日本活性化のための方策
―多様性を容認する社会の建設―

常葉学園大学教授 金 両基

 

1. 多様性をもつ社会

(1)多様性を評価する時代
 日本はこれまで「多様性」を力としてこなかった。簡単にいうと日本には「和の精神」というものがあり、和を乱してはいけないということが日本文化の中で大きな意味合いを持っていた。そのような社会では和を乱せば、昔は村八分にされた。つい最近まで日本企業もまた「和を尊し」としてきた。

 そこに「個性」が強調されるようになったのは、80年代の中ごろからであった。それ以前は米国の大学を出て日本の企業に就職しようとすると、「アメリカ帰り」は和を乱すから企業にとってプラスにならない、「和」こそ世界へ進出する日本企業のエネルギーであると一般的に考えられていた。

 その中で、経済の先進的な手法の一つである「即決主義」というものが近年尊ばれるようになった。その最たる例は、名古屋とソウルが競った88年のオリンピック誘致合戦の出来事であった。日本はいちいち現場から東京へお伺いを立て、その結果を待って現地が動くという悠長なやり方をしていた。蓋を開けてみたら本命の日本がはずれ、ソウルにさらわれていた。その苦い体験からこれではいけないという危機感を感じ、和の呪縛から脱皮する動きが出始めた。オリンピック開催地がソウルに決まった当時の日本の慌てぶり、そして憤懣やるかたない気持ち、それはまだ記憶に新しい。一方せっかちな韓国人は即決主義が得意であり、司令塔も「おまえに任せたからやってこい」と指示を出す。そう言う体質の差が88年のオリンピック招致運動の勝敗につながったとみて差し支えないであろう。現地に派遣されていた関係者が、現地の判断で迅速に行動したことが功を奏したのである。

 日本の企業も同じだと言われるようになったのはその頃からであった。外国企業との競争では本社と打ち合わせをしているような時間的余裕がなく、現場で即決しないと負けてしまうことが多くなったからである。そのようなスピード時代に合わせるためには、米国や欧米など外国で学んだ個性豊かな人たちが戦力になるべきだと考えられるようになった。そのようにして欧米で学んだ知的エリート達を日本が採用し始めたのが、80年代に入ってからである。その最中にオリンピック誘致合戦に負けてしまったから、加速度が着いた。

 これほどバブルの影響が出ていなかった数年前のことであるが、ある大手企業では企業戦略として各セクションから一人ずつ優秀な人を選ばせ、その中からさらに選び抜いてプロジェクトチームを作った。各セクションを競争させる、つまり社内競争をさせて選んだ。社内を和で統合するのではなく、和を破壊しかねない競争の原理を導入したのであった。90年代の中頃からこのような動きがはじまったが、いま考えるとそれほど企業の実績が悪い方向に向かっていたということになる。和を重んじる日本の企業では企業内での人材の一本釣りは歓迎されなかったが、優秀な人材を一本釣りしてその会社の核になるプロジェクトチームをつくり外国と競争しないと、日本の企業がもう勝てないというところにまできたということを意味する。皮肉った言い方をすれば、背に腹は代えられなかったと言うことである。日本語を理解しない外国人がトップに就く企業(マツダや日産など)もでてきた。このような会社では企画会議は英語で行われる。英語が出来て、即決、即断できる人をチームに入れていく。年功序列型の出世や昇給の制度が通じなくなってきているのである。

 また今年ある大手企業は、新入社員の初任給を25万円から30万円にアップしたという。そのかわり賞与は100万円から千数百万円まで幅を広げて個々の実績によって額を決めるという競争の原理が導入された。新入社員は喜んでいるが、30歳を過ぎた人たちは今までのやり方を急に変えることは出来ないといって悲鳴をあげているという。会社は社員の生活は保障するが、昇給は「各個人の努力で勝ち取れ」という給与体系に変わったのである。これは日本の社会としては異例だが、このような価値観の多様化が広まりつつある時代をわたしたちは迎えているという自覚がまだないのではないか。

(2)多様性の中の普遍性
 多様性の時代は、互いの違いを認め合い、それを生活の中に積極的に組み込まないと対応しにくい。多様性を尊ぶことはそれぞれの自由を尊ぶことでもあるのだが、といって秩序を乱すことではない。各自が勝手な意見を言い合ってまとまらなければ、行動を起こせないということになるから力にはなりにくくなる。和の呪縛から脱皮できなった背景にはそうした憂いがあった。

 自由を尊ぶことは、自由と責任のバランスがとれていることが前提になるのだが、日本では二律背反の生活が結構多いように見える。自由とはそれを獲得すると同時に責任をともなう、つまり権利を得ると同時に義務を背負うという単純な論理が、バブル全盛期には希薄になっていた。その大きなつけがいま回っている。「自由と責任」というものを、国のレベルでわざわざ指摘しなければならないのは、先進国では日本だけであろう。中・高校生の作文のテーマ程度のことが、国のレベルで理解されていないことが問題なのである。例えば、悪さをしている子どもたちをみても見て見ぬ振りをし、放っておく。それを注意したり指摘すると、大きなお世話だと抗議されかねない。

 自由と民主主義は少し違いがある。皆が自由を主張し、身勝手に行動したら問題になる。例えば、講演会の場で参加者の一人一人が自分のやりたいことを始めたらその空間の秩序が乱れてしまう。だからといって講演者が独裁的に「私のいうことをききなさい」と強制したら参加者は反発するか、従うかどちらかに分かれる。ここにおける「自由」というのは、この場では聞きたくなくても「他人の邪魔はしない」というのが自由なのである。それが民主主義を理解するうえでの基本である。自由と民主主義という観点で日ごろから分別して生活している日本人がどれほどいるだろうか。

 しかし、幾ら価値観の多様性だといっても、伝統に育まれてきた価値観はそう簡単には変容しない。価値観や文化には変わりにくいものと、変わりやすいものがある。一番変わりにくい例の代表格は宗教である。信仰や宗教は変わりにくく頑固なものである。そして主食。日本人にとっての米もそうである。これだけパンや麺が普及しても、一日一膳はご飯を食べなければ食生活に不満を残す。

 もうひとつ頑固な例を挙げてみよう。日本では自宅に入る時に玄関で靴を脱ぐが、椅子の文化を営んでいる欧米人や中国の漢族は靴を脱がずに部屋に出入りするから日本の下駄箱のようなものを玄関に置かない。これらの地域では住宅の玄関には靴を脱ぐスペースがない。ところが中国に定住している朝鮮族は靴を脱いで家に入る。同じ中国人であり、しかも中国に住みながら朝鮮族は自民族の文化を頑なに維持している。民族的アイデンティティはそのように変容しにくい性質を帯びている。下駄箱は韓国にもあるが、それは日本の文化を応用したものであり、その起源は日本である。

 文化を比較してみるとこのような問題が目につく。韓国人であるとか日本人であるということは、本人が自覚しようとしまいとそれだけ自民族の文化を心身で受け止めているのである。自覚が過剰であったり、過小であったりするとき、文化摩擦が起こりやすい。

2. 自立した社会の建設

(1)社会の活性化に向けた提案
 個人が自分の生涯を設計すべきだというのは当然のことだが、現実は非常に難しい。願望の域にとどまっているといった方がいいかも知れないが、それは自立していないということでもある。日本では自立すると住み難く、「もぐらたたき」にあいやすいとよく言われる。行政や大きな会社で自立を前面に押し出すと窓際族にされてしまうという。そうなった実例をわたしはかなり知っている。焼き鳥屋で上司の悪口をいうのは認められていても、面と向かって悪口を言ってはいけない。閑職に飛ばされて家族に迷惑がかかる憂いが大きいからである。収入も減らされ、職場や仕事に生きがいを感じなくなる憂いがあるから、我慢をし、焼鳥屋でそのガス抜きをすることになる。我慢しすぎて切れてしまうケースも最近は目立つようになった。このように、日本人は自分で自らの人生設計をする自由が与えられてこなかったと言える。そのような中で、いきなり自由を与えられたら自由を駆使することができるかというと、これが難しい。

 わたしは日本社会の風通しを良くするには「中途採用を増やすことだ」と提案している。例えば、公務員が途中で辞めてどこかへいこうかと考えると大変である。これは公務員に限ったことではなく、ほとんどの会社が年功序列によって昇進させてきたから、転職すれば、新しい職場では前職ほど評価してくれない。肩書きがなくなれば収入も減る仕組みになっている。不平不満があっても家族を扶養する責任があるから満足の得られない会社に勤め続ける。生涯、我慢の連続と言うことになる。そのような会社があまりにも多いので、日本社会は活性化されにくい。

 中途採用を増やし、移動の自由が生まれれば間違いなく社会は活性化する。最近行政でも中途採用が少し増えてきたが、もっと大胆にすべきだと思う。最近では「中途採用」に賛同する日本人が増えてきたと思う。数年前の景気の良い時にこの質問をしたら、おそらく「日本がうまくいっているのに何をバカなことを言うのか」「上手くいっている日本をねたんでいるのか」と批判されたに違いない。

 米国では大学教授が企業に就職したり、企業人から大学教授になったり、実力があれば評価されていろいろな職場をいったり来たりする。韓国では、例えば日本でいうと朝日新聞と読売新聞クラスの編集局長体験者をお互いにスカウトすることがある。日本でこのようなことはありえない。日本では夫婦が朝日と読売にいた場合、結婚と同時にどちらかが辞めなければならないだろう。韓国では辞める必要がない。個人の責任があるので、そこで会社の秘密が漏れるとは考えない。もし漏れたらその時に処理すればよいと考える。そういう面で韓国人は楽天的である。日本は漏れたら困るとまず考える。これが民族の、国のリズムの違いだと思う。

 2000年6月に南北の首脳会談が突然実現したが、日本的発想からは到底考えられないことである。韓国語で「ハミョンデンダ」つまり成せば成るという言葉があるが、首脳会談はそういう民族のリズムが背景にあるから実現した。良いとか悪いとかということではなく、そういうことが出来れば日本はもっと活性化されると思う。

 能力の正当な評価、多様な雇用形態の選択、能力開発や再挑戦の機会の提供などの環境整備ができれば、日本はより前進し、社会に風穴を開け、息がしやすくなるといろいろなところで主張してきたが、最近耳を傾けてくれる日本人が増えてきた。

 その際、思考のベースにはまず、「日本人であるとはどういうことか」の自覚が必要である。日本人が最高に優秀だと考える必要はないが、「日本人であること」の自覚がないと責任はとれない。自分の責任の取り方が分らないからである。「日本人とは何か」と問われて正確に答えられる人は一人もいないだろう。しかし、知らない間に日本文化を身につけているのが皆さんである。市井の人々は「日本人の特質はなにか」と問われても答えに窮する。何をもって日本人たりえるのかを自覚している人がいるかを、自分で想像してみればその答えは得られる。

 わたしの日本語は共通語で、日本で生まれ育ち、大学の教員をしているので日本語の読み書きも平均的日本人よりは出来るが日本人ではない。日本生まれの在日韓国人である。何をもって日本人であることを証明できるのか、そして日本人の資格とは何か。「貴方の日本人としてのアイデンティティは何か」と問われたら皆さんはあわてるにちがいない。それなのにアイデンティティという言葉を使うのである。

(2)地域政府と自治の確立
 「地域は自治で自立する」ということばがある。今の日本には「地域政府」がない。あるとすれば自治体である。首長は誰かと言えば知事や市町村長ということになる。自治の確立とは、地域政府を自己責任で自立しうる規模とすることが基本である。例えば、石原東京都知事が独自に地方税を徴収するといって中央政府と争っているがこれもその発想の一つにある。国税は国が決めてよいが、地方税つまり県税や住民税は地域が独自で決めるべきである。そして自治体の分離や合併などにも整合性が求められている。現在、静岡県では静岡市と清水市が合併するか否かでもめているが、しばしば「阿吽の呼吸」でことを運んだり、感情移入で摩擦を起こしたりする。そして合併してみたらいろいろぼろが出て、後になって「合併はよくなかった」などという批判の声が飛び出す。静岡市と清水市が合併してどんなメリットがあるのかということも、整合性のある根拠を示すべきであり、それは政治家達が数の論理で決めるべきものではないということである。

 しかし、日本では多くの場合「数の論理」が先行し「整合性」が姿を現さないことが多い。これは民主主義的手法といえない。多数決は民主主義のもっとも大事な手段の一つだが、それに整合性がともなえばさらによい。「整合性」とは、矛盾がないこと、前後上下にひずみや矛盾がないようにバランスの取れたこと、平たくいえば感情移入を廃して何がよりあるべき姿かを利害や損得を越えて考えることである。皆さんの中で「整合性」という言葉を日常的に使ったり聞いたりしたことのある方はどれくらいいるであろうか。ほとんどいないといっても過言ではない。欧米の大学教育ではで整合性はものを考えるベースになっているが、日本の大学では整合性という言葉を大学生が日常的に耳にすることは非常に少ない。先日、静岡高校を経て東京大学を卒業しアメリカで経済学を学んだ経済専門家と談笑する機会があって、わたしが大学で日常的に学生たちに「整合性」を突きつけているというと、同席していた人たちに自分たちの大学生時代に整合性という言葉を聞いたり使ったことがないといって同意を求めた。その人は40歳を少し越えた世代である。その人は留学によって整合性の大事さを学び習得したが、それは現状の国内の大学環境では習得することは大変難しい。

 「日本一と言われる東大も世界の大学番付では上位200校に入らない」とニューヨーク市立大学教授の霍見芳浩さんが朝日新聞の「eメール」(2000年7月25日朝刊)に書いている。彼は出典を明記していないが論拠があるとみて差し支えない。さらに「IT革命時代の日本の課題は大学と企業人の特訓だろう」と続くが、だれが特訓するのであろうか。特訓するものがいなければ「和の力」に頼るしかない。頼みの「和の力」が如何に役立たなかったか、もっと正確にいえば足を引っ張ったかはバブル経済を作り上げ崩壊した経済環境が実証している。

 それでは独創的なやり方を静岡市、浜松市、静岡県などに求めたらそれが機能するかと言えば、それは無理であろう。そのような経験がないからである。今まで中央政府の言うがままにお金の使い方を教わり使い走りをしてきただけなので、いきなりお金は出すから自分達で考えてやってくれといわれてもとまどっている。管理型に慣らされてきた地方自治体に独創的手腕を求めることは、無い物ねだりである。

 たとえば、竹下元首相がばらまいた「ふるさと創生資金」の1億円も使い道がわからなくて、金を買ってストックしておいたという話はいくらでもある。また使い切ったとか、株を買って駄目になったとかさまざまである。ノウハウがないのでどうしたらよいかわからない。実際は何かやりたがっている人はたくさんいるのだが、自治体の長が旗振りをしても役所全体が動くには大変なことである。

 わたしは役所関係の委員会などの招かれることもあり、昨年は政府の人事院の研修会に招かれ、課長補佐級を対象として講義し、ディスカッションもした。課長補佐級とは日本のプランを立てる元締めで、そのたたき台をつくることが彼らの仕事であり、そこで作られたものに課長、部長が判を押すことになるが、彼らは「日本のシンクタンク」といわれている。「私は皆さんが日本人であることがわかりました。質疑応答で私に恥をかかせるようなことをしませんでした」とディスカッションの最後を結ぶと全員が爆笑した。わたしを打ち負かすことが出来なかったということである。後に人事院から「厳しい内容であったが、平素考えられないことを考えるきっかけを与えてくれた」というコメントが届いたが、アンケートには「金両基の見解や意見は間違っている」という指摘はなかったいう。猛反論でノックアウトされるのではないかと思っていたわたしにとっては、正直なところ反論の弱さに失望したがそれが現状である。わたしにとっては普通なのだがわたしの解析や主張はきついと言われることが多いが、日本を良くしたいという真意が伝わるようである。韓国人で人事院の研修講師に招かれたのはわたしがはじめてのようである。

 自立しろと言われたからと言って簡単に自立出来るわけがない。皆さんも自立したいけれども出来ずにいる。今まで自立しなくても生きていける社会をつくっておいていきなり自立しろといっても無理な話である。

(3)自治体とNGOとの協力
 社会を活性化させるためには、NGOとかNPOなどの非営利民間団体によるボランティアの育成が非常に大事である。わたしは静岡県人権行動計画原案にかかわったが、そのとき「県民に分りやすい言葉でつくってくれ」と要望した。これまでの行政が発行する文書はわかりにくいものが多かった。県民を巻き込む事業では県民が理解しやすい文書にすることが望ましいというわたしの主張が聞き届けられ、実現した。後日聞いたのだが、平素書き慣れない日本語を書いたため、担当者はたいへん苦労したとのことである。最近は市民に呼びかける政府関係の文章はずいぶん分りやすくなってきたと思う。

 これまで行政サイドは市民運動をきちんと考えてこなかったために、あいかわらず触らぬ神に祟りなしのように扱い、対応しようとしなかった。しかし、現代社会は公的機関がもっているノウハウだけでは実践できない段階にきている。行政サイドのノウハウが停滞しているために市民のノウハウが必要なのである。一方、市民の力はバラバラで資金力もなく、まとまりもないため、何かやろうとしてもできない。そこで行政の持つ資金力と組織力プラス市民のノウハウを合わせて1+1=3にしようとするのが今の市民運動ではないか、とわたしは考えている。そういう考えでわたしは市民運動にかかわっており、行政に抗議したり、批判するための市民運動から市民参加の行政を実現するために問題を提起している。

 県や市町村の学識者交えた委員会は事後承諾的な性格を持ったものが多いのは事実である。行政が作文をし、識者の承認を得るという形で、議会対策のための委員会だというわたしの指摘に、ある県会議員は「出席する先生も悪い」といった。行政の思い通りに発言するイエスマンを選んでおいて、委員になった学識者に責任を転嫁する体質を変えなければ地方政治の豊かさは訪れない。わたしはそういう姿勢を貫くようにしているが、それを支えてくれる市民がどれほどいるかと問われると心が暗くなるが、市民が声をあげればそういう従来の慣習は変わらざるを得ない。

 行政と市民がお互いの力を出しあう市民運動が望まれている時代であることを、行政と市民が自覚すれば、その実現は容易い。

3. 世界に開かれた国の条件

(1)外国人永住制度の緩和
 外国人が日本に住み、働いてみたいと思うような移民政策が、今日本に求められている。今までこの問題について政府は真剣に考えたのか。日本の社会発展に寄与しうる外国人に移住を促進する明示的な制度をもうけるべきだと思う。小渕元首相の諮問委員会で、知的人材を確保するために日本の大学院を修了した外国人に永住権を簡単に取れる優遇策を考えるべきだと提案された。

 しかし、在日コリアンが帰化申請をすると居住地域の酒屋やお米やさんなどに、申請者の聞き取り調査をして歩く。もちろん法務省の役人である。日本に生まれ育った在日コリアンをそこまで調査する必要があるのか。交通違反まで問われる。難しくなると国会議員などの有力者の力を借りる。そうして日本国籍を取得したのに、子女の結婚問題では差別の対象にされる。そうした問題を解決しないまま、修士号や博士号をとった留学生を無条件に近い状態で日本国籍を与えよと提案しているが、それが果たして機能するであろうか。

 わたしが静岡県立大学に在職していたとき、ある大学生が試験の答案用紙の最後に、「私は先生と同じ在日韓国人です。でも私が言うまでそっとしておいて下さい」と書いてあった。その要望に応えて3カ月ほど間を置いてその学生に声をかけた。すると「先生、帰化申請しました。でも今の気持ちならば帰化申請をしなければよかったと思います。古くから知っている酒屋に来て、私の家のことを根掘り葉掘り聞いていったのです。こんな侮辱はありません。だから帰化申請をやめようと思いました。でももう遅すぎます。私は朝鮮人韓国人と馬鹿にされたくないから高校時代は頑張って推薦入学で入りました。でも大学から就職が心配になって通称に変えました。先生は見抜いていると思ったのですが」という。わたしは韓国朝鮮人であることを隠さずに生きているので、わたしの教えている学生のなかに出自を隠している学生がいるとは思わなかった。その思い込みをわたしはひどく反省し、驕りのあったことを恥じている。

 その学生に、米国のテレビドラマの「逃亡者」を例にとって逃亡者にだけはなるなと話した。ビンセントという主人公が医者として最善を尽くしたが妻を助けることが出来ず、そのまま医者を放棄して家を出たことから殺人容疑がかけられて追われるという話である。各地で善行をつくしていると「どうも容疑者らしい」といううわさが立つ。その都度違う町へ移動する。別に罪を犯しているわけではないのに妻に対する贖罪感から永遠に逃亡者の生活を続ける羽目になったのである。そのつらさは通称で生活する出自を隠した在日コリアン、住所をというと同和地区に特定され差別されるから住所を言いたがらない同和地区の住民にも通じる。学生は「就職したら絶対、元韓国人であることを明かします。絶対逃亡者にはなりません」といった。

 このような潜在的課題をクリアしないまま、日本は本当に開かれた社会を築けるのであろうか。わたしは『論座』での山崎正和氏との対談で、日本は経済的環境よりも精神的環境を醸成すべきだという提案をした。精神環境のさらなる醸成を心がけるのが日本の行くべき道だと思う。

(2)日本の多民族国家宣言
 首相の私的諮問委員会とは言え、「外国人受け入れ案」が出てきた背景には、日本の少子高齢化対策がある。今のままで行くと、日本は納税者が減少し、老人大国になって国の借金は膨張を続ける。乳幼児も数に入れて日本人一人当たり540万円位の借金を背負うというのが、今の日本の現状である。今後は税金を納める人が少なくなり、使う人ばかりが増えていくという社会である。日本の国内で納税者を増やすには出産を奨励しても間にあわない。それゆえ外国から優秀な知的エリートを招き、彼らが日本に永住を希望、あるいは日本国籍を取りたければ手続きを簡便にするということである。その大きな目的は税収の増加に置かれている。

 これまでは日本は人種的選抜主義のために帰化や永住権を与えることを牽制してきた。中国からの帰国孤児の厳しいチェックでそれは証明されている。孤児のなかには日本人だと思われるけれども根拠がないから認められなかったという例が少なくない。もし、帰化条件を知的レベルの高い人には容易く低い人には厳しくするとすれば、在日コリアンにとっては差別以外の何ものでもない。在日一世たちの多くは学歴が低いのである。

 単純労働者として日本に滞在している多くの日系ブラジル人たちの扱いはどうなるのか。この人たちが帰化申請を希望したときに、「あなたは知的レベルが低いからだめだ」と断るのか。今、この人たちが日本にいなければ、日本はとても困るに違いない。彼らは日本の文化を熟知していないためにトラブルもあるが、ずいぶん貢献しているではないのか。その貢献度に比べて感謝の気持ちをもっている日本人は少ないのではないか。「おまえ達は知的レベルが低いからそういう仕事をしているのだ」という発想はおかしい。日のあたる仕事はもっぱら日本人が行い、日陰にいるのは日系ブラジリアンを初めとする単純労働者であるが、彼らに対して「自分の国にいるよりは実入りがいいじゃないですか」と考えたり言い放つ日本人が少なくない。

 フィンランド系の白い肌の日本人が横浜から参議院議員に立候補したが落選した。もしわたしが選挙に出たら肌の色では日本人と見分けがつかないだろう。言葉のテストをしても、何をしても日本人のようにみえる。金両基という名前から外国人だということがわかる。それがわかった瞬間、わたしへの人間評価が変わるのだろうか。変わるとしたらその人の人間性を疑いたくなる。どこが違うのかといわれても答えようがないのに大和民族にいれたがらない。現代医学をもってしても血液で民族を特定することはできないのに、日本では民族差別は歴然と存在し続けている。

 日本が多民族国家であることを97年5月8日国際的に宣言をしたことを、多くの日本人は自覚していない。その日、衆議院でアイヌ新法が全員一致で可決された。日本にアイヌ民族がいることを法的に認めたのである。つまり、日本は多民族社会であることを宣言したのである。その日、新聞や全ての報道機関が報道したが、それを記憶している人はとても少ない。韓国籍や朝鮮籍から帰化した人たちはアイヌ民族の総数より遙かに多い。アイヌは公称3万人、和人との間に生まれたダブルをふくめると6万人ほどになると言われているが、在日コリアンで帰化した人は10万人を越える。この事実、つまり日本が多民族国家社会であるという事実をはっきり認知し自覚すべきである。

(3)「国際化」をめぐる問題点
 わたしは「国際化」のテーマで数百回講演してきたが「国際化」の定義を明確に説明出来る人は少ない。「知ってるつもり」というテレビ番組があるが、国際化の理解に関していえば、多くの人が「知ってるつもり」だと思う。

 「広辞苑」も91年11月発行の第4版から「国際」の関連語として「国際化」という単語掲載された。「広辞苑」に載ればその言葉は市民権を得たと言われるが、「国際的な規模に広がること」と解説されている。日本人でもこれで国際化が判る人はいない。そのような状態で、外国人から国際化つまりinternationalizationの定義を聞かれて正しく説明することは至難なことである。日本で唱えているような意味の「国際化」は欧米ではすでに行われているので唱える必要性がない。日本で意味する国際化は「国際的に日本の管理下におく」というようなイメージで受け取られてしまう。「国際化」は日本にとって有利な一方通行のものではなく、日本と外国の双方に通じるツーウェイでないと国際的には広がらない。

 さて韓国でもこの「国際化」という言葉が流行り始めている。韓国で政府の各省庁から局長たちが参加した国際会議が開かれた。彼らが国際化という単語を多用するのでわたしは質問をした。「国際化という言葉は日本の造語でinternationalizationと英訳されているが日本でも正解がないのにあなた方はどう言う意味で使っているのか」と質問したが答えは得られなかった。さらに「国際化は大東亜共栄圏の思想と連動して解釈されることもある。その思想を一番批判している当事国である韓国の政府高官が、安易に多用しているのはいかがなものか」と問い詰めた。その時の司会者は国立国語研究所の所長で、「この問題はわたしの研究所のプロジェクトチームで課題になるようなことですが」といいながら課題として残された。わたしは「ここで公開討論に応じるだけの用意は出来ているが、しますか?」とコメントすると会場に笑い声が轟いた。その国際会議は韓国精神文化研究院が主催し、院長は元総理であった。

 その後金泳三前大統領が国際化という言葉をやめて「世界化」という言葉を使うようになった。それとglobalizationとどこが違うのかとわたしは問うてみたが、納得のゆく答えは得られないうちに使う頻度がぐっと小さくなっていった。韓国を世界に知らせるために「世界化」というのならそれは韓国文化の移出であって世界化ではない。金泳三政権が終わると世界化という単語もあまり使われなくなった。

 アイデンティティや文化開放の問題に関して、わたしは80年代から問題提起をしてきたが、国際化をinternationalizationという英語に翻訳するよりは、その日本語をローマ字でkokusaikaとする方がわかりやすいと説いてきた。柔道のIPPON(一本)と言う具合にしその理念を明解にして移出すればわかりやすい。それを日本の哲学として輸出すれば、日本の姿がもっとはっきりするであろう。

(4)東アジアの協調と歴史問題
 日本ではことあるごとに東アジアや北東アジアとの協調という声が大きくなるが、歴史摩擦の溝を乗り越えることが仲良くするための、共生時代への大きな課題である。日韓や日中などの二国間の歴史摩擦と言うよりも日本と東アジアとの摩擦と言った方が判りやすい。19世紀後半からの歴史問題は二国間で起きたのではなく複数の国が絡み合ってきたからである。大日本帝国・大韓帝国・清国・ロシアなどが絡み合って起こった問題は、当事者国が同じテーブルについて事実関係の摺り合わせをすることが歴史摩擦解消のもっとも効果的な方法だとわたしは説いている。

 1894年に日清戦争、10年後の1905年に日露戦争が起きたがいずれも当時は朝鮮半島で火蓋が切られた。清国とロシアに勝った日本は日韓併合条約を締結して大韓帝国を滅ぼしたことでも判るように、日本、清国、ロシアが深くかかわっている。現在朝鮮半島は大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の二つの国家が存在しているからこの5カ国が歴史問題の共通認識を得るために共通のテーブルにつけば、問題は解決される。それでも心配ならばアメリカをオブザーバとして加えることも考えられる。

 アジアと日本との歴史摩擦を解消するには、関係者が歴史的事実を確認し、その後に歴史認識問題に移れば議論しやすい。韓国と中国が歴史的事実を認めろと日本に抗議すると、日本は日本が生き延びるためにやむを得なかったという認識論を展開してきた。このすれ違いを解消するには、事実の有無を確認することが先決である。事実のないところに歴史認識はあり得ないからである。加害者は被害者になり得ないし、被害者も加害者になり得ないから、加害者側の日本はそこでなぜ加害者になったかということを考察し、被害者側はなぜ被害者になってしまったかを考察し、二度と同じことを起こさないためにその摺り合わせをすれば、共通の歴史認識に限りなく近づける。

 2005年は日本が韓国の外交権を取り上げた年(韓国ではこの条約を乙巳条約という)から100周年になる。この100周年をどう韓日両国はどう乗り越えるのか。事実を確認し、再び同じことを繰り返さないためにどうするかを加害者と被害者が一緒になって考えることはさほど難しいことではない。「雨降って地固まる」ということわざが活かされるような努力が望まれる。謝罪云々を超越したところで、二度と人類にこういう不幸をもたらさないために我々は何ができるかという点が大事である。

 また2010年は日韓併合条約100周年という時代の節目を迎える。ある人が10年先を見据えられなければ一人前の学者とはいえないと言ったが、それは理想であって現実的ではないのかも知れない。そう言われるほど10年先を見据えた研究者、学者の数が少ない。しかし民族や国家を背負わず、真実や事実を確認するために問題と向かい合う学者は必ずいるはずである。

 そのための具体的な例をあげておきたいと思う。韓国ユネスコ国内委員会が日本ユネスコ国内委員会に教科書の歴史表記をめぐって共同研究会の開催を申し入れしたのは3、4年前であった。事前に漏れるとリアクションが大きいということで、秘密裏に申し入れたが日本の国内委員会は「日本は韓国のように国定教科書ではないので、そのプロジェクトチームに参加しても教科書に反映することができない」という理由で断った。日本の歴史教科書は文部省が主導する教科書検定委員会が検討するシステムによって作られているから、新たに法律の整備をしなくても学会の共通認識が生まれればそれを教科書に表記することは可能である。韓国が再度申し入れ、日本が受けるということは不可能でないから再挑戦して欲しい。

 実はこれは韓国のユネスコ国内委員会の発案ではなくドイツの国内委員会からのアドヴァイスであった。ドイツは70年代に入ってからポーランドとの間で歴史教科書の共通認識を求める作業を開始し、激突もあったが成功した。75年に、新しい資料が出た時点でさらに協議するという形で決着した。これなら日本と韓国、日本と中国でも出来るはずである。日本でも考古学の分野では新しい資料の発見によって教科書が書き換えられる例は珍しくない。方法や前例があるののだから、問題はそれに踏み出す勇気があるかないかだけである。      

(5)共生時代の意味
 名古屋大学の大学院でわたしが講じている民族意識論の講座にはアジア系の学生が多く参加しているが、日本人の他に中国や韓国などアジアの留学生が多い。小渕首相の私的諮問委員会から答申が出された直後、「あなた方に永住権を与えられたら日本にいますか」と聞いてみた。台湾の留学生は「わたしは日本で学んだことを自分の国で活用したい」と、また韓国の留学生が「日本に来て判ったが、日本では地域住民にはなれない」というと中国の留学生がそれに相槌を打った。彼らは日本語にさして不自由しないので言語摩擦はほとんど生じないがアルバイトで文化摩擦を体験するといった。仕事で間違いをしたとき、初めは「それだめだよ」と注意されるが、二度以上同じ間違いをすると「日本人ならわかるのに」と言って民族性に振り替えられることが多い。育った文化が違えば誤解や間違いは生じるし、それが悪意でないことが判るはずなのに、それを民族性に結びつけられたケースが多かったと言うのである。日本人の仲間に入れようとしないそのエスノセントリズム、自民族優先主義に出会ってから「日本には住めない」と思うのだという。

 このような体験をしたとき、国へ帰りたいと思うが卒業しなければ意味がないと思い直してバイト先を変えて、歯を食いしばって頑張っていると言うのである。在日韓国人や朝鮮人のように長く日本に住み、日本の文化を熟知していても「日本人ならわかるのに」というようなトラブルは結構ある。在日韓国人、朝鮮人も納得できないと聞き直すが、日本人は黙りこんで、「外国人はわからない」という結論を下す。日本人は理解できなくて面倒くさいから黙ってしまう。すっきりしない形でも日本人はことをおさめるが、自分たちは納得がゆかないので、心に深い傷を負うのだと言った。その議論には日本人学生も参加しているが、日本人学生もそうした文化摩擦があることを認めていた。

 アイデンティティの確立には自分が属している集団の文化や集団のアイデンティティを自得することが非常に重要である。日本文化を何も知らない日本人が鏡の前に立って自分が日本人であるかどうかを確認しようと試みても、そこに自分の姿を映し出せない。自分の姿がないからである。日本人はきちんと日本文化を身につけるべきだと思う。思いこみや知っているつもりでは日本人のアイデンティティを確立することはほとんど不可能であるから、自分のアイデンティティの確立は出来ない。日本人が日本を知らずに、自己のアイデンティティを形成できたらこれは神業である。日本人も韓国人ももっと誇りを持つべきである。誇りというのは世界で自分だけが一番だと考えることではない。誇りを持てば他人の誇りを尊重する心が芽生えるからである。

 自信を無くすと一人歩きができない。一人歩きするために頑張っている外国人やマイノリティに、日本人つまりマジョリティは杖になってあげる。そして外国人は一時も早く杖がなくても歩けるように努力する。それが共生時代へ向かうための大事な心得だとわたしは考えている。手に手を取って助け合う、これは88年のソウル・オリンピックのスローガンであった。強いものが弱いものを助け、また弱くなったら助けてもらえばいいではないか。この繰り返しが共生時代だと思う。

 一国の経済が50年間世界を制覇したことはない。米国は一時期沈滞していたが再起の勢いが伝わってくるようになった。日本も再起を掛けているが相当に時間が掛かりそうである。一人当たり540万円の借金を背負いながら、経済力は世界第2位だというが、多くの日本人は実感がともなわないと口を揃える。経済つまり物質的豊かさが人間の自立をもたらすという神話が崩壊したいまこそ、精神的な豊かさの重要性を自得する最良チャンスである。

 精神的自立なくしてアイデンティティの確立はなく、アイデンティティの確立は自立の結果であるとも言える。

4. 韓半島の南北統一問題

(1)「情」を通しての信頼回復
 イデオロギーによる南北統一はあり得ないとわたしは考えている。北朝鮮と韓国では統一の方法論が違い、それぞれ連邦と連合という二つの方法を出しているが、コリア方式と呼べるような独自の統一方式を編み出す努力が必要である。いわゆるベトナム方式、武力による統一は、6・25韓国動乱で失敗したので実現する可能性はほとんどない。もう一つはドイツ式である。西ドイツが東ドイツを併合して統一を成し遂げたが、韓国の経済力では北朝鮮を抱えられない。北朝鮮はさらに難しい。そういう政治環境のなかで6月13日金大中大統領がピョンヤンを訪問して金正日国防委員長(党総書記)との南北首脳会談が実現した。

 当日テレビの実況をみながら、わたしは妻と賭けをした。金正日国防委員長が空港で金大中大統領を出迎えるかどうかという賭で、ソウルから嫁にきて30年が経つ妻は出迎えないと言いわたしは出迎えると言った。妻は在日のわたしよりも北朝鮮に対してアレルギーが強く、わたしの方はアレルギーが小さい分だけ冷静に見ることが出来たと言ってもよいかと思う。両首脳が一つの画面に入り、タラップを降りてきた金大中大統領を金正日国防委員長が右手を先に手を差しだしその手を金大統領が握ると、金国防委員長はもう一つの手を添えた。二人が両手を握り合ったその瞬間わたしの目から涙が流れた。妻は「アッパ(お父さん)が泣いている」といいながら、もらい泣きをしていた。民族共通の「情の文化」が通じあったのである。情を持って交流すれば、思いは通じるという韓(朝鮮)民族の共通分母が情であると考えていたわたしの予想が的中したのである。さらに、いがみあい、殺しあった当事者が、笑顔で対面することができるという人間の素晴らしさをそこで確認したとき、わたしの心臓が高鳴り感涙現象が起こったのである。

 人間は殺さなくても良い人たちを殺す残忍さをもっているが、一方では殺しあっていても笑顔で対面できる、それが人間のすばらしいところである。人間を原点に考えるとはわたしが常用している語録だが、そういう視座から両首脳の出あいと触れあいを見守っていた。二人が揃って韓国政府が事前に送ってあったリムジンに乗り込む姿をみたわたしは、二人が通訳を必要としない同族でしかも敵対しあっている二つの国家の元首であるという点を注視した。ピョンヤン市内に到着するまでの車中でどのような対話ができるかで、首脳会談の成果を占うことができるのだが、それは当事者しか知らない。リムジンのなかで芽生えはじめた二人の信頼を今後どのように育てていくかが大きな課題となった。食料援助などの物質的な協力が信頼関係を維持する上で大きな比重を占めていることも確かだが、それ以上に信頼できる相手であるかどうかの確認がもっと大きな比重を占める。信頼が芽生えれば、難題を解決する糸口を発見することは難しくないからである。

 わたしはレギュラーとして書いている信濃毎日新聞のコラムを書く時、最初に金正一総書記という肩書きを使ったが、校正の段階で「国防委員長(総書記)」にし、以降は「国防委員長」で通してきた。なぜかというと、北朝鮮では国防委員長という肩書きを常用し、韓国も相手を尊重するという立場からそれに倣っていたからである。日本のマスメディアは党総書記を使ったが、国防委員長というのは軍を統制しているという意味があり、軍事面が重要視されているということを意味する。それはまた軍事力の掌握が権力の源であるということを意味する。北朝鮮は一党独裁であるが、党総書記は国防委員長よりやや劣位に置かれているようだ。総書記の肩書きが普及すれば、その分だけ軍事的パワーが表舞台から下がったということになるから、そう言う時代が来ることは喜ばしい。

 ミリタリパワーからシビリアンパワーに移行することは、対決型から和合型へ向かうことでもあるから、統一にとっては喜ばしいとみて差し支えないとわたしは考えている。

(2)統一に果たす民間の役割
 首脳会談の直前に、子ども達の歌舞団であるリトルエンジェルスのピョンヤン公演があり、その子ども達がピョンヤンの公演を終えて金浦空港に降りた時だった。この子供達が「子ども達の統一はしてきました。これからは大人たちの番です」と言った。私利私欲がからまない純真な子ども達のことばは多くの大人達の心を打ったにちがいない。わたしの胸も打たれた。それがたとえヤラセであったとしても、心がこもった子ども達のさわやかな表情に、感動で顔が崩れてしまった。そういう文化交流が対話のムードを醸成したことは見逃せない。

 史上初の首脳会談には表に現れない動きがあったと伝えられている。新春に金大中大統領の命を受けた韓国の某長官が密かに統一教の上層部に相談したと伝えられている。統一教の文鮮明さんが故金日成主席と会い、文鮮明さんは自分の代わりに当時世界日報の社長だった朴普煕社長を金主席の葬儀に出席するように命じた。外国からの弔問客を一切受け付けなかった北朝鮮は朴普煕さんの弔問を受け入れた。つまり統一教と北朝鮮との関係はそれほど太いと言うことになる。そのパイプを活かした交渉が成功して金大統領のピョンヤン訪問が実現したという情報は韓国でも報道されているが、日本ではほとんど報道されていない。宗教人がこの種の橋渡しをすることは珍しくはない。日中国交正常化に創価学会の池田さんが影で動いたという話はよく知られている。

 両首脳会談をさらに発展させるために、わたしは両金氏にノーベル平和賞を与える環境作りをしようと呼びかけた原稿を信濃毎日新聞のコラムに書いた。金国防委員長がソウルを訪問し、彼の情報が西欧社会に広く知られる時期がタイムリーではないかと考えた。両首脳会談までは金国防長官の実像は国際社会にあまり知られていなかったのでノーベル平和賞候補にはあがりにくいと思ったからである。東西ドイツやイスラエルとパレスチナ、北アイルランドなどの当事者に平和賞が与えられており、わたしの願望は実現されると思ったのであった。しかし、間もなく金大統領だけに受賞が決まり、わたしの望んだ両金氏の同時受賞は実現しなかったが、金国防委員長がソウルを訪問し、統一への道がさらに具体的になれば金国防委員長のノーベル平和賞受賞も充分にあり得る。両金氏が平和賞を受賞する環境が生まれれば、間違いなく統一への道は開かれるであろう。民族だけではなく国際社会の期待がかかり、見守るからである。

 民族の悲願である統一を実現させるためには、憎しみ乗り越えてそれを愛に変換させる慈悲深さと努力と我慢が求められることを添えて結びとする。カムサハムニダ(有り難うございます)。
(2000年7月8日発表)