21世紀 大学は蘇生できるか
―日本最初の大学町造りを通して―

東北公益文科大学長 小松 隆二

 

1.はじめに―問われる大学の公益性―

 日本の大学は国公立大学と私立大学とに分けられるが、国立は文部科学省が、公立は都道府県あるいは市(町村)がそれぞれ管理運営を行っている。それに対して私学は、戦前は財団法人、戦後は学校法人によって運営されてきた。国公立大学も私立大学もともに、その主たる目的は当然「教育・研究」であるから、その意味で公益性が高いといえる。

 ところが最近、その「公益性」をもつべき組織がいろいろと問題を抱えるようになり、今、その組織の公益性そのものが問われてきている。この公益性への疑問は、単に大学のみならずあらゆる公益法人が公益性の欠如という観点から批判にさらされている。最近、新聞にも報道された公益法人の脱税問題の記事には、はっきりと学校法人である大学も含まれていた。

 例えば、大学に関して言えば、ある短大では国内から学生を集めるのが困難なため中国から留学生を呼んだが、それが定員をはるかに超過しているということでビザ発給がストップされ、全員来れなくなる事態となった。これは法務省の入管局が本来の短大・大学としての教育機能を果たしていないという理由でストップをかけたからである。
また、昨年度、今年度と応募者数や入学者数などのデータを公開しない大学が増えている。それは応募者数が入学定員をはるかに下回っているために、数字を公表しないのである。「今年は定員の七割も学生を獲得できてよかった。これで文部省の補助も削られなくてすむ」と言う声も聞かれるほどである。

 さらに付け加えれば、教師の都合で授業を休む「休講」も問題である。このようなことは、欧米でも大学はもちろんのこと、日本でも高校以下の学校では認められていない。ある大学では、その休講の理由として公用と私用とがあり、掲示板に堂々と「私用」と表示している教員もいる。文部科学省の規定では、年間30回の授業数が必要なのであるが、実質は試験なども入り27回くらいになる。ある大学では「年間20回以上授業に出れば補講しなくてもいい」としているため、最初から前後期各3回ずつ休むことを前提として講義計画を立てている教員もいるという。

 このように大学をめぐるさまざまな問題が「公益性」という観点から問題視されるようになってきている。

2.大学の目的

 大学の目的をいくつか上げてみれば、以下のようになろう。
@真理の発見と知的創造(研究の高度性・体系性・創造性)
A人材の育成と人格の陶冶(教育の人間性・社会性・総合性)
B地域・社会への学術的・文化的貢献
C文明・文化の継承と発展
D研究・教育の自由、自治の維持と擁護

 それらをまとめて、大学の特徴は何かと言えば、「高度の研究と教育が統合、連結されること」だと言える。ところが現在、そのことが大きく崩れてきている。米国あるいはイギリスのように、研究と教育が次第に分化していくという考えがありそれにのっとって進めているのであれば特に問題はない。日本の場合は、そういう方針もまったくないまま、教員に教育も研究も管理もすべて負わさせている。そのため、かなりの教員が教育や管理
運営面で手抜き状態となっている。特に、教育分野の手抜きは大きい。

 高度の教育と研究がうまく円滑に回転するのが、本来の大学のあるべき姿であるが、一方の研究どころか高度の教育もできない大学が増えている現状である。例えば、入学定員に達しないことから無試験でどんな学生でも受け入れるため、レベルの低い学生しか来ない大学もある。東京都のある大学では、合格した1年生の半分が英語も数学も中学1年レベルであったという。良心的な大学では、予備校の先生などを呼んで学生を教育し直すところもあるが、中には何もしないで放置している大学もある。

 このように現在では、高等教育そのものが崩壊しつつあり、高等教育が「中等教育化」していると言える。その中で、最も大事な教育・研究が崩れかけている。この現実に早く対処して本来の大学のレベルに戻さないと大変なことになる。その意味で、今、大学は淘汰の過程にあると言える。

3.大学を取り巻く状況とその背景

(1)高等教育の大衆化・日常化状況
 大学の教育・研究のあり方といえども歴史的な産物であり、歴史の流れと無関係ではない。日本の大学の問題点が出てきた背景も、まさにそこにある。日本の大学の問題点を考えると、高等教育である大学の大衆化という問題がまずある。しかも、質の伴わない、
「質の希釈化された大衆化」であったことが大きな問題である。

 そもそも教育の大衆化は、当然初等教育の大衆化から始まる。その裾野が広がって行くと中等教育の大衆化が始まり、その上で大学など高等教育の大衆化へと進む。初等教育の大衆化は、明治期を通して達成された。明治5年、学制が敷かれ義務教育が出来上がる。当初男子でも就学率は5割以下、女子はかなり低かった。ようやく明治の末、日露戦争終了の頃になると男女とも100%近い就学率になり、初等教育は当たり前の時代を迎えた。

 そして1907年(明治40年)、義務教育が4年から6年に延長された。
ただ戦前の日本は、完全な義務教育の普遍化はできなかった。イギリスなど欧米は、第一次世界大戦の頃には、障害児とか貧児も就学できる条件を整備し、完全な普遍化を達成していたのに対し、日本は法律ではっきりと「障害児あるいは貧児の就学を猶予、免除する」としていたため[明治19年小学校令第五条]、障害児と貧児の就学は完全化しなかった。

 戦後の新憲法下の教育基本法(第三条)において、就学できない家庭や子には就学できる条件を国が責任をもって用意しなければならないとなったため、教育補助や給食、修学旅行にも援助がでるようになった。社会福祉の先駆者である生江孝之氏は、大正・戦前昭和と、障害児の義務教育の免除をなくすよう熱心に訴えたが、結局戦前は認められなかった。戦後だいぶ経た1979年(昭和54年)にようやく養護教育の義務化が施行され、日本でも後れて義務教育の普遍化が達成した。

 実質的には、明治の終わりには小学校へ行くという環境がほぼ出来上がった。そういう中で、中等教育も日清戦争のころから盛り上り、さらに明治末、大正にかけては、中等教育を受けることができない子には通信教育が普及し、拡大していく。

 それに併せるように、大学の大衆化も始まる。それは、大正デモクラシーの嵐が吹く第一次大戦後、すなわち私学が正式に大学として認められて以降、最初の大きな波が始まった。最初の入り口的な動きとして、日清戦争後、日本経済が産業革命を経験する中、大学が飛躍的に発展するようになる。早稲田大学は、ちょうど日清戦争が終わり日露戦争が始まる直前、東京専門学校から早稲田大学と改めて大学化した。それを受けて、いくつかの私学、例えば津田塾、日本女子大などが大学化を宣言する動きが出る。慶應義塾大学は、その10数年前の明治23年に先行して大学化している。その時が、最初の大衆化の入り口と言える。

 日清戦争後、帝大といえば東京帝大と京都帝大の2つしかない時代であった。そのような状況の中で誕生した私学は、当時たいへん冷たい目で見られていた。福沢諭吉が慶應義塾大学を創設した時、東大の加藤弘之に相当厳しい皮肉を言われた。早稲田が大学化宣言した時も、高山樗牛から「高い学費を取って、私学が高等教育をやるのは早すぎる」というような痛烈な批判を受けた。そういう冷たい処遇ゆえに、大学になったものの国からも大学として正式な処遇を受けられない時代であった。

 それでも第一次世界大戦後、正式に私学も大学として認められると、専門的な大学も出てきて、大学の大衆化が本格化する。そして戦後の大学大衆化時代になだれ込み、現在国公立・私学あわせて650という数の大学が出来上がる。

 しかるに、今、大学は嵐の中にさらされている。
大学の大衆化が質のレベルを上げる形で進めばよかったのだが、実際はそうはいかなかった。文部行政も護送船団方式で進められ、一旦出来上がった大学はすべて維持して行くやり方を取った。その後ずっと右肩上がりの経済成長が続き、ベビーブーム等で18歳人口が増え、その結果約10年くらい前は、「簡単な大学はない」と言われるほど入学が難しくなった。

 ところが、その後あっという間に、大学はどこにでもいくらでもあって、誰でも入れる時代に一変した。誰でも入れる簡単な大学が増えながらも、大学は質を高める努力をしない。しかも教育の手抜きするのが当たり前のような状況が続く。

 その一方で、将来が保障される企業や官公庁に強い大学は依然として高い競争率が続いている。その結果、まったく学生が集まらない大学と少子化に関係なく競争が厳しいハイレベルの大学に二極化された。つまり大衆化と競争主義の同居が続いているのである。

(2)新たな嵐―大学ビッグバンの襲来
 大半の大学は、従来の姿勢のままでは生き残ることができない嵐の時代を迎えている。決定的なダメージを与えたのは、質の伴わない大衆化状況に、大学ビッグバン、つまり@少子化A高度情報化B高度国際化という荒波が押し寄せたことである。

 これまでは努力しなくても学生が集まってきたし、また文部(科学)省が護送船団方式で大学を守ってくれた。ところが高度情報化の時代は、銀行と同じで国際的競争力が必要となる。東大前総長の蓮見重彦氏が、数年前、総長以下何人かを伴って米国に東大の宣伝に行ったことがあった。米国でも、一般人は東大を知らないからだ。またアジア諸国の大学関係者は、日本の大学のことを米国人よりは知っているが、日本人が欧米やアジアの大学を知るほどには知らない。つまり欧米・アジアの人は日本の大学を評価していないのである。日本の大学は、世界の教育・研究の流れにおいてそれほど影響力はないという評価だった。実際、ノーベル賞をとる傑出した日本人は欧米の大学で成果を上げた人、認められた人がほとんどである。

 米国では世界の大学をランク付けしており、アジアでは「アジアウィーク」誌がアジアの大学ランキングをしている。今や日本の大学は、日本国内だけを相手にしてはいられない国際化の流れがある。長い間、「アジアウィーク」誌のアジアの大学20傑に日本からは3校しか入っていない。アジアで経済力一位の国がアジアの大学20傑に3校しか入らない状況が続いた。米国の世界ランキングで見ると、東大もせいぜい200位という状況である。これまで護送船団方式の庇護の下では(国内的には)大丈夫であっても、これからの時代はたいへん難しくなっている。

 文部科学省では、現在国公立大学のあり方そのものを変えようとしているし、私学もまったなしの改革を迫られている。しかし残念ながら本物の改革はあまり見られない。先ほどのアジアから留学生を連れてきて入学させようとする例にも見られるように、目先小手先の学生確保に夢中で、大学のレベル向上は考えていない。まさに学生は「学費の運び屋」としてしか考えられていない。これでは企業が不良債権を先延ばしているのと同じで、いずれ大学の破綻に至るのは明々白々である。大学の大衆化、質の希釈化された大衆化、そこへ大学ビッグバンが吹き荒れ、18歳人口の大幅な減少を契機に、定員未充足の大学の増加と質の低下が起こり、今まさに高等教育が部分的崩壊を起こしている。大学とは名ばかりで高校生よりレベルが低い学生が増えている。

 さらに日本の大学が努力してこなかったことのひとつに、財政強化がある。欧米と比べると日本の大学は、たいへん脆弱な経営体質にある。米国に比べて、フローの部分もストックの部分も日本の大学は極端に弱い。国公立大学は努力なしでも国から予算がつくが、私学のほとんどは収入を学費に依存している。欧米の大学が収入のだいたい4割くらいを学費に依存しているのに対して、日本の私学は収入の6割から8割5分を学費に依存している。大学によっては、90%近くを学費に依存しているところもある。あるいは学費と国庫補助しか収入のないところもある。そういう大学は、学生が来なければ財政が悪化するのは当然である。日本ではこれまで学費に依存するのが一番財政的に安定すると考えてきたために、財政強化のための施策を行うことを怠ってきた。特に、単科の医科大学や短期大学は、財政的に苦しい。四年制大学の一部も苦しくなってきている。これから全般的にますます財政的に厳しくなっていくであろうと思われる。

4.日本の大学の問題点 

 こういう状況下で、日本の大学に関して、さまざまな問題点が出てきた。第一は、教育の軽視・欠落という問題である。一般に大学は、教員を主として「研究者」として採用する。その後も「研究」が学会でも評価され、学内の昇進昇格でも役立つので、教員は研究には打ちこむのだが、そのために教育は手抜きになりがちである。自分の研究の犠牲にならないように、あるいは負担にならない程度に教育をやっている。決して競争原理が働いていないわけではないが、競争が激しいのは研究の世界であって、競争原理のない教育では手抜きすることになる。

 東大の穂積重遠先生は定年で退職するまでの32年間に、体が弱かったにもかかわらず病気での休講は一切なかったという。始業のベルが鳴る前に教壇に上り、定刻に授業を始める先生だった。米国の大学でもだいたい定刻前に教授が来て待っている。日本はひどいところは10分くらい遅れて10分前に終わるということで、実質60分や70分授業になっている。日本では授業について自由なやり方が認められていて、教育の手抜きが当たり前になっている。

 第二に、大学が乱造された結果、教員の質の低下、学生の質の低下が起こった。論文の書けない教員、あるいは論文が書けても学生のレポートくらいのレベルしか書けない教員も実際いる。

 第三に、日本の大学のキャンパスは、ほとんどが貧弱だということである。中には素晴らしいキャンパスを擁する大学もあるが、それはあくまで例外の話である。欧米やアジアのトップ大学のキャンパスに立つと、すばらしい伝統の重みを感じて圧倒される。ここであればもっと勉強や研究ができたかもしれないと思える雰囲気がある。

 文部科学省は、肝心の許認可、特に財政の基準を緩和せず、施設や設備の基準を緩和させている。しかし、むしろ教育環境面の基準を強化して、肝心な財政面を緩和してゆかないと、一方で教育環境の良くない大学が増えて、他方で財政の悪い大学は改革できないことになる。

 第四に、個性・特色ある大学が減っていることである。日本は物まね、猿真似が多く、流行を追う傾向が強い。新しい大学、学問の創造に挑戦する大学は、あまり見当たらない。
例えば、ある県で総合政策学部や環境学部を始めると、その後同様の名称ならばすぐ認可がおりるのでこぞって同様の名称をつけて新設するようになる。しかし、後発の学部はそれができた頃にはその人気が去ってしまい、学生が集まらないという皮肉な状況もある。こういう理由から、個性・特色ある大学がさっぱり出来ない。これは文部科学省にも若干の責任があるかもしれない。

 第五に、学費の高額化と奨学金制度の遅れである。オセアニアとか欧州は、大学は国立がほとんどであり、学費は無料となっている。それに対して日本では、高等教育の学費無料化は私学でも国公立でも無かった。日本の高等教育は米国型で、学費が高い。特に医学部・看護学部等は高く、それでもなお収支は赤字となっているところが多い。

 日本の大学における財政の顕著な特徴は、文系学部が学費をコスト以上に徴収することによって、単なる教育費、人件費をまかなうだけではなく、大学の財政全体を運営できるようにしていることである。健全なやり方を行えば、文系だけならば必ず収支は黒字になる構造である。ところが医学部、歯学部、看護学部は、あれほど学費が高くても、ほとんど赤字である。ある私立大学医学部は、初年度納付金が1000万円。それでも医学系の単科大学は、一部を除いてはほとんど赤字となっている。企業で言えば、銀行管理に陥りそうな単科医科大学がいくつもある。看護学部も、ほとんどが赤字経営である。

 文系学部を有する総合大学は、文系の黒字で埋め合わせることができるため、医学部を持てるのである。現に、総合大学の多くは、医学部と附属病院の赤字を文系学部と附属高校以下の黒字で埋めている。医学部や附属病院は、持つだけでも10、20億円を越える赤字になる。そこで学費を上げたいところだが、上げれば今度はいい学生が来ないという悪循環に陥る。教育・研究を統合したやり方ができないために学費を上げられない。このように学費の高額化と奨学金制度の遅れ、そして財政基盤の遅れは同じところに原因がある。

 日本の場合は、フローでみても米国のだいたい3倍の予算にしないと追い付かない。早稲田大学の年間予算は700億円くらいだが、同じ規模の米国の大学ではだいたい3倍の予算が付く。日本は国庫補助が少ないため教育研究費・人件費が極端に押さえられている。米国では、例えばハーバードのような大金持ちの大学でも国庫補助は予算の2割から4割を占める。日本の文系大学では、国庫補助は予算の1割しかない。日本は国庫補助がたいへん弱く、特に私学補助は低い。日本も米国並にとはいかなくても、せめて予算の2割補助にしてくれたら、相当いい教育・研究ができるに違いない。

 ストックの部分で見ると、日本で一番持っているのは日本大学で約800億円。次はICUの600億余円。ICUの場合は、ゴルフ場を東京都に売却してそのお金を基金化して小規模のいい大学を維持している。3番4番5番がなくて、6番目位に慶應義塾大学の260億円、早稲田大学、豊田工業大学が各々240億円位となっている。有名な大学でも基本金ゼロという大学もめずらしくない。日本ではそもそも財政基盤を強化するという考えがなかった。日本で一番持っている日本大学でも、米国の中では30位にしかならない。日本の場合、財政基盤の強化、フローの部分でのしっかりとした見通しを持たないまま、努力しなくても学生が集まるというぬるま湯の中にこれまで浸ってきた。現在日本は、ぬるま湯を克服しないままに、嵐の中に巻きこまれている状況にある。

5.大学蘇生への道

 ―公益大学の創設と挑戦―
 地方大学の課題の一つに、地域との連帯・協力の不足、大学町の欠如ということがある。私どもが山形の田舎に大学を新設しようとした時、「新幹線も通っていないような田舎、酒田や鶴田に学生は集まらない。東北の仙台でも入学定員に達しない大学が多いご時世なのに、仙台の受験生はまず山形の田舎・酒田には行かないだろう」と大手予備校関係者から言われたものであった。予備校の予想によると、初年度は「東北公益文科大学は実質競争率なし」だったが、実際に蓋を開けてみると仙台からも受験生が大勢来てくれた。大学側の予想以上ではなかったものの、一般入試ではほぼ3倍来てくれた。今回2年目にはAO入試12名定員に54名集まり、そこから19名取って3分の2を落とした。これは周囲からは羨ましがられる結果であったが、まだまだ楽観は許されず、これからも相当の苦戦は覚悟しなくてはならない。

 私どもが大学新設にあたり考えたことは、「いろいろな大学の持つ欠陥を克服する大学を作ろう、どこにもない学部を作ろう」ということであった。それに応えて、「公益学部の新設」と「大学町造り」を進めたのである。

 ここでいう「大学町造り」とは、単にハードとしての大学町を造る意味ではない。大学に門は設けず、終日、五月の連休も市民や全国の人に図書館、食堂、コンピュータを開放する。そして広く市民に向けて、講演、シンポジウム、コンサートを大学で開催するということを行っている。

 こうしたやり方は、米国では珍しいことではなく、田舎の大学でも一流の講師やオーケストラを連れて来たりして市民にサービスを提供している。12月には慶應義塾大学の塾長を呼ぶ予定であるが、実際こういうイベントには市民の方が大勢参加してくれる。そこで運営に際しても、市民のボランティアや寄付もありがたく受けることにしている。開学前に早くも商工会議所の会頭さんから寄付を頂いた。また庄内地域が後援会組織を作り、650の個人・団体の会費を大学に奨学金として寄付して下さった。

 地方・田舎の大学では、欧米型の地域に支えられた大学にしてゆかないととても生き残れない上、財政的にもかなり難しい。欧米の大学は、地域からの寄付が圧倒的に多いのが特徴である。どんな大学でも地域に寄付委員会(ファンダレイジング・コミッティ)を作っている。例えば、米国・カリフォルニア大学サンフランシスコ校(医科大学)は、平時でも一年間100億円は優に集まるという。それほどの規模でない小さな大学でも、米国では平時で100億円くらいは集まる。ところが今、東京の大学で創立百周年記念事業でも100億円は簡単に集まらないというのが現状である。

 我々もこのような意味から、「大学造り」ではなくて、「大学町造り」を進めているのである。つまり、地域や環境を創るということ。例えば、地域レベルで言えば、大学前の通りは日本一の4レーンのケヤキ並木を整備した。また、日本で最初の総合的なニュージーランド研究のためのセンターを設けた他、山形県の思想家、作家、歌人の書簡、手紙など一次文献を山形大学など県内のどの大学にも負けないくらい蒐集・所蔵している。特定の分野でいくつもオンリーワン、ナンバーワンを作っていこうという目標を立ててスタートした。当初は笑われたが、とにかく8年間我慢してほしいと県側にも伝え、学生が来ようと来まいと8年間しっかり教育する。そのかわり、駄目な学生は入れないし、卒業させないという形にすれば必ず認められると思ってやっている。

 大学には、「学事」と並んで「経営」がある。学事はあくまでも公益原理でいかなければならず、一方、経営は当然市場原理でなくてはならない。その意味で両者の調和が必要である。もちろん大学にも競争原理は必要だが、それ以上に大学に求められるのは「公益原理」である。大学教員が手抜きをして公益原理を忘れているようでは話にならない。大学界は、今こそ「公益原理」を取り戻す必要がある。更に言えば、大学のみならず、外務官僚などの不正問題に象徴されるように、日本社会全体に欠けているのが「公益」の理念や原理なのである。
(2001年11月10日発表)