核軍縮・不拡散へのロードマップ

元原子力委員会委員長代理 遠藤哲也

1.核軍縮・核不拡散気運の世界的な盛り上がり
 日本では「核軍縮」というと「広島」「長崎」「唯一の被爆国」の3つの言葉が,あたかも呪文のように繰り返されてきた。しかしそれらの経験を活かしながらも,日本としてどのように“日本らしく”核軍縮に取り組むのかという具体論が不足している。
 核軍縮・核不拡散の問題は,ここ2〜3年で世界的に大きく取り上げられるようになった。その先駆けとなったのは,「米国の四賢人」といわれるヘンリー・キッシンジャー(元国務長官),サム・ナン(元上院軍事委員会委員長),ウィリアム・ペリー(元国務長官),ジョージ・シュルツ(元国務長官)が,2007年および2008年に米「ウォール・ストリート・ジャーナル」紙に寄稿した「核廃絶の世界」という論文であった。彼らはかつて米国の核政策に直接に関与していた民主・共和両党の政府高官たちだ。
 それに触発される形で,2008年12月には米国を中心に「グローバル・ゼロ」と呼ばれるトラック2(民間・非政府)の運動が始まった。世界一の富豪といわれるウォーレン・バフェットやCNN創業者のテッド・ターナーらが支援し,2010年2月に提言を出すことを目指している。また日豪共催の「核不拡散・核軍縮に関する国際委員会」(以下,日豪国際員会)もすでに数回の本会議が開かれ,地域会合も北京,ニューデリー,カイロで行われた。2009年10月中に最後の委員会を広島で開催して提言を取りまとめる予定である。
 言うまでもなく,2009年4月のオバマ大統領のプラハ演説,また9月にオバマ大統領が議長を務めた国連安保理における核軍縮・核不拡散に関する首脳会議も世界の注目を集めた。米国はそれと同時に開かれた国連におけるCTBT(包括的核実験禁止条約)発効促進会議にも10年ぶりに参加し,クリントン国務長官を派遣した。さらに2010年4月には核セキュリティ・サミットがワシントンD.C.で開かれる(核セキュリティ・サミットは核テロ対策が主目的だが,日本のメディアはこれを核軍縮あるいは核安全保障の会議と誤解しているようだ)。こうした動きの集大成として,2010年5月にNPT(核拡散防止条約)の運用検討会議が開かれる。

2.核軍縮・核不拡散論の背景とその特徴
 このような動きはなぜ起こってきたのか。従来の核廃絶論は,唯一の被爆国である日本や非同盟諸国,北欧諸国,カナダ,オーストラリア,ニュージーランド等の「非核兵器国」がイニシアティブをとって主張してきたもので,どちらかと言えば感情的,情緒的な議論が多かった。しかし最近の特徴は,最大の「核兵器国」が核廃絶・核軍縮のイニシアティブをとっている点である。しかも上述のように,米国の核政策に直接関与した元高官からの提唱であり,戦略論あるいは安全保障論に立脚した理論的かつ具体的なものへと質的に変化している。
 その大きな理由の一つとして,冷戦終結にともない米ソ両大国による核の応酬の可能性が低下したことが挙げられる。現在の安全保障上の最大の脅威は,テロリストによる核の使用である。自爆攻撃で核兵器や核物質が使われる場合は抑止力が有効に働かないが,米ソが支配する世界で「平和」―たとえそれが「冷たい平和」であっても―が保たれてきたのは核兵器の抑止力ゆえであった。抑止力の効用性は依然として存在するが,その目的以外の核兵器の存在はかえって危険なものとなった。この点が当時との大きな違いであり,このような新たな脅威に対応する必要が出てきた。
 ではどう対応すべきか。要するに,世界から核がなくなるか,少なくともその数を減らすことができれば,テロリストに盗まれたり使用される可能性は低くなる。脅威の根源を抑えた方がよい,という考え方だ。ただし,それは一挙に実現するわけではない。オバマ大統領がはっきり述べているように,いくつかの国々に核兵器が存在する以上,核の抑止力は必要である。核廃絶の理想があっても現実に核兵器の価値が完全になくなったわけではない。「核のない世界」(a world without nuclear weapons)という理想に到達するにはまだまだ時間がかかる。オバマ大統領自身も自分の生きている間には無理だろうと言っている。ちなみにオバマ大統領は現在48歳である。理想に向かってステップ・バイ・ステップで進めるしかない。

3.核廃絶への段階的なロードマップ
 グローバル・ゼロのような運動も,日豪国際委員会も,核廃絶に向けた現実的な取り組みを徐々に進めている点で共通している。ここで核廃絶に向けた現実的な取り組みを,短期的,中期的,長期的措置に分類し整理してみる。
 短期的措置は比較的単純であり,まず核兵器の95%を保有する米露が核削減に手を付けることである。具体的には,STARTT(第一次戦略兵器削減条約)の後継条約をより低いレベルで発効させなければならない。またCTBTの早期発効も必要だ。CTBTは発効のための必要条件とされる9カ国が批准しておらず,その中でも米国が批准するには上院で3分の2にあたる67名以上の賛成による可決が前提となる。共和党議員の賛成も必要となるがあと数票足りない情勢で,決して楽観できない。上院では過去に一度否決された経緯があり,再び否決となれば大変である。そのため,オバマ大統領は非常に慎重だ。果たして2010年5月のNPT会議までに批准されるかどうかは未知数である。米国がCTBTを批准すれば中国がそれに続くだろう。その後の難関はインド,パキスタン,そしてイスラエルを睨んでいるエジプト等の中東諸国である。北朝鮮,イランの問題もあり,CTBT発効は簡単ではない。
 FMCT(兵器用核分裂性物質生産禁止条約)は「カットオフ条約」とも呼ばれ,15年以上交渉が開始されないままになっている。しかし,最近になってようやく動き出す気配が見え始めた。また,NPTの補強も課題だが,イランと北朝鮮の核開発問題をどう処理するかが当面の大きな課題となっている。以上が,例示的だが短期的に対応が求められている問題である。
 中期的措置としては,米露の核をさらに大幅削減することが必要となるが,中国,仏,英,インド,パキスタンなど他の核兵器を持っている国を交渉に巻き込むことを考えなければならない。核燃料サイクルの国際管理も課題である。その際,検証(verification)および履行(enforcement)をどう確実にするか考える必要がある。
 現在の国連安保理ではイランや北朝鮮の核問題に対しても安全保障面からの議論にとどまっていて,十分に機能していない。核の軍事利用と平和利用の境界はあいまいで,特にウラン濃縮やプルトニウムの再処理による抽出など,どちらの目的にも使える技術をきちんとおさえなければいつ平和利用から軍事利用に転用されるかわからない。
 長期的には核廃絶を目指すことになるが,この段階になるとますます難しい課題が出てくるだろう。核弾頭の数を1000〜1500個に削減するのは可能だが,それを500程度にまで減らし,さらにゼロにしていくとなると,「相手の国は本当に保有していないのか」といった疑念が生じるに違いない。仮にゼロにできたとしても,核兵器を開発する知識あるいは能力は残されたままである。果たして国際社会はどこまで検証と履行を確実に行えるであろうか。
 核廃絶は決して簡単な問題ではない。しかし上述のように一つずつ実行していこうとするのが日豪国際委員会やグローバル・ゼロの基本的アプローチである。

4.課題と日本の対応
 核軍縮は,基本的に核を持っている国がその気にならなければ進まない。周りでいくら「削減せよ」と言っても,削減するのはわれわれ(日本)でなく彼ら自身である。核兵器を持っていることが公認された国々(米,露,英,仏,中)は「核兵器国」,インドやパキスタン,北朝鮮などは「核保有国」と呼ばれるが,主役はあくまでも彼らであり,非核兵器国の日本は枠組みの構築などと通じて側面から支援する立場だ。
 オバマ大統領の核廃絶論を称賛する日本人は多い。米国の大統領が初めて公式の場で核廃絶を唱えたという点では確かに素晴らしいことだが,それは一種の理想主義である。しかし,オバマ大統領は同時に現実主義も踏まえている。両者のバランスを適宜使い分け,むしろウエイトは現実主義におかれていることに留意すべきだろう。決して情緒的,感情的に核廃絶を訴えているわけではなく,この点が日本の核廃絶論者とは異なっている。
 かつては核軍縮が単独で議論されていたが,今では核軍縮・核不拡散がセットで扱われる。さらに核の平和利用を加えて,これら三つが併せて取り上げられるようになってきていることを認識する必要がある。
 最後に日本の対応について述べる。わが国では北朝鮮(潜在的には中国も含めて)の核の脅威にどう対応するかが喫緊の課題となっている。日本としては米国の「拡大抑止」(Extended Deterrence)に頼らざるを得ないわけだが,その拡大抑止が何に対して発動するのかはっきりしていない。
 例えば,北朝鮮から核による攻撃や脅威を受けたときのみに発動するのか。あるいは化学兵器や生物兵器であっても適応されるのか。また世界全体の核兵器の数が減少しても,中国だけ削減が進まなかったらわが国はどう対応するのか。相手が核を使用しない限り自国から核による先制攻撃はしないという議論についても,例えば中国も先制攻撃はしないと言っているが,それはどうやって保証されるのか。
 冷戦時代,ヨーロッパ戦線の通常兵器はワルシャワ軍の方が圧倒的に強かった。NATO軍はワルシャワ軍の戦車部隊がドイツ国境を越えて侵攻した時,核による先制攻撃をすると宣言していた。現在はその逆の状況に変わってきている。ロシアの通常戦力は弱くなり,むしろいざという時の核による先制攻撃を行うことを否定していない。
 そのように考えると,日本と同盟を結んでいる米国が核の先制使用を否定するということは,抑止という観点からみて果たして良いことなのか。ならば日本として米国に核の先制使用を否定しないよう頼むべきであろうか。これらは日本の安全保障を考慮に入れた問いである。
 さらに核の平和利用について,日本は欧州原子力共同体(ユーラトム),インドと共に核燃料サイクルのプルトニウム,ウラン濃縮が認められている。それに対して「非核兵器国の日本だけに核燃料の保有が認められるのはおかしい」という指摘がある。核燃料サイクルを国際化すべきだという議論もある。これについて日本はどう対応すべきか。核軍縮に伴う安全保障の議論,日本の原子力政策の議論を早急に進めなければならない。
 核軍縮の国際的モメンタムに対して日本はどう対応すべきか。冒頭に述べたように,唯一の被爆国,広島,長崎への言及だけでは,必要条件ではあっても十分ではない。核軍縮・核不拡散の各段階に対応した“日本らしい議論”の展開をしなくてはならない。
 なお,日本語の「核」あるいは「原子力」という二つの別の言葉が,英語ではともにnuclearである。それらの定義は明確ではないが,一般的に「原子力」は平和利用のニュアンスが強く,「核」は軍事利用のニュアンスが強いようである(原子力発電所の「核燃料」などは例外的である)。

(2009年10月7日)

プロフィール えんどう・てつや
1935年徳島県生まれ。58年東京大学法学部卒。同年外務省入省。89年ウィーン国際機関日本政府代表部初代大使,93年日朝国交正常化交渉日本政府代表,95年朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)担当大使,96年駐ニュージーランド大使等を歴任。その後,原子力委員会委員長代理,桐蔭横浜大学法学部客員教授等を経て,現在,日本国際問題研究所シニアフェロー。専攻は,国際政治,外交,原子力。名誉法学博士(米国デポー大学)。主な著書に,『北朝鮮問題をどう解くか』他。