民主主義の拡大は平和をもたらすか

米国・外交政策専門家 スーザン・ブレーデン

 

 米国国民は世界に自由と民主主義を拡大すれば平和が訪れると何度も聞かされてきた。ブッシュ大統領は二期目の就任演説で「この世界の平和は,全世界に自由を拡大できるかどうかにかかっている」と述べたが,彼はこの言葉によって,世界中で民主主義が勝利すれば戦争への懸念を払拭できると主張してきたウッドロウ・ウィルソンからロナルド・レーガンに至る歴代大統領の仲間入りを果たしたといえる。歴代大統領はブッシュ大統領と同様,軍事独裁制と神権政治の攻撃的な性質が戦争を引き起こし,公平な法の支配,言論の自由,代表選出の原理に基づく民主主義こそが平和を促進すると信じてきた。

 18世紀の哲学者,イマニュエル・カントは初期の民主的平和論者の一人である。カントは「戦争を宣言するために市民の合意が必要だとすれば,当然の結果として国家はそのような見通しの悪いゲーム(戦争)を始めることに非常に慎重にならざるを得ない」と述べ,代議政治制度を採用している国は独裁国家より平和的に行動すると主張した。一方,権威主義的な政権は戦争を指向する傾向がある。それは指導者が戦争によって個人的な犠牲を強いられることがないからである。またカントは,国相互の戦争が違法とみなされる一種の“平和的同盟”の中で,民主的に選ばれた政権は国際法を遵守することを誓約すると信じていた1)。

 第一次世界大戦の末期,ウッドロウ・ウィルソンはこの考え方を採用し,連合国の戦争目的を「14カ条」(Fourteen Points)の中に要約した。「14カ条」は第一次世界大戦を「戦争を終結させるための戦争」(war to end war)と位置づけ,「民主主義のために安全な世界」(the world safe for democracy)を実現することを意図していた。ウィルソンの考え方は,民族自決,民主主義,自由貿易,集団安全保障の原理,そしてより良い世界を指向する進歩的歴史観を包含していた。「14カ条」は戦争を終結させるためのプロパガンダ的な道具として効果的だったが,ベルサイユ条約にはほとんど反映されず,その理想を推進するための組織として戦後に創設された国際連盟にも米国は加盟しなかった2)。

 しかし立憲民主主義で構成される世界がより優れより平和であるとの考え方が,ウッドロウ・ウィルソンと共に消え去ったわけではない。それは米国政治において一貫したテーマであり,最近ではブッシュ大統領が二期目の就任演説で「あらゆる国家や文化圏において民主主義運動と民主主義制度の拡大を求め,それを支持することが米国の政策であり,世界で圧制を終わらせることが究極目標である」と述べた。学者たちも民主的平和論の後ろ盾となった。例えばコロンビア大学のマイケル・ドイルは,歴史を見れば民主国家同士が戦争をしないことが分かると述べている。民主国家が相互に平和的な関係を維持するのは,彼らが「民主的な戒め(democratic caution)を実践し他の共和制国家の国際的権利を尊重することができる」からである3)。彼らが関わる戦争は必ずしも慎重な判断によるものではなく,誤算の結果である場合もある。しかしドイルの見方によればそれらは不可避な場合が多く,人間の普遍的権利に関心をもつ政治文化に起因するものであれば,容認さえできるという。

 民主的平和論の強みは,第二次世界大戦後に作られた西側民主主義諸国の同盟体制がこれほどまでに平和を維持している理由を説明することができる点である。例えば,日本が米国を攻撃し,ドイツがフランスに宣戦布告するというシナリオは想像し難い。しかしこれらの国々が同盟体制を形成し民主主義国家となるまではそうした敵対関係にあった。この同盟体制の限定された圏内で高度な平和が維持されてきたのは,これらの国々の有力な政治,社会,経済システムに挑戦するいかなる国も,直接の当事国のみならず同盟体制全体と対峙しなければならなくなるからである。更にこれらの国々はイデオロギーによって分断されず,その体制を維持することによって得られる政治的,社会的利益のために,あらゆる利害衝突を和らげようとする誘因が働くからである。このような条件の下では安全保障が外交政策における喫緊の課題ではなく,軍事力もその効果的な道具とはみなされない。

 また民主的平和論の長所は,将来に対する処方箋が有望で理に適っている点である。それゆえジョージ・ブッシュ大統領の演説及びウッドロウ・ウィルソンの「14カ条」に見られるような効果的なプロパガンダを行う上で有用である。米国の歴代大統領は米国の大義は万民の自由と平和であると主張し,外交政策の背後に米国国民を動員してきたのである。

 しかし民主的平和論にはいくつか問題がある。第一に,近年の歴史が示すように民主国家は他の民主国家と戦争をしないが,一方で,独裁的な国家とまったく同様に国民を戦争に駆り立てる可能性があり,事実そうしてきたのである。例えばウィルソン大統領は民主的平和の提唱者でありながら「南米諸国に選挙で信頼できる人を選ぶことを教えるため」にメキシコ,ハイチ,ドミニカ共和国,ニカラグアに海兵隊を送った。そのため米国は1941年以来,ほぼ絶え間なくどこかで交戦状態にあり,米国の憲法制度はそれを防止することができなかった。

 更に,イデオロギーを一致させることによって国際システムを構築することができるとの仮定は非現実的である。民主主義は拡大しつつあるが,それは比較的新しい現象であり,場合によっては変化しうる,特殊条件のもとに成立するものである。過去と同様,将来においても国家及び国家が掲げるイデオロギーは絶えず変化すると想定するのがより現実的である。

 仮にこの二点が正しければ,民主主義の拡大に夢中になってイデオロギー的寛容性の原理を軽視するのは米国の国益に適わないであろう。結局,イデオロギーを一致させようとすることは望ましい結果をもたらさず,戦争に帰結する可能性がある。例えば歴史を顧みれば,軍事介入はたとえそれが民主勢力によるものであっても民主化とは相容れない傾向がある。なぜなら民主化は本質的に内面から始まるべきものだからである。占領者と被占領者の利害は異なるため,両者が平和的関係を結ぶことは稀である。占領が終わるや否や,新政権は極めて愛国主義的,或いは急進的に走る傾向がある。これはケネディ・ジョンソン政権がベトナムで見出し,残念ながらブッシュ政権が現在イラクで発見しつつある事実である。

 要するに,民主的平和論は感動的な演説の材料を提供するが,米国がそれによってイメージどおりの世界を再創造しイデオロギーの統一に基づく国際システムを構築できると考えるのは非現実的である。イデオロギー的寛容性の原理に基づく,民主的平和論の代案となるような制度は,それが完璧なものでないにせよ,民主的平和論より遥かに平和的であり,長期的には民主国家の発展に資する可能性が高い。
(International Journal on World Peace, March 2005より訳出)

 

参考文献
1. Immanuel Kant, メPerpetual Peace,モ in Conflict After the Cold War, Richard K. Betts, ed. (New York, 2002), pp. 103-120.
2. Thomas A. Bailey, A Diplomatic History of the American People, (New Jersey, 1974), pp. 597-599.
3. Michael W. Doyle, メLiberalism and World Politics,モ in Conflict After the Cold War, Richard K. Betts, ed. (New York, 2002), p. 316.