日本を再生する「教育革命」のシナリオ(上)

元立命館大学教授 中村 忠一

 

1.はじめに

 教育革命に関する問題は、「エコノミスト」に「少子化、大学改革で生き残れる大学は国立・私立も少ない」(2001年9月11日号)、「大学革命・少子化で『消える大学』を想定する」(2002年2月19日号)の二つの小論を発表した。少子化時代を迎え、今世紀も豊かな国民生活を維持していくためには、なによりも「教育革命」が必要である。私はこの「教育革命」について、小中学における教育革命を「月刊タイムス」という雑誌の2001年12月号に「『教育の構造改革』が日本を救う〜義務教育の問題点と改革の方途を探る〜」という論文を書いた。本論では、この「教育革命」を高校教育と大学教育に分けてみてみることにする。

2.学力向上のための方案

(1)高校生の学力低下と少人数の個別指導
 中学生の学力低下は、高校段階ではより加速加重されてあらわれる。この問題も小中の義務教育と同じようにフランスの教育事情を起点にして考えてみることにしよう。
 フランスでは、高校生の学力不足の問題には中学校と同じような個別の学習指導で対応しようとしている。その対応の歴史は非常に日が浅く、やっとその第一歩を踏み出したばかりで、今年がその3年目である。99年秋入学の2e(高校1年)の生徒から順次改革が行われてきた。

 その骨子は、「個別指導授業の創設」である。この個別指導授業は、フランス語と数学の学力が不足している2e(高校1年)の生徒を対象に、週2時間(日本の2.4校時に相当)の個別指導授業を行うが、そのクラスは最高8人となっている。日本でも土曜日半ドンの隔週4日制とし、4校時の個別授業を設けるべきだと考えている。

 しかもこの授業時間は、生徒の集中力が低下する時間帯、例えば朝の1時間目とか夕方の最後の時間、土曜日の午前中などを避けて、隔週4日制のフランスではこの授業が行われている。

 このような「個別の補習授業」という教育努力を踏まえて、初めて「留年制」やあとでみる「学習目標達成度試験」の制度が、教育効果として生きてくる。「個別の補習授業」では一人の留年生も出さないのがその目的である。旧制時代の留年は下級生に圧倒的に多かった。その原因は、数学と英語の失敗によるケースが多かったが、翌年にはすっかり力をつけて進級した。個々人の能力は同年代の上位2割の学力層から進学した生徒たちなので、かなり高い能力の持ち主であり、留年しても他人の助けを借りずに進級する力をつけてきた。だが、同年代の95%が進学する現在では、生徒の一人ひとりの能力は昔と大きく違っている。この能力差を埋めるには、個別指導型の補習授業は不可欠である。こうした“教育努力”があってこそ、はじめて“留年制”も生きてくる。留年制があっても留年者を一人も出さない教員の教育努力と生徒の学習努力とが今必要なのである。他の生徒は中学と同じように、この時間自学自習を中心とした学習指導で自主的にその能力を開花させる体制作りを行うべきだ。

(2)「高校教育目標達成度試験」が学力向上の鍵
 高校教育で重要な役割を果たすのは目標達成度試験である。この目標達成度試験にはいいお手本がある。フランスのバカロレアがそれである。バカロレアの歴史は古い。一世紀半ほど前に制定された中等教育修了証で、現在では「大学入学資格」ともなっている。第二次世界大戦前後には、バカロレア取得可能年齢(18歳前後)の5%がバカロレアを取得していた。当時、日本でも旧制中学の卒業者比率がこれより少し高く7〜8%くらいだった。私が滞仏時代(30年程前)にはこの取得比率が20%に跳ね上がっていた。そして現在では、3人に2人がバカロレアを取得している。このようにバカロレア合格者が急増したのは、フランスの教育政策の大転換からである。国立東洋言語文化学院(INALCO)のトワイエ助教授は、この事情を次のように述べている。

 「1985年には(バカロレア)合格者は30%弱になるが、この年を境に大衆化が起こる。というのは、他の先進国に比べて高等教育進学率が低いのを遺憾としたフランス教育省により、2000年までに、18歳前後の年齢層の80%をバカロレア受験レベルまでもっていく、という目標が1986年に定められ、この年を境に1996年までの10年間、バカロレア取得率は毎年3〜5%の割合で上昇を続けた。1996年以降横ばいであるが、1998年年の数字は61.7%となっている。つまり、バカロレアを受けなかった人を含めた18歳前後の年齢層の3人に2人がバカロレアを取得したことになる。

 更に、バカロレア合格率、つまり実際にバカロレアを受験した人数を100として合格する割合は1998年で78.9%という「広き門」になっている。この二つの数字をにらみ合わせると目標数値80%はほぼ達成されている」(『フランスニュースダイジェスト』99年11月26日号)。

 バカロレアというと、日本では大学入試センター試験を引き合いに出す人も多い。「5教科6科目」のセンター試験の受験者約37万人で、同一年齢層では4人に1人の割合である。フランスでは、ずいぶんと多くの生徒がバカロレアを受けるものだと感心する人も多いだろう。それは、日本の大学入試センター試験とバカロレアでは、大きな違いがあるからだ。バカロレアとフランスの事例だけを取り上げるのも、フランス以外に全教科にわたる高校教育目標達成度試験を行っている国がほかにないからだ。また日本の大学入試センター試験は、英、数、国、理、社(公民を含む)の5教科で行われ、職業高校の出身者にきわめて不利で、職業高校からの受験者はごく少数である。

(3)フランスのバカロレアの特徴
 ところで、フランスでバカロレア受験者の合格者が急増した理由は、技術バカロレア、職業バカロレアが普通バカロレア(L文科系、ES経済・社会科学系、S科学系の三種類)以外に創設されたことにある。日本ではバカロレアと言えば、普通バカロレアの三種類と思う人が学者や知識人にも圧倒的に多い。中にはS科学系バカロレアだけと思う人さえいる。いずれも誤ったバカロレア認識である。この誤った認識に立って論を進めるから議論がおかしくなる。

 フランスも最初は普通バカロレアだけであったが、69年に技術バカロレアが、87年に職業バカロレアが創設された。バカロレアに受かった者は、98年では普通バカロレア55%、技術バカロレア29%、職業バカロレア16%となっている。

 普通バカロレアでは、S科学系バカロレアに高校生の人気が集中している。その理由をトワイエ助教授は次のように言っている。

 「フランス人がとりわけ理系向きの国民であるとは思わない。むしろSを取得しておくと、その後の職業選択にも有利にはたらくという現状がその背景にある。このため、成績が比較的良くかつ数学アレルギーもなく、さらに将来どうしても文科系や社会系の分野の職業に就きたいというはっきりした願望を持っているわけでもない場合には『一応』バカロレアSを準備するケースが多い」。(前掲誌)

 フランスでは、日本と違って多くの分野で理系が有利という「常識」がある。この「常識」から高校生人気が普通バカロレアSに集中するというわけである。また、バカロレアを取得するか否かに就職時の給与に大きな差がある。大学やグランゼコール進学希望者以外の高校生に対する外生的勉学動機を与える意味でも、バカロレアが果たす社会的役割はきわめて大きい。この点の把握と認識が日本の学者・有識者に全く欠落している。

 技術バカロレア、職業バカロレアは、普通バカロレア以上の種類に分かれている。例えば、技術バカロレアは8種類に分かれ、高校生人気が高いのはSTT(第三次産業、サービス業関係バカロレア)となっている。職業バカロレアはBEP(職業教育修了証)の職種にはほぼ対応し、約40種類ある。バカロレア取得には、一般教育、職業教育の試験とともに、研修(平均16週)での評価も無視できない。

 普通バカロレアの試験科目を三コースに分けて示すと、表1(Sコース)、表2(Lコース)、表3(ESコース)のとおりである。日仏家庭の子で日本語で受験する場合は、第一外国語となるだろう。尚、正解なき哲学の試験得点係数はSコース3、Lコース7、ESコース4と違っていても、いずれも必須科目となっている。

 このバカロレアの得点は満点20点で10点以上が合格、つまり得点率50%以上が合格である。12点以上には「やや良」、14点以上は「良」、16点以上は「優良」の特記がつく。この12点以上に与えられる評価は、バカロレア後の進学になにかと有利に働く。また得点係数は授業時間が多い主要科目ほど大きい。トワイエ助教授は、得点数による違いを次のように説明している。 

 「例えば、主要教科Aの得点係数が7、主要科目でない教科Bの得点係数が3だったと仮定する。さらに1人の生徒が教科Aで20点満点中15点、教科Bで10点を取り、もう一人の生徒は教科Aで10点、教科Bで15点を取ったと仮定しよう。2人とも二教科の平均点は12.5点となる。だが、得点係数を加味すると、  一人目の生徒は、
(15×7+10×3)÷(7+3)=13.5
二人目の生徒は
(10×7+15×3)÷(7+3)=11.5
となる。つまり得点係数の高い主要科目に強い生徒ほど平均点が2点も高くなるわけだ。」(前掲誌)

 なお、20点満点中8〜10点未満の者は救済措置として口頭試問を受け直すことができる。もともとの試験が筆記形式であっても追試はすべて口頭試問となる。資格試験なのでこのような救済措置も必要だ。

 フランスも日本と同じように高校進学に際し、普通コース、技術コース、職業コースのいずれかを選択するが、日本の高校1年に当る2eでは「進路決定課程」とよばれ、この学年終了の時点でどのバカロレアを受けるかを決め、残りの高校の2年間のテルミナール(最終課程)では、そのための勉強に励むということになる。日本の普通高校で2年から文系コース(国私別)理系コースに分かれるのに似ている。

 日本でも大学入試センター試験を発展的に解体し、新しい大学入学資格試験に切り替える考え方も生まれている。だが、フランスのように普通コースと職業コースに分け、「高校教育目標達成度試験」のシステムを採用する方が、大学入学資格試験より教育的にみて遥かに効果がある。この「高校教育目標達成度試験」の制度は、高校生に内生的かつ外生的な勉学動機を与え、高校生の学力低下に歯止めをかけ、学力を向上させるために大きな効果を持つ制度である。是非日本でも今日の学力危機打破のために「高校教育目標達成度試験」を実施すべきである。

(4)「高校の序列化、生徒の自主性を奪う」に答える
 この問題に関する反対論として教組を中心に「目標達成度試験制度は高校の序列化を固定し、生徒からの自主性を奪う」の主張がでるだろう。なるほどどの種類の「目標達成度試験」に、何人の生徒が受験し、何人が合格したか、さらには合格点など、明白な数字で高校間の差が浮彫にされる。イギリスの国家試験でも初級から上級までの三種類のどのクラスの試験に何人合格したかで、高校序列がきまる。米国でも「孟母三遷の教え」が生きている。民間試験だが大学入学者の決定に多く用いられるSATT、SATUの高校別平均点が不動産の購入などの選択で有力な要素となっている。勿論価格に大きな差がでる。

 フランスでこんな話がある。「合格率を平均レベル以上にするため、A高校ではできない生徒をどんどん追い出し、確実な生徒だけバカロレアを受験させて、合格率『100%』を誇っている。学校を選ぶには合格率だけでなく、その高校の各学年の移籍率、つまり、学校を変わる率が高ければ高いほど、学校側が人為的に操作しているので注意した方がよい」。これは「学校の管理者」の資質の問題である。校長を教育者以外から選ぶ時、こうした悲喜劇が多く生まれてくることを、十分に考えに置く必要がある。校長は立派な教育者から選ぶのが一番適している。管理業務を受け持つ副校長に、民間人を起用すれば、さきのようなことは起こらないし、管理業務もスムーズに進行するだろう。

 「丸暗記、つめ込み教育の受験勉強を今より深刻化させ、考える力を失わせる」という批判が反対論者から強く主張されることだろう。だが、こうした批判は総合的な視野で、成績を点数化することで答えることができる。とくにフランスのバカロレアの科目「哲学」のように正解のない「考える」試験を加えることが必要だろう。この試験は採点する側に大きな負担となるが、「社会的責任」の一つとして大学教員がこれを担当すべきだろう。

 この「目標達成度試験」では高校で学んだ全教程の基礎的知識を問うのだから、日常真面目に学習していればパスする。丸暗記やつめこみ勉強は必要としない。また、フランスのバカロレアのように技術系、職業系では、「目標到達度試験」をいくつもの種類に分け、職業高校の生徒が学校で学んだ科目、実技によって受験し、かつ一定の合格率を確保する教育と学習努力をすれば、「普通高校と職業高校との大学進学格差を解消し、職業高校に学ぶ生徒に「誇りと自信」を植え付けることになる。彼らの学力は飛躍的に高くなるだろう。「高校が序列化する」という反対論者こそ、序列化とその固定化を前提として論じている。

3.大学入試の改善に向けて

(1)教育改革国民会議の入試改革論は間違っている
 教育改革国民会議(江崎玲於奈座長)が提案した17項目の中で、大学入試について「記憶力偏重を改め、大学入試を多様化する」と提言している。その内容は、「(1)大学入学試験は、各大学が高校での学習達成度試験、面接、小論文、推薦、あるいはこれらを総合的に行うアドミッション・オフィス入試などを採用する。(2)国際化を促進し、社会体験などの時間を与える観点から、大学の9月入学を積極的に推進する。(3)大学入学時の入学定員の規制を弾力化し、一定の割合の受験生を暫定的に入学させ、勉学の成果によって改めて合否を判定するなど、暫定入学制度を実施できるようにする」というものだ。

 だが、大学入試は少子化によって、多くの大学では全く形式的な年中行事となる。少子化によって一流と社会的に評価されるごく少数の「選抜的な大学」以外では入試は無風状況だ。そこでは、限られた学力上位層による少数激戦の受験競争に勝ち抜くための「受験勉強」はあっても、多くの高校生には受験勉強は必要でなくなる。また今のように「選抜的な大学」でも文系私立では「英語と国語」あるいは「英語と社会」を勉強すればよい。「数学と物理」といった苦手で不得意な科目は勉強する必要は一切ない。理系では「国語と社会」は勉強しなくてもいい。小論文があっても多くが現状では型にはまり模範答案の丸暗記が大切な受験勉強となるだろう。つまり文系では暗記力が合否の決め手となる。結果として大学生の学力は論理的な分析力に欠けるどん底状況にまで転落しかねない。

 アドミッション・オフィス入試(AO入試)は、国公立大には不必要だ。一握りの私立の「選抜的大学」での中流上層部以上の家庭の子弟によるエリート再生産のためにはAO方式は必要だろう。AO方式は欧米の超有名私立大で、上流社会、中流上層部によるエリート再生産を保証し、かつごく少数の奨学生などによる新しい血の導入によって、社会的に高い評価を維持していくための入試方法である。これを導入してこうした成果を得る大学は、早慶など超有名私立大だけである。

 現在、AO方式を導入している大学の大半は、偏差値が必要でない所謂フリーパスの大学である。AO方式は原則として専願、そして「桜の季節」から「梅の季節」まで、ほぼ一年中入試オフィスを開放して、入学者を決定できるシステムなのである。私は「受験生逆指名」の入試方法と、これを云っている。「受験生逆指名」では、有名大学に受験生が殺到し、5、6月には入学内定者が出揃う。就職内定状況と同じ状況が起こる。大学生が、就職が決まると勉強しなくなるのと同じように、入学内定者は「高校の学習」、特に不得意科目の学習から遠ざかるのは人情の常である。結果として選抜的大学でも入学してくる学生集団の学力不足は顕著となる。

 入試の多様化は私立大学を中心に展開されてきた。その建前は正当性づくめの理論だが、本音は「偏差値競争で少しでも優位に立ちながら、受験生を多く集め、受験料というアブク銭をより多く獲得したい。一芸入試やスポーツ推薦の狙いはタレントや有名高校選手などの入学で大学を有名にしたい」つまり広告塔の確保ということにある。この本音が建前である「暗記力に偏らない人間性豊かな学力尊重」に先行しているのがその実態である。国民会議の委員たちは少しでもその実態が分からず耳学問の建前論に立って議論しているようだ。抽選以外に新しい方法はないところまで入試の多様化は進んでいる。 

 このような少子化によって加速化される高校生の学力低下=大学生の学力不足に対応するには、前記の「高校教育目標達成度試験」以外に適切な方法がないのが現状である。

 国民会議のもう一つの認識不足は「入学定員規制の弾力化にある。このことは、今日「私学助成金の交付基準」によって私立大の水増し入学率を抑えているが、この抑圧力を無力化しかねない。水増し入学率の引き上げは、有名私大に有利な条件を与え、反対に多くの弱小私大には「倒産の悲劇」を加速的に早める。国立大がこれを実施すれば、水増し率は現在の5%程度から20%程度にまで高まるかも知れない。多くの私大の「大学倒産の悲劇」はその分より加速化される。また「定員水増し」によって「学生集団の学力不足」もいっそう顕著になる。大学は8年間で要卒単位を取得すればよいわけだから、1年や2年の単位不足で、大学から学生を追放すれば、学生と両親は除籍反対の法廷闘争を起こすなど重大な社会問題が待っている。こうした認識不足の提案は、日本を代表する知性として行うべきではない。

(2)大学入試は論文(数学を含む)と面接で
 ところで、高校教育目標達成度試験が実施された時の大学入試はどうなるのだろうか。達成度合格者には大学の受験資格を与える。つまり、不合格者は大学を受験できないことになる。大学は入学者決定のための個別試験を行うが、基礎学力は一応合格点を皆取っているため、この個別試験は「論文(数学を含む)と面接」の組み合わせで(1)論文(数学を含む)と面接、(2)論文(数学を含む)のみ、(3)面接のみの三つの方法で行うことになる。試験日程は論文試験2日以内、試験科目は各大学の自由とする。面接は旧制高校の二次試験の如く論文試験に合格した者を対象に別日程で行うこともできる。日程では国公立と、私立に分け、国公立は各大学同一日に、私立はそれぞれ別日程で行う。論文試験なので有名私大も各学部同一日程でなければ、入試採点は実質的に不可能となるだろう。受験資格は、例えば経済系では普通高校目標達成度試験合格者と、商業高校教育目標達成度試験合格者に受験資格を与える。定員不足の追加募集では、種類別の枠をはずし、高校教育達成度試験合格者すべてに受験資格を与えるという特記を付すことにすればよい。また、短期大学や専門学校は、特記として高校課程修了者にも受験資格を与える。

 なお、フランスのバカロレアと同じように「18才の人口の80%が受験し、80%が合格する」という目標を設定し、この目標が達成されると、「18才人口100万人」時代では合格者は64万人、「18才人口80万人」時代でも51万人となり、これに東南アジアなどの留学生を加えると、「大学の大幅な定員割れ」を防ぐことができるだろう。勿論この前提には「共生の思想」に立つ上位校を中心にした大幅な総定員の削減=内充の縮小均衡がある。

 「大学の世界」では、高校教育目標達成度試験の実施により「一定の学力を持つ学生と必要とする大学志願者数」の確保を背景に、「共生の思想」と「棲み分け」によって少子化による「大学の悲劇」を克服すべきである。なお、この「共生と棲み分け」には各大学の教育のよりいっそうの内充が大前提である。

4.「ゆとり教育」への疑問

(1)「無理な勉強させないで」に答える
 学習内容の質を高め、どの子にもその理解を深めさせるべく、「よく分からない子」には「少人数の個別指導時間」を設けて、学習内容が理解できるようにする。また、「よく分る子」には「自由な学習指導時間」でさらにその理解度をいっそう深める。だがそうした学校教育にたいして「うちの子にそんな勉強は要りません。学習内容はできるだけスリムにして、のびのびと育てたい」という一部の親の声、そしてそれを代弁する形での現場の声(教員組合)が起こるだろう。だが、こうした声は、政財界・マスコミから学者まで“産業離れ論”を天の声と受け止める当世風の事情を考えた上で発言すべきだ。なにもむつかしい理論での説明はここでは必要ではない。去年3月の二つの新聞記事を通して、この問題を考えてみよう。

 「今月7日、東京・銀座の一角にしゃれた紳士服専門店がオープンした。白を基調にし
た店内には、6〜7万円してもおかしくない生地、仕立てのスーツが1万9000円、2万8000円の価格で並んでいる。客層は20代後半が多いが、中高年の姿も少なくない。

 大手紳士服量販チェーンの青山商事がつくったスーツ専門店「ザ・スーツ・カンパニー」。原料調達から製造、販売まで一括管理し、国産とイタリア産の生地を労賃の安い中国の工場に持ち込んで加工、縫製することで低価格にした。昨年11月に東京・日本橋に1号店をオープン。売り上げは予想の1.5倍。今月、銀座店を含め一挙に3店出した。『今後3年間で20店舗体制にする』。青山商事の鼻息は荒い。

 低価格のカジュアル衣料で市場を席巻した『ユニクロ』の強みは商品企画、原料調達、加工、縫製、販売という過程を自社で管理する点にある。さらに中国など賃金の安い地域で加工、縫製する。青山商事の新業態はユニクロ型ビジネスモデルがスーツなどの分野にまで広がっていることを示している。

 タイ産新タマネギ1袋198円、韓国産パプリカ129円、米国産ブロッコリー128円―。スーパーの店頭に、安価な外国産野菜や果物がなだれ込んでいる。野菜や果物の価格が国内の天候などに左右された時代は過ぎ、『世界標準価格』に収れんしつつある」(朝日新聞2001年3月7日付)。

 別の新聞は、つぎのような記事を掲載した。
 「17日、東京・国分寺市の駅前ビル内の輸入衣料販売店「ユニクロ」コーナーには、土曜日の午前中にもかかわらず、買物客が殺到。主婦だけでなく、青年からお年寄りまで、レジの前に長い列ができました。

 同じフロアには、ジーパンやTシャツなど同種の衣類を販売する店が並びますが、お客の姿はほとんどなし。それもそのはず、例えば、ジーパンの値段をみると、周りの店は1本8000円前後なのに、『ユニクロ』は2000円。競争にならない。

 周りの店の定員の1人は『値段からすれば、一時的に客が向こうに流れるのは当然だが、うちとは品質が違う。長い目でみなければわからない』としながらも、ショックは隠せません。

 衣料だけでなく、コメ、野菜などの食料品・パソコン部品など、いま、大きな物価下落を記録している製品のほとんどが輸入関連です」(赤旗2001年3月20日付)。

 この二つの記事が載った3月といえば、年に4回の日銀短観が実施される3月である。この日銀短観によれば、足もとの景気に対する企業の見方は、規模や業績にかかわらず、大幅に悪化した。大企業の製造業、中堅企業・中小企業の製造業、非製造業のすべてが悪化したのは98年9月以降のことである。それが今も続いている。

 景況判断D1、つまり「良い」と答えた企業の割合が、「悪い」と答えた企業の割合を引いた指数は大企業製造業でマイナス5と、昨年12月の前回調査より15%も低くなった。下落幅は98年3月調査以来の大きさである。大企業の製造業のD1は98年12月調査時にマイナス51で底をつき、一昨年12月調査まで7期連続で改善し、一昨年12月調査では横ばいだった。今回は大企業の製造に加え、大企業の非製造業に、中堅企業、中小企業の製造業、非製造業と軒並みに悪化した。この景況感の大幅な後退の主要因の一つは、個人的消費の後退である。この消費後退下での買物上手の普遍化という消費者行動を生みだしたことを、この二つの記事は物語っている。

 だが、もっとも大切なことを我々はこの二つの記事から読み取らなくてはならない。「資産デフレ」に「輸入デフレ」が加わった「複合デフレ」という局面にだけ気を取られないで、この「輸入デフレ」が立証するつぎのことをしっかりと認識することが必要だ。経済学音痴の教育政策から離れてみた時、つぎの事態がよく見える。

 それは賃金水準=所得水準の高い日本では、労働集約的な産業、つまり人手がかかる産業では、労働コストが低い国から輸入品が増える。家庭でいえば、安くて品質もいい物を買うのを「買物上手の奥さん」というけれど、この「買物上手」の前提には、夫の収入がある。収入がなければ買物上手もできない。国とて同じだ。国民の豊かな生活を支える輸入には、その輸入代金を支払うカネを稼ぐ産業がなくてはならない。無資源国で所得水準が高い日本では、科学技術工業以外に輸入代金を稼ぐ産業はない。

 この科学技術立国には、世界でトップ級の科学知識、技術、技能が必要だ。そのためには、国民全体としての教育のいっそうの充実がなによりも必要だ。これに欠けては明日の日本はない。このことをしっかりと認識すれば、「うちの子にそんな無理をさせないで」といった声は起こらない。高学歴化と学習内容のいっそうの充実化は、日本にとっては永続する課題である。
  
(2)科学技術創造立国=教育立国をめざそう
 衣料輸入品販売会社ユニクロの2000年度営業成績は、この大不況下じつにすばらしい伸びと成績である。売上高は約4000億円。営業利益は約1000億円。見事な経営戦略の成果だ。このユニクロ型経営戦略は、今後、日本産業に大きく浸透する。“産業離れ”がますます強くなる。

 日本産業の空洞化はとことん進むだろう。結果として、日本産業は国内には「本社と管理」の機能だけを残し、生産基地はすべて労働コストが安くつく海外に移転する。エリート社員を除き、一般従業員の大半がリストラされ、企業の利益はいっそう大きくなる。

 ミニ政府白書は、“複合デフレ”下の日本経済の現況をつぎの如く指摘している。「大企業の利益が増加したが、家計の所得と消費は伸びず、景気が良くならないのは、大企業がリストラしているからだ」。ユニクロの経営思考の現代カルタゴ版立国による日本産業の空洞化現象で、リストラは徹底化する。結果として、国民大多数の家計収入は激減し、消費は終戦後の「筍の子生活」状況となる。現代カルタゴ版立国による国内市場の破壊である。

 「ゆとり教育」は、この状況に見事に合致する教育シナリオである。習熟度別授業で少数のエリートを育成し、残りの大部分には「ゆとり教育」を実施する。現代カルタゴ版立国では、少数のエリートを除く、大多数にはスリム化した教育で十分だというわけだ。だが、現代カルタゴ版立国はそう長くは続かない。内外の圧力でその城壁は押しつぶされる。

 「IT革命と中小企業」についてのNHKの報道番組の中で、尼崎の中小企業が大企業からの部品受注に成功した事例をとり上げた。この企業は、中国・韓国など多くの企業との競争入札に勝って部品生産の受注を獲得した。価格競争の1、2位は中国企業だったが3位の価格をつけて受注に成功した。三番目という「価格の安さ」と「生産の質」が評価された。この「生産の質」の差は、その多くが過去における「教育の差」にあるとみてよい。より労働集約的な部品生産であっても、「より高い質」が激しいコスト競争に勝つ力を与えることを、この事例は立証している。

 科学技術の大企業では、このことはいっそう強く働く。優れた質の国内生産基地を確保し、豊かな国民生活を維持・発展させるためには、科学技術立国の基盤である国民教育のよりいっそうの充実がなくてはならない。科学技術立国と教育立国とは表裏の関係にある。科学技術創造立国は別の表現をすれば、教育立国である。この教育立国に必要な「教育のシナリオ」の一つを解明したのが本論である。「教育立国」のための教育革命のシナリオづくりは、今の日本にとって急務な仕事である。(次号に続く)
(2002年2月27日受稿、2002年3月28日採録)