現代世界の課題とPWPAの任務

筑波大学名誉教授  加藤 栄一 

序 

  およそ組織には,任務(missions)の自覚がなければならない。それは企画論,組織論,財政論等に先立つ。2007年2月17〜18日,三浦市での世界平和教授アカデミー理事会・企画会議における私の発題と討論を次のように記録して御参考に供しよう。

T.思想

 世界平和教授アカデミー(Professors World Peace Academy,以下PWPA)の任務は,主として学術思想面にある(かつては政治的運動体としても活躍したが,それも,あくまで学術思想面での活動を基礎としていた)。この面では,第一に重要かつ巨大な任務は,私が三大統一と呼ぶものである。

 すなわち,人類は,科学の統一,宗教の統一,科学と宗教の統一の三つを成し遂げなければならない。

 このうち,科学は,各分野が別々に発達した(天文学から物理学,測地学から幾何学,錬金術から化学というように)が,次第に統一されてきた。今日では物理と化学はほぼ完全に一体化し,生物学もそれに加わりつつある。しかしなお社会科学や人文科学は統一に参加しておらない。社会科学の数学利用は進み,経済学の物理学への近接はあるが,なおアナロジーの域にある。

 私は,これに対して一般システム論の立場からすべての学問を統一的に並べる方法を示したことがある(注1)。多くの人にも研究して欲しい。科学の統一は科学の性質上,比較的容易であろう。

 次に,宗教の統一は,実際問題としてはなかなか困難である。各宗教を命がけで担う人びとがいるからである。まず中東に見られる一神教相互の戦いを止めさせなければならない。次に,多神教と一神教の調和をはからなければならない。

 各宗教が,自分の宗教が絶対正しくて他はまちがっていると主張するところに争いが生ずる。宗教の性質は「信ずる」ところにあるから,この困難は大きい。しかし曙光は見えている。カソリックと正教(オーソドックス)は,西暦1054年に相互破門(mutual excommunication)したが,1965年にそれは廃棄された。またカソリックは,20世紀に入って,17世紀にガリレオを迫害したことを誤りと認め,科学に謝罪した。またローマ法王は,最近トルコを訪問し,イスラムに謝罪している。このように「法王無謬説」は放棄され,和解へ進んでいるようであるが,なお,イスラム側に過激な独善的主張をする派がある。ユダヤ教も古代ローマ時代に「皇帝ネロを神として拝め」と強制されたとき,“God is one! ”(神は唯一だ)と叫んで処刑を甘んじたように,容易に統一へは行かない。

 最近,文鮮明師の指導の下に,キリスト教の中から「十字架埋葬」をし,ユダヤ教,イスラムと和解しようという動きが出てきたことは,まことに驚嘆すべきことであって,一神教の統一も可能と思わせられた。

 多神教は,もとより一神教の神を多神の一つとして受け容れる用意がある。インドのヒンズー寺院に祭られている様子がそれを表している。私は,一神教側にも「和光同塵」の態度があれば,一神教と多神教の統一は可能であると思う。拙著『宗教から和イズムへ』(注1)97ページの図表4「相互浸透する2つの世界」は一神教と多神教,宗教と科学の統一的把握を示すものであるが,なお多くの方の考究がほしい。

 科学と宗教の統一については,同書と世界日報ビューポイント欄にちょっと論じたが,なお考究すべきである。

(附論1)「価値について」

A理事から,「価値の問題が大切である」との指摘があったので,少し論じよう。A氏も私もPWPAに入って初めてこのことに気がついたのであって,「価値」はPWPAの大切な任務の一つである。

 日本人は役人が偉いと思っているが,プラトンは,立法者が一番偉いと言っている。しかしもっと偉いのは立法の基になる「価値」の樹立者(モーセのような)である。
家庭においても頑固な親父が「悪いから悪いんだ,馬鹿!」と怒鳴るのは,立派に価値の樹立をしているのであって,この家庭からは不良は出ないのである。

 この価値が失われた状態をアノミー(無秩序,規範喪失)という。日本の現状はアノミーである。

 法律は頼りにならない。刑法をみても「人を殺してはならない」とはどこにも書いてない。「人を殺したものは死刑又は無期若しくは五年以上の懲役にせよ」と裁判所に命ずるだけである(裁判規範という)。それは,「人を殺すな」という規範はモーセの十戒や仏教の二百五十戒に依存しているからである。

 その宗教が権威を失っているから,若者が「なぜ人は殺してはいけないの」と迷い,教師も教えられないという現在の日本のアノミーが生ずるのである。「内心の道徳律の存在」は,カントが空の星と並べて不思議と畏敬の念に打たれたほどのものであったが,それが今ゆらいでいるのである。

 国際的にも価値は大切である。安倍晋三首相がヨーロッパへ行って「われわれは自由,民主,人権という価値を共有している」と訴えたが,本当に共有しているのであろうか。それは日米同盟の基礎としても重要なのであるが。

 PWPAはシンクタンク的な活動を志している。多くのシンクタンクは自己の価値観を表明していないが,それは不公正である。PWPAは,「われわれはこういう価値観に基づいてこの研究をし,この提言をした」と明言したらよいだろう。「為に生きる」価値観で,それは,あってよいのだ。

 例えば,B理事の「人格教育」の研究に対して,C女史(PWPA理事)から「人格教育は母が愛で包んでするもの。その母親が今外へ稼ぎに行って家にいない」といわれた。ではなぜ稼ぎに行くのか? サザエさんの家庭は,現在のお父さんたちより給料は安かっただろうが,母は家庭にいたではないか? マンションが欲しい,子供を大学へやりたい,だから稼ぎに出るのだ。では「マンションより大学より大切なことがある!」という価値を与えることが道を開くのである。

 このほか,イスラムの価値観,アメリカの多元的価値観と絶対的価値,ドイツの「価値からの自由」論(マックス・ウェーバーなど),マルクス主義の「プロレタリアートの階級的利益が真理よりもブルジョアジーの生命財産よりも高い価値」論など,多くの問題があるが,拙著『宗教から和イズムへ』(注1)の238-265ページに価値論を述べたので,PWPAの任務としては一応基礎づけが終わったと考えるが,まだ一般の理解を広める必要はあると思われる。

 日本の学界では,価値を一切排除しようとする傾向がなお強いから,この必要は大きい。しかし,外国では,イギリスで開かれたICUS(科学の統一に関する国際会議)第3回が,“Science and Absolute Values”をテーマとしたように,価値も考究の対象としているのである。(附論1終わり)

 次に,思想問題として,「残存する共産主義との闘争」という任務がある。

1989年に共産主義の大崩壊が起こったが,日本ではなお共産主義者が生き残り(一人も殺された者はいない),女性問題,アジア問題,環境問題,教育問題などの運動に潜り込んで盛んに社会破壊を行っている。これに対し,思想面及び実際運動面で闘争して行くことは,PWPAの大きな任務であるが,現在すでに「男女共同参画」「性教育」「ダーウィニズム批判」などの面で活発に働いているので,一言するにとどめる。

U.こころと教育

 戦後60年余,日本の教育が左翼革命勢力の強い影響にあったため,「こころ」の問題は大きく残っている。Tで述べた残存共産主義との闘争と関連してこの課題に取り組むべき任務は大きいが,すでにPWPAや関連する活動において活発に取り組んでいるので,詳細は略する。

 ただ,多くの教員の拠って立つ基盤として,“World Scripture”日本語訳の普及が強く望まれる。これは各宗教にわたる聖典の内容項目別アンソロジーである。

V.文明の衝突

 アーノルド・トインビー(Arnold Toynbee)やサミュエル・ハンチントン(Samuel Huntington,ハーバード大学教授)は,国家や地域文化より大きな具体的単位(抽象的概念でない)として「文明」(Civilizations)を把握する。ハンチントンは,現在9〜10の文明が存在し,国家間の闘争・戦争に代わって,文明間の衝突が現在・未来の大きな脅威であるという。

 各文明はそれぞれ宗教と言語を持っていて,これが中心になっているからTで述べた宗教の統一がもしできれば,文明の衝突は回避できるであろう。PWPA及び関連の諸団体諸活動は,世上のどの団体よりもこの点熱心に取り組んでいる。

 私はかつて国連(United Nations,国家連合)に代わるUnited Civilizations(文明連合,UC)が必要だろうと論じたことがあるが,菊谷清一・UPF事務総長の報告によれば,国連に各宗教代表より成る上院を設けることが文鮮明師によって提案されている。各宗教は各文明の基礎的要素であるから,この上院ができればUCは要らないかもしれないから,上院案を大いに支持したい。

W.世界平和

 長らく世界平和への最大脅威はソ連帝国主義・国際共産主義運動であったから,PWPAの歴史の前半は,これとの闘争に捧げられた。1989年の共産主義崩壊・冷戦の終結以後は,PWPAはやや「目的喪失感」の停滞状態が続いているが,今後は,Vで述べた文明の衝突を回避し,諸文明が相並んで前進するよう,世界経済の拡大の勢いに乗って「文明の前進」に努力しなければならない。

 なお,中国の膨張には,日韓台東南アジアは注意しなければならない。

(附論2)「格差」について

 D・PWPA顧問の世界一周(主として南半球)報告を聞いて痛感したのは,諸文明の経済的成長の影で巨大な貧富の格差・教育の格差が進行していることである。このことが残存する共産主義を勢いづけている。

 日本においても,アメリカ式成績主義の影で,「下流」が増加し,「格差社会」になろうとしている。
このことに対する思想的・価値的アプローチが必要であろう。(附論2終わり)

X.温暖化

 地球温暖化及びそれによる海面上昇は人類にとって大きな脅威であり,対策は地球規模の協力がなければならない。

 しかるに,京都議定書に最大の温暖化ガス排出国であるアメリカと中国が参加しなかったことは残念であった。ところが,昨年末から今年にかけて空気が急に変わって,ブッシュ大統領をはじめアメリカそして世界の指導者が温暖化対策の大合唱を始めた。次いで中国に対する協力要請の圧力が強まるであろう。

 中国やインドは開発途上国の「発展の権利」を主張するが,日本の例に見るように環境の良化は,産業を抑制することによってではなく,技術の向上によって実現したことを説得すればよいのである。

 15年前に私は,海水面上昇に対して次のような5つの対策(代案)のコストを仮想計算することを提言した。

A案:南極のまわりを高さ数千メートルの堤防で囲んでしまう。これによって,氷が融けても水を漏らさない。

B案:アフリカのサハラ砂漠に堤防を築き,その中へ,南極の氷の融けた分だけ,海水をポンプ・アップして注ぎ,巨大な人工湖を造る。こうして増水分を吸収してしまうとともに砂漠周辺の環境の改善に役立てる。

C案:カスピ海とその周辺の海面以下の高さの陸地に,海水を導き入れて,増水分の一部を吸収する。

D案:東京など臨海都市の海岸に高さ数十メートルの堤防を築き,水面上昇(最大で75メートル)した海を支える。

E案:三浦半島と房総半島を堤防(D案と同じ高さ)でつなぎ,その外側太平洋の水面が上がっても,東京湾の水面は現状の高さにとどめる。

 これらの代案は,いずれも何十何百兆円の巨大なコストを要しよう。しかし,このコストを提出することによって,世界の人々は「それは大変だ。それなら,温暖化ガスを減らすコストをかけた方がいい」という気になるだろう。

これに対してE理事は,次のように批判された。

1)そのコスト計算は一種の「おどし」であろうが,粗雑で「おどし」の役にも立たないのではないか?

2)もっと地道な対策を出すべきである。

3)気候は何千何万年の長期的変動をしており,今の変動はその一部でしかなく,やがてまた寒冷化へ向かうのではないか?

4)人為的要因による温暖化ガスの増加分は,火山活動によるものなどに比較して,比較的少ないのではないか? 

 この批判は,有益であるが,私およびF理事によって,次のように答えられた。
1)最初の計算は,いかにも粗雑であるが,協力により精密なものにすることができるであろう。私はC案については熊谷組(社長が友人だった)に頼んでより精密な設計と計算をしてもらったが,まだ満足していない。

2)アメリカの家庭では,指示した室内温度通りに自動的に冷暖房が調整されている家が多い。その結果,「冬より夏の方が室内温度が低い」(冷やし過ぎ),「夏より冬の方が室内温度が高い」(暖め過ぎ)という現状になっている。これに対して,指示温度を夏冬とも2〜3度動かしなさいと指導することなどはもっとも効果のある地道な対策であろう。

3)長期的変動のほかに近年の変動はやはり無視できないのである(図参照)。

4)温暖化ガス(CO2)もまた長期的に変動しているが,その増加分がほぼ人為的増加に一致しているのが問題である。

 温暖化問題は,巨大な変化に対抗すべき巨大な長期的努力を要するので,原因についての疑問に完全に答えられる日を待っていると手遅れになる(「気がついたとき,手をつけたときは,もう遅い!」になる)。今から巨大な国際協力を起こすための思想的・学術的努力をPWPAとしてもすべきである。

 PWPAの役員,会員の関心も高い。G理事は,CO2をCとO2に分解すればよいと述べたが,F理事は,それにはエネルギーがかかってかえって損であると答えられたが,私はエネルギーなし(太陽光のみ)でその分解をしているものがある,葉緑素がそれであると述べた。G理事は,「森林伐採を減らし,各家庭に木を植えるべきだ」と前進された。このような議論を進めていくべきである。

 先の私の提案も,途方もない案ではあるが,「途方もないアイディアは,アイディアが無い状態よりは良い」(Preposterous ideas are better than no idea.)と信じて,勇気を以って提案しよう。

Y.環境

 かつての「公害」は,日本では,技術の進歩によってほとんど解決し,Xの温暖化問題がほとんど全視野を覆うに至ったので,従来の「環境」という問題のとらえ方は後退したが,なお,種の保存(アマゾン熱帯雨林生態系の危機など)やエイズの問題が残っている。エイズ問題は,「純潔運動」というUの任務(こころと教育)とも関わっている。

Z.ガバナンス

 2〜3年前にPWPA事務次長が,PWPAとして「ガバナンス」(governance統治良好性)の研究するよう提案したが,私が却下したことがある。その理由は,NIRA(総合研究開発機構)がすでにこのテーマで大研究プロジェクトを組んでおり,研究資金も,したがって,そちらに流れていることにあった。しかし,NIRAの研究があまり目覚しい成果を挙げていないし,このガバナンスという概念はなかなか有用である,と私も今思い直している。

 第一に,それは,政治の世界と企業の世界の両方に通ずる概念(コンセプト)である。第二に,それは国際社会(地球レベル,地域レベル)から国家レベル,地方自治体レベル,個別企業内レベルまで各レベルを通じて統一的に把握できるコンセプトである。第三に,これが各問題各任務に関わってくるので,PWPAの任務の体系(システム)の中で,関連線の集まる中心の戦略的な地位を占める(本論文末尾の任務の図を参照)。つまり「ガバナンスの良化」はPWPAの任務として重要である。第四に,革命という質的変化を志す過激な概念に対して,ガバナンスは量的,比較的な変化(良化)を志す漸進的な方策を促すのである。

 ここで特にデモクラティック・ガバナンスについて,理論的に,一言する。

 ケネス・アロー(Kenneth Arrow,1972年ノーベル経済学賞受賞)が,次のような定理(又はパラドックス)を示したことをH・PWPA理事は,引用された。

 アローの定理:個人の選好(preference)を合計(aggregate)して社会全体として統一された優先度(priorities)の先後決定(order)へ持って行くことは,不可能である。(注3)

 この定理は,価値(Tの附論1を参照)の研究者にとってショッキングであるのみならず,社会主義者にとっては大きな打撃である。

 社会主義者は,賢明な党・政府が人民の全欲望・全価値・全選択を見通し,それを合計して全国で唯一の公共的選択・資源配分・優先度決定ができると暗黙に前提していたのだが,それが不可能であると証明されてしまったからである。いわば専制で国民が幸福になることは不可能である。

 では,現実の社会はいかにして資源の最適配分をしているのか? それは,経済においてはマーケット(市場)により,政治においては多数決と分権により,すなわち,多数の個人の主体的な参加によって,行われているのである。

 これをデモクラティック・ガバナンスの基礎としよう。デモクラティック・ガバナンスは,政府の各レベルにおいて有効である(ところどころで賢人の指導は必要であろうが)。

 PWPAの諸任務の中で,革命を用いない政治の良化方法として,ガバナンスは,Tで述べた「残存共産主義との闘争」やUで述べた「こころと教育」の任務との関連で重要である。また,Vで述べた「文明の衝突」についても国連のガバナンスの向上が大きな任務となる。Wで述べた「世界平和」については特に国際社会と国家のガバナンスが大切だし,Xで述べた「温暖化」についても国際協力のための地球的ガバナンスが要請される。また,これまで比較的良好であった地方自治体レベルで,夕張市の破産状態や3人の知事の逮捕など,ガバナンスの危機が感じられ始めている。

[.情報社会の未来

 工業時代に続いて情報(化)時代・社会が始まった。今はまだその弊害はあまり感じられていないが,ソフト技術者(プログラマー)が30歳くらいで廃物になってしまう非人間的な単調な労働などの問題がある。

 情報時代にも農業や工業は残っている。
私は西暦2075年ごろに情報時代も終わると予想しているが,それは世界から情報が消えてしまうことを意味するのではなく,情報活動(生産・消費)は豊かに残る。ただ「社会の主要な活動が情報以外の何かになる時代・社会」なのである。仮にそれを私は「超人時代」と呼んでいる。

 工業時代はハードウェアを作った時代,情報時代は(広い意味の)ソフトウェアを作って,それでハードウェアを動かす時代,超人時代は,ヒューマン・セルフウェア(すなわち,教育を受けた人間)とマシン・セルフウェア(コンピュータ・ロボットを教育したもの)という,自我を持ち自己組織化するシステムたちが,創造を行い,ソフトウェアを作り,それでハードウェアを動かす時代である。

 人間は十分の資源と情報と環境があるので,マズローのいう「欲求の5段階」の最上位の「自己実現の欲求」を追求して宇宙を含む世界を飛び回るだろう。(注4)

 そういう時代に備えて,想像力いっぱいに伸ばして構想することも,現実離れしているようだが,自由で学際的な精神に満ち,「天」に通ずるインスピレーションの「孔」を頭頂に持つ人の多いPWPAの任務にふさわしいのであろう。

 情報時代及びその次の時代は,もちろん,経済的繁栄の意味を持つ。私は時代の変化は,人口の集積と,その中の人びとの相互作用が原動力であると考え,「人口積分」(時間を横軸に人口を縦軸にグラフを描いたとき,その曲線の下の面積)を見て,情報時代の終わりを西暦2075年と見た。

 しかし,今やインターネットにより人びとの相互作用は飛躍的に増大している。したがって変化も加速され,「2075年」を待たないかもしれない。特に「ケータイ」の所有数が中国4億(世界1位)で,2位アメリカ2億,6位日本1億を除けば,上位5カ国の内4カ国はBRICs(ブラジル,ロシア,インド,各1億と中国)である現状を見ると,これらのBRICsの
急速な変化が予感されるのである。

 想像力の翼が追いつかないほどの現実の変化が予想されるこれからのPWPAは眠っていられないのである。一時の停滞はすみやかに脱却しなければならない。

終わりに

かつてローマ・クラブは,「成長の限界」という報告書を出して全世界をゆるがした。これは,ローマ・クラブの書いた報告書ではなく,「ローマ・クラブへの報告書」(Report to the Club of Rome)である。すなわち,金(M)と問題意識(Q)のある財界人その他の指導者の作るクラブが,答(A)を出す力のある学者たちに委託して答を書いてもらって発表したのである。学者たちは,SD(システム・ダイナミックス)などの新手法を編み出して答を出した。

 このことは,PWPAのあり方を反省するよすがとなる。PWPAはMとQを持つ団体か,それともAを出す能力のあるチームか? 

 この二つのスタンスの間に少々迷っている感があるのである。主人意識(禅語に「随処に主となれば立つところみな真なり」とある)を持って考えるべきである。

 あるPWPA理事は,「われわれは夢を持っているが,夢は漠然としている」と言われた。しかり。はっきりした問題意識を持ち,はっきりした目標を生み出さなければならない。それが「クリア・ビジョン」である。政策も財源もはっきりした目標から生まれる。

 今,安倍内閣のもと,日本は国際社会からクリア・ビジョンを示すことを求められている。2007年2月26日号のTIME誌は,いみじくも,表紙に大活字で“JAPAN URGENTLY NEEDS A CLEAR VISION. DOES SHINZO ABE HAVE ONE? OR IS HE FOCUSING ON THE WRONG ISSUES? ”と書いてそれを求めた。

 総理大臣がそれを示せないなら,PWPAが示そうではないか。
以上に述べた「世界平和教授アカデミーの任務」は,多少出過ぎたところがあろうが,要約すれば「世界平和と諸文明の前進」(アカデミーの歴史の前半の任務「世界平和と共産主義に対する勝利」と比較せよ)としてよいかと思う。日本人はとかく課題を受けてそれに対処することを好み,それを目標とすりちがえているが,積極的に前向きであるべきだからである。

[なお,「世界平和研究」2006年春季号巻頭言「文明の衝突と文明大学」を参照されたい。文明大学は,例えばオイル・マネーを扱うイスラム金融法のエキスパートを養成するというような実際面でも有用であろうし,博士課程から(上から)先に作るという作り方もある。(I理事の案)]

(2007年3月7日)

注1 加藤栄一『宗教から和イズムへ』世界日報社,平成7年,pp91-94
注2 加藤栄一『天才がいっぱい−つくば発知の贈り物36話』太陽企画出版,1992年,pp58-61
注3 Kenneth Arrow,“Social Choices and Individual Values”,1951
注4 加藤栄一「情報時代はいつ終わるか」「情報時代の次の時代」(いずれも「技術と経済」誌,1993-94年ごろ)