なぜ,構造改革は進まないのか
―改革を拒む官僚主義―

名城大学特任教授,元参議院議員   牛嶋  正

1.はしがき

 「聖域なき構造か改革」を前面にかかげて発足した小泉内閣であるが,3年を経過した現在,構造改革に対するはじめの勢いは次第に失われ,いずれの改革案も当初のかけ声ほどには議論は進んでいない。また,すでに改革の終結を見たものについても,道路公団の民営化に見られるように,肝心のところで骨抜きにされる場合が多い。いま,進められている改革も遅々として進まず,その挙げ句,抵抗勢力との妥協が求められるケースが多そうである。

 この3年間の小泉政権を,「構造改革」という側面から見るとき,誰もがそれほど高い評価を与えることはできないようである。はじめに「聖域なき構造改革」を小泉内閣が打ち出したとき,多くの国民は,「日本経済の立ち直りのためには,構造改革は避けて通れない」として,また,「構造改革こそ,戦後ずっとつづいてきた官主導の体制を打ち破るもの」として,小泉内閣を支持してきたが,この人々も,こと構造改革に関しては評価はそれほど高くはないようである。

 日本経済の先行きに明るさが見られるようになってきたいま,「なぜ,構造改革は進まないのか」を考えることは,日本経済の再生を本物にしていく上でも意義のあることと思われる。

 このような議論を進める場合,一般論はあまり意味はないと思われることから,いま,進められている構造改革から主要な改革案を三つを取り出し,これらの改革についてこれまでの経緯を振り返り,この改革にとってなにが障害かを明らかにしながら,構造改革の推進を望む立場から,今後の改革の進めかたに対して若干の提言を行っていくことにする。

 ここで取り扱う三つの構造改革は,次のとおりである。

(1)国と地方の財政制度に関する改革,いわゆる「三位一体改革」

 各個人に等しく与えられた24時間という生活時間の中で,自由時間が長くなるにつれて,地域社会で過ごす時間も長くなってきた。それだけに人々の自分の住む街に対する関心も強まってきたといえる。これに対して,行政側はいままで以上に,「まちづくり」に当たって住民の意向を取り入れていかなければならない。これまでのように,必要な財源の確保のために,住民の意向を無視して,国の意向に従うという姿勢は取り難くなってきた。

 地域住民の意向に沿った「まちづくり」を進めるための前提として,1)自主財源の確保,2)地域間格差の容認が求められる。この前提を用意するため,現行の国と地方の財政制度について抜本的改革が必要となるが,それを同時に進めようとしているのが,三位一体改革である。

(2)年金制度に対する抜本改革

 今国会で成立を見た年金改革法案は,賦課方式を基本とする現行制度の延命のためのものであって,抜本改革ではない。これによって国民の年金制度に対する不信を取り除くことはできず,上昇し続けている国民年金の保険料の未納率は,社会保険庁がいくら努力しても抑えられないだろう。

 この状態を放置すれば,不信は国民年金にとどまらず,厚生年金,さらには医療保険,介護保険にも影響が及び,わが国の社会保障制度の基盤をなす,保険制度そのものを崩すことになりかねない。その場合,多くの国民が将来に不安を抱き,社会の至るところでほころびや摩擦が生じ,不安定要因を増幅させることも想定される。このことを考える時,なぜ,小泉内閣は年金制度に対する抜本的改革を今すぐにでも始めないのか問われる。

(3)郵政事業の民営化

 郵政民営化に関しては,2003年4月1日にこれまの郵政事業庁が日本郵政公社に移行し,第一段階を終えた。いま2007年度を目途に郵政民営化を実現することを,小泉首相自らが公約として明言している。その意味では,郵政改革が最も順調にすすんでいるともいえる。しかし,これまでの経過は,多くの国営事業がたどってきた道筋であって,この後の民営化に向かっての道のりがこのまま順調に進むという保証はない。

 1980年代に,財政再建と関連して,国鉄・電電・専売の三公社が次々に民営化されていったが,これらの事業と郵政事業にはきわめて大きな違いがあり,このことが今後,郵政事業を民営化していく上で,大きな障害になるおそれがある。

 その違いは,上の三公社がいずれも鉄道,電気通信,たばこの専売という単一の事業であったのに対して,郵政事業はそのうちに郵便・郵貯・簡保という3事業を持つことである。しかも,これらの3事業が郵便局という全国ネットワークで一体化されているため,民営化にあたって3事業間で時間的ズレは許されないことからも,改革の難しさが予想される。この点を重視するとき,2007年の民営化の実現にも疑問が生まれる。

 以上の3つの「構造改革」を取りあげ,これまでの議論の状況と進捗状況を振り返りながら,今日のテーマである,「なぜ,構造改革は進まないのか」に,なんらかの答えを出したい。

2.三位一体論では改革は進まない

 (1)「衣食足りて,礼節を知る」と人々の生活
わが国は,1980年代を迎えてようやく成熟社会に移行したといわれている。そのことで最も大きく変化したのは,他ならず人々の生活態度であり,生活意識であった。その人々の生活の変化を表しているのが,「衣食足りて,礼節を知る」である。当時,「いまの生活で特に問題になることはない」とする中流意識を国民の90%のものが持っていたが,これは,「衣食足りて」 をそのまま表したものである。

 このことと関連して,問題になるのは「礼節を知る」をどのように受けとめるべきかである。いま,「衣食」と「礼節」を対比するとき,次のような捉え方ができるであろう。

■表1


衣食         礼節


物質的なもの     精神的なもの
目に見えるモノ    目に見えないモノ (サービス)
ハード            ソフト



 この対比で人々の生活の目標を見るとき,1980年代以前では家電製品を一つずつ揃え,自動車を持つことで生活水準の向上を実感し得たと考えられるが,「礼節を知る」段階では,精神的な充実を通して生活水準の向上を図ることから,さしあたって,何を目指すかも分からず戸惑いを感じたはずである。結局,これまでのように,まわりを見ながら,なにか新しいことをやるということで,健康食ブーム,グルメブーム,旅行ブーム,学習ブーム等を生み,挙げ句の果てが,バブルをもたらした。

 そして,バブルの崩壊とその後の長期停滞を経て,人々は「礼節を知る」について,いろいろなことを学ぶことになる。

 1)目に見えない目標に向かうとき,他と比べようがなく,つねに,自分が納得するものでなければならない。かくして,「横並び」志向は適用しない。

 2)目に見えない目標に向かうとき,毎日の生活のなかで自分自身でそれを確認していかねばならない。

 3)目に見えない目標に向かうとき,目標の実現より,目標に向かう過程が大切である。

 このような「礼節を知る」 に沿っての新しい生き方を,多くの人々が身につけるまでに,成熟社会を迎えてからほぼ10年以上かかったが,これによって,「横並び」志向が影を潜め,「独自性」ないしは「自主性」が強まっていった。ここで問題となるのは,このような人々の生活意識の変化に対応して,「まちづくり」がどのように変わっていったかである。

( 2 )「礼節を知る」段階での「まちづくり」

 都市ないし地域を,そこに住む人々の生活の「場」として捉えるとき,人々の生活意識の変化に伴って,「まちづくり」が新しい方向を目指すことは当然である。生活の「場」としての都市は,さらに,生活空間とそこで結ばれていく人間関係との2側面に区分される。このうち,生活空間は住居,生活道路,公園・広場,商店街,レクレーション施設,交通施設など,目に見える建物や構造物によって構成されるのに対して,生活空間での人々の活動を通じて結ばれていく人間関係は,目に見えないモノである。ちょうど,「衣食」と生活空間,「礼節」と人間関係が対比することになる。

 当然,成熟社会を迎える以前の「まちづくり」では,目に見える生活空間の強化に力を入れてきたことになる。そして,この「まちづくり」は,「衣食足りて」を目指して生活してきた人々の生活目標とも一致した。しかし,1980年代に入って「衣食足りて,礼節を知る」段階を迎え,人々の生活意識に変化が見られ,より精神的な充実を目指すようになるとき,「まちづくり」の方もそれにあわせて人間関係の強化の方に重点を移していかざるをえない。ただ,人間関係が外からは見ることができないだけに,「まちづくり」も生活空間の強化のようには進まないことが想定される。

( 3 )人間関係の3形態と「まちづくり」

 人間関係はいずれの社会でも存在し,社会そのものともいえる。勿論,生活の単位としての家族においても人間関係は結ばれている。ただ,「まちづくり」の関係でいえば,地域社会での人間関係が問題になることから,ここではそこに限定して,人間関係を見ていこう。

 いま,地域社会における人間関係をその媒体にもとづいて分類するとき,

 1)地縁・血縁

 2)共通の価値観に基づく人間関係

 3)対人サービスを介しての人間関係

 に3区分されるが,行政はいずれの人間関係とも,直接,それに関与することはない。たとえば,2)の共通の価値観にもとづく人間関係では,そこで行われるさまざまな文化活動やボランテイア活動の「場」を用意するという形で,行政は関係を持つだけである。しかし,このことを通じて,行政が関係を持つ住民の数はそれほど多くはない。

 これに対して,対人サービスを媒体として形成される人間関係は,対人サービスの選び方によっては,地域住民全体をカバーすることも想定される。例えば,医療サービス,介護サービス,教育,学習,健康指導等を想定するとき,これを媒介に形成されていく人間関係は地域社会全体に及ぶ。ただ,この種の人間関係の強化に行政が関わるとしても,その仕方には共通のマニュアルがあるわけでなく,個々の都市において,行政側に独自の展開が求められる。ここにこれからの「まちづくり」の難しさがある。

 ここで,三位一体改革の議論に移る前に,上の議論を踏まえて,先に「衣食」と「礼節」の対比にならって,成熟社会を迎える「以前」と「以後」の「まちづくり」を比較しておこう。

 ■表2


以前                以降


生活空間の強化      人間関係の重視
画一的=個性の喪失  独自性=個性の回復
地域格差の是正      地域格差の容認



(4)成熟社会以降の「まちづくり」と三位一体改革

 いま,三位一体改革の名の下で取りあげられている,1)国と地方の税体系,とくに,財源配分,2)国庫支出金制度,および,3)地方交付税制度は,成熟社会以前における「まちづくり」にとっては,最も適合した国と地方の財政関係を与えてきたといえる。その時の国の立場は,「国民がどの地域,どの都市で生活していても,ほぼ同じような生活が送れるように,それぞれの地域の生活空間を整備する」 ことを目指していた。したがって,この国の方向づけは,個々の地域ないしは都市での「まちづくり」の目標と一致した。その意味で,これまでの国と地方の財政制度は,成熟社会以前の「まちづくり」 に適合した制度であったといえる。しかし,この制度がそのまま成熟社会以降の「まちづくり」にも適合するとは限らない。ここに三位一体改革を進める理由がある。

 しかし,実際は,三位一体改革はかけ声ばかりでほとんど進んでいない。関係各省庁が互いに牽制しあって,むしろ,「三竦み改革」の様相を呈している。今日のテーマである「なぜ,構造改革は進まないのか」にもとづいて,その原因を見るとき,次の3点が指摘される。

 1)「礼節を知る」段階での「まちづくり」 を進める上で,どのような財政制度が必要かが,まだ,明確にされていない。国の方では,人間関係重視の「まちづくり」がどのようなものかもわかっていない。

 2)これまで自分たちが造り守ってきた現行制度は,自分たちの代でつぶしたくないという,官僚に共通の「責任感(?)」がある。例えば,戦後,50年間にわたって維持してきた,地方交付税制度についての総務省(旧自治省)の担当者の思いは強い。

 3)財源の地方への移譲を担当する財務省,地方交付税制度の見直しを行う総務省,補助金の削減に関連する各省庁が,自分の省庁の不利にならないように互いに牽制しあって,改革が改革にならない。

 このうち,2)と3)はいわゆる官僚主義にもとづくものであるが,三位一体改革を妨げる最大の要因は1)にあり,とくに,国は成熟社会以降の「まちづくり」について考えようともしないし,知ろうとしないところがある。そのため,まず,国から地方への税源移譲を先行させるべきである。

2.誰のための年金改革か

 (1)2つの未納問題
国民年金の未納率は年々上昇を続け,平成14年度は37%を超えてしまった。この数字は公的保険としては,制度の崩壊を意味する。もう一つの未納問題は,今国会の年金改革法案の審議中に起こった,議員の「年金未納・未加入ドミノ」現象である。この2つの未納問題は「過去」と「現在」の違いから直接関連はないが,国民の年金に対する不信を増幅させた点では,いずれの問題も看過できない。

 特に,議員の年金未納ドミノ現象では,国民は議員がどのような言い訳をしても,国民年金に対する軽視の態度をそこに見抜いて,一層不信を募らせたことは不幸なことである。そして,この2つの未納問題は,現行年金制度が基本におく賦課方式が,年金制度の成熟度の増大に伴って,どのような手当をしても破綻をきたすことに起因しているだけに,問題は深刻である。その意味では,
今国会で成立を見た年金改革法案は,問題の先延ばしに過ぎない。

 年金制度における賦課方式では,年金給付水準をその時の現役世代の平均所得の一定比率(現在58.9%)で決め,それにあわせて保険料が決定される。そのため,老後の生活保障を考えるとき,極めて安心できる制度といえる。では,なぜ,国民年金に対して国民の不信が募るのか。賦課方式では,制度の成熟度(年金受給者/被保険者×100%)の上昇に伴って,保険料は自動的に上昇を続けることになる。このことに気づくとき,被保険者は「いまの年金受給者が支払ってきた保険料率のことを考え,また,自分たちが年金を受け取るときの被保険者の負担する保険料のことを考えて,年金財政の破綻を想定する」ことになる。年金制度に対する不信はそこから生まれる。したがって,賦課方式を続ける限り,どのような年金改革を行っても不信が払拭されることはない。

 そして,この年金に対する不信の背景に,世代間の所得移転があり,それによって世代間扶助の精神が薄れていくことは不幸なことである。なぜなら,年金に限らず,公的保険の精神的支えは相互扶助にあるからである。

( 2 )年金制度の抜本改革の方向

 当然,年金改革のポイントは,賦課方式の放棄にあることはいうまでもない。このことから,年金制度の抜本改革の基本的方向を次の4点で示しておこう。

 1)基礎年金に一元化する

 2)年金給付は70 歳から

 3)「70歳までは現役」を制度化する

 4)公的扶助にもとづき財源は「税」で賄う

 この4点を基本にして,できるだけシンプルな制度を造るが,それが長く維持されていくためには,誰もが「長くなった老後をどう生きるか」 を真剣に考え,できるだけ早くから生活設計を立てることが前提となる。長寿は人類の願望ではあるが,誰もが長寿=幸せとならないことを自覚すべきであり,「生きることの苦しみ」 は何時の世代でもあり得ることを,いつも念頭に置く必要がある。

(3)年金の抜本改革を拒むもの

 改革の方向が明確であるのに,なぜ,抜本改革は進まないのか。これに対する国側の理由は,新しい制度に移行するとき,その経過過程ですべての被保険者をできるだけ公平に取り扱わねばならないが,年金改革の場合,その改革が抜本的になればなるだけそれは難しくなり,制度の連続性を保ちながら,手直し的改革を進めざるをえないというものである。しかし,これは官僚の「言い訳」に過ぎない。

 今国会で成立を見た年金改革案で,保険料の毎年の引き上げと給付水準の引き下げを決めているが,このために行われた計算量は膨大なものであったと考えられ,これを抜本改革に伴う経過措置に使えば,すべての被保険者に平等な取扱は十分に可能である。したがって,現行制度を維持していくことを優先させる,厚生労働省の官僚の後ろ向きの姿勢にこそ,抜本改革を遅らせる最大の
原因があるといえる。

 このような官僚の後ろ向きの姿勢は,官僚主義の一つであるが,年金制度に対する厚生労働省のいまの姿勢は度が過ぎているようである。なぜ,そうなったのかについては,現行の年金制度が造られた1970年代まで遡らねばならない。ここで,当時のわが国経済がいかに順調な発展をたどっていたかを見るため,現在の日本経済の状況といくつかの指標を使って比較しておこう。

■表3


                       1970年代         現在


GDP成長率       7〜8%            1%前後
インフレ率         3〜4%           ややマイナス
失業率             2.7%前後        5%前後
高齢化率          7%                16%



 このような数字からも,当時のわが国経済が他のどの国よりも優れた運営が行われていたことがうかがわれ,このことから,官僚組織全体が国の運営に強い自信を抱いていたことは十分に想像できる。この自信が,新しい制度を起こすとき,世界のどの国よりも優れた制度を造るように,官僚に仕向けたことは明らかである。このような官僚の姿勢も官僚主義の一つといえる。

 年金制度は,まず,必要な財源を税で賄うか,保険で賄うかの選択があり,このうち,保険が選ばれるとき,さらに,積立方式と賦課方式とに分かれる。当時のわが国の経済情勢から見て,厚生労働省が世界で最も優れた年金制度を造るために,保険=賦課方式を選んだのは,ある意味で当然の帰結であった。ただ,その場合,つくられた制度の持続性について,どのようなタイムスパンを考えていたかが問題となる。なぜなら,賦課方式では,年金給付額が現役世代の平均所得水準の一定割合で決定されることから,成長率とインフレ率がそのまま続く限り,年々年金給付額は増大することになり,いずれは自分の納めた保険料を超えて給付されることになる。そのときから,現役世代から高齢者の世代に対する所得移転が始まる。

 したがって,タイムスパンを長く設定し,その間に,高齢化率が2倍以上に上昇するとき,当時一人の高齢者を8人の現役世代の人々で支えていたとすれば,高齢化率の上昇によって,4人の現役世代の人々で支えなければならないから,単純に考えても保険料は2倍になることは明らかであった。このことからいえば,20年や30年のタイムスパンを考えれば,賦課方式は導入できなかったと思われる。当時の厚生省が敢えてこの方式を導入するにあたって,年金財政の再計算を5年置きに行うという措置を設け,取りあえずは,5年間のタイムスパンで制度を考えたのは,このためである。

 ここにも官僚組織がかかえている問題がある。すなわち,新しい制度を立ち挙げる場合の担当者は,自分がその部署にいる間のことをまず考えて,制度の立案を行うのであって,それ以上のタイムスパンは考えない。おそらく,現行の年金制度が導入されたときも,高齢化率の進展について目をつぶるために,財政再計算の制度を設けて,5年くらいのタイムスパンで仕組みを考えたと想定される。しかし,実際には高齢化の進展の速度は当時の予想を大きく上回り,年金制度の破綻を早めた。

 上で示した指標で見る限り,現行年金制度の基盤は完全に崩れてしまっているのであって,賦課方式を放棄する抜本改革以外年金制度を維持することは出来ないことは明白である。なぜ,労働厚生省はそれができないのか。ここに官僚組織のもう一つの欠陥がある。官僚主義とも呼ばれている官僚の行動を決定づける動機は,自分の属する部署が実績を重ね,その部署の社会への影響力を通じて,自分の存在感を高めていくことにある。したがって,自分の属する部局で造ってきた制度は,なにがあっても否定できないのである。それは,官僚主義の放棄に通ずるからである。今国会で成立を見た年金改革法案は,来年度の年金財政再計算に合わせたものであって,明らかに現行年金制度の延命を狙ったものである。したがって,抜本改革のための法案作りを官僚組織に委ねている政権では,抜本改革は進まないことは明白である。

3.郵政事業の民営化は順調に進んでいるのか

(1)三公社と日本郵政公社の違い

 郵政事業の民営化が,多くの構造改革の中で最も順調に進展しているように見えるが,その真偽を明らかにするのが,この節のテーマである。
国鉄,電電,専売の三公社が1980年代に次々に民営化され,それの後追いの形で,郵政事業の民営化が進んでいるので,そのような見方が強い。しかし,実際はどうなのかをみていくが,その前に,三公社民営化の経緯をたどっておこう。

 1)大蔵省専売局―日本専売公社(1949)―日本たばこ株式会社(1985)

 2)運輸省鉄道総局―日本国有鉄道(1949)―JR(1987)

 3)電気通信省―日本電信電話公社(1952)―NTT(1985)

 4)郵政省―総務省郵政事業庁(1999)―日本郵政公社(2003)―民営化(2007)(予定)

 このような経過にもとづいて,郵政事業と三公社を比較するとき,いくつかの相違点が見られる。その一は,三公社とも国直営から公社に移行して民営化まで30年以上の年月がかかっているのに,郵政事業の場合,小泉首相が公約しているように2007年に民営化が進むとき,直営から公社に移行してから僅かに4年で民営化することになる。しかも,1980年代の三公社の民営化は世界的な潮流の中で進められた経緯がある。

 もう一つの相違点は,戦後,直ぐに三公社五現業の体制ができたとき,なぜ,郵政事業が公社に移行せず,現業として残ったかである。この理由として,郵政事業がそのうちに郵便・郵貯・簡保の3事業をかかえていたことが大きい。このうち,郵便事業は電信電話事業に近かったから,これだけを切りはして公社化に進むことはできたと思われるが,当時, 3事業を切り離すことよりも,切り離すことのできない理由の方が大きかった。それは,全国に2万カ所以上存在する郵便局であった。すなわち,各郵便局では郵便・郵貯・簡保の3事業が共通の窓口で一体的に行われており,切り離しが難しかった。

(2)日本郵政公社の設立

 では,なぜ,2003年になって公社化が実現することになるのか。これについては,次の二つの理由が設定される。その一つは,1999年の中央省庁の再編によって,郵政省が自治省・総務庁と統合されて,総務省になったが,そのとき,郵政3事業が郵政事業庁にまとめられて,形の上で一体化したことが挙げられる。郵政省では,3事業が三つの事業部に分かれていたのであるから,郵政事業庁としてまとめられることで,名称の変更だけで公社に移行できる状況がつくられた。

 その二は,現金自動振込引出機のオンライン化によって,郵便局のネットワーク化が完成し,郵便局を通じて,郵政3事業の結びつきが強化されたことである。おそらく,利用者の方も郵便局を訪ねるとき,3事業が一体であることを認識している。

 しかし,郵政3事業の事業内容を見るとき,3事業の一体性を強めてきたことが,民営化を進める上で,むしろ,障害になることが想定される。言い換えれば,公社化までは順調にきたが,ここからの民営化にあたっては4年という時間がいかにも短すぎると考えられる。

(3)郵政事業民営化の障害

 多分,郵便事業だけを取りあげるとすれば,電電公社の場合と同じように,民営化は比較的円滑に進むとみなされる。これに対して,郵便貯金および簡易保険はその事業内容もそれがおかれている市場の環境も,郵便事業とは異なるのである。とくに,市場環境についていえば,民間の銀行・保険会社が多数存在しており,郵政事業はその補完的役割を担ってきたという事情がある。
郵貯・簡保の属する金融市場は,資金の需給の背景に信用が存在しなければならないことから,市場原理に完全に委ねることが難しいという特徴がある。そして,信用の確保の上で,これまで実績を重ねてきた郵貯・簡保が果たしている役割をある程度評価するとすれば,両事業については,郵便事業より民営化が遅れてもやむを得ないという考えが生まれる。そして,その時期は,わが国の金融システム全体がより安定性を確保したときである。

 もし,小泉政権が2007年の郵政事業の民営化を3事業同時進行させようとすれば,上で見てきた,郵便と郵貯・簡保の事業内容の違いが,郵政事業改革にとって大きな障害となる。しかし,郵便事業の民営化だけを優先させるという進め方に対しても,難しい問題がいくつか想定される。

 その一つは,せっかく全国のネットワークが確立した郵便局の一体的活用に混乱をもたらすことは必至であり,この混乱を避けようとすれば,3事業が同時に民営化することである。

 その二は,郵政省時代から培われてきた「郵政ファミリー」といわれてきた,他の省庁には見られない,省内のまとまりである。郵政省時代に本省の各部局と個々の郵便局との間に,官僚主義的な関係は若干見られたが,3事業という現業を通してのまとまりの方が強かった。この雰囲気はいまの郵政公社にもそのまま受け継がれており,それだけに,民営化に進むとき,3事業が同時ということを強く求める。

 かくして,3郵政事業の同時民営化を進めるとすれば,その時期は,小泉政権の公約である2007年よりかなり遅れることになるだろう。以上,3つの構造改革について,それを拒む理由に検討を加えてきたが,これらの議論を通じていえることは,「構造改革が進まない」最大の理由は,いずれの構造改革も国民の目線に合わせて進められていないことである。(2004年6月26日発表)