ポスト冷戦時代の国内紛争

トルコ・バルケシル大学助教授 ムザッファ・エルジャン・ユルマズ

 

 冷戦時代には,民族への帰属意識や民族主義は時代遅れで,もはや決着済みと思われていた。東も西も,世界は民族主義を脱して,国際主義に向かうと考えていた。人種や民族の運動が過去のものだと吹聴された背景には,一方で核戦争の脅威があり,他方に民主主義と人権が強く叫ばれたり,経済の相互依存が進む中で,普遍的価値観が徐々に受け入れられてきた事情があった。

 ところが案に違うように,近年,民族を軸にした政治運動が,バルカン半島を含む東欧や中央アジア・アフリカなど,世界各地で再燃している。冷戦終結以来,国と国との戦争は激減し,国際協力の進展は顕著だ。今の時代に平和を脅かしているのは,大規模な国家の衝突ではなく,国の領土内で起きている摩擦や葛藤だ。こうした国内の紛争が,冷戦時代のイデオロギー対立に取って代わった。

 詳しく見てみよう。冷戦が終わった1988年5月から現在まで,国連が介入した紛争は47件あり,そのうち国同士の戦争は,イラクによるクウェート侵略(1990年),チャド・リビア国境紛争(1994年),そしてエチオピア・エリトリア国境紛争(1998-2000年)だけだ。米国のイラク侵攻を含めても四件のみで,この期間の残り44件は国内の紛争だった。

 われわれは国内紛争の時代に生きているのだ。ところが国際社会は,この趨勢に対応しきれていない。国連をはじめ主な国際機関は元来,地球の平和と安全を脅かす国家間の問題を扱うように創られた。そして他国の領土内で発生した紛争に干渉するのは,国際法の妥当性や国益を損なう恐れから極めて臆病だった。紛争が激化するまでは関与を避けるのが常だった。

 ところが国内紛争とは言っても,それがもたらす被害は深刻かつ甚大で,世界の平和と安全のためにも収拾されなければならない。仮に紛争が当事国だけに固有なものでも,世界の相互依存や国際的連帯のメカニズムによって,早晩,国際的な性格を帯びる。紛争当事者に,国外の関係者が政治・経済または軍事的な支援をしたり,避難場所や闘争拠点を提供すれば,さらに国際的な色彩を帯びる。国内紛争を内外の関係者が効果的に収拾するために,紛争の性質や原因を理解しておきたい。本稿は,世界各地の主だった国内紛争の共通性を探り,その原因の説明を試みようとするものである。

1.国内紛争と民族的アイデンティティ:概観

 詳細に入る前に,国内紛争の範疇と,民族的アイデンティティの関連性を明らかにしておきたい。

 国内紛争の根底には,お互いを異質と感じる民族・文化的グループの間のライバル関係が横たわっている。このライバル関係が公然の闘争に転換する契機は,いずれかのグループが,国の政治秩序を不当なものと判断することだ。闘争による現状打破の目標には,文化的諸権利を容認させる,自治権を獲得する,政治的分離や全面的な独立達成等が挙げられる。そして闘争の矛先は支配的グループか,それが牛耳る国家権力に向けられるのが常だ。従って国家統治の正当性が疑問視され,法律は支配集団の都合に合わせたものなので,闘争の中で無視または破棄すべきとされることが多い。

 ライバル関係の各グループが民族性を誇示する内容として,血統や歴史を共有していることや,貴重な文化遺産がある。人種や血統をことさらに強調するケースもあるが,一般に民族的アイデンティティが他の要素より本質的に重要だと見なす理由はない。結局,特定の民族グループに同一化するのは個々人の感情であって,様々な要素を主観的に構成した結果だ。

 人間発達に関する研究でも分かるように,人間は明瞭なアイデンティティを持って生まれるわけでない。自己意識,つまりアイデンティティは,ある個人が与えられた環境で,他の人々と多様な社会的相互作用を営む過程で造られるので,民族的アイデンティティの要素も多種多様だ。ある社会では人種や共通の血筋を重んじ,別の社会では宗教・言語や共通の文化を民族的アイデンティティの基礎と見なしている。

 ところで周知のように,民族的アイデンティティがいったん形成されると,それを変えるには大きな抵抗が伴う。変化や無常観は,あらゆる社会的アイデンティティに特有なものだが,実際に変化していくのは例外的なケースではないか。なぜなら民族的アイデンティティと自己意識には,一般に極めて強い関連があるからだ。民族的アイデンティティが定まることで,自他の認識や帰属意識,親しみ合う欲求を満たすことができ,それは変更しにくくなる。実際,個人の自尊心は,帰属する集団の運命に伴って上がり下がりするものだ。

 民族的アイデンティティを持つことは自然の現象だが,それが民族紛争の直接の原因ではない。もしそうなら地上にいる無数の民族グループは,各自の差異を理由に絶え間のない葛藤状態に置かれているはずだが,そんなことはない。実際には,多様な民族グループ間の協力の光景が,葛藤の惨状より広く見られる。つまり国内での紛争は,何か不幸な原因によるものなので,様々な紛争の共通点を探りながら原因を究明してみたい。

2.国内紛争を引き起こす諸条件

(1)民族的アイデンティティを表現する衝動
  まず冷戦後の紛争は,何らかの集団アイデンティティを表現したい願望と無縁ではない。ある集団が民族・文化的な特徴を表すことに,重大な制約があると感じた時に摩擦が生じる。その制約には,(学校や法廷内などで)民族固有の言語が使えないとか,権力構造から特定の民族グループが疎外されたり,土着の風俗習慣を禁じられることだ。こうして有形無形の制約の範囲や程度が大きいほど,現状打破への渇望は強まる。

 世間一般で思われているより,民族的アイデンティティそのものの価値を認めるべきだ。多くの民族グループが独自のアイデンティティを誇示する衝動は,経済的な幸福や権力を求める欲望と分けて考えなければならない。テッド・グールは次のように洞察した。

「民族に関する政治集団の本音は幸福の追求だ,などと民族的アイデンティティの意義を軽く見てはいけない。そうした集団は共有するアイデンティティを軸にして,構成員の利益を追求している。ザパティスタを単なる農民運動と解釈したり,ボスニアのセルビア人を政党に見立てるのは大きな誤解の元だ。彼らの力は民族的,文化的な絆にあるのであって,組織化そのものにあるのではない。」

 集団的アイデンティティや,有形無形の制限に対する不満は,民族としての政治力を持続させる必要条件だが十分条件ではない。共有するアイデンティティや不満を,一定の方向を持つ行動に転換させるには結合力が不可欠だ。ある集団の結合力は,昔から今に至る社会・政治・経済の成り立ちによって形成される。その結合力は,集団内で密度の濃いコミュニケーションや相互作用のネットワークが維持されているほど強い。またスリランカのタミル民族のように,単一地域にまとまった集団の方が,マレーシアに散在する中国人より結合力は強い。

 また民族を糾合する上で有効な指導力が重要だ。指導力やその方針が,共有する不満を表現したり,共同行動に転換するのを促進する。強力な指導力の下で連帯できなければ,共同行動の規模や,その政治的インパクトを減少させ,国家権力に封殺または黙殺されやすくなる。

(2)差別
 世界中の民族紛争に共通する要因の一つは差別だ。最も露骨な差別の形は,支配的グループが少数派グループを不公平に扱い,発展させようとしない。第三世界の国造りでは少数民族を同化させたり,伝統的な自治権を制限し,その財産や労働力を,別の民族グループが支配している中央政府に提供させようとする。東南アジアの中国人は少数民族でありながら,国造りの過程で権力と富に与れた。アフリカで国家権力が十分に及ばない国々では,地域の自治を事実上維持できた。しかし世界の多くの地域では国家建設と権力の拡張に伴って,固有の民族性を持つ集団が自治を守りきれなかったり,政治権力に参加できず,不満が増大するケースが多い。

 差別の形としては,第三世界で顕著な法律上の差別だけでない。社会的待遇や福祉で如実な不平等を受け,強い不満を感じている民族集団もある。例えば西側世界に居住する少数民族は,一般に低級の仕事に就き,低い報酬に甘んじている。社会の上昇志向に法律的な制約がなくても,少数民族は大概,冷や飯食いを余儀なくされ,実際に上昇できるのは一握りだ。特権的グループと対比した不公平感や不満が,往々にして政治行動の動機になる。少数民族による抗議活動や反乱の多くが,社会構造上の差別と無縁ではない。出世の機会が極端に少ないことが少数派を憤らせ,特権的グループが享受しているものを獲得しようと闘争に訴えるのだ。

 最後に,多民族国家の少数派は,しばしば文化面でも差別を受けやすい。支配集団の文化と社会慣行は尊重される反面,少数派独特の規範や慣習は過小評価され脇に追いやられる。文化的差別のパターンとしては,少数派の言語や習慣を茶化し,映画やテレビで少数派を「悪役」扱いしたり,国民的行事から締め出したり,少数派全体を否定的に類型化したりする。

 支配集団は差別政策を通じて,少数派を同化させようとする。しかし実際には,法律・社会構造・文化的な差別に直面して,少数派の民族的連帯は一層増進するものだ。社会的に冷遇された地位や待遇に対して,直ちに事を構えないとしても,根深い不満を沸騰させているのは当然だ。やがて民族として行動を起こす条件が満ちた段階で,その不満が爆発する。

(3)政治的システム
 民族的アイデンティティを表明したい衝動や,少数派に対する差別と共に,政治システムの性格も検討しなければならない。

 自由民主主義は,法的差別を阻止したり,民族的アイデンティティを表明しやすくする多くの制度的メカニズムを有している。例えば大半の自由民主主義社会では,少数派の権利が法律で保証され,それぞれの民族的アイデンティティを表現する空間を持っている。社会的に問題があれば提起する民主的筋道が備わっている。より重要なのは,政治権力が選挙を通じて再編成されることだ。こうして民族集団の懸案も自由民主主義社会では,大規模な闘争を引き起こす前に平和裏に処置できる。

 ところで民主主義がもたらした平和の文化,しばしば「民主的文化」と称されるテーマについて多くの書物が著わされている。もともと民主的文化は,民主主義システムと個々人の相互作用で発展してきたが,時が経つにつれ,民主的文化そのものが人間関係を規定するリアリティになった。民主的文化では,当たり前の社会慣行,例えば誰に対しても開かれた対話,意見の相違に寛大であること,社会的摩擦を平和的に収拾すること,問題の処理を暴力的に行わない,などの態度を通じて平和を推進する。こうした人間的な度量は社会の和合を促すばかりか,摩擦が生じても双方に納得のいく解決策が可能だとの信念を助長する。これは一概に悪いことではない。

 これに対して権威主義や全体主義,または非民主的な憲法体制の国では,社会的緊張を緩和する制度的メカニズムが存在しないか,あっても脆弱なため,民族問題が簡単に暴力闘争に発展しやすい。そうした体制下で,支配集団の特権は往々にして,政治や社会の差別・抑圧を常態化する法体系や大衆文化に支えられている。

 そのため非民主的社会では重大な国内紛争が頻繁に発生する。しかし多民族であっても民主的な国,例えばスイス,カナダ,ベルギー等では深刻な民族紛争は全く起きていない。

(4)経済的な不満と富の格差
 多民族社会で民族紛争が発生する別の要因として,経済的な不満と,国家の富が不公平に分配されていることが挙げられる。国連が介入した国内紛争の当該国を吟味すると,一人当たり国内総生産(GDP)は2000ドル程度で,中には,スーダンやコンゴ民主共和国,リベリア,ハイチ等のように,それ以下の国もある。ある調査によれば,人間的生存の必要条件が満たされていないことと,紛争発生の間には強い相関関係がある。人々が基本的必要を充足されていないと,彼らの頭を押さえている人々や体制に反抗し,闘争に走りやすくなるのだ。

 広範囲におよぶ貧困は別にして,国内紛争に悩む国では,えてして各民族グループの間に,富の分配をめぐる大きな格差がある。支配集団が大きな分け前を獲得して豊かさを享受する傍らで,多くの少数派集団は貧困にあえぎ,制度のもたらす暴力から抜け出せない。支配集団と比べ経済的福祉の途を剥奪されていることが,冷遇されてきた民族集団を政治行動に駆り立てるわけだ。

 このように民族的アイデンティティは,それ自体として尊重されなければならないが,経済的側面もさらに重要なものだ。多くの国民が貧困にさいなまれ,明らかに不公平な分配がシステム化されている多民族国家では,民族的不和が増大しやすい。逆に経済的な福祉が行き渡り,分配が公平に行われていれば,安心感が助長され,少数派も現体制を維持することに利益を感じる。これをドナルド・ホロウィツは「民族紛争収拾のための分配手法」と形容し,政治的枠組みを模索する制度的手法と対比させている。同氏によれば,そのような手法には,特定グループを平準化するための,投資や雇用,教育機会,土地分配を通じた特例措置も含まれる。

 実際,EU諸国は多民族から構成されていながら,一人当たりGDPが約25000ドルで,深刻な民族紛争がない。これも経済的福祉と集団同士の融和の間に,プラスの相関関係があることを示唆している。同じことは多民族で豊かなカナダ,米国,オーストラリア,ニュージーランド等にも該当する。2004年にEU加盟が認められたキプロスで,トルコ系住民の中から分断状態を早急に解決するよう求める声が出てきたのは,経済的恩恵への期待と無縁ではないようだ。

(5)中央権力の崩壊
 国家権力の崩壊に端を発する民族紛争も少なくない。深刻な民族紛争が国を瓦解させるのと逆に,国家の崩壊が民族間の紛争を惹起するケースだ。国家,特に近代国家は,社会の安定確保を促す機能が色々備わっているため,その崩壊によって重大な事態が起きるのは避けられない。

 具体的には,国が瓦解状態になると無政府状態になり,個人や集団が著しい不安定状態に陥る。中央権力が不在になれば,いきおい治安を維持するのは各自の裁量と能力にゆだねられ,社会的摩擦が増大する。個々人は集団への帰属感を強めて安心を得ようとするので,集団内の連帯は強まる。その代わり,闘争に至る集団同士の緊張を示す社会心理学上の要素として,集団本意の振る舞い,例えば集団内での情実や,外部グループへの差別等が過激になっていく。

 国家の崩壊は,民族集団の間で統治を巡る権力闘争も引き起こす。有力なグループはどれも,国を治める優勢な位置,特権的な地歩を固めようとするから,必然的に衝突が起きる。その権力闘争が民族集団同士の闘いに発展していくわけだ。

 最後に,国が崩壊に向かえば,国内・国外からの投資は減少し,国民の基礎的必要を充足することが非常に困難になっていく。貧困はさらに拡大し,各自が需要を満たそうと必死になり,ますます葛藤を招きやすい構造になる。

 端点に言って中央権力の崩壊は,民族紛争の唯一ではないにしても重大な発端になりうる。アフリカの国内紛争を調査したウィリアム・ザートマンは,紛争が国家の解体と強い相関関係にあると結論づけた。ソマリアの民族紛争を調査したテレンス・リヨンとアハメッド・サマタルも,紛争の主原因が国の権威を回復できなかったところにあった,と同じような結論を導き出した。同様に旧ソ連やユーゴスラビアで発生した民族間の紛争は,1990年に,それぞれの中央権力が解体したことと無縁ではない。

(6)歴史的なトラウマ
 民族紛争の背後には利害以外に,不合理とも見える心理的要素が往々にして横たわっている。敵対する集団同士を巻き込んだ政治,経済,歴史,軍事的な経緯が「凝り固まっている」ため,主な民族集団の心理を知らずして,民族紛争を正しく理解できないだろう。

 この意味で決定的なのが歴史的なトラウマだ。それは一集団の成員達が,別の集団から受けた屈辱や強い被害者感情を想起させる出来事のことだ。被害者側としては,いつまでも自尊心を傷付けたいわけではなく,問題の歴史的出来事を内在化,伝説化したい。そしてトラウマになった出来事に付着する特殊な情念と,防御的な心の構えを,彼らのアイデンティティの中に絡めようとする。後代の人々は,屈辱による心の重荷から解放されたいので,祖先が被った状況を何らかの形で挽回しようとする意識的または無意識的な悲願を共有している。

 ところで集団の歴史的悲劇がトラウマになってしまうと,それに関する事実や真相は,あまり問題でなくなる。彼らの主観的解釈や情念に供されるものが「現実」になってしまうのだ。新たな摩擦や緊張状態が現れれば,「目前の敵」と「歴史の中の敵」に,ほとんど関連がなくても,トラウマで固定化された敵のイメージで「目前の敵」を見てしまうのだ。

 歴史的トラウマが現在の民族紛争にマイナスの影響を及ぼしている典型がキプロス問題だ。この問題を子細に眺めれば,目下のキプロス紛争は,それ自体に有機的生命があると言うより,ギリシア・トルコ千年史の重要な一局面であることが分かる。1571年以降,ギリシア人とトルコ人はキプロス島で共存してきたが,「キプロス」という特定の国民意識は育たなかった。昔も今も,互いの母国に強い愛着を持つ別個のコミュニティなのだ。この「全人的な同一化」のせいで,ギリシアとトルコの全般的な歴史的ライバル関係がキプロスにも移入された。キプロス島の住民双方が,過去の恨み辛みや母国の宿願を島に持ち込んでしまったのだ。互いのイメージまで,ギリシア人とトルコ人が互いに対して宿してきたイメージに酷似した。従って1960年に「キプロス共和国」が外部勢力の関与で人工的な国家はできたが,その担い手として結合力を持った「キプロス国民」は存在しなかった。

 広い意味のギリシア・トルコのライバル関係を度外視しても,キプロスの住民同士は,互いの手によって多くのトラウマを味わってきた。トルコ系住民は1963-74年の惨劇を胸に刻んでいるし,ギリシア系住民は1974年のトルコ軍侵入に始まるトラウマを喧伝する。こうした過去の傷が,公式の交渉過程にも,住民間の相互作用にも色濃く影を落とし,ここにキプロスを巡る内外の和平努力がスムーズでない大きな理由がある。

 似たような例として,ユーゴスラビア解体後のセルビア人が,トルコ系やアルバニア人等のムスリム住民に残虐な仕打ちをした。セルビアから見れば,これらのムスリム住民は,コソボでセルビアを打倒したオスマントルコの末裔だ。それは六百年以上も前の話だが,セルビア人は敗北の過去を忘れておらず,セルビア民族主義を「純化」するために,「オスマントルコの灰燼」を滅却し去りたい。そうした情念が沸騰した1990年代に,ボスニア,コソボなど少数民族に対する「民族浄化」が起きて,国際社会が介入を引き延ばしたせいで事態は悪化した。

 もちろん歴史的トラウマが必ずしも民族紛争を招くわけではない。それなら別の民族の手にかかって辛酸をなめた民族集団は,現在も闘いを継続していなければならないが,事実は異なる。にもかかわらず歴史的トラウマは,何らかの否定的な条件下で再びうずき,葛藤が再燃し,不信の雰囲気が生まれ,それが平和的解決の道を閉ざしてしまう。すなわち民族紛争を目に見える要因,つまり土地,領土,経済的事情だけで分析すべきでなく,現実の問題も歴史のレンズを通して評価すべきであり,過去と現在の相互作用を無視してはいけない。事実として歴史的トラウマの悪なる連鎖が今日の問題を規定し,それを克服しない限り打開の途が見えないとすれば,優先されるべきは信頼醸成の努力だろう。

3.国際的な環境

 これまで国内要因を主に論じてきた。しかし大半の民族紛争は国際的に連携しており,この面での検討が不可欠だ。

 まず指摘したいのは,民族集団の結合力と政治力を強化するために,国外にいる賛同者が,物心両面の援助や政治的な支持を通じて実質的な貢献ができる事実だ。かつてパレスチナ解放機構(PLO)は,ヨルダンやレバノン,イスラエル占領地でのパレスチナ抵抗運動を外から支援してきた。同様に,イラク国内でのクルド住民による抵抗闘争は,随時,イラン,イスラエル,米国などの外交支援を受けていた。キプロスではギリシア系住民がギリシアから,トルコ系住民はトルコの援助を受けている。

 ここで最も破局的なシナリオは,競合する強国同士が,紛争の別々の側を支援し出した場合だ。いわゆる「代理戦争」は一般に長期化し被害も甚大で,しかも外部勢力の利害と一致しない限り,話し合い解決は見込めない。但し外部の支援が撤回されると,2002年のアンゴラのように一挙に収拾されることもある。その反対にアフガニスタンでは,ソ連と米国の支援が終わってから,国内のライバル勢力の権力争いという新段階が始まった。長年支配的だったパシュトゥン人が権力掌握するのに反発したタジク,ウズベク,その他の少数民族が三つ巴の闘いを演じて,アフガニスタンは壊滅的な状態に陥った。代理戦争は,超大国の競争を反映するものばかりではない。1980年代にイランとイラクは,互いに相手国内のクルド民族を反政府闘争にし向けたものだ。

 民族としての政治行動はまた,他の場所で起きた民族紛争が拡散と伝播のメカニズムで助長される。

 拡散とは,一地域の紛争が国内外の他の地域に拡大することだ。例えば20世紀にコーカサスの十余りの民族集団が,主導的または反動的な形の拡散によって,民族主義のうねりに巻き込まれた。その中にはオセチア人,アブカジア人,アゼル人,チェチェン人,イングーシ人,レジン人が含まれる。政治運動家は往々にして,国外同胞の中に避難先を確保したり支援を仰ぐ。数世代にわたってトルコ,シリア,イラク,イランで続いているクルド民族の抵抗は,正にそうした形で互いの政治運動を延命させてきた。同様にロシア国外に住むチェチェン人は,かつて亡命したり政治難民になった人々の子孫であり,コーカサスで今も抵抗を続ける同胞に公然と支援している。言うまでもなく,冷遇された集団が駆使できる政治力は,近隣諸国に同胞が多いこと,彼らを動員できる範囲や,公然闘争に関与させられる度合いによって増大する。

 伝播とは,ある集団の活動が別の場所の異なる集団に,啓発や示唆を与えるプロセスだ。一般に国内紛争そのものが伝播のプロセスだが,特に1960年以降,似たような状況に置かれた集団の間に伝播の力が発揮された。例えば60年代にニューサウスウェルズの原住民が「フリーダム・ライド」を組織し,80年代には北ボルネオのダヤク人が,森林での商業伐採に反対した。そのレトリックや手法は,90年代にカナダ原住民が用いたものと著しく似ていた。一般にネットワークで結ばれた集団は,気の利いたアピールや優れた指導力,組織能力など,有効な政治力を駆使する効率的なテクニックを獲得しやすい。さらに大事なことは,別の場所での成功例から,成功のイメージや,活動家を触発する刺激を得られる。

 要するに,闘争の渦中にある民族グループが目標や機会,戦略などを錬るに当たって,国外から無数の支援者が現れ助けてくれる。如何なる国際的関与を得られるか,それ次第で民族紛争の期間や,話し合い解決になるか人道的災禍をもたらすか,等が大きく左右される。世界の誰も制御不可能なほどの先端通信技術のおかげで,今や伝播のプロセスは阻止できないようだ。しかし国内紛争を収拾するには,安定した国際環境が必要なことは言うまでもなく,就中,強国の対立から離れた環境が望ましい。

4.国内紛争と武力行使

 既に論じたような内外の複雑な要因にも関わらず,国家は大規模な武力行使に頼って国内紛争を「解決」しようとするものだ。すなわち国内では,国軍や警察力を使って反乱勢力を鎮圧し,活動分子を処罰・追放する。国際的には国連および当該地域の軍事力が,次の三つの目標のいずれかを狙って展開される。すなわち@進行中の暴力を制圧する,A社会の諸機関を再開させる,B安全な避難所を確保して,人命保護と生活の基礎的必要を提供する。これらを現場の状況に応じて取捨選択するわけだ。

 ある程度の武力行使は,時に国内紛争を解決する必須の要素だ。国際の平和維持を例に挙げてみよう。敵同士が暴力の応酬をしている場合,平和維持は最も火急の対応だろう。暴力が停止するか,少なくとも制圧されるまでは,双方の利害衝突を調停したり,否定的態度を改めさせたり,紛争を招いた社会・経済的な事情を変更するなどの如何なる試みもおぼつかない。過去五十年間に投入された軍・民の平和維持部隊は,大半の民族紛争で暴力拡大を阻止し,人々の生命維持に貢献してきた。

 これと同じ意味で,平和維持部隊が展開していない場合,和平イニシアチブを妨害したければ,敵側との武力衝突を煽るのが手っ取り早い。敵対する両者に抑止力を行使できる中立的な緩衝が存在しないからだ。然るべき制御メカニズム不在の中で,小集団が暴力行使に徹すれば,相当のダメージを与えることが可能だ。公平な第三者の存在が,安定をもたらす重要な要素になるはずだ。

平和維持部隊は平和実現の過程でも貢献できる。

● ナミビア,アンゴラ,モザンビーク,コンゴ民主共和国,東チモール(現在は独立して,チモール・レステ)のように,現地の選挙を監視したり実施する。

● 紛争当事者が放棄していったり,または没収された武器を保管する。

● ソマリア,ルワンダ,リベリアのように,紛争の渦中で人道援助物資の円滑な配給を保証する。

● ボスニア・ヘルツェゴビナ,エルサルバドル,コンゴ民主共和国,リベリアのように,国家機能の再構築を援助する。

● 住民の安全な集会場所の確保や,交渉場所まで往来の護衛を提供する。例えばキプロスでは,ニコシアの国連管理地域にある「レドラ・パレスホテル」を住民同士の会合に供した。

 紛争状態に国軍を投入すれば,火に油を注ぐこともあり得る。国軍は一方の側,すなわち権力を握っている支配的グループに都合良く振る舞う傾向があるからだ。従って国軍だけを介入させると,実際には民族間の緊張を増幅し,紛争を拡大させることもある。しかし国軍が中立,公正かつ妥当な振る舞いをすれば,闘争の図式から一部過激分子を排除できるだろう。

 しかし民族紛争は力のみで解決できない。当座は軍事力で抑圧できるだろうが,真の解決にはならない。むしろ暴力的な手法は,やがて暴力で応酬されるだろう。ゆえに,国や国際レベルの紛争管理にはびこる軍事オプションという習癖に流れず,暴力的な闘いや,それに直面しなければならない人々のことを含む,一連の複雑な事情を考慮に入れた非暴力オプションについて,もっと斟酌すべきだ。

5.紛争状況の中で平和構築に着手

 民族紛争が発生したとき,その当事者同士で収拾すべきだと考えるのは当然だ。しかし正にこうした紛争の性格,つまり敵対感情,信頼の欠如,相互不信,秘密主義,偏見に満ちたコミュニケーション,バランスのとれた考え方の欠如等のゆえに,紛争当事者は事態収拾に最も不向きな立場にいる。そのため第三者の干渉が,平和構築のプロセスで必要になることが多い。

 民族紛争の平和構築を進める際,様々な第三者機関が役割を担う。仲介・調停役として,現地や近隣諸国あるいは国際的な非政府組織(NGO)に関与を促すことは意義深い。NGOは権力の政治的利害から中立だと見られ,紛争当事者達から信頼を得やすいので,その働きは有益かつ有効だ。

 スーダン内戦終結の第一歩となった1972年合意は,世界教会協議会が決定的な仲介役を演じた。ジミー・カーター元米国大統領は「カーター・センター」を拠点に,ニカラグアのミスキト・インディアンと同国政府の八年戦争にピリオドを打つ交渉(88,89年)を成功させた。1990年代に「インターナショナル・アラート」(本部は英国・ロンドン)は,南半球の五指に余る民族紛争の緊張緩和に重要な役割を果たした。トルコの「希望の財団」は2004年4月,いわゆる「アナン・プラン」の住民投票に当たり,トルコ系住民に賛成票を投じるよう説得の努力をした。

 NGOは民族紛争の中で,仲介の他にも大切な役目を果たしている。緊急の人道援助,長期的な経済・社会開発の支援,基本的人権の保全,あるいは平和志向の交渉技術や紛争収拾・非暴力の手法を推進する等,色々な役割がある。NGOによっては単一の任務に特化した団体や,いくつかの任務を担いながら,それらを関連させようとしている団体もある。

 国内の紛争が多数を占めるポスト冷戦時代に,紛争状況の中でNGOが関与できる任務は昔より多岐にわたるが,それだけに期待も大きい。
NGOの関与は基本的に以下の三つの点で益々複雑化している。第一に,国同士の戦争に関する約束事である国際協定が適用できない。既存の国際法は主として国家間の関係を規定するもので,国内での戦争状態には直接当てはまらないのだ。第二に,ある国の集団同士が争う中で,中央政府の統治の正当性が挑戦を受けたとき,国家主権の所在が曖昧になってしまう。国際社会には,そうした状況で介入を決断する根拠になる明瞭な規則がない。第三に,政治的な日和見主義で戦争が起こされた場合,NGOは,どのグループと連携すべきか分からなくなる。誰が正しくて,誰が間違っているか。どの政権と交渉し,どのグループを支援すべきか,単一のNGOが判断できるだろうか。こうした問題がNGOはもとより,各国政府や国連までも,関与の決断を鈍らせるのだ。

 それと同時に,国内紛争はNGO関与を新たな次元に引き上げる機会でもある。ある紛争で「正義」の側が明瞭でなく,全当事者の行動が人道の基本原則を踏み外しているような場合,NGOは政治不干渉の原則を再考して,紛争そのものを根本的な誤りと厳しく非難することができる。内戦についてNGOが道義上の明確なメッセージを発すれば,現地の人々も戦争をきっぱり拒否できるかも知れない。そうなれば,NGOの関与が紛争解決にプラスの影響を及ぼすことを証明する機会かも知れない。NGOによっては,紛争当事者と利害を同じくする共同プロジェクトに着手することもできる。キプロスで例を挙げれば,「多角的外交センター」と「希望の財団」のボランティアで編成された「キプロス涙の共同体」は,いずれ難民が元々の自宅に戻れるように,住民同士の闘いの中で破壊された住居の一部を再建するプロジェクトを立ち上げた。ギリシア系とトルコ系の若者達が作業キャンプを設置し,実際に建設作業をすることが期待されている。別のNGOは,事態を悪化させるだけの暴力行為に煽られないよう,情報の力を使った方策を模索中だ。

 国内の紛争を終わらせるには,当然,様々なレベルの努力が必要だ。NGOだけが,その能力と意思を有しているわけではない。国連や各国政府,さらに個々人の努力も必要だ。既に述べたように,国連平和維持軍は住民間の緊張を緩和し,和平プロセスを助長する非常に有益な働きをしている。国連の各専門機関は,敵対するグループ同士による問題解決のワークショップを準備・遂行する斡旋役を果たせる。国連諸機関が競合グループを,何らかの共通目的で協力し合うようにできれば,集団間の敵意を和らげる可能性も高まる。

 経済や社会の基本的必要を満たす責任を持った超国家的機関を設置して,狭い意味での文化的コミュニティへの忠誠心を,徐々に超国家的機関に移行させる。その結果,当事者達が相互依存の網の目に取り込まれ,敵意が徐々に解消されていくこともある。

 同様に各国政府とりわけ強大国は,当事者達が何らかの合意に至れるよう,持てる影響力を行使して戦闘から引き離し,収拾に向けた後押しができる。ロシアは旧ソ連領で発生した数多くの民族紛争,特にナゴルノカラバフ問題と,グルジア・オセチア紛争で積極的に調停役を果たした。米国も旧ユーゴスラビア,南米,アフリカなどで多くの民族紛争に介入した。米国の活動の中には,合意までの交渉から引き続く調停作業もあった。その他に,和平プロセスを刷新する新たな枠組みづくりや,代行統治のような活動もあった。

 個人として,民族紛争における平和構築に貢献する途もある。カーター米国大統領は退任後,「キャンプ・デービッド合意」の経験を元に円熟した調停者になった。同氏はハイチでの調停を成功させ,ルワンダ虐殺の避難民200万人の迅速な帰還のため,中部アフリカの信頼醸成に取り組んだ。ナイジェリア内戦の際にはローマ法王ヨハネ・パウロ二世が,連邦政府とビアフラ指導者の間接的な意見交換を激励し,後日,双方の代表をウガンダの首都カンパラで同席させた。国連のコフィ・アナン事務総長は,キプロスのギリシア系とトルコ系指導者による懇談や首脳会議を斡旋した。同事務総長はキプロス紛争の処方箋をまとめ上げ,それは斬新な発想に導き,和平プロセスを前進させるものだった。

 第三者の個人や団体・政府が平和の機運を効果的に醸成したければ,別の第三者をも関与させるべきだ。如何なる第三者も,単独で和平プロセスを機能させるだけの資金や手段を持っていない。当該地域の関係者・団体は,より狭い地域の関係機関からも助力が必要だ。政府や国際機関も,NGOの積極的な支援や関与を必要としている。

6.結論:紛争解決のための教訓

 以上,検討し論じたことを基にして,大要,以下のような教訓を引き出すことができる。

● 国内紛争の動因は非常に複雑だ。ある単一要素に決定的理由があるかのような主張は,民族政治の葛藤の複雑さを把握するには不十分で,誤解を招きやすい。紛争解決の戦略も多面的でなければならず,ある民族グループの固有なアイデンティティを表明できる方策を探したり,法律・社会構造・文化面での差別を阻止し,民主化や経済開発を推進し,比較的公正な国富の分配や信頼醸成の方策を立て,安定した国際関係を模索するなどが考えられる。

● 民族的アイデンティティを尊重せず,あるグループを政治活動に駆り立てる不満を無視するような戦略では,紛争を軽減できない。ゆえに民族紛争を単なる経済的問題や,「国外勢力の仕業」等と矮小化すべきではない。首尾のよい方策は,独自の集団的アイデンティティ表現の欲求を満たせる形で追求するべきだ。

● 国内紛争では単一の当事者に焦点を合わせて,他は排除するような収拾をしようとすれば,勝者なき戦略に陥る。紛争の永続的解決のために,全ての当事者・関係者を和平プロセスに関与させるべきだ。

● 国内紛争は武力に頼るだけでは効果的に対処できない。武力によって一時的に抑圧できても解決にはならない。武力と抑圧のせいで「二等市民」に甘んじている民族集団は,性急に行動を起こさないとしても,支配グループに根深い反感を温存していく。そして状況が熟したとき現状打破の行動に打って出るだろう。

● 単一主体の力で国内紛争を阻止または解決できない。国の内外にいる複数の主体による多層的な努力が必要だ。NGOを仲介・調停者または平和の担い手として参加を促すことが大切だ。NGOは一般に政治的中立で,紛争の各当事者から信頼を得やすいからだ。様々な関係者の努力が連結されたときに最善の結果が得られるだろう。民族政治の摩擦は多面的なので,唯一の処方があるわけではない。最も望ましいのは同時進行的に,全ての側面から取り組んでいくことだ。一つの取り組みが大きな効果をもたらさなくても,様々な方向から小規模の努力を数多く進めれば,やがて蓄積した大きな結果が得られるだろう。

 (PWPA-USA発行,International Journal on WORLD PEACE,2007年12月号より整理して掲載)