豊かさを測る新指標GPIの提唱

 

NPO法人フューチャー500理事長/元三菱電機鰹務取締  木内 孝

1.はじめに

 現在日本は,米国に次ぐ「世界第二の経済大国」といわれる。しかし,一人当たりのGDP値に換算すると日本は世界第6位(2002年度)となる。しかも,近年は自殺者が毎年3万人を超え,犯罪・事件が多発し生活の「安全」が脅かされる社会となった。日々信じられないこと,あってはならないことが次々と起こり,「不安」がキーワードの国となってしまった。

 このような中にあってもGDPという指標で国の豊かさを測り続け,未来社会を展望していってよいものだろうか。いまでも市場システムを通過すれば何でも解決するというような自由放任型資本主義がまるで宗教のように信じられている。しかし,いまや近代工業時代を超えて「持続可能な」新しい社会を構築していく時を迎えた。そのためには,その基礎になってきた経済学の根本を考え直すことも必要であろう。「経済学とは本来,人間の欲望をいかにして抑制するかを学ぶ学問である」と言った父の言葉を思い出す。

 そこで国の豊かさにおけるGDP値とわれわれの生活実感とのずれを克服し,真の豊かさとは何かを考え,その上でそれを示す新指標として「GPI」という概念を紹介したい。それによって永年無反省に続いているGDP偏重の文化と世論に新風を吹き込みたい。

2.GDP偏重の文化

(1)「消費=美徳」は誤り
 これまでのわれわれの常識となっている考え方を点検してみたい。1998年6月に米国・シアトルで開催された米国エネルギー庁の年次総会で私は基調講演を行い,そのとき現在われわれが犯している次の「6つの誤り」を指摘した。

 @成長しろ,拡大しろ,ほしがれ,つくれ,稼げ,競争して倒せ,消費しろ,使い果たせ,捨てろ,消費は美徳:資源も環境の容量も有限である。必要性を考慮したうえでの生産と消費,十分な配慮をしたあとの廃棄を考えたい。

 Aお金,モノへの努力の集中・執着:幸せと満足感はどうやって得られるか。お金やモノの問題ではない。

 B科学と技術の過大評価:やってよいことと悪いことの分別が大切。取り返しがつかないことを危惧する。

 C値段を決めるときのコスト計算方法:潜在するコストを誰が払うのか。野放図な先送り,次世代へのツケは許されない。

 DGDPのなかみ:工業力を測る尺度で生活水準は測れない。モノとサービスの総量より大切なことが人生にとっても大切だ。

 E数の論理に立つ民主主義:愚かな政治家とメディアに惑わされる市民の多数決で法律ができていいのか。

 この6つの中で,ここでは特に@が重要なポイントである。これまで米国をはじめ,日本も物質的な豊かさを中心とした経済至上主義,拡大主義,物質文明によって国が導かれてきた。しかし,今日その問題点がはっきりと露呈し見直しを迫られている。

 例えば,多くの人は「会社は常に拡大・成長しなければ持続することができない」と信じている。一つの会社を立ち上げて経営に成功し,60歳または65歳で引退した「名経営者」といわれる人が多くいるが,一方身を引く時期を逸し,ひたすら拡大を続け惨めな結果になっている例が如何に多いか。

 9・11事件が発生したときに,日本人は二つのことにしか興味を示さなかったという。一つは,「何人の日本人が犠牲になったか」であり,もう一つは「テロの経済的影響は何か」である。このように目に見えるものにしか関心を示さなくなってしまった日本人である。

 一般に米国こそ「消費は美徳」という考えが社会を支配していると日本では思われているようだが,米国のメインストリームは確実に変わってきている。善良な米国市民の多くはそう思っていない。先に紹介した米国エネルギー庁年次総会の私の講演の直後にも,数人の米国人女性が寄ってきて,「あなたの言うとおりだ。消費は美徳ではない。米国政府が日本の政府や国民に消費水準を上げよと圧力をかけるのは間違っている。それは申し訳ないことだ。節約を訴える政治リーダーが出てきてほしい」と訴えた。ところが,そのような米国市民の生の声は日本にいると全く伝わってこない。

 それを変えていくためには,まず政府・官僚・大企業が国民・消費者を支配する構造から,逆の構造へと転換させていく必要がある。大企業などは国民・消費者にものを提供することはできるが,彼らが買いたいと思わない限りは,商売は成立しないことをよく知ってほしい。商品を作り提供する側とそれを消費する国民・消費者側とが相互作用するときに初めて成り立つ。それゆえ消費者側も企業などのいいなりになる必要はない。国民・消費者側は主人公意識をもち,「自分たちがキャスティングボート」を握っていることをはっきり自覚する社会にしてゆきたい。いまは作る人(メーカー)の指示で右往左往する世の中になっている。

 また,日本の伝統精神である「もったいない」「ありがたい」という思想をもっと大事にして現代に活かし,生活の中に取り込んでいくことも重要である。18世紀末以降の江戸の町は当時の世界の中でエコロジカル・シティーであったといわれるが(注1),その後も戦前までの日本には一種の循環型社会が形成されていた。今でこそ,官民あげて「循環型社会」を叫んでいるが,それは日本の伝統の中に既にあったのである。そのような伝統は単に知識として知るだけではなく,体験を通して「悟」らなければ分からない。さらには「道(どう)」として高めていってこそ本物になるに違いない。

(2)GDPの問題点
 世界の国々の豊かさを測る尺度の一つとして,現在GDP(国内総生産,注2)がよく用いられる。日本では以前「国民総生産」GNPを用いていた。この概念は,1938年に米国の経済学者サイモン・クズネッツ(1901-85)が米国とドイツの工業力を比較する目的で考案した指標が基礎となっている。日本では,1948年からGNP値が公表されるようになり,1993年からGDPに切り替えられた(なお,国連は68年の国民勘定体系[SNA]の改訂以降GDPを中心概念とみなしてきた)。GDPは,GNPから海外からの純所得を差し引いた金額で,GDPはGNPの約99%値となっている。

 GDPの考え方の基本は,国の豊かさを製品(products)でもって測定しようというところにある。サイモン・クズネッツが考案した当時であれば,米独が第二次世界大戦のときにどちらが優勢かを論じるのに物量を問題にするのはそれなりに意味のあったことであろうが,今日において通用する考え方ではない。実際彼自身,既に1943年には米国議会において「GNPといった形で推定された所得からは国の豊かさはほとんど推し量れない」と証言した。

 また,ロバート・ケネディー(1925-68)は1967年に,「GNPには大気汚染やタバコの広告,ハイウェーでの交通事故の負傷者を救うための救急車の出動も経済効果に入っている。扉に特殊な鍵を取り付ける費用も,それを壊して刑務所行きになる人の活動もGNPには含まれる。・・・・・・GNPにはカウントされないものが多い。私たちの家族の健康や教育のクオリティ,遊びを愉しむ喜びなどがそうだ。工場が整理整頓されていることや,道が安全であることにGNPは無関心だ。詩の美しさや公の場での討論会の知性,公務員の誠実性はGNPに含まれない。GNPは私たちの機智や勇気も,知恵や知識,国家に対する情熱や献身的な態度も測定しない。端的に言えば,GNPは私たちの人生に価値を与えるもの以外をすべて測定する」と述べた。(注3)

 ところでGDPは,市場を経由したモノとサービスが生産された金額を足した指標である。環境汚染対策費,犯罪や事故,都市化,家庭崩壊に伴う損失などの社会的マイナス要因であっても,市場を経由する経済活動であれば,すべてその国のGDPを押し上げるように作用し,あたかも経済が発展しているかのように錯覚させてしまう。例えば,イラク戦争や北朝鮮での列車爆発事故は深刻な環境汚染をもたらしながらも,GDPを押し上げる要因として換算されている。ライフ・ネーダーは「自動車事故が起これば,いつだってGNPは上昇する」と喝破した。他方,家事労働,子育て,奉仕活動などの市場を経由せずに社会にプラスとなる要因は一切考慮されない。これからますます重要度を増すこれらの要因を無視し,反対に数々のマイナス要因を加算するGDPの限界がここにあるといえる。

3.豊かさの新指標GPI

(1)GPI(真の進歩指標)とは
 われわれの「消費=美徳」の考え方を反省して真の豊かな社会を建設するために,一つの指標としてGPIを紹介したい。

 GPI(=Genuine Progress Indicator)[真の進歩指標]は,米国のリディファイニング・プログレス研究所が90年代半ばに開発した指標で,「GDPは成長を続けているが,豊かさと持続性の観点からは受け入れられない」との認識から考案された。GPIは,社会が持続可能な発展を目標にすることを出発点としており,現世代の欲求を満たしつつも,将来世代の可能性を脅かさない発展を指向するという,1987年の国連環境計画ブルントラント委員会報告書「われら共有の未来」の基本思想がその支えとなっている。われわれは地球の自然,天然資源を先祖から引き継いでいるのではなく,将来の世代から借りているという考え方である。

 2001年10月に,米国・リディファイニング・プログレス研究所のマイケル・ゲロプター氏(現所長)が来日しGPIについて語ったが,参考までにその要旨を紹介しておきたい。

 ・自然環境とは本来,資産である。

 ・経済成長には費用がかかり,よい成長と悪い成長とがある。

 ・GDPを指標に使っている限り,支出の増加による経済成長はすべてよいことと考えられ,費用・代価・犠牲・損害が見えない。

 ・好きで支払ったもの,いやいややむを得ず支払わざるを得なかったもの,人的資本や健康の損失,子育てによる付加価値,自然環境からの恩恵の損失―――考慮すべきことを網羅し,「真の進歩指標」を作成した。

 ・経済活動の失敗,過去の社会蓄積の衰退,社会や家庭におけるお金にならない付加価値,私たちは未来から資源を借りている・・・・・・伝統的な経済成長の測定方法から変えなければならない項目である。

 ・「私たちは何のために仕事をしているのか」「成長は何のためなのか」「誰がこの成長から利益を得ているのか」の問いに対して原点から考える必要がある。

(2)GPIの構成要素
 具体的にGPIは,下記の公式で導き出される。

 GPI=GDP−[市場を経由する社会的マイナス要因]+[市場を経由しない社会的プラス要因]

 先進諸国のGDPとGPIの関係をみると,どの国もGDPは右肩上がりで伸びているが,GPIは横ばいか逓減傾向となっている。GPIのピークは,米国1969年,ドイツ80年,オランダ・スウェーデン79年である。日本は1955年から2000年までにGDPは約8倍に増加したが,GPIでみると約4割増に過ぎず,半世紀近いスパンでみれば横ばいである。

 歴史的にみると,GNPが考案された1938年以降,その欠陥を補う形でいくつかの指標が編み出されてきた。主なものは,以下の通りである。

 @MEW(Measures of Economic Welfare):経済福祉尺度

 ANNW(New National Welfare):国民純福祉

 BSEEA(Integrated System of Environmental & Economic Accounting):環境・経済統合勘定

 CISEW(Index of Sustainable Economic Welfare):持続可能経済福祉指標
 次に,GPIの構成要素を列挙し,あわせてGDPそして上記3つの指標の対照表を示す。

 @個人消費支出:所得と持続可能な経済厚生の両方を折り込んだGPIは,個人消費支出からスタートする。公害や資源枯渇の費用(非生産自然資産の減耗・劣化額や環境防御費用)が減少すれば,GPIの上昇につながる。

 A所得配分指数,所得不平等調整後個人消費:所得分配の不平等が高まると社会全体が享受する経済厚生は減少する。

 B耐久消費財への支出,耐久消費財のサービス:前者は自動車,冷蔵庫,家具などの耐久消費財に支払われる金額(費用)で,後者は家計資本ストックとしての耐久消費財のサービスによる便益。過去に購入した耐久消費財によって年間に生み出されるサービスの価値もGPIに含まれる。

 C高速道路と街路のサービス:公共的に提供されるサービス価値は耐久消費財のサービスと同様,提供される物的資本の既存ストックの価値として計算される。公共サービスを生み出す物的資本として,GPIでは図書館,美術館なども含んでいる。

 Dボランティア活動の価値,無償で提供される家事労働と子育ての価値:市場を経由しないボランティア活動,家事・育児は,個人消費には含まれていないが,GIPでは推計して計上している。

 E経済活動によって生み出される負のサービス:騒音公害の費用,通勤に伴う費用,犯罪の費用,不完全雇用の費用(失業の費用も含む)余暇時間の費用

 F防御及び再生への支出:家計の環境汚染除去費用,自動車事故の費用,家庭崩壊の費用

 G純資本投資:生産財ストック(工場,機械,紙器)への純資本投資は,労働者一人当たり生産財の量を不変にするために必要な量を超えた生産財ストックの増分として計算される。

 H純対外借款・貸付:経済プロセスによって生み出される心理的所得を維持する国の長期的能力は,自然資本と物的資本が国内保有か,外国保有かに大きく左右されるため,この項目が含まれる。

 I犠牲にされた天然資本サービスの費用:水質汚濁の費用,大気汚染の費用,湿地の喪失,農地の喪失,再生不能資源の枯渇,オゾン層破壊の費用,原生林の喪失,長期の環境破壊

4.21世紀の未来社会に向けた新しい視点

 EUをはじめスウェーデン・デンマーク・オランダ・英国・ドイツのヨーロッパ諸国,およびシンガポール,ニュージーランドは,各々国家戦略(国のロードマップ)として20年ないし30年計画を作成し発表している。そこにおける国家の将来目標をGDPで表している国はないどころか,GDPは全く陰も形もない。例えば,ドイツとイギリスの国家総合戦略では,GPIで減算している構成要素,大気汚染や健康被害,犯罪などの都市化によるマイナスの経済活動について経済成長の変数から差し引くことを確認している。またEUでは,通勤や輸送量の増加はGDPに計算しないことを特記している。

 これまで行け行けドンドンの経済至上主義のもと,GDPをあげることにひたすら努力してきた日本社会であるが,その結果,豊かな国土(緑)と安全という財産を失い,「不安」がキーワードとなる社会になってしまった。このような社会にあっては,将来に希望をもつことはできないであろう。

 最近EUに新しく加盟した東欧の経済レベルのやや落ちる5カ国を欧州の136人と一緒にバスで歴訪する機会があった。そのときそれらの国の人々は「EUに加盟したら,自分たちの国のいいところが失われるのではないか。」と非常に心配していた。そこでそれぞれの国のいいところとは何かを議論した。一つの結論は‘land rich’ということであった。つまり,「われわれの国はきれいだ(美しい)。これがわれわれの財産である。」しかし,このように言う日本人はまずいない。日本人は‘money rich’になりさがってしまった。

 その意味で,真の豊かさとは何かをもう一度考えて実践する時を迎えた。欧米の動きの根底にあるものは,国民生活の豊かさと次世代につながる持続性とは表裏の関係にあるという認識である。きれいな環境,安定した気候,劣化しない自然環境,枯渇しない天然資源などがなければ,人間社会の持続可能性は約束されない上,われわれの豊かな暮らしも実現不可能である。

 このようなことから,従来のGDPというものさしと共に,GPIという生活実感を反映した指標を前面に出しながら両者を併用していくことを提唱したい。これをきっかけに,われわれの考え方自体を転換していくことが最も重要なことであると考える。日本にはEU諸国のような国のロードマップがなく,20年後,30年後の国の姿・ビジョンを描くことをしていない。今後日本も真の豊かさを考えて20年後の姿を描きながら,現実問題に対処していかなければならない。
(2004年6月22日)


注1 石川英輔,『大江戸えねるぎー事情』,講談社,1993

注2 国内総生産(Gross Domestic Product):経済全体の総産出額から,二重計算を避けるために,原材料その他の中間投入物の価値額を引いたもの。したがって,居住者である生産者すなわち国内に所在する企業,政府および対家計民間非営利団体の創り出した付加価値の総計である。(有斐閣,『経済辞典』第3版より引用)

注3 ノーマン・マイアーズ,『よみがえる企業―ガイアの創造―』たちばな出版,福島範昌訳,1999

<参考資料>
 日本のGPI研究グループ,「日本のGPI(真の進歩指標)の計測結果」,NPO法人フュチャー500,2003.9

 木内孝,「世界の環境行政と国家戦略(その3)」,『ファイナンス』,大蔵財務協会,2004年2月号,pp74-77

<参考>
 NPO法人フューチャー500:1995年に米国・コロラド州で設立された団体。地球環境を保護し,生命を守り,次世代に暮らしよい社会を残すことを目的とする。99年からは日本,中国でも活動を展開。http://www.future500japan.org/