eラーニング可能性とその課題

メディア教育開発センター教授 吉田 文

 

1.eラーニングとは

(1)eラーニング登場の背景
 eラーニングの定義はまだ明確でないが、非常に大雑把な表現をすればeラーニングとはネットワーク化されたコンピュータを利用する教育環境を意味する。ネットワークを介して、教育する側と学習する側がコミュニケーションをする仕組みがあれば、必ずしも遠隔でなくてもeラーニングと呼ぶことができる。同じ建物の中でもeラーニングの環境を作ることは可能である。

 eラーニングが登場した背景として、テクノロジーが廉価に使えるようになったことが一因であるのは確かだ。従来、学校の教室における授業は時間と空間が限定されていて、それらが障壁となって教育の恩恵を享受できない人々がいた。そのような人々に教育の機会を広げようとする試みが遠隔教育であり、時間と空間を超えた教育形態を提供するという点でeラーニングもその延長と見ることができる。

 遠隔教育の歴史は百年以上遡るが、そのもっとも簡単な方法が郵便制度の利用によるものであった。教師が郵便を使って教材を送り、学生もレポートなどを郵便で送り返す。現在の日本における通信教育の原型でもある。テクノロジーの発達にともなってやがて放送の利用が始まり、さらに衛星通信などが使われるようになった。放送の段階まではコミュニケーションが一方向であったが、衛星通信では同時双方向が可能となり、教師と学生の間の頻繁なやり取りが可能となった。その次に現れたのがインターネットである。インターネットは非同期双方向である点で、従来の遠隔教育と様相を異にする。インターネットによって時間と空間の障壁を超え、かつ教室での授業形態にもっとも近い形での教育が可能となったのである。

 また社会の近代化の中で学校は知の集積場となったが、それが有効であるのは社会的な通貨として一定の価値を持つ「学歴」を付与するからである。大卒であれば一定の職に就ける、あるいは何らかの資格が与えられ社会から評価されるというのは、学歴が社会的通貨としての価値を持つからにほかならない。その点で学歴は他の資格とは意味合いが異なる。学校は学歴を発行する機能を持ったことで知の集積場としての価値を高めたが、遠隔教育は教育のこうした恩恵にアクセスを求める需要に対して知を配信する役割を果たしてきたのである。

(2)教育機能面での特徴
 教育を就学前教育、初等、中等、高等教育、生涯教育という段階で考えれば、eラーニングがもっとも盛んに取り入れられているのは高等教育とそれに類する生涯教育や企業内教育である。これは遠隔教育自体が中等教育以下の段階の青少年に対してうまく機能してこなかったことが一つの原因である。恐らく今後もこの状況はあまり変化がないであろう。

 教育には知識や技術の伝達という認知的機能とともに社会化(socialization)の機能がある。対面教育は遠隔教育とは異なり、知識や技術の伝達以上の人間的な触れ合いがある。小さな子供は大人との人間的な触れ合いを通じて大人の社会に同化していく。また学校は子供たちを街で遊ばせておかずに規律や訓練を身につけさせるという意味もある。こうした社会化の機能をもったという意味で学校は重要な役割を果たしてきたのである。

 一方、一人で学習を続けるためには動機付けの問題が重要である。遠隔教育やeラーニングは個別学習を基本とするため、学習に対する動機付けを長期間保てるだけの大人でなければ継続することが難しい。遠隔教育はこれらの社会化と動機付けの問題の故に、年齢の低い青少年には適用できなかったのである。

 eラーニングは、主に一旦職に就いた社会人の再教育の場としての生涯学習分野でも大きく広がっている。eラーニングが普及しても対面教育は今後も必須の教育形態であり続けるだろう。確かに、対面教育を受けたくても受けられない人々にとって遠隔教育あるいはeラーニングは効果的な手段であり、教育の機会を拡大するというメリットがある。だがeラーニングによって必ずしも教育効果が上がるとは限らない。例えば、米国のリベラルアーツ・カレッジは寮生活を基本としながら少人数教育を行い、教員との人間的な触れ合いの中で学生を育てることをミッションとしている。eラーニングでそのような教育は不可能であり、eラーニングを導入しないと断言する大学さえある。

 従来の教室型の対面教育と遠隔教育やeラーニングとでは、教師と学生の役割が異なる。今までの教室型の対面教育は“teacher-centered”あるいは“faculty-centered”と呼ばれ、教員が主導的役割を果たしていた。学生は受け身的に言われたことだけやるという色彩が強い。一方、eラーニングは学習の色彩が強くなり、学習する側が主体的な役割を果たす“learners-centered”あるいは“student-centered”と呼ばれる教育形態である。具体的には、学生が効率的に学習を進められるように配慮して教材を制作したり、ドロップアウトを防ぐために側面から支援したりすることが教師の役割となる。“professor”は“facilitator”あるいは“instructor”に変わり、更に“advisor”や“tutor”が学習のプロセスに加わることもある。

2.eラーニング導入の現状と課題

(1)米国の大学における現状
 日本ではeラーニングが導入されてまだ間もないが、米国は既に量的な拡大を遂げている。この背景にはもともと米国の高等教育人口の半数が25歳以上の成人で占められているという状況がある。大学で再教育を受けて学位を取得することが社会で評価され、具体的に給与が上がるシステムも確立している。更に、より簡便な方法があればもう一度大学で学びたいとの意欲を持つ人々の潜在的需要があり、それをeラーニングがうまく取り込んでいるのである。従来米国の大学は、遠隔教育は別種の教育という色彩が強かったが、今はキャンパス型の大学でもeラーニングの導入を進めている。2002年度の調査では、少なくとも一つのeラーニングプログラムを実施している高等教育機関の割合は全体の63%に達している。

 米国でeラーニングに近い形態の教育が始まったのは1989年のフェニックス大学のMBAプログラムが最初だと言われている。実際に多くの大学が取り組むようになったのは、1990年代半ば以降のことである。従って、5〜6年という短期間にeラーニングが急速に普及したことになる。浮沈は激しいものの、eラーニングによってフェニックス大学のような営利大学の数も学位を発行する大学の18〜19%を占めるまでに増加している。

 フェニックス大学はなぜ成功したのか。同大学は今年も学生数が約70%の伸び、収益が数十%の伸びで、ほぼ一人勝ちの状態である。同大学のMBAプログラムは有職者のみを対象としており、授業料は州立大学の平均の倍以上であるが、それでも学生が集まってくるのである。

 フェニックス大学は大学経営を高額の授業料のみに頼らず、人件費をかけない工夫をしている。約7000人の教員のほとんどが非常勤で、他大学に籍を置いたままパートタイムで雇用している。コースを開講するときだけ雇うので人件費がかからない。授業料による収入だけでなく、コストを抑えて効率的な経営を行っている。

 一方、営利部門を創設してeラーニングを始めた既存大学の多くは失敗してしまった。その根本的原因は、教育の論理が経営の論理に勝ってしまったことにある。専任教員が授業を担当すると教育内容を充実させようとするが、それは教材の制作にかかるコストを高くすることになる。フェニックス大学はターゲットを絞って学生を募集したが、既存大学は間口を広げすぎた。「フェニックス大学のやっていることは教育でない。あれは訓練にすぎない。」と批判する人々もいるが、その商品を買う学生が多いことも確かである。

 ただし、米国においても大学教育の中心はあくまでも伝統的な対面教育のスタイルであり、eラーニングはそれを補完する形で導入されている。特に学部レベルではeラーニングがそれほど導入されている訳ではなく、もっとも積極的なのはMBAなどのプロフェッショナル・スクールである。中でもMBAコースは実践的な職業訓練の場でありプログラムの到達目標が明確なため、eラーニングのコースにも載せやすいという事情もある。一方、人文科学系のように問題に対する答えが一つではない分野はeラーニングに適しておらず、学問領域によっても差がある。

 MBAのほかにIT関連や看護師の再教育などの分野でもeラーニングが導入されているところが多い。看護師はそれぞれの職場を持っており、実技に相当する訓練は現場で受けることができる。そのためeラーニングでは理論的なトレーニングに集中することができる。また教育分野では、教師の再教育やeラーニングの指導者としてのスペシャリストの養成も大学院修士課程レベルを中心に行われている。

(2)日本の大学における現状
 日本でも今後米国と同じようにeラーニングが急速に普及するとは考えにくい。日本では少子化の中で大学の入学者数が減少しており、増加傾向にある米国とは逆の状況に置かれている。eラーニングが学生獲得の一つの手段であることは確かだが、学生は18〜22歳のフルタイムが中心であり、有職成人が少ないのが現状である。18〜22歳の学生は、職に就いていないのでキャンパスに通ってきて勉強することを最優先するため、彼らを対象にeラーニングを行っても経営という点ではあまり意味がない。今後eラーニングの導入は徐々に進むであろうが、それが全体に広がるほどの需要はまだないと思われる。

 日本では2001年からインターネットを利用して聴講した授業を単位化することが認められるようになったが、実際に単位化の制度を取り入れた大学はまだ少数である。単位と関係なくインターネットを利用して授業を行っている大学でも全体の10%程度であり、単位化している大学はその中の数%に過ぎない。更に、将来授業での利用を計画している大学が2割程度、単位化を計画している大学が6〜7%である。実際にこれらの大学が計画を具体化したとしても、日本の大学におけるeラーニングの導入は当面3割前後が見込める程度である。

 一方、日本の企業は企業内研修のコスト削減のために積極的にeラーニングを活用している。日本はもともと企業内教育に力を入れてきた社会であるが、その際にかかる人の移動や宿泊の費用、講師料などはすべて企業が自ら負担していた。eラーニングを導入することで、少なくとも人の移動にかかるコストを削減することができる。また研修のために社員を一定期間ある場所に集中させる必要もない。一定期日までにeラーニングで研修を受けるようにしておけば、昼間は社員に通常どおり仕事をさせることも可能である。

 それに対して大学などにおける一般的な教育のコストは、もともと半分くらいが受益者負担である。学生は授業料を支払って教育を受けるので、大学側にコスト削減へのモチベーションが働きにくいという事情がある。

 日本の大学でここ2〜3年で急速に増えているeラーニングの形態としては、授業で使用した教材をwebでいつでも見られるようにしておくとか、教室の授業の一部として学生たちがグループごとにweb上で課題に取り組むといった方法がある。レポートの提出、成績管理、授業登録などもweb上でできるようになってきている。

 日本ではface-to-faceの対面授業はそのまま維持しつつ、復習や課題などの周辺部分において様々な形でインターネットを利用する大学が増えている。今後も授業に補助的にeラーニングを利用したり、一部のコースをeラーニング化したりする形態が中心であろう。現段階では社会人の中にあるeラーニングの潜在的需要もそれほど大きいとは思えない。というのは、日本で社会人が何をメリットと感じて大学に帰ってくるかと言えば、まだまだ人生を充実させるなどの自己充足的な意味合いが強い。大学で学ぶことによって昇進や転職を目指すということにはあまり重点が置かれていない。大学で再教育を受けることに対する社会的評価や体制が確立されれば需要は出てくるであろうが、今のように自己充足的な教養を求める需要がどの程度増えるか定かではないし、そうした層がeラーニングという形態を欲するのかも定かでない。

(3)eラーニング導入の課題
 eラーニング導入に際してはさまざまな課題がある。まず、米国と日本では社会的環境が異なる。日本はそもそも専門大学院の数が少ない上に、最近はキャンパスも都心に集中する傾向がある。社会人大学院はeラーニングよりも一カ所に集まって学ぶ方が意義があると考えられているようだ。高等教育の中でeラーニングを積極的に取り入れてメリットを感じる分野が米国ほど明確ではないのも現状である。

 もう一つの問題はコストである。インターネットの利用に費用はほとんどかからないが、eラーニング用の教材を作成するにはかなりの資金を要する。果たして今の状況でコストに見合うだけの学生を集められるだろうか。一部の私立大学では学生確保による経営改善の手段としてeラーニングを導入しているところもあるようだが、国立大学はコストを度外視している傾向が強い。

 またeラーニング導入による教育的効果は今のところ正確に把握されていない。とりあえず実験的に導入している大学がほとんどである。しかしコストを無視できなくなったときに何と比較して判断材料とするかが重要である。

 教育効果に関しては、例えば日本では実際の講義を録画し、web上でvideo streamingなどで配信している大学がある。講義は何度でも視聴でき、webを通じて講師への質問や課題提出ができるというパターンのものである。しかしこのような形態ではまだlearners-centeredの学習とは言えない。確かにvideo streamingで授業の雰囲気は分かるであろう。しかし米国では、講義内容の要約や読んでおくべき関連文献がテキスト形式でwebに載せられ、更にそこから文献へのリンクが貼られていたり電子図書館を通じて入手が可能であったりする方がより効果的だと考えられている。学生が何を読むべきであり、何を調査し、どのようなレポートを作成しなければならないかがweb上で明確に構成されていることが大切である。単に受け身的に授業を聞くだけで主体的に学習しなければ無意味なのである。

 ところで、大半の教員はeラーニングで効果的な教材を作るスキルを持っていない。講義内容の構成を考えるにはインストラクション・デザイナーなのどの専門家が必要である。残念ながら日本には企業を含めてそのような人材が極めて少なく、大学にもeラーニングの専門家を養成するシステムもないのが現状だ。学習を自主的に進められるように、教室型講義をweb上のコースに作り変えられる人材が必要である。

 それとともに、eラーニングは「いつでもどこでも学習できる」というのが謳い文句だが、その逆も起こりうる。すなわち「いつでもどこでも学習しない」というパターンである。eラーニングはドロップアウトの比率が高い。最後まで到達できるように学習者からの質問にすぐに答えられる体制を作ったり、学習者に働きかけて学習の進度をチェックする支援者を準備する必要がある。必ずしも教員である必要はないが、学習支援の体制をどこまで作れるかが重要である。

3.今後の展望

 eラーニングによって既に教育分野で国際競争が始まっていると警告する人々もいる。事実、WTOは日本をはじめ各国に教育サービスに関わる障壁の除去を求めている。日本では一時期、海外大学の日本校が数多く設立され、正規大学として認められなかったために最終的にそのほとんどが撤退を余儀なくされた経緯がある。eラーニングも同様に教育分野における商品の輸出であり、それを妨げる障壁はなくすべきだというのがWTOの主張である。中国や香港、シンガポール、タイなどには既に米国の大学が進出し、eラーニングで学生を獲得している。

 欧米の大学が日本に進出する場合には言葉の壁があり、読み書きで問題なく授業について行くだけの英語力を持っている学生はそれほど多くない。しかし、例えば日本でもビジネスブレークスルーは南カリフォルニア大学などと提携し、CS放送を通じたMBAコースを開講している。現在400〜500人ほどの日本のビジネスマンが受講しているようである。

 従来、企業は社内留学制度などを設けて社員にMBAを取得させていたが、不況の中で社員に2年間も海外留学させることが困難になってきている。そのためある大手企業は米国の大学と提携し、インターネットを利用したeラーニングで社員にMBAを取得させている。

 米国以外でeラーニングが盛んに行われている地域として国土の広いオーストラリアやカナダがあるが、オーストラリアは人口が少ないため、以前からアジア太平洋圏の学生を獲得しようとしている。そこにeラーニングを導入すれば効率的であるという考え方は当然出てくる。海外に教育市場を求めるのはオーストラリアの国としての政策である。欧米の大学と、そのような形での競争が始まっていることを日本の大学は視野に入れておくべきであろう。(2002年11月6日)