科学革命としての「インテリジェント・デザイン(ID)」理論

京都大学名誉教授 渡辺 久義

 

1.はじめに

 近代以来,学術研究が人類社会の発展に大きく寄与してきたことは否定することができない。その方法は,それぞれの分野における対象を,基本的に唯物論的な立場から扱うものであり,それが学問の客観性を保証し,学術研究に不可欠の条件であるという暗黙の前提のもとに進められてきた。この方法によって我々が多大の成果を得てきたことを否定するものではない。

 しかしながら,研究対象をあくまでも物質的存在として捉える姿勢,とりわけ心や生命や宇宙,その起源や進化といった問題をも唯物論的に捉えうるという前提は,いずれ限界を迎えなければならない。これまでの学術研究の方法が行き詰まり,その打開が模索されつつあるという昨今のあらゆる兆候がある。インテリジェント・デザイン(ID)理論と言われるものが,強い反対論にもかかわらず,科学者の間に広く浸透しつつあるのもその一つの兆候である。

 本稿は,新しい文化創造のための学問的基礎となるべく,あらゆる専門分野を横断して創設されることになった「創造デザイン学会」の設立趣意書および同趣意書を補足する「手引書」からの抜粋によって,ID理論を紹介するものである。[IDについて更に詳しくは,現在,雑誌『世界思想』に連載中(2003年1月号〜)の記事「人間原理の探究」をご覧いただきたい。]

2.インテリジェント・デザイン理論出現の経緯

 Intelligent Design Theory(最近は単に Intelligent Design あるいはIDと略されることが多い)と呼ばれる理論ないし運動が始まったのは,1996年11月,米国・ロサンゼルス郊外のバイオラ大学において行われた歴史上記念すべき学際会議であったと考えてよい。

 ただ,このときの会議の名前はMere Creation(このmereは「単なる」という意味でなくessentials「(創造の)要諦」というような意味だとW. Dembskiは言っている)であって,Intelligent Design という言葉は会議の中で使われていたにすぎない。この会議の事実上の中心人物は,Darwin on Trial(裁かれるダーウィン)などの著書によって反ダーウィニズムの闘士として著名な,法学者のPhillip Johnsonであったが,この文字通り画期的な会議に集まった200名ほどの参加者は,生物学,化学,物理学,古生物学,天文学,数学,言語学,哲学,神学,ジャーナリズム,教育管理,慈善団体など多方面の,ほとんどが初対面の人たちだったという。

 反ダーウィン主義者の集会はこれまでもあったであろうが,予想を超えてこれだけ多くの人たちが一堂に会したのはこのときが初めてだという。この会議の興奮した様子は,Mere Creationのホームページを見ても,同タイトルのデムスキー編の論文集を見ても伝わってくるが,これがいかにアメリカの知識人の心を捉え,その運動がその後いかに大きなものになりつつあるかは,この2年間ほどのインターネット上のIntelligent Design というタームの検索ヒット件数(もちろんそこには反論も含まれる)の飛躍的な増加,これを正当な科学として支持し喧伝するウェブサイトや出版物の増加を見ただけでもわかる。

 これは何を意味するであろうか。それは科学者共同体の内部から自己批判的に起こってきた,科学の唯物論的前提に見切りをつけようという,いわば科学革命運動である。しかし同時にそれは科学を超えて,文化そのものの唯物論的前提を揺り動かすという意味において,正真正銘の「文化大革命」と呼ぶべきものである。

 生命とか心(意識,精神)に関する問題,とりわけその起源や進化の問題を,偶然や自然選択といった物理原理だけによって説明することがいかに無理であるかは,学者一般人を問わず,直観としてはおそらく大多数の人々の感じていることである。ところがそれは,長い間,唯物論的科学の専制によって押さえ込まれてきたのである。これは「この世界のすべては物理的に還元され,物理的に説明されなければならない」という,科学の「帝国主義」とも独断とも自縄自縛とも言えるものである。これが科学の世界にとどまるならよい。それは科学者のいわば「道楽」として位置づければよいだけだからである。しかし問題はそれが我々の文化を規定し,我々の生活の隅々にまで浸透してくることである。「インテリジェント・デザイン」運動は,そういった事態に対する長年のルサンチマン(怨恨)が,堰を切って一挙に噴き出してきたものと考えることができる。

 Mere Creation 会議を司会したRich McGee は,駐米レバノン大使であったCharles Malik (1906−1987) の「いかなる文明も,我々の文明が今日そうであるように,心を混乱させられ整理のつかない状態で永く耐えることはできない。我々の悪のほぼすべては,世の中に広く拡散し,今日,大学でも教えられている間違った哲学から発している」という言葉を引用したあとでこう言っている――「実に自然主義(naturalism)こそが,科学と学術世界において既成宗教となったのである。」

 「インテリジェント・デザイン」という革命運動の精神がここに要約されているとみてよい。それは文明そのものに対する危機意識から発していると同時に,これが科学者の間から起こってきたという事実からも推測されるように,自然主義という科学の世界の「既成宗教」を崩すだけの科学的根拠をたずさえて登場したのである。

3.自然主義に対立するものとしてのID

 自然主義(naturalism)とは科学の言葉としてあまり使われないものであるが,これが「インテリジェント・デザイン」では共通のキーワードになっている。使われない理由ははっきりしている。これこそが既成科学の誰も疑わぬ前提となっているものなので,人が空気に気づかないように普通は意識しないのである。既成科学が相対化されたときに,初めて意味をもってくるようになった言葉だと言ってよい。

 自然主義とは唯物主義と同義だと考えてもよい。ただ「自然主義」は,科学一般の,特に自然科学の方法論や哲学に関してもっぱら用いられると言えばよい。これまで科学研究は,当然のように,自然界に働いているのはいわゆる自然力(自然的要因)だけだという前提のもとに進められてきた。自然的要因といえば,必然と偶然の二つしかない。必然とはいわゆる自然法則のことであり,もっとくだいて言えば物理化学の法則であって,それ以外に選択しようのない強制された自然コースのことである。偶然は,生命を説明すると称するダーウィニズムにおいて,自然選択と組み合わされて重要な要因になっているものだが,物理学においても20世紀になって「不確定性」の原理として,つまり非決定論的原理として取り込まれたものである。

 いったい自然界に働いているのは,必然と偶然という自然的要因だけであろうか。科学の進歩によって,これまで光の届かなかったところまでが明るみに出てくるにつれて,そのような前提ではどうしても自然界を説明しきれないという認識が強まってきたのである。そこで,もうそういった前提には見切りをつけて,必然と偶然のほかにもう一つ「デザイン」という要因を科学として認めるべきだと主張し始めたのが,インテリジェント・デザイン派の科学者たちであった。

 自然主義というものがどういうものであるか,それがいかに強力で深刻なものであるかは,IDの中心的役割を担っているウィリアム・デムスキー(数学者,哲学者)の次のような文章に明瞭に述べられている。

 西洋文化の内部では,自然主義がすべての真剣な問いに対して不戦勝ちの立場を占めてきた。聖書研究から法律,教育,科学,そして芸術にいたるまで,問いはすべて,自然が自己充足的なものであるという想定のもとでのみ,提出することが許されている。...我々は神が存在していないように振舞うこと,そしてその了解で物事を進めることを要求されている。自然主義は神が存在しないことを確認するのでなく,神が存在する必要がないことを確認するものである。神が死んだのでなく,神が欠席しているのである。そしてまさに神が欠席しているがゆえに,知的誠実さは我々が神を呼び出すことなしに仕事を進めることを要求する。これが認められた知恵である。そしてそれは紛れもない害毒である。

 ではどうやって自然主義に打ち勝つか。自然主義は一つのイデオロギーである。その鍵となる信念は自然の自己完結性というものである。西洋文化の内部では,その最も猛々しい形が科学的自然主義として知られているものである。科学的自然主義は自然の自己完結性を,方向を持たない科学の自然法則の中に見出す。従って科学的自然主義は,我々が宇宙を全くこのような法則の観点から理解するように仕向ける。そして特筆すべきことは,人間も宇宙の一部なのであるから,我々が何ものであるか,何をなすべきかということも,結局は自然主義的観点から理解されなくてはならなくなる。

 デムスキーが言うように,自然主義の宇宙像をひと言でいえば,「自己完結」ということである。それは,我々の知っているこの物質的世界が存在するすべてだということ,もっと平たく言えば,我々の宇宙はその始まりから生成にいたるまで独立採算ですべてをまかなっている,ということである。生命も心もすべて物質的自然と物理力から生ずるということになる。物理的に言えば,この宇宙は閉鎖系(closed system)だということである。

 はたして我々の宇宙は閉鎖系であろうか? ある存在が自己完結しているということ,すなわち外に向かって開かれておらず,それ以外に何もないということは,そのものに意味も価値も目的も生じないということである。私という存在が私を創ったものもなく,私に命を与えるものもなく,単に自力自存するものだとしたら,私という存在には意味も価値も目的も生じない。同じことが宇宙についても言えるであろう。我々の宇宙は,この宇宙を超えるものに向かって開かれたものでなければならない。

 自然主義信奉者(唯物論者)は,「ダーウィニズムからどんな不都合が生じようが,それは事実なのだから,事実は事実として受け入れざるをえないだろう」と言うだろう。しかし物理的自然しか存在しないというのは果たして「事実」であろうか? それは事実ではなく,(マッギーの言うように)「既成宗教」あるいは(デムスキーの言うように)「イデオロギー」にすぎない。もし超自然を想定するのが宗教だというなら,自然以外に何もありえないという想定も宗教的信念である。

4.「検出可能な」自然を超えた知性

 宇宙という存在も私という存在も,それを超えた存在を想定しなければ無意味なものになってしまう。しかしこれは単なる宗教的・道徳的要請からくる,そうであって欲しいという願望にすぎないものであろうか?「インテリジェント・デザイン」は,自然を超えた,知性を持ったものの存在が「経験論的に検出可能」であると主張する。

 今までのデザイン派の科学者たちの仕事を総合してみると,この自然界に「デザイン」すなわちデザイナー(神)の手が働いていることを立証する,いくつかの方法があると思われる。

(1)ファイン・チューニング(fine-tuning)
 一つは,「人間原理」(Anthropic Principle)という呼び方でも知られる,宇宙的な物理常数の「ファイン・チューニング」(微調整)という事実である。これは宇宙の基本的な物理法則やその常数が,宇宙創造(ビッグバン)の始めから,将来人間のような高等生物とそのための環境を作り出すために,恐るべき精度で微調整されていたという事実,すなわち宇宙は最初から人間を頭において創られた(としか考えられない)という計測的事実である。

 天文学者Hugh Rossのあげる物理常数の項目は,強い核力,弱い核力,重力,電磁力それぞれの常数,重力常数に対する電磁力常数の比,陽子に対する電子の質量比,宇宙の膨張速度,光速など百項目を超えているが,それらすべてについて数値がほんのわずかでも上下にずれていれば,このような地球も存在せず我々も存在しえなかったという物理的事実が指摘されているのである。この事実は我々に,この宇宙に目的論的観点すなわち「デザイン」を導入することを余儀なくさせる。

 そもそも我々の宇宙は,かつて信じられていたように最初からあったものでなく,137億年前(最近のNASAの発表による)に始まったものであることが今では疑いのないものになったのだから,だとすると宇宙が自分で自分を創るなどということは普通の理性では考えられず,それだけでも自然主義の信奉する自然の自己完結性などという考え方は成立しなくなるのである。宇宙はそれを超える何ものかによって創られたものでなければならず,しかも,ただ創るなどということは考えられないのだから,目的をもって創られたものと考えなければならない。しかしこのことに関しては,いまだに,そういう結論をなんとかして避けようとする奇妙な理論があるようである。

 ヒュー・ロスは「私の経験上,ただ一人として,宇宙が何らかのやり方で,生命のために適した環境となるように考案されたという結論を否定する人はいない」と言って,天文学者が実際に使っている表現を引用している。

 次のような言葉が使われている:「誰かが自然を微調整した(fine-tuned)」「超知能」「いじった(monkeyed)」「人を圧倒する設計」「奇跡的」「神の手」「究極の目的」「神の心」「絶妙の秩序」「きわめて微妙なバランス」「著しく巧妙な」「超自然的働き(Agency)」「超自然的計画」「誂えて作った(tailor-made)」「至高の存在」「摂理的に考案された」――すべてこれらは明らかに一人の人間について使われる言葉である。この設計についての発見は,単に創造者が一つの人格であることを明確にしただけでなく,それがどんな人格かを示すいくらかの証拠をも提供してくれるのである。

 唯物論者は,自然界に働いているのは目的をもたない盲目の物理力だけであり,それですべてが説明できるのであって,目的を実現しようとする「デザイン」などといった要因は存在しないと主張する。生物の世界は「いかにも目的をもってデザインされたように見える」がそれはそう見えるだけである,というRichard Dawkinsの明言は有名である。

 自然選択,すなわちダーウィンの発見した盲目的で意識を持たぬ自動的な過程,そして今我々がすべての生命体の存在と,そのいかにも合目的的に見える形態を説明するものであることを知っているこの過程は,心に目的など持っていないのである。それは心を持たず,想像力を持たず,未来の計画などしない。それは先を見ることもなく,そんな目は全く持っていない。もしそれが自然界において時計職人の役をしているとするなら,それは盲目の時計職人である。

 ドーキンズの主張はウルトラ・ダーウィニズムとも言うべき極端なものであるが,これはIDと真っ向から対立するものとして興味深い。

(2)「還元不能の複雑性」(Irreducible Complexity)
 このドーキンズの言う「いかにも目的をもってデザインされたように見えるもの」が,「見える」のでなくて,実際にデザインされたものであることを証明するのが,生化学者Michael Beheが有名なDarwin's Black Box: The Biochemical Challenge to Evolution の中で提起した「還元不能の複雑性」という原理である。ビーヒーに自然界の「デザイン」の事実を突き止めさせたのは,特に鞭毛(ある種のバクテリアの外部について液体中を泳ぐのに用いられる鞭状のもの)の仕組みの研究であった。

 この鞭毛のモーター装置は三十数個のタンパク質の部品からなっているが,そのどれか一つが欠けても鞭毛は鞭毛として全く機能しない。つまり連携して働く最小限の複雑な単位を構成している(図1)。これを彼は「還元不能の複雑性」と呼び,これはデザインされたもの(意志的・意図的に作られたもの)としか言いようがなく,自然界はこういったものに満ちあふれていると主張した。すなわちこういったものの存在は,ダーウィニズムの目的を持たない漸次進化といった考え方では全く説明できないのである。ビーヒーはこれを数個の部品からなる(挟み式の)ネズミ捕り器に例えた。これを構成する板やバネや押さえ金のどの一つが欠けても,全くネズミ捕りとして機能しないのである(図2)。

 例えば,複雑・絶妙に絡み合って機能する哺乳動物の眼などは「還元不能の複雑性」の典型的な例であるが,これが一気にできたものだと証明することは難しいであろう。分子のレベルではそれが可能なのである。これが「インテリジェント・デザイン」の重要な柱の一つとなっている。

(3)「特定された複雑性」(Specified Complexity)
 「還元不能の複雑性」が生物学的実証にかかわるものとすれば,「特定された複雑性」は情報にかかわるものであり,「デザイン」と「デザイン」でないものを見分ける厳密な理論である。(ダーウィニズムはこの区別を曖昧にすることによって成り立っている。)これは数学者のデムスキーによって確立されたものだが,「還元不能の複雑性」と並んでIDの理論的柱となっているものである。

 ある対象,あるいは出来事,あるいは構造物に我々が対面したときに,そのものが自然にできたものか意図的に作られたものかを見分ける「説明のフィルター」と呼ばれて図式化されているものがある(図3)。何であれこの世界の事物はすべて「必然」か「偶然」か「デザイン」かによって成ったものであり,「必然」でも「偶然」でも説明できないものを「デザイン」として認めざるをえない。

 鞭毛の機械構造を例にとるならば,これは,物質同士が自らの性質によって結合して新しい物質を作る化学反応によってできたのでないことは明らかである。つまりそれは必然(法則)によってできたのではない。またそれは偶然できたものでもない。タンパク質の部品が偶然作られ,それが偶然寄り集まって鞭毛のモーター装置ができる確率は,事実上零であろう。とすれば,それはデザインされたものでなければならない(これは必然や偶然が全くかかわらないという意味ではない)。

 同様に,細胞核内のDNAの塩基配列によって作られる遺伝暗号も,デザインされたものである。A(アデニン),T(チミン),C(シトシン),G(グアニン)というアルファベット字母の働きをする物質のもつ性質によって配列が決まるのではない。遺伝情報は,英語の文章と同じく,字母の形や性質から全く独立したものである。それは深い内容をもつ英語の文章と同じく,書き手の意志が文字という物質的末端にまで浸透することによって決まってくる配列である。それは目に見えぬ「デザイナー」すなわち神の手によるものでなければならない。

 ただし「インテリジェント・デザイン」は,あくまでデザインと非デザイン(自然的要因)を厳密に見分け,自然的要因だけで自然界が成り立っているのではないことを立証するものであり,その意味できわめて謙虚なのであって,決して最初から神を想定するのではない。IDの特徴は,それ自体ではきわめて謙虚なものでありながら,それが宇宙論,存在論,神学といった形而上学的な問題につながるということである。つまりIDは神の存在を証明するのでなく,神の存在を指し示すのである。

 デムスキーは,デザインを見分けるという作業は,犯罪捜査や考古学などいろんな場面で普通に行われていることだが,その典型的なものは,カール・セーガン原作の映画Contactに出てくるSETI(Search for Extraterrestrial Intelligence地球外生物探査計画)の受信した宇宙からの電波信号だと言う。この信号によって知性を持った地球外生物の存在が確認されたのである(もちろん現実のSETIではそんなことは起こっていない)。それは0と1で表すと次のようなものである。
 
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 0を休止と解釈すると,これは2から71までの素数(自分自身と1以外では割れない数,実際は101まで続いているが省略した)を表したものである。明らかに,これは知性を持った何ものかが意図的に発した信号,すなわち「デザイン」と考えざるをえない。なぜならこれは「特定された複雑性」の条件を満たしているからである。まず,こんな配列を強制する自然現象(例えばパルサーのような)は考えられないから,これは必然によるものではない。かといって偶然生じたものでもありえない。なぜなら,まずこれは十分に複雑な(長い)配列だからである。もしこの信号が単に
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であったとすれば,それは地球外知性の存在の証拠にはならない。確かにそこには2,3,5と最初の3つの素数が並んでいるが,それは偶然にも起こりうる範囲だからである。しかし,十分に複雑であるだけでは「デザイン」にはなりえない。ランダムにキーを叩き続ければ十分に複雑なパタンができるが,それは「特定された(specified)」,つまり特定の意味や意図がこめられたものではない。従って,複雑でかつ特定の意味や意図をもつことが判明なものだけが「デザイン」として認められる。これがデザインと非デザインを判定する基準である。

 なぜIDがこのような一見当然のことにこだわるかと言えば,ダーウィニズムのような自然主義が,デザイン(意志,意図,構想,目的)と非デザイン(偶然・必然=法則性)の区別を曖昧にすることによって,デザインというものがありえないかのように主張するからである。それは明らかに自然解釈上の不正行為であり,放置することのできないものである。

(4)特権的惑星
 高等生物を可能にする「ファイン・チューニング」は物理法則の数値(パラメーター)だけにかかわることではない。生物学者Michael DentonのNature's Destiny: How the Laws of Biology Reveal Purpose in the Universe(予定された自然――いかに生物学の法則が宇宙の目的を明らかにしているか)が論証しているように,この地球上のありふれた物質や現象,例えば水とか火とか光といったものが,いかに絶妙に奇跡的に生命のために微調整されているか,いかに宇宙が最初から人間を中心とした生命的調和を目指して働いてきたかという事実がある。

 更にIDの重要な本をあげるとすれば,Gonzalez,Richards共著のThe Privileged Planet: How Our Place in the Cosmos Is Designed for Discovery(特権的惑星――いかに宇宙における我々の位置が発見のためにデザインされているか)やWard,Brownlee共著の Rare Earth: Why Complex Life Is Uncommon in the Universe(希少なる地球――なぜ宇宙には複雑な生命がまれであるか)がある。

 これらの書物は,天文学のごく最近のデータに基づいて,最近まで専門家一般人を問わず疑問の余地のないことのように考えていたこと,つまりこの広大な宇宙には我々の地球のような惑星はかなり多く存在するだろうという想定が,ほぼ確実に否定されなければならないことを論証している。我々の住んでいるような惑星(従って我々のような存在)は,この広大な宇宙でたった一つここにあるだけだということが,100パーセントに近い確度で言えるようである。天文学的に見ても我々は,超知性のデザインによって,絶妙の配置と条件のもとに仕組まれて置かれているようである。

 こういったことを総合的に考えるならば,我々はもはや,環境に適応しこれを利用してうまく生きていると考えるのでなく,我々を生かす偉大なものと刻々対面しながら生きていると考えるべき時代に突入したのである。我々は生きることの意味や目的を問わざるをえない時代に生きている。

 これまでの自然主義的な我々の思考癖は,地球のような惑星はこの広い宇宙にザラにあるだろう,我々は特別の存在ではないだろう,と考えるように我々を仕向けてきた。これをPrivileged Planet の著者たちはCopernican Principle(コペルニクス原理)あるいは Principle of Mediocrity(月並み原理)と名づける。もし我々のような環境が宇宙にザラに存在するのならば,我々はこれを単なる事実として受け止めることもできる。しかしそうではなく,我々が特別に配慮された類例のない存在だということになれば,もはやこれを単なる事実として受け止めるわけにはいかなくなる。その意味を問わなくてはならないのである。

 親鸞は「弥陀の五劫思惟の願をよくよく按ずれば,ひとえに親鸞一人がためなりけり」と言った。「弥陀の五劫思惟の願」を「137億年をかけた創造主の悲願」と置き換えれば,この言葉は全く真理を突いている。ビッグバン以来137億年の宇宙の進化は,たった一人のあなたや私を生み出すためだった,と宗教色を抜きにして言うことができる。

 「インテリジェント・デザイン」は,ダーウィニズムのように,事実を唯物論という「宗教」に合わせて曲げて解釈するのでない,あくまで事実に即した厳密な経験的科学である。しかしそれは,この自然世界を超えるものの存在を指し示すことによって,宗教につながるのである。デムスキーが自著Intelligent Designの副題としたように,それはThe Bridge Between Science and Theology(科学と神学をつなぐ架け橋)なのである。

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