盧武鉉政権誕生の背景
―経済の視点から―

那須大学教授   夫  光  植

1.韓国の戦後経済発展史

(1)概観

 韓国経済の発展史を大まかに区分すれば,1950年代の援助経済時代(韓国動乱による)を経て,60年代は軽工業を中心とし,70年〜80年代は重化学工業を中心として発展を遂げた。その背景には,1965年の日韓国交正常化を土台とした日韓相互の経済協力があったと思う。その結果,80年代後半には国際収支も黒字となり,さらに債権国になることができて,自立経済を達成した。経済史においては重化学工業が確立する段階を一般に,「産業革命が終わる」と言われるが,韓国におけるその段階がまさに80年代後半であった。

 朴正煕大統領が79年に暗殺され,その後,80年代には反独裁を中心とした民主化運動が活発に展開する。近年,386世代(注1)の人々が社会の指導層を占めているが,彼らこそがまさにこの時代の民主化運動の主役であった。普通,産業革命期を終えると,次には政治・社会面の民主化の段階へと入っていくので,韓国もその段階に入った。

 80年代は日本的経営が世界から注目されるという日本の時代でもあった。米国は,双子の赤字で苦しみ,韓半島は南北分断の緊張状態が続いていた。ところが,90年代に入ると,日本はバブル崩壊とともに長期不況の時代に突入するが,米国はIT産業を中心とする好景気となって経済発展を見せた。また,世界的には,ソ連の崩壊に伴い冷戦構造が崩れ,ポスト冷戦の新しい時代に入り,グローバリズムが席巻する状況であった。

(2)80年代〜90年代半ば

 80年代半ばから韓国では,民主化運動が土台となり,韓国の政権の性格が次第に変わっていく。つまり,70年代までの開発独裁政権に代わり,全斗煥政権および盧泰愚政権の軍事政権が続いたが,それでも盧泰愚政権は文民政権への過渡的存在であった。その時代は,国際収支が黒字となり一種のバブル経済の状況を呈していた。その後,90年代に文民政権である金泳三政権時代(93年〜)を迎えると,韓国経済の将来についてバラ色に描く楽観論が支配するようになった。このまま放っておいても経済発展は心配ないという雰囲気であった。例えば,当時は財閥主導の経済運営が支配的で,90年代には財閥(4000億ウォン以上の資産保有)の数が60を数えるほどまでになった。財閥は次々に経営範囲を拡大し,投資さえすれば何でも成功するとの過剰な自信をもった。そして経営拡大のため金融機関から大量の資金を借り入れた。

 世界レベルで見ると,90年代はグローバリズムが世界を支配して,米国一極体制の時代に入っていく。経済面からは,市場経済に全幅の信頼を任せなければならないという新古典派,市場原理主義が世界を席巻した。別の言葉でいえば,効率至上主義であり,それがグローバリズムの本質を形成している。金泳三政権は,このような政治哲学に立脚して国家運営を推進した。即ち,経済分野は言うまでもなく,金融,教育,技術,文化などあらゆる分野において自由主義的思考に基づいた政策を展開し,どの分野でも競争に勝って世界一流になることを目標に掲げたのである。そして人的交流及び資本の流れなどにおいて自由化・開放化を強力に推し進めた。

 また,金泳三政権は,具体的目標として先進国の隊列であるOECDに加盟することを掲げてさまざまに努力し,それは96年11月に達成された。その加盟基準として,あらゆる分野における自由化,開放化が求められたために,金泳三政権は急いでその達成に向けた努力をしたのであった。当時,財閥は何をしても成功するとの過剰なる自信を持っており,さまざまな分野の零細企業・中小企業を手当たり次第に買収しながら系列下におさめ成長していった。そのための資金は,金融機関から財閥というだけで有利な条件で大量に借り入れることができた。

 韓国では従来から,「官治金融」と言われるように,金融機関は政府に完全従属していた。つまり,政府主導で経済発展をリードしてきたために,政府の方針に則りその分野・方向に対して金融機関は盲目的に資金を流していった。その結果,政府と金融機関の癒着が起こるとともに,財閥が絡んでくるために,三者の政経癒着構造へと発展していった。そのような体制で,国家の経済を大きく発展させていったのである。この構造は,だいたい90年代まで続いた。新古典派の経済理論からすると,こうした構造は市場経済の論理に合わないので認められないものである。日本も程度の差こそあれ,似たような状況があったと思う。

(3)通貨危機とIMF体制

 金泳三政権は極端なまでに自由化政策を強力に進め拡大路線を走った。財閥は国内ばかりではなく海外にも資金源を求めて手を伸ばした。長期資金,短期資金(期限1年以内)をどんどん借り入れて事業を拡大した。その結果,国全体の外債が膨張し97年には1544億ドル規模となった。当時の韓国の外貨準備高は,年末基準で39億ドルに過ぎなかった。

 そのような折,97年5月タイでバーツが暴落するというアジア金融危機が発生し,その余波が韓国にも及んだ。韓国の外債の70%が短期資金であったために,資金繰りに窮した韓国は一気に通貨危機に陥り,最終的にはIMF管理体制下(注2)におかれることとなった。そしてIMF,世界銀行などから総額で五百数十億ドルの資金が投入された。

 その通貨危機の真っ只中に大統領選挙が行われ,次期大統領として金大中氏が当選した。それゆえ,彼は,負債の引受業務から政権をスタートしなければならなかった。当時,経済展望を楽観視し過ぎていた行政担当者や業界の人たちに,その直接的な責任があったと思う。

 IMFから借りた場合には,非常に厳しい条件がつけられる。80年代後半ごろから,IMF,世界銀行,米国財務省,その他シンクタンクなどが中心となって,共産圏崩壊後の世界経済の運営について会議をもったが,その結論がワシントン・コンセンサス(注3)であった。従来よりIMFは,国際収支不調の加盟国の実情に沿って,効果的支援をする運営方式であった。ところが,このワシントン・コンセンサス以降は,それが大きく様変わりした。共産圏崩壊以降は,米国がリードすることによって,新古典派の経済理論,すなわち競争原理に基づく効率至上主義である市場原理主義によって世界が運営されるようになっていった。その最初の適用例が,韓国であったとも言える。

 金大中氏は,元来庶民の経済,零細企業の味方であり,財閥に対しては規制を求めるような経済哲学を持っていた。しかし,同大統領は,IMF管理体制後の政策において新古典派・市場原理主義そのままを韓国に適用した。IMF管理事務所がソウルに設けられ,一つ一つの政策をチェックした。そして金大中大統領は,その通りに実行した。 

 例えば,当時,銀行は多くの不良債権を抱えていた。BISの規定では,銀行は自己資本比率が8%以上でないと国際業務が行えないと定められているが,韓国の地方銀行までもその基準を適用して整理した。そのため,8%基準を満たせない銀行はたくさん整理・統合(倒産,合併)されていった。ちなみに,日本では現在でも,その基準は地方銀行の場合4%とされている。こうした改革を「IMF構造改革」と呼んでいるが,企業,金融,公企業,公共部門,労働部門などすべての分野にわたって,その構造改革を進めていった。政府が非効率的に運営している公企業は民営化を進める。労働部門では,経営状態の悪い企業の場合は,労働者を解雇できる法律(整理解雇法)を制定してリストラを断行した。その結果,市中には失業者があふれかえった。

 時には,企業を整理することによってその株が暴落する。そこを狙って外資が入り,その企業を買収した。結果的には,例えば,三星電子,ポスコ(浦項製鉄所),国民銀行などの収益率の高い企業の中には,外資の割合が50%を超えるところも出てきた。そのような企業は,外資を入れることで,経営・技術面での利点が多く,競争力が強化された。外国の投資には,投機的,はげたかファンドなどの危険性もはらんでいたが,各地に超豪華な高層アパートの建設など目先の収益性の高い分野への投資だけが次々と進められた。

 金大中政権は,IMFの希望通りに,過激なほどにその政策を進めた。その結果,一部外資系巨大企業中心の収益率が大幅に改善し(500余上場企業中少数外資系巨大企業を除く大部分の企業の収益性は改善されず,極端な二極分解現象がもたらされた),マクロ経済面では奇跡的なV字型回復を見せることとなり,IMFの資金を2年余りで返済完了するところまで至った。

 しかし,長期的視野にたって,産業をどのように育成し,韓国の経済をどのように構造改革していくか,ミクロ経済の面にまで健全にしていくためにはどうするか,このような政策は全く欠如していた。ひたすら目先のもうけにのみ関心を注ぐ形で,投資,投機が行われたのであった。銀行はもっぱら収益性の高い家計向け貸出の拡大に走った。社会面では,効率本位=競争至上主義が塾教育中心社会を生み出し,不平等・貧富格差をより激化させた。競争に耐えられず,移民に出る者も多くなった。

2.盧武鉉政権誕生の社会的背景

(1)IMF構造改革と負の遺産

 IMF構造改革の成果は,V字型回復を見せてマクロ的には順調なように見えたのであったが,内実においてはさまざまな困難をもたらしたことも事実であった。金大中政権では,あまりにも過激な構造改革をした結果,経済回復とは裏腹に,失業者が市中にあふれ,貧富の格差が拡大し,中間層が崩壊するなどの社会的不平等が拡大した。結論から言えば,そのことが盧武鉉大統領の当選の下地となったといえる。

 本来,経済発展は社会の安定をもたらし,中産層の比重を高め,社会における所得の再分配が適切に行われることにつながらなければならない。ところが,その後の韓国では,悪い指標がたくさん出てしまった。例えば,現在,韓国では自殺者が年間1万人を越え,自殺率は世界一である。また事件発生率は,世界第二位で,離婚率も世界第三位となっている。

 金大中政権の経済政策の中では,信用カード(クレジットカード)の発行を促進し普及した。クレジット支払い分を所得税控除の対象とするなどの利点をもうけ,更には路上で学生にまでカードの普及を図った結果,多くの一般市民が膨大な借金を抱えるようになり,多くのカード破産者を生み出すこととなった。現在,韓国の家庭は借金漬けとなっており,企業も同様である。借金の総額を数字で示せば,一般家計450兆ウォン,企業800兆ウォン,農村地区250兆ウォンなどとなっている。そうした経済困難を背景にした自殺者が増えているのである。

 また,金大中政権の太陽政策(宥和政策)によって国民に対する情報面の偏向があらわれた。当時,政権の息のかかったトップ人事配置によってKBS,MBCなど三つの放送局を掌握し,北朝鮮に対する見方などを政権の思う方向(親北感情)に仕向けていった。また,小学校の教科書などから北朝鮮の悪い面の記述を削除するようになり,マイナスの情報を知らせないような教育が進められた。さらに,全国教職員組合が結成されて,こうした親北教育を助長させた。

(2)盧武鉉政権の誕生と保革対立

 先述したように,IMF構造改革の結果,経済のV字型回復をなしとげ,その後もマクロ的には中国関連輸出が堅調で,それが経済全体をリードしてはいるものの,内需は全く振るわない状況にある。そうした経済苦境が庶民の生活を直撃して,失業者の増加,自殺者の増加などの現象となって表れた。

 そのような中,ハンナラ党が大企業(財閥)から大統領選挙資金をもらったことが暴露された。政治家など過去の指導者は,みな金にまみれてしまって精神的に腐敗しており,そのような保守政権の腐敗によっていまの経済苦境がもたらされたものと多くの国民が思わされるようになった。その結果,ハンナラ党(保守系)は,過去の政経癒着,権力との癒着・腐敗の元凶だというイメージが国民に定着してしまった。

 そうしたことが選挙に大きく影響して,2002年12月の大統領選挙では保守系の李会昌候補を破って盧武鉉氏が当選し,翌年2月から政権運営をスタートさせた。その後,紆余曲折があり一時大統領弾劾訴追を受けたものの復権した。また本年(04年)4月に行なわれた第17回総選挙では386世代の人々が大量に当選し,世代交代をなして国会の保革構図が逆転してしまった。大統領周辺にも彼らが多数配置されて,盧武鉉大統領の意向通りの政策が進められやすくなった。

 それでは,盧政権はどのような方向に行こうとしているのか。反保守を基調とする盧武鉉大統領は,新政権の国政課題として,@地方分権,A国家均衡発展,B新行政首都建設,C東北アジア経済中心国化の4つを提示した。これらはみな関連しており,長期的課題として推進している。こうした長期課題を遂行するためには,何よりも現政権を永久的に維持することが先決問題であると考えられている。そのためには超法規的な革命的政治手法の行使も不可欠としているようである。

 経済発展とともに,ソウル(首都圏)と地方の貧富の格差が大きくなった。人口比でも首都圏に全人口の47%が集中するという世界に類例のない人口の遍在性を示している。そのため新行政首都を建設して現在の首都機能を分離し,地方の均衡発展を図って貧富の格差を解消しようとしている。また地方分権によって地域発展を自立的に進める。これらを推進するために,地方分権特別法,均衡発展特別法,新行政首都特別法を制定した。

 首都移転については,世論の70%近くが反対する中にありながらも移転先を忠清道に定め,新行政首都移転を強行しようとしている。忠清道に首都を移転することで現政権の選挙地盤である湖南圏の票に忠清道の票が加えられることになり,政権の永久維持が確実となるからである。これを必死になって押し進めるために,政治面で保守派の力を抑える目的で,「親日反民族行為真相糾明法」を制定し,過去にさかのぼって再調査を行うほか,更に「過去史真相糾明法」も制定,過去に民主化運動を弾圧した者たちを洗い出し断罪することで保守勢力の根を絶やそうとやっきになっている。新首都はかつての百済の都であり,ここへ新首都を移転した後,跡地のソウルには経済を集中させ,東北アジアの経済中心にしたいと企図している。つまり,現在のソウルは,経済の中心にするという政経分離の発想である。

 さらに韓国を東北アジアの物流などの中心地とするためには,どうしても北朝鮮を経由しなければ中国・ロシアなど大陸につながらない。そのためには,宥和政策によって南北関係をよくしていく必要がある。そこでこれまで北からの工作員の浸透活動を阻止してきた「国家保安法」の廃止まで断行しようとしている。これに対して保守側は、「国家保安法」の撤廃は韓国の国家消滅をもたらすと激しく抵抗している。

(3)経済苦境脱出としての南北統一

 盧武鉉政権発足後,経済成長よりも所得の分配や再分配を優先視し,労働陣営重視のポピュリズム的政策が推進されているので,企業意欲が減退し,産業の国際競争力も低下している。失業問題や社会セーフティ・ネットの整備問題も一向に解決されないでいる。このような経済苦境から脱出する一つの方向性として,盧武鉉政権の一部支持者たちは「南北統一」と親北・反米路線を掲げ積極的に推進しようとしている。南北統一がなされれば,経済も発展し,すべてがうまくいくだろうと漠然と考えている。

 その際に問題になるのが,韓国の政権および大韓民国の正統性である。大韓民国は,植民地時代に日本の行政職についた者たち(テクノクラート)がそのまま受け継いで立てた国であり,日本の手先による国づくりであったと考える。さらに,米国の影響を強く受けている韓国は米国の手先,帝国主義米国の手先と認識する。ところが,北朝鮮は過去日本帝国主義時代に,抗日運動,民族独立をリードしたとされる金日成によって作られた国であり,むしろそちらの方に正統性があるということになる。南北統一は,正統性のある勢力によって進めるべきだと考える。韓国の保守勢力は,このような構図の中では,まさに米国や日本の手先,反民族のサイドに立つということになる。このような考え方が流布された。今後3年後の次の大統領選挙までこの考えを広め,権力を維持しながら長期的課題として統一を進めていく。

 その政策の一環として,現政権は現在,国家保安法の廃止に向けて進めているが,それに対して元老政治家・指導者たち1500余名(国務総理,国会議長,国会議員,行政官僚経験者等)が時局宣言文と決議文を発表して反対のデモを行った(9月9日)。ところが,このようなできごとをマスコミは一部を除いてほとんど無視して報道しない。このような状況下では,いくら保守派が反対しても,最終的には同法案は通過してしまう可能性が高い。そうなると,北の工作員がはびこるようになり,最終的には南が北に吸収されるのではないかと保守派の人々は危機感を強めている。ただ,盧武鉉政権の人々も北に吸収されるとまでは考えていないのかもしれない。ある意味では,かなり楽観的な見方といえる。しかし,果たしてそのような楽観論だけでうまくいくだろうか。

 そして,北朝鮮ともうまく協力していけば,東アジア共同体構想もうまくいくだろうと信じている。もちろん,北朝鮮が変わってくれれば盧政権の思惑通りにいくかも知れないが,北の民族統一戦線戦略はあくまでも赤化革命統一である。しかし,北朝鮮が変わらないこともあり得るわけで,そこに南北問題の困難さがある。その一方で,現実にも北朝鮮は変わらない状況にありながら,南はどんどんと変化を遂げている。在韓米軍の撤退要求,国家保安法を撤廃するなど,積極的にその政策を推進している。

3.最後に

 このような状況下にある韓国であるが,今後の日韓関係はどうなるのか。

 最近では,「冬ソナ」ブームを始め,アニメ,映画の共同制作,大衆文化の交流など文化面では広範囲に相互交流と相互理解が進展しており,これらはいい兆候と言える。将来,東北アジア地域の相互協力関係はどうしても成功させなければならなし,そうしたいと思う。特に,朝鮮半島の統一は一方が他方に吸収される形ではなく,北朝鮮も変わって民族が相互に助け合いながら協力し合い,時間をかけて一つにしていくことが望ましい。そうすれば国際関係にもいい影響を与え,平和な国・地域の形成へとつながるであろう。

 そのためには,まず韓国内部の葛藤が早く収まっていい方向にいくことが必要である。そのためには,現政権はあくまでも憲法に基づく法治国家のルールを厳守し,民主主義の模範を示す政治をするように努めなければならない。放送局を手中に収め,官製市民運動を組織・操作するなどの左翼革命手法的政治のやり方などは極力排除されていくべきである。むしろ成熟した民主主義の政治をやることで政権の永続が可能となるであろう。日本もできることがあれば,必要に応じて協力をする。時には日本にとって困る場合もあるであろうが,忍耐強く文化面の協力などを中心として推し進める。例えば,韓国経済の苦境に対して資金,技術面などでこれまでと変わりなく協力して進めていく。そうして最終的には平和を実現する。

 東北アジア(中国東北三省―旧満州―地域,朝鮮半島,日本)は人口で3億人を越える圏を形成しており,それはEUにも匹敵する規模である。この圏域は労働力が豊富であり,市場規模も大きく,相互協力体制をもって地域共同体を形成すれば,世界平和に対しても非常に役に立つであろう。現在は,政治問題を始めさまざまな問題を抱えてはいるが,地域共同体形成に向けてあらゆる面で協力しながらそれらの課題を克服していく努力が必要である。(2004年9月11日)

注1 386世代
現在30代,80年代に大学に在籍し,60年代生まれの世代を指す。

注2 IMF(International Monetary Fund)
国際通貨基金。第二次大戦後の国際通貨・金融制度の安定を図るため1944年のIMF協定に基づいて翌年12月発足したブレトン・ウッズ機構の一つ。国際収支が不調となった加盟国は,各加盟国が出資した共同の為替資金からこれを是正するための借入ができる。最高機関は総会で,年1回開かれる。事務局はワシントン。[有斐閣『経済辞典』第3版より引用]

注3 ワシントン・コンセンサス
1980年代末に,IMF,世界銀行,米国政府,シンクタンクの要人がワシントンDCに集まり,冷戦後の世界経済のあるべき姿を模索し検討を重ねた。90年代に入り,一つの合意に達したが,それを「ワシントン・コンセンサス」という。その主たるテーマは,開発途上国の扱いであり,この合意内容は次の8項目からなっていた。財産権の保護,政府の規制緩和,政府予算の削減,資本市場の自由化,為替市場の開放,関税の引き下げ,基幹産業の民営化,外国資本による国内優良企業の合併・買収の許可。これらの個々の政策は,一括して構造調整(structure adjustment)と呼ばれ,世界各地,諸国で経済問題が発生したとき,IMFや世界銀行が対処する際の処方箋とされた。