創造科学の新しい研究理念
―〈創造―展開―統合〉の研究循環モデルの提案―

東北工業大学長 岩崎 俊一

 

1.はじめに

 日本はいま,社会全体のさまざまな分野において大きな変革の時期を迎えている。科学技術の分野をみても,これまで精度の高かった日本の科学技術に対する信頼を揺るがすようなさまざまな事故が近年多発している。例えば,「もんじゅ」を始めとする原子力関連の事故,宇宙ロケットの打ち上げ失敗,後を断たぬ大学病院での医療ミスなどが頻発し,科学技術に対する信頼を根底から揺さぶっている。この背景には,近年,基礎・応用・開発と一直線に研究を進めてきた近代科学技術がもたらしたゆがみがあるように思われる。

 私は,1992年以来日本学術会議会員として,さらには日本学術会議第3常置委員会委員長を務めながら,その中で機会あるたびに,科学技術の創造的な発展を進めるためには,研究者がこれまでの基礎研究・応用研究・開発研究という狭い分類に閉じこもることなく,目的の全体を見通した戦略的思考を持つことが必要だとの主張を行ってきた。

 その結論として,私は1999年秋の日本学術会議総会で,新しい知識や方法を見つける「創造モデル研究」,それを標準化し実用化する「展開モデル研究」,それを社会に正しく融合させる「統合モデル研究」の三つに分け,その間を繰り返し循環すべきだという新しい研究理念を提案した。

 そこで,ここではこうした考え方を展開しながら,あわせて15年余り東北工業大学長を務める中で,その理念を実践してきた意味で,具体的な取り組みを紹介したいと思う。

2.創造から統合へ

(1)「垂直磁気記録」研究からの教訓
 1995年4月,第16期日本学術会議の第121回総会において,従来の行われてきた一般的な分類である「基礎研究」と「応用研究」の間に新しい研究カテゴリーとして「戦略研究」(strategic research)を置くことが伊藤正男同会議会長(当時)から提案された。これによってそれまでの応用を意識しない基礎研究重視の方向性が改められ,実際に各省庁でも公募型研究プロジェクトが発足し,科学技術基本計画としての長期的政府投資の実施など一定の成果が得られた。

 しかしながら,こうした基礎研究,戦略研究,応用研究,開発研究という分類法にもいくつかの問題点が指摘されている。

 一つには,この分類は科学技術の分野には適用が容易であるが,人文系の分野には適用しにくいこと。二つ目には,基礎研究が進めば自然に応用研究が生まれ,それが結果的に優れた開発研究に直接的につながるという誤解を生みやすいこと,などである。
こうした問題点を克服し,わが国における学術研究の創造性を高めるために,私は「モデル転換論」に基づく新しい研究分類法を考えた。

 この発想の背景には,私がこれまでやってきた垂直磁気記録の研究を通して学んだことがある。研究活動の伝統的理念は,基礎研究→応用研究→開発研究というリニアーな研究モデルであるが,垂直磁気記録の研究はこのような単純な展開をたどらなかった。もちろん,それは従来の磁気記録方式(面内記録)の応用から始まったが,それを進めるうちに磁気記録の基礎に対する創造研究が必要になり,結果として新しい方式である垂直磁気記録に到達したのであった。そういう中で,次項(2)に紹介するような新しい研究循環モデルという理念にたどり着いたのであった。

 ところで,最近の産学連携に向けた大学界の動きを見ると,一生懸命その仕組みを作ろうとしているように見える。そのような仕組みなしでは産学連携ができないと思っているようだが,産学連携を目的に据えてやるのでは本末転倒である。そのようなやり方では,研究者の主体性が失われてしまいかねない。真理を探究するという研究者の主体性が先ずあって,その結果として産学連携がついてくるというものでなければならない。

 私は東北大学在職中から,既に産学連携につながることを(意識せずに自然体で)やってきた。昭和33年ごろのメタルテープの発明,昭和50年代には垂直磁気記録の発明などがあったが(表1),そこにはまず着想があり,次にそれに対する研究費がつき,さらに発展させるための組織をつくるという循環的流れがあることが分かる。それは自発的にやることが大事で,産学連携はそれを議論してやるべきものではなく,技術の真の発展を目指して淡々とやるものではないかと思う。当時は今と違って,産学連携に対して否定的な見方があり,罪悪視する人さえもいた。その中でも私は,将来必ず必要になるという信念のもとに仕事を進めていた。

 イノベーティブな仕事であれば,その発見(大学における創造)から世の中にでるまでに20年くらいの時間がかかる。それゆえ,むしろ長期間に亘って研究を持続できるかがより重要な点なのである。日本が世界から尊敬される国になるためには,どうすればいいかを常に考えながら研究に取り組むという姿勢が大切である。

(2)新しい研究理念
 この研究理念では,モデル研究は3つに分類され,それぞれのキーワードは次のとおりである。
○創造モデル研究(一次モデル):仮説の提唱と実証:斬新,主体(主観)的,知る・見つける,本質的に無競争
○展開モデル研究(二次モデル):標準化,普及(学習):精密,客観的,構想する・造る,競争的
○統合モデル研究(三次モデル):実社会との融合:社会性,人間性,倫理的,協調的
一次モデルから二次モデル,さらに三次モデルへの展開は,これまでの基礎研究から応用研究へという単純かつ固定的,直線的なものではなく,これらの三つのモデル間を相互に循環するという特徴をもっている。

 この考え方によると,実用を目的としないいわゆるこれまでの基礎研究でも,考え方や方法が従来の踏襲で精密な追試の性格をもつものであれば,二次モデルであり,一方,実用を目的とする工学の研究でも,まったく新しい方法を提示するものであれば,それは一次モデルとなる。すなわち,一次,二次モデルには,研究の動機や方法及び結果次第で,今までの基礎研究,応用研究のいずれも含まれるのである。また三次モデルは,一次,二次モデルの循環によって得られた学術研究の成果を人間社会や自然環境に正しく融合させるための研究である。ここでは,自分が今どのモデル研究に属するかは研究者自信の判断にゆだねられるために,各モデル間を相互に循環する研究活動をおのずから促すことになるので,研究全体を見通した戦略的思考を生み,その結果として科学技術におけるイノベーションや,人文,社会科学の分野を含む真に人類全体に役立つ学術研究を促進させるものと期待される。

 このモデル転換論は,学術研究と実社会との融合を目指すものである。それは研究対象を諸科学の統合的(integrated)視点からとらえる研究方法であり,統合科学という新たな分野を生み出すことになる。また,このモデル研究では,創造と展開はアカデミックな科学を形成し,展開と統合の活動は人間社会に強く影響を与える。さらに,創造と統合を含む全ては社会の人類文化または文明を形成する。

 図1で,三つの研究モデルの配置は,次のような意味を持つ。人類にとって社会は第一義的な意味を持ち,安定であるべきなので,展開と統合よりなる社会は垂直で安定に配置されている。これに対して,創造は社会からは離れたところに位置し,やや不安定な状態にある。

 ここで「モデル」という言葉を用いているが,それは「真理は無限の循環によってのみ達成されるものであり,有限の循環では真理の雛型にとどまる」と考えるべきだからである。

 このように私がたどり着いた新しい研究モデルは,次の3つのことを示している。
@それぞれのモデル研究は,文化の形成という意味で同じ価値をもつ。
A研究は,どのモデルからでも始められる。
B一次モデルは,二次および三次モデルを通して社会と融合する。
この新しい研究分類は,創造,展開,統合のどの分類からでも研究を始められことから,若い研究者が勇気づけられることを期待している。

(3)技術発展の歴史法則
 次に,歴史的視点から磁気記録技術の発展を見てみたい。表2は,20世紀における磁気記録の発展の流れを決めた重要デバイス,理論及び主な製品について,本質的な発展に寄与した項目のみを示している。

 Telegraphoneの発明後,リングヘッドとカルボニル鉄粉テープを使った大きな発展が,Magnetophoneによってもたらされた(1935年ごろ)。これによって磁気テープ録音機が開発され,その後それは20年余後に,ビデオテープレコーダーとハードディスク装置になった。同様に,メタル粉末テープは,26年後の小型ビデオレコーダへの道を開いた。MRヘッドは,20年後のハードディスク装置へと繋がり,またCo-Cr媒体を用いた垂直磁気記録は,23年後に垂直磁気ハードディスク装置のデモを実現した。これらは,テープ磁化の拡大モデル実験(1963年)及び,セルフコンシステント磁化理論(1967年)により,垂直磁化の持つ重要性が認識されたことに源がある。また,私が垂直磁気記録の報告をした1977年からその製品化までに約26年を要している。

 また他の電子装置の場合にも,技術開発からその製品化までの期間を見たときに,同じ程度の年月を要していることがわかった(表3)。例えば,テレビジョンは発明から18年後に米国で商業放送が始まり,八木アンテナの製造はその発明から27年後であり,ENIACで始まったコンピュータは26年後にはパーソナルコンピュータに広がり,さらにレーザーは20年余後に光通信ネットワークを実現した。

 このように全ての重要技術は,それぞれの電子製品の実現の約20年前に現れているといえる。逆にいえば,発明が世界的に普及するには20年以上の歳月を要することになる。私はこの年月を,社会が新技術の重要性を認め受け入れるに必要な時間であると考えている。

 こうした観点を更に発展させて技術史を眺めてみると,次の3つの革新技術はおよそ40年の周期をもっていることに気づく。第一に,ワイアー・レコーダの発明(1898)からサウンド・テープの発明(1935),そして垂直記録の発明(1977)への発展。第二に,三極真空管(1907),トランジスタ(1948),さらにVLSI(1980年代)への変遷。第三に,G.Marconiの無線通信実験(1901)から始まり,マイクロ波通信(1940年代),そして光通信(1980年代)への変遷。

 これを私は技術革新における「40年則」と呼んでいる。それではこの40年はいかなる意味をもつのか。私は先ずこれは一つの技術の成熟に要する期間と考えている。さらに40年後というのは,ある発明の後継者の子どもの世代である。従って,技術の成熟と研究者の世代交代が次の革新技術を生み出すといえよう。この経験則をもとに現在の垂直磁気記録の将来を予測すれば,その幅広い実用の後,2020年ごろに革新技術が現われると思われる。それは理想ヘッドに基づく原子オーダー密度の記録システムであるような気がする。

3.東北工業大学における実践

 前述のような私の研究体験から得た哲学に基づき,本学の学長に就任以来さまざまな方策を実行してきた。そのいくつかを紹介したい。
学校経営の基本方針は,魅力ある大学づくりということになろう。その意味は,「教育と研究の質を高めること」であると理解し,まず大学院の整備から着手した。15年前に私が学長に就任したときには,本学には大学院課程がなかった。そこで1992年から10年をかけて全学科(電子工学科,情報通信工学科,建築学科,建設システム工学科,デザイン工学科の5つ)に修士・博士課程を設置するとともに,教員の充実化を図り,研究・教育体制の整備を進めた。

 また大学施設の整備・充実化も重要な課題である。従来,私立大学では一般に,学校法人・理事会(経営サイド)が設備(ハード面)を整備してそれを大学(教学)が使うという形が多かったように思う。しかし私は,建物を建てるなどのハードの整備も,その大学の理念・戦略と直結するものであるとの認識から,そのようなやり方ではいけないと考えた。やはり教学の中心である学長がリーダーシップを取って進める必要がある。そこで学長直属の建設委員会を学長室の下に設置し,建物の計画・建設を推進してきた。

 大学の質を上げるためには,いい人材(教員)を育て,補充することが大切である。その一つとして,学生による教員の授業評価を実施した。2年前から授業評価のトップ7人を毎年表彰してきたが,3年目の今年は同じことをしても発展的でないので,新しい構想の下,進めることにした。すなわち,授業評価に加え,研究実績,学生指導,学内での仕事・活動,対外的知名度・貢献度などをもとにその年の優秀教員(best teachers of the year)を学長が選定することにした。そうすることによって教員のインセンチブが高まる。評価なくしては真の発展はない。評価の結果を納得させることはもっと難しいが,学長はそれをやれる主体でないといけない。

 さらに,前節で説明したような「創造・展開・統合の理念と方法論」を本学の研究精神に生かすために,永年そのことを広報し続けてきたが,昨年度(2003年)本学のスローガンとして「創造から統合へ--仙台からの発進」を掲げた。ここで「創造」とは,社会の進歩に役立つ知識や方法を見出すことであり,「統合」とは,それを実際に応用して正しく役立たせることを表している。これを通して本学が目指す教育と研究の目標を広く社会に広めようと思う。またこれは単なるスローガンではなく,研究の精神であり,また学生の生涯の努力目標でもあると考えている。

 そしてこれまでハード面で進めてきた諸政策(ハイテク・リサーチ・センターの設置,新たな環境情報工学科の開設など)の土台の上に,上述のスローガンの実践の一つとして,昨秋(2003年10月),仙台市内の中心部に「東北工業大学一番町ロビー」を開設した。これは,「大学は本来地域とともにあるべきだ。」「これからの大学は市民の生活と深く融合すべきだ。」「科学技術は産業界のためだけにあるのでもなく,またアカデミズムのためだけにあるのでもない。大学は市民(社会)の中にあるべきだ。そのためには,大学が市民・社会から孤立していてはいけない。」との考えに基づいている。

そしてこの「一番町ロビー」は,次の四つの目的を設定している。
@地域社会との融合(統合)をはかる。
A学生,教職員の社会教育・体験の場とする。
B日常不断の広報の拠点とする。
C同窓会,後援会などの統合の拠点とする。

 この「一番町ロビー」は,大きくは1Fのラウンジ・ギャラリーと4Fのホールとからなっている。歴史はまだ6カ月と日は浅いが,これまでラウンジ・ギャラリーでは,研究成果の展示,模擬実験などが,ホールではオープンカレッジの開催,同窓会・後援会その他の会議などが開催されている。今後も社会との融合を図りつつ,本学の情報発信拠点としていきたい。このロビーの機能を十分に発揮することにより,私は社会の中で本学の優れた評価をつくることができると信じている。

 このスローガンの学生への展開として,学生たちには次のような心構えを願っている。
まず,大学の授業などにおいて単に知識を受け取るだけではなく,自ら進んで調べるという積極的な姿勢をもつこと。現代の科学技術は,多くの人々による創造あるいはその実際への応用への努力の積み重ねによって進歩してきた。その経過はまさに,「創造から統合へ」の歴史といえる。その深い内容は,自ら興味を持って調べるという自主的な姿勢によってのみ初めて理解できるものである。そのための第一歩として,日々の授業や実験における疑問は自分で分かり納得するまで調べるという姿勢が大切である。

 2002年にノーベル賞を受賞した小柴昌俊博士は,「怖いのは,習ったことは全部分かった気になるという惰性を持つことだ。必要があれば教科書でも疑わなければならない」「疑問に思ったら,いくつでも卵のように抱えておく。できる時がきたならば,それを一つずつ孵していく」と語ったが,意味の深い言葉である。私自身も,「自らの疑問に忠実であれ」とのモットーでこれまで研究を進めてきた。

 二つ目には,学生生活を通して自分の人間性を高めてほしいということである。具体的に言えば,他人に対する温かい思いやりの心を持つこと,他者尊重の精神をもつことである。さらには,広く社会に対する奉仕の精神(ボランティア)を持つことであり,結果として高潔な人間性と人格を磨いてほしいと思っている。勉学における自律(オートノミー)と他者を尊重する温かい人間性(ヒューマニティ)の実現ということになろう。

4.最後に

 本年2004年,本学は開学40周年を迎える。1964年に,電子・通信の堅実な技術者の養成を目的として2学科の単科大学でスタートし,現在は,工学部の6学科,大学院博士課程6専攻,現代のIT技術に対応した高度の技術を研究する2つのハイテク・リサーチ・センターをもつまでに発展した。

 さらに科学技術者としては,技術一本槍ではなくて,社会や組織の中で他者とうまくコミュニケーションできる能力や組織内でリーダーシップを発揮できる能力も必要である。そのためには多少経営学的な知識も必要であろうから,そのような幅広い人格を備えた人材の育成を目指して今後の大学運営を進めたいと思う。

 21世紀を拓くこれからの大学においては,従来の基礎・応用・開発という一つの価値観で進めてきた近代科学技術の弱点を克服し,より多くの社会の人からの共感を得られるような「社会の中の科学技術」へと脱皮させるとともに,自律(オートノミー)と人格性(ヒューマニティ)をもった有能な人材を輩出することのできる高等機関となっていくことが切に願われていると思う。(2004年2月23日)