運命を考える

拓殖大学元講師 原 信之助 

 

 最近,「運命」という言葉が,日刊紙・テレビ・ラジオなどで,よく耳にしたり目にとまることが多くなってきた。年のせいかとも思うが,どうも等閑視できず,つい切り抜いたりメモを取る始末。「また始まったわね。」と家内にひやかされたり,呆れられたりの今日このごろである。

 ず,その皮切りは,年頭(2006年)2月の初め,無慮60数年ぶりに遠くシベリアの奥地から,故国の地を踏んだ元日本兵士二人の話である。一人は67年ぶりの中川義照氏,他の一人は63年経って帰国した上野石之助氏。

 早速,興味本位の取材好きマスコミ連中に記者会見の席上で,質問攻めにあったらしいが,これまで永い間帰国しなかった肝心の理由を問われると,ロシア語でただひと言<運命でした>と絞りだすような声を出して口を噤んだという。遠い異国で味わった想像を絶する過酷な運命が,まざまざと窺い知れる。

 もう一方は,すっかり老婆になられたであろう実の妹さんに迎えられ,久しぶりの母国の良さがわかり大満足したとか…。バルト三国に程近い新興国家群の一つ…(テレビの音声がよく聞き取れなかった)に戻り,ロシア人の家族ともども是非日本に帰り住みたいと願っているとか。

 まさに運命そのもの,波間に生き抜いた数少ない存命者の一面を伺い知り,戦後はまだまだ終わっていないと痛感することしきり…。同時代を過ごしただけに,「よく生きて帰ってこられましたね。ご苦労様。」と念じてやまない。

南方復員者と古山高麗雄

 さて,ここで一昔前に舞台を戻そう。
今度は,南方戦線より,やはり珍しい帰国者(復員者)が相次いだ。横井庄一伍長と小野田少尉のご両人。近頃記憶がとみに薄らいできたが,当時はまさかと思われるほどの特大ニュースに日本中が沸き返ったと思う。「運命です」という文言は聞かれなかったが,まさに運命そのものが微笑んだ最好例の一つであろう。新聞によれば,このほど前記横井さんが,グアム島の密林で28年の長きにわたり終戦も知らず一人逃亡生活に命を張ったが運良く助け出され,「恥ずかしながら…」の名せりふを残して頭を下げたとあるが,幸い結婚して25年間特異の生活評論家として活躍されている。未亡人の方は,横井さんの生前の意を体し,赤道直下の孤島の洞窟小屋再現を試みられた。場所は郷里名古屋市内の一角,若い世代の多くがこの作業に協力してくれたという。見物客があとをたたない中,天皇を現人神と信じ,かつ敬ったであろう本当の「赤子」の一人か,ご苦労様。

 次に登場する方は,一般にはあまり知られていないようだが,戦記戦争文学の一方の旗頭,芥川賞受賞作家の故・古山高麗雄(こまお)氏。1920年生まれ,私と同い年で親しみがもてる。永らく一兵卒として中国仏印(ベトナム),ビルマ(現ミャンマー),インド,ネパールなど広く南方戦線に駆り出され,筆舌に尽くしがたいひどい苦労をなめつつ,死と隣り合わせの生活幾年か。多くを述べる紙数はないが,49歳にしてもの書きが実って上記文学賞をゲットした。遅咲きの作家の一人。作風は淡々とした筆運びで,戦争文学でありながら,戦闘場面は皆無に等しく,その作品の底に流れるものは,果たして何であったか。同郷の駆け出し文士と,ある時一杯飲み屋で酒を酌み交わしながら,おだやかに語った<人生運命論>こそ,運命というものの中味が集約されているような気がしてならず,死を見据えつつ数多の運命に翻弄し尽くされて初めて口にできたものであろう。

 三年前に83歳で没したが,<運命論>といわれる文体は見当たらず。筆にしなかったのか…。ただついこの間,高麗雄氏の一人娘の方が<父を語る>で一文を週刊誌だったか,月刊ものに寄せていた。最近この老作家の戦争文学が静かなブームを引き起こして,よく売れている由。彼女の文体をむさぼるように読んでみたが,この運命論こそ,運命を考え,そして捕らえる上での集大成と申しても過言ではないような気がする。血を分けた実の娘にして初めて父親の真骨頂を語られたものといえよう。もう少し書いて見たいが長くなるのでこの辺で次に移る。

野球選手の運命

 新たなる立役者は他ならぬ世紀の寵児王貞治さん。今般,運悪く胃がんの摘出手術を受けたが,少しも騒がずあわてず,淡々として一言<運命です>と言葉少なに語られた。術後の経過きわめてよく,再び球界で活躍される日も近いとか。せっかくご健闘を祈ります。大人物ともなると,やはりどこか違うようだ。

 球界ではもうお二方。長島さんとゴジラこと松井秀樹選手に触れる。後者は業界に入るとき,本当は阪神球団に行くことになっていたとか。当時,引き手多数で長島さんの力をもってしても獲得できず,有力四球団で「くじ引き」となり,まず第一番に長島さんが箱の中に手を突っ込んで引いたら「巨人」が当たった。まさに運命,ころがり込むの図か。「運命ですかね」とニコニコ顔で申されたとか…。

 ところが,上記御三方の現在はどうか。いずれも新たなる一大肉体的試練を受けている。ここに中国の故事<人間万事塞翁が馬>を思い浮かべるが,運命とはかようなものかと,まことに興味尽きないものがある。

 以上をもって,「運命です」談義の筆をおく。あと少しどうしても筆を進めたいので,以下,余談を書いてみる。

運命から逃げられない人間

  元来,この運命とはまことに重みのある言葉にて計り知れない深みも感じられ,次第に惹かれるようになったが,どうも私ごとき浅学非才の身には,とりつくしまなしが本当のところ。ご覧のような一連のアラカルト的かつ皮相的拙文が精一杯という次第。2カ月足らずを費やしたが,その間例の高校野球が始まり,ときたま骨休みにテレビの画面に目をやったり。

 ところが,今年の甲子園はいささか様子が違って,実に面白く見ごたえのあるものばかり。勝負の世界のきわめて摩訶不思議ともとれるプレイをまざまざと目にしたが,ここにも大きく「運命」が全面的に介在しており,「運命です」など,のんびりしたことを言っている暇なぞ毛頭なく,しゃにむに,この運命を自分たちの方にたぐり寄せ,そして微笑ませることに全力傾注。手に汗を握る場面では,“勝負運命論”とか,“勝負哲学”などという如き,聞き慣れない観念概念が頭をもたげてくる。もう少し<演繹>すると,生きとし生ける者,さしあたり人類,人間どもは,生まれてから死ぬまで,この運命自体から片時も離れることができないということであろうか。生か死か,勝ちか負けかのはざまに,――囲碁の世界なども然り――,運命共同体的結びつきが見られると考えられ,このあたりで宗教も入りこんでくるであろうし,何か結語的なものが出てくる公算なきや。この広大な宇宙の一隅に生きる人間どもとともに発展し続ける大宇内。運命のお世話にならない“もの”なく,この運命という得体の知れない世界に(ついに,とうとうこのように思考が大きく偏向<Deviate>してきたが),興味をもって近づき身を寄せてみたいと考えている方々には,幾分なりともお役に立てば,望外の喜びである。所詮難しいテーマであった。
(2006年9月29日)