英国に学ぶ大学教育のあり方
―エリート教育と正しい競争原理の導入

法政大学教授 川成 洋

 

1.大学教育の現状と課題

(1)地に堕ちた大学教育
 現在,四年制私立大学の約三割が定員割れとなっており,無試験で入学する学生もかなりの割合に上っている。一昔前なら大学に来なかったと思われる学力の学生たちがたくさん入学するようになった。そのような状況の下,これまでのような「大学教育」は成り立たなくなっている。もちろん,教育のレベルを下げて,アルファベットや漢字の練習をさせたり,机の上に座ってはいけないとか,教室に入ったら帽子を取りましょうと指導したりすることもできよう。それが教育だといえばそれもあり得るが,少なくともこれまで考えられてきたような「大学」という名を冠する教育はできなくなっているのが実情である。これは多くの大学教員が実感するところであろう。それだけではなく,都内のある大学の近くのアパートやマンションの持ち主が絶対にその大学の学生に部屋を貸さないという。ほぼ毎晩遅くまで飲酒して大騒ぎをしていて,住民の生活が破壊されるという理由である。同様にして,仄聞したことだが,大学の通学路で大声で話したり,タバコのポイ捨てをしたり,ペットボトルや空き缶を捨てたりで,その通学路の住民が学生の通行禁止に動き出すといったまことに信じがたいこともあるという。

 大学には一般に学生部が置かれ,そこでは学生の生活面に関する事柄を扱っているが,最近は学生部長が所轄の警察署や記者クラブ回りに追われる大学もあると聞く。実際,青少年犯罪のかなりの割合が大学生によるもので,殺人事件とまでは言わないまでも,暴走族まがいの交通犯罪を含めれば犯罪に関わる大学生は相当な数に上るようだ。大学の学生部の担当者は自分の大学名がマスコミに報道されるのではないかと神経を尖らせている。私見であるが,刑事事件を起こした学生の大学名は発表すべきだと思う。例えば,九州の一家四人惨殺事件も「私大生」とあるが,この表現はおかしい。その私大でどのような教育を学生に行い,国からどの位の私学助成金を受けているのか,納税者の一人として是非知りたい。また,自分の子どもにそのような大学に進学させるかどうかを考える一つの要因となるであろう。とにかく,自己に不都合であっても隠蔽体質はよくない,私大といえども,公的な高等教育機関であるのだから。

 一方で,来年度から「ゆとり教育」を受けてきた世代の生徒たちがいよいよ大学に入学してくる。そうなると大学の二極化傾向は避けられないだろう。いわゆる「良い大学」と呼ばれるところはともかく,底辺校の教員は大変である。高校なら問題のある生徒を辞めさせることもできるだろうが,大学の場合,学生を退学させれば高額な授業料が入らなくなり経営に支障を来たすうえに,学生自身「俺はお金を払っているぞ」という消費者意識が強くなっているため,そうすることがむずかしい。

 次に紹介するのは,アメリカのある大学の例である。「私」はジャーナリズムを担当する教師である。「私は少なくとも知的な営為の場面では,かつて一度たりとも目にしたことのないものを見た。後ろの遠い列に散らばっているのは,大部分が若い男性たちで,彼らは野球帽をしばしば前後さかさまにかぶっていた。彼らの制服を完璧にしているのは,一般的には,バギーパンツとチームのTシャツ,それにずうずうしい態度だった。彼らは椅子にふんぞりかえって,軽蔑と退屈の表情を浮かべて私をながめやり,まるでこう言っているかのようだった。『あんたがどこで働いていようが,どんな経験をしていようが,何を知っていようが,誰がそんなこと,気にするもんかよ。なんか,俺に面白いことを言ってみな』」(『恐るべきお子さま大学生たち――崩壊するアメリカの大学』,ピーター・サックス著,後藤将之訳,草思社,2000年)こうした状況はアメリカだけであろうか。日本の大学でも,これにきわめて似た状況が現出しているのではあるまいか。時間の問題で,早晩,われわれも,例えば,ここは新宿歌舞伎町か,大学かと考え込むに違いない。

 こうした日本の大学教育の質的な低下を見越してか,韓国・中国・東南アジアの優秀な学生たちは日本よりも欧米の大学への留学を望むようになった。十年ほど前なら東大などで満足していた優秀なアジアの留学生も,今や日本を相手にせず米国のアイビー・リーグ,あるいは元宗主国のイギリスのオックスフォード大学やケンブリッジ大学を目指している。ケンブリッジ大学で知り合ったインド大蔵省からの経済学専攻の大学院留学生によると,日本の東大の博士号はインドではもはやかつての威光はなく,やはりケンブリッジの博士号を取得したいとのことであった。

 日本は敗戦後すべての面で米国に押さえ付けられ深刻な混乱に陥ったが,そこから立ち直ってきた。アジア諸国はそれを「戦後の奇跡」の一つとみた。特に,東南アジア諸国の人々は以前,「兄貴分の日本は恐るべき底力を持ち,どんなことがあっても立ち直る不死鳥のような国だ」と思っていた。それが今では日本を見限っている。

 日本の大学教育がここまで低下したのは,大学入学に際して競争原理が失われたことに一因がある。例えば,電車の中を見れば大学の広告が氾濫している。プロ野球の球場あるいはサッカー・スタジアムなどでも大学の広告ばかりが目につく。学生獲得のためといえばそれまでかもしれないが,本来,大学は広告を出さなければならないようなところではなかったはずである。そのような形でコマーシャリズムに走って本当に大学が良くなるのか。むしろ大学間の競争原理にまかせて,潰れるところは潰れればよいというのが私の考えだ。

(2)授業評価の功罪
 最近は学生による授業評価がどこの大学でも積極的に導入されているが,その結果として教員が学生に遠慮する傾向がより強くなった。即ち,授業評価のために教員は学生に言うべきことが言えなくなっている。教員も誇りをもって教えようとするなら,人間として,あるいは大学生としてあるべき姿を示してやらなければならない。エリート教育ができないとしても,せめてそのくらいは責任を持つべきである。

 また授業評価を活用する場合でも,私が「朝日新聞」(2005年4月26日)に書いたように,記名制のアンケートにして学生に責任を持たせるべきだ。学生の立場からしても,学期末になると科目数に応じて受講している授業評価のために毎時間同じような砂を噛むような無味乾燥な作業をしなければならない。こんなアンケートのまとめにつき合うこと自体,頭がおかしくなるはずだ。しかも評価結果の分析は学内で行わず,多くの私立大学では,分析作業を外部の業者に任せそれに1000万円程度を支出している。大手の私大では2000万円近いという。それより教養教育を充実させるなど,もっと有効な資金の使い方があるはずだ。

 そもそも授業評価は,アメリカ・イギリスを嚆矢とし,今や全く形骸化しているが,「教員の教育能力の向上と開発」に資することが本来の目的だったはずだ。しかし,大学の大衆化とともに「お客様」である学生のニーズに答えるための道具になってしまったようだ。こうした文科省への媚びへつらいは,言わずもがな,助成金である。大学当局は,ただひたすら文科省の方に頭をむけ,その振り向きざまにお客様の学生にもおもねる愛想使いをしているのだ。なんとも情けないほど滑稽な醜態ではあるまいか。

(3)非常勤講師問題
 身分不安定な助手や非常勤講師の待遇も重い課題となっている。彼らは次世代を担う人材である。文部省が1991年に大学設置基準を大綱化して以降,各大学は独自にカリキュラムを編成できるようになったが,それによって専任教員が自分たちだけで担当できるような形で授業を組み,非常勤講師の入る余地が減ってしまった。都内のある大学では,なんと体育の教員が300〜400人の大教室で英語を教えている例もあるほどだ。もともと英語が大の苦手な学生にとって,好都合な授業かもしれない。また別の大学では人件費を削減するために非常勤講師をすべて解雇してしまった。

 学問の発展という面から見ても,非常勤講師の待遇は改善すべきである。ある学問分野を支えるのは,大学を卒業して大学院の博士課程に進み,その学問を究めてゆこうとする情熱ある学生たちだ。それが行き場がないとなると,やがて誰も研究分野には進みたがらなくなる。そうするとその学問全体が先細りになってしまう。現在,どこの大学でも大学院が設置されているが,大学卒業生の「モラトリアム機関」と揶揄されても,反論できないであろう。

2.エリート教育の必要性

 今日本の大学教育には,本来の意味の「エリート教育」が必要である。明治維新以降,日本には「エリート教育」が欠如してしまった。
第二次世界大戦後の極東国際軍事裁判で,英紙・タイムズの記者が,日本人には武士道精神があると思っていたのに,東京裁判で被告席に立たせた旧軍の最高指揮官たちの醜悪な責任の擦り合いを目の当たりにして,「こんな国を相手にわが国の青年たちが戦い,命を落としたとは・・・」という憤懣やるかたない記事を本社に書き送ったのだった。山本常朝の『葉隠』には「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」という言葉がある。そうした生き方が明治維新以降,失われてしまったように思う。

 池田潔の著書『自由と規律』(岩波新書,1949)は,イギリスのパブリック・スクールで学んだ著者の経験をもとに,イギリス社会の中心を担う人々の教育理念を紹介している。中世イギリスから,ヨーロッパ大陸に何年かかけて留学する伝統的な「グランド・ツアー」に出かけていた家庭教師と少年が,第一次世界大戦の勃発を受けて従軍を志願する。ロンドンの陸軍徴募事務所に出頭するが少年だということがばれて,追い帰され,また出頭し,結局,三回目の出頭で,そこの係官がとうとう根負けして,その少年を兵士として受け入れる。少年はある公爵の一人息子だったが,親に手紙を書いて戦場に向かう。しかし,彼はそこで死んでしまう。結果として公爵の家はその代で絶えることになる。

 イギリスだけに限らずヨーロッパの貴族階級には,国家の危機に際して率先して自らを犠牲にする伝統がある。果たして今の日本の地位ある人々には,そのような事態になったときに進んで戦場に出て行くだけの気概があるだろうか。

 戦前では陸軍士官学校や海軍兵学校出身といえばエリートといわれる存在であるが,彼らの中には太平洋戦争中にエリートらしからぬ行動をとった人々が少なからずいた。例えば,満州へ行ったある関東軍の司令官は,ソ連が攻めてくると分かって逃げ出したという。あるいは昭和20年8月15日の玉音放送の直後,陸軍大臣阿南大将自刃,さらに「生きて捕虜の辱めをうけず」などの無条件的な滅私奉公を強要した「戦陣訓」の生みの親である東條英機元首相が連合国軍の憲兵隊に逮捕される直前にやらかした拳銃自殺未遂,こうした怯懦な指導者の信じがたい茶番が白日のもとにさらされたのだった。

 また,昭和19年の「学徒出陣」は,雨の中,神宮外苑を19歳,20歳の学生たちが大学ごとに学帽をかぶって行進してゆく悲壮でセンチメンタルなイメージが付きまとう。しかしよく考えてみれば,あの当時20歳で大学に行っていなかった若者たちは戦地に赴き多くが戦死している。理科系や医学系に進んだ青年たちは兵役を免除されたが,たまたま高等小学校しか出ていなかった若者たちはすでに兵隊として戦場に駆り出されたのだ。

 イギリスの上流・中流階級には最初に戦場に出て行くのが自分たちだという伝統があり,だからこそロイヤル・ヴィクトリア勲章などの栄誉を与えられるのだ。地位の高い者ほど責任が重い「ノブレス・オブリージ」の精神が徹底的に教え込まれている。それがエリート教育なのである。日本ではもっとも地位の高い人が最も安全な場所に鎮座ましまして,最後まで生き残る。そのような教育が戦後にも引き継がれ,いまのような状況を生み出したのではないか。そして,おいしいものをいの一番奪取する。「栄華の巷 低く見て 向ヶ丘に そそり立つ」の歌から何が産まれたか。日本をどう導いてきたのか。よく考えてみたいものである。

 イギリスのオックスフォード大学やケンブリッジ大学はそれぞれ30ほどのコレッジ(学寮)をもち,各コレッジにはチャペルがある。チャペルの入口の壁には,必ず第一次,第二次世界大戦で戦死した学生や卒業生の名前が記されている。しかし名前と戦死した日付だけで,階級やどのような勲章をもらったかなどは一切書かれていない。パブリック・スクールも同様で,日本の墓石のように勲位を書いたりしない。国のために闘った人たちに対する評価は地位や身分とは関係がないのだ。

 1982年のフォークランド紛争のとき,イギリスのチャールズ皇太子の弟,アンドリュー王子はヘリコプターのパイロットとして参戦した。最も危険な任務である。本当のエリートは危険を冒して最前線に出て行くし,だからこそその存在が認められるのである。指導者が先に行けば,国民は自然とついてくる。明治以降の官僚組織に最も欠けたものは,このような「エリート」精神ではなかったか。

 新渡戸稲造の『武士道』やラフカディオ・ハーンの『東の国から』によって,日本の武士道の精神が海外に広く紹介されるようになった。恐らく江戸時代にはそうした武士道精神が実際にあったと思われる。ところが昭和20年の段階で武士道はすっかり失われてしまった。いや,明治以降から既に,その精神は刀とともになくなってしまったと思う。そして「近代化」ばかりを追求した結果,日本の教育は今のような状態になった。それゆえ,日本を建て直すには「背骨」となるものが必要だが,それが真のエリート教育である。

 「エリート」という言葉は自分の金儲けや出世と結びついてイメージされやすいが,本来はそのような意味ではない。それだけ日本の教育をめぐる状況が悪化しているとも言える。地位の高い人はそれだけ責任が重いという欧州各国に共通して見られる精神を学ぶべきである。教育には国の未来がかかっている。

 本来なら大学教育もそのような役割を果たさなければならない。しかし大学という高等教育機関が商業主義に走っているだけでは,日本の将来はますます暗くなる一方だ。学生の立場から見れば勉強をしなくても入学できるし,大学側も学生が犯罪を起こせば大学名を必死で隠そうとする。このように大学が「甘え」の温床になってはいないか。

3.英国の教育制度に学ぶ

(1)公正な人事制度と大学の伝統
 今後理科系研究分野においては,海外への頭脳流出の傾向も強まるだろう。文科系の研究者が欧米の大学の学者と対等に研究活動をするのは難しいが,工学や医学などの理科系分野なら海外へ行っても十分通用する。

 ところが,日本の医学界などは特に封建的な伝統が残っていて,自分が籍を置く医学部のある県以外に就職先を見つけることが難しいという事情もある。民間企業なら鉛筆一本を持って希望する会社の就職試験を受けることができるが,大学教員になるための試験があるわけではない。日本の大学では,師弟関係を中心とする非常に前近代的な人間関係の中で人事が動いている。

 例えば,同じ英文学の分野においても細分化されていて,シェイクスピアを研究している学者もいれば,現代小説を研究する学者もいる。そこに共通するものがなければ試験のしようがない。そこで知り合いの教員が卒業生を自分の研究室に就職させたりする。しかも,大学教員の公募制度は,建て前として行われているのが実情だ。

 しかし,イギリスの場合は実際に公募制度が機能している。「オックスブリッジ」両大学では,教授(professor)になる場合は立候補制で,ポストが空いたときに論文を提出し,皆の前で審査される。特別研究者はフェロー(fellow),助教授はリーダー(reader),専任講師はレクチャラー(lecturer)と呼ばれるが,私がケンブリッジに滞在していたとき,たまたま英文学の学科に教授がおらず,基金を設立して公募することになった。大学外からたくさんの応募があり,提出された論文についてフェロー以上が議論に参加した。そのようにして立候補者の中からもっとも相応しい人物を選ぶのである。

 したがってイギリスの教授は非常に権威がある。私がいた当時,ケンブリッジ大学には物理学部のキャベンディッシュ研究所だけでノーベル賞を受賞した人が28人,現役教授の受賞者が3人もいた。それがケンブリッジ大学のレベルであり,日本のように人間関係で採用されるということはない。誰が聞いても「あの人なら間違いない」と納得させる人々が教授になっている。

 ちなみにオックスフォード大学は,13世紀初頭に創設されたイギリス最古の大学で,「ヨーロッパ四大学」の一校であり,ケンブリッジ大学はそこから枝分かれし,1284年に最初のコレッジ(学寮),ピーター・ハウス・コレッジが設立された。コレッジは私立だが,今でも開校式のセレモニーを主宰できるのは国王のみである。古いコレッジを訪ねると,学生用の三つの部屋がある。即ち,勉強用と寝室,そして「バトラーズ・ルーム」と呼ばれる執事の部屋である。彼らは貴族の出身で,昔は寮にも専属の執事がいた。東京大学の駒場寮とは比較にならない。彼らは本当のエリートである。

 日本では外交官試験に受かると大学を中退して職に就くが,イギリスではそのようなことはあり得ない。外交官は自国の法律をいくら勉強しても役に立たないので,それ以外の科目を専攻する。日本は一生懸命勉強して外交官になるが,日本の法律しか知らない。ところが,日本に来ているイギリスの外交官は植物や芸術など,何かしらの専門分野を持っている場合が多い。そのような知識をもって日本の指導者と会えば相当な話ができる。イギリスの大使がイギリスの法律に詳しいからといって何の得にもならない。だからエリートは必ず二科目を専攻する。

 またオックスフォード大学やケンブリッジ大学を出た学生は卒業時に学士号(B.A.)を授与されるが,二年経てば大学院へ行かなくても自動的に修士号(M.A.)が与えられる。逆に19歳,20歳で学士号を取ればそのまま博士課程に進むことができる。オックスフォードとケンブリッジ両大学は特別で,例えばロンドン大学を卒業した学生はまず修士課程に入らなければならない。

 コレッジではチュートリアル・システムによって教員が家庭教師のように学生を教育する。一人の教員が五人程度の学生の面倒を見るので,いわゆる「ガウンズ・プロナンシエーション」という教員特有の発音が身につく。町の人々の「タウンズ・プロナンシエーション」とは明らかに違う。それで汚い格好をしていてもガウンズ・プロナンシエーションであれば紳士とみなされる。それはパブリック・スクールにも共通していて,イートン校には「イートン・プロナンシエーション」がある。

(2)正しい競争原理
 私がイギリスにいた頃,小・中学校のカリキュラムの大改訂が行われた。日本では「ゆとり教育」にしても文部科学省が上から指導するだけだが,イギリスでは当時,カリキュラム改革についてBBC2(日本のNHK教育に相当)が毎日のように討論番組を放送していた。そのとき教育相や学識経験者,教師,父母,そして生徒らがお互いに主張をぶつけ合う。議論が進むと一定の結論に達し,それに基づいて実際の改訂が行われる。

 日本のように政府が諮問委員会をつくり,自分の孫ですら既に就学年数を過ぎたような化石の人たちが委員として議論し,予め敷かれたレールに沿った結論を出すというやり方は無責任に見える。それで一番犠牲になるのは子供たちである。

 こうした慣行をただすには,正しい競争原理の導入が必要だ。イギリスでも一般のコンプリヘンシブ・スクールと呼ばれる公立学校からオックスフォードやケンブリッジに進学できるようになるなど,競争原理を働かせて教育水準の向上を目指している。現在は16歳で義務教育を終えると,GCSE-O Level(General Certificate of Secondary Education Ordinary Level)という全国統一試験を受け,大学に進学を希望する者はSixth Formという二年間の課程に進む。さらにその後,18歳でGCE-A level(General Certificate of Education, Advanced Level)という試験を受験しなければならないが,それが大学への入学選考の際に重要な審査基準となる。

 日本もこうした制度を見習い,大学入学希望者に一斉に受験させて上から順番に番号をつけるくらいのことをすればよい。その上で自分の行きたい大学で面接試験を受ける。AO入試(アドミッションズ・オフィス入試)も本来はそのような筆記試験が前提にあってこそ意味があるのに,日本はそれがないまま合格させている。

 またイギリスでは進学先の大学が決まった後も,「ギャップ・イヤー」といって入学を1〜2年遅らせて社会的な見聞を広める期間が与えられる。学生はこの期間を利用して奉仕活動をしたり,企業で就業体験をしたりする。例えば入学後にスペイン史を専攻する学生なら1年間マドリードに滞在して語学を学ぶこともできる。私が見る限り,ギャップ・イヤーを経験した学生はその後非常にうまくいっている。

 私は法政大学でスペイン語を教えている。学生の英語の学力は中学1年から高校3年までの6年間で他大学の学生と差がついているが,スペイン語の場合は同じスタート地点に立っている。東京外国語大学のスペイン語専攻や上智大学のイスパニア語学科と競争し,日本スペイン協会が実施しているスペイン語技能検定を受けさせてみる。1年経てば5級に合格するし,中には4級に合格する学生もいる。この点に限っていえば,他大学と比べて遜色がない。要は,学生の能力の問題というより,教育の仕方,教員の熱の入れ方の問題に帰着する。そうするためには一点の曇りもない競争原理の導入が必要だ。

 日本の若者にも社会には競争があるということを明確に教えるべきである。自分の人生を精一杯生きて,自分の力で道を切り開いてゆくことを社会が教えなければならない。そのためにも高卒の段階(18〜19歳)でハードルを設けて,大学進学を考えさせる必要がある。現在の若者もその位の試練に耐えられなければ,グローバル化された世界で,本当に取り残されてしまう。これこそ,私の単なる杞憂であって欲しいと思っている。
(2005年7月20日)