文化遺産の保護と日本の役割

学習院女子大学教授 野口 英雄

 

1.文化遺産保護の出発点

 文化遺産の保護は,歴史的にみると戦争と切っても切り離すことのできないことがらである。人類歴史は戦争の歴史とも言われるように,古代から今日に至るまで多くの戦争が繰り返されてきたが,その過程で戦利品の略奪が頻繁に行われてきた。こうしたことを国際法という近代法の視点から論ずるようになったのは,いまから2〜300年前のことであった。

 さらに文化遺産を共同して守っていこうという発想が出てきたのは,19世紀のことであった。近代の科学技術の発達に伴い武器や戦争技術が著しく発展したために,戦争による人命および文化遺産の被害量が桁外れに大きくなった。また交通の発達などによって世界の異文明・異文化が身近になるとともに,言語学や文化人類学等の発展により普遍的進歩史観に対して批判が向けられるようになり,代わって多元主義の考え方が台頭してきた。その結果,現実の世界にある多様な構造を認知するようになり,それぞれの文化遺産を積極的に評価し保護しようとの考えが生まれてきた。

 二つの世界大戦,なかんずく第二次世界大戦の惨禍の記憶によって,戦後世界の平和構築とその維持発展の枠組みとしての国連を中心とする国際機構が成立したことは,国連憲章が述べるところである。そのような中,1946年ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が,教育・科学・文化を通じて諸国民の協力を促進することにより平和と安全に貢献することを目的として設立された。そのことは「戦争は人の心の中で生まれるものであるから,人の心の中に平和のとりでをきずかなければならない」というユネスコ憲章の言葉に象徴されている。こうしたユネスコ活動の中で,文化遺産の保護と振興というテーマは重要な柱であった(ユネスコ憲章第一条)。

 私自身ユネスコに勤務しながら,世界遺産,その他人類遺産の保護と振興,危機管理等の分野で多くのことを経験したが,ここではそうした経験をもとに文化遺産が,真の世界平和実現にどのように関連し,貢献できるかについて考えてみたい。

2.文化遺産とその保護・振興の課題

(1)人類の遺産
 「人類の遺産」という概念は,ユネスコ憲章の前文に明示されているが,それは過去,現在,未来にわたる人類集団が共有する記憶のあり方を示すものである。記憶は一義的には,個人が直接に時間と空間に限定されて想起した現象を,その個人の脳裏に記憶して再生するという意味で個別的である。この個別的な記憶を再生し共有するためには,共通の価値判断なり,集団による記憶の歴史化なりの過程を経る必要がある。例えば,日本をはじめ世界には第二次世界大戦の体験記録が無数にある。そのような個別的な記憶や記録を,あのような戦争は避けるべきだという現在と未来の行動指針として生かすためには,軍縮や核兵器・生物化学兵器の拡散防止や兵器廃絶というより強力で高次の,しかも困難を伴う行動に導く必要がある。

 このように制限が導入された記憶は,ある価値の創造と再生の目的を通して個別の記憶から集団の記憶として定着される。この集団が個別の民族や国家である限りは,別の民族や国家の利害と対立する運命にあることがしばしばである。ましてや人類の記憶として価値を付与されるためには,世界的に共有しうる価値として定着する必要がある。それは価値の創造である。また,より高次の記憶創造でもある。「人類の遺産」は,それ自体が世界で共有され,過去から現在,未来へと継承されるので,環境の保全や文化の持続などに直接貢献する。

 つまり,国民国家や文化集団が創造し保持するそれぞれの遺産を,人類が共有すべきであるとの理想に立って,世界が共通に認知し,維持継承するのである。有形の遺産は,自然や環境を含めて,人間の営為によって創造された形のある物と場所や空間を含んでいる。他方,無形遺産は,創造の所産で物体性のない宗教や思想や慣習を含んでいる。

 そしてユネスコは,「相互の風習と生活を知らないことは,人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり,この疑惑と不信のために,諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった」(ユネスコ憲章前文)という人類史の反省に基づいて,「諸人民が相互に知り且理解することを促進する仕事」を進め,思想と知識が自由に交流されるように,「人類の遺産」の保存及び保護を確保し,その共有化を図ることを特別に重視しているのである(同第一条)。そのためにユネスコでは,人類遺産の保護と振興・活用を進めるために条約や勧告,宣言を採択したり(関連するおもな条約などを別表に掲げる),文化遺産の危機管理の世界的活動などを行っている。

(2)可動文化遺産の返還と保護
 これまで戦争においては,戦利品として現地の宝物などを略奪する行為がしばしば行われてきた。ある意味で,大英博物館やルーブル美術館はその象徴でもあり,それらを見るときに複雑な気持ちにならざるを得ない。現在では,そのような戦争・紛争に伴う文化遺産に対する危害行為のみならず,盗難,盗掘,不法輸出入などによる文化遺産の保護のために,いわゆる「可動文化遺産保護条約」(正式名称は,「文化財の不法な輸入,輸出及び所有権移転を禁止し及び防止する手段に関する条約」)が1970年に制定された。2005年3月現在で,107カ国が受諾している(日本は2002年批准)。

 この条約は主として現在の遺産の保護を取り扱っているが,過去の遺産の返還に関しては,別に1978年可動文化遺産の返還を推進するユネスコ国際委員会の設立によって,当事国間で進める遺産返還交渉を同委員会が支援することになっている。

 文化遺産,ことに有形遺産は,複合した付加価値を有するので,頻繁に戦争・紛争の犠牲になると強く認識されてきた。例えば,第二次大戦中に,文化遺産が中欧からドイツを経てロシアへ,またアジア諸国から日本へと移動されたまま死蔵されているともいわれる。ここには原所有権,国家の関与,遺産の現所在など難問も多く,完全な回復は不可能と思われるほどである。しかし,それに対して,どこにどのようなものがあるかを探して写真に撮るなどしながら学術情報を集める努力をしている国際NGOもあり,そうした小さな努力の積み重ねが大切である。

 それゆえ平和時にこそ,専門家,公的・私的機関組織,市民が常に力をあわせて,文化遺産の保護と振興に携わるべきだと考える。具体的には,文化遺産に関する条約など国際法のさらなる理解と遵守,国内法の整備,遺産目録の完備,所有・管理そして公的保護の開示,目録・研究・保護などに関する国際交流,組織と人材の強化,国内と国際的ネットワークなどを完備すること,戦争・紛争の事前・最中・事後の継続的な過程を念頭に置くことなどである。

(3)観光開発と保存
 文化遺産にはさまざまな価値があるが,それはまた経済的価値もあわせ持っている。その一つが観光資源としての価値である。文化遺産を観光開発に適正活用すれば,大きな経済効果をもたらすことが可能である。

 例えば,インドネシアには世界遺産「ボロブドゥール寺院遺跡群」(8世紀の仏跡)があるが,年間300万人の観光客が来ている。岐阜県・富山県の世界遺産「白川郷・五箇山」にも年間150万人以上が訪れている。このように文化遺産は動員力と可能性を秘めている。それゆえ観光産業にも直結する。また世界遺産には自然遺産もあるが,日本には知床や7000年の歴史を持つスギの木で有名な屋久島などがある。環境に負荷をかけることは両刃の剣なのだが,自然遺産とのふれあいを通して人間のむごたらしさと自然のありがたさ,脆弱性が実感できる。

 しかし,観光開発と文化遺産の保護という関係は,避けて通ることのできない難しい課題である。私自身は,開発と保存を調和させることが重要だと考えている。この点に関しては,公的・私的な開発行為に対して,あわせて保護措置もとるべきことを求めるユネスコの勧告がある(1970年)。両者の緊張関係が最悪に至った場合は,開発を中止させることもありうる。卑近な例では,京都の銀閣寺の近くに大きなアパートが建てられようとして法廷闘争になっている例がある。またイランのイスファハンに大きなモスクの広場があるが,そこに自動車の地下道を作る計画があったが,保存の立場の反対で頓挫した。

 この問題は,目先の視点で見ると対立関係にしか見えないが,もっと違った観点からみる必要がある。開発そのものが何のためのものかをもう一度考え直して知恵を出せば,必ず代替案があるはずである。そして開発と保存が共存できる道を探るのである。

3.文化遺産保護による世界平和の創出と日本の役割

(1)国際交流の促進
 文化遺産の保護とその振興は,国際協力の場で,自国の過去,現在,未来の文化について提示することから,外交と国際交流を増進することに非常に役立つと信じる。
中国,韓国,日本など北東アジア諸国では,文化遺産を通じた交流が非常に盛んである。例えば,北朝鮮には壁画をもつ貴重な古墳(安岳3号古墳など)が80件あるが,同様の古墳は国境を接する中国領内にもあり(永泰公主墓など),それぞれ保存措置を必要としている。2004年には北朝鮮側と中国側の二グループの「高句麗古墳群」が同時に世界遺産に登録された。これらは日本の高松塚古墳とも類似しており,歴史を繙いてみると,自分のふるさとがその中から見えてくることにもつながる。日本は,中国や朝鮮の文化の中に自分の根っこがここにあったのだと発見する機会になる。逆に唐時代のものが中国ではすたれてしまっていても,現代の日本に残っている場合がある。文化遺産を通して,文化の共通項が見えてくるのだ。古代に強い文化交流を経験した北東アジア,北朝鮮・韓国・中国・モンゴル・日本の更なる交流が提唱される中,政治的には困難を伴う交流を,共通の文化遺産の保護と振興の分野で,学術交流を通じてさらに推進してはどうかと考えている。

 このように文化遺産・自然遺産に関しては,国家関係の難しさを超えて,固有価値の対立を凌駕する共通価値を認識していくことが基調となっている。すなわち,過去の対立・葛藤を歴史の一コマなのだというさらに高いレベルの理解によって克服し,現代と将来のために共通価値を創造的に認め合おうというのである。たとえば昨今の中国や朝鮮における反日感情はかなり政治的な側面が多い。しかし学界や一般市民のレベルでは,感情的,政治的な紛争に巻き込まれる例よりは,文化遺産を通して葛藤関係を解消していくことにつながることの方が多いとの報道も多い。

(2)紛争防止機能
 前述のような精神論だけではなく,文化遺産保護活動は実際に紛争防止に積極的に役立っている。
 旧ユーゴ内戦(1990-91年)の例を挙げてみる。ボスニア・ヘルツェゴビナは,クロアチアの狭い回廊を経てしかアドリア海に出ることができない。戦争当時,ボスニア・ヘルツェゴビナのミロシェビッチ大統領は,13世紀の中世城塞都市ドゥブロヴニク(クロアチアの飛び地にある)を爆撃した。そこでユネスコの世界遺産委員会が直ちに立ち上がり,ドゥブロヴニクを「危機遺産」として登録しその保護に乗り出した。具体的には破壊被害のリストアップを行い,修復費用を見積もるなど,戦中・戦後を通じて技術・財政支援を行った。

 こうした措置を通して世界の世論を喚起することは,外からプレッシャーを与えることができるので,一種の紛争抑止力としての機能を発揮することになる。それと並行して政治折衝を連携して進める。世界遺産の破壊や無辜の人々の殺傷を世界に広く知らせることで世界の人たちの共感を呼ぶことができ,戦後復興に寄与することができる。同様のことは,カンボジア内紛のとき,アンコール遺跡に対しても行われた。

 しかし,残念ながらバーミヤーン遺跡・大仏の破壊は,失敗の例であった。このとき私はユネスコ・ミッションを担当しターリバンと折衝したが,日米は関心を示さずいっしょに交渉に行ってくれなかった。国連と国際赤十字はよく支援し連携してはくれたが。ターリバンが遺跡の破壊を宣言すると,それに対して国連やユネスコがさまざまな宣言や勧告を出してプレッシャーをかけた。ターリバンとユネスコとの間で破壊中止の合意文書を作成することができたのであったが,先方がサインして送ると約束は表明したが,その後爆破を実行した。やはり政治的なプレッシャーは国際交渉に大きな効果をあげられるので,有力国群の高いレベルの役割と時宜を得た行動が重要である。そのためにも国際機関や国際NGOは,有力な国々とともに連携して交渉や折衝を行なわなければならない。

 このバーミヤーン遺跡の件では,多くの教訓を学んだ。この事件以前から各国には遺跡の学術情報の蓄積があったが,それらをデータベース化して共有するきっかけとなった。破壊された大仏の修復だけではなく,それに付随するさまざまな遺跡もこの機会に綿密に調査しておくことも大切だろう。それにより新たな発掘・発見がなされることもあり得る。また,次の破壊がないように予防措置を講じておくことも忘れてはならない。

 文化遺産の保護は,災害予防に努力すれば,破壊の事後処理にかかる経費の十分の一程度で済むといわれる。それゆえに平時から,戦争,災害を予知して予防を行うことが積極的な意味で重要だ。文化遺産危機管理事業は,人災と天災の両方に備えることによって,文化遺産の保護を効果的にすることができる。戦争などの予知は不可能かもしれないが,それでも当事国間の折衝過程などを通じて近い将来に紛争に拡大することはまったく予知できないわけではない。そうした段階から手を打っておくのである。

(3)日本の貢献
 文化遺産の保護に対する日本の貢献としては,資金や技術援助以外のものとして次の二つがある。
 まず,ソフトパワーとして,世界の平和に貢献する意味での日本人としての決意の表明である。近年日本は,ハードパワー(平和維持活動,安保理事会事項など)においても国連や世界をリードしていこうと表明しているが,それ以上にソフトパワーを日本の強みとしてもっと示していくことである。例えば,日本が「平和宣言」を繰りかえすことなどである。併せて国家元首が文化遺産の保護について宣言することである。幸い,竹下首相以来,世界に向けた施政方針演説の中に,文化遺産の保護,文化交流・理解・協力の文言が入るようになった。さらに文化遺産保護の目的と社会の安定・発展との関連についても表明されている。

 次に,具体的な貢献である。日本の平和友好主義は具体的な行動や政治,すなわち文化財の保護への協力などに反映されなければならない。例えば,国際貢献の例として,ユネスコ日本信託基金の創設(1989年),「世界遺産条約」を補完する「世界遺産条約奈良ドキュメント」(1994年)は世界の多様な文化遺産の機能と保護・再生を反映するための指針として,その汎用性と共に評価されている。

4.最後に

 過去100年間に人類は,二つの世界大戦のほか,イラン・イラク戦争(1980-88年)やイラク戦争(2003年)などを含め,100件以上の国内武力紛争を経験したが,それによって貴い人命が奪われるとともに貴重な文化遺産も多く犠牲になった。その意味で,危機管理は,戦争や武力紛争のみならず,地震や津波その他多くの天災など,近い将来に発生し得るあらゆる天災にも,同時に備えるべきと考える。人災である戦争は絶対に避けなければならないとも言われる。だからこそわれわれは力を合わせて戦争と紛争の防止と同時に,文化遺産保護に向けて連携した具体的な措置をとる必要がある。

 「人類の遺産」は,世界の人々に訴える力を持っている。さらに文化と創造と友愛を想起させる力がある。その占有を解消し共有できるならば,今後さらなる平和と友好のシンボルとして,そしてそれを創った文明のシンボルとして,人類の誇りともなることであろう。      (2006年3月14日)

 

<参考>
文化遺産関連条約等
1907年 「陸戦ノ法規慣例ニ関する条約」(ハーグ陸戦法規)
    第27条 攻囲及砲撃ヲ為スニ当タリテハ,宗教,技芸,学術及慈善ノ用ニ供セラルル建物,歴史上ノ紀念建造物,病院並病者及傷者ノ収容所ハ,同時ニ軍事上ノ目的ニ使用セラレサル限,之ヲシテ成ルヘク損害ヲ免レシムル為,必要ナル一切ノ手段ヲ執ルヘキモノトス。
1935年 「芸術的科学的施設および歴史的記念物保護条約」(ワシントン条約)
1949年 「戦時における文民の保護に関する1949年8月12日のジュネーブ条約」
1952年 「万国著作権条約」
1954年 「武力紛争の際の文化財の保護のための条約」(ハーグ条約)
1970年 「文化財の不法な輸入,輸出及び所有権移転を禁止し及び防止する手段に関する条約」(可動文化遺産保護条約)
1972年 「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)
1978年 「非国際的武力紛争の犠牲者の保護に関する追加議定書」(第二議定書)
1995年 「盗取され又は不法に輸出された文化財に関するユニドロワ条約」
2001年 「水底文化遺産の保護に関する条約」
2003年 「無形文化遺産の保護に関する条約」
2005年 「文化の多様性に関する条約」(案)