子どもの心の発育過程
―母性・父性の役割―

旭川医科大学臨床指導教授 田下 昌明

 

1.現代の貧しい子育て環境

(1)親の教育力の低下
 私は一人の小児科医師として,近ごろ外来を訪れる母子に接するたびに,まるで子どもが子どもを育てているような印象を受けることが多くなった。例えば,子どもの服を脱がすことができない母親が少なくない。診察時に聴診器をあてるために,「お子さんの上半身を裸にしてください」というと,2歳の子どもに対して母親は「脱いでくれる?」「脱がせていい?」といった言い方をする。そこで子どもが脱ぐのを嫌がってしまうと,母親はどうしていいのかわからない。子育ての中で主導権をもって子どもを指導,教えてやるという姿勢がまったくなく,ただ一緒に(友だち関係のようにして)生きているという親子が実に多くなったように感じる。

 病気の子どもの治療に当たっては,医師,親,患者(子ども)の三者が一致協力して共通の「敵」である病気と立ち向かう。そのときの戦力,即ち「病気を治す力」について,私は以前,次の方程式を考えた。

 <病気を治す力>=<子どもの体力>×<親の教育方針>×<医師の能力>

 この方程式が足し算ではなく掛け算になっているのは,3つの変数のうちどれかが極端に弱い場合には,その結果(病気を治す力)はゼロに近づくことを示している。例えば,子どもの体力が免疫不全などによって弱い場合,あるいは親の教育方針が「医療ネグレクト」の場合(病気になっても医者に行かないなど),医師の誤診などである。
さらに,少年犯罪を生む力についても,同様の方程式を立てることができる。

 <少年犯罪を生む力>=<子どもの資質>+<親の育児方針>+<教師の方針>

 この場合は,結果がゼロにはならないので,足し算となっている。そして親の育児方針は子どもの社会性の発達に重大な役割を担っており,その結果が一瞬にして出たものが少年犯罪である。それ故,育児の過誤は少年犯罪を引き起こす原因になりうるといえる。

(2)さびしい子育て環境
 近年,子育てをする人の周囲にサポートする人が誰もいないことが,大きな問題として指摘されている。あらかじめ練習して子育てに入る人はまずいない。子育ての場合は,いきなり本番となる。それ故,若い両親が子育てにおいて迷ったり困ったりするのは当然のことといえる。しかし,かつてはそのような若い夫婦の周囲にいる人々,すなわち,祖父母や家族,近所の人や同級生,社会の人々などがみんなで支えあって子育てをサポートしていた。そこには大きな柱が1本立っていたと思う。

 戦前は,日本人という誇りがありそれが子育てを底辺で支えていた。ところが,極東国際軍事裁判によって日本の伝統・歴史・文化が全部否定されてしまい,子どもを何に照らして育てるのかという部分が欠如してしまった。自らの過去を全否定された祖父母の世代は,「育児に手を出して悪い子どもをつくったら大変だ」と考えた人々が約半分,もう半分は日教組の影響を受けた人たちで,「自分さえよければそれでいい。自分の趣味に生きよう」という考えであった。

 それでは,そのような祖父母の世代が若い夫婦に関わるときに,どのように接し,アドバイスすればよいのか。それにはまず子どもが,親に対してどのようなことを望んでいるのかについて知らなければならない。実は,子どもは親に対して,強い保護を求めているのであって,決して権利,自由を求めているのではない。それをほしがるのはもっと年がいってからである。

 また「嫁と姑とは絶対に仲良くならない」という統計があるように,なまじっかお互いに仲がよくて近い関係だとの幻想を抱くと却って嫁・姑の問題が起こる。少しでもよい状態になれればそれでよしとする中庸の考えが大切だ。そうすることで子育ての手伝い,孫へのアドバイスなどもしやすくなるというものである。

(3)生命の尊厳さとの出会いの欠如
 生命の尊厳に触れるチャンスがないという点も大きな問題である。第二子以降の子どもを産む場合に,お腹の大きくなったお母さんが身支度をして出て行き1週間もすると新しい赤ちゃんを連れて帰ってくるというのが現代のスタイルとなってしまった。これによって,生命の誕生の尊厳性について接する機会が失われ,その結果上の子が下の子を慈しむという心が育ちにくくなった。また,死についても同様で,このように生と死から遠ざかることによって,現代の子どもたちが生命をおろそかにするようになった。

 そこで私は自宅分娩と自宅臨終を勧めている。できれば孫の目の前で死んでほしいと思う。そうすることで孫は,おじいさんとの日々とを思い起こしながらその死に直面することになり,人間は年をとって死んで行くという自然の摂理を悟るのである。

 また私は,「子どもが4〜5歳になったら,『自分は老後に年をとって動けなくなるが,そのときおまえはどうするか』と子どもに聞いてくれ」と母親たちに話している。そうすると大半の子どもはどんと胸を叩いて,「大丈夫だよ。僕(私)が面倒をみてやるよ」と答える。親としては「本当におまえのような子どもが生まれてよかった」と本心から言ってやる。そのときにおじいちゃんやおばあちゃんが亡くなったときの記憶がある子どもとそうでない子どもとでは,自分の親に対する感覚が大きく違ってあらわれてくる。私たちが最後にできることは,孫の前で死ぬことである。

2.母性の重要性

(1)子育て三つの問いと胎教
 私は,親になったら次の子育てに関する三つの問いについて,常に真剣に考えなければならないと思っている。
@子どもはだれのものか。
A何のために子どもを育てるのか。
Bどんな大人になってほしいのか。
 この三つの問いに対する答えをしっかり出して子育てをしてほしいと思う。もちろん明快な答えはすぐには出ないかもしれないし,一つだけではなくいくつもの答えがあるかもしれない。しかし大事なことは,「常に真剣に考えている」という育児姿勢なのである。もしこの三つの問いに対して,何も考えることなく育児を続けると,途中の単なる飼育的育児技術だけがいくら上手であっても,その育児は意味がないもの,時には有害なものに終わる恐れがある。

 できればこの答えは,妊娠4カ月までに出してほしい。それはなぜか。4〜5カ月以降は,胎児に向かって育児方針を伝えなければならない時期だからである。妊娠5カ月以降は,お腹の中の胎児に向かって「お父さんも,お母さんもおまえが生まれるのを待っているよ。今日,こんなことがあったよ。楽しかったよ。」などと毎日語りかける。その結果は絶大な差となって現われてくる。

 妊娠4カ月になると胎児は,人間の体の全器官ができ上がる。そして5カ月までの間に聴覚,嗅覚,味覚,視覚,触覚などの全部の感覚器官が機能を始める。そうなるとお母さんのお腹の中にいても,外界との接触は十分可能なのである。

 例えば,胎児の口の近くに甘いものを針の先につけて刺してやるともっとほしいと反応する。渋いものや苦いものを与えると嫌がる反応を示す。胎児は臍の緒だけで生きていると考える人が多いと思うが,実はそうではない。胎児は一日360〜960cc程度羊水を飲んでいる。羊水を飲み栄養分を摂取するとともに,その中に排尿もしている。羊水からは1日につき約40カロリーのエネルギーを摂取している。

 産婦人科医の林義夫博士は,3000人の胎児を対象に音楽が聞こえるかどうかの検査を行った(注1)。母親が好きな音楽を聞かせた場合,その胎児は60%が喜んだ。外国の実験例では,胎児が好きな交響楽とそうでないものとがあることがわかった。嫌いなものの代表がベートーベンの交響曲。それを聞かせると胎児は足で子宮内を蹴るという。また米国ではベトナム戦争の映画を妊娠8カ月くらいの妊婦に見せたところ,胎児に蹴られて妊婦の肋骨が折れたという例もある。胎児は,強烈なロックとベートーベンは嫌いなようだ。胎児に喜ばれる交響曲はモーツァルト。その他の曲では,「マイウェイ」「シェルブールの雨傘」「愛情物語」などがある。また,「酒鬼薔薇聖斗」の母親は妊娠中ずっとホラー映画を見ていたという。

 胎児は周囲の全ての音をよく聞いている。テレビの音もよく聞いている。胎児が一番嫌がる音の一つが,人間の怒鳴り声。夫婦喧嘩は言うまでもない。例えば,ある5歳の子どもが突然母親に向かって「おばちゃんとけんかするの止めてね」といったという。その母親は,びっくりした。なぜなら,この子どもが生まれて以来そのおばちゃんとは会っていなかったのに,そんなことを言ったので驚いたのであった。実はその子どもは,おなかの中で二人の喧嘩を聞いていたのである。

 ちなみに,さきの三つの問いに対する私の答えを申し上げたい。
@「日本人の社会(祖先)からおまえのところに授けたもの。」それ故,「預ったものとしてしっかり育て,二十歳になったら社会に返してくれ。」ということになる。
A「日本の歴史,文化,伝統を健全な形で未来につなぎ継承する日本人にするため。」
B「法を守る心のやさしい日本国民になってほしい。」

(2)生後6カ月までの赤ちゃんの発育
 赤ちゃんが幼児となり,さらに学童へと身体が成長するにつれて,心も発育していくが,その過程には大きく三つの重要な段階がある。(注2)
第1段階:生後6カ月まで。幼児が,ある特定の人物(母親)をはっきり認識して,対人関係を確立する時期。「原信頼」の仕上げの時期である。
第2段階:3歳まで。いつも身近にいる相手としてたえず母親を必要とする時期。
第3段階:3歳以降。母親がそばにいなくても,母親との精神的関係が維持できる時期。
しかし,ここで重要なことは,赤ちゃん(子ども)の心の発育過程は,体重や身長とは違って,計量器械では測定できないということである。以下,順を追って発育過程について見てみよう。

 先ず赤ちゃんの目は,大人のように焦点を調節することができず,固定状態となっている。新生児の目の焦点距離は,20〜40cmの固定焦点になっており,この距離がちょうどお母さんが赤ちゃんを抱いて見つめる距離に一致している。特に,生後1時間までが非常に大事だといわれている。胎児は母親の胎内から外界に出ると,それまでの世界と外界がどのように違うかを見たい・知りたいの一心でその「不自由な目」で観察する。しかし1時間以上は緊張状態が維持できないために寝てしまう。それゆえ生後1時間までが,非常に大事なのに,これまでそれがおろそかにされてきた。原信頼はこの時に発生する。

 最近よく言われていることの一つに,「暴力なき出産」ということがある(注3)。胎児が産道に入って出てくるまでに約12時間かかる。そのとき今までずっと聞いてきた母親の心臓の鼓動が聞こえなくなるために,非常に不安な心理状態となって出てくる。家庭での自宅分娩ではなく病院出産となれば,そこ(分娩室)は非常に明るく多くの人(医療関係者など)がおり,いろいろな音が飛び交ううるさい状態に,新生児はまず置かれることになる。そして臍の緒を切られ,冷たい秤の上に置かれ体重を測定される。このように,それまでの環境とは全く違う状況に置かれると(非常に明るい,うるさい,冷たいなど),赤ちゃんは大変だ。それでこのようなやり方はやめようという動きが,フランスから始まった。旭川医科大では要望に応じてそのようなことに対応している。 

 また,赤ちゃんは生まれてすぐ泣くわけではない。黙って胎内から出てきて,まず息をする。臍帯は命綱であるので,私は「胎内から出てきたときにすぐ切るな」と主張している。それは出てきたときに何らかの理由で呼吸ができないことがあるが,そのときに臍帯を通して酸素を補給することができるからである。そうすれば呼吸なしでも酸素が補給されるので脳に障害が起こることを少しでも防ぐことができる。それをすぐ切ってしまうために,起こらなくてもいいはずの脳性小児麻痺が起こった可能性がある。

 私は,「新生児が生まれたら臍の緒を切らずに,そのまま母親の下腹部に乗せなさい」とも言っている。そうすると新生児は50分ぐらいかかって母親の上を這っていきお乳に辿り着く。そして母親の乳首に吸い付いたことがスイッチ・オンとなって,母親の体内にオキシトシンとプロラクチンというホルモンが出てくる。オキシトシン(筋肉を縮ませるホルモン)によって母親の子宮が縮まり,乳腺が縮まって乳が分泌される。実は,赤ちゃんは乳を吸うのではなくて湧き出てくる乳を飲むだけである。ここに母乳と人工栄養との違いがある。またプロラクチンというのは,お乳を製造することを誘発させるとともに,今まで以上に100倍も200倍も子どもに注意を向けなさいと誘導するホルモンである。

 次のような実験があった。50人の母親と生まれたばかりの新生児をそれぞれ隣の部屋に入れて,新生児が泣いたときにそれが自分の子かどうかが分かるかについて調べた。生後24時間で,60%の母親が自分の子を認知し,48時間後には,80%がわかったという。それはホルモン(プロラクチン)によって自分の子どもに対する注意力が鋭敏になり,泣き声が聞き分けられるようになったからである。それでプロラクチンを「愛情ホルモン」とも呼んでいる。このプロラクチンによって母親の集中力がぎゅーっと赤ちゃんに向かうことによって,母性愛が生物学的に自然発生的に生まれてくることになる。

 また母親と胎児の肌が接した瞬間に胎児の自分の体温を37℃前後に保つサーモスタットのスイッチ・オンになる。その理由はよくわかっていない。

 南米コロンビアのボゴタには,古くから伝承されてきた赤ちゃんの育て方に,裸の赤ちゃんを母親が裸で胸と胸とを合わせて抱きしめて育てるというやり方がある。あるとき同地の産婦人科病院で未熟児を養育するのに保育器が足らなくて,一つに数人を入れることになった。保育器は感染や病気から保護するためばかりではなく,新生児の体温が下がらないようにして一定に保つことが主たる目的である。そこで産婦人科医は,上述のような土着の育児法を思い起こして,1000gとか1700gの未熟児を母親の胸にあててみた。そうしたら1000gの未熟児が自分で体温をきちっと調節することができるようになった。これがきっかけとなって,欧米や日本にも伝わりこの方法が応用されるようになった。この方法は,「カンガルー・ケアー」と呼ばれている。

(3)インプリンティング(刷り込み)
 赤ちゃんは生まれて6週目ごろから,その赤ちゃんの人生において一番重要な時期,即ちインプリンティング(刷り込み)の時期に入る。この時期に,人間としての基本的な感情の表し方,人間としての基本的行動の仕方が,赤ちゃんの心に刷り込まれる。そして,インプリンティングの時期は,生後6カ月くらいで終了となる。だいたい人見知りが始まるころが終了の目安となる。つまり,自分と母親,それ以外の人の3者を見分けられることである。もちろん人見知りしない子もいるが,だいたいはそうなっている。

 ここで特に重要な点は,ひとたび刷り込まれたことは,後でやり直しがきかないということである。そして刷り込みそこなったからといって,それを後で埋め合わすこともできない。狼に育てられた子が人間に戻れなかったのはこのためである。

 インプリンティングがうまくいくためには,次の6つの動作が重要であるといわれている。
@母親が赤ちゃんに微笑みかけること。
A赤ちゃんが母親の乳頭に吸いつき,その乳を飲むこと。
B赤ちゃんが母親にしがみつくこと。
C母親の動きに,赤ちゃんが自分もついて行きたいと思うこと。
D母親が赤ちゃんに話しかけること。
E赤ちゃんが母親の顔を見つめること。

 このインプリンティングは,母親から子への一方通行によるコミュニケーションでなされるのではなく,母親の動作に赤ちゃんが反応し,赤ちゃんのしぐさに母親が応えるという,母親と赤ちゃんのやり取りの中で進行していく。この6つをしっかりやれば,「僕はお母さんの子である」「あなたは私の子である」という思いがしっかりと刻み込まれることになる。母親が赤ちゃんをしっかりと抱いてやればこの6つは自然となるようになっている。母子の一体感をつけるにはこの6つがどうしても必要になる。要するに「抱き癖」をつければよい。この時期に抱き癖をつけないと,後になってそれを取り戻すことは難しい。

 例えば,「醜いアヒルの子」という童話がある。しかしこのようなことは現実にはありえない話である。ヒナのときにアヒルだと刷り込まれたら,成長して体は白鳥の姿になっても自分はアヒルだと思っているので空を飛ぶことはできず,アヒルの行動をする。

 6つの動作のうち,Cが特に重要である。例えば,家の中のある部屋で主として子育てをした場合に,そこには何箇所か出入り口がある。ある出入り口から出て行ったときにはお母さんはどのくらいで帰ってくるといった予測を子どもがするようになる。それが子どもの時間認識のきっかけとなる。時間認識は子どもの知能の発達に大きく影響を与える。

 生後1年間乳児院で育てられた子どもは,例外なく知能も身体の発育も遅れる。数人の保母によって育てられるために誰が自分の母親なのか認識ができず,母子の一体感が発生しない。そのために「お母さんに早く帰ってきてほしい」といった心配をしなくなってしまう。その結果,時間概念の理解が進まず知能の発達に障害をきたすことになる。母親がいなくなって泣くということが,実は大事なのである。

(4)母子一体感の重要性
 6カ月を過ぎた時期における最大のポイントは,「抱っこ」にある。「抱っこ抱っこ」で育てていくと,そこに母子の一体感が強化されていく。一日最低4回は抱っこしなければならない。それではいつまで抱っこするのか。子どもが自発的に「もう抱っこしなくていいよ」と言うまでである。早い子で小学4年ごろ,遅い子でも中学1年。中学生でも抱っこしてほしい子は,抱っこをしてやらなければならない。抱っこが足りない子ほど,いつまでも抱っこしてほしい気持ちが残ったまま成長する。抱っこ,抱っこをしていって,自分から離れていくようになれば心配ない。

 そして,生きがい,善悪の判断の根拠がここから発生してくる。つまり,母子一体感によって「お母さんの喜ぶことはいいことであり,嫌がることは悪いこと」という認識が生まれ,それが善悪観のベース(善悪観の原始的型)を形成する。しつけは,善悪観が形成されればほぼ完成したといっても過言ではない。さらにはそれが生きがいにつながる。「生きがい」とは,「自分がいなくなったら,泣いたり困ったりする人がいるということを信ずること」である。

 同時に,自立心,独立心も形成される。それも根本は母子の一体感である。自立,独立とは,「○○からの自立,独立」である。○○がなければ,自立も独立も発生しない。一般にお母さんはぐじぐじと小言を言う。そこ(お母さんの縛り)から逃れようとするところから,自立心,独立心が育つ。その意味では,母親のぐじぐじ言うことは意味のある行為である。しかしお父さんがそうであってはいけない。そうであっては子どもの逃げ場がなくなってしまう。小学4〜5年ごろまでは,母親経由で父親の出番があるのであって,母親がしかったときには「そうだ,そうだ」という顔して,夫婦一体の姿勢を見せることが重要である。

 このようなわけなので,特に1歳未満の子どもを保育園に預けると,一日6〜8時間の空白が生じるので,その間母子一体になろうにもなれない。帰宅してからその分を挽回しようにも,親も疲れていて眠くてそれどころではない。その意味で,保育所などに子どもを預けることは母子の一体感の形成が阻害される可能性が大きい。保育園とは,極端な表現で言えば「育児の外注」である。本来育児の外注はできない。なぜなら,育児は労働でないからである。育児とは,親の人生の一部であり,子どもの人生の一部である。人生の一部を他の人に代わってもらうことはできない。

 また母子の関係は,空母と艦載機の関係に喩えられると思う。艦載機が出撃して使命を果たし戻ってきても,空母がいなければ着艦できない。そのまま飛んでいれば燃料切れになるかもしれない。「航空母艦」と「母」の字を入れて命名したところにも,日本語のもつ不思議さ・深奥さを感じる。

3.父親の役割

 前述した母性とは違い,父性愛は社会的に発生する性質のものであり,子どもが生まれたとたんに自然に生まれてはこない。生まれた子どもを認知した後に,父親としての自覚をする中で生まれてくる。

 父親としての役割の中で重要な点は,子どもが生きていくための二つの人生指標,すなわち「誰のようになりたいのか」「何に人生を賭けるのか」を,しっかりと立てさせることにある。また「日本の将来はどうなるのか」といったことについて,話題にしないようでは父親失格である。

 最近のお父さんは,あまりにも子どもと身近すぎてしまっているように思う。お父さんが何のためにいるのか分からないような世の中になってしまった。お父さんの偉さが分かるチャンスが少ない。それを立てなおすためには,どうしてもお父さんとの会話の中に,日本の将来のことが話題にならないといけない。何のために生きているのか答えられないといけない。人間は目的があって生きている。それを語り合うのが父親の役割である。

 特に戦後,そうした大義が否定されてしまい,人生の目標が「人に迷惑をかけないようにせよ」ということになった。ある行為を行った場合に,その行為が相手にとって迷惑かどうかという判断は,本来はされた人(行為の受け手)が決めることであって,する人(行為者)が決めることではない。しかし,「人に迷惑をかけない人になれ」となると,「自分が考えて人に迷惑でないと思えば何をやってもよい」ということにさえなってしまう。このような育児・教育目標は危険なことであり,やめてほしいと思う。

 子どもの教育に当たっては,具体的目標を掲げることが大切である。例えば,「学校に行く途中にゴミがあったら拾いましょう」など。しかし「明るい豊かな子どもにしましょう」というのでは,具体的な姿がはっきりしない。これまで日本ではそのようなスローガンを掲げることが多かった。また,立派な日本人にするためには,先ず親自身が日本の歴史・伝統・文化を知りそれを誇りに思わなければならない。それが,学校で習っていない(教えていない)まま親になっている。

 世の中には夫の役目はできても,父親の役目のできない男性がいる。特に少年犯罪の場合には,父親の出番・役割の欠如が指摘されている。例えば,新潟県で約9年間女性を監禁していた「女性監禁事件」の佐藤宣行被告の場合は,母子の一体感はあったのだろうが,父親60歳のころの子どもで,父親が言うべきこと,厳しさ,忍耐,公正さなどを教えることができなかったのだろう。結果的に母親は,子どもの許可なく2階に行くことができなかった。そして9年間も2階に女性がいたことを知らなかったと言う。しかし実際は知っていたのだがどうすることもできなかったのである。これは父親の父性の存在がなかった結果といえよう。

4.最後に

 近年,「母性の尊厳性」がもっともおろそかにされていると痛感している。政府の進める少子化対策は見当はずれのことが少なくない。お金をあげること(児童手当等)で果たして女性は子どもを産むようになるだろうか。そうではなくて,子どもを産んだことが誇りになり,世間から感謝されることがなければ,女性は子どもを産まないだろう。母性の尊厳を皆で盛り上げていかなければならない。子どもを産んで育てていくことがいかに大事かという価値観である。

 人類の歴史には多くの偉人が出てきたが,その中で「誰々の母」が数多く語られてきた。しかし,「誰々の父」ということはまず聞いたことがない。父親の立場を役者に例えてみると,育児を15年間のドラマと考えれば,母親は主演女優,子どもは助演となり,父親は舞台(床)である。舞台がしっかりしていれば役者はしっかりと役を演ずることができる。

 母性の尊厳,「お母さん,ありがとう!」,この一言に尽きる。これを回復していくためには,「日本大好き」でなければならない。そうでなければ子どもの教育はできないと思う。       (2003年10月27日発表)

参考文献

 デービッド・チェンバレン,『誕生を記憶する子どもたち』,片山陽子訳,春秋社,2002,原題Babies Remember Birth

注1 林義夫,『胎教ルネッサンス 命の芽生えから素晴らしい子育てへ』,中西出版,2002

注2 ジョン・ボウルビィ(John Bowlby)は,イギリスの精神分析医で,母子関係論について実証的研究を行い,「3歳児神話」の有力な根拠となった。彼の主な著書(邦語訳)には,『母と子のアタッチメントー心の安全基地』(医歯薬出版)『母子関係の理論1〜3』(岩崎学術出版社)『乳幼児の精神衛生』(岩崎学術出版社)『ボウルビィ母子関係入門』(星和書店)などがある。

注3 フレデリック・ルボワイエ,『暴力なき出産―バースサイコロジー子どもは誕生をおぼえている』,中川吉晴訳,星雲社,1991,原題Pour une Naissance sans Violence