北海道における道徳教育の取り組みと課題

北海道道徳教育研究会会長/札幌市立真駒内緑小学校長 黒坂 由紀子

 

1.はじめに

 本稿では,北海道道徳教育研究会の活動内容を紹介しながら,道徳教育の取り組みについて考えてみたいと思う。
北海道では,道徳教育に対して一面的な見方をしている教員が多いようで,道徳の授業が確立していないところが少なくない。他の地域でも同様の側面は大なり小なりあると思うが,「道徳=修身」と認識したり,「生活指導をしているので道徳教育はあえてやる必要はない」「道徳教育は人間性に係わるので,個々人の内面に立ち入ることは強要・強制につながる」などの理由から,道徳教育に対して嫌悪感を持つ人が少なくない。戦前の教育においては子供たちに対するしつけとして一方的に道徳教育をやってきた側面があったが,戦後の民主主義的教育が導入されて以降は,一方的な押し付けだけでは子供の心は育たないのではないかという考えが出てきた。その結果,人間教育としての道徳教育という方向性にシフトしていった。このように道徳教育をめぐる考え方の混乱の中,道徳教育の真の姿を広めていくための努力が続けられてきたのである。

 その一方で現実には,不登校,命を軽んじる風潮など,子供たちをめぐる状況は極めて深刻な状態にあることは言うまでもない。そのために,子供たちの心をしっかりと教育していかなければ,未来社会に通じる人間を育てることはできないと思う。

 そこで,道徳教育はそもそもどうあるべきか,そしてそれは子供の発達段階に応じてどのように進めればよいかなどについて,真剣に考える必要性が出てきた。そのような背景から,平成10/11年度に学習指導要領が改訂され(平成14/15年度実施),心の教育・生きる力とともに道徳教育の重要性がうたわれたのであった。そのポイントは何か。これまでの道徳教育は,学習指導要領に書かれた項目の一つという認識であったが,今回の改正によって学校教育の根幹をなすものであるとの認識のもと,学習指導要領の最初の総則にその重要性が記載されることとなった。これは大きな扱い上の変化といえる。

 北海道道徳教育研究会は,小学校と中学校が一緒になって構成されているが,これは全国でも北海道だけである。他の都府県は小学校と中学校はそれぞれ別々に研究会を持って進めている。しかし,義務教育である小・中学校を一貫した形で進めることが大切だと考える。ただ,北海道は地域が非常に広いために一部の地域ではそうした研究会が十分立ち上がっていないところもある。

2.道徳教育について

(1)目標と内容
 全国レベルでの道徳教育の目標・内容が,どうなっているかについてまずみてみたい。学習指導要領には,「学校の教育活動全体を通じて,道徳的な心情・判断力・実践意欲と態度などの道徳性を養うこととする」(同第3章 道徳第1目標)と書かれているが,具体的な目標としては次の7つが挙げられている。

1)人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を培う
2)豊かな心をはぐくむ
3)伝統的な文化を継承し,発展させ,更に個性豊かな文化の創造に努める人間を育成する
4)民主的な社会及び国家の形成発展に努める人間を育成する
5)平和的な国際社会の実現に貢献できる人間を育成する
6)未来を拓く主体性のある日本人を育成する
7)道徳性を養う

 道徳の内容としては,自分とのかかわり(対自),他人とのかかわり(対他),自然とのかかわり(対自然),集団・社会とのかかわり(対集団・社会)の四つの領域に分かれ,それぞれについて道徳的にものごとを見つめる力を養うのである。そして小学校では,低学年15項目,中学年18項目,高学年22項目の具体的内容がそれぞれ挙げられており,年間35時間の中でそれらを学ぶ。それぞれの項目について数時間ずつ扱い,子供たちの発達を見つめながら計画的・発展的に進める。

 道徳の時間を中核としながらも,その時間だけで道徳教育をやるには限界があるので,ふだんの教科の中,学校生活全体を通して関連させてやっていくことがより重要になってくる。つまり,道徳の授業は要の時間という位置付けなのである。また,道徳的価値の自覚を深めることが道徳の授業の大きな目標になる。そのためには道徳の資料との対話,友達の意見を聞くなどしながら,ある状況の中で自分はどう行動すべきかについて,自己との対話をすることによって道徳的価値の自覚を深めていく。さらにその判断に従って行動することで気持ちよいという思いを経験させたり,みんなでいっしょに行動をしようと促していく。それが学級活動などの特別活動の学習とつながっていくのである。

 道徳教育をするだけでは,即実践に結びつくことにはならない。多様な場面に出会う中で,自己対話を通して心情が養われたり,今までの価値観に照らしてみたりして実践してみようという思いになる。その結果,例えば,「今までお母さんに挨拶するように言われてきたが,明日からでも挨拶を実践してみよう」という思いが育ち,実際に実践していくようになるのである。こうして実践力が育てられるのである。

(2)「道徳」の時間の意義
 道徳の時間の魅力をいかに引き出すかというテーマについて,文科省初等中等局教育課程課の永田繁雄・教科調査官(当時)の講演を参考に考えてみたい。
永田調査官は,「子供が自分を見る目を豊かにしていく時間が道徳の時間であり,共によりよくなりたいという心を引き出す時間でもある」といった。自分も善くなりたいが,そのためには周囲の人,周りの友だち,社会の人たちにもいい思いをさせることが大切で,そうすることによってそれが自分にも返ってくる。それがともによくなるという「共生」であり,道徳教育は自分だけがよくなればいいという自分勝手,わがままを育てることではない。

 そのためにはスローフードの精神で,長い時間をかけて教育していく。1年間でダメなら2年間かけ,長い目をもって子供たちの価値観を育てていく。そのような種まきのときに必要なことは,「迷い」「葛藤」「感動」を経ることである。そうしないと先述したような善を実践する心(思い)がわいてこない。子供たちの心を揺さぶって大きくするような魅力ある道徳の時間を作っていこうとしている。

 ここでは教師の共感的理解も必要になる。例えば,子供の発言や経験をほめてあげ,認めてあげる。それによって子供たちの(善を行うことに対する)気持ちのよさが引き出されて育っていくのである。「このような人は偉い人だ。そのようになれるよ」と説明しただけでは,子供たちの心に響いていかない。「こうしたらどのような気持ちになるかな?」「お母さんはどう思うかな?」「この子はどう考えているだろう?」などと話し合わせることによって,子供の心を耕す構えを持つようにする。その時間内でできなかったとしても別の時間にはできるようになるだろうと,子供たちの力を信じてやり続けていく。これが道徳の時間である。

 そしてできるだけ「問題解決型」「問題追求型」の学習を進める。自分なりの問題意識を育て自分で行うことのよさを啓発させるのである。

3.北海道における道徳教育の取り組み

(1)北海道道徳教育研究会の研究主題
 平成17年度の本会の具体的な取り組みとしては,「夢や憧れをもち,たくましく未来を拓く道徳教育」という研究主題を掲げた。「あんな人になりたいな。」「あんなことをやったらいいな。」という目指すものがなければ,子供たちは育っていかない。それで子供たちに夢や憧れを持たせたいと考えた。また,北海道には開拓者魂がある。きびしい大地を先人たちが切り開いてきて今の北海道ができたわけであるので,そのたくましさ,常に前向きに取り組む姿勢を拓いていきたいと考えた。

 それに基づき,副主題として,「心豊かにかかわり,よりよい生き方を追求する子供の育成」をあげ,さらに視点1「心をゆさぶり,共感や感動から,一人一人の願いが生まれる授業の工夫」,視点2「自他をじっくり見つめ,共に高め合う場の設定」を掲げた。子供たちには一人一人に持ち味があるので,その感性をゆさぶるのである。自分さえよければよいということが道徳性ではない。社会に生きる人間として,できるだけ仲間を大切にし,そこから生きる力・生きる自信を持つようにしていく。このような視点から授業研究を進めている。

 学校教育は,幼稚園から始まって,小学校・中学校・特殊教育・高校などと連続したシステムになっている。私たちは小学校教育を担っており,小学校課程を修了した子供たちを中学校に送り出すわけだが,小学校における道徳教育についてはわかっても中学校の道徳教育が実際にどのようなものかについてはほとんどわかっていない。逆の場合も同様である。また,最近は幼稚園に通う子供たちも多い。幼稚園でも道徳教育を実施しているが,道徳教育面で幼稚園と小学校との連携がうまくいっていない。こうした連携の問題が,学校教育の一つの課題となっている。そこで,私たちの研究会では,そのような異校種間の連携協力に関する分科会を設けて研究している。

(2)道徳教育の広がり
@「心に響く道徳教育推進事業」
 北海道では,道・市などがそれぞれ道徳教育推進事業として毎年いくつかの学校を指定して実践を進めている。現在,道が指定しているのは,千歳市立緑小学校と島牧村立島牧小学校である(各々平成16・17年度の2年間指定)。

 前者の緑小学校では,豊かな体験を生かした「道徳の時間」の指導の工夫に取り組んでいる。つまり,身をもって体を動かしてやったことが,どのように心に根付いていくかという観点で進めている。いくら体験が重要だからと言っても,体験しただけでは道徳教育にはつながっていかない。体験をもとに,「どのようなことを感じたか」「どのようないいことがあったか」「もっとくふうできそうなことはないか」等を考えて,その行為をすることで「気持ちよい」という思いを心の種まきとして根付かせていかなければならない。

 例えば,海浜清掃をする場合に,「きれいになってよかった。いいことをしてよかった。」ということで終わったのでは不十分である。さらに,「きれいになったので魚が帰ってくるかな。」「きれいな海浜の方が北海道の短い夏をみんなが楽しめるよね。」などと話し合いながら,「仕事は大変だったけれど,またやりたいな。」という思いにつなげていく。そして,身近にも似たような体験がなかったかを考えさせる。「山に登ったときに,ごみのことを考えてごみ袋を持っていったんだ。」というように展開する。

 このように,子供たちが切実感をもって自己の内面を見つめ考え,子供の心の成長を促す道徳教育のあり方を探っていくのである。
もう一つの島牧小学校の取り組みの特徴は,学校教育活動全般において,地域の人材ネットワークを活かした点である。地域の中にはすばらしい生き方をしてきた方がいるのでそのような人材ネットワークを利用して,各専門家の指導を受けながら人間としてのあり方やよりよい生き方を求めていく意欲・態度をはぐくみ,道徳的実践力を高める取り組みを行っている。この地域は漁村なので,そこの人々が漁業にどのような思いをかけて生きてきたのか,直接身近な人の語りを通して学ぶ。そのような直接的な語りかけは,子供たちの生きた資料となる。

 学級経営の中核に「心の教育」を据え,総合単元的な道徳学習の工夫を図り,個に応じたきめ細かい指導を行うと共に,指導と評価の一体化に努めるのである。そして,豊かな発想で高め合い,学び続ける子供の育成をめざしていくのである。

A道徳授業のおもしろさや大切さを実感する
 学校の研究授業で道徳教育の取り組みが増え始め,日曜日・土曜日の授業参観で全クラスの道徳授業の公開を行う学校が増えてきた。これまで教科の研究授業はよくあったが,札幌市内には道徳の授業研究を学校研究として進めているところはこれまでなかった。しかし,今年度から道徳の授業研究を学校研究として推進する学校がでてきた。これはとても意義あることである。また,道徳教育に関する講師を呼んで研修会を開いたりするなど,少しずつではあるが,道徳教育の種がまかれ広がりを見せている。

4.今後の課題

 北海道における道徳教育の最大の課題は,学校教育の中に「道徳」がきちっと位置づいていないということがある。法令上は道徳教育の位置づけがしっかりと謳われているのであるが,実際にはなかなかそうなっていない現状である。
道徳教育が学習指導要領の総則に記載されているという点を考えれば,道徳は学校教育の要の部分に位置づいていなければいけないと思う。学校では,学校目標,年度の重点目標などが設定されて運営されているが,それと同程度に道徳教育に重点がおかれなければ道徳教育がほんものになることはないであろう。

 各教師はそれぞれの学級経営の年間計画案を立てるが,一般には各教科と同じレベルで道徳の計画案も策定される。しかし,前述したように道徳教育の重要さを考慮すれば,すべての教科の要として,各教科の計画案の中心に道徳教育を位置付けることがまず必要である。そうでないと絵に画いた餅になってしまう。

 そして道徳授業の時間35時間をしっかりと確保することである。実際の学級経営の中では,いじめがあったりすればその話し合いの場として道徳の時間を使ってしまうことが少なくない。そしてそれをもって道徳の授業をしたことにしてしまうのである。学級会というのは,明日からどうするのかという課題について話し合う場であるが,道徳の授業はスローフードの場なので,性質が違っている。その点を勘違いしている人が少なくないようである。

 また中学校は教科担任制となっているが,こと道徳教育に限っては学級担任がしなければならない事項である。その点では,小学校よりも難しい環境にあるのが中学校と言える。HRの時間はいいとしても,道徳の授業をどうすればいいのかとの先生方の悩みもあって,前述のようなすり替えが行われやすくなる。しかし,中学校でも道徳の重要さは変わらないし,小学校以上ではないかとさえ思う。

 道徳の授業が魅力あるものでなければならない。TVを見るだけの授業になる場合がよくみられるが,それで終わってしまっていては意味がない。その後に,しっかりと話し合いをしたり,考える機会を持ったりして子供たちにとってよかったと思える場を作っていかなければいけない。やりっぱなしの授業も問題である。自己との対話をしてそれをノートに記すなどしながら継続して自己の成長をみることができるようなものにしたい。

 道徳の場合は,他の教科のように点数評価ができないし,その成果を家庭に伝えるのが難しい側面がある。しかし,子供たちの成長を教師が感じたり見取ったりしなければ次の計画が立たない。子供たちの関心や興味のないものや実態とかけ離れたものをいくら種まきだといって蒔いても,芽は出てこない。今子供たちが欲しているもの,足りないものをつかまえるためにも,教師は指導したら必ず評価して,子供たちがどのようなことを考え,いまどのような状態にあるのかを確認しておく必要がある。特に道徳の授業の評価については,その難しさから研究としてあまり深められていないので,この点を強調しておきたい。

 さらに,地域ボランティアや体験をしながら,他者の体験が自分のものに連結されていくことが大切である。そうした体験ができない場合には,アイマスクをかけて目の見えない方の立場を理解する経験をするとか,高齢者の階段の上り下りや移動がどれほど苦労が多いかを疑似体験するためにおもりを体にまとって体験するなどの授業例を展開し,思いを共有できるような場面を工夫した取り組みが進められている。

 最後に最も重要なことは,道徳教育の成否はすべて教師の感性にかかっていると言っても過言ではないということである。教師の中には,弱みを持った子供の気持ちに(頭ではわかっても情で)共感できない人,自分の考えとはかけ離れた考えをもつ子供に対して認めることができずに冷たく切り捨ててしまう人などもいる。このような場合,教師から切り捨てられてしまった子供は,先に進む意欲を失ってしまう。どのような意見を持つ子供に対しても等しく耳を傾け,適切な指導をすることのできる人間力(人間性),感性をもつ人が,教壇に立ってほしいと願っている。

 そのような教師の人間性の教育をどうするかということが,今後の大きな課題として突きつけられている。その意味では,道徳教育は教師自身の生き方と直結しているものでもあることを感じつつ,また悩みながら取り組んでいる。(2005年1月24日発表)