転換期におけるアジアの課題と挑戦

フィリピン・中央ビサヤ工科大学長 ヘンリー・A.ソジュール

 

1.はじめに

 アジアは史上類のない転換期のただ中にある。人々の生活は世界のどの地域と比較してもかつてない程の早さで変化しており、現在のアジアの状況は25年前とまったく異なる。多くのアジア人が裕福になり、健康になり、食を満たされ、教育を受けられるようになったが、その変化は驚くほど短期間のうちに起こった。
アジア開発銀行の報告(1997年)から引用しよう。

  経済成長がこのような転換の牽引役となった。アジアの経済動向は、アジアと世界の他の国々の国内総生産(GDP)を比較することで最も適切に要約することができる。比較可能なデータが存在する期間としては最も長い1965年から1990年の間に、アジアのGDPは一人あたり年平均3.8%の成長を遂げている。東アジア地域の成長率はさらに高く、一人あたり年平均6.7%の成長を遂げている。
  アジアにおける1965年の一人あたりの平均所得は米国のわずか13%に過ぎなかったが、1990年には26%に達した。東アジアにおける一人あたりのGDPは、1965年には米国の17%に過ぎなかったが、1990年には57%に達した。これは驚くべき成長である。米国の一人あたりの所得は一世代前には東アジアの6倍近かったが、1990年には2倍以下となったのである。
  しかしながら、アジアの内部には他地域に深刻な遅れをとっている地域もある。実際、アジアはいまだに世界の最貧地域を抱えている。例えば、南アジアにおける一人当たりの成長率は年平均1.7%に過ぎない。そのため南アジアの1990年の一人あたりのGDPは米国のわずか8.5%に過ぎず、これは1965年当時とまったく変化していない。

2.アジアの諸課題

 次に、アジアにおける生活の質向上に関する重要課題について述べてみたい。アジア開発銀行の資料が特に有用である。

(1)人口統計学的変化
 経済成長の動向にあわせて、アジアは巨大な人口統計学的変化を経験しつつある。医療の進歩で一般的な疾病が克服できるようになったため、一世代前から死亡率は急激に低下し始めた。出生率も低下したが、それは死亡率の低下が始まってから少し後のことである。

 1995年にアジアの人口は約30億人と推定されているが、これは世界の人口の約53%を占める。歴史的記録によれば、アジアには常に世界のどの地域よりもたくさんの人々が住んでいたようだ。

 アジア開発銀行の報告(1997年)によれば、過去50年間にアジアの人口構造も根本的に変化した。医療の進歩、衛生状態の改善、栄養状態の向上によりアジア人の寿命が延び始めた。しかしながら、アジアには過去においても現在においても、地域的な格差が存在する。日本の平均寿命は80才だが、カンボジアやネパールの平均寿命はいまだに55才に届かない。

 アジア人の生活の質は人口の規模、増加率、構造と密接につながっている。人口統計学的変化はアジアの家庭に大きな影響をおよぼした。ある家庭がより高度な教育や十分な栄養を得られるか否かは、働いている大人の人数と養育しなければならない子供の人数の割合によって決まる。反対に、生活の質の向上は直接、人口統計学的変化をもたらす。例えば、より高度な教育を受けている女性は子供の人数が少ない傾向にある。その子供たちは、あまり教育を受けていない母親の家庭で育てられる子供たちよりも、高度な教育と養育を受ける傾向にある。

(2)貧困問題
 貧困はアジアにおける最も緊急かつ根本的な問題である。約10億人、あるいはこの地域の約3分の1の人々が厳しい貧困状態に置かれている。これらのアジア人は栄養不足である上、居住環境も悪く、基本的な生活条件が整っていない。こうした貧困状態の人口の割合は、ラテンアメリカ(24%)より大きく、アフリカ(39%)より小さい。

 貧困の割合は南アジア(バングラデシュ、インド、パキスタン、スリランカ)が43%で最も高い。それに対して、東アジア(香港、韓国、シンガポール、台湾)の貧困率は26%である。東南アジアの貧困率は、マレーシアの6%からフィリピンの27%まで大きな格差がある。アジアのほとんどの人々は農村地域に住んでおり、貧困率は概して都市部より非常に高い。アジアにおける貧困は依然、主として農村地域の現象である。農村地域の貧民の多くは、農場もしくは農場以外の場所で働く土地をもたない労働者か、小さな土地しかもたない農民である。しかし社会の組織化の進展にともない、都市部の貧民も増加している。

 経済成長によって労働者、特に未熟練労働者の需要が伸びれば貧困を減少させることができる。しかし、初等教育を中心とする教育の機会を拡大したり、物的資本や金融資本へのアクセスを増大したりすることで、貧しい人々の生産性を高めることによっても貧困を減らすことができる。労働集約的な輸出工業製品の生産、農村地域開発および農業生産性の向上、貧困層の人的資本の増加などに焦点を当てた成長戦略は、貧困を大幅に減少させるであろう。

(3)栄養と健康
 健康と十分な栄養の摂取は人間の福祉の重要な要素である。空腹で不健康な人々は病気にかかりやすく、効率よく働くことができない。他の途上国と同様、アジアでは過去数十年間に人々の健康状態と栄養事情が大きく改善された。

 アジアの経済的変化が続く限り、人々の健康状態も変化を続けるであろう。肥満、高血圧、糖尿病、心臓病のような慢性で非伝染性の病気による死亡率が増加している。アジアの多くの地域では、貧困による病気と豊かさゆえの病気がすでに共存している。さらに、働く女性が増え、伝統的な大家族の絆が弱まるにつれ、ますます家族以外の社会制度が高齢者の面倒を見なければならないだろう。工業国家の経験は、高齢者一人あたりの医療費が若者の約3倍の上ることを示している。アジアの人々の健康状態と年齢構成が変化を続ければ、医療支出が大幅に増加することになるだろう。限られた医療費財源に対して需要が伸び続ける問題は、将来さらに深刻化するだろう。

(4)教育
 アジアでは過去30年の間に初等教育への就学率が著しく上昇した。統計可能なアジア諸国の3分の2の国々では、6才から11才の子供の95%以上が学校に通っていると報告されている。成人の識字率の伸びも顕著で、東アジアでは10人中8人が読み書きできる。東南アジアの識字率は86%、南アジアの識字率50%となっている。

 中等教育への就学率も伸びている。12才から17才の子供の半数近くが就学している。特にスリランカ、韓国、台湾では中学校への入学率がほぼ100%に達している。

 アジアの国々の中には、このような教育分野の流れに取り残されているところもある。パキスタンでは小学校への入学率が44%であり、アフガニスタンではわずか31%に過ぎない。バングラデシュでは初等教育段階において65%が退学している。アジアでは男子の方が女子より就学率が高い。南アジアでは成人の識字率がアジア全体で最も低く、ネパールでは26%、アフガニスタンでは30%、パキスタンでは36%、バングラデシュでは37%、ブータンでは40%となっている。南アジア全体では4億2千万人の成人が読み書きできず、その多くが学校や教師の不足している地方に住んでいる。女子、貧困層、そして遠隔地における教育水準の向上が、識字率を上げ、未来を築く鍵である。

 これらの国々の大きな課題は依然、基礎教育への就学率を上げることであるが、アジアのより進んだ国々にとって将来への最大の課題は高等教育の拡大である。高等教育の拡大には財源の確保が最も深刻な問題となる。東アジアにおける高等教育への公的支出は1980年から1992年の間に年平均7%近くの増加したが、それは世界のいかなる地域よりも高い増加率となっている。しかし驚くべきことに、総学生人口が増加したために学生一人あたりの支出額は実質的に減少してしまったのである。

 高等教育への支出とその質の向上は、政府予算の大きな負担となっている。政府は高等教育の公的供給と私的供給の適切なバランスを見定めなければならない。政府は研究を支援し、高等教育の基準を設定し、貧しくとも能力のある人々の就学を確保するという重要な役割を果たしている。将来的には、高等教育にかかる費用の大部分を個人が負担しなければならなくなるだろう。アジアの高等教育制度は、民間資金に依存する方向へと向かうだろう。それが高等教育の質を継続的に向上させる一つの手段である。

3.最後に:アジアの家庭

 アジアでは昔から大多数の人々が結婚し、結婚の時期も比較的早く、また結婚生活を長く継続していた。伝統的に大家族を形成するのが普通であったが、それは子供の数が多いためだけでなく、数世代の家族や親族が大家族として一緒に生活していたからである。例えば、インドでは1950年代、約95%の女性が15才で結婚していた。実質的に正式な離婚は存在せず、またインドの家庭の3分の1が他の一つまたは複数の家庭と生活を共にしていた。

 アジアの経済的・社会的変化は、さまざまな地域においてさまざまな形で、家庭を取り巻く環境をも変えてしまった。しかしながら、そこにはいくつかの共通要素が見られる。国際的研究は、所得の増加と家庭の規模に強い相反関係が存在することを示している。アジアも例外ではなく、女性が産む子供の数は減少し、子供と同居する高齢者の数も減っている。例えば、韓国では1960年には60%以上の家庭が5人以上で構成されていたが、1990年には30%以下に減少している。

 シンガポールでは1995年に「老親扶養法」(Maintenance of Parents Act)が施行され、年老いた親(60歳以上、身体的に衰弱している場合はそれ以下も含む)が自活できない場合は、子供が親を扶養するよう義務付けた。親が子供を養育する義務は既に法制化されている。伝統的にアジアの家庭では孝行の精神から、必要とあらば子供は年老いた親の面倒を見るのが当然であった。国家がこのような法律の必要性を考慮するようになったのは、長い間受け継がれてきた義務観念が崩壊しつつある兆候だといえる。

 アジアでは正式な離婚の割合も増加している。1990年代初頭の粗離婚率(各年の人口1000人あたりの離婚件数)は、1.48であったが、1950年代にはその約3倍に増加した。日本の1983年の粗離婚率は1.51、スリランカの1985年の粗離婚率は0.13であった。この数字は北米の粗離婚率の平均(年間1000人あたり4.4)よりかなり低いが、米国の離婚率は1960年代半ばから1970年代半ばにかけて、わずか10年間で約2倍に増えたことも銘記すべきであろう。

 家族の結びつきにも変化が伺われる。両親と子供たちの間の学歴のギャップが広がっているが、それが家庭のつながりを阻害する場合もある。子供たちが都市に移り住むようになると、伝統的な村落との血縁関係が薄れていく。アジアの混雑し汚染された巨大都市までの長時間にわたる移動が、親子の日常的な触れ合いを減少させている。

 社会発展にともなってアジアの家庭の「理想」が脅威にさらされている事実は、明確には認識されていない。「理想」自体が必ずしも一般的なものではなく、変化の中には善なる目的をもつものもあると考えられている。例えば、法律で離婚を認めるよりも、法律に左右されずに夫が妻を放棄する方が好ましいかどうかは疑問である。同様に、貧しい生活をしている子供が直接責任を持つより、より高度な教育を受けた子供の方が十分に年老いた親の面倒を見ることができるかもしれない。

 未来の予測は冒険的である。特に生活の質のような複雑な問題を扱う場合はそうである。アジアの人々の生活の質は経済成長、人口統計学的変化、政策決定、文化的規範などの複雑な相互作用に影響を受ける。これらの分野における展開が、21世紀におけるアジアの人々の生活の変化に大きな影響を与えるであろう。

(2002年11月14〜18日、韓国・牙山市において開催された第28回ICWPにおいて発表された論文)

■参考文献
アジア開発銀行「新興アジア:変化と課題」、フィリピン・マニラ、1997年
オックスフォード大学プレス「アジアの発展に関する重要問題」(Quibria, M.G. 編)、ニューヨーク、1996年
フィリピン議会「新興経済の人的資本」、2001年