心をいかに育むか
―脳科学の視点から―

北海道大学医学部教授 澤口俊之

 

1.はじめに

 教育と脳の関係について考えるに当たって、まず「心」について整理しておきたい。心はさまざまにとらえることができるが、ここでは「知性」を心の本体としてとらえる。心理学では「認知機能」(知性)と呼ばれるものであるが、本稿ではそれを平易に「知性」という言葉で使用する。知性(心)を脳科学の観点から見ると、すべて脳の特殊な活動、脳内プロセスということができるので、教育との関連で言えば、教育は「脳教育」、すなわち脳を豊かに育むことであるということができる。

 1960年代になって発展した認知心理学は、心の科学の総称ともいいうる学問分野である。まず心の表れである行動の研究から入り、その後心を対象に科学するようになった。その認知心理学が明らかにした知見のひとつに、「知性の多重性」ということがある。それによると知性は一つではなく、複数の知性が多重しており、しかもそれぞれの知性はある程度独立して機能することができるという。

 最近の研究によれば人類の知性は大きく次の8つに分類できる。
@ 言語的知性、A絵画的知性、B空間的知性、C論理数学的知性、D音楽的知性、E身体運動的知性、F社会的知性、G感情的知性である。そしてこれらの知性を総括し、コントロールする知性、いわば超知性としての自我がある。これは多重知性のスーパーバイザーのような役割を持ち、別格の地位にある。
そこで以下、脳の仕組みとともに脳と教育の関係について見てみよう。

2.脳の仕組みと人間の成長

(1)脳内メカニズム
 ここでは脳の中でも知性の中心を担う大脳皮質について簡単にみてみる。
大脳皮質とは、大脳の表面を覆っている厚さ2-3mmほどの薄い細胞の層で、脳進化の歴史の中でもっとも新しく形成された部分である。この大脳皮質は溝やかたちなどの構造的な特徴から4つの部分に分けられ、前から前頭葉、側頭葉、頭頂葉、後頭葉となっている。そして各脳葉には、「連合野」という高度な働きをする領域と「非連合野」とがある。この区分は大まかなもので、その下位区分として「領野」「セクター」という区画がある。これらを世界地図に例えれば、前者は大陸に相当し、後者は国や領土に相当する。これを認知心理学では、「モジュール構造」と表現しており、各領野・セクターをモジュールと考えることもできる。

 また大脳皮質には、ヒトでは140億個ほどのニューロン(神経細胞)が集まっている。そして出力ニューロン(ほかの脳の部分に情報を送り出す)、内在ニューロン(情報のやり取り)、求心線維(脳のほかの部分から大脳皮質に情報を伝える)の三つの要素が一定の規則で結合し(この単位組織を「コラム」という)、大脳皮質の表面に対して垂直に並んでいる。このコラムが脳における情報処理の基本単位となっている。

 脳のもう一つの特徴に、「階層性」(階層的な情報処理様式)がある。つまり単純な情報処理からより高次的な情報処理をする工程へとどんどん情報が流れて、高度な認識をするようになる。このような機能面での階層性にはハード的なベースがあることがわかっており、その結果として知性にも階層性が現われることになる。

 以上をまとめると、知性(心)を主に担っている大脳皮質の特徴は、モジュール性と階層性にあるということになる。これらの事実を総合して、私は89年に「多重フレームモデル」という知性の脳内システムを提唱した。多重構造を形成する知性の一つ一つに対応して生物学的な実体(脳構造)があると考え、それをフレームと呼んでいる。そしてさまざまな異なった種類の情報を並列的かつ階層的に処理する多数のフレームが多重して大脳皮質が形成されていると考えたのである。

(2)成長期間のプロセス
 次に、20歳までの成長期間において人間がどのように発達するかを考えてみたい。

 一般臓器、例えば骨格では、幼少期の5歳くらいまでに急激に大きくなる。その後、小学校入学時からはやや緩慢になるが、その後再び大きく成長する。また生殖器は思春期になり、性ホルモンによって大きくなる。

 ところが脳の発達の場合はそうしたパターンとは逆になっている。つまり8歳くらいまでに、重さのレベルで90%まで発達する(ごく最近のデータでは、95%とも言われている)。このように最初に急速に大きく成長するのである。

 実は、神経細胞は生まれた時点が最も多く、その後は死んでいく。それゆえ脳の場合は、神経細胞の数が増えて大きくなるのではなく(増えるのは海馬くらいである)、シナプスの密度が多くなりながら脳が大きくなっていく。すなわち脳(知性)の発達とは、神経回路がよく発達することを意味している。生誕後からシナプスの数、神経回路は急速に増加し、2〜3歳、5歳ごろがピークで、8歳ごろから下がっていく。それは神経回路をたくさん出しておいて、いいものだけを選択していくためなのである。ちょうどたくさんの可能性を最初に作っておき、その中からいいものだけを選んで残していくと表現することもできよう。

 このような脳の発達過程の事実から考えれば、本来、育児・教育は8歳くらいまでとそれ以降とでは明確にその方法論において違ってしかるべきである。すなわち8歳からは、シナプスでつくられた神経回路が発達する時期であるので、教育との関係が重要になる。
 
(3)臨界期
 遺伝的に同一のラットを使った実験をご紹介しよう。1970年代に米国のある研究者が、さまざまな環境の中でラットを育てた。標準環境を原点として、貧しい環境の場合、脳の重さが数%軽くなり、豊かな環境のもとで育てられたラットは、そうでない場合より5%ほど重くなることがわかった。しかも知能テストをすると圧倒的によいことがわかった。

 ただし、ここには臨界期(critical field)というものがあり、脳の神経回路獲得にとってもっとも重要な要素である。この期間における環境は非常に重要で、脳に決定的な影響を及ぼす。またこの時期に適切な環境のもとで教育をしない場合には、後なって取り返しがつかないことになる。

 標準環境に育ったラットのシナプスの数(神経回路の発達度)を調べてみると、人間と同様に急速に増えていき、その後減って行く経過をたどる。臨界期に貧しい環境に育つと、神経回路が十分発達しない。そしてその後の減り具合が大きいために、標準環境で育った場合と比べ、差が大きく現われる。その結果、神経回路が発達せず脳が軽くなるのである。

 ここでのポイントは、臨界期があるということである。ラットの臨界期は、せいぜい1カ月程度である。生後1カ月だけ貧しい環境のもとで育て、臨界期を過ぎたときに標準環境に戻した実験で明らかになったが、たかだか生後1カ月の間だけ貧しい環境にあっただけなのに、その影響は生涯続くのである。これを人間に当てはめれば、子どものころに貧しい環境に育っていると、その後に標準環境に戻しても正常に発達させることはかなり難しいことになる。

 一つ例を挙げてみる。絶対音感を身に付ける脳の構造は6歳までに作られる。この形成には、遺伝と環境因子がある。絶対音感を身につけられる人は、まず遺伝的にそのような素地を持っている(日本人の場合約60%)。それゆえ6歳くらいまでに絶対音感の訓練をすると、60%の子どもはそのような能力を身に付けることができる。しかし、6歳を過ぎてから絶対音感を育てるトレーニングをしても2%しか身に付けることはできないという。それは臨界期を過ぎてしまったからだと解釈することができる。

3.脳科学から見た教育のあり方

(1) 二つの方向性
 教育に話を進めると、人間の知性は8つありそれぞれ臨界期をもっているので、それぞれに見合ったカルテを作って教育をしなければならない。各知性はそれぞれ脳の各部位と対応している。逆にいえば、脳の各部位を基盤として人間のさまざまな知性が発現することになる。

 そのため子育ての方向性には、脳科学の立場からは二つある。一つは、脳の多重知性をまんべんなく伸ばすことであり、もう一つは、脳の多重知性の一部を伸ばすという方向性である。

 例えば、数学も特殊な能力の一種で、これにも遺伝性と環境要因とがある。両方の要因によって数学的能力が飛躍的に伸びる子どもがいる。このような子どもは、そのまま伸ばしていかないと、数学的能力が落ちることが実証されている。ある米国の8歳の子どもが、他の受験生に混じって共通テスト(数学)を受けたところ、800点満点中、760点を取った。ところが国語(英語)は590点しか取れなかった。この子どもの場合は、数学の特殊能力のみ伸びていったが、他の能力は伸びなかった。しかしそれでも数学の天才として成長した。

 多くの知性をまんべんなく伸ばすことは基本ではあるが、その一方で特殊な能力を特化させて伸ばすことも大切だと思う。その際に重要なことは、複数の知性をまんべんなくという鉄則はなく、そうすると却って失敗することがあることを忘れてはいけない。

(2)前頭連合野の働き
 チンパンジーと人類を決定的に分けている脳領域・機能とは、「前頭連合野」とその働きである。前頭連合野は、大脳の前方に広がる領域で、霊長類のなかでもヒトでもっともよく発達している。ネコは大脳皮質の2-3%で、サルが12%、チンパンジーが17%、そしてヒトは30%を占めている。

 チンパンジーは人間と同じ属(ホモ属、ヒト属)の動物で、遺伝子レベルでいえば0.5%程度の差しかないといわれている。しかしそれらが分化したときから比べて、大きく違いが出てきた部分がある。それが大脳と前頭連合野である。ヒトの大脳はチンパンジーの約3倍、前頭連合野は6倍になった。600万年で6倍というのは相当大きな数値である。

 それでは前頭連合野は何をしているのか。
前頭連合野は広い領域で、言語フレームをはじめとした多重知性を構成する多数の高次モジュールを含んでおり、その働きの中でも重要なのが「自我」機能である。自我機能とは、「自分に関する情報を意識内に保持しつつ組み合わせて(自己意識)、自分をコントロールすること(自己制御)」である。分かりやすく表現すれば、自らの多重知性の内容を意識しつつ、それらをコントロールする働きであり、いわば多重知性の統率者(スーパーバイザー)である。

 これはちょうど、野球などの監督(自我フレーム)と選手(多重フレーム)との関係に例えることができる。監督は個々の選手の実力を把握しうまく使いこなすことによってこそ試合に勝てる。同様に、自我フレームは多重フレームの中味と実力をよく見て、うまく使いこなすことによって、人生という試合に勝利を収めることができるのである。

 そして人生という目的を達成するには、多重知性の中でも「社会的知性」(個体関係に代表される社会関係を理解・記憶し、それらに基づいて適切に社会的行動を行う知性)と「感情的知性」(他者の感情や自分の感情を理解・記憶し、自分の感情を適切にコントロールする知性)が特に重要である。しかもそれらは別個の知性として並列はしているが、自我を中心として「トライアングル」を形成している。

 またこれらは他の多重知性とは比較にならないほど、前頭連合野と深く結びついている。前頭連合野がダメージ(外傷)を受けても、他の多重知性の能力やIQはほとんど変化しないが、こられらの三つは著しく衰退することが実証されている。

 そこでこれらの知性群を前頭連合野(前頭前野)の知性、すなわち「前頭前知性」(PQ,Prefrontal Quotient)と総称することにする。PQとは、自分のもつ多重フレームの能力を把握してうまく操りながら将来へ向けた計画を立て、社会関係と自他の感情を適切に理解・コントロールしつつ社会の中で前向きに生きるための知性ということになる。そしてPQの基底となる目的ははっきりしており、「社会の中でうまく生きて、最愛の配偶者を得て子どもをつくり、きちんとした成人に育てること」である。他の知性は、この基底的な目的に貢献し得るが、それらの知性はPQがその目的のために使い分ける「手段」という側面が強い。

(3)PQ教育
 このPQこそが人間らしさをつくるので、教育の根幹になるといってよいだろう。そしてPQは重層的なものであって、他の霊長類と共通した層に加え、人類に特有な層をもつ。その層の典型が、将来へ向けた計画や展望、夢である。他の霊長類は、時間という制約を殆ど超えることができない(せいぜい数時間先まで)が、人間はそうではない。発達したPQのおかげで、数年、数十年先を見越して、計画や展望、夢を抱くことができる。そしてその将来のために今の行動をコントロールすることができる。これこそが、最も人間らしい知性と言えよう。最も重要なことは、PQを伸ばすことである。

 PQはまた、自発性、主体性の柱でもある。これらは他の霊長類も持っているが、人類の場合は、将来への展望・計画・夢と自発性・主体性が連関しうるところにその違いが現れている。自発性・主体性は、自分の知性を伸ばす上で不可欠な要素となっており、PQが未発達ではそれらが衰退し、自分の知性も人生も豊かに育むことができない。

 PQは、独創性、創造性とも密接に関係している。独創性のベースには主体性・自主性があり、それによって自分自身の多重知性を自分なりに使い分け、育む。前頭連合野が創造力の中枢であるので、そこに障害を受けると人まねが多くなるということが実証的にわかっている。

 PQは集中力の源泉でもある。PQの中心的な知性、働きが自我であり、自我が知性フレームを使い分けることからみても、PQが集中力を生み出すことはうなずけよう。ある知性フレームをかなり長期間にわたって中心的に使うという働きには集中力が必要であるからだ。

 さらに、PQは幸福感や達成感の中心でもある。幸福感や達成感によって知性フレームは可塑的に変容しやすくなり、豊かに発達する。こうした感情がなければ、人生は無味乾燥な砂漠みたいなものになりかねない。

(4)PQ機能障害
 PQは精神疾患と密接に関係している。ほとんどの精神疾患は、PQの働きの変調であるといっても過言ではない。例えば、精神分裂病は明らかにPQの障害であるし、PQのセンターである前頭連合野の機能低下と結びついていることが実証されている。同様にうつ病や強迫神経症、注意欠損多動症(ADHD)にしても、PQの機能障害であり、やはり前頭連合野の機能低下との関係が深い。

 特にADHDは、脳内の損傷や腫瘍などの物理的なダメージで起こることもあるが、ほとんどの場合は、PQ教育の失敗によるPQフレームの発達障害によって起こる。そして青年期になって多発する分裂病やうつ病にしても、その淵源を辿れば結局は幼少期でのPQ教育の失敗に行きつく(これらの病には遺伝的要因も多少関与するが)。

 ところで、将来の計画などを失ってしまう「若年性健忘症」という病がある。これは20代、30代に多く見られる一種のボケである。普通のボケは、神経細胞がある理由で死滅してしまうことから起きる症状である。しかし若年性健忘症の場合は、神経細胞は死滅していないのにボケる。その特徴は、新しいことを覚えられない、物忘れが激しい等が見られるが、最も顕著な点は、これから何をすべきかという計画が立てられない。

 以上のことからも分かるように、PQフレームを幼少期のころにきちんと豊かに育むことは極めて重要であり、人間らしく幸せに生きることに直結するのである。

(5)PQをいかに育むか
 次に、このように人生において重要なPQをいかにすればきちんと豊かに育むことができるのかについて考えてみよう。

 PQが他の多重知性と同様に遺伝的要因がかかわっていることはいうまでもないが、環境的要因も極めて重要である。特にPQフレームの可塑的変化が幼少期でもっとも著しく、しかもそれには感受性期があることがわかっている。すなわち、環境要因の影響が生涯の中で最も強く作用し、かつその作用の結果がその後、生涯にわたって維持されるような期間が幼少期なのである。

 ところで、社会的動物であるサルを生後から1歳ないし2歳まで隔離して個別的に飼育し、再び元の群れに戻す実験をした。そのような環境に育ったサルは、恐れ、常にじっとしている(引き込み)、同じことを繰り返す(没主体性)、切れる(社会不適応)、性行動の障害などの症状が出てくる。しかし、その年齢を過ぎた段階で隔離してもこのような症状は一時的に発現しても最終的には群にうまく適応するようになる。これは臨界期の問題であることを示している。サルの1〜2歳というのは、ヒトでいえば8歳頃に相当する。結論として、前頭連合野の臨界期はこの時期であろうと考えられるので、少なくとも0歳から8歳くらいの間に適切な環境にさらすことが何よりも重要だということになる。

 それでは適切な環境とはどんな環境なのか。
それは「豊かな社会関係」ということができる。つまり、子ども同士、兄弟姉妹同士の関係、おじおばとの、そして近隣の人たちとの関係、そして両親からの父性と母性をベースにした多様な関係である。そういった豊かな社会関係に囲まれることがPQにとっての「普通の環境」であり、こうした環境は進化的に見て数百万年以上にも及ぶほど起源が古いのである。PQフレームを育むには、このような「普通の環境」に囲まれるだけで差し当たっては必要かつ十分である。

 複雑で厳しい社会関係は、いろいろな意味で前頭連合野を発達させるいい機会になることがわかっている。

 まず適度なストレスが重要である。子どもは好きなことだけをやっていては自由奔放にしたいことをやり放題になる。教育は強制から始まるものである。ゆとり教育もいいけれども、適度なストレスが必要である。それがしつけである。子どものころからある程度のストレスを与えて、そのストレスを自分でコントロールできるようにしてあげる。そのためには父親が子どもの教育にしっかりとかかわることが重要である。適度なストレスを与え、それを自分で克服できるようにし、そうしたあかつきには誉めてやる。

 幼稚園と小学校では、実体的な子ども関係が重要である。現代は、実体としての子ども関係が抑えられており、ともすればヴァーチャルな子ども関係のみになりがちである。実体のけんかなどにしても、危ないからといってやめさせてしまう。いろいろな体験をしてほしいのであるが、どうしても抽象的、ヴァーチャルな子ども関係だけになってしまう。問題さえ起こさなければいいという発想になりやすいこと自体が問題である。

 また読書もよい働きがある。テレビゲームは前頭連合野の作用には関係がない。読書はその部分の働きを活発にさせてくれる。特に音読は効果がある。音読をすると前頭連合野の働きがよいことがわかっている。

4.最後に

 以上の論述から分かるように、従来の教育において決定的に欠けていたものがPQ教育なのである。特に戦後は、PQ教育が決定的に欠落してきた。それ以前は、「普通の環境」が多少なりとも残っていたために、あえてPQ教育を自覚的に行わなくても何とかなった。しかし近年みられるような子どもたちを巡るさまざまな社会的病状や犯罪などの現象は、ほとんどこのPQ教育の欠如の結果と言うことができる。

 PQフレームの発達に必要な「普通の環境」とは、豊かな社会関係に囲まれた環境である。この反対の環境が、孤独で、かつ父親からのきちんとした影響・指導も、母親からの豊かな愛情も受けずに育つ環境である。

 時代の流れがそのような方向に動きつつあることは承知であるが、しかしPQ教育の本質を見極め、それをベースにして幼少期の子どもの育て方・教育のしかたを根本的に変えることから始めることが重要ではないかと思っている。これらのことを親や教師の自覚からでも出発すれば変化の一歩が見えてくるに違いない。
(2003年5月26日発表)