旧制・新制大学の比較と産学連携研究の是非

北海道大学名誉教授/中国・浙江大学名誉教授 谷口 博

 

和文抄録

旧制大学を支えてきた旧制高校への回顧と新制大学への期待について述べ,旧制・新制大学の比較を就学年限との関連を含め検討した。また,旧制・新制大学の共存する端境期の状況を紹介することにより,工学系からの見方ではあるが,旧制・新制大学の比較への途を探る緒になればと考えている。一方,産学連携研究の是非を論ずる場合には,旧制大学での産学連携(産学協同)研究への取り組みを知る必要があること,産学連携研究を阻害する要因の存在を知ること,筆者の経験による産学連携研究の得失などが参考になると考えて記載した。
キーワード:大学教育・大学院教育・教育体制・産学連携

1.まえがき

 新制大学の発足以来50数年を経過したが,旧制大学を支えてきた旧制高校への回顧が現在でも重要視されている。その原因は,新制大学・新制大学院への期待が果たされなかっとの思いがあり,近い将来に改善して欲しいとの願いからかもしれない。私は,工学系の旧制高校・旧制大学の最終期学生であり,在学中に新制大学の一期生と2年間も同時に学生生活を送ったことになる。従って,旧制・新制大学の実情について身をもって体験した世代といえるので,他の世代の人々と違う見方ができよう。さらに,旧制大学卒業後に入った産業界においても,新制大学卒業生と同期入社の同志として交流も深めることができたので,自然と新制大学の実情を知る機会が多かったのである。また,10年の産業界での勤務後に工学系の新制大学に戻り,新制大学での教育・研究に従事したが,産業界との繋がりがあって産学連携研究も容易であったといえる。

 このような立場から,現在でも盛んに論じられている旧制・新制大学の比較と産学連携研究の是非について,私見を述べ今後の参考になればと思う次第である。すなわち,旧制高校・旧制大学・旧制大学院と新制大学・新制大学院の比較が正しく論じられているか,旧制小学校・旧制中学および新制小学校・新制中学・新制高校も含めて論じられているか,なども考えて見たかった。しかし,個人的な意見によるところも多少はあると思うので,同世代の人々を含めご批判いただくことにより,新しい大学・大学院の将来展望への参考になれば幸いと思っている。

2.旧制・新制教育体制の比較

 旧制・新制大学を比較するに際し,小学校から大学までの旧制・新制教育体制を比較してみよう。すなわち,旧制教育体制では,
小学校6年・中学4年・高校3年・大学3年・大学院(流動的)…………………………(A)
同上・大学4年(医学)・同上
小学校6年・中学5年・専門学校3年・大学3年・大学院(流動的)…………………(B)
同上・大学4年(医学)・同上

 これに対し,新制教育体制では,
小学校6年・中学3年・高校3年・大学4年・大学院修士2年・博士3年…………………(C)
同上・大学6年(医学・歯学)・大学院博士4年
であると知られているが,旧制・新制大学が同時に存在した端境期には,
小学校6年・中学4年・旧制高校1年・大学4年・大学院修士2年・博士3年…………(D)
同上・大学6年(医学)・大学院博士4年

となっており,大学卒業まで(A)16年・(C)16年・(D)15年であることが分かる。すなわち,旧制・新制大学の共存した端境期では,大学卒業まで(A)16年と(C)15年の学生が同時に在学しており,一年先輩の旧制大学の学生と後輩の新制大学の学生が同時に卒業(昭和28年3月)したので,ある年だけ2年分の卒業生が世に出たことになる。しかし,私立大学は一年前に新制大学卒業の学生を世に出していたので,この端境期の状態は2年続いたのである。

 旧制高校への回顧に対応する場合は,(A’)小学校6年・中学5年・高校3年・大学3年を(C)小学校6年・中学3年・高校3年・大学4年と比べて,就学年限は(C)の方が一年短いことも話題となっている。ここで,(A’)は中学5年から旧制高校への入学であり,(A)のように中学4年から旧制高校への入学は可能であるが,(B)は中学5年から旧制専門学校への入学に限定されていたことを示している(旧制中学は5年の就学年限であるが,4年修了で旧制高校に入学可能)。

 また,新制大学の教育体制が米国型であるとすれば,大学4年は教養2年・専門2年となるはずであるが,医学を除けば教養1.5年・専門2.5年と日本型の教育体制を採用して現在に至っている。従って,(A’)中学5年・高校3年・大学3年に相当する(C)中学3年・高校3年・大学教養1.5年・大学専門2.5年を考えるならば,旧制中学5年+旧制高校3年=8年と新制中学3年+新制高校3年+新制大学教養1.5年=7.5年を比較して大学専門までの基礎教育を論ずる必要があろう。すなわち,(A’)基礎教育8年に対し(C)基礎教育7.5年と大差はないものの,後者は細切れ教育の感を拭えないのである。さらに,(A’)旧制大学3年は全て専門教育であるが,(C)新制大学専門2.5年と短縮されているので,新制大学卒業後に研究生1年を追加した例もあったと聞いている。

 もし,新制大学の教育体制を米国型にしていたならば,基礎教育7.5年は8年となり,大学専門2.5年は2年となって,基礎教育は充実されるが新制大学専門は旧制大学(専門)より1年短縮されることになる。また,米国型の大学教育体制を指向して大学院までを考慮するならば,日本型のような中途半端な大学教育体制への批判があるのは当然であり,旧制高校を含む基礎教育への回顧が重要視されることになろう。旧制高校・旧制大学・旧制大学院の教育体制が欧州型であったとするならば,新制高校・新制大学・新制大学院の教育体制も米国型で出発すべきであったと思うが如何か。最初から中途半端な日本型に変更したひずみが,今日になって露呈したのではと考えると,欧州型でも米国型でもない,日本型の新しい教育体制を模索する時期に来ているのではないか。このように考えて,旧制高校に代表される教養教育の重視が日本型であり,大学・大学院を一体に考える日本型の新しい専門教育としての建て直しが必要であると想定する次第である。

 新制大学の発足後,新制の高等専門学校が加わり,新制大学でも獣医学6年・薬学6年と就学年限の変更もあって,

 小学校6年・中学3年・高専5年・大学2〜3年・大学院修士2年・博士3年…………(E)
同上・高校3年・大学(獣医学・薬学)6年・大学院博士4年
となり,旧制・新制とも(A)(B)・(C)(E)と複線の教育体制を指向したことになる。種々の意見もあろうが,単線の教育体制より複線の教育体制の方が好ましいと思われるので,例外のない最初の新制(C)方式より複線の旧制(A)(B)方式の方が優れていたといえる。旧制・新制大学を比較する場合には,その内容の比較は当然であるにしても,大学の当事者が如何ともし難い教育体制による制限を重要視しておきたい。

 次に,旧制・新制大学院を比較してみると,旧制大学院では流動的であった就学年限は,新制大学院では修士2年・博士3年と定められたが,とくに博士3年への疑問があっても妥協したのではと思う。また,例えば工学系の新制大学院では博士3年の修了は難しく,4年以上を要望する教授が最初は多かったと聞いている。ここで,教育体制を維持する場合の重要事項である学生数について考えてみると,旧制・新制とも小学校・中学・高校は定められた学生数を受け入れており,大学も定められた学生数の受け入れは当然なのである。しかし,欧州型の旧制大学院では学生数の定めがなく流動的であったが,米国型の新制大学院では各学年の修士2名(教授1名につき)・博士1名(教授1名につき)を定めているのが国立(現在は独立行政法人)大学の標準であろう。新制の私立大学院では,教授資格に応じて修士・博士の学生数を定めているので,大学院を担当しない教授も在籍することになる。このような状況ではあるが,新制大学院での学生数に対して欧州型の旧制大学院の方式を採用して,最初は修士・博士とも学生数は必ずしも満たされなかった状況に対応したといえよう。

 その後,新制大学院は改善されてきたものの,工学系では修士2名(教授1名につき)は充足し3〜5名(教授1名につき)にもなっているが,博士1名(教授1名につき)を充足できない大学が多いのが現状である。すなわち,米国型の新制大学への批判をする前に,定められた博士1名(教授1名につき)を充足する義務を果たすべきであろう。大学教授として,各学年の博士1名を受け入れても,学位取得して世に出せないとの意見を持つならば,米国型の新制大学を欧州型の旧制大学に戻す努力をすべきである。しかし,そのような努力を見せた教授は皆無のようであり,大学は米国型の新制に大学院は欧州型の旧制に固執しているとしか思われず,木に竹をついだ様な教育体制を50数年も維持していたことになる。

 一方,多少の例外を除き旧制大学は男女別学・新制大学は男女共学と思われがちであるが,私達は旧制高校・旧制大学とも男女共学の第1期学生なのである。新制・旧制大学の共存した端境期ではあったが,小学校以来の男女共学に再び戻ったことになり,世に出る直前に男女共学の経験をして新制大学の雰囲気を少しは知っていることになる。しかし,旧制高校・旧制大学とも教授側の対応は男女別学時代と少しも変わっておらず,教育体制への影響はなかったと聞いている。勿論,女子学生が少数派であった状況でのことであり,女子学生が半数を占めるようになれば,大きな影響があると想像できよう。従って,米国あるいは韓国のように,新制大学の全ての分野で女子学生の比率が25%以上にもなることを想定して,今後の大学運営を行なう時代の来る日も遠くないと考えておきたい。

3.産学連携研究の是非

 現在,新制大学・新制大学院での産学連携研究に異論を唱える教授は例外となっているが,新制大学の発足時とくに大学紛争時(昭和40年代)には産学連携研究を否定する風潮があったと思われる。しかし,私の旧制国立大学で教えを受けた恩師(北大工学部機械)は,熱機関学教授が横浜ドック出身で昭和初期に札幌市都市ごみ焼却の官学連携研究者,内燃機関学教授(私の義父)は助教授時代に新潟鉄工に長期出張しての内燃機関の産学連携研究者,材料力学教授は自緊砲(焼きばめ効果を残留応力で行なう砲身)の発明者,水力学教授は三菱重工出身者,機械工作学教授は最初の木材帯ノコ研究者,機械材料学教授は残留応力の産学連携研究者と聞いており,当時は産学連携研究が旧制国立大学における自然の流れと理解していたのである。

 また,私達の世代は第2次世界大戦中の勤労動員学生であり,私の学生時代は東京での中学2年(昭和19年)に工場勤労動員となり,敗戦後は北海道での中学3年(昭和20年)に農村勤労動員となり,中学4年間のうち約2年間は勤労動員のため授業を受けていない(敗戦後の勤労動員は例外的な措置で,他の地区に比べ北海道の勤労動員は1年遅かったとの理由)。蛇足ではあるが,旧制高校3年間は食料事情の悪化から午前授業のみであり,1.5年間の教育期間であったことに相当する。この教育状況(旧制中学・旧制高校)は基礎学力の低下を招いたものの,授業を休むことなく,産業界での経験を積むことができたといえる。私の経験の一端は製図能力の取得であり,中学2年の勤労動員は設計課での勤務で製図工からのスパルタ式指導に耐えた結果といえるが,旧制国立大学卒業後に入社した企業の設計部でも,製図工に引けを取らない自信を持つことができた。

 私が新制国立大学の助教授(昭和38年)として産業界から戻ってみると,当時の産業界での米国等からの技術導入が盛んな状況と比較して,産学連携研究など成立しないと思った。しかし,私が昭和30年代に初めて企業に入ったIBM・大型コンピュータを活用できた経験から,新制大学でもコンピュータの活用が可能になれば,産学連携研究の緒が得られると考えた次第である。予想通り,日立・大型コンピュータが昭和40年代に新制大学で活用できるようになり,数値解析能力が大幅に向上したことはよく知られている。しかし,産学連携研究の必須条件である3次元解析には程遠く,2次元解析で研究成果をまとめるのが精一杯だったといえよう。

 当然のことであるが,産学連携研究を進めるためには他に例を見ない研究分野への模索が必要であり,学界で流行している研究テーマを除外しての対応のため,産学連携研究が科研費取得の妨げになるとの忠告もあったと聞く。例えば,熱工学系である伝熱分野から産学連携研究の難しさを唱えることも多かったが,実機を対象とすれば伝熱・燃焼・流動の各分野を総合しての産学連携への対応が必須事項であることに気付かず,伝熱分野に固執する態度・能力不足が産学連携研究を疎外していたといえよう。また,他の例を挙げるならば,3次元の放射伝熱解析が宇宙機器開発の重要なテーマ(宇宙空間で対流・伝導は無く放射のみ)であり,工業炉・ボイラなどの燃焼場では約90%が放射伝熱なのである。さらに,真空中での高温加工は当然のこと,これらを考慮すると放射伝熱を無視しての解析は無意味といえるものの,3次元の放射伝熱解析は統計的手法であるモンテカルロ法の適用が必要のため,私の所属研究室あるいは海外の研究室内のみが対応している状況であり,国内ではほぼ皆無の研究分野といえよう。従って,3次元の放射伝熱解析であれば産学連携研究は容易であり,国内の主要重工業との産学連携研究テーマに発展したのであるが,科研費取得テーマとしては不適な(学会で流行している研究テーマではない)ためか,私の提出した放射伝熱研究テーマは全て採択されない結果に終わっている。

 一方,旧制大学での官学あるいは産学連携研究は,文部省以外の省庁あるいは企業との連携によるものが多かったと聞くが,新制大学での文部省(現在は文部科学省)以外との官学連携研究には厚い壁があったと思う。例えば,私が科学技術庁(現在は文部省と合併)関連の産学連携研究費を受領した際に,研究打ち合わせの出張は休暇でとの指示があり驚いたことを覚えている。もし,度重なる研究打ち合わせの出張ともなれば,欠勤する外ないのである。勿論,産学連携研究であっても,研究寄付金による研究打ち合わせの出張は可であるものの,それ以外は休暇によることになろう。旧制大学での官学・産学連携研究への理解は,新制大学では疎外される扱いへと変わったように思われる。また,私の科学技術庁関連の産学連携研究規模が億単位となっていたので,科研費取得への途が塞がれたような立場に置かれ,放射伝熱研究テーマとともに別の研究テーマも採択されない一因となった。この経験から,産学連携研究を新制大学から排除しようとする勢力のあったことは否定できないので,現在のように大勢で渡れば怖くない産学連携研究の状況であって欲しいと念願し,その結果として新制大学院博士への入学が増えることを期待する次第である。何故ならば,産学連携研究で優秀な成果が挙げられた場合には,博士修了の後は期待されて世に受け入れられるので,各学年の博士1名(教授1名につき)の定めなど問題視されないであろう。さらに,独立行政法人の新制大学に課せられた研究費取得・特許取得なども容易になるとともに,海外からの留学生への対応も米国並みに可能となるので,学術面のみならず国際貢献への努力が報いられるのである。

4.今後の新しい大学・大学院への提言

 以上のような旧制・新制大学への検討を行なった結果から,旧制大学は欧州型・新制大学は米国型との想定には無理があり,とくに新制大学院博士は米国型から大きく外れた運営であったと思う。従って,米国型の新制大学に固執することなく,旧制高校・旧制大学のよき慣習を生かした今後の新しい大学・大学院への提言があってもよいであろう。例えば,就学年限を考慮してみると,

小学校6年・中学3年・高校3年・大学教養3年・大学専門3年・大学院博士3年……(F)
同上・大学専門(医学・歯学・獣医学・薬学)4年・大学院博士4年
の教育体制を新しく導入し,従来の新制大学については次のように改変しては如何か。
小学校6年・中学3年・高校3年・大学教養2年・大学専門2年・大学院修士2年……(G)
小学校6年・中学3年・高校3年・短期大学2年・同上…………………………………(H)
すなわち,(F)の大学教養は旧制高校に,大学専門は旧制大学に相当している。この提案は,最近の修士課程への入学者の定員オーバーを考えると,極く自然に帰着する考えなのである。しかし,専門分野による差異を考慮して,
小学校6年・中学3年・高校3年・大学教養3年・大学専門1年で中退…………………(I)

のように考えれば,教養重視で十分とする場合への対応も可能と思う。この場合(I)の新しい大学の概念(大学教養3年・大学専門1年)は教養大学と称しても可であり,昨今の論議にある意見に類似した教育体制なのである。

 また,(H)短期大学から(G)大学専門2年への移行は,米国で普通に行なわれている教育体制でもあり,最近は新制私立大学で実行されていることを理解しておきたい。さらに,(G)大学院修士から(F)大学院博士への移行にも障害のないことは明らかで,弾力的な教育体制であると確信している。すなわち,実際の運営に当たっては旧制大学時代を超える複線方式(F)(G)(H)(I)の教育体制を理解して,単純な一直線方式の教育体制に固執することなく,学生の素質・能力に応じた就学の途が開かれることを期待したい。

 新しい大学院について考えると,大学院博士3年のみで修士2年のない状況であり,博士論文の作成が可能かとの疑問が残ろう。しかし,大学院修士は博士課程の予備校的な存在ではなく,それぞれ別の研究テーマに取り組むことが原則であると理解して欲しい。何故ならば,修士・博士一貫した研究テーマで世に出た場合には,これまで論じられている狭い博士専門への批判を回避できないものの,修士・博士を別の研究テーマとする努力があれば,狭い専門への批判を回避することができよう。また,これまでの新制大学院の運営には無理があって,博士論文の権威保持を学会論文印刷に頼っている大学院の多い現状では,博士2年までに研究を終了して,最終の1年を学会論文投稿と博士論文作成に当てるのが実情であろう。このことを理解するならば,博士論文作成は(2年+ )で可能との結論になるので,優秀な学生は3年を必要としないのが実際の状況であることが分かる。勿論,大学院博士3年では博士論文作成が無理との意見であれば,最長6年まで延長可能なのが現在の教育体制である。

 一方,新制大学院に関する大学通則を調べると,博士学位取得後の1年以内に権威ある学会誌等にて発表する義務を課しており,過去の古い研究内容での博士学位の取得を妨げている。従って,私の指導した課程博士および論文博士の学位取得後の取り扱いとして,1年以内に権威ある学会誌等への発表を義務付けたのである(勿論,学位取得前に権威ある学会誌等への発表済)。ただし,博士学位取得後の権威ある学会誌等への発表に自信のない場合は,事前の発表で代えることができるとの但し書きが大学通則にあり,この例外が本筋であるとの誤解が大勢を占めていたと思う。そのためか,私の指導した博士学位取得者が大学本部に発表論文を1年以内に提出したところ,前例が全く無いので受付窓口が決まっていない状況であったが,大学通則を提示して書式設定・窓口開設について私から助言した次第である。新制大学における大学院博士を軽視した結果,最も大切な博士学位取得の大学通則もろくに理解できないまま30数年を経て,新参の教授である私に指摘されるまで脇道を通って博士学位取得を指導していた実情を知るならば,そのような立場では大学院改革などに携わる資格無しと思う。

 新しい大学院博士課程の運営に当たっては,過去のような失態を繰り返すことなく,博士論文の権威保持も自主性を重んじ,内容の新しさとレベルの確認のため博士学位取得後の1年以内に権威ある学会誌等への発表を義務付けては如何か。この場合のリスクは指導教授が負うべきであり,博士学位取得者に全てのリスクを負わせるの愚は避けるべきであろう。当然のことであるが,この発表が未遂に終わった場合には,博士学位の返上を定めている大学通則に従い,博士学位を返上させることも覚悟しておく必要があり,経験不足・能力不足の教授による博士学位取得への指導はご遠慮いただくのが当然のことである。

 常に問題となる博士3年での博士論文作成について,工学系における私の新制大学院での経験を述べ,新しい大学院への提言に対する参考としたい。工学研究科の教授としての在職中に博士課程10名の指導をしたが,例外なく博士3年での博士論文作成を済ませ学位を取得している。当然のことであるが,学部・修士と異なる研究テーマを与えての実績であり,博士課程のみの留学生4名を含んでいることに注目して欲しい。何故ならば,博士課程に入学する留学生の修士テーマが多岐に亙ることを知ると,博士論文は別テーマになるほかないことが分かるので,同じ条件で留学生が可能なこと(博士論文作成は3年)は国内学生も可能なのは当たり前と考えるのが,私の研究室での伝統であったといえる。

5.まとめ

 旧制・新制大学の共存する端境期に,旧制高校・旧制国立大学での学生生活を過ごした経験,大学卒業後に出会った同期入社の新制大学卒業生との交流,卒業10年後に戻った新制国立大学での助教授・教授としての経験,さらに最後に赴任した新制私立大学の教授(博士課程の設立要員)としての経験を通じて,旧制・新制大学の比較と産学連携研究の是非について検討し結果をまとめ記載させていただいた。しかし,これらの経験は工学系の分野に限られた範囲のものであり,他の分野については多少の知見はあるものの,相違することも考えられよう。この事情を察知していただき,ご容赦願えれば幸いと思う次第である。
(2005年11月19日受稿,2006年1月16日受理)