21世紀の日本の外交・安全保障

―開放的海洋国家として生きる道

東洋大学教授 西川吉光


<梗概>

 戦後復興から高度成長時代を経たときに日本は,本来ならば次の段階としての国家目標を設定していくべきであったが,それができずに今日に至った。それが今日の政治的混乱の根本にあると思う。歴史的にみると,日本はともすれば内向き志向のベクトルが作用するため,外界の変化を正面から受け止め自分で新たな方向を定めることはなかなかむずかしい。これからの方向性としては,開放的海洋国家としての理念の共有を図り,海の同盟関係を強化し推進することであり,かつ,それによって日本人の孤立閉鎖的な体質も改善していかない限り,日本の再生復活の道はない。

1.内向きの日本人
 昨年の政権交代後の外交・政治状況を見ながら,「今日本が岐路に立っている」と感じる人も多いと思うが,私は戦後日本が最初の岐路に立ったのは30年ほど前であったと考えている。敗戦後のどん底生活から戦後復興をスタートさせた日本は,奇跡ともいえる経済成長を成し遂げた。そして高度経済成長を遂げて物質的な豊かさを目標とする時代から,次の段階の国家目標を設定して,さらなる飛躍の節目となるべきであったのが,1970年代であったと思う。
 当時は,佐藤栄作首相が第三次佐藤内閣をスタートさせた自民党の黄金時代であった。佐藤首相はさまざまな業績を残したが,戦後復興を達成したあとの次の国家目標をなぜ設定しなかったのか。これが戦後日本の最初のつまずきであった。このときに戦後復興という目標を超える新たな次の目標を設定できず,歴代自民党政権はだらだらとその延長線上に歩んできた。これが今日の日本の姿ではないか。もちろん,この間,日米同盟の深化や国際貢献の道を開くなど,評価すべきこともあったこともあったが,国家のあるべき姿や国家目標という大きな枠組みを自分自身で変えることができずに今日に至ってしまった。
 近代日本は,黒船来航,敗戦などといった外圧や外因によって,やむを得ず強制的な力によって方向転換を行なうことができた。戦後も外圧にさらされながら,何とか「成功神話」が生まれるまでに発展したのである。本来は自分自身で次の段階の目標・進路へと方向転換をしていかなければならないのに,いま日本は目に見える形での敗戦という外圧がないため目標を変えることができずにいる。これは日本が内在的にもつ限界だと思う。
 そのような背景として,「徳川時代に鎖国をしたこと」の影響を指摘する人もいるが,私は別の考えを持つ。日本列島は豊かな自然の恵みがあり,水が豊かで国中が緑に覆われているといっても過言ではない。そして調和を持って生きる知恵を持っていた。しかし,却ってそのような枠組みが日本をダメにしてしまったのではないか。6世紀頃までを除くと,日本という国はともすれば内向きで鎖国状態に陥る期間が長い。徳川時代に鎖国をしたから内向きの日本人ができたのではなく,もともと内向きの体質をもつ国民なので300年にも及ぶ鎖国政策がうまくいったのだ。
 このように日本の国の中では,外に目を向けなくてもやっていける。国内がまさに一つの世界というミクロコスモスの観念から抜けきれない。例えば,私が子どもの頃は,テレビ番組の三分の二くらいは米国ドラマであったように思う。ところが,現在はほとんどが日本のドラマである。また最近の大学生は,海外旅行に行かない。それはお金がなくて行かないのではなく,行きたいと思わないから行かないのだ。ある学生は「何でも日本にあるのに,海外に行って何するんですか」といっている。
 このような国民の体質を変えない限り,国連の常任理事国になることも,また政治的・戦略的な大国になることも難しいだろう。政治・安全保障面でいえば,日本はそのときどきの覇権国家の枠組み内で生きていくことしかできないのではないか。その中で日本がやれることはせいぜい経済面での主体性に限られてしまう。いまやその経済さえも,世界のトレンドから抜け落ちている。

2.海洋国家として再生すべき日本
 島国である日本は元来外国との貿易・交易なくしては生きていけない国であるのに,この当たり前のことを日本の教育は教えていない。世界のことに関心を持って勉強し,世界に出ていかなければならないことを一つも教えない。教えているのは単に「仲よくすること」,あるいは日本の過去の過ちだけというように偏っている。
 私はよく大学の授業で「外交の目的は何か」という問題を出す。日本人学生の多くは,「周辺国と仲良くすることだ」と答えるが,中国人の留学生などは「自分の国にとって都合の悪い国とは仲良くする必要はない」「(外交は)自国を強国にするための手段・便法だ」と答える。友好至上の考えは学生に限ったことではなく,日本人全般の現状を反映する考えだと思う。
 また,昭和時代前半期の日本人と最近の日本人の顔を比較してみると,私の主観であるが,あきらかに顔つきが違うように見える。もちろん食生活の影響も否定できないが,戦後の日本人の顔には緊張感が全然ない。現代日本人の顔はたるんでいるが,昭和時代全般の日本人の顔は輝いて見える。戦後60年以上の平和を経る中で,日本人は「幸せ」にたるみきってしまったのではないか。
 いまや日本は「国がら」を変えなければならない。内向きの性向の日本人の体質を変えていくためには,海洋国家としての自覚をもつことであり,外に出て行き世界と丁々発止のやり取り・交渉ができるような実力をつけること,そして外に目を向け,かつ外から日本を見つめられるような国民性に変えていく体質改善の取り組みだ。それ以外に日本が復活する道はない。
 政治的には他の海洋国家と連携し,経済的には交易国家として生きるのが日本の方向性だと思う。かつての交易国家ベニスのように世界に目を向けて,情報の網を張っていく。貿易をうまくやれば軍隊は要らないと主張する人がいる。しかし,交易を行えば他国との間に摩擦や利害の対立を引き起こすこともあるわけで,そうなると自分の国(共同体)は自分で守るという最低限の軍事力は必要である。また貿易によって密接に結び付けば,対立しても攻めてくることはないという人がいるが,そうではない。日本の周辺やシーレーンは自分で守るという気概を持ち,限界はあるにせよ,一定の自己完結的な軍事力を展開することができるような目標設定をすることが,日本の再生につながると同時に,世界からも一目を置かれる国家になる道だと思う。
 日本は本来「海洋国家」になり得る環境与件があるにもかかわらず,海洋国家にはなりもせず,せいぜい沿岸国家にすぎない。日本人は国家権力がボリュームを上げて相当後押ししないと海外に出て行かない。中国人などは海外に出かけていくとそこで定住して自分たちのコミュニティを組織化し,本国との関係をもちつつ現地で活動する。日本人にはとてもこのようなことはできない。例えば,国際機関に勤務する人でも,日本人は定年後に日本に戻ろうとする人が多いが,外国の人たちはむしろ勤務地に定着する傾向が強いという。内向きの思考を変えることは大変な作業だが,やらねばならない課題である。

3.鳩山政権の外交・安保政策
 鳩山政権の外交・安保政策についてはすでに多くの批判があり,重複を避け,いくつか指摘しておく程度にとどめる。
 社民党は米軍普天間飛行場移設問題に関して,サイパン島やテニアン島など海外移設を主張する。サイパンなどの現地の人々は,地場産業も乏しく援助金もほしいから移設を望んでおり,沖縄の基地をそちらにもっていけば歓迎されるという発想が,その根底にあるのではないか。自分(日本人)が嫌なものを,何年もかけてしっかりと調べもしないで彼らに突然押し付け,彼らなら簡単に受け入れると勝手に考えるのは,無礼な姿勢だ。これはその地域の人々を愚弄する主張ではないか。戦前の植民地支配の失敗の繰り返しではないかとさえ思えてならない。
 さて,すでに述べたように,戦後日本は,新たな国家目標設定を行わないままだらだらと来たために,いつの間にか米国との関係を仲良くすること自体が外交目標化してしまった。米国とは同盟関係であるが,それは現実可能性からみた場合の最善の選択であった。そこに問題点があるのは当然だから,それを指摘し主張すべきことはしなければならない。しかし重要なことは,主張すればそれで終わりということではない。鳩山首相が,言いたいことだけを主張してあとは「トラスト・ミー」という態度をとったのは論外だ。何の代案もなく主張だけするのは,果たして独立国家の政権の取るべき態度かといぶかりたくなる。
 今は,世界に目を向け,腹の据わった政治家,すなわち国師型の政治家が要請される時代だ。そのような政治家を輩出する仕組みを早急に整えない限り,現在の政治状況は変わらないだろう。

4.あるべき日本の外交方針
(1)日本外交の基軸としての日米同盟関係
 「日米同盟を英米同盟のようにすべきだ」との議論がある。両者には歴史的,質的な違いがあることは明白だが,決定的な違いは民族的な同質性の違いである。私も日米関係を英米関係のように深化させていくべきだという考え方には賛成する。民族的同質性の違いが決定的であることは変えようがないが,それを補うのは,精神性(スピリット),理念面ではないかと思う。すなわち,理念の共有,同じ価値観を持つことである。それは例えば,自由や民主主義ということになろうが,日本人はそうした抽象的概念に弱い。それゆえ日米関係の将来を懸念するのである。
 そこで日本の若者に世界を見せる機会を与え,日本がいかに自由を享受できる国なのかを感じさせる必要がある。自分の言いたいことを主張しても安心していられる日本であることを,そうではない世界の現実を示しながら若い人たちに肌で感じてもらおうと大学では努力している。日本では当然のことである自由や民主主義は,「棚から牡丹餅」式に得られるものではないことをはっきりと理解する必要がある。アジア・アフリカ諸国へのODAや技術協力ばかりが国際貢献とされ,日本の周辺には自由や民主主義が抑圧されている国があるのに,それらの国々に対して自由や民主主義が享受できるように支援することが国際貢献であることを日本では教えていない。
 このような米国との理念の共有ということができるようになれば,米国も日本のために血を流そうという気にもなるのである。ところが日本は,自由や民主主義のために戦う世界の人々の行動に対してまったく冷たい。そのくせ自分が困った時には助けて下さいと哀願する。日本が利己主義の国と受け止められてしまうことによって,うわべだけの日米同盟になってしまうのではないかと憂慮している。
 沖縄問題でも,日本は米国を非難するばかりだが,それは間違っている。信頼関係を基盤とする米国との同盟関係を持つこと,そして変化するアジアの軍事バランスの中で,日本はまず米国をつなぎとめる努力をすべきだろう。自分は何もせず変わろうともしないで,米国に要求だけする姿はまったくおかしいとしか言いようがない。日米関係を強固なものにするための要諦は,理念の共有である。これを英米関係以上に持たない限り,人種も宗教も異なる日米同盟の将来は危ういのではないか。
 米国内では近年日本のことがほとんど意識されなくなりつつある。日本としては米国内に日本のことを考え意識してくれる人をもっと作っていく必要がある。このことは米国に限らず,韓国や中国内でもいえることだ。この国は海外に日本の「応援団」をつくろうとしない。
 今では海外に親日派が少なくなってしまった。もっとたくさんの親日派,知日派を作る必要がある。商売をやるときにはこのような発想は当たり前のことである。戦後日本はモノつくりで成功したが,相手の気持ちをつかもうとするスピリチュアルな交わりが弱かった。国民レベルで味方をつくりながら,その中枢部には心・理念を共有する同盟関係を築くことが重要である。
(2)アジア海洋同盟の構築
 日本,台湾,アセアン,できればインドを含め,さらに将来は韓国も含めた,アジア海洋交易同盟を作るべきである。中東地域からアセアン地域,南シナ海,東シナ海,バシー海峡を経て日本に至るシーレーンを守り,同盟国と連携しながら日本の海上自衛隊も海賊対策,PKO活動,災害対処等の緊急事態にあたっていく。最近,東南アジアの海賊対策では日本がイニシアチブをとって関係国と枠組み作りに尽力した事例があったが,日本は積極的に海の同盟関係を推進すべきである。これは第一列島線や第二列島線へと狙いを定めて進出の機会をうかがう中国に対しても,強力な抑止力になる。
 日本がこれまでやってきた「太平洋・島サミット」も非常に有益な政策だ。大国志向になりがちな中で,太平洋の小さな島嶼国家に限らず,豪州,ニュージーランド,アセアンなども含めた広域的な戦略的対話を進めることが重要だ。
 さらにもっと大きな視点としては,東南アジアなど開放的な交易政策をとる国々との理念の共有,権益・利益の共有を図ることである。同じアジア諸国の連携でも,とくに海でつながっている国々との連携,一体化を進めるべきであろう。
 日本の海上自衛隊がシーレーンや日本海域に常時いるとなれば,緊急避難などの人道援助やPKO活動にも迅速な展開が可能になる。それは同時に膨張主義の中国に対する牽制にもなる。しかし,あくまでも日本一国で行うのではなく,アジアの国々と連携して行い,その実績を残していけば米国なども理解してくれるに違いない。
(3)オフショアー(offshore)からの大陸政策
 日本は本来海洋国家であるはずなのに,そうなりえていないので,海洋国家としての開放性を備え,防衛は海軍力を中心とすべきである。過去の歴史を振り返って見ても,日本は大陸や半島に進出し深入りして躓き失敗してきた。他のアジア諸国は巨大な中国に次第に吸収されていく恐れがあるが,日本は大陸との間に海があるので一歩引いて対応することが可能だ。経済では日中関係を深めていくべきであるが,政治・安全保障面では,一線を画して米国と連携しながら自由や民主主義を訴えていくべきだ。逆に言えば,中国の民主化が進めばアジアがまとまることも可能である。
 外の国と交わらない国は,ソフト面の発達もおぼつかないと思う。米国のように,人種,宗教,考え方の違う人々が共存する社会の基礎には,考え方の違う人が互いに理解できる枠組みや制度が必要になる。それがソフトを生み出す力の源泉であろう。同質の日本人社会でのみ通用するものは,外に持って行っても通用しない。日本は開放性が乏しいために,ソフト大国にはなかなかなりにくい。
 もはや日本は経済的にはアジアのトップリーダー足り得ない。現状をみると日本の最先端技術も将来的に不安がある。今後日本がアジアの大国になりうるとすれば,それは中国になくて日本にあるものでということになる。それは何かといえば自由と民主主義である。日本こそ自由と民主主義の発信拠点となるべきだ。経済では中国がアジアの大国となるが,民主主義,政治的成熟度などでは日本がアジアの大国たりえる。アジアの国々の民主化が進むために,「日本抜きには語れない。日本は自由と民主主義のために行動している」,そういう国になることしか,日本が世界の中で,アジアの中で,生きていくことはできないのではないか。
 対中関係では,経済関係は否が応でも深まっていくが,ぶつかりながらも共存していくしか方法がない(競争的共存関係)。短気にならず,二国関係だけで物事を考えずに,多国間の枠組みで接触しそのなかで相手が倒れるのを待つというのが賢明な道であろう。
 日本は鬼畜米英として憎んだ米国に対して戦後手のひらを返すように好意を寄せるほどに豹変した。それは日本が理念・価値観にこだわらず,物欲や世俗的な価値に弱いという体質があるからだと思う。同様のことが,中国に対してもいえる。中国がもし抑圧的態度をやめた場合に,日本は一気に中国になびく可能性がある。そのとき中国が本当に民主化されていればよいのだが,今の大きな国のままでそうなる可能性は低いのではないか。中国が小さな単位に分割されれば別だろうが,大きなままでは抑圧的側面はなくならないだろう。少しでも抑圧的態度が見えなくなった場合に,物欲によって日本が中国という大陸勢力に吸い込まれていってしまうのではないかと心配する。
 現在の米政権の対中政策は,かつての封じ込め政策ではなく,国際社会に中国を引き込んで責任ある立場に立たせながら中国の解放を進めようとするものだ(積極的関与政策)。日本も基本的にはその線に沿った姿勢を取るべきだろう。ただし,中国がわれわれが望むような真の民主国家になるかどうかについては,現在も今後もかなり難しいと考えている。
 ロシアも,中国同様に米国に代わって日本の同盟国になる国とは思えない。最近のロシア情勢を見ると,この国が本当に民主主義が根付くのかと疑問に思うし,北方領土が交渉の末返還されるということは難しいように思う。ただ,北方領土というトゲがあるおかげで,日本がロシアに吸収されてしまうことはないだろう。日本としては,対中外交を展開する時の,交渉の一つの材料としてロシアを利用する以上のつながりにはならないだろう。
 北朝鮮問題については,中国の動きも考慮し,現政権とのコミュニケーションを確保する必要もあると考える。なぜか。金正日政権が崩壊した場合に,中国は自国(軍部)に都合のいい直轄政権(傀儡)を立ち上げる可能性がある。そうなると日本海はまさに「中国(の)海」になってしまう。中国海軍は,東シナ海のみならず,日本海側にも海軍拠点を設けることになり,朝鮮半島は中国の影響圏内に入ってしまうからだ。北朝鮮問題にしても,大局戦略的な視点からとらえる必要があろう。
 次に日韓関係だが,韓国には北朝鮮によって拉致された人が日本よりはるかに多くいる。ところが日本は,日本人の拉致問題しか取り上げない傾向がある。韓国人の拉致問題を積極的に取り上げて連携しようという動きはない。韓国や米国には,日本の拉致問題の取り上げ方に対しいて苦々しく思っている人もいる。日本人の人権だけを極大化して取り上げる姿勢は如何なものか。“国際社会”という,より大きな視点から見ることも必要だろう。
 その一方で,韓国とは平気でケンカできる関係を築くことが大切だ。我慢せずにどんどんものをいう関係だ。日本人は我慢して内に思いをためてしまいがちで,それが理解されずに爆発すると大変なことになる。自由にものが言える関係を高めていくと,ケンカしながらも話し合いができる関係になっていく。苦しいかもしれないが,その一線を乗り越えて文句を言いあい,テーブルの下で足を蹴飛ばしながらも,FTA締結や安全保障問題について自由に話し合いをすることができるような関係にする。日韓の橋渡しになるような人材を育てる必要もある。相互の事情を理解できる人材が,いま日本にも韓国にも現在あまりにも少ない。
 韓国の存在は,日本にとって癪に触るようなことも少なくないが,日本にとっては手本あるいは刺激剤だと思う。日本と米国や中国を比較すると,あまりにも国力や与件が違っていて比較の対象になりにくい。日本にとっての韓国は,同じ目線で見つめることができ,日本と肩を並べる国力をもつ国として成長してきたので,韓国のナショナリズムや愛国心などの姿を等身大の比較対象としてみつめることができるようになった。つまり,日本が国際感覚や価値観を身につけていく上で,韓国は「手本」になる国だと思う。よそよそしい関係ではなく,何でもずけずけとものが言える関係にすることができれば,次の世代には新しい日韓関係ができていくに違いない。

5.あるべき日本の安全保障政策
 これまでの自衛隊は,自己完結的な作戦遂行能力に偏りがあった。もちろん,日本が米国やロシアのような軍事力を持つことはできないが,もう少し自己完結的な軍事力を整備した方がいいのではないかと考える。
 専守防衛戦略という考え方は,軍事的には必ずしも賢明な考え方とは言えないので見直しが必要だ。日本の経済的権益のために,また物質的,精神的安全を確保する意味でも,外に出てなるべく国土の遠方で日本を守ることができるような軍事力の構成に転換していくべきだろう。
 モノの面だけではなく,ソフトで戦うという体制も不十分だ。例えば,ハッキングを受けた場合に今の日本は果たして大丈夫だろうかという心配である。しかもソフトで守るだけではなく,ソフトで戦うような姿勢が必要だ。最新鋭のソフトウェアや技術で相手に対して反撃できるような体制を整備しておかなければならない。
 集団的自衛権の解釈はやはり変更が必要である。集団的自衛権を行使できないことは,日本人が自らに対して自信がないことの表れである。権利を保有することと行使することとは別である。例えば,ナイフをもつことが禁じられれば,リンゴを切ることもできない。ナイフで殺人もできるが,それは使う人間が主体的に正しく判断することによる。PKOや国際活動などで同盟国や仲間を助けるのは当然の理である。問題は必要以上に行使するかどうかである。日本の国益やマイナスイメージになるのであれば,使わなければいい。義務ではなく権利なのだから,その行使と程度はその国民の叡智にかかっている。世界の多くの国が持つ権利を日本だけが行使できないのは,日本だけがいまだに未成年であり,叡智がないということになってしまう。
 海洋同盟の考え方からすると,日本も空母保有について検討すべきだろう。仮に中国の空母が日本海に侵入してきた場合に,米空母が日本海に入るだろうか。冷戦時代に米・第七艦隊は,ソ連の軍港が近くにあるために(気を使って)日本海に入らなかった。もっとも日本が空母を持つことに一番反対するのは米国だと思う。太平洋のシー・パワーを日本に渡したくないからだ。それゆえ日本が空母を持つことの実現可能性は,自衛隊関係者も否定的であり,経済的理由からも難しいとは思う。しかし,私としては,「意地」の問題として考えている。つまり,日本海を「中国の海」にしたくない,少なくともそれくらいの覇気を持って日本海を「日本の海」にし続けるということであり,そのシンボルとしての空母という考えである。

6.最後に
 日本がソフト大国になるためには,他の民族と交わる必要がある。異民族との交流・交易,接触を通して,考え方の違う人たちと共存する中で普遍的なものを身に付けることによって,ソフト面での進化発展が可能だと思う。それと同時に日本人としての真のアイデンティティも高まっていく。
今の日本では学校教育で教えないと国旗に敬礼せず,国歌を歌えないのが現状だ。こういうことは島の中だけで生活していては理解することができない。海外に行って外国の人たちが国旗や国歌にどれだけ敬意を払っているかをつぶさに見,感じれば自然と理解できる。自分の価値観や考え方が絶対的だと思っていたものを,海外に行くことでそうではないことが分かると同時に,日本人としてのアイデンティティ理解も進む。日本という島の中だけからは本物のアイデンティティは生まれてこない。
日本の国際貢献とは,あくまでも日本の存在が世界に役立つという意味の貢献だと思う。世界に困っている国,地域があれば,自分の命を捧げてくれる国として日本が認められるようにすることだ。そのような国柄となるためににも,やはり外に向けて開かれた海洋国家になることが緊急の課題ではないかと考えている。

(2010年4月17日)

プロフィール にしかわ・よしみつ
1955年大阪府生まれ。77年国家公務員上級職(法律甲種)試験合格。78年大阪大学法学部卒。防衛庁入庁,その後,内閣安全保障会議参事官補,防衛庁長官官房企画官,防衛研究所研究室長等を歴任し,98年東洋大学国際地域学部教授,現在に至る。法学博士(大阪大学)。専攻は,国際政治学,安全保障論。主な著書に,『現代安全保障論』『国際政治と軍事力』『ポスト冷戦の国際政治と日本の国家戦略』『ヘゲモニーの国際関係史』『国際地域協力論』『国際平和協力論』『紛争解決と国連・国際法』『日本の外交政策―現状と課題,展望』『特攻と日本人の戦争』他。