるが,優等教育はaに相当する。
a.養成型:優等学生に特化したカリキュラムを開発するタイプである。
b.報奨型:奨学金や留学などの特典を与えるタイプである。
c.減免型:授業料の減免を行ったり,飛び級や飛び入学をさせるタイプである。
 日本の大学での優等的特別措置としては,養成型の実施例は見出しにくい。むしろ,GPAによる成績評価を利用して,報奨型か減免型で対処することが多い。しかし,報奨・減免措置それ自体は,優等学生に対して新たな資質を養成しようとするものではないから,わが国の高等教育システムは,優等学生に特化した資質養成を重視しているとは言い難い。
 大学では「国際競争に耐えるような学生の養成に向けて・・・」なる理念を謳うことが珍しくない。また,そのような理念を真っ当と感じる大学人は多いはずである。しかし,現実の問題として,多くの学生の中で,熾烈な国際競争に当事者として関与する可能性が高いのは,最優秀の学生である。一方,大学入学者の学力は,入試によってある程度の足切りが行われているとはいえ,現実には,入学者集団のその後を見れば,学力の差は少なからず存在する。大学全入の時代となれば,その学力差はますます大きくなるだろう。その場合,学力差のある学生集団に対して,一斉授業を行うという状況を想定してみよう。授業の内容と進度は,自ずと‘学力的重心’に合わせざるを得ない(図1)。このとき,‘学力的重心’に近い学生(中学力グループ)にとっては,彼らの実力と授業の内容・進度がほぼ整合する。しかし,それから遠く離れた低学力と高学力の2つのグループは,いずれも不整合を来すことになる。
 もともと日本の教育では,低学力グループに対する関心はかなり高い。現に,2000年代になって,入学直後の学力不足に対するさまざまなリメディアル措置や初年次教育の在り方を研究の一対象とする学術団体が形成されている[1][2]。低学力グループに相応しい教育的特別措置を研究するなど,整合のとれた大学教育を実現する上で重要な課題と思われる。それならば,その対極にある高学力グループに対しても,それに特化した学術団体を形成し相応の教育研究措置を図らなければ,バランスのとれた高等教育研究体制とは呼びにくい。低学力グループと高学力グループのいずれに対しても同じ私的負担を求める以上,アンバランスな体制には,是正が求められる。現状では,高学力者から授業料の部分的返還問題が提起されても,不思議はないであろう。
 「優秀な学生は放っておけばよい」という意見がある。確かに,優等学生は自立心があり,必要な知識を自ら学ぼうとする全般的傾向があるかも知れない。それならば,そのような向学心を前提として,さらなる知的向上を促すような特別措置を図ることが望まれる。しかもそのような学生たちは,将来,公共的な職業や社会的名声のある要職に就きリーダーとなる可能性が高い。したがって,狭義の知識だけでなく,知の社会的還元精神,広義の宗教心,幅広い教養等を身につけておくことが望まれる[3]。ここに,優等学生に特化した教育的特別措置の必要性が理解されるはずである。優等区分と各区分に応じた,教育負担の望ましい(相対的)関係を図2に示しておく。私的負担は,学力の高低を問わず,同じとしている。しかし,公的負担は高学力グループに対してのみ行っている。(学力の効用に対する平均的な見方として)学力が高いほど,職業の公共性や社会的影響力が高くなるからである。すなわち,公的負担に関しては,図2は,学力の高さに応じてその負担額を増すのが合理的という関係を示している。公的資金を,知の社会的還元精神や公共精神の養成のための教育予算として組み込むのである。知の社会的還元精神等に関し,必要な教育が,これまで教育現場でどの程度重視されてきたのかは,重要な点検事項と思われる。
 以上の問題意識の下に,優等学生に対する養成的特別措置の現況を調査した。調査対象は,米国と中国,および日本である。その概略を次節で述べる。

優秀な学生に対する教育的特別措置―養成型―
 米国,中国のほか日本の特別措置を概観する[4]。
 米国では,600程の大学にhonors program/college が設置されている(注2)[5]。その中で比較的レベルの高い大学[6]として71大学を抽出した。そのうち,州立大学が60を占めた。そこで,州立大学に限定して,設立の経緯や特別措置の特徴を調査した。
 中国では,100余の重点大学(leading university)のうち,42の大学で優等学生に対する養成的特別措置がなされている。それらの大学において,設立の経緯や特別措置の特徴をホームページを通して調査した。
日本に関しては,数少ない事例として,(財)松下政経塾を実施調査した。
(1)米国:州立大学の優等措置
 1950年代後半にカンザス大学とパデュー大学で,優等学生に対する特別措置がスタートした。設立年代ごとの設立数は,表1に占めすとおりである(注3)。1960年代に急激に増加しているが,つぎのような推論も可能である。すなわち,1950年代末に,宇宙開発の先端技術でソビエト連邦に先を越されたことによるいわゆるスプートニクショック(sputnik crisis)が発生した。これが米国に危機感を与え,honors collegeの設立を急がせたとも思われる。
 Honors collegeの制度は大学によってさまざまであるが,概して次のような特徴がある。 Honors collegeへの入所は,ACTやSATのテスト結果を基準にしたりこれに面接を加えて合否を定める。学生数は,全学生の数パーセント〜10パーセント程度である。入所を認められた学生は,施設利用,奨学金,寮等で,優遇措置を受けることができる。また,優等学生だけで構成された同窓会もある。このように,正式に優等学生と認められると,各種の特典を享受する権利が与えられるものの,入所後成績不良が続くとhonors college から転出を余儀なくされることが多い。
 各Honors collegeの概要はホームページからも窺い知ることができるが,その記述では,授業中の相互コミュニケーション,リーダーシップ,社会貢献を謳うものが多い。特定の専門知識を強化するというよりも,社会的リーダーを意識したカリキュラムや実践的な活動を感じさせるカリキュラムが特徴的である。
 優等学生に対する助言制度に関しては,半分弱のhonors collegeで何らかの制度が設けられている。助言者の立場によって,academic adviser, graduate adviser, fellowship adviser に分けられている。職業的教育研究人によるacademic adviser を採用するhonors college がhonors college全体の約3分の1を占めることがわかっている。
(2)中国:重点大学の優等措置
 中国では,新技術革命を主旨とした211工程を1993年に発表した。その後,211工程は985工程に引き継がれた。985工程は,世界一流大学の創建を目的とする。そして,2007年までに,北京大学,清華大学を含む100余の重点大学(leading university)が整備されている。重点大学における優等企画の調査結果を以下に示す。
 これまでに確認された優等企画数は,95である。重点大学の中で最も早く優等企画を設けたのは,1970年代末の中国科技大学である。しかし,対象は高等教育ではなく,中等教育を修了していない生徒を対象とした。その優等企画を実施するため,少年班を設立した。これは,科学技術で優れた中等教育生を大学で養成するための教育組織である。同大学では,その実施経験を生かして1985年に大学生を対象とする教育改革実験版班を設立した。入試で最優秀とされた学生を養成するための教育組織である。同じころ,南開大学に数学試点班が,また南京大学に理系と文系の強化班が設立された。その後,重点大学の優等企画は,表2に示すように,急激に拡大した。
 95に及ぶ優等企画をより詳細にみると,理系の内容が69%,文系の内容が25%を占めていることがわかっている。中国の優等企画は,科学技術だけ特化しているとは言えず,文系も相応に重視していることが窺える。
 優等カリキュラムは,電気,機械,経済といった伝統的な学問領域区分を重視しており,リーダーシップやコミュニケーションを重視する米国とは対照的である。また,理系の優等カリキュラムでは,外国語特に英語を重視しているのも一つの特徴である。
 制度的特徴として,優等組織に入所できた学生にはさまざまな特典が与えられる。しかし入所後,成績不良となると排除され(淘汰制),普通のクラスに戻される。華東理工大学の淘汰制では,学期テストで最下位に近い20%が自動的に排除される仕組みになっており,これは最終位脱落制と呼ばれている。‘脱落’により空いた部分には,一般の学生の中から新たに優秀な学生を募集して埋めるようにしている(転移制)。
 米国での優等学生に対する助言制度は,中国では導師制に相当する。導師制は教員と学生が相互に選択することが多く,学生はさまざまな個人指導を受けることができるようになっている。ただし,中国では,米国におけるgraduate adviserとfellowship adviser は探しにくい。
(3)日本:松下政経塾
 松下政経塾は,わが国では数少ない優等企画の一つである。経営者松下幸之助氏が昭和54年に財団法人として設立したものである。‘国’も一つの経営体であり,自身で国を育てたいとの意思を持っていたようだが,高齢のため,育成の対象を若い人たちに向け,この政経塾を設立するに至った。70億円の私財と松下電器グループからの50億円を元手にして,20億円を不動産に投じ,100億円を債券に投じた。そして,後者の利子収入で経営を賄っている。「世の中こそが教室」といういわば教室不要論のためか,制約上学校法人には馴染まなかったという。
 入学資格は,22〜35歳である。したがって,志望者には社会人経験者も多い。開塾時には900人の応募があったが,2006年現在では200人程度となった。1次面接で20〜30人に絞り,その後合宿選考にて10人ぐらいに絞る。最終的には,7〜8人を採用する。3年制を採っているので,塾生は合計20人程度である。採用における最大のポイントは,志の存否である。しばしばブランド取得が目的の志望者がおり,それに対処する意味でも,面接試験を重視している。
 学費はゼロであり,研修資金として1人に1月20万円助成している。1年生には,グループで研修活動を行う。2,3年生には個別活動が主となり,活動資金として年1人100〜150万円を助成する。
 カリキュラムは,3年のうち,前半の1.5年を基礎課程とし,後半の1.5年を実践課程とする。基礎課程では,リーダーの素養に関する基礎教育を行う。「人間とは何か」「経営とは何か」などを重要なテーマとする。また,グローバル化・国際化時代に備え,日本の伝統精神の育成も重視する。基礎課程であっても,半分程度はフィールドワークを行う。例えば,松下系企業で製造実習を行い,これを通して「経営」を学ぶよう計らっている。
 実践課程では,引き続きフィールドワークを重視するが,将来の志を定めることに一つの主眼が置かれている。
 授業の種類としては,通年で行うもの(茶道,書道,剣道等),シリーズとして行うもの(経済学,政治学等),単発のもの(著名人)がある。研修活動に対する厳格な審査もあり,年度末の学期末審査のほかに,10月初の中間審査もある。
 全体として,リーダー養成に方向づけられたカリキュラムと授業料の全額免除の2点が特徴的である。

優等教育企画
 新たな優等カリキュラムの開発企画は,優等学生に対する報奨・減免措置などと比べると,はるかに多くの労力を要することが示唆される[8]。学内的理解,担当教員・アドミニストレータの選定,優等学生の獲得と選抜法,既存カリキュラムとの整合性,財政支援など,解決すべき課題が山積する。Honors college のアドミニストレータは,事務職でなく,教員が担う。教育研究と管理運営の双方の仕事をこなさなければならず,deanよりも業務が多いとされる。Honors college は,収容人数により,大規模(約400人以上),中規模(約400人から約100人まで),小規模(約100人以下)に分類されており,規模によって業務の様相もかなり異なる。小規模であると,それに伴ってスタッフの数も少なくなる。その場合,アドミニストレータは,あたかも個人事業主の店舗のように,自身で切り盛りすべき業務の種類が増える。
 このように,Honors collegeの企画運営はかなり手間のかかる作業であることが窺える。にもかかわらず,米国や中国でHonors collegeを企画運営しようとするのは,恐らく,「リーダー養成」に対する共通理解が得られているからであろう。
 そこで,日本の大学で養成面での優等企画を行うものと仮定し,そのビジョンを空想してみたい。
 まず実施時期であるが,大学在籍期間の中では,最終学期が比較的実施しやすいのではないかと思う。優等学生の場合,最終学期ならば,公務員志望者を含めほとんど就職先が内定しているであろう。その時期は,卒業・修士・博士論文と重なるが,新たな門出を前にして優等授業(優等学生に特化した授業)に対するモティベーションが高い時期ということもできる。
 優等企画は次のようにして運営する。優等授業には,受講希望者をGPAなどに基づいて少人数を選別し,受講を許可する。優等カリキュラムは,知の社会的還元精神や公共精神などリーダーとして保持すべき要件を考慮して授業内容を定める。偉人伝を課題とするのもよいだろう。国際化時代に対処するため,日本の伝統精神,外国人との交渉力などを含めてもよいだろう。所定の単位を修得したら,成績に応じて,マル優,特優などの称号を与える。ただし,これらの乱発を防ぐため,称号の総数は受講者に対する比率として制限しておく。
 講師は,国内外の識者を当てる。遠隔の場合は,リアルタイムネット授業でよいだろう。単位はレポートや口述回答を原則とする。各優等学生のレポート等は,課題とともに学内外にWeb公開し,期限を決めて一般の人々からも質問を受け付けるようにする。単位取得は,その質問に対する回答内容,講師との面接等を含めて最終判断がなされるよう計らう。
 時期的に見て,論文作成と併行する優等授業では,多忙すぎて,いずれにも身が入らないのではないかという疑問もあるだろう。しかし,多忙か否かでなく,優等授業の内容面からみて,その履修を必要とするか否かが本質的課題のはずである。優等学生であれば,やる気次第でほとんどのことがマスターできると思う。
 優等授業の内容に関し,識者安岡正篤氏は,重要な示唆を与えているように思われる[7]。氏の言葉を借りるならば,先の論文作成と優等授業は,それぞれ,知性と徳性に対比させることができる。知性に相応の徳性が備わって,調和のとれたリーダーになる。そのためには,優等授業では,図3に示す平面のどこに重点を置くべきかが,重要な課題となる。
 全般に,優秀な学生は,学習すべき事柄やタイミングをうまくつかむ傾向があるようだ。しかし,学習面で自律心があったとしても,多くの場合,その内容は知性に限定されるように感じられる。したがって,優等学生には,徳性に一つの重点を置いた優等授業が必要ではないかと,私は思う。

 最後に,外国の優等企画の調査は,当センター内外の研究員や多くの留学生のご協力の下に行うことができた。また,本投稿は,世界平和のための島嶼国家連合(Federation of Island Nations for World Peace)中島昌事務局長による本誌の情報提供を契機に,執筆を始めたものである。関係の各位に感謝の意を表します。

(2010年5月21日受稿,7月1日受理)


1)本稿でいう「優等教育(Honors education)」は,いわゆるエリート教育と共通するところが大きい。しかし,エリートにはelite なる別の外国語が対応すること,また「エリート教育」はわが国では冷ややかな用語として受け止められることが多いなどの理由で,本稿ではエリート教育という言葉は避けている。
2)Honors programとHonors college は,同じ優等組織であっても,大学によって命名の使い分けがなされている。しかし,これら2者には,優劣等本質的な相違はないとされている[8]。ただし,設立の経緯で見ると,前者をもとに後者が設立されることはあっても,その逆の事例は探しにくい。本稿では,Honors college の名称で統一する。
3)設立年代が不明のHonors college は,勘定の対象から外している。

[1]http://www.jade-web.org/
[2] http://wwwsoc.nii.ac.jp/jafye/
[3]北垣郁雄,赤堀侃司編著:科学技術時代の教育,ミネルヴァ書房,2006.
[4] I.Kitagaki and Donglin Li: On Training Excellent Students in China and the United States, Journal of the National Collegiate Honors Council, Vol.9,No.2,pp.45-54, 2008.
[5]Digby Joan_ed.,Thomson: Peterson’s smart choice; Honors programs& colleges,:Thomson Peterson’s, 2005.
[6] Owens, Eric. Meltzer Tom, and the staff of the Princeton review, America’s best value colleges: Random house, Inc., 2006.
[7]安岡正篤講話選集刊行委員会:安岡正篤講義録「人間の本質」,PHP研究所,2009.
[8]A. Long: A Handbook For Honors Administrators:National Collegiate Honors Council, 1995.
プロフィール きたがき・いくお
1970年東京工業大学工学部卒。72年同大学院修士課程修了。その後,東京工業大学,職業訓練研究センター等を経て,2000年広島大学大学院教育学研究科・高等教育研究開発センター教授。専攻は,教育工学,高等教育,人間科学。工学博士。主な共編著に,『大学力』『科学技術時代の教育』など。ICVL2007 Excellence Award受賞。