韓民族の起源としての北方モンゴロイド

韓国・江原大学教授 周 采 赫

 

1.はじめに

 高(Goo)氏高麗(Khori)という意味の高高麗(Gooli)が転じてできた「高句麗」という語は,実は北方原住民の言葉で「トナカイ」(orun bog-chaa bog)を意味する。古代チュルク・モンゴル語,オロチョン語,ブリヤート語,エヴェンキ語,ダーグル語,コリャーク語などの北方ユーラシア遊牧民の諸言語は,このことを立証している。そして「モンゴル」という語は,「貊」と「高麗」の合成語と見ることができる。貊はモンゴル語でエルベンキと言い,山獺であるタヌキを指している。寒冷高原乾燥地帯であるタイガ地帯に住むタヌキの狩猟が,その氏族集団を形成する主な生業であったが,そのうちにタヌキ狩猟という食糧採集段階からトナカイの遊牧という形態の食糧生産段階に入り,古代の帝国形成に至った。これが遊牧・北方モンゴロイドの始まりである。

 ところで,モンゴル民族のツールの一つは,朝鮮・鮮卑の鮮族(Soyon)と言われるが,この朝鮮および鮮卑のキーワード(共通文字)である「鮮」という語は,トナカイの主食である「蘚」(ハナゴケ,俗にトナカイゴケ)という地衣類(lichen)が生える寒冷高原乾燥地帯であるタイガ・ツンドラ地帯ののっぺりした低い山(小山)を意味する。一言で言えば,北方モンゴロイドとは,コケ(蘚)の生える小山(鮮)を求めてさまようトナカイ遊牧民を歴史的起源から一般にそういうのだが,その原郷は地衣類が最も多く生える北方ユーラシア極北寒冷地帯ということができよう。トナカイ遊牧の原郷は,北方ユーラシアのツンドラ地帯である。小興安嶺山脈の東南地域を除けば,シベリア地域の河川はほとんど北流し北極海に流れ込んでいるために,湿気の多い日陰により多く生えるコケの特性上,そうならざるを得ない。食糧生産が初めて始まった西アジアの北部,北方ユーラシアがトナカイ遊牧の始原地として推定される。

 しかし,朝鮮-鮮卑の起源は,アルタイ・サヤン山脈地帯であろうと推定される。そこから太陽を追って移動したのではなく,コケがより多く生える太平洋方面に向かってコケの道に従い遊牧してきたのが,朝鮮・高句麗族であり,大西洋方面に向けて遊牧しながら移動して行ったのが,フィンランド人であると私としては考えている。

2.遊牧・北方モンゴロイドの始原

(1)トナカイ遊牧民
 遊牧・北方モンゴロイドには頬に紅をつける風習があるが,これは頬の糸状の血管が凍って赤くなったという説もある。それと同様に,解剖学的には蒙古斑が全人類にある中で,とりわけ遊牧・北方モンゴロイドにだけ青く現れる理由は,彼らが極北寒帯トナカイ遊牧地域をゲノム形成の母胎にしたためであると考えることもできよう。もちろんこれは,具体的な学術的実証研究によって裏付けられなければならない問題であるが。

 ところで,朝鮮とは「朝の国」ではなく,静かな「トナカイ遊牧民の国」である。それはトナカイの食料であるコケが生える小さい小山(=鮮)を求める民族の世界なのである。鮮は一度とって食べてしまっても3-5年後には再びコケが食べられるほどに復元される「トナカイ遊牧草地」である。

 朝鮮の「朝」という字は,中国語の第一声で読む「朝」(zhao)ではなく第二声で読む「朝」(chao)という意味である。鴨緑江・豆満江を越えた地域の人々は,みなそのように発音してきたし,現在でもそのように発音している。われわれもそのように読む必要がある。一番最初に「朝鮮」と漢字に音写して使ったのは,韓人ではなく漢人であるゆえに,彼らの発音慣行に従わなければならない。韓国・中国・日本のいずれの史料であれ,そうでない例があれば示してほしい。朝鮮は決して「朝の国」ではない。チュクチ語や,古代チュルク・モンゴル語においては,トナカイを意味するchaa bogのchaaは,この世・あの世とか,こちら・あちらなどのあの(あち)ということであり,「…の方向に向かう」という意味からも類推される。

 遊牧・北方モンゴロイドには,「太陽信仰」がないということではなく,確かに存在する。ただ,日帝支配時代に韓国の知性人たちが考えたように,「太陽信仰」が当然のことというわけではない。ブルカン(不咸)(注1)も白頭山も朴氏も韓国も,そして「朝鮮」ですら,それらをすべてひっくるめても,「太陽信仰」に由来するはずは決してない。ここには明らかに,「ひ(日)のまる(丸)」紋を伝承した日章旗が韓国の天を覆い尽くしていた時代(日本の植民統治時代)に,すべてのことを「太陽」と錯覚した史料解釈の誤謬という側面がある。

 遊牧を起源とする北方モンゴロイドには,太陽の光は黄金色であり,黄金色は神様の色である。それゆえ,チンギス・ハーン一族は,Altan urug,すなわち黄金氏族であり,満州国のヌルハチ族は,愛新覚羅(注2)すなわち黄金民族である。すべて天孫族である王様の血筋,「金氏」(きんのうじ)という意味である。遊牧・北方モンゴロイドの太陽信仰は,このような「金氏」信仰とすれば十分である。このように北方モンゴロイドの認識慣行から見れば,金氏は固有名詞では決してなく,単なる普通名詞である。それゆえ「朝鮮」とは,コケの生える鮮を求めてさまようトナカイ遊牧民族に歴史的起源を置いた民族の名称なのである。

 北方モンゴロイドのルーツに関連して,イスラエルのシオン山のシオン(Zion)も,鮮である可能性がある。シリアのダマスカスの博物館に所蔵されている黄金の「エル」神像と匈奴休屠王の祭天金人(Golden man)像は,時代と空間にかなりの隔たりがあるものの,北方モンゴロイドのルーツ-「コケの道」上の祭天儀式用の黄金神像と類似し,そして騎馬羊遊牧民族・北方モンゴロイドなどが韓国靴のような形をした靴を履いていたという点において,これらは象徴的かつ雄弁にそれらの関連性をもの語っている。これは青天の霹靂のような話ではない。農耕化した韓国人を始めとして遊牧・北方モンゴロイドは,農耕定着化の数千年の歴史を経る過程において,われわれ自身のトナカイ遊牧的な起源―遊牧的アイデンティティをはるか遠くに忘却し,「歴史的めくら」になってしまったことを,自分自身自覚していないだけなのである。

(2)遊牧民から古代世界帝国への展開
 韓民族の北方起源説に関しては,前節で述べたように,「朝鮮―高麗,トナカイ遊牧起源説」として含蓄される私の見解を既に明らかにした。スキタイ・シベリア説を,彼らの生業の土台をその歴史的な起源として,具体的に体系化してみたのである。アジア大陸の1/4を占め,世界の陸地の1/10を占める世界最大のタイガ・ステップ・ツンドラ地帯シベリアにおいて,食糧採集段階から食糧生産段階へと進んでいく生産革命過程を経て,支配民族あるいは古代征服帝国へと発展していく生業としては,ツンドラのトナカイ遊牧と,それがタイガを経て発展した広々としたステップの騎馬羊遊牧以外にはあるはずがないと考えられるからである。もちろん禽獣の天国である広々としたシベリアに出自をもつ氏族が,すべて獣祖伝説を持つようになるのは当然であろう。

 ところで,権力は銃口から始まると言われるが,より小さい権力は大きな権力に対して,そして後に生ずる権力は先に生じた権力に対して,挑戦・応戦する過程から権力が形成されるのは,歴史的な現実であるといえる。ユーラシア大陸の場合,15世紀に銃砲が登場する以前の権力は,モンゴル世界帝国の歴史的基盤がそうであるように,大規模羊遊牧の生産過程の中にその副産物として,必然的に登場せざるを得なかった騎馬射術から主として始まった。トナカイにまたがって動くトナカイ遊牧民,あるいは騎馬羊遊牧民が,主に牧農帝国の「核の傘」として,生産のために,騎馬射術で治安維持と政治秩序を保障したのであった。

 もちろん南方海洋世界帝国の出現も,これに続く15世紀以後から急速になされたのは事実であるが,しかしユーラシア古代帝国を創出するのに直接的に作用するには時期の上で,艦船と艦砲の質量的発展がまだ初期段階にとどまっていた次元において,騎馬射術を中心として展開したことはやむを得ないことであった。そこでタイガ・ステップ・ツンドラ地帯の遊牧の発展段階から,朝鮮・高麗の宗族,すなわちその古代帝国の歴史的起源を求めるしかない。シベリアの羊遊牧のルーツとしてトナカイ遊牧が存在するが,それがタイガ地帯を経ながら力を得て次第に広々としたステップ地帯に進出し,騎馬羊遊牧民となった。騎馬羊遊牧によってその生産力を大きく発展させる過程において,騎馬羊遊牧帝国が出現し,さらに進んでは牧農をあわせた遊牧主導の古代広域世界帝国が出現したと見なければなるまい。

 これらの生産的な土台は,当然に牧草地である。コケが小さくやっと生えるタイガ・ステップ・ツンドラという寒冷高原乾燥地帯において,特殊牧畜である遊牧が主導生業としてその位置を確立すると,広域草地の確保が当然個人・氏族・国家の生存における必須条件となった。もちろん遊牧生産の発展過程において,無所有の草地は公有草地として,さらには私有草地に分化・発展していくこともあるが,しかし草地が不足なときには果てしなく草地を征服,あるいは開拓していかなければならなかった。

 銃砲が登場する15世紀以前は,ロシアの3/4を占めるシベリアも遊牧民の牧草地であり,北南アメリカ高原乾燥地帯の広大な牧草地もまた,シベリア原住民出身の遊牧・北方モンゴロイドの牧草地であった。実は,ステップ帝国とその後を継いだ海洋帝国とに共通する特性は,広大な開放空間を生存の舞台として,馬・矢,艦船・艦砲で武装した機動性と組織力を武器にして,無限競争において最後の一人の勝者として生き残ったという点である。それゆえ,ステップ帝国を含めた征服戦争の過程において,海洋帝国が創出されるしかなかったのである。

(3)韓族と漢族
 このような観点からみると,それらの遊牧民はすべて「広域少数民族」という本質的特性を共有しながら,相対的に「狭域多数民族」であるしかない農耕帝国と対比される。歴史的な起源からみるときにそのことがはっきりと対比されるのが,「広域少数民族」である韓族の韓国と「狭域多数民族」である漢族の中国である。韓族・韓国のルーツは,宇宙を想起させる広大な遊牧草地であり,漢族・中国のルーツは,相対的に狭い農耕荒地なのである。それゆえ水と草を求めて遊牧してきた北方民族モンゴルの戸籍台帳は,「戸口青冊」であり,荒地において農業を行ってきた漢族のそれは「戸口黄冊」である。生業の歴史の起源が青色と黄色とに峻別されるのである。韓民族の「族譜」はもちろん青い風呂敷に包んで大切に保存している。

 今日の韓半島の住民である現代の韓国人は,このような厳然とした歴史的な事実を理解して,自分の「遊牧史的なアイデンティティ(ルーツ)」が確認できる証拠をみつけることは,不可能であるというほどにかなり難しい。主に太平洋の海の中に突き出して位置し,今日の温暖多湿な韓半島の生活の場には,寒冷高原乾燥地帯などに生えるトナカイの主食であるコケ(蘚)も,ステップの羊草もなく,したがってもちろんトナカイ遊牧民もステップの騎馬羊遊牧民も生存することはできない。そのようなままに,農耕定着民としてここ数千年を生きてきたわけである。

 われわれが自分たちの遊牧史的アイデンティティを省みないことは,ちょうどこれから千余年後に,現在のアメリカ・アングロサクソン族の15世紀以前の歴史的な起源をアメリカ大陸それ自体に求めようとするおろかさを犯すことと同じように思われる。今まさに「広域少数民族」の「遊牧草地」という始原的な起源を忘却し,その移動性と機動力を想像すらできない遊牧史的自己のルーツに対する無知蒙昧は,韓国の歴史的アイデンティティの確保を妨げている韓国史学界の致命的な障壁だといえる。もちろん,これはまさに農耕化した,遊牧を起源とするすべての北方モンゴロイドの緊要な課題でもある。

 最近の韓国・中国間の古代歴史論争は,昨日・今日のできことではない。元来,歴史とは,数千年に達する現在進行形の「歴史的自己認識(アイデンティティ)戦争」である。ただこの遊牧・北方モンゴロイドと農耕民族の根深い歴史認識戦争を,われわれが自覚できないだけなのである。究極的なこの歴史論争の目的は,もちろん国境の変化ではなく,われわれの遊牧史的起源を見ようとしない自ら自身の歴史的盲目の手術・開眼である。そしてステップという開放空間において,馬と矢でもって無限競争の最後の一人として生き残り蒙古世界汗国を創業した遊牧・北方モンゴロイドは,15世紀以後の歴史において,艦船と艦砲で海洋という開放空間の無限競争の場で最後の一人として生き残った海洋帝国米国の歴史的な経綸をどう学ぶべきであろうか。私は,光の速度で交流される情報力と核爆弾以上の主体的で本質的な爆発力をもつイメージ・感性を通じた認識革命力とに要約される宇宙帝国時代を開いていくビジョンを確立しなければならないと考えている。

 現代の韓国は,数千年のステップ帝国の歴史的力量が全部結集されながらも,同時に太平洋に体をおいている。そして何よりも遊牧・北方モンゴロイドの神様信仰<ブルカニズム>が,内的にもっとも充満したゲノムとして潜在している原型=トナカイ遊牧民コリ(Khori=高麗)人である韓国人(コリアン)なのである。それゆえ遊牧を起源とするモンゴロイドが世界各地から今この国際会議に結集し,自分は一体何者かと歴史の顕微鏡でのぞいているところなのである。そして韓国・中国の古代歴史認識論争に代表される遊牧・北方モンゴロイドの歴史的なアイデンティティ確立のため参加しているのである。

3.ブルカニズム

 ところで,北方モンゴロイドの始原領域圏とでもいうべき遊牧草地地帯である北方ユーラシアには,「ブルカニズム」という母胎回帰信仰が分布している。水のあるところには柳の木があり,柳の木が群生する土地には大概狩猟遊牧民が生きてきた。柳の枝には,白色,黄色,赤色があるが,赤色の柳である紅柳は,白樺とともに彼らの信仰の対象になった。

 ところで,韓国には柳の派生語で娘・女子を意味する言葉があるが,柳はこの地域においても大体女性を象徴する。高句麗の始祖高朱蒙の母親である柳花は,その名前自体がそのまま「柳の花」という意味を持つが,満州人の「ボドゥママ」信仰と直観されるように思う。すべて「柳(ボドゥル)の母」信仰であるわけだ。

 ところで,「ブルカン」を崔ナムソン氏が「明るさ」と解釈したのとは違って,ほとんど同時代を生きたモンゴルの代表的言語学者ベエリンチン氏は,『モンゴル秘史』においてモンゴルの始祖母神アラン・ゴア(注3)関連の記事に出てくる「ブルカン・カルドゥン」(注4)の「カルドゥン」を一種の柳の名称だと考えて,「ブルカン」を柳と関連させている。

 元来,シベリア森林民族であった遊牧・北方モンゴロイドの神聖な信仰の対象である「オボー」(注5)も実は,タイガ地帯が生存舞台であるときは,石ではなく柳の木で作って「柳オボー:borgasan oboo」ともいった。しかし,何よりも,「柳」それ自体を「プルカン」というナーナイ語の単語は,「ブルカンープルカン」と「ボドゥナム(柳)―ボドゥママ信仰」が直接結びつくことができることを明らかに立証している。

 水神=河伯の娘柳花(高句麗の始祖高朱蒙の母)が,そうであるように,柳はまさに水と直観されている。柳花やモンゴルの始祖母神であるアラン・ゴア,そしてその元祖ともいうべき北扶餘・東明聖王の母槁離国の侍婢がそうであるように,彼らは陽の光を受けて天孫族を身ごもった。推測するに,アルタイ山地のパジリクの氷姫ヨサジェも同じ類型であるとみることができる。通天巫であるヨサジェが,天の光を受けて,天孫を身ごもり,ボドゥママである「ブルカン」として化身し,「ブルカン」はそのまま天孫の母胎となるのである。チュルク・モンゴル語の「ブルカン」は,今もそのまま「ハヌニム(天神)」とか「ムーダン」(巫女/シャーマン)という意味で使われている。そうであれば,この場合には「天孫を身ごもった母胎」としての「ハヌニム(天神)」,すなわち「母性的な神様」であるといえる。古代エジプトやインカ帝国における太陽崇拝のように父性的であり攻撃的な絶対者ではなく,すべての生命をかき抱いて心を和らげ,天の順理に従って育てていく具体的な一つの生命の母胎化した神様を「ブルカン」という。

 北方ユーラシア地域においては,太陽光は金の光であり,白色は主として主食の一つ乳製品や万年雪と関連される。それゆえ「白山」は,万年雪が覆った北方から由来したこれらの自然を見る認識慣行を反映する山の名前であるが,それはそのまま太陽,すなわち太陽崇拝とつながると見ることは,かなり危険である。およそ白山は「白」であるが,「ブルカン」は「赤」ということができるためである。太陽光が女性の肉身に内在化され,天孫を身ごもった母胎となる場合には,紅柳,すなわち朝鮮柳として象徴される「ボドゥママ」となるが,まさにこの「ボドゥママ」が「ブルカン」である彼らの神様になるということなのである。太陽,それ自体ではなく,それが一人の女性の心身に内在化し,その母胎に再び現れた母性的な愛の主体がこの神様であるに違いない。

 したがって,この場合の「ブルカン」は,「明るさ」ではなく「赤」の意味をもつ。そしてこの「赤」は,具体的な生命の以外の物理的なひだるま(火の塊)のような「赤」というよりは,むしろ具体的な生命の中に内在化した最も赤い愛の心情,すなわち母性的愛としての「心情的赤」となるといえよう。それゆえ時空を超えて彼らの「クッ」(巫儀:厄払いの儀式)(注6)の対象となることが可能なのである。それゆえ,「ブルカニズム」とは,彼らには母胎回帰信仰となる。

 ギリシア正教の弾圧に対抗して,アルタイ語族が密かに復活させた新しい形態のシャーマニズム=ブルカニズムの「ブルカン」は,人の霊魂を成長させる神霊的な場であるという。それゆえ,この世に一つしかない存在(only one)としての個体生命の最も尊い尊厳性(best one)が,そののど笛を通って成長することのできる唯一の場所である胎盤を「ブルカン」ということができる。

 実は,檀君神話の神檀樹は,固定された巨木崇拝というよりは,遊牧民の移動式家屋であるティーピーやゲル(注7)を神堂とする神檀,すなわち中央の炉の側に天窓を貫いて立てられた白樺の可能性がかなり高い。その白樺,神檀樹の上に天を行き来する鳥が飛んでそこにたかれば,それこそまさに「鳥竿(セッテ)」→「ソッテ」(注8)となるのである。ゲルであれ,歌舞であれ,家の基本形は,柳やカラマツのように,水と関係のある樹木で骨組みを作り,通天鳥が降りてたかるソッテである白樺・神檀樹は,野山に生えるものとして天と関係する。天の光を受け,家(子宮)の中から生命の火が大きくなれば母情のしみこんだ母乳が流れ出て,新しい生命はそれを食べて生きる。特に,ツンドラ地帯においては,炉の火種がたきついて家の中に温気が回って血行が温まり,ご飯が炊け汁が煮立てば,真心を込めた食事が準備されて,家の者たちは腹を満たして寒さをしのいで生気を取り戻すのである。

 このような神堂と神檀樹が結合完成した神殿が,遊牧・北方モンゴロイドのムーダン(巫女/巫者/シャーマン)の「移動式教会堂」である。例えば,神檀樹は「遊牧民の神檀樹」として,モンゴル語でいう「エル」(=国家)が,アラビア砂漠とペルシア高原から来た「移動する集団」という概念語であるように,これはまた西アジアに由来する「移動教会」概念でもある。当然,ブルカンも私の外に遠くおられる神様ではなく,私の生命の中に私の命そのものとしてともに動き息づく,内在する遊牧・北方モンゴロイドの神様でなければならない。「約束された時代」に「約束の天国」を開いてくれるその時代の具体的な生命の主流である神様なのである。

4.最後に

 前述のムーダンの家の歌舞とゲルの拡大形が,そのまま遊牧民の歴史的な胎盤であるタイガ・ステップ・ツンドラ地帯それ自体である。広々とした母胎の中においても,自分が生まれたその胎盤への回帰願望,それ自体がユーラシア北方遊牧民のブルカニズムなのである。必ず回帰を熱望するのは自分の母胎である。さ迷い歩いていなければならない生業の特性上,そうせざるを得ないのである。

 それは農耕漢族には,想像することすら難しい心情の世界である。そしてその天にしみわたるほどの切々とした渇望が,正に彼らの芸術の源泉であり,生きがいをかもし出す無尽蔵の生命の原動力となる。われわれは父のもとに戻った放蕩息子の如く,数千年を遊牧・北方モンゴロイドのブルカニズムを忘却して,流浪人の如く彷徨い続けて疲れ果て病気となった絶望的な体でブルカンの懐に戻り,今その門前をうろついている。遊牧・北方モンゴロイドである故に,放蕩息子である故に,却って父母のもとにとどまり父母に仕えた定着農耕化した漢族モンゴロイドよりも,もっと懇切に焼けるほどに喉を乾かしながら,ブルカニズムを懐に抱いているわれわれなのである。

 ともにモンゴロイドのルーツであるコケの道を歩き,ブルカンの中のブルカンであるバイカル湖オリホン島(バイカル湖最大の島)のブルカン岩山,すなわち「きこりと仙女」類型のコリ族(Khori)誕生神話が漂っているブルカン山にもう一度戻ろうではないか。今こそ,天路歴程がわれわれを待っているのである。

(2004年11月30日〜12月3日,韓国・江原道龍平で開催された第2回蒙古斑同族世界平和連合世界大会における発表論文である。)

 

*注1 日本語訳としては,ボルハンまたはブルカンとなるが,ここでは著者の表記にしたがって,「ブルカン」を使用した。日本ではボルハンの表記の方がより使われる傾向にある。ブルカン(ボルハン)の語源は,サンスクリット語の仏「ブッダ」に起源をおくといわれ,「神」を意味する語である。モンゴルのブリヤート神話では,創造神を「エヘ・ボルハン」という。また,モンゴル人は,日本人が「神様,仏様」と唱えるように,「ボルハン(仏),テンゲル(神)」と唱えることがある。さらに,日本語の「天(あま)の川」のことをモンゴル人は「ボルハンの道」という。

*注2 愛新覚羅 
 満州語でアイシンギョロ。アイシンは金,ギョロは古い由緒ある家柄の姓を意味する。中国,清朝帝室の姓。(「広辞苑」より引用)

*注3 アラン・ゴア
 ゲルの屋根の中央にある天窓もまた神聖な場所である。それは正面戸口と違って年中,昼夜を問わず開いており,明かり取りであり,煙出し口として欠かせない。同時にそれは神聖な炉(現在はカマド)から煙の出ていく通路でもあり,また,外界,特に天界と霊的に接触するさいに利用されるとされている。すなわち,チンギス・ハーンの先祖の未亡人アラン・ゴアは,夜ごと光る黄色い人が,天窓の煙出し口から入って来て私のお腹に染み入り,それが日月の光にそって黄色い犬のように尾をふりながら這い出ると妊娠した,というモンゴル民族の始祖説話の一つ「神聖(感性)受胎説話」が伝えられている。(三秋尚,「モンゴル・つれづれの記(9)遊牧民の住まい(その3)」,岡山畜産便り,2004.5-6月号より一部引用)

*注4 ブルカン・カンドゥン
 13世紀に著された『モンゴル秘史』には,蒼き狼神話と呼ばれるチンギス・ハーン一族の族祖神話に次のようなくだりが見られる。「チンギス・ハーンの根源は,上なる天神よりのザヤーを持って生まれた蒼き狼であった。その妻は,淡黄色の牝鹿であった。テンギス河を渡ってきた。オナン川の上流に位置するブルカン・カンドゥン山に遊牧しているときに生まれたのがバトチ・ハン(族祖,テングリ<神>の子)であった。」(ソーハン・ゲレルト「モンゴル帝国時代におけるハーンたちの世界観について」より一部引用)

*注5 「オボー」
 オボーとは,モンゴルの小高い山の上や峠によく見られる土地の守護神の宿る石の堆積である。昔,モンゴルの人々は,山や川にはそれぞれ神様が住んでいて,その中でも一番偉い神様は天に住んでいるものと考えた。人々は天の神様に,いけにえの動物を捧げたりした。そのとき,神様に分かりやすいように,石を積んで山のようにしたのがオボーの始まりといわれる。オボーには作られる場所などによってさまざまな種類がある。また,オボーを祀るには,まず柳の枝を立てそれにハダク(絹の布)やヒー・モリ(馬の絵とチベット語の経文の印刷された布)を結びつけてオボーを飾り付けた後,四方で香を焚く。ラマ僧が経を読み終えると,オボーに供えられた肉や乳製品が参列者に分け与えられる。そして一同山を下り,ナーダム(祭)が始まる。もともと山は,見下ろす土地を守る霊的な存在であるとともに,土地の境界でもあった。そこに建てられたオボーは,その土地に所属する集団のアイデンティティの象徴である。(『地球の歩き方モンゴル』,ダイヤモンド社,2005)

*注6 「クッ」(巫儀)
 朝鮮半島においてムーダンが行う祭祀。依頼主の要請によって行うクッはその目的によって大きく三種類に分かれる。一つは,吉事クッとか慶事クッと呼ばれるもので,福運の招来や財産の増殖,商売・家業の繁栄を祈る目的で行うもの。第二は病気の治癒や悪疾流行の阻止,そして安産を祈るなど健康に関する祈願クッ。第三は死者の霊魂に関するクッ。また地域によっても名称が異なることも多く,多くの種類がある。(金渙『韓国の伝統文化』風媒社,2005より一部引用)

*注7 ゲル
 ゲルとはモンゴル語で「家」を意味し,現在では遊牧民の住む家を示している。包(パオ)とは中国語呼びである。ゲルは,柳の木などをドーム状に組み上げ,その上に羊の毛でできたフェルトをかぶせたテントと考えればよい。屋根の中心には円形の木枠でできたトーノと呼ばれる天窓があり,明かりを調節する。また寒いときはこの天窓をウルフと呼ばれる布で閉める。(『地球の歩き方モンゴル』,ダイヤモンド社,2005)

*注8 ソッテ
 一般に朝鮮半島では,昔から村の入口付近に,てっぺんに鳥が止まっている様子をした柱(立竿)を立てたが,それをソッテという。ソッテにとまる鳥は,遠くからくる悪鬼やその他の疾病などが侵入してくるとこの事実をチャンスンに告げ,チャンスンは恐ろしい力を発揮して悪鬼を追い払うという。その意味でソッテの鳥は,見張り役をすることになる。