日本の対アフリカ諸国援助を考える

国士舘大学大学院元客員教授 岡田 昭男

 

西欧諸国はアフリカ諸国に対する援助を増額しているが,日本の対アフリカ諸国援助は積極的でないという論説がある。

 西欧諸国はアフリカ大陸との歴史的関係において,アフリカ諸地域を植民地化したという過去がある。その結果,言語,文化,教育,社会等の面から,密接な関係ができあがっていた。第一次,第二次世界大戦を経て,冷戦時代に入っても,双方の関係はさらに密接に,経済財政においても断ち難い状況を展開している。

1.日本とアフリカ

 日本とアフリカ諸国との関係は,歴史的にみて西欧諸国とはかなり異なる。日本が最も密接な関係を有するのは,周知のとおり,アジア諸国であり,これらアジア諸国について日本の援助問題は,日本の戦時賠償問題に始まっている。

 これに対してアフリカに対しては,西欧諸国の如く,西欧諸国の奴隷貿易のような暗い過去がなく,全く「クリーン・ハンド」と言える。

 従って,日本の援助のプライオリティは,当然のこととしてアジア諸国にあった。またアフリカの天然資源のプール的存在や,商品のマーケットとしての存在でも,西欧諸国に比べ日本は後発的であった。

 よって日本の対アフリカ援助は,西欧諸国と同列に論じ得ないバック・グランドの根底がここにあると思う。決して僻む必要はない。

 1960年代においては,アフリカ諸地域の独立と自立,国際的に動き出した非同盟のイデオロギーの登場がみられ,1970年代に入ると,世界経済面から,オイルショック,アフリカ・サハラ大干ばつと飢餓,アフリカの換金資源の“銅”の国際価格の下落等が相次いで到来した。そこで1980年代におけるアフリカの経済危機に対処するために,国連によるアフリカ救済を喚起するための特別総会が開催された。

2.日本のアフリカに対する援助方針の立ち上げ

 近年アフリカを含む開発途上国に対する援助の,世界の政治・経済の風潮の最も注目すべき発端は,国連の動きのほか,国際協力経済会議(CIEC,1975年11月)や,フランス・ランブイエ宮で開催された首脳会議であろう。日本もメンバーに加えられたため,日本は途上国援助の重要性の認識を深めた。

 例えば,日本と直接深い関係のない国であっても,アフリカのいくつかの国に大使館を開設して,援助外交を始めた。

 小規模ながらアフリカでも援助外交を始めていた折から,日本内部でも吹き荒れたのがスクラップ&ビルドの横風であった。つまり,日本にとって利益にならない国に開設した在外公館はスクラップ(閉鎖)し,もっと利益になる国,または日本にとってみかえりのある国(政治的・資源の点で)には公館の設置を推進する(ビルド)という方針であった。そして日本のアフリカ外交は,見果てぬ夢に終わるかに見えた。

3.日本主導によるアフリカ開発会議(TICAD)の登場

 債権国会議(パリクラブ),主要先進国会議,OECDの活動など,世界の政治・経済における途上国援助に対する国際的世論の高まりを受け,日本政府はアフリカ諸国に対する援助機構として「アフリカ開発会議」(TICAD; Tokyo International Conference on African Development)を1993年10月に立ち上げ,5年ごとに回を重ね,2008年5月に第4回TICADを横浜で開催する予定という。

 1993年に日本がTICADを立ち上げた頃,韓国,香港,台湾,インドネシア,マレーシア,タイ,シンガポールの東アジア7カ国は目ざましい経済発展を遂げ,世界銀行当局はこれを「東アジアの奇跡」と呼んだ。それは東アジアの多くの人たちが経済発展に努めて取り組み,行政機構を育て,自らの政策を遂行した結果であったと称賛した。

 日本がアフリカ開発会議を手がけたのは,こうした東アジア諸国の経験が,アフリカの開発途上国に向けての政策にも役立つだろうと考えたからかもしれない。

 しかし,この当時でも,政治の安定,指導者の育成が重要ポイントであることは自他ともに認識しつつあった。ところが,世界の資金を集め,工業化に成功したアジアの奇跡の神話(1994年)は,1997年7月タイで表面化した通貨危機が瞬時に各国に波及して崩れ,世界の主要出資国および主要国際通貨機関はその対応に苦慮した。

4.TICADの歩みとその批判

(1)TICAD
 日本が企画したアフリカ経済開発に関する第一回の会議は,1993年10月,60数カ国のアフリカの元首,政府要人,アジアの専門家,国際機関の代表等,約400余名が参加し,日本側細川護熙首相(当時)の基調講演が行われた。

 TICADは,その後5年ごとに行われるようになる。そして前述のとおり,2008年5月に横浜において開催の予定である。

 今日,世界の後発開発途上国とされている40数カ国の内,30数カ国がサハラ以南のアフリカに位置することは,アフリカの経済状況を知る上で象徴的で,日本がアフリカの経済開発問題を取り上げ,「アフリカ開発会議」(TICAD)第一回の開催に踏み出したことは,誠に意義のあることである。

 その会議のテーマとしては,アフリカ諸国の経済停滞に注目し,自助努力の尊重,構造調整や民主化支援問題等に分野を広げ,最後に宣言の採択が行われた。

 第2回TICADにおいては,人づくりの協力,初等教育の普及を支援し,3年間に1億ドルを計上し,同時に3年間に3000名程度の技術研修者の招聘や,地域協力,民間センターの開発等の検討を行った。

 第3回では,アフリカで高まった自助努力の結晶である,アフリカ開発のための新パートナーシップを踏まえて,人への投資,貧困撲滅のための農業開発,平和の定着(ガバナンス),アジア・アフリカ協力,アフリカ域内協力等を検討した。
また,TICADの進展にあわせフォロー・アップ・プロジェクトや閣僚レベル会議や,環境エネルギー閣僚会議等を開催した(2007年3月)。

(2)TICADに対する批判
 前述のTICADの歩みに対し,在京駐在のアフリカ外交官から「新しいTICADが必要ではないだろうか。お互いに話し合ったことを実現しうるメカニズムが必要ではないか。」との意見が提示されている(「朝日新聞」2007年8月5日付)。また,「アフリカについてだけ話すトークショーではないか」といった厳しい批判も出されている(前掲「朝日新聞」)。

 確かに,それぞれのTICADは,内容的に見て抽象的と思える面もある。いわく,貧困撲滅のための経済成長,感染症対策,難民支援,地域紛争解決等,いわば総論が主で具体的各論にまで届きにくいかもしれない。

 他方,政府批判として,JICA,研究者諸氏から借金漬けの過去の失敗論,成長を促す循環論等が述べられているが,対象としているのは援助を受ける側より,援助国(ドナー)に対する批判ではないか。

 援助問題は,今日,援助国(ドナー,またはパートナーシップ)と被援助国(自助努力,オーナーシップ)の双務的時代に入っていることを,忘れてはいけない。そこで最も大切なことは,途上国の自助努力の基礎となるのは,ガバナンスであり,とくにグッド・ガバナンスが最も必要と考える。

5.終わりに:日本とアフリカ  

 −“ガバナンスの理解に向けて”
ガバナンスの本来の意味は,統治,管理,改革等であるが,開発途上問題で用いられるガバナンスについて,J.D.ウォルフェンソン世界銀行元総裁が明快に述べておられるので,その要旨を借用したい。 

よいガバナンス
・GNPの伸びがある
・成人の識字率が向上
・乳幼児死亡率が低い
・貧困の緩和
・人材の育成が行われている 
・法律制度がしっかりしている

劣ったガバナンス
・責任と透明性の欠如
・汚職が著しい
・教育・保健・衛生の充実の必要
・水資源の確保の努力の必要

とくに優れたガバナンスでは,「汚職の解決,人権,財産,契約保護の法律制度,透明な監督が行われる金融システム,投資家の信頼の強化」がとくに重要である。

 日本のアフリカに対する重要な役割は,以上のグッド・ガバナンスの中から,手がけやすいところから実施すれば,効果が挙げられるであろう。
(2007年11月9日)