21世紀の国際平和と繁栄の維持

     ―  国連と日本の役割

元国連事務総長特別代表・東ティモール担当/法政大学教授 長谷川 祐弘

 

1.冷戦後の世界における国連の役割

 まず最初に,ここ15年ほどの間に国連内部でどのような政策と概念が展開され,どのような改革が行われてきたかについて,概略を述べる。
冷戦終結後90年代に入り,ブトロス・ブトロス・ガリ国連事務総長(在任1992-96年)は1992年に「平和への課題」(Agenda for Peace)を公表し,翌年には「開発への課題」(Agenda for Development)を提示し,さらに「民主化への課題」(Agenda for Democratization)の初稿まで準備したが,残念ながら後者は日の目を見ることはなかった。ガリ事務総長は引退した後,来日した際に,世界社会全体における民主化の重要性を強調した。すなわち,「西洋諸国は民主主義を主唱し,より多くの国に民主主義制度を確立するように推奨しているが,現在の国際社会,地球社会自体がより民主化されなければいけないのではないか」と。

  その後,コフィ・アナン国連事務総長(在任1997-2006年)が,2000年のミレニアム・サミットの際に,「我ら世界の人々」(We the Peoples: the Role of the United Nations)と題する報告書を提出し,新世紀に向けた国連の役割について述べた。

  2004年には,「脅威,挑戦,変化に関するハイレベル・パネル」(High Level Panel on Threats, Challenges and Change)からの勧告を受けて,同事務総長は 翌年「より大きな自由を求めて:すべての人のための開発,安全,および人権に向けて」(In Larger Freedom: Towards Development, Security, and Human Rights for All)と題するリポートを提出。その中で,同事務総長は,安保理改革を含めた国連改革の方向性などについて述べた。国連総会はそれを受けて05年9月に,それらの成果文書(Outcome Document 2005)をまとめて今後の国連の役割を示した。

 同年8月に私は米国ワシントンDCを訪れてホワイト・ハウスの国連担当官と協議をしていたが,当時,ボルトン米・国連大使が,この成果文書の草案を受け入れられないと,450箇所以上書き直したという。またODAについては「対GDP比0.7%と,一律義務的な規定をするのはよくない。これは米国としては受け入れられない」とその国連担当官は云っていたが,最終的にはライス米・国務長官が仲介をして成果文書として受け入れたと聞いている。その後,この3年間アメリカはODAを倍増し2007年には217億ドルにまで上げたが,日本は逆にODAを減少し続け2007年度には77億ドルとOECD諸国で5位に転落してしまった。

 その間,日本からは武見敬三・厚生労働副大臣(当時)が参加したハイレベル・パネル委員会(2006年)は,国連の人道・開発援助活動の効率性向上のために,国連諸機関は「一団となって実行していくべき」(Delivering as One)との提言が出された。これを受けて,国連諸機関は現地の人道・常駐調整官(Humanitarian/Resident Coordinators)の下で団結して行動するようになった。

 2.ミレニアム宣言と国連サミット

  「成果文書」のポイント
ここで2000年のミレニアム宣言と2005年の国連サミットで合意された成果文書のポイントを見てみる。

 まず,価値観と原則が非常に重要視されたことである。私としては,いかにして日本の外交政策がその価値と原則を重要視していくべきかと考えている。安倍政権当時,安倍首相と麻生外相が「価値のある外交」を唱えたが,17世紀に始まるウェストファリア体制に基づく国民国家を基礎とする価値観(nation-state mindset),あるいは中国包囲のためにインドやオーストラリアなどの民主主義国家と組むべく民主主義の価値観を利用するなどというのではなく,地球社会のあるべき価値と原則をすべての面において公平に推進していくことが大事な点だと思う。

 ここでいう価値には主に次の6つがある。@自由,A平等(男女ともに尊厳性を有する価値を持つ),B団結(グローバルな課題においては団結して取り組むことの必要性),C寛容(人類は信仰・文化・言語の多様性において相互尊重なくして共存はできない。平和文化と文明間の対話を積極的に進めるべき),D自然の尊重(環境,天然資源の管理においては,人類の将来世代の福利のために自然の尊重を重要視すべき),E地球社会の治安と繁栄の為の責任の共有(国際関係において敵対関係でやっていてはいつまでたっても問題解決にならない)である。

 次に,平和と集団安全保障。1995年〜2005年までの十年間に世界の地域・国内紛争で総数約500万人の命が奪われた。第二次世界大戦の犠牲者と比べれば少ないわけだが,非常に大きな犠牲である。国内問題のみならず,国際問題においても「法の支配」(rule of law)の尊重を強化すべきである。ここで,普遍的な理念を基にする法の支配と,独裁者が法律を手段とした支配(rule by law)を強化していくこと,との違いを充分に理解しておく必要がある。

 国連は紛争予防,紛争の平和的解決,平和維持,紛争後の平和構築,復興のために必要な資源と手段を与えることなどを積極的に推進すべきである。そして国連憲章第8章「地域的取極」(Regional Arrangements)の規定に基づきこれからは「地域的機関」(regional agencies)が重要な役割を果たしていくべきだと考えている。

 第三は,開発および貧困撲滅である。このテーマは,いままでも大いに議論された内容ではあるが,問題はいかにして開発の恩恵が多くの一般民衆に及ぶかである。これに関連しては,すでに2000年に国連でミレニアム開発目標(MDGs)を定めた他,米国ハーバード大学のジェフリー・サックス教授が積極的に取り組んでいるように,この取り組みは浸透しつつある。一部には国連の限界を指摘する声もあるものの,私自身は国連の中での活動経験を通して実感していることだが,この分野に対する国連の存在意義は十分あると考えている。

 2005年の国連サミットに参加される当時のアルカティリ東ティモール首相に対して,私は「核拡散条約問題について言及するよりは,東ティモールというような小さな国でいかにMDGsの進展を成し遂げたかについて説明することが大切だ」と提言した。アルカティリ総理は同意して,国連総会では小国である東ティモールのような国が貧困問題などに取り組んでいくにあって日本のような先進国からの援助が如何に大切かを述べ,MDGs達成度のパンフレットを配ったのを覚えている。

 第四は,自然環境の保護の共有であるが,この分野に関しては,とくに日本が指導的役割を果たしている分野だ。同席されている広中和歌子元環境長官に日本が今後も如何にして推進していけるか述べていただく。

 第五は,人権,民主主義および良い統治(good governance)である。これらは意外にも浸透しつつある。この度のイラク戦争で,米国は挫折感をもって最近民主主義の重要さを述べなくなった。しかし,この30年ほどの間の全世界での民主化は非常に成果を上げており,60カ国が民主主義体制に移行して,現在世界の3分の2近くの国々が民主主義の原則に従っていると推定されている。しかし,発展途上国では民主主義制度を維持するのに,一番のチャレンジは特権的地位に長く居座りたがる現地の指導者(為政者)を如何にして退位させるかである。この課題に関して云えば,日本は意外にも説得力を持つ国だ。例えば,東ティモールの指導者の間では,以前小泉首相が(任期が切れて総理大臣を)「辞める」と言ったら「信じられない。人気があるのになぜ辞めるのか」と不思議がっていた。この日本では総理大臣が代わっても国の政治は混乱無く継続されていくことを良い模範として世界各国に示していけると思う。

 第六は,アフリカの特別のニーズと弱者保護である。遠い日本人には理解しがたいが,私はルワンダとソマリアに3年ほど住んで如何にこの大陸を世界社会が特別に留意していかなればならないかを痛感した。

 第七は,人権と法の支配。法の支配が国民の為になるようにするにはどうすればよいか,法を悪用しないようにするにはどうすれば良いかについて,とくに紛争後の途上国に対して指導していく必要があり,日本が貢献できる分野である。

 第八は,国連強化である。日本の立場からすれば日本の国連安保理事国入りという課題があるかもしれないが,立場を替えて国連の側から考えれば,日本は国連をもっと有効に使っていくべきだと思う。日本にとって安保理事国になることが究極目的ではなく,国連をうまく使っていくべきだ。

 また国連はグローバリゼーションの負の面を軽減する役割を果たすべきである。発展途上国の人々や指導者たちからは,正義と公正(justice and fairness)を確立して欲しいとの要望が増大している。9.11事件を現存する世界秩序に対する挑戦ととらえれば,「正義と公正」の実行は,一カ国あるいは数カ国の指導者が主導するのではなく,国連などで問題を共有しながら進めるべきだろう。もちろん,国連の指導力に関してさまざまな課題があることは承知しているが,やはり地球社会の担い手である国連を軸にして進めていくべきだと考える。

   2005年にコフィ・アナン事務総長(当時)は,「より大きな自由を求めて」(In Larger Freedom)を唱え,欠乏からの自由(freedom from want),恐怖からの自由(freedom from fear),人間の尊厳性を確立する(freedom to live in dignity)などは,すべての国でなされるべきだとし,そうしたことの実行によって国連強化を図ろうと考えた。

以上,ミレニアム宣言と成果文書の要点としては,

 @国連憲章の目的および価値と原則の再確認,並びに国際法へのコミットメント。
A平和と安全,開発,人権の相互関連性。
B国連システムの妥当性・実効性・効率性・信頼性などの強化を約束。
C現在の脅威に対処していくためには,国際協調および具体的行動が重要であり,「平和と集団安全保障」「開発」「人権と法の支配」「国連の強化」の分野において,具体的で効果的な施策を実施する。
などである。

 いま国連をはじめとする国際社会で何が起こっているのかというと,国際的に共有されている価値観・理念と基準(international norms and standards)を確立すべきことが,最大かつ喫緊の課題となっている。それゆえ日本としても国連平和活動とODAの重要性を再認識して,普遍な価値観を他の国と共有できるようにすることがより重要だと思う。

3.世界平和に向けた日本の役割

(1)日本の方向性
 次に,国際平和の繁栄と維持のための,日本の役割について考えて見たい。
私の考えでは,これからの日本が歩んで行ける道として次の3つの選択肢があると思う。

 第一に,日本のルネサンスを果たし,再び経済・軍事面での大国になる道である。すなわち,米国,ロシア,中国,そして欧州(ドイツ,英国,フランスなどの国々)などと肩を並べて,軍事・経済大国としての再構築を図ることである。その為には人口の減少を食い止め経済成長も年間3パーセントぐらいに戻し軍隊の強化もしなければならないだろう。

 第二は,ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授が21世紀の国際政治を制する力として指摘しているジャスト・ソフト・パワー(just and soft power)を行使して行く道である。この実例としては,北欧諸国やカナダを挙げることができる。

第三としては,国際平和に積極的に拘わらない中立国としての生き方である。この例としては,スイスやシンガポールが挙げられよう。
私個人としては,日本は今後は第一と第二の中間くらいの道を歩んで行けると思う。

 ゴールドマン・サックスの予測(2005年)によると,2050年ごろに日本の経済力は中国の約8分の1程度になるとされる。しかし私としては中国が今後40年以上にわたって年間10パーセントもの経済成長を維持して行くとは思われない。中国では今後は民族のナショナリズム(ethnationalism)問題が大きな課題となるであろう。それにしても今後,日本が世界の大国としての地位を維持していくためには,世界情勢は厳しいであろう。日本の今後の持続可能な経済発展を考えたときには,高度な技術力を生かした道を開発していく必要があるだろう。

 それでは現在の日本の課題は何か。それは,心理状態(mindset)と考え方(mentality)を転換していく必要があるということである。

 一つには,これまでの安保理改革の挫折によってもう国連に期待することはやめようというあきらめ心がある。またODAにしても,10年前の1997年に1兆1700億円あったものが,2007年には7700億円にまで削減されてしまい,OECD諸国との比較でも下から3番目になってしまった。

 次に,外国からよく指摘されることに,日本は非常に内向き(inward-looking)になっているのではないかという点。さらに国内問題が山積しているという考え方。

  長い海外生活から戻った私には国内問題が山積していると云われても,他の諸国が抱えている問題と比べればそれほど大きな問題であると思われない。日本人の指導者にはもっと楽観的な(optimistic)視点に立って日本そして世界を引っ張っていって欲しいと思う。そのときの選択肢(考え方)には二つあると思う。一つは,あくまでもウェストファリア体制の下で世界は独立した主権国家で成り立っているという考え方に基礎を置き,アメリカのようなグローバル社会の形成に抵抗する考え方である。もう一つは,グローバルな地球社会の台頭を受け入れグローバル・ガバナンスの形成に積極的に寄与しようとする考え方である。

 (2)ソフト・パワーと新たなビジョン
  日本の国際貢献をより一層強化できる分野をいくつか挙げてみよう。

1) 環境保全分野での指導力発揮。
2) 国連平和活動分野でのリーダーシップ,平和構築のためにリーダーシップを発揮すること。例えば,実際日本は平和構築委員会の議長になり,平和構築委員の育成に貢献している。日本は国連人権理事会でもより積極的に活動できる。
3)国連警察隊と常設国連平和維持軍の育成。

 また私の経験から言えば,もう一歩踏み込んで,地球社会が台頭してきているので国連警察隊と常設国連平和維持軍の育成に寄与して欲しいと思う。これが実現すれば世界の全体の軍事力が縮小することになる。よってこのような分野で日本が積極的に取り組むことができれば,もっと世界から注目されるに違いないと確信している。

 いま自衛隊の海外派遣を随時可能にする一般法の検討が政府・与党でなされているが,それ自体は一歩前進と評価できる。多様化してきている国連平和維活動に参加するに当たって,これまでのような人道支援とか後方支援に限定するのではなく,一般市民の防護や治安維持へももっと積極的に貢献できる道が求められている。また自衛隊派遣のための一般法にいう「船舶捜査」活動は,対テロ活動にも有用であり重要だ。日本の海上自衛隊が東ティモールに行って海岸部をパトロールしてくれることについてはラモス・ホルタ大統領に話したら歓迎すると云っていた。

 私が以前東ティモールで国連の仕事を担当していた2002年に,現地で暴動が起きた。当時,東ティモールの首都ディリから少し離れたところに日本の自衛隊一個大隊650人程度がいたが,暴動の鎮圧など戦闘行為はできなかった。そこで首都から150キロほど離れたところに駐留するポルトガル軍に出動を要請して鎮圧に来てもらうことになったが,その為には3時間もかかり,その間に多くの建物が放火・破壊されてしまった。しかし,ポルトガル軍がディリに入るや否や,暴動を起こした民衆は逃げ出し状況はすぐに沈静した。

 このような場合に自衛隊が出動すべきかは現地の国連代表や司令官に任せて良いと思う。
このような私の経験から次のようなことを強調しておきたい。ワシントン,パリ,ロンドン,東京などからマイクロマネジメント(編集注:軍・政府の中枢が現場ですることを遠方の本部で詳細に決定すること)するのは良くない。現地には軍に関して軍司令官(force commander)がおり,政治的には特別代表がいるので,それらが協力し合って平和構築活動を推進すべきだ。そうでないと,何か緊急な事態が起きた場合に,安保理のメンバーにいちいち問い合わせても適切な対応を迅速に得られることが出来ない。

 今後日本に求められることは,新しいリーダーシップ(a new leadership)であると思う。日本は普遍的な理念と原則(principles and basic rules)をそれなりに備えているので,より一層の自信を持って国際社会でリーダーシップを発揮して欲しい。そして地球社会育成のための規則や基準(enhancing norms and standards for global governance)を構築していくに当たって大いに寄与してもらえればと願う。

 それではそのようなリーダーシップには何が必要か。第一には,ハードとソフト・パワー(hard and soft power)であり,第二には,発展を推進し実現しようとする意志(will to advance and achieve progress)であり,第三には,日本がどのような役割を果たすべきかを決める決断力(a self-defined role toward others)である。

 さらに日本には,地球社会(global community)における日本の役割に関してどのようなビジョンを持つべきかが問われていると思う。国際問題に関して,日本ではよく「国連中心主義」(affirmation of UN centered foreign policy)ということがいわれる。そこで重要なことは,国連(安保理常任理事国)に入ることが究極の目標ではなく,グローバル・ガバナンスのための適切な手段として国連と国連関連諸機関を活用することである。国連を強化しながらそれを活用する道を探るべきだ(galvanize and use the UN)。地球社会の形成という新たなパラダイムに基づいて21世紀の新しいビジョンを打ち立て,将来の世界がどのようになればよいかとの展望を抱いて日本の役割を果たして行くことを日本の指導者に期待している。
(2008年3月19日)