休戦から平和へ

―朝鮮半島の恒久平和を目指して

韓国・慶熙大学平和研究所教授・元インド大使  チェ・ウンサン

 

 国際連合は1947年からこの方,朝鮮半島の再統一を課題としてきた。その憲章に基づく権限を背景に,1954年の平和協議を再開して,半島に恒久平和をもたらす役割を果たすべきだ。

 1945年に朝鮮半島が分断されてから60年あまり,南北朝鮮は依然として「戦争状態」である。両者,ことに南側での政治,経済,社会の変貌は,平和統一の構図を劇的に変えた。しかし分断をもたらした歴史的事情は,恒久平和までの道のりを相変わらず閉ざしている。本稿の狙いは,朝鮮半島の独立と統一のため国際社会と国連が果たしてきた役割,そして中国がグローバルパワーになりつつある情勢下で,朝鮮半島統一を展望することだ。中でも,1954年4月26日から6月15日までジュネーブ(スイス)で開かれた朝鮮半島統一に関する政治協議(以下「ジュネーブ協議」と略称)の結果を吟味したい。同協議から相当経過したが,その意義は小さくないと考えるからだ。

 まず,目下進行中の北朝鮮の核軍縮に関する六カ国協議の重要性を強調しておきたい。同協議では,2007年3月13日の合意により,北朝鮮は韓国から重油5万トン相当のエネルギー支援を受け,引き替えに6日間以内に寧辺の主な原子炉と関連施設を停止・封印する,それを国際原子力機構(IAEA)の国際査察チームが確認することになっている。(本稿執筆時点で,北朝鮮の凍結口座問題が未解決で,寧辺施設の停止を査察チームは確認していない。編集部)北朝鮮が原子炉を不可逆的に無能力化し,全ての核計画の無効を宣言すれば,北朝鮮はさらに95万トンの重油を受け取ることになっている。

 この3月13日合意には疑念の声もある。核計画は北朝鮮が有する唯一の交渉カードだからだ。その成否は米国が今後の交渉で,どれほど妥協できるか,に大きく依存している。一方で北朝鮮は,核施設を解体することと,既存の核兵器を廃棄することとは別問題だと明言している。専門筋は,北保有の核兵器を6,7発と推定している。

 ところで北朝鮮は,過去にも合意を無視し,プルトニウム型の核兵器開発計画を凍結する傍らで,ウラン型の核兵器計画を進めていたと報じられ,2002年末の核危機を招いた。ともかく今回の合意によって,六カ国(韓国,北朝鮮,米国,ロシア,中国,日本)は,1953年の休戦協定に代わる恒久平和について話し合う,別のフォーラムを設けることになった。とは言え,北朝鮮の核軍縮問題が前もって打開されなければ,恒久平和を朝鮮半島に実現できないだろう。

「休戦協定」を超えて

 言うまでもなく,「休戦協定」と「平和条約」は大きく異なる。ハーグ協定(1899年)付帯規則第36項では,「休戦」とは紛争当事国の合意により軍事行動を停止するだけだ。一方の当事者が重大な違反行為をすれば,もう片方の当事者には,相手を非難し,敵対行動を直ちに再開する権限が認められる(第40項)。

 また休戦協定第4条では,「朝鮮半島からの全ての外国軍隊の撤退と,南北朝鮮問題の平和的解決を交渉で解決するためのハイレベルの政治協議」に触れている。今の朝鮮半島が国際法上の戦争状態にあるのは冷厳な現実だ。この戦争状態は終結させなければならず,それには,紛争の全当事国が参加した場で平和条約を締結しなければならない。

 50年以上も前,実際にジュネーブ協議が開催されたことを知る者は少ない。その協議には共産側から北朝鮮,共産中国と,(特別に招請された)ソ連が出席した。一方,国連を代表して米国,大韓民国の他,国連安全保障理事会決議(1950年6月25日,27日,7月7日)に応じて朝鮮戦争に派兵した国々(アルファベット順に。オーストラリア,ベルギー,カナダ,コロンビア,エチオピア,フランス,ギリシャ,ルクセンブルク,オランダ,ニュージーランド,フィリピン,タイ,トルコ,英国)が出席した。

 国連は総会決議(1953年8月28日)で休戦協定を了承し,ジュネーブ協議の開催に道を開いた。国連は1947年から南北再統一に尽力してきたし,国連憲章に基づく権限からみても,平和協議を再開して,朝鮮半島の恒久平和実現の役割を果たすべきだ。南北朝鮮問題の平和的かつ公正な解決は,北朝鮮に関する六カ国協議に現在関与している国々のみならず,全世界が重大な関心を寄せている。

 実際のところ,北朝鮮の核危機解決には,同国がこだわってきた米朝「不戦条約」の代わりとなる,平和条約を北朝鮮に提供するしかないと思われる。米国は不戦条約の類を結んだことがないので,上院が批准しそうもない。

 平和条約は,平壌の主目標である政権存続を達成させなければならない。このため北朝鮮は1974年以降,平和条約調印を要求し続けており,途中で何を勘違いしたか,米朝二国間協定を推し進めてきた。平和条約は全当事者の間で結ばれるのが,長い間に定着した国際法上の決まりであるから,ジュネーブ協議の全参加国には確かに該当する。しかし朝鮮戦争の紛争当事国でないソ連がジュネーブ協議に招かれたように,将来の協議には,南北朝鮮との歴史的関わりが深い日本も招かれてよい。

 手順としては,朝鮮戦争の国連軍16カ国は,次の国連総会に議題と決議案を提出すべきだ。日本その他の平和愛好国も,同決議の提案国になれる。平和会議の議題は,南北朝鮮問題の未解決の全議題を含むべきだ。その中には,朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を米国と日本が承認する問題も入る。これは北朝鮮の核関連事項が,予め最終的な形で解決されることを前提としている。

 米国と日本が,北朝鮮と全面的な外交関係を樹立することこそ,北朝鮮が長年,熱心に追求してきたものであり,北朝鮮から協力を引き出す誘因だろう。ことに,議事には次の項目が含まれるだろう。

@南北の統一方式など,恒久平和と秩序に関する事項

A南北間の国境非武装化は,休戦協定で画定された境界線に沿って実施

Bしかるべき平和維持軍または監視チームが,国連軍と交替する

C核計画について国際査察と確証を求め,核ミサイルなど大量破壊兵器製造計画を破棄し,南北双方のテロリスト訓練や武器密輸を放棄させる

D戦争捕虜や難民,拉致された民間人の交換

F戦闘中に死亡または行方不明の国連軍兵士の遺体返還

G北朝鮮を承認していない国は,国家承認する

H各種条約を国家として承継することで,条約や国際取り決めを維持する。例えば,韓国からの米軍撤退要求については,韓国が米韓相互防衛条約に基づく義務を果たしているわけだから,問題にならない

I北は南に高等弁務官または外交代表部を置き,南も同様の措置をとる

J北朝鮮への経済支援を,米国,日本,国際援助機関と国際社会が総体として行う

K拉致された人々,特に日本人拉致被害者を原状回復させる

Lこの総会決議に対し,安保理事会が支持を表明する

M決議の実施を監視または支援するため,国連事務総長特使を南北朝鮮に赴任させる

その他の懸案事項

 北朝鮮は多国間で平和条約を締結する方式に反発するかも知れない。同国は国際慣行に不慣れで,しかも,その類いの平和条約は朝鮮民族を永久に分断するだけだと主張してきたからだ。だが,その主張は,事実を精査すれば根拠に乏しいことが分かる。2006年の時点で,韓国が外交関係を有する国は185カ国で,北朝鮮は154カ国に上り,そのうち150カ国は両方を承認している。韓国は,国家単位で加盟できる91の国際または政府間の機関・機構に属し,北朝鮮も30のそうした国際機関のメンバーだ。付言すれば,両国とも国家単位でしか加盟できない国連の一員だ。

 ちなみに朝鮮の歴史の中では,新羅,高句麗と百済の三カ国が半島に並存したことがあり,やがて新羅は優勢となり半島を統一した。現在,韓国と北朝鮮は,一つの領域内の二国家として共存している。どのような政策や計画も,この厳粛な事実を認めたところから進めるべきだ。その現実が,休戦協定で膠着した「戦争状態」から,平和を醸成する諸条件を取り戻すことを求めている。これが南北の平和統一を前進させるステップだ。

コリアにおける国連の役割

 国連は大韓民国の独立に積極的に関与し,今でも朝鮮半島の事態に確実な利害関係を有している。1950年代前半には,韓国に対する共産勢力の攻撃を退けるために派兵し,その後,長年にわたって民主的原則に基づく南北の再統一に尽力してきた。ジュネーブ協議の全般を通じ,連合国16カ国の代表達は南北朝鮮問題の妥当な解決の要諦として,@国連が中心的役割を担うこと,A国連の後援の下で完全に自由な総選挙を実施し,南北の人口比に基づく代表を選出すること,B国連の使命である「統一,独立,民主的な政府」が樹立されるまで,国連軍が朝鮮半島に存続すること,を挙げた。

 これらの原則に則って,1954年5月22日,韓国のY.T.ピャン外相は,南北の平和統一前進のための提案をジュネーブ協議に提出した。14項目からなるピャン提案の骨子は,@国連の後援の下で南北が自由選挙を実施し,人口に応じた代表を議会に送るために,国連監視下で国勢調査を実施すること,Aソウルで開催する全コリア議会で改正されるまで,大韓民国の憲法を有効と見なすこと,B総選挙の日から遡る一カ月前までに,共産中国の軍隊が撤退完了すること,C朝鮮半島全土に統一政府が樹立したのを受け,国連軍が撤退すること,そしてD統一コリアの国土保全と独立を国連が保証すること,を求めた。

 この韓国側提案は,コリア人民による真正の民族自決を基礎に,統一と安全保障を求めたもので,これはその後,韓国の一貫した統一政策となった。それは今も有効なはずだが,2000年6月15日に金大中大統領(当時)と,金正日・国防委員長が発表した「共同宣言」は,根本的に異なった趣旨のものだった。つまり「共同宣言」は,南北の統一を「連邦制」または「緩やかな連邦制」の下で達成するとしているからだ。「共同宣言」は国連憲章や,同憲章に則った,諸国間の友好と協力に関する国際法上の原則についての国連宣言(1970)に明記されている,人民による自決の原則に準拠していない。

 ジュネーブ協議の際,南北統一に関する共産側の立場は,ソ連のモロトフ外相や,共産中国の周恩来外相,北朝鮮の南日外相らによって提出された。いずれも国連監視下で実施される,真正の自由選挙を通じた統一を容認する如何なる方式も拒否している。共産勢力が同意するとすれば,統一の過程で拒否権を行使できる方式だけだった。彼らは口では「自由選挙」,「比例代表」,「選挙の公正な監視」などを挙げたが,自由選挙が決して実施されないよう万全を期したのだった。

 特に選挙準備のための「全コリア委員会」について,南北同数の代表を出すこと,委員会での決議は「相互の合意」でのみ行われるよう提案してきた。つまり,朝鮮半島全人口の三分の一以下の北の人民を,非民主的に支配している北朝鮮が,民主的権利を享受している過半数以上の非共産側の決定を拒否できるというわけだ。

 この点で興味深いことは,ジュネーブ協議最終日の1954年6月15日に,中国の周外相は,同会議の参加各国が「南北朝鮮問題の平和的解決」に向けて尽力を続けることに同意するという趣旨の決議案を出してきた。そして交渉再開に適当な時期と場所は,関係各国の交渉で別途定めるというものだった。協議の最後になって,共産側は同提案を議決に回そうとした。議長を務めた英国のアンソニー・イーデン外相は,同協議では表決規則が確定されていないことを挙げて,周提案を議事録に留める旨裁定した。こうして同提案は,協議に提出された全ての提案と同等の扱いを受けることになった。

 ともあれジュネーブ協議は共産側の頑なな姿勢のせいで,何らの成果も収められなかった。16カ国が閉会に臨んで発表した声明にも,この点が指摘されている。

「南北統一を前進させるような基本合意について,熱心かつ忍耐強く模索した…。この状況に鑑み,我々が必須と考える(平和交渉と自由選挙に関する国連の権限に関する)二つの根本原則を,共産側代表団が拒否し続ける限り,遺憾ながら,本協議で南北朝鮮問題をこれ以上審議しても有効な目的を果たせないと,結論せざるを得なくなった。我々は南北朝鮮に関する国連の目標達成に向けて,今後も支援することを確認しておきたい。」

コリア,中国,そして力の均衡

 近代の国際関係論に現実主義派を立てたシカゴ大学の故ハンス・J.モーゲンソー教授によれば,南北朝鮮問題は「力の均衡」理論の典型的な例だ。中国に近いという地理的位置のせいで,朝鮮は長い歴史の大半の期間,強力な近隣諸国の影響や干渉を受けたが,そのおかげで自治国家として存続できた。中国が朝鮮の自治を保護しきれない時には,他の国,中でも日本が朝鮮半島に足場を得ようとした。紀元前1世紀から朝鮮の国際的地位は,概ね超大国中国に決められるか,中国と日本のライバル関係に左右されてきた。

 7世紀に朝鮮が統一されたのは,中国の干渉の結果だ。13世紀から,中国が衰退する19世紀まで,朝鮮は中国を宗主国として服属し,政治と文化の覇権を甘受した。日本の朝鮮侵略は長続きしなかったが,16世紀末から日本は中国の覇権にたてつき,朝鮮の管理権を主張した。日清戦争(1894-95)に勝利し,日本の主張には正当性が帯びることになった。その後,日本の朝鮮半島支配はロシアの挑戦を受け,ロシアは1896年から日露戦争(1904-05)で日本に敗北するまで半島を支配した。こうして日本の朝鮮半島支配は堅固になったが,第二次世界大戦で敗北することによって終わりを告げた。

 それ以後は米国が日本に代わり,朝鮮半島に対するロシアの野望を監視する役目を担ってきた。一方,中国は朝鮮戦争に干渉して以来,朝鮮半島支配への歴史的野心を再燃させた。このように南北朝鮮の運命は,圧倒的な一国に支配されるか,その支配を競う数カ国の力の均衡で形作られてきた。歴史と地理の力によって,南北朝鮮は中国,ロシア,日本といった強大国に囲まれてきたのだ。

 外部の応援なしで,南北朝鮮はこうした強力な隣国の挑戦に応じられない。幸いにして韓国は米国との間で,朝鮮戦争とベトナム戦争で共同戦線を組み,北朝鮮からの継続的な脅威に対応する形で,韓米相互防衛条約による同盟国となった。その実質は米韓統合軍司令部と,国連安保理決議(1950年7月7日)によって設置された国連軍司令部だ。

 韓国の現政権が,米韓統合軍司令部を解散しようとする最近の動きは,同盟関係を劇的に弱体化させるもので,重大な誤りだ。大韓民国としては,朝鮮半島を取り巻く強力な国々との均衡を,現在はもとより将来にわたって維持するために,米国との同盟を必要としている。

最後に

 南北統一に関するジュネーブ協議は,冷戦の緊張が高まる中で行われた。今日,朝鮮半島を取り巻く情勢は,1954年当時と根本的に異なる。冷戦は終わり,韓国はロシアや中国と全面的な外交関係を保持している。韓国も北朝鮮も国連加盟国だから,国連諸機関の決議を遵守する法的義務を負っている。国連憲章第二条第五項は,次のように記している。

「すべての加盟国は,国際連合がこの憲章に従ってとるいかなる行動についても,国際連合にあらゆる援助を与え,且つ,国際連合の防止行動又は強制行動の対象となっているいかなる国に対しても,援助の供与を慎まなければならない。」

 今日ではロシアと中国が,南北統一に関する国連決議に従う可能性はある。正式な条約が結ばれれば,戦争状態の半島が法的に平和を取り戻すことになる。その次のステップは,多年にわたって適用されてきた国連の諸原則に従って,コリア人民の真正な自決に基づく平和的統一の作業だ。国連の諸原則は正当なものであり,その適用に一層の努力が向けられるべきだ。
(World & I誌, Summer 2007より)


■Woon-sang Choi
キャリア外交官で,韓国大使としてインド,エジプト,モロッコ,ジャマイカ,カリブ海諸国などに赴任した。ジュネーブ協議当時は,韓国外務省の政務第一課長(法律,政策担当)だった。現在,韓国・慶煕大学平和研究所教授。