高等教育のマス化
アジア太平洋地域の開発途上国が直面する課題と戦略の選択

ユネスコ・アジア太平洋地域中央事務所 イービン・ワン

 

1.序論

 マーチン・トロウ(注1)およびOECDが修正した評価基準によれば、アジア太平洋地域でユネスコに加盟する44カ国は、高等教育の量的発展において3つのグループに分類することができる。オーストラリア、日本、ニュージーランド、韓国など数少ない先進国が高等教育のユニバーサル化に移行しつつある一方で、インドネシア、イラン、カザフスタン、マレーシア、モンゴル、シンガポール、タジキスタン、タイなど数多くの開発途上国が、高等教育のマス型段階に入ろうとしている。バングラデシュ、中国、インド、パキスタンなど多くの人口を抱えるこの地域の国々の大半は、2005年までに高等教育のマス化達成を明確な目標に設定している中国を除き、近い将来高等教育のマス化を達成目標にすべきかどうかという難しい選択を迫られるだろう。

 科学技術の進歩、情報化・知識社会の急速な到来、経済のグローバル化の加速、国境を越えた競争の激化は、高等教育の拡大と改革に関する政策を決定する上で、開発途上国の意思決定者に一層の重圧と困難な課題をもたらしている。過去10年間、特にユネスコが「高等教育に関する世界会議」を準備・開催してきた過去5年間において、意思決定者や教育者が定めた高等教育の概念や戦略、方針は大きく変化した。この点について経験と教訓を共有することは、加盟国が直面するあらゆる問題の解決方法を見出す上で有用であろう。

2. 概念の変化

(1)万民のための高等教育
 大学の概念は変化している。高等教育のマス化の目標を達成した多くの先進諸国では、大学の概念が大多数のための高等教育から能力に応じた万民のための高等教育へと移行している。開発途上国は、少数のエリートのための高等教育から大多数のための高等教育への移行を余儀なくされている。ドロールは、大学はすべての人に開かれた学びの場であるべきだと述べている。彼によれば、仮に大学がユートピアであるならば、それは人々にとって必要なユートピアであるという。上述のOECDによる1998年の高等教育に関する報告書は、高等教育は人々が存在すべき場所であり、共有すべき経験であると指摘している。

 世界銀行は10年前、初等教育への投資は高等教育への投資より収益率が高いと結論付けて議論を呼んだが、1998年に発行した「開発途上国における高等教育」と題した報告書の中では、その視点を変えて次のように述べている。「今や、学位は熟練を要する多くの仕事の基本資格となっている。」「高等教育のより高い質とより多くの機会が保障されなければ、開発途上国が知識に基づく経済の恩恵を享受することは困難であろう。」「知識の最高の創造者・伝達者としての高等教育機関は、産業の発達した国と開発途上国の開発格差を狭めるために先頭に立って努力しなければならない。」「高等教育の恩恵が拡大し続ける一方、後に残された人々にかかる費用も増大している。」「高等教育はもはや贅沢ではなく、国家の社会的・経済的発展に不可欠なものである。」

 ユネスコが1998年9月にパリで開催した「高等教育に関する世界会議」には、183の加盟国から5000人が参加し、そこで採択された宣言は「高等教育は能力に応じて万民に開かれるべきであり、いかなる差別も許されない。学習者には適切な選択の範囲が与えられ、制度の入り口と出口には柔軟性を持たせるべきだ」と求めた。残念ながら、伝統的概念による束縛、不人気な基礎教育の実態、大卒者が直面する厳しい就職状況などにより、開発途上国の政策立案者の多くは、大学の概念が変化し移行していることは理解しているが、それを政策や戦略の指針として使用するのは困難だと感じている。にもかかわらず、中国やASEAN加盟国などのますます多くの開発途上国が、それを彼らの飛躍のための戦略・政策の緊要な達成目標として掲げている。これらの国々の高等教育は、ここ三年間で急成長を遂げている。

(2)大学が目指す方向性の進化
 「象牙の塔」と呼ばれる大学の伝統、すなわち社会から孤立した大学像は、過去のものとなりつつある。大学は新たな進化を遂げ、社会の周辺で教育・研究およびサービスを行う時代から、社会の中心で新たな技能や技術、知識の活用に直接関与する時代へと移行している。大学が自ら開発したハイテク技術を活用して新製品の生産に直接関与するという新たな現象は、中国において顕著に見られる。工業時代から情報化・知識社会へと向かう人類の過渡期において、大学がその役割を変化させるのは、単なる戦略の選択、あるいは新たな義務と言えよう。

3. 高等教育構造の選択に関する国家戦略

(1)公立高等教育への完全な依存
 戦略の選択は、高等教育のマス化という目標を達成する上での主要な要素の一つである。その目標をすでに達成し、高等教育のユニバーサル化に向かっている国々の実例から、二つ戦略のうちいずれか一つが選択されてきたことが分かる。そのうちの一つが、国家に完全に依存し、無償に近い高等教育制度である。オーストラリア、ニュージーランド、シンガポールなど、経済的余裕があったと考えられる国々がその例であるが、条件を満たすすべての若者に高等教育を受ける機会を与えている。

(2)私立高等教育と通信制・遠隔教育の役割
 もう一つの戦略は、日本、韓国、フィリピンで過去30年間、またマレーシアとタイで現在行われており、高等教育のマス化の目標を達成するために主に私立高等教育機関に依存するやり方である。これらの国々では、私立セクターの学生数が全体の75〜80パーセントを占める。過去20年間、情報技術を広く利用した通信制・遠隔教育の急速な拡大は、高等教育のマス化を達成するための第三の戦略となった。タイの大学省発行の統計によると、同国の高等教育機関には計113万3888人の学生が在籍しているが、そのうち55パーセントに相当する66万350人が二つの通信制大学に在籍している。また、急速に拡大する私立高等教育機関には、タイの学生総数の18パーセントに相当する20万1千人が在籍している。

 高等教育のマス化の目標を達成する上での大きな障害の一つは、開発途上国における資金不足である。開発途上国では、資金の大部分を基礎教育に費やさねばならない。しかしながら、政策立案者は上述の三つの戦略による経験的教訓からヒントを得て、それぞれの国に相応しい高等教育のマス化の適切な戦略を策定することができる。例えば、政府の資金を強力な公立・国立大学群の創設に集中的に注ぎ込み、それを高等教育制度のバックボーンとする。一方で、離陸のために二つの翼を加える。二つの翼とは、寛容な政策を通じて私立セクターを援助することと、通信制・遠隔教育を拡大することである。

 これらの戦略により、開発途上国でも高等教育のマス化に向けて飛び立つことが可能となる。中国、インド、インドネシア、マレーシア、ベトナムなどの国々がこの戦略を取り入れ、高等教育のマス化を達成しているのは喜ばしいことである。もちろん、いくつかの開発途上国はこの戦略の必要性を理解しながらも、政治的要因もしくは学生運動の影響で実行に移すことができなかった。したがって、それらの国々は最貧国の一つに数えられながら、無料の高等教育を提供し続け、エリート型段階の高等教育にとどまるという厄介な状況に置かれている。

(3)大学の統合・合併
 大学の経営規模や総合性を向上させるため、この地域では大学の統合や合併が進んでいる。オーストラリアは1980年代後半に大学の統合に成功したが、これは連邦政府が大学に統合政策を受け入れさせるための強力な道具として資金を用いたためである。オーストラリアの大学統合は一つの成功例と見ることができるが、心理的・文化的調和に向けた努力は15年後の現在も続けられている。

 ラオスではすべての高等教育機関を統合して一つの国立大学としたが、全ての人々に恩恵を与えることを目的としたアジア開発銀行(ADB)からの財政支援と、政府の強い関与の結果、これも別の成功例とみられている。同じ目的で、ベトナムは1995年に20の教育機関・大学をハノイとホーチミンの二つの国立大学として統合する事業に着手したが、残念ながら5年後に大多数の構成大学が分裂する結果となった。ブータンは一つの国立大学への合併を進めている。

 最近は日本でさえも大学の統合に関心を示し、経営規模の拡大、投資の費用対効果の向上、大学入学年齢層の減少への対応などを図っている。中国では最大規模の統合が進められ、数百の高等教育機関が削減された。その一方で、入学者数は過去3年間で2倍以上に増加している。これらの経験や教訓は、統合や合併の成功が合理的戦略、統合過程における新鮮で強いリーダーシップなどの多くの要素に依存していることを示している。

4. 問題点と解決方法

(1)財源の分散
 財源の分散は一つの解決方法と認識されており、2つの戦略がある。(a)授業料の徴収および引き上げ(b)いわゆる民営化・法人化である。これらは教育機関により高い自主性を与えることを意味し、より多くの収入を得るために、過去においては認められなかった設備の貸し出しや商業活動への参入などを認めるものである。

 中国の大学はこの点で、最も多くの成功例を持っていると言えるかもしれない。しかしながら、南アジアの国々では政治的要因および強力な学生運動のため、あえてこの問題を取り上げて必要な政策転換を図ろうとする者はいない。何年も前に、スリランカの大学の学部長が授業料を徴収するよう求め、学生から撲殺される事件があった。南アジアの教育者が望んでいながら敢えてこの戦略を取っていないとすれば、東南アジアの場合は、この戦略を望んでいても実行に移すことが困難だと感じていると説明できる。

 マレーシアは1995年の初め、国立大学などの法人化を決めた。議会の承認を得るため、大学側に憲章を改訂し、法人化計画と合せて提出するよう求めた。その目的は、国立大学がより高い自主性を持つことによって自ら授業料の決定や徴収を行ったり、商業活動や、一定期間内に予算の20パーセントを国立大学が自ら賄うといった目標を設定したりして、収入を生み出すことだった。

 タイは1999年、同じ考え方から新たな教育法を可決した。大学に官僚機構からの独立性と自立性を与えることで、政府の高等教育に対する支出を削減するか、少なくとも増加させないことを目指したのである。タイでは大学が自主性を持つようになった結果、教授は公務員としての立場と共にその特権を失った。教授の収入は幾分増えたかもしれないが、彼らに対する圧力も同様に増加する。教職員の改革に対する関心や熱意の無さから、まだ自治権を持たない多くの大学は静観する態度を取っている。このため、改革は途中で行き詰まっている。

 マレーシアの法人化された国立大学は授業料の決定権と徴収権を持っているが、学長達は様々な理由から授業料の値上げに対して極めて慎重である。また、インドネシアは今年、この方向に沿う実験的試みとして国立大学の上位5校を選んだ。これらの改革策は学生の利益に反するだけでなく、教授の地位、収入、就業スタイル、大学の「象牙の塔」としての伝統に深刻な打撃を与える。

 高等教育は、準公共の産物としてだけでなく、個人の投資および利益追求の場とも考えられている。この二重の性質は、個々の学生からの一定の授業料を徴収する正当な理由となる。政策立案者に突きつけられた課題は、奨学金の支給や低金利の融資を通じていかに社会正義と公平の原則を維持し、優秀な学生が経済的理由のため高等教育の機会を失わないようにするかということである。

(2)質の管理
 高等教育の量的成長と拡大は、開発途上国における高等教育のマス化に伴う別の問題、すなわち質に対する懸念をもたらす。高等教育の質に関してエリート段階の伝統的視点をもつ多くの教授たちは、もし彼らの基準から見て質を犠牲にしながら量的拡大が行われていると判断されるようなら、むしろエリート的性質を維持することを望んでいる。ここに明らかにすべき二つの疑問がある。(a)今日、質とは何を意味するのか?良い質の評価基準は何か?(b)エリート段階において使用された評価基準で高等教育の質を測定することは適切か?

 質は国や大学の種類、学問分野、期間などに応じて異なる相対的概念であり、測定方法も様々である。いかなる普遍的基準も存在しない。高等教育機関の所有、経営、形式、使命、教育内容の伝達方法などは実に多様であり、従って質の基準にも多様性が要求される。

 質の改善は、長期にわたって積み重ねてゆくプロセスである。新しい教育機関のアクレディテーションや初期段階における質の評価においては、いくつかの最低基準しか規定することができない。質の問題が抱える課題は、科学技術の急激な進歩、情報化・知識社会の到来、グローバル化の加速、激しい国際競争などに伴うものであり、そのすべてが新しい質の基準を必要とする。市場は狭い分野に専門化した卒業生よりも、柔軟性、信頼性、訓練の可能性、独創力などを備えた卒業生により大きな関心を示している。欧州の産業人や大学の学長たちは、専門分野ごとに分断されず、人文科学、社会科学、経済学、科学技術などの基礎知識を備えた卒業生の輩出を望んでいる。そのような卒業生であれば、特定の仕事や社会経済環境の急速な変化に順応できるように、容易に訓練できると信じているのである。

 私は全ての要素、例えば必要とされる技能、能力、肉体的および精神的条件、健全な志気、倫理観などを備えた卒業生なら、本国だけではなく、近隣諸国や海外の労働市場にける競争にも耐え得ると信じている。高等教育のマス化のプロセスにおいて質の問題を懸念することは正当化されると思うが、変化し移行するパラダイムに注目して、マス段階の高等教育の質の新たな評価基準を創造し、社会的・経済的需要に対応しなければならない。

 伝統的な評価基準は、高等教育のマス化の過程を妨げるだけでなく、この段階における高等教育の質の改善過程を間違った方向に導くことになる。

 高等教育の質の保証は、物的製品の品質管理よりも複雑なプロセスである。それは単に人的訓練に関わっているという理由からだけでなく、大学が知識、技術、技能の創造、普及、利用を率先して行い、また学問的自主性を持つが故に、政府の直接管理だけでその質を改善することができないからである。近年、先進国、開発途上国を問わず各国の政府がまず行ったことは、人々に受け入れられ、合理的で公平、透明性が高く、権威ある高等教育の質を保証するメカニズムの確立であった。

 イギリスに設立された質の保証機関、オーストラリアの大学の質の保証機関、インドの国立評価認定協議会、マレーシアの国立アクレディテーション委員会、タイの国立クオリティ・アシュアランス・センターに見られる三つの特徴を以下に示す。(1)政府による指導。質の保証の仕組みの中で、政府は直接干渉したり保証活動を直接主催したりしない。政府は独立性・自立性を持つ機関の設立のための法整備、計画のルール作り、方向、目的、手順の誘導、査定、評価、監査の結果に基づく報奨金・罰則金のための資金活用などに焦点を絞っている。(2)学術的に評価の高い団体が緩衝体として評価、アクレディテーション、監査のプロセスに関わるよう奨励している。(3)学内に自己評価・査定システムを設置するよう各大学に奨励し要求する。学内の教職員や外部の専門家集団が大学の教育・学習の質の査定に加わるよう求める。この仕組みは政府の負担を軽減する一方、査定、アクレディテーション、監査のプロセスの客観性、公正さ、権威も保証するものである。これらの特徴はまだ高等教育の質を保証する仕組みが確立していない国々において、非常に有用な参考事例となるだろう。

(3)教員が直面する課題
 教員の役割は、知識の独占者・伝達者、すなわち教員中心主義から、学生の学習の補助者、すなわち学生中心主義へと移行している。役割の変化によって、教員は今まで以上に優れた技能、能力、知識、知恵を持たなければならなくなった。さもなければ、学生にその技能、能力、知識、知恵を与えることはできないのである。教員にこのように高度な内容が要求される今日、教員の経済的地位は多くの国々で低落しつつある。副業を持たねばならず、教育研究に対する責任感を失う教員たちもいる。

 マレーシアやタイなどで採用された戦略の一つは、教員の収入を増加させるために大学を法人化して収入を増やすことだった。実際、中国の教授の政府からの公給は彼らの収入の一部に過ぎず、収益を上げている大学で高額な補助金やボーナスを貰っている教員なら、収入の50パーセントあるいはそれ以下の場合さえある。この問題は大学の指導者をジレンマに陥れる。彼らは革新的な教育研究を行うために若く優秀な頭脳を大学に招き入れ、自分たちの大学に踏み止まらせなければならない。ところが、高い賃金を求めて民間部門へと移って行く若い学者たちは増え続けているのである。

(4)大学自治と法人化
 この地域で一般的に見られる大学自治のモデルが三つある。オーストラリア、マレーシア、ニュージーランド、シンガポール、南アジアの英連邦加盟国で見られるイギリスモデル、日本、フィリピン、韓国で見られるアメリカ・ドイツモデル、社会主義国家および元社会主義国家で見られる旧ソビエト連邦モデルである。

 科学技術の急速な進歩と情報化・知識社会の到来により、大学は急激に変化する環境や社会に対応するために迅速な行動が求められている。様々な課題にタイミングよく対処するため、大学が自主性を持つことは極めて重要である。大学自治の構図はモデルによって、また国よって大きく異なる。法人化は、インドネシア、マレーシア、さらに日本でも取られている戦略である。その呼称は国によって異なるが、大学に高い自主性を認める一方で、収益を生み出したり産業界と密接に連携するよう圧力を加えているのである。これらの国々における大学の自主性を高めるための規制緩和と分権化は、大学の活性化と大学に対する圧力の増加を意味する。これらは政府の財政負担の軽減、公共投資の費用対効果の改善、社会的生産を伴う大学の統合推進の手段として用いられている。にもかかわらず、南アジアでは政治的制約と強力な学生運動の伝統により、この点で著しい変化は見られない。

(5)国際化とパートナーの選択
 経済のグローバル化の加速により、高等教育の国際化が急務となっている。また、新たな技能、知識、専門家を求めて、国際市場における競争が激化している。この点における良い例が、EUに加盟する国々である。政策立案者達は失業問題を緩和するため、知識労働者を含む移民労働者を減少させなければならない。同時に、イギリス、フランス、ドイツではソフトウェア生産やコンピューター・プログラミングなどの人材が不足しており、これらの領域での外国人専門家の割り当て人数を維持しなければならない。今日の高等教育の国際化は、高等教育の質および卒業生の競争力の向上のために必要なステップとも考えられる。

 開発途上国における高等教育の国際化がもたらすジレンマが、いわゆる頭脳流出である。これは国際化の過程で避けることのできない犠牲のようだ。韓国と台湾の経験は、本国における条件が改善すれば、一度失った才能ある人々が再び帰国し、本国で競って仕事を求めることを示している。中国の例は、様々な柔軟な措置を講じることで失った卒業生をサービス、研究、教育などの職業に一時的に、あるいはパートタイムとして、呼び戻すことが必要であり、可能であること示している。また、先進国の中から適切なパートナーを選んで、マレーシアにおける既存の私立大学運営の共同教育事業、大学グループ21や、ユネスコが設立した何百ものユネスコ講座や先進国と開発途上国間の様々な分野で結ばれたユニツイン・ネットワークなどのように、格差を狭めるための共同事業のためのネットワークを構築することも重要である。

(この論文は、2001年11月21日〜24日、タイ・バンコクで開催された「国連・NGOに関する国際会議」において発表された論文である)

注1 マーチン・トロウ(Martin Trow, 1926- )
マーチン・トロウは、該当年齢層の進学率が15%未満のとき高等教育はエリート型段階にあり、15〜50%ならマス型段階、50%以上ならユニバーサル型段階にあると定義した。OECDは、1998年に発行した「高等教育の再定義」と題した文書の中で、高等教育のユニバーサル化の目標値を50%から80%に引き上げた。