生涯学習時代における大学教育のあり方

京都大学名誉教授 一松 信

 

1. はじめに

 日本の教育は、現在多くの課題を抱えている。教育においては、新しい事を導入してもすぐ効果が現れるものではない。しかし、何か手を打たなければ10年、20年後に大きなつけが回ってきて、そのときにあわててもどうにもならないのもまた教育の宿命である。

 現代日本の教育において一番深刻なのが、制度上の問題である。明治時代初頭からヨーロッパに追いつけ追い越せで120年間取り組んできた結果が、今日の日本である。戦後は、米国の教育制度を導入するにあたり、理念を無視し、形だけ取り入れたことの弊害が「制度疲弊」として現れてきているといえる。今や世界も冷戦構造が終焉し、新しい段階に入ってきた。特に戦後50年かけて悪化したのならば、50年かけて治す位の覚悟が必要である。

 しかし、たとえ時間が掛かるとしても、何か出来るところから始めなければならない。理想を持ちながら、今、5年先、10年先に何をすべきかを考えるべきである。それをしないまま対処しても、結局小手先の改革に終わり、かえって状況を悪化させることになりかねない。

2. 近代科学の発展史

 1945年に日本は焼け野原となり、希望を失っていた。そんなとき湯川秀樹博士のノーベル賞受賞の知らせは、日本人の心を救った。科学の研究は当時、実用性を度外視し、無条件に許されていた時代であった。しかし、近年になり多くの有識者が「社会の変遷に合わせて科学も変わるべきである」と指摘している。社会の発展と共に科学に対する考え方や期待も変わってきたのである。その変化に科学自身も適応しなければならない。

 ところで、「科学」という言葉は15世紀にはじめて現れた。18世紀までの科学は、物好きの道楽のように見られてきた。時に科学は、宗教との対立などにより迫害されたこともある。そのような経緯を経て、16世紀頃からヨーロッパ諸国では「科学を上手く使えば役に立つ」あるいは、「科学者を体制に取り込む方がプラスになる」という考え方が定着してきた。科学は政府や宗教を批判することもあるが、その成果を有用に使えば国の発展に役立つと考えられるようになったのである。そのような背景の中で16世紀から17世紀にかけて「科学アカデミー」という機関が作られた。これは国家の諮問機関であり、政府がスポンサーとなって科学者に権威を与え、それと引き換えに政府を批判しないという取り決めがなされていた。つまり、現実的には政府のためになる研究をさせていたのである。

 当時の大学は、研究機関というよりは、教育機関であり、「科学アカデミー」の研究者の方が高い地位にあった。フランス革命においてその序列が入れ替わり、それまでアカデミーに閉じこもっていた学者が大学教授になり、学生を教えるようになった。そうなると今までのように仲間内で話していた内容だけでは通じなくなり、学問を体系化し、教科書を編纂する必要が生じた。それが19世紀における大学の近代化へと繋がったのである。

 それ以前の学問は貴族たちの独占物であったが、産業革命時代には技術者にまで対象が広がってきた。19世紀の終わりごろになると科学を応用して技術革新を推し進めるように政府が関与し始めてきた。日本では軍需産業が科学の発展を阻害したという一面もあったが、政府が積極的に科学を支援し、学問を発達させ、国が発展するという構図が最近まで続いてきた。今、我々は政府が科学を支援することに対して疑問を感じないが、それが最近では曲がり角にきているのである。

3. 海外の大学・教育制度との比較

(1)米国の大学・教育制度
 最近岩波書店から刊行された中谷宇吉郎先生の選集の最終巻に6・3制についての見直しが書かれている。この制度は1950年代に導入されたが、ご自身の子供さん達を米国で教育を受けさせた中谷先生は、その経験を通して制度の違いを改めて実感したそうである。6・3制度が日本でうまく機能しないのは、理念を取り入れず形式だけを取り込んだところに問題があったという。理念を無視して義務教育を9年に延長したために、十分に機能していないというのである。

 ただ米国の教育制度は、各州で独立しており、州ごとに制度が若干異なっているので、「米国では」というように簡単に括ることは出来ないということを留意しなければならない。国際的な学会に参加するためここ数年毎年1度米国へ行くが、その際、学校参観もすることになっている。もちろん参観をさせてくれる学校は、それぞれの地方でトップクラスの学校だと思う。それらの学校が米国の教育のすべてを表しているわけではないが、いろいろと考えさせられることが多い。

 米国の6・3・3・4制は、日本の6・3・3・4制とは異なるし、米国のすべての州がその制度を導入しているわけでもない。かなり多くの州が5歳で学校に入学する。日本のように「学年」という言葉を使わず、「グレイド」という言葉を使う。グレイド12は高校の最終学年に当たる。5歳から行く場合はKといい、そういうところはグレイド5で小学校を卒業する。中学校はミドルスクール、そして高校はハイスクールと呼ばれ、普通は4年制である。つまり6・2・4制になる。

 米国の教育制度で特筆すべきことは、学校毎の方針がはっきりしていることである。小学校では、読み書き計算と社会人としての躾を徹底して教育する。米国では宗教と密着している学校もある。また中学は、将来学習するための基礎を叩き込む時期である。そのためには詰め込み式になる。小学校では宿題はないが、ジュニアハイスクールになると宿題が増える。シニアハイスクールはむしろ大学に近く、日本でいうかつての旧制高校である。学ぶ内容もかなり高度なものだが、その段階にくると通常のコース以外に、大学準備コースcollege preparatory course(CPコース)が設けられ、これらの単位を修得しておくと、大学に入ってから認められるという特典がある。この単位を多く修得しておくと、大学入学後該当科目をスキップできる。私どもが学校参観をする場合に見せてくれるのは、このCPコースの場合が多いようだ。物理や数学などは、日本であれば理数科の高校での全内容とほぼ同じ位高いレベルである。

 大学教育の中心は一般教養であり、専門家の養成はハーバードのビジネススクールやロースクールのように大学院で行われる。理科系でも数学、物理などの専門は大学院で行う。大学院では約2年で修士課程を終え、その後各自が専門の研究や準備をする。学位論文を書いてそれが通れば卒業できる。早くて3年から5年くらいかかる。また、大学の中には大学院の予備校のような学校もある。

 米国の教育は、学年に応じて教育の目標が明確になっている点が、日本と比べると際立っている。かつて6・3・3制が日本で施行されたときに、「6・3・3制の良いところは何処で止めても成果があるという点だ」とある新聞が賛美した。その指摘は米国の6・3・3制に関していえば正しい。しかし、日本では残念ながら小学校は中学校の予備校であり、中学校は高校の、高校は大学の、大学は社会の予備校のような役割程度しか果たしておらず、大学まで出なければ、現実的には「落ちこぼれ」と見なされてしまう。「理念」抜きで6・3・3制を導入した結果といえる。

 このような状況下では「理科離れ」が起こるのも当然である。1年はここまで、2年はここまでという感じに内容を輪切りにしているので、学生は何のためにこれらを学ぶのかが分からなくなる。先が見えないまま階段を一段ずつあがれというのでは嫌いになるのが当たり前で、好きになれるのは例外的といえる。

 昨年、視察したテキサスのあるマンモス高校では「来るものは拒まず、去るものは追わず」というイメージを受けた。必修科目は少なく、午前中は8時から11時までである。11時から1時までは30分単位の授業が4コマあり、これらは選択科目か補習授業で、必ずしも全部出席する必要はない。学生たちはその間、自分で時間を決めて学生食堂にいく。これは食堂が混雑するのを防ぐ効果もある。午後からは選択科目があり、その人の好みに応じて選ぶことが出来る。例えば、デザイン、模型製作、絵、音楽、自動車修理などというように、日本ではあまり注目されないような科目も正規の授業として取り扱われている。設備も充実している。例えば、音楽教室は完全な防音装置がついている。音楽学校は別として、日本の高校でそのような設備を持つところは殆どないだろう。設備や内容もすばらしいが、その根底には生徒一人一人の個性を伸ばすという理念がある。日本ですぐに真似することは出来ないかもしれないが、参考にしてもよいのではと思う。

(2)ドイツの大学教育制度
 歴史的な側面から考えると、100年前、学問が最もさかんであったのはドイツである。政治的には遅れたが、学問の世界においては先頭を切っていた。学問の権威についてはドイツが筆頭に挙げられる。

 19世紀初頭のドイツの学校制度をみてみると、まず国民学校がある。当初は義務教育が4年で、ずいぶん経てから6年になった。そこを出てから就職する人も多いが、もう少し学ぶ場合にはエリートコースとして「ギムナジウム」がある。ギムナジウムの語源は、ギリシア語で「人間を体育、知育、徳育にわたってバランスよく鍛える場所」という意味である。

 ギムナジウムの期間は時代によって変ってくるが、原則として9年制で、6年プラス3年という区切りである。日本の旧教育制度と比較してみると、最初の6年は旧制の中学、後の3年は旧制の高等学校に相当する。一応順繰りで上がることが出来るが、6年で卒業する場合もある。もちろん中途退学の理由としては家庭の経済事情や本人のトラブルなどがあるが、はじめから6年で終わると考えているケースも多い。本来、そういう場合は職業学校に行くべきだが、地域によっては町立の学校はギムナジウム一つしかない場合もあり、職業学校の代わりにいくこともあったようである。

 ギムナジウムの目的は幅広い教養を身に付ける点にある。最後の3年目に卒業試験(アビトゥア)があるが、これは大学入学資格でもある。最初の頃は大学独自の入学試験があったが、ギムナジウムの圧力でこの卒業試験を通過していれば同じ州内であればどこの大学にも行けるように変更された。例えば、プロイセン内にあるギムナジウムを出れば、プロイセン内の国立大学(州立大学)が9校あるが、その中なら何処へでも入学できるという意味である。例えば、ミュンヘン工科大学は別の州だから試験を受ける必要がある。これと同じ大学入学制度を日本に導入してはどうかという意見もあったが、この背景を見たうえで議論をしなければ危険である。

 19世紀初頭、ギムナジウム卒業者は同年代の1.5%、19世紀の終わり頃でも3%程度であった。このアビタシオンをパスするのは非常に難しく、合格者の人数は各大学の入学定員より少ない。だから各大学が熱心に優秀な学生を集めるために苦労している。ドイツでは大学の期間にいろんな大学を渡り歩くのが標準だといわれることがあるが、実際のところは、一つの大学に居座る学生も多い。よくあるパターンとしては、1年次は地元の大学に行き、授業や科目の状態を把握する。その上で自分の専攻を決める。2年次に自分が専攻したい科目があるのはどの大学で何という先生がよいかを明確にして、そこへ行く。そこで専攻の基礎を学び、3年になって専攻を決め、別の大学に行くという場合もある。

 ドイツの大学は日本のように中央集権ではない。学生たちは地方の大学の特色を見て、自分の専攻に合う大学に進学する。もちろんドイツ政府はベルリン大学に力をいれたが、必ずしもベルリン大学がすべての学科で優れているわけではない。専攻によってはむしろ別の大学の方が優れていることもある。日本では明治時代に政府が東京帝国大学をつくった。それに反してドイツの大学は、昔からある地方の大学がだんだん熟成して現在の大学になっている。だからシステムの違いを判断するにあたり、その背景にある歴史を無視することも出来ない。

 また、これも意外に思う方が多いかもしれないが、ドイツ国内でも州が違うと言葉が通じないことがある。ドイツ各地の方言は標準語がくずれたものではなくて、各地方それぞれの公用語である。各州は、本来は独立国であり、その時代に使われていた公用語がその地方の言語である。つまり別の州の大学に行けばそこで現地語を学ぶ必要がある。

 さらに特筆すべきことは、ドイツでは19世紀の終わりに半官半民の研究所(カイゼル・ウィルヘルム研究所、現在のマックス・プランク研究所)が出来たことである。今の言葉で言えば「第3セクター」に当たる。ベルリン大学創立100周年記念式典の時に、カイゼルがそのことを発表し、その直後に設立委員会ができて作られた。日本と異なる点は、国として研究所の必要性は認めるが、すべての負担を国がするのではなく、民間も資金を負担するという考えを当時すでに政府が持っていた点である。もともと民間企業は独自で研究所をつくるほどの資本力と土地がないので利害が一致したといえる。研究員は教授のポストを与えられ、研究所には研究の自由が与えられる。土地は国が提供するが、建物と設備は民間が負担する。委託研究、共同研究などで経費をまかない、後には特許料でまかなうようになってきた。この制度はかなり成功し、多くの優れた研究が出ることになった。ノーベル賞の受賞者は1930年頃までは3分の1はドイツ人が占めていた。国を発展させるためには科学を重要視するという方針が明確であったことがわかる。

(3)中国の科挙制度の変遷
 日本では入試が諸悪の根源であるという主張が多いが、試験という点では中国が元祖であり、かつて「科挙制度」があった。これに関しては京都大学名誉教授宮崎市定先生が「中国の試験地獄」という副題の著書を発表しておられる。科挙の試験は高等文官試験であり、制度としては決して悪いものではなかった。貴族が官僚の良いポストを独占し、勝手なことをする問題があったのを是正し、貧しい人々の中からも優秀な人材を官僚として採用するために考案されたのが科挙の制度である。

 科挙の試験は、隋の文帝によって6世紀の終わり頃に正式に施行されたが、その80年程前からプロトタイプがあった。つまり民間人を登用するための試験が考案されている。その時代には貴族は成人すると自動的に役人になれた。しかし、試験制度が導入されると、貴族でも学校で学問を身に付け、実力を認めてもらわないと幅が利かないという意識改革が起ってきた。隋が南北を統一して一つの国になると、征服された南朝の優れた人も登用しなければならず、科挙を制度化した。

 科挙とは、中国の古い文献によれば、「科目選挙」といい、科は科目を、選挙は選抜を意味する。最初は多くの科目があった。隋から唐の始めの頃は6科目(秀才、明経、進士、俊士、明法、明算の六科目)があったが、徐々に一本化されていった。法律、算数、測量などの実用的な学問は軽視されるようになり、儒教の精神に沿った四書五経や文章、詩をつくる試験に集約された。

 その後、試験回数が増えてきて、清朝の末期には合計10回の試験を通過しないと最終の進士になれないようになった。後になると「挙人」(注:中国の科挙の第一次試験である郷試の及第者)が一番難しくなったために、挙人の資格を得るとある程度の地位に付けるようになった。魯迅の小説の中には「挙人になると県知事くらいにはなれる」と書いてある。正確には、挙人になってから県知事になるための実務試験をパスすれば県知事になれた。本当は最後のレベルである「進士」までいかないと真の合格者とはいえないが、こうした便法が施行された。科挙が資格試験なのか就職試験なのかという定義も難しい。施行された当初は就職試験だったが、だんだん資格試験に変わってきた。成績が良ければすぐに役人になれるが、合格しても成績が良くなければ、さらに就職試験を受ける必要もあった。

 科挙については、むしろ弊害が論じられることも多いが、その大きな原因は「制度疲労」である。施行後1300年経って、科挙は清朝の終わりごろに廃止された。いくら中国の社会が閉鎖的だとしても1300年の間に世の中は大きく変化している。人口も4000万から4億へ増えている。そんな中で制度そのものが、試験科目の数が増えた程度の変化しかしなかった。施行当初は1、2回で済んでいた試験の数が10回に増え、難易度がかなり上がっただけでなく、本来の目的から離れてしまった。科挙は官僚の登用試験であり、官僚に向いている人を選び出すための試験であるべきだったが、実際には論語の暗記や作文能力が問われることが中心になり、法律の試験がない。つまり実務試験ではなく、大所、高所から物事を見る試験であるため、結局は官僚に相応しい人ではなく、受験技術の上手な人がパスすることが多くなった。だから多くの受験者にとっては合格すること自体が目的となり、合格して、登用後のビジョンが養われなかった。むしろ、役人になりさえすれば後は好き勝手に出来ると考え、役得を利用して袖の下を稼ぎ、一財産作ろうとするような輩が出てきても不思議ではない。

 もちろん政府もそのことに気付いており、特に清朝の時代になると科挙は行うが、あくまでインテリに対する一種の飴のようなものとし、むしろ別の方法で役人を登用する手段をとったようである。結局、20世紀の初頭にこれを廃止し、学校で官僚を養成するという結論になった。しかしこのような伝統があるせいか、中国は今でも大学受験は日本以上に深刻である。ただ、今後、中国が今より豊かになってきた場合どうなるかはわからない。近年は学歴に背を向ける人も増えてきているようである。

4. 新しい時代に向けた大学教育のあり方

(1)教育についてのパラダイム転換
 大学入学試験が学校教育を歪めてきたというのはある程度事実であるが、本質的な問題は日本の学校制度においては、すべての学校が一つ上の学校のための予備校のようになっている点である。言い換えれば、途中で止めた場合、「落ちこぼれ」になるということである。中学卒業、高校卒業では希望する職種に就職できないのである。だから必然的に上の学校を目指してきた経緯がある。現在では大学の収容定員はその年頃の進学希望者と同じ程度になったので、一部の一流大学ではともかく、他の大学はそのあり方について熟慮が必要である。

 入学試験もそういう時勢を反映し、変化すべきである。いたずらに難問、奇問を出すことは止めなければならない。大学側は理念を持ち、どのような学生を希望し、何を教えたいのかなど真剣に考えるべきである。資格試験のような制度も検討すべきではないかと思われる。大学の授業にしても、学生が理解できないことをむやみに詰め込むのではなく、理解させる努力が必要である。現実的には落ちこぼれを作らないために補習授業も必要である。最近、予備校は受験生の数が減ってきているために大学生の補習授業に手を伸ばし始めている。現実的にそういう需要はあるが、大学側や大学生も面子にこだわるという障害があるため、看板としては資格検定のための補習という形で学生を募集して、実際は補習授業を行っているケースもある。

 教育は本来、学校任せにすべきことではないというのが私の考えである。学校教育の重要性を否定するわけではないが、それ以外でも補完する施設が必要だと思う。大前提になるものとして家庭内での躾がある。その他に個人が求める知識は各自異なるはずであり、ある程度、学校が基本的な学習の仕方を教えればあとは自分で習得すればよいと思う。そういう意味で主体的学習が重要になってくる。個々の学習の成果を見るためには、検定などがより注目されるようになると思う。個々人が別のことを学習するようになるため、ある意味ではシビアな競争社会になる。当然、それらのニーズを満たすためには学習する場と成果を客観的に評価することが重要になる。あなたはこの分野ではとても詳しいということを客観的に認定する制度が必要である。

 文部省も最近、「生涯学習」ということを強調しはじめている。当初「生涯教育」と呼んでいたが、「教育」という表現に少し威圧的なイメージがあり、「学習」という表現の方がよいという判断がなされたようである。教育は教える側が主体であるが、学習は個人の責任が強くなる。学習となると、助言をし、学んだことを認め、成果を判定し、支援するというスタンスになる。生徒がただ独学を進めるだけでは、成果が客観的にわからないのでよくない。

 社会に出てからでも大学時代にもっと勉強しておけばよかったと思う人もいる。ある程度年配の方々でも、向学心を持っている方々には支援すべきだと思う。老人でも向学心を持ち、何かを勉強している人たちはボケにくいという効用があるという。同じテーマに対して仲間同士語り合い、メールのやりとりをしたりすることで、ある意味での社会参加も兼ねて充実したシニアライフが送れるのではないかと思う。

 特に自然科学の分野においては知識の進歩が早いため、知識の陳腐化が早い。私が小学校時代に学んだ理科の知識は今では役に立たない。しかし、そのような世代でも新しい学説なり理論なりを学ぶことが出来る。こういうことはテレビや雑誌で見ることも出来る。

 ある調査によると中高生が科学の知識を何処で学ぶかというと50%がテレビ、30%が学校、本や雑誌が10%程度で、家庭で父兄から学ぶのは2%程度だという。テレビ番組の比重が青少年に与える影響が多いことを考えると、もう少しきちんと番組をつくって欲しいと思う。

 いずれにしても知識や技術は日進月歩であり、学校で学んだことを一生使うことは不可能である。学習する方法を学び、新しい情報を通じて知識を絶えず吸収する必要がある。そういうことをしている人とそうでない人の差がつく時代である。言い換えれば、今の時代ほど「競争社会」と呼ぶに相応しい時代はかつてなかったといえる。逆にそれに適応していかなければ、これからの日本も世界に太刀打ちできなくなると思う。

(2)科学者のあるべき態度と科学教育
 科学者がこれまで陥ってきた問題は、自分の業績を大切にする余り、国民に対して自分の研究成果を還元してこなかった点である。もちろん彼らは学会などでは発表するが、普通の人にわかるような形で説明する努力を怠ってきた。それが科学者をして世間から遊離させてきた原因である。ある人は「いくら世間から認められなくても真面目に取り組んでいれば大蔵省が認めて、研究費を出してくれるようになりますよ」という。これは本音であると同時に非常に嘆かわしい状況である。国民のことを忘れて、研究費を出してくれる政府の方ばかり見ている科学者の本性が顕著に表れているからだ。もちろん研究を続けるには研究費は必要だが、基本的に「自分の研究の成果を国民に還元する」という精神を忘れている科学者が多いのは問題である。特に研究費は税金によって賄われていることを考えれば、自分の研究がどういう意味を持つかを説明する義務があると思う。

 最近、100億年前の超新星が発見されたという事件がニュースになっているが、では何故その発見が重要な意味を持つのかが素人には全くわからない。またクレイ研究所が、数学の7つの問題に対してそれぞれ100万ドルの懸賞金を出したが、こういうことはとても刺激になると思う。それがどうして難しく、大事な問題かということの解説書が出ている。役に立つかどうかはともかく、科学者は自分たちの研究を積極的に一般の人たちに発表すべきだと思う。

 「理科教育が面白くない」とよく指摘される原因は、学ぶ目的が明確でないからだ。準備が多すぎて、何のためにこれをするのかという目的が見えないからつまらないのである。小さいながらも何か目的を明確にすれば興味を引くことができるはずだ。

 理科に関していえば、科学の祭典というイベントが各地で盛況を極めている。そこでは子供たちだけでなく、家族全員で参加し盛り上がっている。(愛知県)犬山の霊長類センターにはアユムという1歳の天才チンパンジーの子供がいるが、最近、そのアユムがコンピューターに関心を持ち、自分で操作法を覚えて問題を正しく解いていると聞く。人間が教えたわけではなく、母親アイが操作しているのを見て覚えたようである。つまり、母親が勉強しているのを見て、子供が真似をしたらしい。これは人間にもいえることで、親が怠けていたら、子供も勉強しない。親が勉強して見せる方が子供の刺激になるはずである。

 私が関わっている数学検定でも親子で参加する受験者がいる。親子や家族で検定を受けて、全員合格ということもある。兄弟で受けるというのはよくあるが、子供を連れてきた母親が一緒に受けることがある。余裕がなければできないことであるが、一家で学ぶという雰囲気をつくることは大切である。自分が出来なかったからその分を子供に期待して「勉強しろ」といっても反発されるが、「一緒に勉強しよう」と誘えば反応も違ってくるはずである。

 文部科学省は来年度から実施される学習指導要領で、学習内容を3割削減した。そのかわり学習指導要領とは「今までは達成目標だったが、今後は最低水準である」と説明している。つまり、今までは7割出来ればよかったものが、今後は絶対この水準まで達成しなければということになる。これが本当ならば、むしろ今までよりも厳しくなるのではと危惧している。

 例えば、「円周率=3では問題だ」と文句を言う人がいるが、そのことよりも生徒が自分で実際に計って確かめてみるという体験を持たせることの方が大切だと思う。(これは冗談だが、「消費税分」を切り捨てて、円の「平価切り下げ」をしたと思えばよい、という皮肉を言った人がいた。)自転車のタイヤを転がして実際に計り、いくつかということを体験させることが良いと思う。何人かで違うものを計ってみても、うまく整理すれば3.14になる。そんなことを総合学習で行うのも良いのではと提案したい。私は子供の頃このようなことを体験した。学習指導要領の変更で文句をいう人がいるが、それよりもむしろ自分たちがどのように学んできたかを考えれば、建設的アイディアが出ると思う。理科嫌いとか数学嫌いとかいう言葉だけを流行らせるのはむしろ逆効果だと思うのである。

 学校教育は大切だが、これからの時代は個人の学習という方向へシフトしていく必要がある。個人の学習を支えるための制度や資格検定なども必要になってくる。勉強に対して卑近な目標は必要である。受験勉強も目標になるし、資格取得を目標として勉強するのもよいと思う。 (2001年5月27日発表)