日本を再生する「教育革命」のシナリオ(下)
21世紀の新しい大学像

元立命館大学教授 中村 忠一

 

1.日本の大学の現状

(1)日本の大学では必要な人材が育たない
 評論家の立花隆氏は、朝日新聞の記者の質問に答えて、人材の育たぬ日本の大学教育を批判し、海外から採用する時代に変わるだろうという。立花氏は、日本の大学教育の欠陥を次のように指摘している。

 「一つの欠陥は、学生が入学したら勉強しなくなることです。○○大卒という肩書きだけほしい連中が多い。企業や社会の側も、一定の力を持った学生の頭かずをそろえるのに熱心で、ある大学の卒業生の質を客観的に評価しようという発想がなかった」。そして、この現実の建て直しについて、「簡単には無理です。なかなか世界標準にたどりつけないのは、本当の意味で国際競争にさらされていないからです。日本経済は国内のみで通用する人材で十分やってこられたのだ。国際的な人材は必要なかったし、海外から採用する姿勢もなかった。…(外資が入った)日産自動車は社内の会議を英語にしましたが、それができる人材を育てるには大学自体が国際化しなければならない。でも、教授会を英語でやっている大学がありますか。日本社会で最も国際化しているのは国立研究所などサイエンスの分野です。論文も学会も英語だから、事務方まで四苦八苦してやっている。これでないと日本のグローバル化は進みません」。続けて彼は言う。

 「日本は人材不足になり、海外から採用しないと発展できなくなります。企業が変わりつつあるが、大学が気づいていない。近い将来、日本の大卒は採ってもしようがなくなる。人材は香港やシンガポールの大学にいくらでもいますから。中国との関係も重要です。これ抜きで日本の将来は考えられない。中国の頭脳をどれだけ活用できるかで、企業間に圧倒的な差がつくんじゃないですか」。(「朝日新聞」02年1月17日付)

 よく似たことを遠山敦子文科相もいう。「すべて英語で講義している大学がないのは、先進国として恥ずかしい」。

 教授会が英語で行われている大学が、日本にもないわけではない。立命館大に在籍していたころ同僚の先生から「前任校のノートルダム女子大では英語で教授会が行われている」と聞いた。30数年前のことだが、今も変わっていないと思う。だが、そういうことがここでの問題ではない。

 30年程前、私は大学教授の職を辞し、5年間のヨーロッパ自費留学に行った。50の手習いでアリアンス・フランセーズ(フランスにある外国人のためのフランス語学校)でフランス語を学んだ。クラスには1級(初級)から2級(中級)、3級(上級)、4級(最上級)の4クラスに分かれ、各クラスとも正味2時間授業を週2回、1年間で最上級課程まで修了できるようになっている。勿論、進級にはそれぞれのクラスで試験があり、これをパスしなければ進級できない。

 会社から派遣された社員は、滞仏1年で4級までの進級が義務付けられているようで、同じクラスの授業を違った時間割の組でダブル受講し、無事4級(最上級)を修了しフランス語のスペシャリストとして国際商戦の表舞台で活躍している。 

 この実践的経験からすると、現行の単位制での語学教育は週2コマ(90分授業の2回)、前期と後期の2期に分け、それぞれの期を2単位とし、2年間で8単位を必須にし、それぞれの授業は日本語を使用せずすべて受講する言語を使って講義し、成績評価を厳格にすれば外部からの語学教育批判は生まれてこない。また、第二外国語を8単位(4クラス)必須とし、各クラスの試験にパスしなければ上級クラスに進級できないシステムを取れば、二カ国語を自由に「読み、書き、話す」ことができる人材を育成することができるだろう。

(2)インドの大学教授の嘆き「自国語で講義したい」
 だが、遠山文科相の言葉は、米国に「ノー」といえない当世風官僚(特に外交官僚)らしい発言である。その言葉で、アリアンス・フランセーズで同じクラスだったインドの大学教授の言葉を思い出した。彼は私と同じ経済学専攻の学者であった。
「日本は先進国で恵まれている。専門用語もすべて自国語。インドでは専門用語が整備されていない関係もあって、大学の講義はすべて英語で行われている。自国語で講義できる日が待ち遠しい」。

 明治10年(1877年)、帝国大学(今の東京大学)が創設された頃は、インドの大学と同じ状況であった。インドでは知的エリートに加わるには英語を自由に使えなくてはならない。それは親の経済条件にかかっている。月謝1000ルピー(02年4月12日為替相場で2880円)の私立学校“セントメリーズスクール”では、すべて授業は英語。生徒は皆中流階級以上の師弟である。月謝300ルピー(864円)の私立学校では、“英語とヒンドゥー語”で、テント張りの公立学校ではヒンドゥー語だけで授業が行われる。貧者(国民の大多数)のエリート校としては、現在400余校(1校あたり300〜600人の超小規模校)のナポダヤ・ヒドゥアラヤがあり、“数学と知能”テストで選抜された6年生(日本と同じ12歳)から12年生(18歳)が学ぶ。全員が寄宿舎に入る。授業料から生活費まですべて国が負担する庶民の“夢の学校”である。14歳から18歳が学んだ予科(3年)、本科(2年)の戦前の日本の師範学校に似ている。

 若いIT技術者の“世界の宝庫”と言われるインドのIT技術者は、デリーなどにある6つのインド工科大学(IIT)から誕生する。IITは6校で定員2800人に、“英語と理数”の秀才たちが集まる。定員2800人に50倍以上の受験生が6校合同で行われる入試に集まる。入試科目は数学、物理、化学。数学は線形代数、微分方程式などで東大の理系よりも難しいという。そういえば、先のインドの大学教授の数学力には驚かされたものだった。

(3)教養教育の軽視が生んだ科学知識の欠如
 新制大学発足時に比べて語学力の低下は、フランスでは中学課程から始まる第二外国語教育が、日本では多くの大学でいつのまにか8単位必須がなくなってしまったことに象徴的に表われているが、学力の低下は語学だけではない。教養教育の軽視から、大切な科学的知識が多くの日本人の頭の中で空っぽ状態になってしまった。それは成人を対象とする理科知識の国際調査の結果に表われている。

 成人の「科学の基礎知識への理解度」に関し、文科省の科学技術政策所の調査によれば、先進14カ国の中で日本は12位とひどく悪い調査結果が出た。面接調査の質問は次の10問である。

1)大陸は何万年もかけて移動している。
2)現在の人類は原始的な動物種から進化した。
3)地球の中心部は非常に高温である。
4)我々が呼吸に使う酸素は植物から作られた。
5)すべての放射能は人工的に作られたものだ。
6)ごく初期の人類は恐竜と同時代に生きていた。
7)電子の大きさは原子の大きさよりも小さい。
8)レーザーは音波を集中することで得られる。
9)男か女になるかを決めるのは、父親の遺伝子だ。
10)抗生物質はバクテリア同様、ウイルスも殺す。

 この10問に対する先進諸国14カ国の成人の正解率は、トップがデンマークの64%、続いてイギリスの63%、米国61%、フランス61%、オランダ59%、ドイツ58%、ルクセンブルグ56%、ベルギー55%、イタリア55%、アイルランド52%、スペイン51%、日本51%、ギリシア44%、ポルトガル43%で、日本は14カ国中12位。上記の問題に対する正答と日本人の正答率は、次の通りであった。

1)○、83% 2)○、78% 3)○、77%
4)○、67% 5)×、56% 6)×、40%
7)○、30% 8)×、28% 9)○、25%
10)×、23%

 この調査では、「○か×か」で解答を求めた二者択一方式なのだから、10問中5問が分かり5問が分からない場合、確率的に見ると75%の正解率に調査対象者の人数が多くなれば多いほど近づく。問題は正解率に対応して難しくなっているが、18歳から60歳の○×方式に馴らされた新制世代が解答者なのだから、正解率は問題が難しくなればなるほど50%に近づくはずなのに、この低い正解率からすると解答者は真面目に自分の考えに従って解答したということだろう。それだけに誤った理科知識を持っているのがよく表されているとも考えられる数値である。

 米国と日本とを比較すると、米国の中高生はそれほど学力が高くないのに、大人になるとトップレベル。「大学の科学技術教育が充実しているから」という見方もあるようだが、大学教育における文系学部比重は、日本より米国の方がかなり高い。問題は教養課程の教育差とみるべきだろう。日本の大学の文系学部、特にその大半を占める私立文系では理数の教養教育はゼロに近い。大学進学50%の時代、大学教育に問題があるとすれば、まず問題なのはこの点だろう。

 教養教育の軽視は、必然的に教養担当の教員数を減少させる。その結果、以前の大学では考えられなかった「入試問題の外注」という現象が起こっている。河合塾は2000年3月入試問題作成業務を行うと発表したが、2001年20校近い私立大学が今春の大学入試問題の作成を大手予備校「河合塾」に依頼した。さらに自校で作成した入試問題にミスがないかのチェックを委託したという。「どんな学生をとり、どんな人材を育成するか」といった教育ポリシーが最初から欠けていると言われても仕方がない。

 高校生の学力不足から補習授業ではない“補修授業”が多くの大学で行われているが、ある大学では入試から半年間の補習授業(補修授業)を設け、河合塾の講師が授業を担当しているということだ。大手予備校では、既に大学の補習(補修)授業を営業科目に取り入れている。代々木ゼミナールでは、「大学補習事務局」を設け、約10校の注文を受けているという。推薦入試やAO入試の合格者向けに中高レベルの数学や英語、物理のビデオや確認テストを作り、発送採点を行っている。本当ならそのような業務は大学の教養部が行うべき仕事なのに、受験産業がこれを代行・請負っているというわけだ。実に情けない。

“教学優先”の理念に立てば、学力不足の学生に対する“補修授業”は、教授会が責任を持って行うのが本筋である。私立大学から始まってとうとう東大だけを残すことになった教養部の解体は、“教学”の役割・責任の一端を受験産業にまかせるという現象まで生み出した。“効率性”の追求が、教学無責任化の新しい傾向を生み出しているのは、大学として反省すべきである。

2.大学教育の充実化策

(1)「お情け点時代」よ、さようなら
 立花隆氏の指摘の如く、日本の大学生の“学問離れ”現象は、浅間山荘事件以後、大学紛争が終わり、学園に平和が戻ってきた頃から次第に顕著になった。全く逆行する不可思議な現象だ。昭和40年代、民青、中核、革マル、ブント、社青同、構革など活動家グループを除く大多数の学生は、片手に「朝日ジャーナル」をもつノンポリラジカルと「マンガ本」を手にする無関心ノンポリに大きく分かれた。そして、学園に平和が訪れ、「ジャパン イズ ナンバーワン」の言葉が生まれ、上場企業や所謂“よい企業”への就職が容易になると、“マンガ本片手”の学生が多数派となり、やがて「朝日ジャーナル」は廃刊に追い込まれた。昭和から平成の70余年に学生の“学問する心”に三つの大きな変化が生まれた。この変化は次のことにそのまま表われている。

 その1:私と一緒に上海の部隊に入隊し、44年春戦傷死した同窓生内田郁君(東大・法)に関し、同窓会誌に寄せられた一文の中で、「当時、西田幾多郎の『善の研究』はなかなか入手できなかった。その全文を内田君が筆写して持っていたのを見せてもらった事がある」。

 その2:就職に大学での成績が重視されていた時代、多くの学生答案の“追記”に、「可(C)なら、不可(D)にして下さい」とあった。

 その3:就職に「大学成績不問採用」時代、答案への追記は「可(C)でいいですから合格点を下さい」つまり、「お情け点」時代が始まった。

 その1の勉学の内生的動機が学生に「学問する心」を持たせた時代と、その2以下の勉学の外生的動機が問題となる時代とでは、学生の「学問する心」に大きな質的違いがある。だが、「可なら不可にして下さい」という「好成績志向」時代と「可でもいいですから合格点を下さい」の“お情け点”時代では、学生の勉強は量的にも質的にもすっかり変わった。勉学の外生的動機を失った学生の多くが、「学問離れ」状況にあり、大学生の学力低下が次第に深刻化し、「日本の大学では人材が育たない」という厳しい批判を生み出した。この批判に対する大学の反省が「成績評価の厳格化」である。「お情け合格点」は一切出さないという外生的動機で“勉強しない学生”を無理強いしてでも、“勉強する学生”に引き戻そうというわけだ。
 
(2)増加する「厳しい大学」、本当に厳しいの?
 成績評価の厳格化の代名詞になっているのが、GPA制度(グレード・ポイント・アベレージ)である。GPAとは、一体どのような方法なのだろうか。簡単に説明すると、授業科目ごとの成績評価を5段階(A,B,C,D,E)で評価し、それぞれに対してA=4, B=3, C=2, D=1, E=0のようなグレード・ポイント(GP)を付与する。そしてこの単位当たりの平均を出して、その一定水準を卒業要件としたり、退学勧告の根拠としたりする制度のことである。平成12年度GPAを実施している大学の事例を『ドリコムアイ』は、次の如く紹介している(日本ドリコム、『ドリコムアイ』02年5,6号)

 岐阜大学教育学部においては、GPを○=4、A=3、B=2、C=1、D=0と設定し、前学期の成績をもとに算出されたGPAの結果によって、履修科目の上限単位数が決定されるという制度を採用している。つまり、GPAが高いほど上限単位数が増加するわけだ。(Aは全体の5%)

 広島市立大学では、国際学部、情報科学部、芸術学部において、GPA制度を活用している。A=60、B=40、C=20、D=0、E=0と設定したGPを奨学金推薦順位、授業料免除制度などの参考として使用している。

 青森公立大学では、セメスター制度を採用しているが、GPをA=4、B=3、C=2、D=1、E=0と設定した上で、累積アベレージが2.0以上を卒業判定に、3セメスター連続で2.0以下が退学勧告の対象となっている。

 早稲田大学商学部では、○=3、優=2、良=1、可=0、不可=マイナス1とし、大学院推薦入試の参考としている。

 共立薬科大学では、GPをA=9,8,7、B=6、C=5、D=4,3,2,1、E=0と設定した上で、通算5.0以上を卒業判定としている。また、大学院推薦入試、就職推薦、卒業後病院や薬局への配属の参考としても使っている。

 金沢工業大学では、S=4、A=3、B=2、C=1、D=0と設定し、結果を学籍簿に記入、修学、進学、就職指導等に有効活用している。

 GPAだけが「厳格な成績評価」の方法ではない。その方法として幾つかの事例を「ドリコムアイ」の編集部では前掲載誌の中で取り上げている。これを紹介すると次の通りだ。東京外国語大学では、第1年次修了までに第1年次主専攻語科目12単位修得、2年次修了までに第2年主専攻科目12単位、地域基礎科目8単位および専修科目4単位を修得しなければ、それぞれ2年次、3年次に進級できない。

 山梨大学工学部では、病気その他やむを得ない事情がないにもかかわらず、入学後1,2,3,4年修了時の全取得単位数がそれぞれ30,40,55及び70単位未満の者、および5年次修了時に卒業論文履修条件を満足できないものに退学を勧告する。

 青山学院大では、入学後の2年間(休学期間を除く)で取得単位が32単位に満たないものは成業の見込みがないものとして除籍されることがある。

 東京理科大学では、1年次で履修する特定の授業科目を「1年指定科目」とし2年次の進級条件としている。1年次の在学期間が2カ月を越え学生の適性が所属学科の学修に向いていないと判断されるときは進路指導が行われる。

 武蔵大学では、連続する学年にわたり、各学年度に修得した単位数が10単位未満のものは退学を命ぜられる。

 日本獣医畜産大学では、22〜25単位以上不足しているものに退学勧告がなされる。

 「ドリコムアイ」の編集部は「このように、学生に対して厳格な成績評価を実施している大学は枚挙に暇がない。GPA制度の普及とともにこうした『厳しい大学』が、今後ともますます増加していきそうな勢いだ」と言う。また、朝日新聞も一橋大学でのGPAの採用決定について「成績評価における国際基準の導入」として高く評価している。

 GPAの採用など「成績評価の厳格化」が学生の勉学動機をどこまで高めるかは未知数だが、それ以前に皮肉な現象だが、平成不況による就職難が当世学生気質にかなり大きな影響を与えている。大学生協連の調査がこの変化を浮かび上がらせた。

 「何を重点に大学生活を過ごしているか」という質問に対して、「勉学・研究」と答えた者が24%で最も多かった。「何でもほどほどに組み合わせた生活」が21%、「豊かな人間関係」が19%。95年の調査では「豊かな人間関係」、97年では「何でもほどほど」が、それぞれトップであった。大学生活の重点の年度別変化を図で示すと図1の通りである。

 同じ調査で、学生の49%が「就職に不安を感じている」と回答している。この二つのデータから大学生協連は、「この不安がつきまとう限り、『勉学以外にもしたいこと』があっても、なかなかできないようだ」と分析している。学生の講義への出席状況もこの調査で見る限り、好転しているようだ。

 今、ここで取り上げた「成績の厳格化」がどの程度の効果をあげるかはまだ未知数だが、学生は現金なものである。この程度の「成績評価の厳格化」より企業の採用人事における“学業成績重視”への回帰の方が学生に対する“外生的勉学動機”に対するインパクトが大きいことは確かなようだ。

 GPAの導入など米国の大学を手本とした大学改革が進められているが、米国の大学教育が成功しているとはいえないことも忘れてはならない。

 米国の4年制大学では、大学に入学した学生の50%以上が卒業できず中退している事実がそれである。このことは、教育関連調査機関のカウンシル・フォー・エイド・トゥー・エデュケーション(CAF)の調査で明らかになった。別の教育関連機関ACTも、2000年の卒業率が公立大で41.9%、私立大で55.1%に低下したと発表した。1913年にはそれぞれ52.2%と59.5%であった。

(3)「成績の厳格化」、行きつく先は点数制と学年制の“復活”か
 「成績の厳格化」で学生に外生的勉学動機を与えようとすれば、行きつく先は旧制時代の「点数制と学年制」に立ち戻ることになる。現在では大学の先生も、遠山文科相を始め文部官僚も全く経験なきことで、言葉の意味は分かってもその実際は理解し難きことだろう。そこで旧制高校(今の大学教養課程)の点数制と進級条件を示してみよう。

 まず点数評価と今のABCD(優・良・可・不可)の4段階評価の置き換えをすると、80点以上がA、60点以上がB、40点以上がC、40点以下がDと考えるのが適切である。

 ところで、1年から2年、2年から3年、そして卒業の三つの段階での進級(卒業)の条件は高校によって若干の違いはあっても大体次の如くであった。

1)平均点60点以上で、次の条件を満たしている場合
イ)50〜59点の科目が全科目の三分の一以内
ロ)40〜49点の科目が一科目あれば、他の科目で50〜59点の科目は一科目だけ(2科目以上あれば、平均点が60点を上回っていても原級止まり)
 したがって、40点以下が一科目でもあれば原級止まりになる。

2)欠席時間350時間以内(一コマ50分)、欠席・遅刻の回数40回以内
 以上の条件をクリアーしないと原級止まりとなる。“敝衣破帽”の旧制高校文化では、クラスで成績一番より、1、2の条件スレスレの超低空飛行で進級することが尊ばれた。そして面白いことにクラスの成績一番は東大に、後者は京大に進学するものが圧倒的に多かった。これは戦前における東大と京大の学生気質の違いを端的に示すものだった。

 旧制時代の成績評価と進級基準は、GPAの導入よりもかなり厳しかった。学力不足の状況が、いわば相対評価の“成績基準の厳格化”によって克服されないとすれば、旧制時代の点数制の成績評価に立ち戻ることになるだろう。

 企業が大卒採用で大学の成績を重視しないという間違った採用方針をとったのも、もとを正せば、A、B、C、D(不可)への評価基準の変化に対応して「大学の成績評価が甘くなった」ことに一因があったと、元大学人の私を含めて大学人として反省すべきだ。

(4)学生の“内生的勉学動機”とファカルティ・ディベロプメント(FD)
 “学問離れ”した学生に“学問する心”を“復活”させるのに、外生的動機より一層大切なのは、内生的動機である。この内生的な動機づけを大学として助ける作業が、ファカルティ・ディベロプメント(FD)の役割である。FDは、大学の教育力向上のため全学的に研究・研修を実施する取り組みで、米国の大学で広く普及している。具体的には「教員相互の授業参観」や「授業方法についての研究会」「新任教員のための研修会の開催」「センターの設置」などがある。

 この問題については、『「冬の時代」の大学経営』(東洋経済新報社、1997年)の第5章「大学教授にも勤務評定」で詳細に見た。この本を執筆した当時(平成8年度)には、FDを実施する大学は183大学(内、国立47、公立1、私立135)であったが、平成12年度では341大学(内、国立94、公立19、私立228)に急増している。国立大では、95%の大学が実施に踏み込んでいる。全体としては52%の大学で実施されている。

 FDの内容についてみると、新任教員研修会は平成8年度では59大学(内、国立17、私立42)で実施されていたが、平成12年度には国立45大学、公立2大学、私立69大学の116大学で実施されている。

 教員相互の授業参観は、平成8年度では国立12大学、私立9大学の僅か21大学であったが、平成12年度では国立35大学、公立2大学、私立36大学の73大学で行われている。

 センター等の設置についてみると、平成8年度では国立8大学、私立14大学の22大学だけであったが、平成12年度には国立15大学、私立31大学の46大学となっている。

 どうもFDの実施では、“国立大の独法化”など対応する重大問題が多い国立大が積極的に動き、教育面で実際には必要度がかなり高いはずの私立大でその実施が大きく立ち遅れているのも産業社会の常識とは違った“大学の世界”の現象と見てもよいだろう。

3.21世紀の新しい大学像

(1)大学が変わる、新しい大学の将来像
 社会が必要とする質の高い学生を育成する努力を積み重ねても、どうにもならないのが“自然の力”である。つまり、少子化による学力(質)の菱形が小型化することである。「18歳人口120万人割れ」は、15年後には確実にやってくる。その後に続くのは、「18歳人口100万人割れ」の時代である。そして「18歳人口80万人時代」が足早にやってくることは、今の経済政策・社会政策では確実である。菱形の面積は、200万人時代を1とすれば、120万人時代は3/5に、100万人時代は1/2の大きさになる。

 この菱形で、18歳人口200万人、大学志願者100万人時代大学入学者を上位50万人とすると、入学者は菱形の半分以上の学力を持っていると見てよい。18歳人口150万人、大学志願者75万人時代では、入学者部分は上部2/3を示すことになる。100万人時代、大学志願者50万人時代では、この線が消滅する。そうなると「選抜的大学」では、200万人時代の点線スレスレの質を持つ学生集団を確保するのは難しい。「極めて選抜的な大学」である東大や京大の入学者は、200万人時代には職業高校も含めて高校生200人中1番の学力の持ち主であったものが、100万人時代には2番の学力の持ち主も入学できる。200万人時代、早慶では50人中の1番の学力の持ち主が入学していると推測されるが、100万人時代では25人で一番の学力の持ち主が入学してくることになる。早慶以外の私立一流大学や地方国立大では、入学してくる学生が高校生8人中トップの学力を持っていたとすれば、100万人時代では高校生4人中のトップの学力を持っていれば入学できるという計算になる。中堅上位の私立大は、極めて緩やかな競争状態となり、中堅中位校では“全員合格”で定員を満たすのがやっとという状況になるだろう。“学生集団の質”は、どのクラスの大学でも急速に低下する。この入学者の学力低下状況に対応するのが、「高校学習目標達成度試験」なのである。「大学志願者層の拡大」と「志願者の一定の学力確保」がこの達成度試験の大きな目的である。

 「目標達成度試験」によって生徒一人一人が持つ能力を全面的に開花させたとしても、個人的な資質(能力)にはかなりの差があることは否定できない。大学における「学生集団の学力の高さ」によって、大学教育のあり方も変わってくるのは当然であろう。画一的な教育から個性的な教育が、それぞれの大学の「学生集団の学力」に応じて実行されなくてはならない。つまり、「大学が変わる」のである。

 大学の変革について、賢人会議である教育改革国民会議が描いた大学・大学院のイメージのポイントは、「大学年齢の制限を撤廃する。大学院には3年で進学する。大学院課程別に、プロフェッショナルスクールを設ける」というものである。中教審の中間報告「専門職大学院」がこれである。もっとも博士課程は、研究者養成を目的としている。これに対して修士課程は、本来多様な目的をもっている。わざわざ修士コースとは別に、プロフェッショナルスクールの制度を設ける必要はない。修士課程に研究者養成コースの他に、1〜2年のビジネス研究コースを設ければよい。また、1年制のビジネスコースから2年制のビジネスコースへの編入は、本人の希望で決めればよい。時代の要請に応じてカリキュラムもその一部を絶えず修正すればよいわけだ。学部教育も時代の流れに応じて、専門分野の拡大・分化が必要となる。教授は、時代の要請に応える講座を引き受けることが必要である。そのため、つねに新しい研究に没頭しなくてはならない。新しい研究ができなくなれば、年齢に関係なく、少なくとも大学院の講座は後進に道を譲るべきである。

 京大が今春から東京にビジネス学校(公開講座)を開設する。朝日新聞は、01年4月2日付の朝刊の一面でこれを報道した。この報道の「見出し」に、「京大の生き残り策」と書いている。大マスコミが「少子化による大学の悲劇」をこんな程度でしか理解していないことに問題がある。

 これは時代の要請に応じた「大学の行動」として受け止めなくてはならない問題なのである。つまり、大学として、日本社会に対する「知の奉仕」と見るべきだ。京大経済学部が本気でビジネススクールを作りたいと考えているのなら、京大経出身者として後輩の教授たちに言いたい。「貴方たちは間違っている。修士コースの一環としてのビジネススクールは、梅田に設立しなさい。近畿とともに生き、近畿とともに歩くのが京大経済学部の大きな役割の一つである。近畿の産業社会に必要な人材を送り出すが、京大経済学部の大切な役割である。日経のアンケート調査で、企業人事部担当者に「一流だと思う大学」を聞いているが、首都圏では東大に次いで京大が2位。だが、近畿では東大を抜いてトップである。この評価は、京大に対する近畿の期待である。この期待を真正面から受け止めるべきだ。

ところで、私の日本の高等教育の将来像を描くと図3の通りである。

(2)専門大学のお手本は
 研究大学といえば、誰もが即座に頭に浮かべるのは東大とか京大だろう。続いて自分が住む地域の基幹大学である北大、東北大、一橋大、東工大、名古屋大、大阪大、九大、そして私立では、慶応義塾大、早稲田大などが頭に浮かんで来るだろう。だが、「専門大学と教養大学って、一体どんなタイプの大学なのだろうか」と考え込む人もいるだろう。大学志願者もそのうちの一人だ。

 大学志願者は、その学力、希望する職業、家庭の経済事情などいろいろな要素を考慮してその進路を決定する。希望する職業となると医薬系か、芸術系など特定の分野を除くと、産業社会でゼネラリストとしての道を歩むか、堅実なスペシャリストとしての道を歩むか、あるいはハードな産業社会のソフトな面を受け持つ専門的教養人としての道を歩むか、あるいは大学の研究者として貧乏だが自由な道を歩むか、人それぞれで進路の選択は異なっている。

 社会の知的奉仕を受け持つ大学は、人それぞれの進路に見合った大学教育を受け持たなくてはならない。研究大学は、主としてゼネラリストや研究者を育成し、専門大学は上・中級スペシャリスト(例えば、SEなど)を育成し、教養大学は専門的教養人を育成するのが、大学として社会に対する“教育の仕事”である。

 ここでいう専門大学には、いいお手本がある。旧制の高等専門学校である。高専、高等商業学校、高等工業学校、高等農業学校、高等師範学校、医学専門学校などがあったが、高等教育機関として、日本社会に有能な人材を多数送り出した。と同時に、研究面でも数々の成果を出した。浜松高工の高柳健次郎教授のテレビの発明がその代表的なものである。高柳教授による国産テレビ第1号は、米国のテレビ第1号よりも半年も早かった。現在のように学術の国際化が進んでいれば、日本のノーベル賞学者の第1号は恐らく高柳教授であっただろう。

 明治期に創設された高専には、高商では東京高商(現一橋大)、神戸高商(現神戸大)の他、長崎高商、山口高商、小樽高商があった。高工では、東京高工(現東京工大)、大阪高工(現大阪大)の他、私立から出発し、後官立となった明治専門学校(現九州工大)、熊本高工、名古屋高工、米沢高工があった。明治45年、京都工業工芸学校が設立された。また、高農では詩人石川啄木を生んだ岩手高農などがあった。

 大学と旧高専は違うという異論が出ることだろう。なるほど、現在の大学で“新制派”の大学には、旧高専を出発母体とした大学が多い。だが修業年限には大きな差がある。中学以降の修業年限は旧高専中学5年、高専3年(医専と高師は4年)の8年に対し、新制大学は中学3年、高校3年、大学4年と2年の差がある。旧高専と現在の高専は修業年限が同じである。だが、旧高工の卒業者は技師としては帝大の卒業者に少しも劣らなかった。また旧高商の卒業生は、帝大の経済学部卒業生よりも会計や経営の知識と技能ではかなり優れていた。このことは当時、産業人の誰でもが認めていることである。問題は研究力の差だと指摘された。それは3年で「高校プラス大学」の6年に匹敵する「専門の知識と技」を修得させたので、語学教育の面でかなりの差が生まれたのは事実である。今も変わらないが、当時は研究といえば「横文字を縦文字に直す」仕事が主であったからだ。教養教育でのこの点での配慮の必要性は、今も昔も少しも変わらない。

 ところで、研究大学と専門大学とでは、大学の格付けが生まれ、固定化するのではと心配する人も多いだろう。この心配はフランスの「大学とグランゼコールの社会評価」をみれば吹っ切れる(エール出版『あなたの大学が潰れる』を参照されたい)。産業社会の評価は圧倒的にグランゼコールに軍配を上げている。要は、それぞれの大学の教学努力とその成果が決める問題である。初めから固定した概念や考え方を持ったりすべきではない。

(3)教養大学とその役割を考える。
 教養大学の典型的な大学といえば、日本では国際基督教大学である。この大学は日米のプロテスタント関係者が主体となって募金活動を行い、集めた資金を基金として昭和28年(1953年)設立された日本で最初の4年制の教養大学である。学内では英語と日本語が共通の言葉であり、講義の約3割が英語で行われている。

 米国では学士課程(大学)は、ほとんどがカレッジと呼ばれる全寮制の教養課程で、リベラルアーツといわれる教養教育主体の大学である。専門の医学、法学、経営学などは、大学院で学ぶことになる。カレッジを中核として、こうした大学院を併設した大学がユニバーシティーといわれる総合大学である。そしてこの大学院規模の大きさから研究大学ともいわれている。したがって、学部を出た学生は、専門性という点では弱い。だが、深い教養を身につけた人材が育つというわけだ。

 この教養大学にも大学評価が行われ、大学ランキングが作られている。教養大学のうち、全国型218校を対象とした大学ランキングベスト10をあげると、1位アマースト大、スワスモア大、3位ウィリアムズ大、4位ウェレズリー大、5位カールトン大、ハバフォード大、ボードン大、ポモナ大、9位ミドルベリー大、10位デビッドソン大となっている(朝日新聞社『大学ランキング2003』)。

 この米国の教養大学に近いタイプの大学はといえば、日本では女子大に多い。国際基督教大学も学生(2816人、2001年現在)のうち6割が女子学生である。そこで女子大の教養大としてのあり方、役割について考えてみよう。

 文系理系を問わず、教養大学としての道を歩む女子大は、「文学は無用の学」といった言葉にとらわれず、優れた「教養人」を育成すると同時に、それ以上に専攻した分野で学んだそれぞれの専門性を生かした「専門的教養人」として学生を完成させ、産業社会に送り出すことが大切である。と同時に、そのためには教員は絶えざる研究が必要だ。世界的哲人西田幾多郎は、学習院高等科で週18時間のドイツ語を教えながら『善の研究』を執筆した。

 この「専門的教養人」は、ハード性のゼネラリストやスペシャリストと違って、ソフト性の存在である。このソフトな「専門的教養人」は、産業社会にとって必要な人間関係の“潤滑油”の存在である。またメディアの世界には、もっとも適した人間タイプであろう。近頃「女子大の危機」が喧伝されているが、「専門的教養人」あるいは「良家の教養人」を社会に送り出すことで「女子大の危機」を克服できる。

(4)三つのタイプの大学が棲み分け共生する時代
 日本の大学は、ゼネラリストや高度の専門家あるいは研究者を養成する研究大学、スペシャリストを育成する専門大学、「専門的教養人」を育成する三つのタイプの大学に三極化し、「棲み分け、共生する時代」に向かって前進する。

 この三つのタイプの大学の棲み分けで共生するのに大切な要件は、“定員の削減”である。研究大学では、大幅な定員の縮小が必要である。研究者や産業社会の人的構成において、“百匹の羊と1匹の狼”の狼となる人材を供給する研究大学が、その社会的役割を貫徹するためには、現行の学部定員を1/2以下(国立の工学部、私立の文系学部と理工系学部)に縮小する必要がある。“所要の質”の学生を確保し、目標とする教育を達成するには、不可欠なことである。私立大では定員を50%削減すれば学費は1/3引き上げなくてはならないし、60%削減すれば2/3引き上げなくてはならない。削減率が大きくなれば学費値上げの幅は、より加速化する。

 勿論、「専門大学」も「教養大学」も、18歳人口の減少と学生の質の低下による大学の危機を防ぐには、定員削減より効果的な方法は他にない。国公私立とも大学生として最低限必要な学力を持つ学生を確保するためには、最小限でも現行定員の25%カットが必要だろう。25%の定員削減には、1/3の学費値上げで収支が均衡する。

 だが、初年度からそれぞれの値上げ幅で収支が均衡するのは、「専門大学」「教養大学」で、修業年限が4年から6年に伸びる「研究大学」では、完成年度まで収支の均衡は待たなくてはならない。この場合、収入不足分に見合う定員の学部学生を採用する移行措置も必要となるだろう。だが、私学財務はそう簡単ではない。

 この事例では、教員1人当たり学生数で教育条件の変化を見ると「研究大学」「専門大学」「教養大学」いずれも以前の3/4となり、教育条件はかなり改善される。だが、問題はそれだけではない。水増し入学者の問題がある。これを国公立並みの水準にすると多くの大学で教育条件は大幅に改善される。その分、私学財政のマイナス要素が増えることになるが、この減少分は今日の私学の「甘えの構造」を是正することで十分に吸収できる。“甘えの構造”の度合いとその改善成果によって異なるが、先の“定員削減”のケースでは、一般的にはかなり幅があるが、15〜25%前後の学費値上げで十分に実現可能と私は見積もっている。

 しかし、この“定員減→入学者減”に伴う収入減を学費値上げで賄うという図式は取るべきではない。学生個人に対する育英資金の増額、あるいは私学助成金の増額によって、この学費値上げ相当分を賄うべきである。教育立国が必要でありながら、日本の教育予算は相対的に少ない。とりわけ高等教育予算は、図4に示されるように、OECD加盟国の中では極端に低くなっている。この面の是正が“日本再生”の鍵を握る緊急な政策的課題であるという認識が必要である。

4.まとめ:大学に機動性を持たせよう

 中教審の中間報告(02年3月18日)の一部「大学の質の保証に新たなシステムの構築」は「大学設置審議会の認可対象を『質の確保のための事前審査が必要不可欠なもの』に限定し、同じ種類の学位を出す学部・学科の改組は『届け出』だけでできるし、定員の増減も大学全体の増える部分に限り認可対象とする」という大学に機動性を与える緩和措置を打ち出した。

 これまで日本の大学が持つ欠陥は、「社会的要請に対する知の奉仕」の機動性・適応性が弱いということにあった。例えば、IT革命とIT教育について、日米の大学を比較すると、この産業の現代的課題に応じたカリキュラムによる情報教育が米国の大学では、次々と実施された。カリキュラムの改正だけではなく、そこに学ぶ学生数も時代の要請に対応して次々と定員増が行われた。こうした産業の現代化への動きに対応するには、日本の大学の動きは極めて鈍かった。日本がIT革命で米国に大きく立ち遅れた理由の一つはここにある。

 この社会の動きを的確に把握し、これに正しく対応する“大学の機動性”は、特に「専門大学」の優れた点とすべきである。今は日本の大学もそうした行動が不可欠な時代なのである。

 「教養大学」はより豊かで恵まれた社会生活の実現を視野に入れて、教養教育と専門教育を結合した専門的教養人教育をより実質化すると同時に、地域社会と密着した社会人や高齢者などを含む幅広い社会層に対応した「生涯学習の場」を提供し、多様化した社会的要請に機動的に応えることが必要だ。

 短期大学は、「専門大学」と「教養大学」のこの二つの機動性を持つことが必要である。
こうした大学・短大の“機動性”の発揮を助けるのが、今回の中教審答申の中間報告である。この中教審報告によると、都心のビルの一部を借りてキャンパスの一部を移転する所謂“駅前教室”を開設することが可能となる。地域社会の社会人を対象とした“知の奉仕”“機動性の発揮”には、この規制緩和を上手に活用すべきである。

 だが、大都市圏での新増設の規制撤廃、校地取得基準の緩和が有名大手私大の帝国主義的拡大路線、ハーバード大など海外進出志向を持つ米国の有名大学の日本進出を容易にするための基盤作りが目的ならば、この規制緩和には反対だ。大店規制法の実質的撤廃が生んだ日本流通業界での中小企業の淘汰、続いて“大型倒産”、そして外国資本の100万人超の大都市圏での選択出店の現状を日本の大学世界に再現すべきではない。外国の超有名大学の日本進出で、最も大きな打撃を受けるのは早慶など私立の有名大学である。一流と見られる私大では、このことを十分考慮する必要があるだろう。
(2002年7月1日受稿、7月24日受理)