学校カウンセリングのあり方を求めて

宇都宮大学名誉教授 岸 國男

 

1.学校カウンセリングの役割

 わが国にカウンセリングが導入された昭和30年代は、学校教育相談イコール「ロジャーズの理論と技術を中心とする心理療法」であったように思う。私はこのころ、学校教育相談の対象が、病理的パーソナリティーの問題をもつ子どもとなっており、健常なパーソナリティーの子どもの問題には関心が払われなかったことに、疑問をもっていた。

 しかし当時は、ロジャーズの来談者中心療法の導入により、多くの教育相談担当者がこれを重視していたので、この種の研究会に参加しても、容易にそれについて質問などできる状態ではなかった。

 そこで昭和39年のある日、勇気を奮って恩師澤田慶輔教授(日本カウンセリング学会第二代理事長)に、日ごろ抱いていた疑問を投げかけてみたところ、澤田教授は「君の言う通りだ」と言って、後日『カウンセリング論』という小冊子を送ってくださった。

 それを見ると、「治療的カウンセリングも必要だが、カウンセリングはすべての子どもを対象にすると考えると、開発的カウンセリングが必要だ。来談者中心のカウンセリングは、だいたい治療的カウンセリングとなっているのに対して、折衷的な立場の人たちは、もちろん治療的なカウンセリングの必要性を認めるが、開発的カウンセリングも必要だ」と強調していた。

 わが国では、カウンセリングというとすべて治療的カウンセリングだと考えられることが多いことに対して、私は不満を感じてきたので、開発的カウンセリングも、学校カウンセリングでは積極的に考えなければならないことを提案している。
さらに澤田教授は、次のように述べている。
 
 「学校では治療を必要とするような黒い霧がいつも子どもを囲んでいるとは限りません。初めから本来的な自己がある子どもの方が多いかもしれません。そういう子どもに対しては、自己の独自の人格を大事にさせ、本来的な自己の長所をますます伸ばしていく気力を開発するための援助を与えることが大切です。しかし、普通一般の子どもにも、大なり小なり自己不一致の状態にあることが予想されます。従って、このような子どもに対しては、初期には治療的に、その後は開発的に、あるいは両者並行的に、あるいは交互的にといった具合に折衷的態度を取らなければなりません。カウンセリングは、いつでも自己不一致に対する援助から始めなければならないということではないのです。」

 私は澤田教授のこうした所説を読み、学校教育におけるカウンセリングは、治療的であると同時に、開発的・予防的なものであり、すべての児童・生徒を対象とするものでなければならないことに気が付いた。

 私はこの時点から、長期にわたって学校教育における開発的・予防的相談の大切さを、栃木県内はもちろん、時には全国的な場で働きかけてきたが、遺憾ながらその徹底を見ることはできなかった。むしろカウンセリングでは、治療的なもの以外に開発的・予防的なものということはあり得ないという批判を受けてきたのである。

 こうした時間が経過した平成9年、栃木県教育研究所の日野宜千氏が、治療的カウンセリングに、従来等閑視されてきた教育、開発、予防のカウンセリングの三領域を加え、その機能について、別表のようなそのあり方を発表した。この4領域と機能こそは、今後の学校カウンセリング指針として期待されるものと思う。

2.学校カウンセリングは誰を対象として行うのか

 「学校カウンセリング=学校教育相談」と解して、説明しよう。
日本学校教育相談学会は、1997年の総会で、これまで理論化準備委員会で検討してきた「学校教育相談の理論化に関する答申」を行った。それによると、学校教育相談理論化準備委員会は、
1) 学校教育相談の変遷
2) 学校教育相談のねらい
3) 学校教育相談の必要性
4) 学校教育相談と生徒指導
5) 学校教育相談の対象
6) 学校教育相談の担当者、役割及び組織
の6項目について検討してきた。

 ここでは、そのうちの「学校教育相談の対象」、すなわち「誰のどのような相談を対象にして行うか」を取り上げてみる。

 理論化準備委員会は、対象とする児童・生徒の範囲に応じて具体的な援助の目的、方法、内容が変わってくることを前提として、
1)すべての児童・生徒の開発的教育相談…一次的援助
2)一部の児童・生徒の予防的教育相談…二次的援助
3)特定の児童・生徒の治療的教育相談…三次的援助
その援助内容について、石隈利紀氏の所説を借りて補足してみたい。

 一次的教育援助は、すべての子どもがもつ発達上のニーズに対応する援助のことである。一次的援助には、多くの子どもが出会う課題(例:入学時の適応)を予測して、前もって援助する予防的な援助(例:オリエンテーション)と子どもの一般的な適応能力(例:学習スキル、対人関係能力)の開発を援助する発達促進的な援助の2種類がある(対象はすべて子ども)。

 次に、学級には、登校をしぶる子ども、学習意欲が下がってきた子どもなど、教育指導上の配慮を必要とする子どもが少なくない。学習・発達面、人格・社会面、進路面において問題を持ち始めた子どもやこれから問題を持つことが心配される子どもへの援助を二次的教育援助と呼んでいる。二次的教育援助の目的は、子どもの問題が大きくなって成長を妨害しないようにすることである。その二次的教育援助の主役は教師である(対象は、一部の子ども)。

 さらに、学校には不登校、いじめ、LD(学習障害)などにより、特別な援助が個別に必要な子どももいる。三次的教育援助の目的は、重大な援助ニーズを持つ子どもが、自分の潜在的な強さやまわりの援助資源を活用しながら、自分の問題に対処し学校生活を送れるよう援助することにある。専門の相談教師は、教師や保護者とその子どものための援助チームを構成するとともに、必要に応じて教育委員会や児童相談所などの関係機関と連携する(対象は、特定の子ども)。文部省派遣のスクール・カウンセラーの主たる任務は、この三次的教育援助に入るのではないかと思われる。

3.学校カウンセリングの本来のあり方

 はじめに、諸学者の意見に触れてみる。
高橋裕行氏は、次のように述べている。
 
 ここ20年来の「学校相談(カウンセリング)」云々と銘打った書籍は、少なからず公刊されているが、その多くは重篤な子を対象に、一対一、個室で行われることの多い治療カウンセリングを教育現場に周延させたものであった。これらの書籍は、重篤な子に焦点が注がれ、比較的健常な児童・生徒が多い学校の特徴を十分考慮したものとは言えない。戦後、カウンセリングが学校に導入されて久しいにもかかわらず定着せず、一見機能しているかのように見えても、一般の教師からの関心は薄く、期待されて機能している状態とは程遠い。学校カウンセリングが低迷化・形骸化するに至った理由はいろいろ考えられるであろうが、筆者にはその要因の一つとして治療カウンセリングと学校カウンセリングとが短絡的に同一視されたことに求められるところが大きいと考えられる。

 また、臨床心理学の上地安昭氏は、「アメリカの心理療法の趨勢は、ここ20年間に非指示から指示的方向に移行しつつある」という高石昇氏の所説と同時に、Mirik R.D.のいう「学校カウンセラーは開発的カウンセラーであり、予防が中心で、正常で健常な生徒たちが、危機に陥ってはいるがまだ深刻事態に至っていないときの早期介入の必要性」に触れている。

 カウンセリング心理学の国分康孝氏は、
「サイコセラピスト(臨床心理士)とカウンセラーはどこが違うか。疾病の治療者と人間成長の援助者との違いがある。すなわちcureとcareの違いである。前者は、intrapersonal(注:個人の内面の)で、pathological(注:病的、病理的)な問題を取り扱うが、後者は、inter personal(注:個々人の間)で、developmental(注:開発的)な問題に取り組む」。

 「これからのカウンセリングは、共感や受容などの態度のみにとどまってはならない。アイビやカーカフのように、共感や受容を超える能動的・積極的技法(例:教示、指示、フィードバック、対決、手ほどき)を用いる時代がきたのである。換言すれば、カウンセリングに予防・開発・教育の機能が期待されつつある」。
などと、強調している。

 文部省(当時)の派遣スクール・カウンセラーの黒沢幸子氏は、
「治療には、個別的なかかわりというニュアンスが強いが、スクールカウンセリングは、常に全体環境、あるいは集団を意識しながら行われる。スクールカウンセリングでは、いわゆる『心理的』な援助が中心にはなるだろうが、しかし対応する内容によって、『共感』と『スクールカウンセリング』を分けることは実際上ほとんど困難である。スクールカウンセリングの目的を見る限り、『共感』と『スクールカウンセリング』のそれは全く重なっているように思われる。」
と述べている。

 以上のような考え方は、関係学会や研究団体の動向にも見られる。
<その1>
 日本学校教育相談学会(1996年)が、日本学術会議に学術研究団体として登録が承認されたときの文書に散見される。日本学校教育相談学会は、所属分野「教育学」、学会番号11307番、「学術研究団体」として日本学術会議に登録されたのであって、所属分野「心理学」学会で承認されたものではないことに注目して欲しい。

<その2>
 全国学校教育相談研究会は、「入会へのお誘い」という案内で、
「学内で相談活動推進の中心になっていらっしゃる先生は勿論ですが、学校教育相談と初めて出会われた方にも、ぜひ入会していただきたいと思っています。また、自分の授業や学校経営の力量を高めたいと願っている方にも、ぜひ入会をお勧めいたします。本研究会には、初心者から専門のカウンセラーまでが一緒に学ぶ場であります。私たち教師は、臨床心理学を専門とするカウンセラーではありません。私たちは、自分の授業を大切にし、児童生徒たちが充実した学校生活を送れるよう支援する教師です。全学相研は、その教師として力量を学校教育相談を学ぶことによって高めて欲しいと願っています」と訴えている。

<その3>
 月刊「学校教育相談」(1997年11月号)の編集後記を見ると、
「幾つかの雑誌で、『スクールカウンセリング』について特集されています。しかし、執筆者の大半は大学や専門機関の臨床心理学の専門家です。そして、その方々のスクールカウンセリングとは、用語に英語が多くとも、相変わらず一部の子どもたちを対象として狭義のカウンセリングです。既に学校では、そういう学校教育相談観から抜け出して、学級担任、部活動の顧問など全教師が参加して、学校のあらゆる場面で、日常的・組織的・計画的に実践されるようになっています。そこで起こっているさまざまな問題こそが、まさに学校教育相談を実践する人たちのそして、本誌(学校教育相談)の課題だと思います。何度でも『初心』に帰り、原点を確認して、『学校教育相談』の普及と定着と深化をめざして悩んでいきたいと思います」
と素晴らしい意見を述べている。

4.「構成的グループ・エンカウンター」

 「構成的グループ・エンカウンター」とは、各種の課題(エクササイズ)を遂行しながら、心とこころのふれあいを深め、自己の成長を図ろうとするグループ体験のことをいう。この方法は、参加者の状態(モーチベーションやレディネス)に応じて展開できるプログラムを定型化すれば、熟練者でなくても活用できるという長所がある。

 教育現場においては、問題を持つ子どもやその父母を対象としたカウンセリングだけではなく、問題が発生する前のふつうの子どもたちに対する開発的カウンセリングとしての構成的エンカウンターも必要である。

 例えば、年度の初めに、教師が紹介ゲームや指相撲・腕相撲などの課題を出し、短時間に学級の雰囲気を高め、学級内の人間関係を向上させて、登校拒否やいじめの予防に役立てるのである。(「カウンセリング辞典」)

 構成的グループ・エンカウンターには、自己理解、他者理解、自己受容、自己主張、信頼体験、感受性促進の6つのねらいがある。こうしたねらいを目標にした体験を小学校段階から導入することになれば、今日のような非社会的・反社会的問題は減少し、開発的カウンセリングとしての成果を期待することができよう。

 構成的グループ・エンカウンターをカウンセリングのどの領域に位置付けて実践すべきかについて、片野智治氏(武南高校ガイダンスセンター)は次のように述べている。すなわち、それは、前掲の表のうち、第1、第2、第3の領域にかかわるが、特に第1の学級経営、第2の学習指導、進路・生き方の指導領域にかかわる指導の大切さを強調している。