ブラジル・ルラ新政権とメルコスール

パラグアイ・ABCコロール新聞・政治部長 アルフレッド・カンテロ

 

1.メルコスールの概観

 メルコスール(南米南部共同市場)は、ゆくゆくは南米全体を統合していこうという大きな目標を持ってスタートした経済共同体である。それを歴史的にさかのぼってみれば、19世紀にシモン・ボリバール(Simon Bolivar,1783-1830)が南米全体の統合をしようとしながらも志半ばで倒れたところまでいきつく。

 具体的には、1980年から共同体創設の動きが始まった。最初の段階はブラジルとアルゼンチンのみであったが、その後1991年3月26日、パラグアイの首都アスンシオンに関係諸国が集まり、メルコスール憲章を正式に調印しスタートした。

 メルコスールが南米において果たす役割にはいくつかあるが、その一つが地域の安定化を図ることである。南米は冷戦時代には多くの国々が政情不安定であった。左翼政権が主権を握る国もあれば、その一方では軍事独裁国家も少なくなかった。そのような中1980年代になって、冷戦の終結とともに軍事政権が崩れ、民政移管する国が増えていった。その民主化を推進するための一つの動きが、メルコスールという共同体であった。そしてこの共同体の目的は、国の壁を超えた経済共同体を形成し、民主主義を強化する、その上で各国の生産力を高め、世界経済との連携を図りながら地域全体の発展を図ることにある。

 メルコスール条約の中には、クーデタを起こなさないという趣旨の条項があり、それが対外関係における信頼度の向上に役立っている。例えば、パラグアイでも、メルコスールがあったおかげで周辺諸国の協力によってクーデタが未然に抑えられたことが何度かあった。もしクーデタが起これば、メルコスールから除名されてしまうために、それが一種の抑止力となって作用したと言える。特に南米のように政情の不安定な地域では、政治と経済が癒着しているために、政権が変わることは、そこに深く結びついた人々(利権者)が支配層から追い出されることを意味し、混乱をもたらすことが多かった。政治を安定化させ、民主主義を定着することは、考える以上にむずかしいと言える。その意味でもメルコスールの果たした役割は大きいと思う。また現在でも、そうした海外からの投資の保証、外国人の保護などは最優先課題として位置付けられている。

 実際に1991年に条約が結ばれてからブロック内の貿易量が飛躍的に拡大した。年平均で28%ずつ伸びた計算になり、貿易額で言えば、その当初はブロック内の貿易総額は40億ドルであったが、10年後には2000億ドルにまで増加した。

 現在は完全統合を視野に入れる段階ではないが、大きな展望としてはそれにいたるいくつかのことが進められている。例えば、ブラジルとアルゼンチンの間においては、農産物の輸出入の決済をドルで行うことを既に実施している。その背景には、両国の通貨の為替比率が1:1になっていたということがある。いずれにしてもEUのような統合を目指していることは確かである。

 また国による農産物の分業をもすすめている。ブラジルとアルゼンチンの例を見てみよう。牛肉は一般にアルゼンチンの方が味がいいので、アルゼンチンからブラジルに輸出されている。また米はアルゼンチンではあまり食べないが、ブラジルでは食べるのでやはりアルゼンチンからブラジルに輸出されている他、乳製品も同様である。一方、ブラジルからは、トウモロコシ、大豆、さとうきび、カカオ、ソルボ(家畜のえさ)などが輸出されている。このように分業体制ができあがっている。

 メルコスールは現在一つのプロセスにあり、短期的な到達点を2006年1月1日のブロック内関税の完全撤廃においている。

 ところで、メルコスールは単に経済面の統合だけにとどまらず、文化・教育の面においても共通化の作業を進めている。例えば、教育改革の一貫として、各国の大学に共通する学科を設け連携を図ること(エコツアー学科など)、国ごとの大学の単位・資格の互換認定制度などである。

2.ブラジルにおけるルラ新政権誕生の影響

 メルコスールが形成されてから12年が経過したが、さまざまな課題もある。一つには、アルゼンチンとブラジルの経済危機であった。それはメルコスール域内に占める両国の生産量が全体の約90%に達しており、影響が大きいためであった。しかしそれらの経済危機も、現在回復の途上にある。

 次には、ブラジルで昨年末に大統領選挙が行われ、ルイス・ルラ・デシルバ(Luiz Inacio Lula da Silva)が当選したことである。彼はブラジルの労働者党の創設者であり左翼陣営に属する人であったことから、その当選が予想された昨年8月ごろからブラジルの通貨、株価が全面下落する結果を招いた。ところが彼が当選した後に、彼の反対勢力に対して和解のための演説を行った。その中で、資本主義を攻撃することなく、ブラジルがこれまで諸外国、国際機関と結んできたさまざまな協定や契約はそのまま維持・履行することを約束した。そのおかげで彼に対する憂慮が払拭されていった。彼は支持率で60%を占めていたが、そのことが彼の政策推進に当たっての基盤を形成しており、国際マーケットの信頼を完全に回復しつつある。

 ルラがブラジル大統領に当選したことの意味は何か。彼は大統領当選後、アルゼンチンを訪問し同国大統領と会談して記者会見を行った。そのときまず第一の政策としてメルコスールの強化策を打ち出した。できればメルコスール加盟国をもっと増やしていきたい。ボリビア、チリは現在準加盟国になっているが、それを正式加盟国にする。これまでは南米各国が個別にばらばらに米国との経済交渉などを行ってきたし、また米州全体の共同体構想に対しても同様であった。それをメルコスール諸国は一つのブロックとして団結して交渉に当たることを主張した。これは大きな変化であった。

 もう一つの彼の政策は、ブラジルにおける貧困、飢餓をなくすこと(飢餓ゼロプロジェクト)である。人を殺さず、「人を生かす政策」を発表した。ブラジルのポルトアレグレという港町で開催された「世界社会フォーラム」(2003年1月23日〜28日)、およびスイス・ダボス会議(世界経済会議第33回年次総会、2003年1月23日〜28日)において、彼は飢餓撲滅政策を発表するとともに、そのための支援の必要性を訴えた。この政策は、所得の分配を是正することを中心としており、短期間内に所期の目的を達成しようとしている。ブラジルの人口は約1億7000万人だが、そのうち約2200万人が飢餓に苦しんでいる。

 またルラ大統領がメルコスールの中で指導力を発揮することになったできごとがあった。それはベネズエラの政治・経済の危機であった。ベネズエラは世界でも5番目の石油生産国であったが、この危機のために生産量が半分以下に落ち込んでしまった。そのような中、イラク戦争の危機により原油価格の高騰も予想され、ベネズエラの問題は世界の問題となっていた。そこでルラ大統領はベネズエラを助ける友邦グループを形成・推進することを提案した。ベネズエラのチャベス大統領(左翼政権)の政策に対して、保守派グループが対抗して長期ストに入り政治的混乱を引き起こしていたが、それを友邦グループの協調によって解決しようとした。そのグループにはブラジル、アルゼンチン、エクアドル、メキシコ、チリが入ったが、その成果として、ベネズエラの大統領側と対抗勢力の両者に話をつけて、現大統領が辞任し、大統領選挙を早めに実施することが決定された。

 2003年にはメルコスール加盟国4カ国の内、3カ国で新大統領が誕生する。すなわち、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイである。これらの新大統領の課題は、政治的、経済的な安定が何よりも優先的課題となっており、さらにはダイナミックな市場開放政策をとることが重要課題である。メルコスールに対する投資の魅力は、まずこの地域の自然の宝庫という点が挙げられる。世界的には深刻な状況にある水資源が豊富にあり、食糧・農産物生産にはよい環境を形成している。また若い労働力も十分備わっている。このようなことを基礎としながら、発展させていく必要がある。

3.日本にとってのメルコスール

 日本との関係では、日本―チリとの間において昨年二国間自由貿易協定の交渉を始めることが内定しており、今年具体的に動き出す。この動きは、メルコスール諸国にとってもアジア市場を目指した新しい動きとして注目している。

 日本の周辺諸国では、韓国において農民たちの強い反対にもかかわらず、昨年末よりチリとの自由貿易協定を締結して二国間自由貿易を推進している。また中国は、東南アジア諸国と同様の協定を進めようとしている。

 このような趨勢の中、日本政府も今年から二国間自由貿易協定を進めようとしている。今まで日本はシンガポールとの間にこのような協定を結んだ(2001年1月13日、日本・シンガポール新時代経済連携協定)が、相手が小国であるために国内的な反対は少なかった。経済共同体、二国間自由貿易協定などの面では南米諸国はむしろ日本より進んでいると言える。南米諸国は、こうした経済について日本と比べ自由で、大胆で、開放的な考え方をもっている。その意味でもメルコスールと日本とが関わる価値は小さくないと思う。
(2003年2月9日、東京で開催された研究会における発題内容をまとめたものである。)