学校教育における奉仕・体験学習をどう進めるか
―学校評議員制度とのかかわりの中で―

北海道・苫小牧市立明野小学校長  高松 雅弘

 

1.はじめに

 私は北海道教育委員会での指導主事の勤務を経て学校現場に戻り,現在は苫小牧市の小学校長の立場にある。教育委員会勤務のころは,教育理論の理解と実践のために,学校現場を回っていた。しかし,いざ学校現場に立ってみると,理論のとおりにはなかなかいかないことを実感せざるを得ない。それは,それぞれの学校に地域性があり,そこにはさまざまな子どもがおり,環境が違い,一番肝心な教職員の心が複雑に絡み合って,理想や理念の通りにはいかないからである。その中にあって私は,理想とする学校づくりに邁進するために,大きなテーマを持ちながら経営に当たっている。

 そこで,全道各地で培ったさまざまな人とのつながりを通し,さらには多くの人々の人情や風土を浴びながら,私が教育の在るべき姿を追求してきた歩みの一端を紹介したいと思う。

2.学校長の使命と学校評議員制度

 2003年3月に北海道教育委員会から「学校における体験活動充実のために」という内容のパンフレットが発行された。各学校ではこれを下敷きにして,具体的な奉仕活動,体験活動をいかに展開するかを模索している。体験活動については,「生活科」,「総合的学習の時間」の導入以来,全体的にはかなり広がってきているように思う。しかし奉仕活動については,その実施に関して賛否両論があり,現場ではすんなりはいっていない。例えば,「奉仕活動の実践は,子どもの主体性・自主性に任せるべきだ」との意見もあれば,「子どもが奉仕活動に取り組めるようなきっかけ作りとして,学校が旗を振りなさい」等という意見もある。

 そのような中,学校長の役割として,子どもたち・地域・保護者などに対して,奉仕活動の具体的な「姿」,「形」,「心」を示していくことが必要であると思っている。すなわち奉仕・体験活動の実践の先頭を走るのがまさに校長である。校長が明るく,元気でなければ,子どもたちも教職員も明るく元気にはならない。

 前任校(苫小牧市立清水小学校)では,「世界一明るい学校」を経営のテーマとして掲げ,特に,動物の飼育を通して命の教育を考えさせようとした。動物を育てる体験を通して,ボランティアの心が育っていくと考えたからである。

 次に,今学校として何ができるかということについて考える時,これからは,体験活動・奉仕活動が,学校のみならず,家庭や地域を含めた子どもたちの生活全体を通じて行われることが一層必要になってくるのではないか。従来すべて学校が担っていたものを,地域や家庭の中にどうリンクさせていくかという課題もある。そのためには当然新しい動きが出てくるわけだが,その一つが「学校評議員制度」である。

 私は全道に先駆けて「学校評議員制度」の導入を進めてきたのであるが,この学校評議員制度は,2000年4月に学校教育法の施行規則の改正に伴ってできた制度(注1)だが,苫小牧市においてモデル校を立ち上げるときに私は率先して立候補し学校現場に取り入れた。実はその2年前から,私は先進地域の視察および理論研究を進め,学校評議員制度の光と影の部分を検討していた。その結果,この制度が学校改革の大きなステップになるとの確信を得ていたのである。

 次に私の前任校および現在の学校において,実践している奉仕・体験活動を報告したい。

3.体験活動の機会を豊かにする経営重点

(1)校内体制をどう整えるか
 学校現場において奉仕・体験活動を進めていくに際しては,大きな三つの窓口があると考えている。一つは価値ある体験・奉仕活動を進めるための校内体制をどう整えていくかということである。その根幹になるのは,学校の教育目標であり,地域の実態,学校の実態である。それをもとにして学校の教育活動全体に関わる活動,あるいは総合的な学習,生活科,道徳などの中で適切な時間を配置しながら,ともに価値ある体験活動を取り組むことを考えてきた。

 前任校では,小動物の飼育を「愛育活動」と呼んでいる。一般に学校で小動物を飼育することはよく行われているが,ただ動物を育てるだけではなく,その中に「命」を吹き込む,あるいは「命」を守っていくために,子どもたち,地域の人々,教職員がどう関わっていくかが重要なのである。そこに愛育活動の意義を見出して,これを総合的な学習として位置づけ,さらには地域のボランティアに発展させていった。もちろん生きた動物を育てるのであるから,24時間にわたって動物の管理とともに愛情を注ぐ必要がある。

 ところで,かつて小学校教育に生活科が導入されたときに,全道各地の学校でウサギやニワトリを飼い育てた。しかし現在,動物を飼っている学校がどれほどあるか。苫小牧市内ではほとんどなくなってしまった。その背景には,ある小学校におけるウサギの生き埋め事件に象徴されるような問題があった。飼育に関して言えば,学校の決められた時間内だけでは,動物飼育は難しいという側面がある。動物の病気やえさやりなどの問題のためである。そうなると飼育活動は,もっぱら課業日のみとなってしまう。長期休業,休日などについては,どうすればいいのか。夜の管理はどうすればいいのか。このような問題についての解決の道が見出せないために,みな止めてしまったのであった。飼育活動の教育的意義が大きいことは頭で分かっても,そうした多くの問題点まで全て学校が抱えようとしたために,結局は継続することが立ち行かなくなってしまった。このような中で,前任校では,長年にわたり飼育を続けてきたのは特筆すべきことである。

 そこで私は,息長く飼育活動を続けるために,PTAと相談して地域の教育力を活用する中で,教職員,子どもが関わることを考えた。従来はボランティアで子どもが日常の当番活動で動物の世話をし,休日には教職員が順番で世話をしてきた。そのうちに「地域がボランティアで取り組もう」という声が上がり,それに子どもが関わってきた。つまり休日に親子で学校に出向き,そして子どもとともにえさをやり世話をしたのである。時には動物が死ぬ場合もある。そうしたときは丁重にその死を弔う。このように学校,家庭,地域が関わりあいながら,一つの動物の命を大事にしていこうとする気運が生まれた。これこそボランティアの心ではないかと思う。

 自分自身のためになること,人のためになること,自然の事物(動物,環境など)のためになること,集団や社会のためになること,こうしたことをボランティアの心の中に具体的に活かしていかなければ,教職員も子どもも父母もそっぽを向いてしまう。これからの奉仕活動は,そこが大きなポイントになるのではないかと思う。

 最近私の学校では,「ボランティアティーチャー」という制度を作った。これはクラブ活動や総合的学習に,地域の人材の協力を活用するという制度である。バドミントンクラブ,陶芸クラブ,昔の遊びクラブ,総合的学習の中の国際理解や外国料理,戦争体験の話などに対して,地域のボランティアをお願いしている。学校が一つの構想を持って地域の方々に声をかけると,地域の方々は自己犠牲の精神で学校に飛んできてくれる。

 また,前任校での飼育活動において,ウサギのオス・メスの判別(オス・メスが混在していると子ウサギがどんどん増えていく)を地域の獣医さんに相談すると無料で避妊の手術してくれることもある。その後,獣医さんが学校で話をしてくれるようになり,さらには北海道獣医師会の協力も得られるようになった。学校現場が問題意識,課題意識をもって,地域にいかにぶつかっていく中で地域を動かす原動力が生じた例である。

(2)地域への働きかけ:学校評議員制度
 北海道では,平成14年度現在で443校が学校評議員制度を導入しているが,どう運営したらよいのかについては,皆目見当がつかないという現状である。そこで北海道教育委員会では,いち早く高校でモデル校を試行したが,十分機能しているとはいえない状況である。それはなぜか。従来と同じような考え方で,学校評議員による「会議」を行おうという姿勢が強過ぎるからである。話し合いで一定の方向付けをするのであれば会議や協議会でいいのであるが,「評議」というからにはさまざまな角度から評議員を選び,さまざまな外部の意見・提言を聞くことが求められる。

 ある高校では,評議員を選ぶ際に地域の町内会長に手紙を出して,「教育に対する理解と識見のある方をご推薦下さい」と依頼したという。すると町内会の方は,「校長先生。そんな人いませんよ。理解や識見などとそんな難しいことを言うのは,地域の人を馬鹿にしているのではないか」と断ったという。

 評議員を選ぶことひとつにしても,従来のような発想でやるのではなくて,校長自ら汗をかきつつ地域を巡って,どういう人材が当該学校に必要なのかを探さなければならない。残念ながらその高校ではそういう運営を持ち合わせていなかったのではないかと思う。むしろ小学校の校長などは,地域のお祭りや,老人会,子ども会等に出かけては,その人々と交流して地域の情報を蓄積していく。それには大体2年くらいはかかる。高校長の場合は,短期間しか在任しないのでむずかしい面もあるのだろう。しかし2年間かければ素晴らしい人材をその地域から発掘することも可能なのである。

 そこで私が選んだのは,音楽家,獣医師,商店主(米穀店経営),体育協会の関係者,民生員の方々であった。そして名称を「清水小学校サポート評議会」とした。この選定こそ校長の権限と責任,個性を発揮できる場だと思う。それを町内会などの組織に安直に依頼するようでは,学校は変わるはずがない。

 例えば,米穀店を経営している方を選んだのはなぜか。それはこの方が校長や教職員よりももっと子どもたちのことを知っているからなのである。その地域に土着した商店主であるから,地元の子どもや親の変わり様がよくわかっている。そのような人からもらう提言,意見,励まし,これに勝るものはないのである。

 次に,一般に学校長が意見を聞く場合は,学校に呼んで聞く場合が多い。しかし私はその発想を変えてみた。校長がその人のところに出向けばいい。特殊教育の中には,「訪問教育」という方法がある。ベッドの上にいて学校に来られない子どもには先生がベッドまで出かけて子どもに教える。この方法を応用した。米屋の店先に出かけ,その事務所で話をする。すると商店主は地域住民にまつわるいろいろな話をしてくれた。

 またこれには副次的な効果もある。地域の人がその店に買い物に来る場面に出会うこともある。それらが口コミで広がる。それによって地域の人の校長に対する見方・評価が変わっていく。そうすれば学校経営がやりやすくなり,地域に何かをお願いするときにしても,地域の協力が得やすくなる雰囲気ができる。

 それで私は学校評議員の方々の自宅を訪問してお茶を飲みながら,意見を聞く。時には学校に来てもらうこともある。このようにして双方向の意見交流をすることによって,学校に対する開かれたものの見方が相互に形成されていくのではないかと思っている。

 評議の方法について箇条書きにまとめてみると,下記のようになる。
1)全体評議(年2回)・・・・・・学校を会場に,評議員が一堂に会して評議する。
2)個別評議(年1回)・・・・・・学校を会場に,評議員から個別に意見を聞く。
3)訪問評議(年1回)・・・・・・評議員の自宅等を校長が訪問し,意見を聞く。
4)レポート評議(随時)・・・・・・レポートで,評議員が自主的に意見を表明する。
5)メール評議(随時)・・・・・・Eメールで,評議員が自主的に意見を表明する。

 そして評議員の方からの提言・意見は,「学校評議員短信」などによって広報するとともに,年度末の全体評議の場において,どの提言を取り入れ,どの提言は取り入れないか,取り入れる・取り入れないはどういう理由によるのか,また,取り入れたものはどのように具体化したかを説明することにしている。

 今後,学校評議員制度はますます開かれたものになっていくであろうから,是非地元の評議員の方がどのように動いているのか自分の目で確かめる必要がある。昔ながらのやり方でやっているのであれば,空洞化していくに違いない。制度に魂を入れるには,校長自らが汗をかいて地域に飛び出していくことが何よりも大切なことなのである。

 2年間にわたる学校評議員制度の実践の中で,学校評議員から14の提言を頂いた。これからは説明責任の時代であるから,この提言をどのような形で具体的に学校経営に反映させたのか,また反映させられなかったのならば,次の年度にどのように引き継いで活かしていくかといった経営の構想を評議員,地域の人,保護者の方々に説明していくことが求められている。14の提言全てが実現に結びついたわけではないが,次の提言のように経営の改善に直接結びついたものも多かった。

 「今求められる命の教育の一環として,学校での小動物の飼育は是非継続し,体験活動として定着させてほしい。」「小動物の飼育,環境の改善に積極的にかかわる子どもを育ててほしい。特に動物たちの生活環境をよりよいものにしようとする子どもたちのアイディアが生かされる学校の取り組みが必要なのではないか。」「休みのない飼育活動を継続するために,教職員や保護者,地域住民による飼育ボランティアを立ち上げましょう。」「感謝の心を育てる挨拶の形成が非常に重要であることから,全教育活動を通して挨拶運動を強化してほしい。」など,奉仕,体験活動に結びつく意見・提言が随所に見られた。

(3)子ども自身に奉仕の心を醸成するために
 奉仕する心の醸成は,奉仕活動へのきっかけをどうやって作っていくかにかかっている。そのためには子どもの自主性に全て任せることは,不可能だと思う。場合によっては,学校側で意図的,計画的に奉仕活動に取り組ませて,その中で喜びや成就感を味わわせることも大切である。ある日突然思いつきでやるのではなく,小学校低学年,あるいは幼児期からこのきっかけを意図して作っていくべきだと思っている。 

 前任校では,歩道橋の清掃活動,中学校との提携による(児童会・生徒会)地域クリーン作戦などを実施し,また動物の飼育を通して奉仕の心を育てるようにしてきた。また現在校にはボランティアクラブがあるが,これは子どもから自発的に出てきたものではない。先生の方から「やってみないか?」と声をかけたところ,十数人の子どもたちが「やりたい」と応えたところから始まったものである。やはり教師が燃えないで奉仕活動ができるわけがない。

 担当した先生に聞いてみると,かつて若いころに奉仕体験をしたことがあったという。先生も奉仕の心をどこかで育ててこなければ子どもの奉仕活動の指導にはつながってこないであろう。このことがこれからの学校における奉仕活動を根づかせる上での重要なポイントとなるに違いない。
現在,この「ボランティアクラブ」は発足したばかりで,今後どう広がるか分からないが,「絵本を作って,保育所を訪問しよう」,「学校の前を花で飾ろう」などの計画があるとのこと。小さな取り組みであっても,このような動きの中で,私は奉仕の心が育っていくのではないかと期待している。

4.最後に:「心のノート」の活用

 数年前に文科省から「心のノート」が発刊され関心を持っていた。それは子どもたちの心の中の道徳性を副読本とは違う形で耕していくという趣旨で出されたものである。それに対してある大学教授は,「心のノート」に対する批判的な記事を書いている(03年6月29日付「北海道新聞」)。同教授は,「『心のノート』を使った子どもの心の操作だ」と批判している。しかし,私に言わせればこの方は道徳教育の本質を理解していないし,現場の道徳教育を知らない人だと思われる。

 また「北海道新聞」に「教育はどこへ。心の行方」という記事が載った(03年3月5日付)。この中に4人の教師が出てくる。ある男性教師(中学校)は,「道徳の副読本は別にあるので,(「心のノート」は)授業では一度も使っていない。」,また女性教師(中学校)は,「いまどきの生徒にはうそくさくて読めないのではないか」。「一体『心のノート』とは何か。子どもは教師から与えられれば素直にノートに記載されたとおりの答えを書く。」などとコメントが出ていた。これらは,道徳教育を真剣に取り組んだことのない人の軽薄な発言だと思う。

 私は道徳教育の先進地域で,教員時代のスタートを切った。当時は,市販のノートを四分割し,授業前,授業中,授業後の子どもの意見を書かせて,心の変化を分析してきた。子どもたちが「(教師に)期待されたとおりの答えを書く」,などとの批判はとんでもないまちがいである。子どもたちの感性は,ある意味でものすごくシビアで豊かである。教師に対して批判もするし,価値観,ものの見方も深いものがある。私は子どもたちの意見に対して赤ペンを入れて,子どもの心の琴線に触れるようにと私の励ましの言葉や私の考えをぶつけていった。

 「『心のノート』は悪い」「子どもの心を操作する」などと批判するのは全くの見当違いであり、その前に,道徳の授業を真剣に実践してみて本当にそうだったと証明してから,批判や発言をしてほしいものである。

 先日万引きをした子どもを連れてきた担任教師に「校長先生,最後に何か言ってください」と言われた時,「心のノート」の1ページを話して聞かせた。「心のノート」は、授業だけではなく,日常の子どもたちの心に語りかける一つのヒントを与えてくれるのではないかと思うこのごろである。
(2003年7月8日発表)


注1 学校評議員の設置
 学校教育法施行規則第二十三条の三(平成十二年文部令三・追加)
 小学校には,設置者の定めるところにより,学校評議員を置くことができる。
 2 学校評議員は,校長の求めに応じ,学校運営に関し意見を述べることができる。
 3 学校評議員は,当該小学校の職員以外の者で教育に関する理解及び識見を有するもののうちから,校長の推薦により,当該小学校の設置者が委嘱する。
 同第五十五条[準用規定]・・・第二十三条の三,・・・は,中学校に,これを準用する。
 同第六十五条[準用規定]・・・第二十三条の三,・・・の規定は,高等学校に,これを準用する。