世界の水資源危機と日本の経済安全保障
―メコン河潜在力への期待―

中央大学客員研究員、農学博士 長谷山 崇彦

 

1.21世紀に予見される水資源危機

 第1回地球環境サミット(1992年、リオデジャネイロ)では、地球の持続可能性を崩す地球温暖化の元凶である二酸化炭素排出量削減対策が主題となったが、その後、地球全体の温暖化は悪化している。昨年の第2回環境サミット(ヨハネスブルク)では、水資源問題が新たな重要課題として追加された。

 国連の地球水問題報告は、水不足の増加(2025年に48カ国で水不足の恐れ)、水質汚濁(世界人口の50%が不衛生な水に依存し、途上国の疾病の80%は不衛生水が原因)、温暖化と森林破壊による洪水と渇水の被害増加、農業用地下水の過剰揚水による枯渇化などが深刻化すると警告する。

 以上の水問題は、国連が「国際淡水年」と宣言した今年、日本で開催された「第3回世界水フォーラム」で確認、討議された。

2.アジア発の世界水資源危機の兆候

 地球温暖化が要因と推定される異常気象と森林破壊(保水能力の低下)などによる異常渇水と異常大洪水の被害が世界各地で頻発している。過去10年、その被害の大半はアジアで生じたが、昨年8月には欧州が大洪水災害を経験した。世界人口の約50%を占めるアジア諸国の年間水使用量(95年)は全世界の60%だが、急速な工業化と経済発展に伴う水不足と水質汚染が昂進している。

 特に中国(世界人口の23%)では、乾期に流水が枯渇する大河川黄河の断流現象と北部地域の水不足が既に表面化している。中国では現在の人口12.5億人が2030年には16億人になり、農業・工業・生活用の水需要は供給量の1.3〜1.4倍になると予測される。また中国の水資源は、大部分が南部に偏在し、北部は水不足状態にあり、中国は昨年12月に長江の水を北京を含む北部地域の都市に供給する運河網を建設する「南水北調」事業を開始し、2010年頃から北京に供水する計画だが、全工事完成は2050年の将来で、今後の持続可能な食糧増産と産業活動が心配である。

 インド(世界人口の16.3%)は、現在は水需給に余裕があり、地球温暖化によるヒマラヤ山系の雪解け水と降雨量の増加を予測した楽観論もあるが、人口増加と経済発展による食糧需要の増加に対応する食糧増産用水と生活用水の増加による地下水枯渇と水不足が懸念され、大河川ガンジス河も断流寸前の状態を経験している。

3.米国と中国の水不足と日本の食糧・工業安全保障

 世界の穀倉国米国でも、穀倉地帯が依存する農業用地下水の減少傾向と穀物輸出余力減退の可能性が予測されているが、これは米国の穀物に依存する日本と世界の食糧安全保障の重大問題である。

 日本は世界最大級の農産物輸入国で、90年代後半期平均の農産物自給率は40%以下、穀物自給率は30%以下で、毎年、農産物供給の60%、穀物は70%(自国産の約3.5倍)を海外輸入先の生産とその生産に必要な水資源(日本の農業用水消費量の1.5倍)に依存している。その穀物輸入の大部分は農業用水の減少が昂進している米国からである。また日本の加工品を含む農産物輸入総額に占める国別比率は、中国からの輸入比率が90年以降、約3倍増になり、さらに急増傾向にある。

 また中国は、製造工業部門でも日欧米先進諸国とアジア先発諸国の対中直接投資の拡大で、中国は今や日本の農産物と工業製品の重要な輸入依存基地であり、「世界の工場」になろうとしている。もし水不足により米国と中国の農業・工業の生産停滞と輸出余力の大幅減少が起これば、日本の既存の食糧安全保障は崩壊し、中国に展開中の日本とその他諸国の工業基地も停滞し、日本と世界の経済は米・中の水不足発の深刻な打撃を受けることになる。また世界人口の40%を占める中国・インドが人口増加と水不足による食糧不足分の供給を外国に求めても、それに対応する輸出余力はどの国にもないと予測され、世界の注目を集めたL.ブラウンの予測「誰が中国を養うのか」は、世界最大の穀物輸入国日本を合わせて、21世紀に「誰が日本・中国・インドを養うのか」になる恐れがある。

4.世界の水危機に対するメコン河水資源への期待

 そこで筆者は、アジアにある未開発で膨大な経済的潜在力が推定される国際大河川メコン川水資源の「持続可能な開発」を提唱する。その豊富な水と電力の開発と低廉な労働力で、メコン河流域地域はアジアの新興穀倉農業地帯と新興工業地帯になり、米国と中国の水危機の影響をかなり緩和できるかもしれない。

 メコン河は、世界で第12番目の長さ(4880km)で、チベットの源流から中国の雲南省、ミャンマー、インドシナ半島3国(カンボジア、ラオス、ベトナム)、タイの6カ国を流域諸国としてベトナムから南シナ海に流出する。年間総流量は、日本の全河川の総流水量以上で、流域面積は80万平方キロメートルの世界第8位の東南アジア最大の河川で、世界の主要河川の中ではダムや分水路などの開発が、まだ最も少ない河川である。メコン河は水力発電で約6万MWの潜在力がある。流域諸国の経済が、「メコン河経済圏」として相互依存的に団結すれば、豊富な水力発電力と輸送水路でアジアの新興工業地帯になる潜在力を秘めている。

 またメコン河の水質は利根川水の成分の数倍から数十倍の農業と養殖水産に適した肥沃な各種成分を含む。筆者の試算では、伝統的洪水農業を生態系に調和した灌漑農業と適合品種の栽培に転換した場合、インドシナ半島3国の穀物生産と輸出余力はタイを凌駕し、タイとミャンマーを合わせると世界的な穀倉地帯になる潜在力がある。

 また同地域は新興養殖水産基地になる潜在力も持つ。L.ブラウンは、動物性蛋白質の伝統的供給手段であった海洋漁業と放牧畜産業は乱獲と自然の制約で限界に達しており、投入産出効率が畜産よりも格段よい海水と淡水の養殖水産が21世紀の成長産業になると予測している。経済発展に伴い、需要の所得弾性値が高い動物性食品の需要は増大するが、畜産物1単位のカロリーとその畜産物生産に必要な飼料カロリーとの対比は、生乳4倍、鶏卵6倍、鶏肉14倍、豚肉6倍、穀物飼養牛肉30倍だが、養殖魚の穀物飼料必要量は、最大の場合でも牛肉の29%で済む。また畜産は膨大な水を要するが、養殖水産は既存の海水と淡水で済む。

5.流域諸国の相互依存的開発が必要

 重要なことは、利害が相反し易い上流(中国)と下流の諸国が自国の利益中心に独走せず、相互依存的に持続可能な開発を実現することである。その国際調整のために国際機関のメコン河委員会があり、日本も幹部職員を派遣している。しかしメコン河潜在力の開発には、多額の資金と技術の国際協力が不可欠である。流域諸国は、タイと好景気の中国以外、いずれも社会主義貧困国だが、伝統的に極めて親日的な諸国である。21世紀日本経済の安全保障のためにも、日本が相互依存的開発への経済協力の強化に留意すべき流域諸国である。
(2003年3月29日受理)