米朝関係の新展開と日本の戦略

国際教養大学教授・元米国務省北朝鮮担当官 ケネス・キノネス

 

現実は絶えず変化するが,その変化は恒常的である。北東アジアは1990年の冷戦終結以来,何度も重要な変化を経験してきた。毎日の仕事や溢れるニュース報道の中で,そのような変化に対する認識が薄れ,我々は北東アジアがどの程度変わりつつあるかを真に理解できないことがしばしばである。

 冷戦終結後,20年近くを経て北朝鮮と韓国は和解の方向に向かっている。また中国は,資本主義を追求して,共産革命を輸出するよりもむしろ製造加工品を輸出することに力を注いでいるようだ。米国と日本は中国の主要な貿易相手国となり,敵対国の関係ではなくなりつつある。

 しかし,残念ながら,持続する平和にはまだ手が届かない現状である。それはとくに「第二次朝鮮戦争」の可能性が続いているためである。朝鮮半島が分断され,米国と朝鮮民主主義人民共和国が敵対国である限り,北東アジアの持続する平和は不可能なままであろう。幸い,最近の北東アジアをめぐる情勢変化は,この地域の平和実現への道の見通しを高めた。韓国と北朝鮮の和解と中国の変化は継続している。2007年初め,ブッシュ政権は,突然,北朝鮮に対する強圧的なアプローチを止め,正常な二国間関係の追求を再開した。そのなかで,日本だけが今,冷戦スタイルの強圧的な戦略で北朝鮮に対している。

 こうした変化は平和のために良いことであるが,日米と北朝鮮間の不信と敵意の「歴史的遺産」を消し去るには,時間と忍耐と断固とした努力が必要である。平和が持続するためには,変化が継続しなければならない。北朝鮮は外の世界に対する門戸開放を早め,冷戦時代の核抑止戦略を放棄すべきである。米国と北朝鮮の関係正常化への動きは,北朝鮮がいずれは核開発計画を廃棄するだろうとの見込みを抱かせるものであるが,まずは複合的な「同時的措置」が履行されなければそれは本物にはなっていかない。

新しいアプローチの必要性

 北朝鮮の核開発問題で重要なことは,その核関連施設を100%の確実性をもって検証することは不可能だということである。したがって,戦略を完全に転換する必要がある。そこで私は北朝鮮に対してまったく新しいアプローチをとることを勧めたい。第一に,北朝鮮を信頼してはいけない。第二に,検証するという考え方を諦めること。第三に,本当の問題,北朝鮮の政治指導者に焦点を当てることである。北朝鮮がどのような種類の武器――核兵器であれ通常兵器であれ――を所有しているかが問題ではない。問題は指導者が戦争を最優先しようとするのか,経済発展を最優先しようとするのかである。

 私は金正日のことを心配するのを止める時期が来ていると考えている。彼はやがて亡くなる。彼の次の指導者,次の世代が戦争の準備以外の何かに取り組めるよう,より良い戦略を練っておく必要がある。

 確かに独裁主義者に対して宥和政策が有効だったことはない。しかし一つ重大な誤解を正しておきたい。1994年の「第一次危機」当時,クリントン政権は北朝鮮に対して「宥和政策」をとったわけではなかった。
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 994年,我々は北朝鮮側に対し,米国が見返りを与える前にまず条件に応じるよう要求した。それが私が寧辺に住まなければならなかった理由であり,米国陸軍関係者を北朝鮮に連れて行かなければならなかった理由である。ここで重要なことは,米国人が北朝鮮国内にいたことである。それゆえ1994年から2000年まで,クリントン政権と北朝鮮政府の合意の下で,北朝鮮国内の至るところに米国人が行くことができた。そのため,核研究施設を含め,北朝鮮国内で何が起こっているのか,我々は詳細な情報をつかむことができた。それはクリントン政権が北朝鮮政府に対し,米国人の滞在を認め,北朝鮮の行動を監視させるよう強く要求したからである。さらに北朝鮮に核拡散防止条約(NPT)の加盟国に留まり,国際原子力機関(IAEA)の査察を受け入れるよう求めた。そして北朝鮮はそれに合意した。

 しかし今日,我々はそのすべてを失ってしまった。北朝鮮に対して「宥和政策」をとったのは,むしろブッシュ現政権と言える。北朝鮮のどこにも米国人は住んでいないし,どの核施設に対しても査察は行われていない。残念ながら北朝鮮国内で何が起こっているかを知る術はない。したがって元外交官として,私は現在,北朝鮮に対する「宥和政策」が進められていることに強い不満を感じている。それはブッシュ政権が北朝鮮政府から何も引き出すことができていないからである。すべてを最初から再構築しなければならない。

関与政策(engagement policy)

 私の体験から北朝鮮について言えることがいくつかある。第一に,平壌に住んでみると共産主義者は見当たらず,そこにいるのは極めて愛国的な朝鮮人たちであるということ。第二に,彼らの考え方には柔軟性がないのでそれを変えることはほとんどできないということ。そこで私は彼らが何を考えているのか研究してみた。政府の役人だけでなく,ホテル従業員や寧辺の労働者,博物館を訪ねてくる人々など多くの人々と話をした。その結果,北朝鮮の人々が諸外国に対する強い敵意を抱いていることを理解するようになった。ロシアや中国であろうと,日本や米国であろうと,とにかく外国に対する敵意をもっている。

 また私は,金正日に直接会ったことはないが,彼についても少しずつ理解するようになった。彼の父親・金日成とは昼食を共にしたり,核問題について何時間も議論したりしたことがある。私が北朝鮮の軍幹部たちとの会話を通じて金正日について理解したことは,米国と日本が北朝鮮に対して厳しい声明を発表したり経済制裁を課したりすると,彼らは非常に喜ぶという点である。それは,そうした状況になると軍幹部たちは金正日のところに行き,「やはり我々は国家を防衛するために核兵器や弾道ミサイルが必要です。」と言えるからだ。つまり,平壌の軍幹部たちは武器を保有するために,外国の圧力や言葉をうまく利用しているのである。

 ところで,なぜ金正日は何度もミサイルを発射するのか。それは,金正日が平壌の軍幹部たちに対して自分が父親に似た存在であり,父親のように勇敢であることを示さなければならないからだ。すなわち,外国人と闘い,帝国主義者と闘う姿勢を示さなければならない。もし金正日が物静かでブッシュ大統領に屈服する人間だと映れば,幹部たちは彼を尊敬しないだろう。したがって我々が北朝鮮を追い詰めれば追い詰めるほど,軍幹部は金正日を追い詰めるので,金正日はもっと自分が勇敢であることを示さなければならなくなる。本当のところ,金正日は弱い男であり,軍幹部たちを恐れているのだ。

 では,こうした状況にどう対処すればよいか。私は,平壌の軍幹部たちに金正日を説き伏せるための口実を与えるのを止めなければならないと考える。それがまさに1994年から2000年にかけて我々がとった対北朝鮮戦略だった。レーガン大統領もソ連に対して,ブッシュ大統領(第41代)も中国に対して同じような戦略をとった。そしてどちらの場合も,我々はその国の内部――モスクワや北京――に入り込んで,内部から変化を促したのである。実際我々はロシアや中国の変化を目撃した。それに比べれば,北朝鮮は小さく貧しい国家である。

 私が最初に中国へ行った1992年当時は,まったく資本主義が導入されていなかった。それと比べれば現在の中国の姿は驚異的である。中国に対して関与政策で臨み,資本主義によって共産主義の中国を変化させてきたのである。日本もそのことをよく知っているはずだ。
そこで我々は北朝鮮に対しても同様の戦略をとるべきだと主張した。これは基本的に資本主義によって共産主義社会を弱体化させるために計画された戦略である。つまり,彼らの国の社会に入り込んで軍部や党の力を弱め,経済活動に焦点を移させて,新しいビジネスや新しい人間関係を築く戦略である。例えば,我々は食糧支援を行うとともに,内部に入りマクドナルドやコカコーラなどに代表される資本主義を導入しようとした。

 北朝鮮では政府を批判するためにテレビやラジオ,新聞を用いることは不可能である。そこで我々は,北朝鮮の人々が帝国主義者は決してやらないと思うようなことをやる必要があった。その一つが食糧支援である。我々の目標は金正日を支援することではなく,北朝鮮の人々の考え方を変えて混乱させることだった。彼らに「あなた方の政府は国民に正直に話をしていない。」「我々は残酷な人間ではなく,人道的である。」と伝えることだった。

 私は1992年に初めて北朝鮮へ行ったが,当時は誰も私に話しかけようとしなかった。最後に行ったのは2004年だが,子供でも外国人に話しかけるようになっていた。つまり,我々の戦略が機能していたのである。日本のNGOとも一緒に働き,学校を訪問してバナナや卵を与えたりした。また米国陸軍の数多くの兵士が北朝鮮に入ったが,それは兵士たちにとっても貴重な学習の機会となった。北朝鮮の人々にとっては衝撃的な出来事だったようである。

 米国陸軍中佐と平壌から板門店に移動していたときのことだが,途中で休憩所に立ち寄った。その中佐は私服だったが,私はお茶を入れてくれた北朝鮮の若い女性に,彼が米国陸軍の兵士だと言って紹介した。すると彼女は中佐を叩き,「あなたはオオカミだ。我々の国の女性を強姦した」と叫び始めたのである。私は中佐に「早くあなたの家族の写真を見せてあげなさい。」と言った。彼は夫人と子供の写真をテーブルに置き,私は「彼は結婚して家族がいるんだ。戦おうとしているのではない。だから北朝鮮に来ているんだ。」と説明した。すると彼女の態度は完全に変わった。我々はそのようなことを何度も経験した。共産主義者ではなく,とても愛国的な人々が多いというのはそのような意味である。そのような人間をつくった北朝鮮の教育は完全に間違っていると思う。真実が国民に伝えられておらず,国民は日本や米国について何も知らない。それにどう対処するかが問題だ。

日本の戦略的選択

 日本は今や戦略的な選択を迫られていると思う。一つの道は,過去と決別して,隣国たる中国や韓国,北朝鮮との和解を追求する道である。もう一つの道は,将来にわたって首相の靖国神社参拝を継続し,いわゆる「慰安婦」問題その他過去の日帝時代の非人道的行為に対する責任を将来も認めようとしないことに見られるような,北東アジア諸国の懸念をいつまでも無視し続ける道であり,そのどちらの道を選ぶかという選択である。しかし私の考えでは,日本が「歴史問題」に関して自国の立場を優先する道に執着し,北朝鮮に対する現在の強圧的な戦略に固執することを選ぶ限りにおいて,北東アジアの持続的な平和に向けた進展は妨げられることであろう。

 韓国と北朝鮮の関係について言えば,朝鮮戦争当時に恐らく数万人の韓国人が行方不明になっている(注1)。韓国は国家安全保障を優先するか,歴史を優先するかの選択を迫られた。そして彼らは北朝鮮と協力することによって将来をより安全なものとするという決断をしたのである。韓国政府が過去を忘れた訳ではない。単に国家安全保障を優先したのである。日本も国家安全保障を優先することを決めるならば,相手国からどこまでの内容を引き出せるのか現実的に判断しなければならない。そこから交渉が始まるのである。

 また,東アジアの持続的な平和には多国間の協力が必要である。中国,米国,韓国は,六カ国協議が2003年8月に始まって以来,一貫してこの立場を堅持してきた。この外交プロセスは,北朝鮮の核開発計画の廃棄を目指すものであったが,北朝鮮が自国の安全保障に関する執拗な懸念を示し,中国とロシアがこのような北朝鮮の主張を支持したために,六カ国協議はこの地域の「持続的平和を築くためのフォーラム」に変質してしまった。最初は韓国が,そして今や米国が,六カ国協議のこのような拡大した役割に同意している。しかし,日本は北朝鮮に対する経済的圧力を加える戦略を中心に据え,北朝鮮をして日本の要求に屈服させ,究極的には金正日政権の崩壊をもたらすことをももくろんでいるようだ。

 現在の日本の対北朝鮮戦略は,今や同盟国たる米国や韓国の戦略とは完全に合わないものとなっている。米政権の戦略は2007年1月までは日本のそれと一致していた。ところが,その後ブッシュ大統領は,それまで6年間の拡散防止安全保障構想(注2)と耳障りな経済制裁に基づいた強圧的な戦略を止めることを国務省に許可したのである。さらに同大統領は,北朝鮮との外交交渉を「取引外交」に変更して,交渉による双方の一致を早急に導き出そうとしたのである。そのため米国クリストファー・ヒル主席代表に対して,北朝鮮の交渉相手である金桂寛外務次官との交渉において,北朝鮮が核開発計画の段階的に廃棄する代わりに経済的外交的譲歩をすることのできる権限が初めて与えられたのであった。

ワシントンの突然の変化

 ブッシュ政権のこのような急進的かつ突然の変化は,日本,特に安倍首相を驚かせた。それは,安倍首相がブッシュ大統領の強圧的な戦略に対する断固たる支持を公式に表明した後でこの変化が起こったからである。安倍首相がそのような表明を最初にしたのは2006年7月で,そのとき米国は日本政府に北朝鮮に対する包括的な経済制裁を課すように要請したのであった。そのときはまた,北朝鮮が国際的な反対にもかかわらず,数発の弾道ミサイルを試射した直後のことであった。それから2006年10月に,ブッシュ政権は日本に対して,北朝鮮が核実験をした後,国連による経済制裁の外交的イニシアチブを取るように先導するように要請した。

 ワシントンと東京の間の戦略の食い違いは北朝鮮の利益につながる。米政権は北朝鮮を米国国務省の「国際テロ支援国家」のリストから除くことを考慮する意思があることを示している。もしそうなれば,米国が北朝鮮に課している経済制裁の数が減り,米国と北朝鮮の間の関係正常化にとっての厄介な障害が取り除かれるだろう。2007年4月末にキャンプ・デービットで開催された日米首脳会談において,ブッシュ大統領は安倍首相に対して,米国がそのような措置を本当に考えていることを確認した。もし米国政府がこのような措置を取れば,北朝鮮から拉致問題で満足のいく解決を得ようとする日本に対する支持を国際的にアピールしようとしている安倍首相の努力にとって大きな打撃になるだろう。言い換えれば,北朝鮮は現在,米国に対して,北朝鮮との関係正常化を追求するのか,あるいは北朝鮮に対して厳しい姿勢の日本を支持するのかを選択させるのに良い立場にあるわけだ。ブッシュ大統領としては,北朝鮮の核開発を止めさせるために交渉による取引を優先したいので,日本を支持するよりもむしろ北朝鮮を満足させようとするように思われる。

 日本の近隣諸国も同じような気持ちであるように思われる。特に,中国と韓国は,持続的な平和に向けての進展を図りつつ北朝鮮の核兵器を段階的に廃棄していくか,それとも北朝鮮に対する日本の主張を支持するかを選択しなければならない。平和実現と朝鮮半島の非核化の方が中国と韓国の国益にとってより役立つものである。拉致問題に関して言えば,それは中国,韓国,およびロシアの政府と国民にとって重大な懸念事項と言えるものではない。日本の主張に対する彼らの無関心を補強しているのは,周辺国の懸念する諸問題,すなわち,日本帝国時代の歴史事実を歪曲したといわれる問題,慰安婦問題,日本の首相による靖国神社参拝などに対する周辺国の声を日本が軽視していることである。要するに,日本は,結局六カ国協議において,北朝鮮に対する強圧的な戦略と拉致問題の満足のゆく解決の両方を優先することによって孤立することを予想すべきである。

 日本が周辺諸国の懸念に対する配慮を示さない限り,逆に拉致問題に対する周辺諸国からの配慮を期待することもできないのである。この点でも変化が望まれるが,これは米国が解決し得る問題ではない。日本が自ら周辺諸国との間で完全に解決しなければならない。もし日本が中国や韓国などの周辺諸国と良好な関係を持つことができれば,日本の国防は強化される。集団安全保障が機能するのは,集団的同盟が結ばれている場合のみである。

日本と北東アジアの新しい力の均衡

 1990年以来の北東アジア情勢の変化によって,力の新しい配分と新しい地域的なコンセンサスが生み出された。もはや日米同盟はこの地域の安全保障をカバーしきれなくなっている。米国の中東に対するコミットメントが増大するにつれて,北東アジア地域における米国の軍事的プレゼンスは減少し続けている。韓国も兵員の削減を考えている。日本の軍事力は,人員と軍備の点で,計画された防衛能力のピークに達しており,これ以上増加することはありそうにない。

 一方,北朝鮮は展開している弾道ミサイルとおそらくは核兵器の開発によって軍事体勢を強化している。これは必ずしもこの地域の全体的な軍事力が増加したという意味ではない。北朝鮮が核武装を追求するのは,冷戦の終結で失われたソ連の核の傘に代わるものを目指しているからである。北朝鮮の第一の軍事同盟国である中国は今,北朝鮮が武器の開発や獲得から国際貿易における競争力の強化へとその焦点をシフトさせるように外交と経済的な誘導を用いて強く働きかけてきた。韓国の北朝鮮との和解の努力は,中国の努力に平行し,それを高めている。

 中国はこの地域の外交のリーダーとして台頭した。中国は六カ国協議を打ち上げることによって北朝鮮の核の野望を平和的に終わらせることを追求するイニシアチブを取ってきた。韓国とロシアはその交渉をバックアップする重要な役割を果たしていると同時に,北朝鮮が経済開発に努力を集中できるよう働いている。米国はこれまで6年間,中国,韓国,ロシアの外交及び経済的努力とは,矛盾し厳しくかつ空しい努力をした後に,ついに六カ国協議の他の参加国の方針に沿った戦略をもってきた。しかし,依然として,日本はこの点でも孤立している。

日本と北東アジアの新たなコンセンサス

 六カ国協議の中でのこのような新しい連帯は明らかに,北朝鮮との外交交渉,政治的和解,および経済協力を目指している。こうした方向性を積極的に支持することが,北東アジア地域の新たなコンセンサスであり,それは冷戦時代の地域関係を特徴づけていた対抗と対決よりも協力と和解を重視するものである。このような共有された方向性をさらに補強することが,この地域の経済的活力と繁栄につながるのである。対決か,戦争の可能性かといった選択に迫られたときに,中国,ロシア,韓国,北朝鮮は明確に平和と経済発展と繁栄の道を優先しようと考えた。米国は今やこのことを認識している。しかしながら,日本は唯一の例外のままだ。日本の外交は単独では脆弱になり,同盟関係を結ぶ周辺国があれば強化される。北朝鮮の核脅威の抑止は,集団安全保障と集団抑止力があって初めて有効となる。日本は北朝鮮に対する外交的優先事項と戦略を調整した方が賢明だろう。さもないと,近隣諸国から孤立するばかりか,第一の同盟国である米国ともますます折り合いが悪くなるに違いない。
(2007年6月5日)

注1 大韓民国統計年鑑,国防部軍事編纂研究所統計によると,1953年時点で,84,532人が北朝鮮に拉致されたという。一方,1952年に初代駐韓米国大使が国連司令部に送った文書には,北に拉致された総数を126,325人と記されていた。さらにその内訳について,北朝鮮軍または青年軍に強制的に徴兵された者73,613人,北朝鮮軍に志願して入隊したと思われる者16,240人,その他拉致されたと思われる者36,742人と具体的に記しているという(韓国の「月刊朝鮮」07年7月号参照)。

注2 拡散防止安全保障構想(Proliferation Security Initiative, PSI)とは,2003年に米国によって提唱された大量破壊兵器・弾道ミサイルなどの拡散防止に関する考えおよびそれに対する取り組みを指す。2002年12月に北朝鮮からイエメンにスカッドミサイルが輸出されるという出来事があった。ミサイルを搭載していた貨物船はスペイン軍が臨検したが,国際法的にミサイル没収の根拠がなかったために,そのままミサイル輸出は実行された。大量破壊兵器および弾道ミサイルの各国への拡散を懸念する米国政府は,この拡散を阻止するために,同盟各国の連携が必要と考えた。その結果,2003年5月31日に「拡散防止安全保障構想」が提唱されることとなった。構想の基本原則は,大量破壊兵器および弾道ミサイルの拡散を阻止するために,各国が連携し,関連物質の移送や関連技術の移転を防ぐことにある。各国の連携方法として,国際法・国内法の枠内で軍・警察・沿岸警備隊・税関・情報機関などにおける情報交換・阻止行動が行われる。2003年6月に第1回総会が行われ,9月の第3回総会までに「阻止原則宣言」(Statement of Interdiction Principles)が取りまとめられた。9月12日からはオーストラリアで臨検の多国籍実働訓練が行われている。多国籍実働阻止訓練は年に数回づつ行われており,2004年10月には日本主催で訓練が行われた。発足当初は11カ国の賛同により開始されたが,2006年時点では75カ国の賛同が得られている。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)